2009年02月26日

小説 STAR OCEAN 2 〜 おわりに

 どうにか皆勤で終わらせることができました。ほっ。

 前回、本にする際の加筆修正に比べると、今回はざっと流し読みでチェックする程度でした。おかげで、客観的に自分の書いたものを読み直すことができたように思います。
 で、客観的に読み直してみて感じたのは、やっぱり拙いところがあるなァ、と。序盤のまだ慣れてない頃は言うまでもないけど、ネーデ編に入ってからの文章も、改めて読むとちょっと……な部分が散見されます。締め切りという制限がある中での執筆だったので、そのへんは加味しないといけないんだろうけど。
 それでも、これだけのモノを書いたことには違いないし、それは今でも胸を張っていいことなんだと思います。というか、言い聞かせています。細かいところを挙げればキリがないけど、これはこれとして良いんじゃないのでしょうか。ね?
 ……なんか何言ってるのかわからなくなってきた。もういいや言い訳は('A`)

 何はともあれ、おつき合いありがとうございました。これでこの作品をいじるのは最後です。本当に。……たぶん。

posted by むささび at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 終章

終章 還りの森


 深奥とした森。果てなき草原。緑溢れる大地を、陽の光が明るく照らす。
 川は清澄に流れ、畔には小さな花が絨毯のように一面に咲き乱れている。

 二匹の黄色い蝶が、草花の合間から飛び出した。
 花畑を離れ、川を越えて、縺《もつ》れ合いながら森の入口へと飛んでいく。

 そこで、何かを見つけた。銀色に輝く、鋼鉄の乗り物。

 蝶たちは、注意深く観察するように辺りを飛び回る。すると乗り物の入口が開いて、中から金髪を振り乱した女が出てきた。
 女は、木造りの素朴な橋の手前に集まった一団に加わり、話を始める。

 二匹の蝶はその場を離れて、誰に知れるともなく森の奥へと消えていった。


「準備は完了したわ。いつでも出発できるけど」
 艦《ふね》から降りてやってきたオペラが言った。レナは下を向く。ついに、そのときがやってきたのだ。
「わかりました」
 クロードは、そっとレナのほうに目配せしている。だが、彼女は顔を上げることができなかった。クロードの姿を見ることができなかった。
 もう、これでお別れなのに。
「クロード。本当にいいのか?」
 エルネストが念を押す。ボーマンやセリーヌも無言のまま問いかけている。本当に、これでいいのか?
「僕は地球人です。いつかは帰らなきゃいけないんです」
 きっぱりと、クロードが言った。セリーヌが溜息をつき、ディアスは首を曲げて空を眺める。
「それより、ノエルさんは一緒に行かないんですか?」
「ええ。連邦の世話になるつもりはないですから。それに、僕はこの星が気に入りました」
「動物には事欠かないものね、ここは」
 オペラが言うと、その場に笑いが洩れた。
 レナは拳を握りしめ、どうにかして顔を上げようとする。早くクロードに言葉をかけなくては。「元気でね。お母さんを大切にしてね」って。
 ──いやだ。
「まあ、ノエルさんはこの星にいたほうがいいかもしれませんね」
 ──離れたくない。
「なんなら俺が代わりに行ってやろうか? マブいねーちゃんがたくさん拝めそうだからな」
「あんた、誰見て言ってんのよ」
 ──お願い。ここに残るって言って。
「ニーネさんもこの男を野放しにしてるのはどうかと思いますわね」
「首輪でもつけておかないとね」
「バカ言え。女への探求は男の義務だ。男の永遠のテーマなんだよ」
「……誰か、こいつにぶちかましてやって」
「では遠慮なく」
「痛ぇなっ! 女のくせしてグーで殴るなっ!」
 ──お願い……クロード。
「それじゃあ。僕らはこのへんで……」
「……やだ……」
 クロードが振り向く。うつむく少女の顔から、雫がぽとりと落ちた。
「行っちゃ、いやぁっ!!」
 レナは子供のように座りこんで泣き崩れた。地面に手をつき、項垂れて、しゃくり上げながら何度も首を横に振る。誰も声をかけることはできなかった。ある者は瞑目し、ある者は唇を噛んで顔を背けた。
「レナ」
 と、クロードが彼女の前に歩み寄った。片膝をついて、彼女と目線を合わせる。レナは濡れた顔を上げる。そこにはクロードの顔があった。優しく力強い瞳。一心に、自分を見つめている。
 クロードはそっと顔を近づけ、彼女の額に唇を押しあてた。

 ──また……よ。
 ──だから、……って……。
 ──……ね。

 彼が何か囁いた気がして、レナは顔を見る。しかしクロードはすぐさま立ち上がり、仲間たちに別れを告げると、オペラとエルネストの後について、そそくさと艦へと乗り込んでしまった。
 旋風を巻き起こして艦が浮き上がる。
 クロードは窓からこちらを眺めている。その口がなにがしかの言葉を紡ぎかけた刹那、しゅんと大気を切り裂く音を立てて、艦は雲の向こうへと飛び去っていった。
 レナは草原の真ん中で、秋の澄んだ空を見上げていた。いつまでも、ずっといつまでも。


「……ねえ、これでよかったの?」
 操縦席のオペラが、画面に目を向けながらクロードに訊いた。
「あの子と別れて、本当にそれで……ねぇ、聞いてる? クロ……」
 振り返って、オペラは言葉を呑みこんだ。
 クロードはひとり、涙をこぼしていた。固めた拳を窓に押しつけ、壁に頽《くずお》れるようにして。

 いつかきっと。その想いを、そっと胸に秘めながら──。





 森の上を風が撫でる。ノエルは振り仰いだ。枝葉が大きく撓《たわ》み、心地よい音を奏でる。
 マーズの紋章の森。彼はこの地に落ち着いていた。もちろんセリーヌの伝《つて》によるものではあるが、以前の山賊に侵入を許した教訓から、マーズ側も森を守り管理してくれる人間を求めていたのだった。かつては守護結界が破られ、瘴気渦巻く森となっていたこともあったが、今はノエルの尽力もあり、すっかり穏やかな森へと変貌を遂げていた。
「よしよし、今日も来たね。そら、ご飯だよ」
 管理人の小屋の前には、バーニィが沢山の子バーニィを引き連れやって来ていた。ノエルは手に持っていたバケツをひっくり返して餌を地面に撒く。バーニィたちは餌に群がって我先にと啄《ついば》む(?)。ノエルは細い目をさらに細めて、その様子を眺めている。
 風が再び森を撫でた。ノエルは上を向く。
「みんなは、どうしていますかねぇ……」
 揺れる葉と葉の隙間からちらちら見える空を見つめながら、彼は呟いた。
「ノエルさん」
 そこへ、ローブを纏った男が歩いてきた。村の人間だ。
「お客様がお見えです」
「客?」
「はい。長老様の屋敷でお待ちになっていますが」
「わかりました。すぐに行きます」
 村人が立ち去ってから、ノエルは首を傾げた。
「はて、僕に客とは……」
 バケツをその場に置き、餌に夢中のバーニィたちを後にして、ノエルは村へと歩いていった。


 南十字星座《サザンクロス》の旗が風に揺らめく白亜の城。その一角から、女の声が響き渡った。
「あーっ! もう、やってられませんわ!」
 薄紫色の髪を振り乱して、女が部屋から飛び出した。そのまま廊下をのし歩くが、同じく部屋から出てきた金髪の青年に腕を掴まれる。
「待ってくれよ、セリーヌ。これからエルの大使と会食が……」
「会食! もう、うんざりですわ! 何が楽しくて、狸親父どもの汚い面《つら》を見ながら食事しなければならないんですの!?」
「そ、そんな下品な言葉を……あっ」
 彼女は青年の手を振り払うと、紅色のドレスのひらひらした裾を両手でつまみ上げながら、再び廊下を闊歩《かっぽ》する。
「ち、ちょっと、どこへ行くんだよ」
「気晴らしに、トレジャーハントしてきますわ」
「え、えええっ!」
 青年は猛然と駆け出して、セリーヌの腕にしがみつく。
「お願いだ。後生だからやめてくれ。この前だってそう言ったきり三ヶ月も帰らなかったじゃないか」
「放してクリス! わたくしはもう……ん?」
 不意に、窓の外が目についた。何かに気づいて慌てて身を乗り出し、高みから城下を見る。彼女の瞳が輝いた。
「あれは……!」


「おじいちゃん、ディアスお兄ちゃんが来たよ」
 スフィアが扉を開ける。中の老人は振り返って、皺深い顔を綻ばせた。
「おお、よく来たの」
 工匠ギャムジーはディアスに席を勧める。ディアスは無言のまま腰を下ろした。
「いつラクールに来たんじゃ?」
「昨日だ」
 ディアスはそう答えてから、部屋を見回す。鉄の塊や作りかけの剣が其処此処《そこここ》に転がっていた。
「また剣を作り始めたのか?」
「ああ。国軍に請われてな。おそらく多くは、一度も抜かれずに錆びついてしまうんじゃろうな。儂にとっても、それは本望じゃ」
 ギャムジーはディアスの前に器《うつわ》を置き、沸かした茶を注いだ。
「それにしても、お前さん、まだぶらぶらと旅なんぞ続けておるのか? いい加減に落ち着いたらどうじゃ」
「そうだよ。ディアスお兄ちゃん、うちにおいでよ。スフィアと一緒に暮らそ」
 ディアスは訝しげにスフィアを見た。ギャムジーはほっほっ、と笑う。
「いやいや、真面目な話、儂らと暮らさぬか? 今のこの家は狭いが、近々工房と住む家を分けて建て直す予定じゃ。仕事が忙しくなれば人手も要るし、スフィアも遊び相手が増えて嬉しかろう。どうじゃ、考えてみてはくれんか?」
 ディアスは茶の入った器に目を落とす。何かを一心に考えているようだった。
「……少し、時間が欲しい」
「ああ、そうじゃな。何も急ぐことはない。良い返事を期待しているよ」
 そう言って、ギャムジーはまた朗らかに笑った。
「はーい」
 そのとき、扉をノックするものがあった。スフィアが返事をして扉を開ける。ディアスは何気なくそちらに顔を向けて──目を瞠《みは》った。


