2009年02月05日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第五章(1)

第五章 星の鎮魂歌《レクイエム》


   1 大決戦 〜フィーナル(2)〜

 荒野に聳《そび》える巨大な塔は、以前に見たときよりも一層、忌まわしいもののように思われた。
 ラクアで一夜を過ごした彼らは、朝日が昇るより少し前にはヘラッシュに乗りこみ、こうして再び十賢者の根城へとやってきたのだった。あのときはナールとマリアナと、ネーデ軍と共に。そして今は、たった八人きりで。

「ナールさんは行かないんですか?」
 ラクアの港で、出発を前にした彼らはナールの指示によって集められた。
「私はまだ準備が残っているのです。それが片づき次第、そちらへ参ることにします」
「準備?」
 クロードが訊き返した。ここまで来て、いったい何の準備があるというのか。
「崩壊紋章のことはすでにご存じですね。その発動を食い止めるための準備、とでも申しておきましょうか。数日前からミラージュ博士とも協力して進めてきたのですが、どうにも仕上げが難航しまして」
 クロードが怪訝そうな視線で見つめていると、ナールは慌てて取り繕う。
「いえ。心配には及びません。必ず間に合わせますので。そろそろミラージュから連絡が入る頃でしょう。そうしたらすぐに私たちも後を追います」
「……はぁ」
 クロードは気のない返事をした。彼が不審に思っているのは、そんなことではなかった。
 ナールの物言いにはどこか重要なところを避けているようなふしがあった。崩壊紋章を防ぐための準備。それが一体どのようなものなのか、どういう効果を及ぼすものなのか、具体的な話が一切なかったのだ。しかし、それに気づいたのはヘラッシュに乗りこんだ後のことだったので、ナールをじかに問いつめることは結局かなわなかった。

 そうして、彼らは塔の前に立った。
 これが最後なんだと口では言っても、実際そんな気分にはなれなかった。不安な要素なら掃いて捨てるほどある。ナールのこともあるし、何より自分たちの力がこの先の十賢者に通用するのか、まったく自信が持てなかった。
 それでも、前に進まなくてはならない。
 唯一、希望があるとすれば、それは今この場に仲間と共にいられること。たった八人のちっぽけな人間ばかりでも、信じあうことでひとりでは絶対に出せない力を出すことができる。反物質の武器は確かに大きな力だけど、仲間の絆の強さにはかなわない。みんなと一緒に戦えるということが、何にも勝る力となるのだ。
「……行こう」
 クロードが言うと、彼らは徐《おもむろ》に歩きだした。ちっぽけな八人が、あまりにも巨大な塔に立ち向かおうとしていた。

 入り口を潜ると、いきなり彼らは困惑する羽目になった。
 そこは、だだっ広い部屋になっていた。以前に乗り込んだときには、階段が延々と続いていただけだったのに。入る度に部屋の構造が変化する仕掛けになっているのか、それともこの二週間足らずの間に突貫工事で塔の内部をがらりと変えてしまったのか。どちらにしても、事はすんなり運びそうにないのは間違いなさそうだ。
 部屋は目立った装飾もなく、つるつるの床が荒削りの石壁に囲まれているだけの空虚な空間だった。光源は不明だが、明るさは充分にある。ただ、天井とおぼしき部分だけは不自然なほど濃い闇が立ちこめている。見上げているだけで吸い込まれてしまいそうな闇だ。
「おやおや。こんなに朝早くから、ご苦労なことです」
 その天井の辺りから、物腰の落ち着いた声が降り注いだ。
「早起きは三フォルの得、とも言うからの。良いことじゃて」
 同じ場所から今度は嗄《しわがれ》れた声が。
「愚かな……よほど早死にしたいのか」
 次にはくぐもった声が聞こえた。
「誰だ!」
 クロードが叫ぶと、呼応したように天井の闇が激しく動いた。まるで今にも生まれんとする胎児を宿した子宮のように。
「言われなくても出てきますよ。そら」
 闇が破れて、そこから何かが飛びだした。三人の、異形の人間たち。
「まずは自己紹介と洒落こみましょうか。自分はサディケルと申すものです」
 最初に降り立ったのは、まだ幼さの残る少年だった。紺色の短髪に細めの体つきはまさしく子供のそれだが、死人のような青白い肌と鋭くこちらを見据える双眸《そうぼう》は、彼の持つある種の冷たさを象徴しているようだった。だらりと下ろした右手には途中で二股に分かれた金属の棒を携えている。それは大きな音叉のようにも見えた。
「儂はカマエルじゃよ。ほっほっ」
 次に降りてきたのは、前の少年と対蹠的《たいしょてき》な老人。十賢者の中では小柄な体躯をしているが、それでも通常の人間の一回りほどはある。白い覆面をつけているので顔つきはわからないが、合間からときおり窺《うかが》える目尻のあたりには深い皺が刻まれ、瞳も穏和な老人のものと違《たが》わない。しかし、その外見とは裏腹に、小作りの躯からは桁違いに邪悪な気配が発せられていた。
「ラファエル……それが貴様たちの死神の名だ。覚えておけ」
 最後に床に立ったのは、草色のローブを纏った者。声は男のようだが、見かけで性別は判別できない。本来なら頭があるはずのフードの奥は暗黒に閉ざされ、ふたつの眼光ばかりがいかにも怪しい橙色に輝いている。ローブは前の部分にスリットが入り、そこから垣間見える躯も暗黒だった。動作も人間とは微妙に異なり、どこか人形めいていた。奇妙な黒い塊にローブを着せて、手袋と靴を然るべき位置に備えつけただけ、というふうにも見えた。全く不可解な存在だった。
「おいおい、聞いてねーぜ。十賢者がいきなり三人も出てくるなんてよ」
 ボーマンが弱音を吐いた。
「ゲームは終わりだということですよ」
 サディケルは音叉を持ち上げ、肩に担いでから言う。
「我々にとってあなたがたの存在は、暇つぶし程度のものでしかなかったのですよ。けれど残念ながら、あなたがたに構っている猶予は終わりました。そういうわけで、すみやかに消去させていただきます。悪く思わないでください」
「簡単に言ってくれるわね」
 ランチャーの挿入口《スロット》にエネルギーパックをセットしながら、オペラが。
「消去だなんて……あたしたちをプログラムみたいに言わないでほしいわね」
「何が違うというのじゃ?」
 と、カマエル。
「そなたらの身体とて、遺伝子の情報《プログラム》を元に作られたものに過ぎんのじゃぞ。むしろ半端な進化の過程であるそなたらの身体のほうが、なまじそこいらのプログラムよりも脆《もろ》いくらいじゃ」
「それは、作られたプログラムであるお前たちの優越感というやつかな」
 エルネストが皮肉めかして言うと、カマエルとサディケルはともに意外そうな顔をする。
「ほう。我らの真実を知っておるのか」
「これは驚きましたね」
「お前たちの目的はなんだ? 宇宙を支配することなのか、それとも破壊なのか」
 クロードの問いかけに、サディケルは肩を竦《すく》める。
「我々はルシフェル様の意に応じて動いているにすぎないのですよ。あのかたは十賢者を統括すべく創られた存在ですからね。あのかたが何を考えて動いているのかなど、我々が詮索する余地はないのですよ」
「ルシフェル……またあいつか」
 ファンシティに現れた十賢者も、同じことを言っていた。どうやらガブリエルの他にも、あの銀髪の男が一枚噛んでいるようだ。
「さて、自己紹介も終わったことですし、そろそろ仕事にかからせてもらいますよ」
 サディケルが音叉を構え、ラファエルが宙に浮き上がり、カマエルの邪気がひときわ強くなった。
「そうはさせない……私たちは、ここで負けるわけにはいかないのよ!」
 レナが黒い玉石を取り出して、窪みにペンダントの飾り石を填めた。翠《みどり》色に輝く玉石にさらに紋章力を注ぐと、波動が発生して周囲の仲間たちの武器を包み込む。波動を吸収して反物質となった武器を手に、彼らは決戦の舞台へと上がっていった。
「バラバラに戦って入り乱れたりしたら、それこそ向こうの思うつぼだ。それぞれ標的とする相手を決めよう」
 クロードの言に仲間たちも諒解し、すぐに相手とする十賢者の許へと分かれていった。打ち合わせもないのに素早く対応できるのは、この旅の中で培われた信頼があってのこと。サディケルにはクロードとディアスが、ラファエルはオペラとエルネスト、それにボーマン、そしてカマエルにはレナ、セリーヌ、ノエルがそれぞれ挑んだ。