 ボーマン薬局は、いつもの通り閑散としていた。
「ふわぁぁぁぁぁ……」
 店のカウンターに顎をついたまま、ボーマンは欠伸《あくび》をする。今日もまた午睡をむさぼろうかと目を閉じかけたとき、扉を開けて入ってくる者があった。言語学者のキース・クラスナ。彼の旧友である。
「よう、ぼったくり薬局」
「よう、いんちき学者」
 キースが目の前まで来ても、ボーマンは顔を上げようとはしない。目玉だけを動かして、彼を見る。
「何の用だ。薬を買いに来たんじゃないんだろ。バカは病気しねぇもんな」
 悪態をつくボーマンの脳天に、キースは何かを投げつけた。あまりの重さに首がぐきりと悲鳴を上げる。
「痛ぇな! 俺を殺す気か……って、これは」
 それは古い本だった。見覚えがある。確かあいつらがここに来たときに持ってきた……。
「依頼するのはいいが、取りに来いよ。もうとっくに解読は終わってんだぞ」
「ああ、そうか……すっかり忘れてたな」
 ボーマンは頭を掻いた。そして苦笑する。たぶん、あいつらもすっかり忘れちまってるんだろうな。
「で、何が書いてあったんだ?」
「ああ。こいつは古の一族が記したものだな。それもかなり初期のものだ。内容は主に彼らの故郷に関すること」
「故郷?」
「ああ。彼らは『悠久の楽園』からこの世界にやってきたのだと書いてある。『悠久の楽園』は美しく、完全無欠で、素晴らしい世界だった、それにひきかえこの世界は云々……と、要するに故郷の自慢話と現況への恨み辛みが延々と綴られているんだな。資料的価値はあるのだろうが、内容は……正直なところ、読むだけ時間の無駄だった」
「……そうか……」
 ボーマンは珍しく神妙に、ため息をついた。そして再びカウンターに顎を載せる。
「『悠久の楽園』か……。そんなにいい世界なら、一度行ってみたいものだがな」
「俺は行ったよ」
 ボーマンが言った。キースは眉根を寄せる。
「……大丈夫かお前? いくら薬屋だからって、ヤバい薬に手出したりするなよ?」
「あのな……そういうこと言うなっての。シャレになんねぇから」
 キースにしかめ面を返すボーマン。そのとき、また店の扉が開いた。
「いらっしゃー……っ!」
 その姿に、ボーマンは椅子を倒して立ち上がった。


 教室の出口で、オペラは彼を待っていた。
「お疲れさま、エル」
「お前……」
 ひらひらと手を振って出迎える彼女に、エルネストは嘆息した。
「講義が終わった後くらい、のんびりしたいのだがな」
「なによ、あたしがいるとのんびりできないっていうの」
 ふたりで廊下を並んで歩く。エルネストは周囲の視線が気になって仕方がなかった。どうやら学内では「教え子を誑《たぶら》かした女好きの先生」ということになっているらしい。
「ねえ、知ってる? あの子のこと」
「あの子? ……ああ」
 思い当たって、エルネストはフッと微笑を浮かべる。
「まあ、落ち着くべきところに落ち着いたということだな」
「でも、なかなかやるわねぇ、あの子。やっぱり男はそのぐらいの勢いがなくちゃ」
 にこにこと見つめるオペラに、彼はあえて目を合わせないようにした。
「おい、どこへ行くんだ。そっちは港《ポート》だぞ?」
 大学を出たところで、エルネストは先を歩くオペラを呼び止めた。彼女は振り返り、悪戯っぽく片目を瞑る。
「ねえ、今から行かない?」
「どこへ?」
「エクスペル」
 オペラは駆け寄り、唖然とする彼の腕を引く。
「だって、気になるじゃない、あの子のこと。久しぶりにみんなと会ってみたいし」
「だが俺は予定が……」
「嘘ばっかり。予定なんて何も入ってないわよ。三日後の午後の講義までずっとフリーなんでしょ」
「おい……どうしてお前が俺の予定を知っているんだ」
「あなたのことは何でもお見通しよ」
「……勘弁してくれ」
 がくりと肩を落とすエルネストを、オペラは嬉々として引きずっていった。


 長い冬が終わり、アーリアにも遅い春がやってきた。
 凍りついた大地は暖かな日射しによって肥沃な土壌へと変わる。雪解け水が川を潤し、草木の緑がいっせいに芽を吹く。陽気に誘われた蛙が地面からひょっこり顔を出し、鳥は屋根の上で高らかに喜びの唄を口ずさむ。草木も獣もそして人間たちも、待ち侘びた春の恵みをこよなく愛しんだ。
 川での洗濯を終えると、ウェスタは洗いたての服を入れた籠を抱えて物干し場に向かった。絶好の洗濯日和とあっては、彼女の仕事にも精が出ないわけはない。籠にぎっしり詰まった洗濯物の山を地面に置くと、腕をまくり直してそれを一枚ずつ、竿に掛けていく。
「こんにちは」
 誰かが背後から声を掛けた。振り返ると、見慣れない姿をした男が立っていた。
「はあ……どちらさまで?」
「いえ。ここらをのんびりと旅している者ですが。この村はいいですね。静かで、明るくて、とっても落ち着ける」
 男は笑った。薄汚れた外套を纏い、フードを深々と被っているので、顔はあまり見えなかった。
「娘さんは家にいるのですか?」
「いえ。あの子なら森に出かけていますが」
 ウェスタはつい答えてしまった。見知らぬ人間なのに。けれど、どうして自分に娘がいることを知っているのだろう。
「そうですか」
 男は礼を述べて、彼女に背を向けると、やってきた道を歩いてゆく。
「あの、ちょっと……」
 ウェスタが引き止めようと声をかけたが、そのまま立ち去ってしまった。
 遠ざかる背中を茫然と眺めるウェスタ。完全に姿が見えなくなると、大きく息をついて、気にすまいと物干し台に向き直る。だが、そこで何か思い出したようにまた振り返った。
「いまの人……」

 森の樹木は鮮やかな緑の葉を繁らせて、脈々と息づいていた。緑の天蓋を透して射し込む光も今日はいちだんと明るく、まるで森そのものが翡翠色に輝いているようだった。まさしく神護の森の名に相応しい、神秘的な光がそこに充満していた。
 レナは森の中でいちばん大きな樹の前に立っていた。力強く地面に根を張り、天に向かってまっすぐ伸びた幹を下から上へと振り仰ぐ。そして瑞々しいいのちの匂いのする空気を胸いっぱいに吸いこみ、そして吐き出す。心地よい風が頬を撫で、青い髪を揺らしていく。
 母を知り、すべてを知ってからも、彼女はこの森に度々足を運んでいた。ここは唯一、故郷《ふるさと》を感じられる場所だから。
 いや、それ以上に、ここはいろんな思い出が詰まった場所だから。この森が、私の始まりなんだ。
「そう。すべてはここから始まったんだったね」
 彼女の後ろで、誰かが言った。木々の枝葉がざわめき始める。少女の胸のうちも、同様に。
「ウェスタお母さんが君を拾ったのは、この森だった。場所を越え、時間を超えて、君はここにやってきた」
 鷹揚《おうよう》とした声を、レナは背を向けたまま聞いた。唇が震え、鼓動が早くなる。
「そして、僕らが出会ったのもここだったね。今から思えば、長い長い冒険の始まりだった」
 胸の底からこみ上げてくるものを堪《こら》えきれずに、ぼろぼろと涙をこぼす。忘れるはずもない、大好きなあのひとの声を。
 一陣の風が森を駆け抜けた。彼のフードがふわりと外れ、日射しを受けて黄金色に輝く髪が露わになる。彼は微笑んだ。

 ──また、会えるよ。
 ──だから、そのときは笑って迎えてよ。
 ──約束だからね。

「……ただいま、レナ」
 レナが振り返り、夢中で駆け出す。大好きな、彼の許へと。

 おかえり、クロード。


          ―完―



--
【ひとくち解説】
 エンディングです。殆どは2006年に追加したものですが、連載時に第五章として掲載した部分も含んでいます。
 それぞれのキャラのラストエピソードは楽しく書けました。みんな落ち着くところに落ち着かせることができて、めでたしめでたし、です。
posted by むささび at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2009年02月19日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第五章(3)

   3 星の鎮魂歌《レクイエム》 〜フィーナル(4)〜

 彼は、空を見上げていた。
 周囲のパネルが忙《せわ》しく動き回る巨大な球体。その横で、乾いた風に赤毛を靡かせながら、厚い雲に覆われた上空を眺めている。下は一面の荒野。その向こうには枯れかけた山並み。何の面白味もない景観だ。
 彼は、渇望していた。
 かつて見た青い空を。ふんだんに浴びていた陽の光を。緑溢れる大地を。生に満ちていた風の香りを。そして、いつも自分に寄り添っていた少女の温もりを。
 けれど、もはやそれらは戻ってこない。永遠に。
 凡《すべ》ては手遅れだったのだ。私は私の愛するものを自ら失い、そして今、失わせようとしている。いったい何のために? 復讐? 怨恨? 憤怒? 悲嘆? 哀憐?
 ──絶望。
 そうだ。それが今の私だ。絶望こそが私のすべて。私に相応しい動機だ。
 生あるものは死す。生あるものを愛する。しかし、愛するものは死す。愛が深ければ死もまた深い。ならば愛など要らぬ。生も死も、私は望まぬ。自らの消滅こそが、私の本懐なのだ。
「フィリアよ。私が赦せぬか。私の愚行を認められぬか。ならば私はお前の誹《そし》りを、大いなる哀しみを甘んじて受けよう。それが私の為せる唯一無二の贖罪《しょくざい》なのだから」
 彼の左目から涙が零《こぼ》れ、頬を伝った。右目は何ひとつ変わることなく、空を見続けていた。