 ラファエルが空中から何の前触れもなしに衝撃波を放った。それが合図だったかのように、いっせいに口火が切られた。
 クロードとディアスが肩を並べて同時に斬りかかる。サディケルは猫のような身のこなしで軽く躱し、音叉を薙ぎ払うように振り抜いた。クロードはすかさず剣を差し出して受け止めようとしたが想像以上にその一撃は重く、弾かれるようにして突き飛ばされた。隙を狙ってディアスが跳躍し、剣を十文字に振るった。
「クロスウェイブ」
 衝撃波はサディケルの翳《かざ》した音叉の手前でかき消された。何か見えない防御壁を作ったのか。地面に降りたディアスはすぐに間合いを取る。サディケルが攻撃にかかる。しかし、そこへ割りこむようにしてクロードが突進してくる。闘気を込めた拳の一撃は寸前で避けられ、サディケルは身を翻してその場を離れた。間を置かずにクロードとディアスが並んで彼の許に駆け出す。少年の青白い貌に不吉な笑みがこぼれた。
 まるで銃でも構えるように、サディケルは音叉の先端をふたりに向ける。二股に分かれた先端の間から何かが光り、爆ぜた。そして音叉を中心として光の輪がいくつも生じ、凄まじい熱風を伴ってひといきに放出される。
「なっ!」
 不意を衝かれたクロードとディアスは避ける間もなく真正面から熱風を食らい、吹き飛ばされて石壁に身体を叩きつけられた。床に落ちると、ふたりは全身の痛みに顔をしかめた。服はところどころ焼け焦げ、腕や顔には火傷の黒い斑点が浮いていた。
「ソニックバーナー。超音波で空気を振動させれば、この程度の熱はすぐに発生できるのですよ」
 小憎らしいほどの余裕をみせるサディケル。クロードは膝をつき、歯を食い縛って立ち上がる。ディアスは既にその隣で、敵を睨みつけて立っている。
「なるほど。未だ闘志は衰えず、といったところですか。しかし、次は火傷じゃ済まされませんよ」
「いいからかかってこいよ」
 固く握りしめた剣の切っ先を相手に突きつけて、クロードが挑発した。彼が敵に向かってそんなことを言うのは、これが初めてのことだった。
「ガキが玩具《おもちゃ》振り回して、いい気になるなよ」
「言ってくれますね」
 サディケルの目の色が変わった。
「ならば、これが玩具かどうか、もう一度確かめてごらんなさい!」
 音叉から再び熱風を繰り出す。ふたりはそれぞれ左右に避け、そこから地面を蹴って同時に斬りかかった。
 一方、ラファエルを相手にしていた三人は。
「ちくしょう。何なんだこいつは。ふざけやがって」
 ボーマンが悪態をつく。その間にもオペラがラファエルに向けて銃を連射していたが、相手はまるで風に舞う布切れのようにひらりひらりと躱していく。背後からエルネストが鞭を繰り出しても、正面からボーマンが殴りつけても、草色のローブのごわごわした感触以外に手応えは全くない。果たしてそのローブの内側に、そいつが存在しているのかどうかも疑わしかった。
 そうこうしているうちにラファエルが衝撃波を放つ。近くにいたボーマンとエルネストは撥ねつけられるように突き飛ばされ、オペラは頭を低くしてなんとかやり過ごした。
「これじゃ、ラチが明かないわ。あいつの身体がどうなってるのかわからないことには」
「だったら、俺が確かめてやる」
 そう言って、ボーマンがラファエルに向かっていった。足許に丸薬を投げつけて煙幕を張り、視界を奪ったところで一気に相手の懐に潜りこむ。そして、ローブのスリットをつかんでひと思いに引き剥がす。だが、その中身を目の前で見て、愕然とした。
「なんだ……これは」
 そこには人間のからだなどなかった。ただ、不可思議な空間がぽっかりと口を開けているのみ。黒と青と緑と赤が渾然一体となって混ざり合ったその空間は、この世に存在するいかなるものよりもおぞましく感じられた。悪夢の中で見る宇宙は、もしかしたらこのようなものかもしれない。
 その空間を眺めているうちに、ボーマンはそこに吸いこまれていくような錯覚に陥った。いや、これは錯覚ではない。実際に吸いこまれているのだ。気づいたときにはすでに下半身がすっぽり空間に嵌《はま》りこんでいた。底なし沼と同じだ。もがけばもがくほど、ずるずると引き込まれる。
「ボーマン!」
 エルネストが駆け寄り、その腕をつかんだ。しかし、どれだけ腕を引いてもボーマンの身体はみるみる空間の中に沈んでいく。そのうちエルネストまでもが巻きこまれてしまい、最後にはふたりともおぞましい穴の中へと呑みこまれてしまった。あとには口を開けたままの空間が、何ひとつ変わらぬ状態でそこにあるのみ。
「自ら地獄への扉を開けるとは……愚かしい」
 ラファエルが低調な声色で呟いた。
「そんな……冗談でしょ」
 オペラはしばらく茫然としていたが、すぐに気を取り直して銃口をラファエルに向ける。
「ふたりを出しなさい。さもないと、その頭をぶち抜くわよ」
「無理だ。この超空間は我のものであり、また我のものではない。そこは秩序の存在しない世界。制御も統制も意味を為さない。一度そこに迷い込めば、永久に彷徨《さまよ》い続けることになる」
「そんな禅問答みたいな理屈で諦めきれるわけないでしょ」
 自分に言い聞かせるように、言った。
「エルは戻ってくるわ。必ず。あのひとがこんなことで死ぬもんですか!」
 言いながら引き金を引いて光弾を放つ。ラファエルは空中に浮き上がってそれを避けた。そして止《とど》めとばかりに強烈な衝撃波を放った。充分な間合いを取っていたはずのオペラもこれには手もなく吹き飛ばされ、何度か床に身体を打ちつけながら、最後は地面に倒れこんだ。
「やはり他の二人同様、超空間に放り込むのがせめてもの情け……」
 そう言ってオペラの前に歩み寄ろうとしたとき、ラファエルに異変が起こった。
「……ぬ?」
 躯が動かない。金縛りにでも遭ったかのように硬直してしまっている。そして次の瞬間、空虚なはずのローブの内側から凄まじい衝撃が奔《はし》った。
「ぐ……ぐぉぉぉぉっ!」
 オペラは両手をついて起き上がり、その様子を信じられないように刮目《かつもく》した。悶え苦しむラファエルの躯に亀裂が生じている。草色のローブに網の目のように罅《ひび》が広がり、その溝から光が洩れだした。
「ぐわぁぁぁおぉぉぉぉっ!!」
 そして、恐ろしい絶叫とともにラファエルの躯がはじけ飛んだ。ローブの裾が、手袋が、フードやその内側にあった奇妙な空間が細かい破片となって砕け散る。それはちょうど硝子か陶器でできた人形を中から爆破したような感じだった。
 飛散した破片が降り注ぐ中に、オペラはふたつの影があるのを見つけた。彼女の表情に笑顔が戻る。
「エル! ボーマン!」
 オペラはまだ破片が降っているのにも構わず、体格のいいほうの身体に飛びついた。それは間違いなくエルネストだった。
「今の、あなたたちがやったんでしょう。どうやって抜け出したの?」
「ちょいと中で暴れてやっただけさ」
 ボーマンが親指を立ててニヒルに笑う。
「似合わないわねぇ、それ」
「うっせぇ」
 せっかく格好つけたのに、とボーマンは不貞腐れた。
「あの超空間こそが、やつの本体だったんだ」
 エルネストが説明する。
「俺たちが見ていたローブの男は、あの空間とこの世界とをつなぐ扉《ゲート》というだけの存在だった。超空間を司っていた『意識』こそがラファエルの本体だったんだ。だから俺たちはその中にあった『意識』の核を捜し出して、そいつを破壊した。後は見ての通りだ」
「でも、あいつは中に入ったら空間を彷徨うだけだって……」
「普通ならそうなったのだろうな。だが、俺にはこいつがある」
 そう言って、エルネストは握っていた鞭を前に示した。
「この鞭ならば異空間の中でも自在に操れる。元来空間を飛び超えて攻撃できる武器だからな。こいつを頼りにして、どうにか『意識』の核へと辿り着くことができたんだ」
「へぇ……」
 オペラが感心していたそのとき、別の場所から爆風が巻き起こった。
 そこでは、レナたちがカマエルを相手に戦っていた。
「ふぇふぇ。もう終わりか、小童《こわっぱ》ども」
 カマエルは先程放ったイラプションの残り火を掌に燻らせながら、綽然《しゃくぜん》と笑った。