 延々と続く階段を、七人は無言で登っていった。最初にフィーナルへ乗り込んだときと同じ、不条理にまっすぐ延びた階段は、永遠にも近い時の流れを演出し、やがて唐突に終息する。
 赤黒い不吉な床に、異様な幾何学模様の描かれた壁。テラスめいた向こう側には、翡翠色の球体が台座の上に浮遊している。以前見たままの部屋が、彼らの前に広がった。ついに最深部に到達したのだ。
 球体を取り巻く無数のパネルは、前に見たときよりも激しく動き回っていた。ナールの言う通りあれが崩壊紋章ならば、発動が近い兆候なのだろうか。
 そして、それを見上げている背中がひとつ、部屋の中央にあった。闖入者《ちんにゅうしゃ》に気づくと、灼熱の髪が揺れ、白いコートが靡く。
「……立ち去れ、呪われし魂よ。ここは貴様らが来るべき場所ではない」
 小声だったが、それは幾重にも反響して増幅され、彼らにもはっきりと伝わってきた。まるで部屋そのものが語っているように。
「ランティス博士」
 レナが進み出た。懐かしい名前で呼ばれ、ガブリエルは徐に振り返る。
「私は、フィリアさんに会いました」
 クロードたちが驚きの眼差しを向けた。レナは心を落ち着かせつつ、続ける。
「フィリアさんは私に言いました。『父を止めて。そのために、私を殺して』って。……フィリアさんは、あなたのことを哀しんでました。自分のせいで道を外してしまったあなたのことを哀しんでました。お願い、もうやめて。これ以上フィリアさんを哀しませないで。彼女が死んだのはあなたのせいじゃない。ルシフェルが計画にあなたを利用するために殺したのよ。だからもう一度、あなたの愛したフィリアさんのところに戻ってあげて。彼女の愛したあなたに戻って」
 最後は感情に任せて一気に口走ってしまった。少女が願ったのは、あまりにも憐れなこの父娘を救いたい、ただそれだけだった。
「……崩壊紋章は完成した」
 だが、ランティスであるところのガブリエルは、非情にもそのことを告げた。
「凡ては、遅すぎた。もはや何者も我を阻むことは叶わぬ。そう……たとえフィリアとても」
「ガブリエル」
 クロードが言った。超然とした決意を胸に秘めて。
「お前があくまで宇宙を崩壊させようというなら、僕らはすべてを賭けてそれを阻止してみせる。もう躊躇いはしない」
「クロード?」
 レナが困惑した顔をクロードに向ける。彼は、静かに首を横に振った。
「奴の言う通りだ。もう、手遅れなんだよ。僕らにできるのは、あいつの哀しみを全力で受け止めてやることしかない」
 そう言って剣を抜き、赤毛の男に切先を突きつける。
「行くぞガブリエル。これが本当の最後だ!」
 クロードの言葉で仲間たちも決意し、それぞれ身構えた。
「我に楯突くは天に唾するが如し。その愚かしさを身をもって知るがいい」
 ガブリエルの身体から神々しいほどの霊気が放たれた。足が地面を離れると同時に、彼の頭上に光が生じ、そこから何かが出現しようとしていた。後光が輪郭をなぞるは白い翼。ガブリエルをすっぽり覆ってしまうほど大きな双翼の持ち主は、星々のように煌めく光の粒を纏いながらゆっくりと降りていく。
〈聖ルチアの加護の下、ベアトリーチェは降臨せり〉
 重々しい声が部屋に響きわたった。その荘厳さに我知らず畏怖《いふ》の念を抱いてしまうほど。目の前では翼を持った天使がガブリエルに舞い降りている。誰もかもが矮小《わいしょう》な自分を感じずにはいられなかった。
 光が薄まり、天使の姿が徐々にはっきりと見えてきた。衣を纏わぬその肢体は人間の女性が持ちうる姿を凌駕《りょうが》しており、まさに神懸かりともいうべき完璧さを具していた。
「……そんな……!」
 だが、レナは天使の貌を見るないなや、その事実に目を疑った。
 それはフィリアだった。赤くしなやかな髪を振り乱し、深い愁いを湛えた瞳を伏せて、彼女はガブリエルの背中を守護するように浮遊している。なぜ?
「罪人《つみびと》たちよ。死出の扉は開かれた。私が冥界への案内人《ヴィルジリオ》だ。誘ってやろう、死と破滅の旅へと」
 クロードがガブリエルの許に駆け出した。気後れしていた仲間たちを奮い立たせるように気勢を揚げる。それが、最後の戦いの始まりだった。
 気合を込めて振り下ろした剣は目に見えない力によって阻まれた。ガブリエルが手を前に突き出して光弾を放ち、それを食らったクロードは手もなく突き飛ばされる。続いてエルネストが、オペラがボーマンが間髪容れずに攻撃を仕掛けるが、相手はことごとく受け流して微動だにしない。手をこまねいているうちにガブリエルは衝撃波を放出し、周囲の人間をまとめて吹き飛ばす。その口が呪紋を紡ぐと背中の天使が腕を振り上げて、炎の渦を、氷柱の雨を、迸る電撃を巻き起こす。
「サザンクロス!」
 間隙をついてセリーヌが唱えた。虹色の流星が暗黒の天井からいくつも降り注ぐ。しかし天使が翼を悠然と搏《はばた》かせると流星は瞬時にして無数の砂粒となり、七色の光を残してさあっと消滅した。
「まさか」
 セリーヌは目を見開いて愕然とした。仲間たちの間にも戸惑いが生じた。やはり、こいつを倒すことはできないのではないか? 人間が神に敵わぬように。
 ところが、その呪紋の合間にディアスが背後に回りこんで、至近距離からクロスウェイブを放った。交叉した衝撃波はガブリエルの背中を襲ってコートの裾を破り、天使の翼を突き抜けて羽を何枚か落とした。ガブリエルは前によろめく。初めて攻撃が通じた瞬間だった。こいつも不死身ではないのだ。彼らの士気が再び揚がる。
 さらにクロードが跳躍して闘気を込めた剣を振り下ろし、炎の弾を叩きつけた。弾はやはり跳ね返されてしまったが、重い一撃にガブリエルと天使の身体は大きくぐらついた。いける。
 そう思ったとき、ガブリエルが再び何かの呪紋を唱えた。フィリアの貌をした天使が両腕を掲げると、掌の中間に針の先ほどの光が生じ、調律の狂った管楽器のような音を立てだした。セリーヌははっとした。同じ紋章術を操る者だからこそわかる、予感。
「みんな、逃げて!」
 セリーヌの言葉も空しく、それはひといきに炸裂した。光が激しい熱を伴い、熱は彼らの身を灼き焦がした。体内の水分を奪いつくしてしまいそうなほどの熱風。目が潰れんばかりの光の洪水。踊り狂う爆発の嵐に、腕がもげ、脚が潰れ、全身がバラバラになったのではないかと恐怖すら感じた。レナがあらかじめ全員にかけておいた防護呪紋《アンチ》がなければ、まさしくそれは現実のものとなっていたに違いない。
 光と熱と爆発は突然収束し、治まった。少なくとも彼らにはそう思えた。
 ガブリエルは唱える前と変わらぬ姿で立っていた。人間たちは部屋のそこここで伏している。熱に浸された全身は感覚が麻痺して、指一本動かすこともできない。
「今、愚昧なる魂に鉄槌が下される」
 床に散らばる人間たちを睥睨《へいげい》してから、再び呪紋を唱えようと口を開く。が、喉から声が出ない。喘ぐように口を大きく開け、喉の奥に力を込めても、呪紋の言葉だけはどうしても出てこない。
「おのれ……フィリアか」
 苦痛に顔を歪め、喉を掻きむしるガブリエル。そして、天に向かって狂人のごとく喚《わめ》いた。
「邪魔をするなフィリアよ! ……よかろう。お前があくまで人間の味方をするというのなら、私が今すぐ引導を渡してくれるわ!」
〈ファイルオープン。解除プロセス開始〉
 激しく動揺しているためか、ガブリエルの内なる命令が外にも洩れ聞こえてきた。
〈プロセスは拒否されました〉
〈ファイル消去。自己プログラム起動。命令「リミッター解除」〉
〈解除不能。システムは人格《パーソナリティ》「フィリア」によってプロテクトされています〉
〈人格《パーソナル》コントロール起動。命令「フィリア消去」。解除コード「GksLCjkgnuFBhFSJj」〉
〈コードは認証されません。ガードプログラム作動。システムロック開始〉
〈破壊《クラック》、破壊《クラック》、破壊《クラック》……〉
 ガブリエルが自らの内部に集中しているうちに、クロードたちの痺れは回復し動けるようになった。奇妙な命令とそれに抵抗する命令とが交錯する中、彼らは怒りの形相のまま立ちつくすガブリエルを見た。
「どうしたんだ?」
「わからない……けど、これはチャンスかもしれない」
 クロードが目配せすると、仲間たちも頷いた。
「いくぞ!」
 セリーヌが詠唱を始め、クロードたちが再び武器を構える。またとない好機に、心臓が早鐘を打つ。彼らは待った。その瞬間を。
「エクスプロード!」
 セリーヌが唱えた。ガブリエルを中心に大気が凝縮され、一気に膨張する。爆発が華のように咲き乱れ、焔が男と天使の姿を覆い隠す。むろん、それで倒せるとは誰も思っていなかった。
 爆発がまだ治まりきらないうちにボーマンが駆け出した。ガブリエルの懐に潜りこみ、猛然と拳を叩きつけていく。最後の一撃を繰り出すと、すぐにその場を離れた。背後に控えるはオペラ。
 彼女はありったけのエネルギーを銃に注ぎ込んで砲撃を放った。さらにエルネストが鞭を振るい大気の渦を発生させてガブリエルにぶつける。渦は真空の刃となって男の身体を幾重にも切り刻む。
 ディアスが剣を掲げた。刃に炎が宿り、それを振り下ろすと炎は朱の鳥となってガブリエルに襲いかかった。そしてクロードが止めを刺しに走り出す。崩れゆく朱の鳥の向こうに赤毛の男の姿が見える。渾身の力を込めて彼は剣を振り下ろした。
 しかし、剣は途中で引っかかって止まった。反物質の刃は、ガブリエルの手に握られていた。信じられないようにそれを凝視するクロード。
「邪なる魂よ。どこまでも我を冒涜《ぼうとく》するか」
 ガブリエルは額から血を流しながら、言った。纏っていたコートも埃と血にまみれて汚れ、解《ほつ》れていたが、むしろその姿は凄絶な殉教者を思わせ、クロードはぞっとした。
 ガブリエルの指先に閃光が煌めく。と思う間もなくクロードは大きく弾き飛ばされた。剣が手から離れ、部屋の片隅に投げ出される。
〈悪しき者どもに相応しき地へ〉
 どぉん、と、なにか重いものが地面に落ちたような音がして、振動が起こった。ガブリエルを中心として、蜘蛛の巣状に亀裂が走る。程なくして地面が大きく揺さぶられ、亀裂が大きく口を開ける。
「うわあっ!」
 足場が急になくなり、奈落へと落ちかけたクロードは、咄嗟《とっさ》に床にしがみついてどうにかやり過ごす。ホッとしたのも束の間、彼の背後で甲高い悲鳴が上がった。
「レナ!」
 彼女は足を滑らせて亀裂から落ちようとしていた。クロードは手前の亀裂を跳び越えてレナのところに駆けつける。赤いケープが地面の下へと沈んでいく。クロードは亀裂の縁に身を乗り出して手を伸ばした。その手がレナの手首をつかんだものの、彼女の重みでクロードも奈落へと引きずり込まれる。手首を掴《つか》んでいない方の手と両足で踏ん張って、腰から下はどうにか地面に残った。
「クロード!」
「待ってろ……すぐに……あっ!」
 レナの腕をしっかり握り直そうとしたとき、汗で滑って手首を掴み損ねてしまった。また落下しかけたところを慌てて掴んだのは、レナの四本の指先。これではレナも握り返すことはおろか、ろくに身体を動かすこともできない。
「クロード……」
 レナはクロードを見た。彼女はクロードの握った四本の指だけを頼みにして、そこにぶら下がっている。足許には暗黒の空間が、獲物を心待ちにした怪物の大口のように広がっていた。
「大丈夫。大丈夫だっ」
 自分にも言い聞かせるように、クロードはレナを励ました。歯を食い縛り、彼女の指先を必死に握りしめ、このまま引き上げようと腕に力を込める。だが、甲斐なくクロードの身体はさらに沈み、そのはずみで握っていた四本の指のうち、小指が外れた。
「くっ……くそっ」
「だめ。だめよ。あなたまで落ちちゃう」
 レナが青ざめた顔で言った。人差し指が外れる。
「もういいよ、クロード。手を離して」
「諦めるなあっ!!」
 クロードが顔を上げて叫んだ。その瞳から大粒の涙がこぼれて、レナの頬に落ちた。
「クロード……」
 レナは目を細め、うっすらと涙を滲ませた。そして、微笑みかける。
「ありがとう」
「レ……」
 二本の指が同時に外れた。少女のちいさな身体が闇の底へと吸い込まれていく。
 鮮やかな青い髪があっという間に暗黒の淵に沈んで、やがて消えた。
 クロードは上半身を床下に落としたまま、闇に突き出された自分の手と、その向こうに消えていった少女の幻影を、虚しい暗黒の空間の中に見出した。最後に見せたあの笑顔が、網膜に焼きついたまま離れない。凍えたようにガタガタと震えながら、彼は待った。ひたすら待って、時が経過して──どれだけ待っても、何も起こりはしない。しまいには自分が何を待っているのかもわからなくなった。僕はいったい、なにをしているんだ?
 衝撃が地面に伝わり、ぐらぐらと揺れた。誰かが戦っている。誰と? そう……ガブリエルと。
 クロードはレナの指を握った感覚がまだ残る手で、亀裂の縁に触れてみた。それは、今までとはまるで違う感覚がした。別の次元の別の世界のものを触っているようだった。両手をついて身体を起こし、傍らに落ちていた剣を拾い上げて、ゆっくりと、時間をかけて立ち上がった。そして顔を上げ、仲間を駆逐する天使を纏った男を見る。
 その途端、彼の中にあった凄まじいものが解放され、全身に流れ込んだ。カッと目を剥き、彼は理性をなくした獣のように吼えた。

 ガブリエル──────!!!