「なにをっ……」
 セリーヌが憎々しげにカマエルを睨めつけ、そして杖を掲げた。
「ルナライト!」
「シャドウフレア」
 上空から舞い降りる光の帯は闇の焔にかき消された。
「エナジーアロー!」
「サンダーストーム」
 カマエルを包み込む光の矢は電撃に触れると一瞬のうちに消滅した。
「グラビティプレス!」
「トラクタービーム」
 無数の鉄の塊はカマエルの頭上で突然落下が止まり、逆に天井へと遡《さかのぼ》っていった。
「それだけかの? ふぇっふぇっ。それでは、次は儂からいくかの」
 そう言って、カマエルは腕を振り上げた。
「サンダークラウド」
 天井から稲妻が迸り、レナたち三人を襲う。衝撃で目の前が真っ暗になる。頭のてっぺんがズキズキと疼き、そして眩暈《めまい》がした。気絶してはいけない。ここで倒れてはいけない。全身の痺れと痛みを必至に押しやって、レナは精神を集中させる。
「フェアリィ……ライト!」
 うまく動かない口をどうにか動かして、呪紋を唱えた。レナとその周囲に光の粒が降りそそぎ、三人の傷を癒していく。
「いたた……冗談じゃないですわ。あいつ、ほとんど詠唱してないじゃない」
 片手で頭を押さえながら、セリーヌが立ち上がった。
「半端な呪紋では確実に打ち消されますね。向こうが対抗できないだけの強力な呪紋ならば、あるいは倒せるかもしれません。レナさんのスターフレアか、それとも……」
 ノエルはセリーヌを見た。セリーヌもその言葉の意味を汲みとった。
「よろしいですわ。でも、これは詠唱に時間がかかりますわよ」
「私たちが時間を稼ぎます」
 レナが言い、ノエルもしっかりと頷いた。ふたりの決意に気圧されながらも、セリーヌは微笑を返した。
「期待してますわよ」
「セリーヌさんも」
 そして、彼女は目を閉じて詠唱を始めた。
 残ったレナとノエルは手当たり次第に呪紋をぶつけた。カマエルも最初のうちは相変わらずの余裕をみせながら呪紋を返していったが、やがてセリーヌが攻撃に加わっていないことに不穏を感じ始めた。
「ふむ……何を唱えようとしてるかは知らんが、怪しいの。まさかとは思うが、念のために潰しておくか」
 用心深い老人はセリーヌに向けてサンダーボルトを唱えた。
「だめっ!」
 レナはセリーヌの頭上に飛びこみ、身を挺して電撃を防いだ。またもや電撃を浴びたレナは着地もままならず、床に転がりこむ。
「邪魔は……させないから」
 それでもすぐに立ち上がり、未だ詠唱を続けているセリーヌの前に立ちふさがる。
「ふむ。みずから盾となって仲間を守るか。殊勝なことじゃ。だが、どこまでもつかの」
 カマエルは次にファイアボルトを放った。それはセリーヌがいつも唱えているものの数倍はあった。炎の尾を曳いて迫り来る火球に、レナは両足を踏ん張って、両腕を顔の前で組んで衝撃に備えた。
 しかし、火球は彼女の手前で弾かれた。腕を解いて前を見ると、そこにはノエルの後ろ姿があった。
「女性にばかりこんな目に遭わせるわけにはいきませんよ」
 ノエルは首だけ動かして背後のレナを見ると、力強く笑いかけた。両手の手袋は炎の球を受け止めたために焼け焦げている。
「レナさん、紋章力で防御壁を作るんです」
「え?」
 レナの隣に並んでから、ノエルは言った。
「この周囲に紋章力の膜を張るんです。そうすれば少しは呪紋の攻撃を和らげることができるはずです」
 自分にそんなことができるのかわからなかったが、とにかく今はノエルの言うとおりにやってみるしかない。レナは掌を頭上に翳《かざ》して、慎重に紋章力を放出していく。これでどうやったら膜なんて作れるのか。途中で迷いも生じたが、慌てて首を振って無心に戻る。大事なのは理屈じゃない。感覚だ。瞳を閉じ、自分の中に流れる紋章力を感じて、それを自在に操る自分の姿を想像した。
 ある程度まで紋章力を放出して、彼女のまわりに無数の光の粒が煌めくようになると、レナは放出を止め、指先で粒の群れを撫でるように腕を動かした。すると光の粒は互いに寄り集まり、大きな光の塊へと変化し、さらに薄い膜となってレナたちを覆った。
「これで……いいの?」
「上出来です」
 ノエルは、まだ自信なげなレナを励ますように頷いてみせた。
 そこへカマエルの放ったシャドウフレアが降りそそぐ。光の防御壁によって多少は軽減できるとはいえ、膜を突き抜けた青黒い焔《ほのお》は執拗にレナとノエルの身体にまとわりつく。服が焦げ、肌が灼けても、ふたりはセリーヌの前を離れようとはしなかった。
「なるほど。テコでもそこを動かぬ気か。面白い。先にそなたたちから片づけてくれよう」
 カマエルの怒濤《どとう》の攻撃が始まった。強烈な冷気が渦巻いたかと思うと、紅蓮の炎が防御壁を包み込む。真空の刃がふたりを切りつけ、雷撃が身を打つ。矢継ぎ早に繰り出される呪紋の数々にも、ふたりは必死に耐えしのいだ。セリーヌの詠唱が終わるまでは。それまでは何がなんでも彼女を守りきらなくてはならない。
 カマエルは弄《もてあそ》ぶように様々な呪紋を片っ端からぶつけてくる。レナは徐々に薄くなる光の膜に絶えず紋章力を送り続ける。そのため彼女はほとんど無防備だった。容赦なく鎌鼬が切りつけていき、腕や脚に血が滲んだ。ノエルもセリーヌに降りかかる炎や氷の矢や真空の刃を懸命に振り払っていく。
 そうして、ついにセリーヌが動いた。目を大きく見開き、杖を高々と掲げて。
「エクスプロード!」
 カマエルの眼前で、急速に大気が凝縮される。
「ぬおっ! これは」
 呪紋の威力を予期したカマエルがその場を離れようと一歩退いた刹那、それは一気に膨張を始めた。熱を帯びた空気が覆面の老人を呑みこみ、爆発を巻き起こす。
「伏せて!」
 セリーヌがレナの肩をつかんで地面に押し倒した。横にいたノエルも既に伏せている。爆発は彼らの頭上でも起こっていた。轟音と爆音、そしてかすかに聞こえる老人の断末魔。爆風が生暖かい突風となって背中を吹き抜けていくと、ようやく辺りは静かになった。
 レナがおそるおそる顔を上げて前を見る。そこに嫌らしく口許を歪ませた老人の姿はなかった。まさに塵ひとつ残さずに吹き飛んでしまったのだろう。
「前よりは随分おとなしい爆発でしたね」
 それでも、ノエルがそんなことを言うのだから、レナはその「前」がどのくらいとんでもない爆発だったのか、想像しようとしてすぐに嫌になった。
「今回は爆発の範囲を調整してみたんですのよ。おかげで詠唱にさらに時間がかかってしまいましたけど」
 セリーヌは立ち上がり、まだ床に座りこんで放心しているレナにも手を貸して立たせる。それから、軽く抱きとめて、彼女に囁きかけた。
「ありがとう、レナ。こんなになるまで頑張ってくれて」
 それで緊張の糸がほぐれたのか、レナの瞳に涙がにじんできた。何気ないはずのセリーヌの言葉が、本当に嬉しく感じられた。
「おや。あちらはまだ戦っているのか」
 ノエルの視線の先には、サディケルと激しく打ち合うクロードたちの姿があった。
 同時に振り下ろされたクロードとディアスの剣を、サディケルは巧みに音叉で受け止める。ディアスは切り返して相手の横腹を抉るように振るったが、サディケルは躯を反転させて背後に避けた。そこを狙って放たれたクロードの空破斬は手前であっさり防がれた。
「なかなかやりますねぇ。さすがにメタトロンたちを倒すだけのことはある」
 さしものサディケルも軽く息をきらせ、疲れを見せている。
「このままもつれて泥仕合になるのはお互い望まないことでしょう。そろそろ決着をつけようではないですか」
「いいだろう」
 クロードは汗で額に張りついた前髪を払ってから、それに応じた。彼にしてもディアスにしても、これ以上戦いを長引かせるつもりはなかった。
 サディケルが速攻を仕掛けた。迎え撃つクロードとディアスは左右に散って斜めから斬り込む。サディケルはわずかに速いディアスの剣を跳躍して躱し、クロードと斬り結ぶ。何度か打ち合ったあと、クロードの頭めがけて音叉を振り抜いた。クロードは背中から倒れこむようにして避け、ついでに足払いをかける。足許を取られて体勢を崩すサディケルにディアスの剣が振り下ろされる。かろうじて音叉を差し出すものの、打ち合った衝撃で地面に尻餅をつく。そこをさらにクロードが斬りかかったが、サディケルはその信じがたいほどのバネを生かして後方に跳び退いた。