 クロードを中心として壮絶な闘気の渦が巻き起こる。ガブリエルと仲間たちはそれに気づいて振り向いた。
 そこで彼らは見た。両手で剣を掲げるクロードと、その頭上に現れた巨大な影を。猛々しく広げられた翼と、黒光りする鱗で覆われた胴体をもつ、黒き竜を。幻などではない。その竜は、確かにそこに存在していた。
「吼竜破が……昇華した?」
 ディアスは──そう、彼だけは、前兆を何度も目撃していた。クロードが吼竜破を放つ度に見た、黒い影。あの影が、クロードの手によって竜へと昇華したのだ。
 そして、この場の誰もが知らないことだった。かつて、ひとりの若き剣士が同じように黒き竜で敵を滅ぼしたことを。それは彼の遠き世界の友により、世代を越えて、ここに再び蘇ったのだ。
 ──戦いの記憶は、血によって受け継がれる。
 クロードの激情に呼応するように、黒き竜は顎《あぎと》を開いて咆哮をあげる。全身に電撃がみなぎり、火花がばちばちと爆ぜる。
「くらえいっ、黒竜天雷破あぁッ!!」
 クロードが剣を振り下ろすと、竜は漆黒の翼を翻し、稲妻を纏いながら赤毛の男と天使に襲いかかった。鋭い牙がガブリエルを捉える。轟音とともに物凄まじい電撃が炸裂し、光が部屋を鮮烈に満たす。黒竜はなおもガブリエルに食らいついて放さず、そのまま崩壊紋章の横まで引きずると、そこでようやく口を開いて放した。地面に落とされた瞬間、ガブリエルの背中から天使の姿がすうっと消えた。役目を終えた竜は上空に昇っていき、天井の闇にまぎれて消えていった。
 ガブリエルはうつぶせに倒れたまま、ぴくりとも動かない。黒竜が浴びせた電撃で髪も服も無残に焼き焦げ、そこから黒い煙が立ちのぼるばかり。それを確認するかしないかのうちに、クロードは膝をつき、両手をついて項垂《うなだ》れた。
 すべては、終わった。でも、これじゃあ何にもならないじゃないか……!
 床を引っ掻くようにして拳を握りしめ、ギュッと目を瞑る。瞼から滴がひとつぶ落ちて、床に吸いこまれる。
「倒した……のか?」
 ボーマンが、セリーヌが、クロードの許へと集まる。彼はまだ膝と手をついて、地面を睨んでいた。
 戦いの終焉《しゅうえん》を誰もが確信したそのとき、それは勃然と起こった。
「!!」
 不意に食らった衝撃にクロードは一瞬にして壁に叩きつけられた。自分の身に起きたことを考える隙《ひま》もなかった。立とうとしても、身体が重くて思うようにいかない。まるで全身に鉛の枷をつけられたようだった。壁際で這いつくばり、どうにか顔だけ上げると、他の仲間たちも同じように壁の隅で身動きがとれないでいた。
 そして前に目を向けると、崩壊紋章の傍らに倒れていたガブリエルの身体から、夥《おびただ》しい霊気が放出されていた。背中がピクリと動き、まるで糸で吊った人形のように頭が持ち上がる。そして両手をだらりと下ろしたまま、人間らしからぬ動きで身体を起こす。その両眼は身震いするほど鮮やかな紅色に輝いていた。
「そんな……まさか」
 死んでなかった? 天使は消えたというのに。
〈貴様が殺したのは、フィリアであった一部のみに過ぎぬ〉
 クロードの心の問いに答えるように、声は言った。
〈フィリアは我を制御するリミッターでもあった。それが消滅した今、我は内なる能力を凡て解放し、貴様らの魂を悍《おぞま》しき煉獄へと導いてやろう〉
 突如として足許の床が崩れ落ちる。床だけではない。壁も崩壊紋章も向こうの空や山並みさえも、まるで何もかもが扁平《へんぺい》な硝子板であったように、幾千幾万もの破片となって消滅していく。なすすべもなくクロードは闇の中を落ちていく。いや、上昇しているのかもしれない。横に揺さぶられているのかもしれない。その世界は実感覚というものに乏しかった。
〈聴け、聖なる音色を。森厳たる歌を。そして識《し》るがよい。必定《ひつじょう》にして絶対たる神の力を〉

 そこで意識は閉ざされ、彼らは闇に

 闇に呑まれ

 まれ

 れ



 た。





 彼の前に、巨大な門が建っていた。
 実際に「前」にあったかどうかはわからない。だが、不吉に口を開けた門の上部に刻まれた碑文は、まるでその一字一字が頭の奥深くに吸いつけられるように、はっきりと読みとることができた。
『我を通るものは苦悩の都市《まち》に至る
 我を通るものは久遠《くおん》の苦患《くげん》に至る
 我を通るものは絶望の民の許に至る
 正義が崇高なる建造者を動かし
 我を神の権力と最高の叡智と
 そして至上の愛の象徴とした
 我より前に創造されたるものはなく
 我は永遠《とわ》に存在するであろう
 我を入る者は一切の希望を捨てよ』

 門を潜ると、そこには対岸が見えないほど大きな河が流れていた。決して抗えぬ力に従うまま河を渡り、さらに進むと目の前に異形の怪物が現れた。
〈あらゆる罪状を吐露し、ミノスの裁きを受けよ〉
 怪物の尾が伸びて、彼の身体に何重にも巻きつく。恐ろしい力で締め上げられ、全身の骨が砕けるのを感じた。激痛と恐怖に堪えかねて、彼は悲鳴を上げた。

 彼は風に流されていた。そう、まるであのルシフェルの戦いのように。黒い風は絶えず流れを変えて彼を弄ぶ。
〈浮名を流したる輩は止む事なき風に流され、身体を苛む〉
 そこに痛みはなかった。だが、まったく別の苦痛があった。永久に流され、翻弄されることへの不安、焦燥、苛立ち……それが堪えきれないほど大きく膨れあがったとき、彼は自らの存在と運命を嘆くことになる。

 その地には、冷たい霙《みぞれ》が降っていた。視線を感じて振り向くと、背後に巨大な獣が立ちはだかっている。
〈貪食《どんしょく》の罪人はケルベロスの餌食となる〉
 そいつは三つの頭と六つの目で彼を見下ろした。そして中央の一頭が大口を開けて彼の胴体に食いつくと、両端の二頭がそれぞれ頭と脚に噛みついた。牙が柔らかな腹や頸や腿を引き裂いて、大量の血が獣どもの喉を潤した。彼は喉を潰さんほどの絶叫を上げ、あえなく失神する。

〈吝嗇《りんしょく》と浪費は相対する罪なり。互いは互いを理解できぬまま、回り続ける〉
 彼は大きな袋を引きずりながら歩いていた。どこかへ通じているわけでもない、輪になった道をひたすら歩き続ける。袋の中身は知らないが、とても重かった。そのうちに別の誰かと正面からぶつかった。ふたりは同じようにして立ち止まると、それぞれくるりと向きを変えて今来た道を引き返していく。自分はあの者が到底理解できないし、向こうも自分のことは理解できない。だから道は譲れない。

〈憤怒を忘れぬ者は泥に塗《まみ》れ淵より泡を吐く〉
 足許に澱んだ沼が広がった。彼は沼に落ち、汚い水を呑みながら底へと沈んでいく。肺に水が侵入し、意識が混濁する。暗く深い、沼の底へと彼は堕ちていった。

〈邪教を渇仰《かつごう》せし者は永遠《とわ》の眠りを業火によって妨げられる〉
 彼は狭い石棺の底に横たわっていた。やっと安らかに眠れると安堵していたら、だんだんと棺の中が熱くなっていく。横の壁に触れると掌は一瞬で焦げてしまった。このままでは蒸し焼きにされてしまう。彼は慌てて起き上がり、内側から棺の蓋を押した。蓋はびくともしない。ならばと指を突き立て爪を食い込ませて、頭上を塞ぐ一枚岩を必死に退かそうとする。重い蓋が鈍い音を立てて動いた。しかしそれで喜んだのも束の間、蓋がずれて空いた隙間から怒濤のごとく炎が流れ込んできて、棺の中はあっという間に灼熱に満たされた。彼は自分の肉が焼け焦げ、熱に冒され骨まで溶けていくのを感じた。

〈暴力は並べて重き罪なり。自らが流した血に浸かり、その罪を贖《あがな》うがよい〉
 赤いどろどろとした水の中に、彼は落とされた。それは血だった。ぐつぐつと溶岩のように煮えたぎる血の池のただ中で、彼は藻掻いた。目の前に広がる、赤、赤、赤……それはもはや痛みを超越して、重く深い絶望ばかりが彼の意識を蝕んだ。

〈欺罔《ぎもう》者はそれぞれに相応しき責め苦を受ける〉
 そこではまるで彼をなぶり者にするかのように、次から次へと死よりも辛い苦痛が襲いかかった。怖ろしい悪魔に鞭で打たれ、汚物に漬けられ、火の雨を浴び、重荷を背負って引きずり回され、無数の毒蛇に噛まれ、剣で無残に斬りつけられる。彼はすっかり打ちひしがれ、自らが存在していることを激しく呪った。

 打ちひしがれた彼を、魂までも凍りつかせる吹雪が襲う。そこは世界の果て。世界の終わり。
〈叛逆は最大の罪なり。汝が堕ちる地は何処であるか。
 肉親を手にかけしカインによる第一円《カイーナ》か。
 売国奴アンテノルによる第二円《アンテノーラ》か。
 毒盛りの宴を開きしトロメオによる第三円《トロメア》か。
 偉大なる師に叛きしユダによる第四円《ジュデッカ》か〉
 何も見えず、何も聞こえない場所で、身動きもとれず強烈な冷気にさらされて、彼の意識は遠のいていく。だが、そこに見るも険悪な化物が現れると、彼の目に再び恐怖が宿った。三つの顔と六つの翼を持った化物は、手に持った大金槌を振りかざし、氷の塊と化した彼に容赦なく打ち込んだ。身体は粉々に砕かれ────。



 ガブリエルは、大宇宙の中心に立っていた。周囲には数多の星や銀河や星雲が、闇の孤独を紛らすように輝いている。崩壊紋章は彼の背後で、翡翠色の光を放出しながら浮かんでいる。それは宇宙に蔓延《はびこ》る奇妙な恒星のようでもあった。
 彼の周囲に、六人の人間が惨たらしい有様で倒れていた。息も絶え絶えに、あるいはほとんど息をしていない者さえある。顔は血に染まり、濁りきった瞳がうつろにどこかを見つめる。皮膚は爛《ただ》れ、あるいは凍傷に冒され、元の形状がわからないほど大きく膨れあがっていた。
 クロードの霞んだ両眼は、灰色の宇宙を映じていた。もはや指一本動かす力も残されていない。このまま、じっと最後の時を待つしかないのか。
 ──結局、何もできず、何も救うことはできなかった。
 仰向けになった彼の目尻から涙がこぼれ、蟀谷《こめかみ》を伝って流れていく。
 あの地獄は、ガブリエルの「絶望」そのものだったのかもしれない。愛する娘を失くしてから、彼はずっと心に地獄を抱いたまま生きてきたのだ。そう思うと、クロードは初めて敵に憐憫《れんびん》の情を抱いた。愛するものを失い、同様の立場に立たされることによって、初めて彼のことが理解できた。そう、すべてはこの絶望から始まったのだ。
 陽が沈み、暗い夜がやってくるように、灰色の宇宙は意識の底に沈み、闇に溶け込まんとしていた。残酷なほどゆっくりと、黒い幕が降ろされていく。
 彼は、静かに死にゆこうとしていた。

 ────…………?

 風が最後の灯《ともしび》を吹き消す寸前に、クロードは一条の光を見た。
 光は痛いほど瞼に突き刺さり、失いかけた意識がわずかながら押し戻される。広大な宇宙を漂う仄かな白い光。それは六つの塊に分かれて、それぞれ別の場所に散っていく。そのうちのひとつが、クロードの胸の上に降りてきた。
 光の塊は弾けるようにぱあっと飛散し、無数の煌めく粒となって降りそそいだ。その一粒一粒が、腕や脚や身体のあらゆる部位に触れると、そこから波紋のように光が広がり、クロードは、いや六人の人間は、月光のように皎々《こうこう》とした輝きに包まれた。重い火傷が、凍傷がみるみるうちに癒され、どれほど深い傷口であろうとも一瞬で塞がってしまった。流れ出た血さえも肌に吸収されるようにして消えていった。
「まだ、終わりじゃない。終わりにしてはいけない」
 彼らは立ち上がり、そして見た。彼方よりこちらへ降りてくるひときわ大きな光を。その中心に立つ、麗しき娘の姿を。
「…………!」
 クロードの瞳に訳もなく涙が溢れた。仲間たちも茫然と見蕩《みと》れている。それは紛れもなくレナだった。だが、それは彼らの知っている、いつも愛らしい笑顔を振りまいていた少女ではなかった。透き通った青い髪。光を受け輝いて見える白い肌。両の瞳は瑞々《みずみず》しく、微かに開いた唇は朝露に映える花のように艶やかで、かつ清澄さに満ちている。そう、それはまさに女神さながらの姿だった。
 神気を身に纏いながら地面ならぬ地面に降り立つと、レナは音では聞こえないことばを口走った。するとその横の宇宙が歪み、空間をこじ開けるようにして誰かが現れた。
「なんとか間に合ったようですね」
 汗を拭いながら現れたのは、ノエル。背後にはナールとミラージュの姿もあった。
「ッたく。何だよこの空間は。足元が落ち着かないったら」
 ミラージュは足の裏で見えない床を何度も叩いて、用心深く足場を確認している。
「みなさん、大丈夫ですか」
 ナールの呼びかけにクロードはひとつ頷き、そしてなによりも、レナの前に立った。
「レナ……」
「クロード」
 すっかり普通の少女に戻ったレナは、にっこりと笑った。
「なんだか、まだ信じられないけど……無事だったんだ」
「お母さんが、守ってくれたの」
 そう言って、胸許のペンダントを握りしめた。
「俺たちも驚いたよ。天井からいきなりレナが落ちてきたんだから」
 と、ミラージュ。他の者もその場に集まってきた。
「崩壊紋章の対策は、ちゃんとできたんですの?」
 セリーヌがナールに訊ねる。
「ええ。そちらは心配ありません。ですから、後は……」
 彼らの視線はガブリエルに向けられた。赤毛の男は首を落としたまま沈黙している。
「ガブリエルはリミッターを外した反動で、極端に力が落ちている」
 レナが神妙に言った。どうしてそんなことがわかるのか不思議だったが、それも彼女の秘めた能力によるものなのかもしれない。
「今は休息して力を回復させてるんだと思う。倒すのは今しかないわ」
「よし」
 クロードが仲間を見渡した。彼らも意を決してクロードを見返す。
「これで終わらせよう」
 壮大な星の海《スターオーシャン》を舞台にして、彼らは最後の敵に挑んだ。
 切り込み役のディアスが駆け出し、クロードが後に続く。それを察知したように、突然ガブリエルが顔を擡《もた》げ、眸が再び強い光を放った。
〈神罰を受けしもなお藻掻くか、罪人よ。ならば肉体のみならず魂をも砕き、未来永劫にも及ぶ重苦を与えてくれよう〉
 そうして周囲に強力な波動を繰り出す。赤紫に輝くそれは同心円状に広がり、クロードたちの攻撃を妨げる。セリーヌが離れた場所から呪紋を唱え、オペラが光弾を放った。人間たちはありとあらゆる攻撃を仕掛けるも、ガブリエルにはまるで通用しない。ディアスが相手の衝撃波の合間を縫って至近距離から放った鳳吼破も、片手一本でかき消されてしまった。一方、ガブリエルはほんの一言詠ずるだけでたちまち雷が落ち、炎の嵐が吹き荒れる。その恐るべき威力に星々は歪み、時空間が乱れて一帯に白いノイズが飛び交う。ボーマンがノエルがエルネストが持てる力のすべてを注いで反撃するが、いずれも空しく弾かれ、打ち消されて逆に手酷いしっぺ返しを見舞われてしまう。
 何度目かのガブリエルの衝撃波で突き飛ばされたクロードに、レナが駆け寄って治療を施す。立て続けに回復呪紋を唱えたせいで、彼女自身も辛そうに息を切らしていた。
「くそっ、攻撃が通じないんじゃ、どうしようもない」
 クロードは立ち上がって歯軋りした。人間たちは傷つきながらも執拗に攻撃を繰り返し、そして倒れてゆく。誰もかもが、限界ぎりぎりの線で戦っていた。
「みんな疲れてる。傷ついてる……。回復が追いつかない」
 レナも疲労を表情に滲ませながら、辺りを見回す。
「反物質が効かないんじゃ、もう打つ手はないよ」
 ミラージュも思案に暮れた。だが、その言葉でクロードはあることを思い出す。
「……いや、まだ手はある」
 そう言って、ミラージュの方を向いた。
「そうですよね。ミラージュさん」
「あんた、まさか……」
 ミラージュが眉根を寄せる。その反応でレナも感づいた。
 反物質の武器をクロードに渡したとき、製作者である彼女はあることを補足して伝えた。そう、あの剣には……。
「だめよ、クロード!」
 レナが声を張り上げた。あの剣には、刃を構成する反物質を全て解放させる装置が備わっているのだ。
「それだけは絶対にやってはいけないわ。どんな理由があっても、自分から命を捨てるなんて」
「まだ死ぬと決まったわけじゃないさ」
「でも……」
 レナは助け船を求めて視線を彷徨わせたが、ミラージュは腕を組んで素知らぬふりをしており、ナールはその隣で瞑目したきり口を閉ざしている。
「僕は死なないよ。必ず戻ってくる。だから……僕を信じて」
 クロードが言った。レナは凛然とした顔を見つめる。そして思った。
 ──ああ、やっぱりこのひとは勇者なんだ。
 物心ついたときから憧れていた光の勇者。アーリアではきっぱり否定したけれど、やっぱりクロードは私の大好きな、優しくて勇敢な勇者様だったんだ。
 レナは目を逸らすと、そっとペンダントを外し、背伸びをしてクロードの首にかけた。翡翠色の飾り石がクロードの胸許に落ちる。
「これは……?」
「お守りよ」
 レナはそれだけ言うと、あえて快活に笑ってみせた。
「今までだって、クロードは一度も約束を破ったことはないものね。ずっと一緒にいてくれたし、戻ってくるって言ったら必ず戻ってきてくれた。だから、私はクロードを信じる」
「……ありがとう」
 クロードは目を伏せる。そして、踵を返してガブリエルと向き合った。
「みんな、奴の動きを止めてくれ! ほんの一瞬でいい。僕が突撃する時間を作ってほしい」
 彼の言葉に、仲間たちは頼もしい笑顔で頷いた。彼らはクロードを信じた。クロードも、仲間を信じてその時を待った。
 人間たちは死力を尽くしてガブリエルを封じ込めにかかる。光弾を浴びせ、ありったけの火薬をぶちまけ、真空の刃を巻き起こしてどうにか相手の動きを止めようとする。全てはクロードの一撃のために。
 電光石火の早業でディアスがガブリエルの赤毛を数本切り落とす。そしてセリーヌを見た。長い詠唱を終えた彼女は燦然と杖を掲げる。そこに集中した凄まじい紋章力に、杖は耐えきれず呪紋の発動と同時に粉々になった。
「メテオスォーム!」
 宇宙空間の一角に大小さまざまな隕石群が出現し、まるで号令をかけたように一斉にガブリエルに降り注いだ。ガブリエルは障壁をつくって頭上に落ちる岩の雨を防いだが、その中でも最も大きい隕石が落ちたとき、僅かに身じろぎをして怯む様子を見せた。
 ──今だ!
 彼らはクロードを見た。クロードは既に駆け出していた。剣の柄についているスイッチに手をかけながら。ガブリエルはすかさず波動を放つ。ディアスが吹き飛ばされ、ボーマンたちも弾かれる。だが、クロードは耐えた。ジャケットが破れ、全身を切りつけられて血が噴き出そうとも足は止めることなく、ついに彼は力ずくで衝撃波を突き抜けた。
 紅の瞳を見開くガブリエルを前にして、クロードは剣を振り上げ、柄のスイッチを押しながら一気に振り下ろす。レナが両手を組んで目を瞑る。少女の祈りは強い想いとなってペンダントに伝わり、クロードの胸許で石が白熱する────。


 光が、爆発した。


 レナは顔を上げ、少しずつ目を開けてみた。
 そこにはクロードが放心したように立ちつくしていた。
 何も握られていない手を、腿《もも》の横に垂らして。
 彼の手前には、煙のように揺蕩《たゆた》う光が立ちこめている。