 劣勢で間合いを取ろうとするサディケルに対し、クロードとディアスはここぞとばかりに攻めたててくる。ふたりが一列になってこちらに向かうのを見ると、サディケルは音叉を突き出して音波を放ち熱風を繰り出した。前を走っていたクロードは跳躍してそれを躱したが、後ろにいたディアスはそこに踏みとどまった。
「なに?」
 目を見張るサディケルをよそに、ディアスは両手で剣を振りかざす。刃に炎が宿った。
「朱雀衝撃破!」
 振り下ろされた剣から燃え盛る朱の鳥が飛び立ち、音波と熱風に真っ向からぶつかっていった。焔の鳥は熱風を呑みこみ、音波をものともせずに突き進んでいく。
「くっ!」
 熱風を吸収して倍に膨れ上がった焔の鳥がサディケルに襲いかかる。彼は横に逃げようとしたが、反応が遅れて炎を浴び、熱風に舞い上げられる。それでも空中で体勢を立て直し、片膝をつきながらもうまく着地した。立ち上がり、相手の方を睨みつけようとして──背筋が凍った。
 クロードが、彼の背後にぴったりと寄り添っていたのだ。剣の切っ先を、脊椎《せきつい》のあたりに突き立てて。
「お前の負けだ」
 耳許でそう囁いて、クロードは腕に力を込める。刃が少年の幼い躯を貫いた。驚愕の色に見開かれた双眸が、みるみる光を失っていく。クロードが剣を抜くと、口から紅の華を咲かせて、サディケルは倒れた。
 十賢者の骸が音もなく消滅するのを見ると、クロードは剣を投げ出して、脱力したように座りこんだ。
「勝った……んだな」
 天を仰いで、自分で確かめるように呟いた。そこへ仲間たちも集まってくる。
「これで残るはあと四人ね」
「ああ。だが、まだ先は長い」
「気を引き締めてかかりませんと」
 クロードは剣を拾って鞘に収め、立ち上がってから言った。
「先を急ごう」


 八人は一丸となって塔を駆け抜けた。大きな広間があり、迷宮があり、ひたすらまっすぐ延びた長い通路があった。扉を潜り、トランスポートで移動するたびに、めまぐるしく部屋の様子が変化していった。石造りの部屋、木と紙でできた部屋、冷たい金属質の部屋──それはまるで、異なる世界のいろいろな場所にある建物の一部を切り取って、無雑作に塔の中に貼りつけたようだった。
 行く手には数多の魔物が待ち構え、彼らの前に立ちはだかった。大蜥蜴が炎を撒き散らし、胃袋のような気味の悪い生物が群れを成して押し寄せ、巨大な怪鳥が立ちふさがった。彼らはもはや躊躇《ためら》うことなく剣を振るい、呪紋をぶつけてそれらを退けていく。異形の塔の内部を八つの希望の星が疾風となって駆け抜けていったあとには、夥《おびただ》しい数の魔物の屍が累々と積み重なった。鋼の怪物が無差別に放つ銃弾を躱し、中身のない甲冑が投げつける剣を弾き返す。刃が鞭が拳が唸り、瞬時にしてがらくたの山を築く。なにものも彼らの侵攻を止めることはできなかった。

 そうして、数えきれないくらいの部屋を通っていき、何度目かの扉を開けたとき、突如として茫漠とした空間が広がった。
「ここは……?」
 そこは、見渡す限り真っ白な空間だった。白い大地に、白い空。空と大地を分け隔てる地平線のあたりがわずかに灰色味を帯びている以外には、見事に白一色の世界だった。まだ何も描かれていないカンバスの中に閉じこめられてしまったような気分だった。
「誰かいるぜ」
 ボーマンが、その白い景色の中心にいた二人組を見つけた。そいつらは、同じように腕を組んで、ニタニタと下卑た笑いを浮かべながらこちらを見ていた。



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【ひとくち解説】
 いよいよクライマックス突入。この章はほぼ全部バトルです。仕方ないけど。キャラの動きとか展開とか、果たして文章で表現できているのか一抹の不安はあります。
posted by むささび at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2
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