 と、星の輝きの合間から、別の光が降りてきた。
 光は清らかな娘の姿をしていた。
 娘は光の霧の上に舞い降りると、そこから光に向けてなにか囁きかける。
 それまで実体のなかった光がたちどころに凝縮され、初老の男の姿となった。
 男は娘の姿を認めると感極まったように涙を流し、娘にすがりついて泣きじゃくった。
 娘は慈しむような微笑を浮かべ、優しく抱きとめる。
 子供を慰撫する母親のような仕種で。
 ふたつの光は誘い合うようにして天空へと舞い上がり、宇宙の闇の中へと消えてゆく。
 どこまで行っても、決して離れることはなかった。

 クロードはそれを見届けると、振り返り、静かに歩き出した。
 レナのところには先に仲間たちが集まっていた。一同、笑顔でクロードを出迎える。
「ごめん、レナ。これ……」
 クロードが開口一番に言ったのは、ペンダントのことだった。彼が示した胸許に翡翠色の石は、ない。あの一撃のときに、跡形なく消滅してしまったのだ。
 レナはきょとんと目を丸くして、それから綻《ほころ》ぶように笑った。
「なに言ってるのよ」
「でも、大事なものだったんだろ」
「それは昔の話。今はもう必要ないわ。お母さんは、いつも私のそばにいるんだってわかったから」
 そう言うと、クロードに近づき、その胸に額を押しあてる。
「おかえり、クロード」
「……ただいま」
 小さな背中に手を当てて、クロードは言った。
 そのとき不意に、轟音を立てて宇宙が揺れた。
「なんだぁ!? 宇宙の終わりか……ってッ」
 ボーマンがたたらを踏みながら叫んで、舌を噛んだ。
「この宇宙空間はガブリエルが創ったまがい物だよ。実際にはネーデが揺れているのさ」
 と、ミラージュ。
「それって……まさか」
 彼らは翡翠色の球体を見た。先程まで激しく動き回っていたパネルは、不気味に静止していた。
「崩壊紋章が発動したみたいだね」
 この状況に似つかわしくないほど冷静に、ミラージュが言った。
「たぶん、ガブリエルの死と同時に作動するようになっていたんだろう」
「落ち着いてる場合じゃないでしょ!」
 オペラが声を張り上げた。
「大丈夫です。私たちにお任せください」
 ナールはそう言うと、ミラージュを伴って崩壊紋章の前まで歩いていく。
「どうしようってんだ……」
 皆が見守る中、ナールとミラージュは両手を翳して呪紋を唱え始める。
 しばらくすると、ふたりの手の中間あたりに一枚の光のパネルが生じた。崩壊紋章に組み込まれているものとまったく同じだ。パネルは徐に浮かび上がり、球体の然るべき位置に填ると、全体が激しく明滅しだした。地面の揺れはますます激しくなっていく。
「どうした。失敗したのか?」
「いえ、成功です」
 崩壊紋章の下で、ナールが言った。
「崩壊紋章はこのエナジーネーデを崩壊させ、そして消滅します。宇宙は救われました」
「なっ……どういうことですか?」
 クロードが息巻いた。ネーデが崩壊?
「一度発動しちまった崩壊紋章を止めるのは不可能なんだよ」
 未だ両手を翳したまま、ミラージュが言う。
「できるのは、崩壊の対象をずらすことだけだ。だから俺たちは、紋章の命令を『宇宙の崩壊』から『ネーデの崩壊』に書き換えた」
「そんな……!」
 彼らは驚愕した。言葉をなくして、唖然としたまま立ちつくす。
「崩壊紋章はネーデが生み出した負の遺産です。その責任は我々が負わねばならないのですよ」
「だからって……」
「気にすることはないよ。ネーデはとっくに寿命が来ていたんだ。それこそ十賢者が現れた時代に滅ぶべきだったのかもしれない。これまで進化も退化もなく、ダラダラと停滞の歳月を費やしてきたけれど、そろそろ終止符を打つときが来た。それだけのことだよ」
 その言葉に、彼らは何も言い返すことはできなかった。それは悠久を生きた者たちだけが共有することのできる、感情なのかもしれない。
「お約束した通り、エクスペルは宝珠の力で復活させます。そして、あなたがたも一緒にエクスペルにお送ります。崩壊紋章の余りあるエネルギーを利用すれば時空間転移は可能ですので」
 ナールがそう言ったとき、レナははっとした。
「ネーデのひとたちは? ナールさんやミラージュさんはどうするんですか?」
「俺たちはこの通り、手が離せないんでね」
 ナールとミラージュは、崩壊紋章の下で支えるようにして両手を広げている。球体はふたりを威嚇するかのように明滅を繰り返す。
「本来ならすぐに発動してしまうところを、なんとかこうして食い止めて時間を稼いでいるのです。さあ、もう時間がありません。ノエル博士」
「……はい」
 クロードたちは驚いてノエルを見た。彼は既に四つの宝珠を腕に抱えていた。
「僕が時空転移シールドを張ります」
 そう言って、宝珠を地面に置いていく。
「ノエルさん。まさか、こうなることを……」
「ええ。わかってました」
 ノエルは淡々と、だが力のこもった声色で語った。
「僕だけじゃない。ネーデ人はみんな、こうなることをわかっていた。知っていて、あえて君たちを送り出したんだ。だから君たちのしたことは背信じゃない。背信は、むしろ僕らの方だった。……今まで黙っていて、すみません」
「どうして、教えてくれなかったんですか」
 レナが憮然としたように訊いた。
「教えたら、あんたたちはどうしてた?」
 ミラージュが反問する。
「『宇宙をぶっ壊さないためにはネーデを潰すしかない』って、あらかじめ知ってたら、あんたたちはきっとためらっただろう。下手すりゃ十賢者への戦意すら喪失しかねない。だから言うのはやめておいたのさ。……くっ」
 ミラージュが苦しそうに顔を歪めた。崩壊紋章はもはや直視できないほど強烈な光を放出し、それと連動して振動はますます大きくなる。
「おしゃべりはここまでだ。こちらもぼちぼち限界なんでな。さァ、とっととやっちまいな!」
 彼女に急かされて、ノエルはすみやかに宝珠の前に立ち、両手で印を結んだ。四つの宝珠がひとりでに浮かび上がり、互いに距離を置くようにして散っていく。三つの宝珠は彼らを取り囲むように、そして残るひとつは頭上の一地点に固定された。そうして、それぞれ他の宝珠に向けて赤い光線を放つ。すべての宝珠が線で結ばれると、その場にクロードたちを閉じこめた正四面体ができあがった。
「その中にいれば、崩壊紋章のエネルギーを宝珠が吸収して、同時に復活するエクスペルに転送されるはずです」
 四面体の外側で、ノエルが言った。
「では、発動させます」
 ノエルが再び印を結んで唱える。宝珠が細かく振動しだす。それを確認すると印を解き、肩の力を抜いて大きく息をついた。そして、クロードの顔を、レナの顔を、仲間たちの顔を見渡すと、口許を緩めた。
「お別れです」
「ノエルさん……」
 瞠然《どうぜん》として、クロードが呟いた。
「みなさん、お元気で」
「じゃあな。あんたたちに会えて、俺も楽しかったよ」
 崩壊紋章の光に半ば呑まれながら、ナールとミラージュも言った。ふたりは微笑を浮かべたまま、球体を支えていた腕を降ろす。空間全体が光に包まれ、ついに発動が開始する。
 その間際、四面体の内側からさっと腕が伸びた。腕は外側に立っていたノエルの手首を掴むと、そのまま彼を四面体の中へと引きずりこむ。
「な、なにを!?」
 腕の主はクロードだった。動転するノエルに、悪戯っぽく笑いかける。
「放してください。僕は……」
「ノエルさんは」
 クロードは言った。
「僕らの仲間です」



 ネーデは消滅した。

 三十七億という歳月と、その間に生みだされた幾多の負の遺産とともに。



--
【ひとくち解説】
 ラストバトルです。ゲームのサウンドテストでガブ戦の曲をひたすら流しながら書いてたなァ。
 『神曲』のくだりは、聖闘士星矢のハーデス編が非常に参考になりました(笑)。いや、もちろん自分でも読んだけど。
 この連載も来週で完結です。そして今日はSO4の発売日。微妙に区切りが良い……のかな。
posted by むささび at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2009年02月12日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第五章(2)

   2 最後の真実 〜フィーナル(3)〜

「ハニエル、客だぜ」
「客のようだな、ミカエル」
 男たちは姿形がとてもよく似ていた。がっしりと筋張った体格。コートのようなゆったりとした服に、その上から肩当てや胸当てを身につけた出で立ち。彫りの深い容貌から頬の痩《こ》け具合まで同じとくれば、このふたりを瞬間的に見分けるのは容易ではない。ただ、ミカエルと呼ばれたほうが燃え立つように逆立った赤い髪であるのに対し、ハニエルは鶏冠《とさか》のように刈り取られた青い髪をしていた。
「お前は……」
 クロードはその鶏冠頭に見覚えがあった。最初にフィーナルへ乗りこんだときに現れた十賢者のひとりだ。そういえば、あのとき彼が腕の装置で指示を送っていた相手の声は、このミカエルのものではなかったか。
「久しいな、小僧。性懲りもなく、また父親の仇討ちとやらに来たのか」
 揶揄するように言うハニエルに、クロードは拳を固める。
「落ち着くんだ、クロード」
 背後からエルネストが諫《いさ》めた。
「わかってますよ」
 クロードは拳を下ろし、深呼吸をしてから、毅然とふたりを睨みつける。
「僕らが用があるのはルシフェルとガブリエルだけだ。けれど、邪魔をするというのなら容赦はしない」
「容赦はしない?」
 そう繰り返してから、ミカエルは突然声をあげて笑いだした。怒号のような笑い声だった。
「こいつは傑作だぜ。てめぇ、本気《マジ》で言ってんのか?」
「なにをっ……!」
「泣きベソかきながら暴れてたボーヤがよく言うぜ。おとーちゃーんってな。がっはっはっは。てめぇはホントに笑かしてくれるぜ」
「なんだミカエル。お前もあのとき見てたのか」
「おうよ。モニタで見てたが、ありゃ爆笑モンだったな。今でも思い出しては……」
「黙れっ!」
 クロードが一喝して剣を抜き放った。
「おい、またキレたぜ」
「ったく。とことんさみー野郎だ」
 ミカエルはわざとらしく肩をすぼめ、寒そうに身体を震わせてハニエルとふざけ合う。
「あなたたちには、ひとの心がないの?」
 そこへ、レナがクロードの横から進み出た。
「いくら創られた人間だからって、心はちゃんとあるはずよ。なのに、どうしてクロードのこころの痛みをわかってあげられないの? どうしてそんなふうに笑い飛ばすことができるの?」
 その言葉に、ミカエルたちは急に静かになった。露骨な笑いは消え、居心地の悪そうに目配せをしている。
「……おい、ミカエル」
「ったく。どいつもこいつもさみー奴らだ。凍えちまわぁ」
 ミカエルはそこでまた、ニヤリと口許を曲げた。
「俺様があっためてやるよ」
 言うが早いか、ミカエルの周囲に炎が巻き起こり、彼はそれを纏《まと》いながら天高くへと舞い上がった。炎の塊と化したミカエルは紅蓮の尾を曳きながらぐんぐん上昇していく。
「ふふ。ミカエルの灼熱のステージにようこそ。紅の華《スピキュール》をとくとご覧あれ」
 ハニエルが宙に浮いてクロードたちとの距離を取る。そうしている間にもミカエルは上昇を続け、ついには星ほどの大きさにまでなった。
「いったい何が始まるんだ?」
「見て。降りてくるわ!」
 白い空に輝く紅の星が急下降を始めた。空気との摩擦で巨大な隕石のように猛然と落下してくる。
「離れるんだっ!」
 八人がバラバラに散開しようとしたときには、既にミカエルは目前まで迫っていた。彼はそのまま白い床に衝突する。衝撃と轟音、そして炎の洪水。白い世界が一瞬にして真紅に染まった。ミカエルを中心として同心円状に炎の渦が広がっていく。それは、蕾から今まさに花弁を開こうとする紅の華を思わせた。炎と熱の激流に彼らは成す術もなく押し流され、その身を灼かれた。
 炎が収束し、中心にいたミカエルは膝と手をついた恰好で地面に蹲っていた。煙を上げる巨体をのそりと起こし、悠々と周囲を見渡す。
「あったまっただろ?」
 白い床に倒れていた人間たちもどうにか立ち上がろうと、腕をついて起き上がる。誰かが回復呪紋を唱え、光の粒が降り注いで彼らを癒していく。
「ちくしょう。とんでもねぇ技だ」
 焼け焦げて黒煙をあげる白衣を脱ぎ捨てながら、ボーマンが言った。
「今度はこっちからだ」
 先陣をきってミカエルに向かっていったのはクロード。それにディアスとエルネストも続いた。ミカエルは振り下ろされたクロードの剣を避けるでもなく、右の手甲で軽々と受け止め、振り払った。ディアスの太刀筋はあっさり見切って躱し、エルネストの鞭は先端をつかんで逆に相手を引き寄せ、殴りつけた。ボーマンが丸薬を投げつけ、オペラが光弾を放つ。
「しゃらくせぇ!」
 ミカエルが気合いを放つと丸薬も光弾もことごとく弾け飛んだ。執拗に斬りかかるディアスの頭を鷲掴《わしづか》みにして、鳩尾《みぞおち》に思いきり拳を叩き込んだ。クロードを蹴飛ばし、エルネストを放り投げて床に叩きつける。セリーヌが放った呪紋は涼風がごとく受けて微動だにしない。
「弱ぇ。弱ぇぞ、てめぇら。この程度で俺様とやり合おうなんざ、十億年早ぇんだよ!」
 ミカエルが嘲るように言った。ハニエルも空中で嫌らしい笑みを零したまま、戦況を眺めている。
「くそ……なんて強さだ」
 クロードは立ち上がって歯を軋ませた。たったひとりが相手でこんなに手こずっていては勝機は乏しい。
「けっ。くだらねぇ。とっとと始末をつけちまうか。……いいだろ、ハニエル?」
「好きにしろ」
 ミカエルが再び炎を纏って飛び上がった。あっという間に白い空の彼方へと上昇し、そして降下してくる。どこに落ちてくるか予測できない上に炎が広範囲に拡散するとあっては、どこへ逃げようともほとんど無駄なのだ。地面に衝突した炎の塊は灼熱の洪水を巻き起こし、彼らに襲いかかる。鮮やかな紅の華の中で人間たちはもがき苦しみ、そして倒れてゆく。
 ミカエルが先程と同じようにあたりを見回す。彼らはまだ力尽きてはいないものの、最初のようにすぐに起き上がることはできなかった。一度は呪紋で回復したとはいえ、二度も強烈な炎に晒《さら》されては、さしもの戦士たちも衰耗《すいこう》は否めない。
「あと一息ってとこか。悪ぃが一気にいかせてもらうぜ。……これで終わりだぁっ!」
 ミカエルが三度目の上昇を始めた。クロードがレナと支え合いながらどうにか立ち上がり、上空の赤い星を振り仰ぐ。万事休すだった。
「どうしたら……いいんだ」
 そう呟いて、ふと前を向くとそこにはノエルがいた。足を組んで床に座り、異国の僧侶のように目を伏せてぶつぶつと何かを唱えている。
「ノエルさん?」
 クロードが呼びかけても、彼はこちらを向こうともしない。左手を臍《へそ》の下に置き、右手を顔の前に突き立てて一心不乱に詠唱している。そうしている間にも上空の星はどんどん近づき、大きくなってゆく。しかも。
「……まずい。こっちに向かってきてる。ノエルさん、危ないから逃げてください。……ノエルさん!」
 だが、ノエルはいっこうに応じない。深手を負っている上にレナも連れている手前、彼のところに行くのは無理だ。至近距離であの炎を浴びれば、自分もレナも無事ではすまされない。炎の塊が間近に迫っているのを上目遣いで見ると、クロードはついにノエルを諦めて、レナを腕に抱いたままその場を離れた。
〈人は地に法《のっと》り、地は天に法り、天は自然に法る〉
 そのとき、クロードの脳裏になぜかノエルの唱える言葉が直接響いてきた。
〈天籟《てんらい》を聞き、忘我の境地に達すれば、人は自然へと帰依《きえ》する。我は世界を支える大地なり。我は世界を覆う天なり。我は絶えず流れ落つる水なり〉
 ミカエルが今まさにノエルの頭上に落ちようとしていた。クロードが最後の警告を発しようと声を張り上げかけたそのとき、ノエルの身体から強烈な光が放たれた。
〈──我は大地に座したる大岩なり〉
 あまりの眩しさに、クロードは思わず腕で顔を覆った。光は何度か明滅したのち、すぐに消滅する。閉ざされた視界の中でクロードは不思議に思った。ミカエルはもうとっくに地面に衝突しているはずなのに、いつまでたっても炎の渦はやってこない。それどころか衝突の音さえしない。腕を下ろして、そっと前方に目を遣る。そこには信じがたい光景が広がっていた。
 十賢者よりさらにふたまわり以上も大きな岩の塊が、ミカエルの体当たりを防いでいた。いや、それはただの岩ではない。人のかたちをした岩の人間《ゴーレム》だ。両手を突き出して、いまだ燻っているミカエルの躯を全身で受け止めている。
「あれは、いったい?」
 茫然と見つめるクロードに、ゴーレムはわずかに首を動かし、岩に穿《うが》たれたふたつの穴でこちらを見た。岩だけに表情は変わるはずもなかったが、その無表情さがかえって彼の正体を気づかせることとなった。
「まさか……ノエルさん?」
 ノエル・ゴーレムは力強く頷き返すと、ミカエルをむんずと掴みあげて放り投げた。投げ出されたミカエルは空中で体勢を立て直し、地面に着地した。
「てめぇ、お、俺様のスピキュールを受け止めただと?」
 憎々しげに睨みつけるミカエル。ノエルはのそりと岩の身体を動かし、ミカエルと向き合う。
「……ざけんじゃねぇぞぉッ!」
 すっかり頭に血がのぼったミカエルは猛然とノエルに突撃していく。かくして大男ふたりの大格闘劇が始まった。
 ミカエルは矢継ぎ早に重い拳を繰り出していったが、ちっぽけなクロードたちを相手にしていたときとは訳が違う。堅固な岩盤そのものである胸板はミカエルの攻撃にもビクともしない。ノエルは悪ふざけをする子供を戒めるようにして拳を受け止め、そのまま手首をひねって吊し上げた。無防備になった腹に膝蹴りを叩き込み、押し潰すように床に叩きつけた。
「むう。あれではミカエルも分が悪いか。……仕方ない。加勢してやろう」
 ハニエルが床に降り立ち、相棒のところへ向かおうとする。ところが、目の前をいくつもの光弾が横切り、進路を遮った。
「あんたの相手はあたしたちよ」
 ハニエルの横には、光弾を放ったオペラとボーマンが身構えていた。その背後ではディアスやエルネストたちがレナの治療を受けている。
「形勢逆転だな」
 ボーマンがニヤリと笑う。ハニエルは怒りの形相に顔を歪ませた。
「調子に乗るな、クズどもが!」
 右手を突き出すと、そこから恐ろしい光の砲撃が放たれた。オペラたちはすかさず避けて、鶏冠頭の大男に敢然と立ち向かっていった。
 一方、ノエルとミカエルの戦いは意外に早々と決着がつこうとしていた。ノエルは圧倒的な腕力で相手をねじ伏せ、全体重をかけて動きを封じる。そして彼の合図を受けてクロードが、まるで刑の執行人《エクスキューショナー》のように、ゆっくりとミカエルの前に歩み寄った。その手に握られたセイクリッドティアが燦然と煌めく。
「てっ、てめぇ……!」
 ゴーレムにのしかかられて身動きのとれないミカエルは、首だけ持ち上げてクロードを睨む。威嚇する虎のように目をぎらぎらさせ、歯をむき出しにしている彼を、クロードは無機的に見下ろした。怒りも憐れみも、一切の感情を表さずに。
「最期だ」
 一言そう呟いてから、剣を振るう。首筋から鮮血が噴き出し、ミカエルは絶命した。
 クロードが剣を収める。ゴーレムは、事切れたミカエルから巨体を動かして離れる。そのとき、岩の身体が急速に縮み、やがて元のノエルの姿へと戻っていった。ノエルは完全に自分の姿が戻ったことを確認すると、すぐに倒れこむようにして地面に伏した。
「ノエルさん、大丈夫ですか?」
「……ちょっと大丈夫とは言いがたいですね……」
 ノエルは仰向けになり、苦しそうに息を切らせた。顔は蒼白で、玉のような汗がいくつも浮いている。
「予想以上に精神力を使ってしまいました。もともと無理のある術ではあったんですが」
「けど、おかげで助かりました。あのままだったらどうなっていたか……」
 クロードは横を向いた。視線の先でミカエルの骸が霧散するように消えていく。
 ノエルも静かにクロードを見つめていた。消えゆく敵の様子をじっと見つめる青い瞳と、その奥に宿る大きな愁いを。ミカエルの首を斬るときに見せた非情な表情の、理由と決意はそこにあった。
 残るハニエルも戦士たちの集中攻撃を受けて、徐々に追い込まれていった。彼もミカエルに負けず劣らずの実力を誇っていたが、いかんせん相手の数が多すぎた。鋼の肉体も剣で切りつけられ、銃弾を浴びせられるうちに弱っていく。拳や蹴りや砲撃での応戦も追いつかなくなり、次第に疲弊し動きが鈍る。持久戦のような様相を呈してきた中で、ハニエルは最後の賭けに出た。
 周囲のディアスやボーマンを回し蹴りで牽制《けんせい》しておいてから、ハニエルは空中に躍り上がった。そして両手を足許に突き出し、戦士たちをまるごと呑み込んでしまうほどの砲撃を放った。それは砲撃というよりほとんど滝のようだった。光の滝は床に到達すると激しく飛沫をあげる。仕留めたと思って口の端をつり上げた刹那、背後に影が現れた。
「なにぃ!?」
 振り返るとそこにはディアスがいた。剣が振り下ろされ、ハニエルは背中を裂かれた。地面へと落下し、腰砕けのように着地する。そこへさらにボーマンが拳を固めて勇ましく突進してきた。ハニエルが慌てて繰り出した拳は肩を掠めて空をきる。
「桜花連撃ぃぃぃっ!」
 懐に潜ったボーマンは怒濤の勢いで分厚い胸板に拳を叩き込んでいく。胸当てが砕け、服が破れて引き締まった上半身がむきだしになる。その肉体をえぐるように続けざまに拳を打ち込むと、ハニエルの身体は衝撃で大きく揺さぶられる。そしてボーマンは止《とど》めに渾身の力でボディブローを放った。籠手《こて》のはめられた拳が腹に突き刺さる。ハニエルの口から血の塊が吐き出された。
「ご……ごんだあずでば……げぼぉっ!」
 ボーマンが腕を抜いた。またひとしきり血を吐いて、ハニエルは前のめりに倒れる。地面に頭から突っ伏した直後、その身体はふっと消滅した。
 主がいなくなると、部屋の景観が一変した。白い世界は古くなったペンキのようにぼろぼろと剥がれ落ち、そこから荒削りの石壁が、つるつるの床が姿を現した。ちょうど最初に三人の十賢者と戦ったときと同じような部屋だ。向かいの壁には大きな扉が既に口を開けている。
 八人は部屋の中央に集まり、無事を喜び合った。だが、これから先に進もうとしたとき。
「僕はここに残ります」
 ノエルは言った。先程よりは顔にもいくらか血の気が戻っていたが、それでも無理な術を使った反動は大きいらしく、まだ歩くことさえ辛そうにしている。
「このまま一緒に行っても足手まといになるだけですから。申し訳ないけれど、少しだけ休ませてほしいんです」
「それは構わないけど……こんなところにひとりで残るなんて」
「心配ありませんよ。ここに来るまでに敵はあらかた片づけたし、市長も間もなく来る頃でしょう。僕は後から市長を連れて駆けつけます。必ず」
 ノエルは毅然とクロードたちを見返した。たとえ衰弱していても、その意志には一片の揺らぎもないようだった。
「わかりました」
 クロードが了承した。
「後で、待ってますから」
「ええ。必ず行きます」
 互いに言葉を交わすと、クロードは潔く背を向けて扉へと歩いていく。仲間たちも何度か振り返りつつ彼の後についていった。
 七人が扉の向こうに消えると、ノエルは急に脱力したように床に座りこみ、そのまま仰向けになった。そうしてゆっくりと目を閉じ、深い眠りについた。


 複雑な仕掛け扉をやっとのことで解除し、覚悟を決めてその部屋に入った。ノエルと別れてからここまで、一度も敵と遭遇しなかったのがかえって不気味だった。
 そこはまた趣の異なる空間だった。床には灰色の石畳が敷き詰められ、部屋の中央を真紅の絨毯がまっすぐ伸びている。壁もやはり灰色の煉瓦を積み上げたもので、ほのかに灯った燭台が等間隔に据え付けられている。絨毯の脇には頑丈そうな石柱が並んでいたが、支えるべき天井はやはり闇に包まれて見えない。振り返れば、彼らが今入ってきた扉もいかめしい鉄扉に変わっていた。どこかの王宮に迷い込んでしまったような気分だった。
「ようこそ、我が宮殿へ」
 絨毯の赤い帯の終点、燃え立つような色の緞帳を背景にして、豪奢な玉座があった。そこに大儀そうに腰掛けているのは。
「ルシフェルか」
「いかにも」
 金色《こんじき》の肘掛けに肘を立てて頬杖をつきながら、銀髪の男は応えた。その指を埋めつくさんほどに飾られた指輪が燭台の明かりを受けて、ぎらぎらと輝いている。
「今宵の私は機嫌がいい。宴でも開きたい気分だ。どうだ、お前たちも加わらないか?」
 ルシフェルが指を鳴らすと、目の前に矩形《さしがた》の卓が現れた。純白のテーブルクロスの上には数多の山海珍味や高級酒が所狭しと並べられている。スープの皿は盛んに湯気を立ちのぼらせ、肉料理の皿からは香ばしい薫りが漂ってきた。
 クロードたちが無言で立ちつくしていると、ルシフェルはどうした、食べないのかとしきりに料理を勧める。
「お前たちには本当に感謝しているのだよ。下の階の邪魔者を全て消してくれたのだからな」
「邪魔者ですって?」
 オペラが声を荒げて言う。
「あんたの仲間でしょう」
「仲間? ああ仲間か。そんな風に呼んでいたこともあったな」
 ルシフェルがまた指を鳴らすと、卓と料理は跡形もなく消滅した。湯気や匂いまでも。
「どうやら料理はお気に召さないようだ」
 そう言ってから立ち上がり、威圧するように彼らを睥睨《へいげい》する。
「ミカエルやハニエルや他の連中は、曲がりなりとも生みの親たるガブリエルを崇敬《すうけい》していた。私があの欠陥品《バグ》を殺せば奴らは叛逆と見なすだろう。だから先に消えてもらった」
「なんだって?」
 クロードは狼狽した。レナも驚いて口を挟む。
「あなただってラン……ガブリエルに創られたのでしょう。どうしてそのひとを殺すなんて……」
「お前たちには一生解るまい。奴という存在がいかに私にとって屈辱であるか。私は永きに渡ってその屈辱に堪えてきた。だかこれで終止符《ピリオド》だ。奴を殺し、私は真の意味で完璧なる存在となって宇宙に君臨するのだ」
「そんなこと……させないわ。絶対に!」
「絶対に?」
 ルシフェルの姿がふっと消え、すぐさまレナの目の前に現れた。逃げようとするレナの手首を掴み上げ、無理やり顔に顔を近づける。
「さて、どうやって阻止してくれる? 私に見せてくれ」
「やっ……!」
 レナは顔を背ける。腕に力を込めてなんとかその手を振りほどこうとするが、逆に痣《あざ》ができそうなほど締めつけられてしまう。
「この野郎っ!」
 クロードとボーマンが左右から攻撃を仕掛ける。その刹那、ルシフェルの周囲に烈風が巻き起こった。レナを除く六人は抵抗する間もなく吹き上げられ、渦巻く風の流れに巻き込まれる。
「永遠に宙を舞い続ける風地獄。それが亡びの風の動機《モティーフ》だ。蒙昧《もうまい》たる貴様らには相応しかろう」
 竜巻の中心で、ルシフェルは高らかに言い放つ。その背には真紅の翼が生じていた。いや、それは翼というよりむしろ翅《はね》に近い。蝶のような透明な翅に赤い筋が血脈のように幾重も巡っている。彼がその翼を動かすと、竜巻はさらに勢いを増し、部屋全体に吹き荒れる狂風と化した。人間たちは奔放な風に翻弄され、もみくちゃにされて、石柱や壁に激突し、それでも止まらずに空中を彷徨い続ける。この場を打開しようとなんとか石柱にしがみつく者もいたが、不定期に流れを変える強風に耐えきれず、あえなく吹き飛ばされた。
 風の渦の壁に囲まれて、レナは逃げ場を失った。ルシフェルは怯える少女をすくい上げるように抱きかかえ、するすると宙へと昇っていく。
「さて、ここからどうやって私を阻止するのだ? さあ、やって見せてくれ」
「いやっ……放して!」
 レナが罠にかけられた小鳥のように腕の中で激しくもがく。ルシフェルは冷たい微笑を浮かべたまましばらくそれを眺めていたが、不意に顔を近づけて、耳の下あたりの首筋に湿った舌を押しつけた。その瞬間、全身を電撃のような衝撃が駆け巡った。頭が痺れ、それから覆いかぶさるようにして陶酔が訪れる。彼女の中に、何かが堰《せき》を切ったように流れ込み、充たしていく。蛭《ひる》のような舌先が執拗に首筋から鎖骨のあたりをなぞる。生暖かい感触に、レナの身体から力という力が抜けていった。目の前を火花のようなものがちかちかと行き交い、意識はどんどん遠ざかる。頭のどこかではまだ警句を発しているようだったが、怒濤のごとく打ち寄せる陶酔の波が彼女の意識をずっと奥のほうへと押しやる。首を仰け反らせ、腕と脚をだらりと下ろして、彼女は自らその身をルシフェルの腕に預けた。それが彼の能力であるとも知らずに。微睡《まどろ》んだ瞳はぼんやりと暗黒の天井を見つめ、口はしどけなく薄く開けている。
「レナっ!」
 渦の外側からクロードが叫んだ。彼は石造りの壁に背中をぴったりとつけ、指と踵を漆喰の隙間に食い込ませて身体を固定させていた。
「きさま、レナに何をした!」
「まだ何もしていないさ。少しばかり人間の本能とやらに働きかけてやっただけだ。ククク……」
 ルシフェルは渦の向こうのクロードに、これ以上ないというほどの侮蔑《ぶべつ》の視線を送る。
「これからが本番だ。大人しくそこで見ていろ。何もできぬ自分を呪いながらな」
 レナの身体を右腕一本で支え直し、左腕を自由にする。そして小指の先を自らの口に突き入れて、無雑作に噛んだ。鋭く尖った歯は指先の肉に食い込む。
「お前たちはラヴァーを知っているな? あれもかつては何の能力もない、ただの人間だったのだよ」
 小指を口から出してその先をまじまじと眺めながら、ルシフェルが語り始めた。
「そう……かれこれ三十七億年も前の話だ。本当に何の変哲もない娘だった。家族がいて、友がいて、幸福な日常があった。ところがある日、ひとりの男と出会ったことにより彼女の運命は大きく揺らいだ。ククク……。男は娘に自らの血を飲ませた。すると娘は一変した。男の命ずるままに親を殺し、友を殺し、そして世界を壊した。娘は男の忠実な下僕《しもべ》となったのだった」
 指先の傷口から赤黒い血が滲み出てくる。血。
「まさか……」
 それを見ていたクロードは戦慄した。これから起ころうとしていることの、あまりの恐ろしさに。
「勝利の美酒も独りではいささか味気ない。ラヴァーのいない今、新たな伴侶を求めていたのだが、どうやらこれで丸く収まりそうだ」
 ルシフェルは左手を広げてレナの鼻先に垂らした。レナは相変わらず恍惚《こうこつ》と、目の前に出された掌を眺めている。小指の傷から赤いものがひとすじ流れて、爪の先で雫をつくる。
「やめろぉっ!!」
 クロードはたまらず壁を蹴って飛び上がった。だがやはり、たちまち風に流されてあらぬ方向へと飛んでいってしまう。それを見てルシフェルはふん、と鼻を鳴らす。
「大人しく見ていろと言ったのに、わからん奴だ。まあいい。後でじっくりと拝ませてやる。ついでに奴の始末もこいつにつけさせるか。愛する者に殺されるのならさぞや本望だろう。ハーーッハハハ!」
 哄笑《こうしょう》するルシフェルの指から、ついに血液が滴った。紅の雫はレナの薄桃色の唇に落ち、口の中へと流れ込む。さらに一滴、また一滴と、爪の先端から次々に落ちていき、唇は紅《べに》を差したように赤く染まった。ルシフェルは狂ったように笑い続けた。彼の興奮に呼応して、周囲の渦が一層激しくなる。どこかで石柱が砕け、壁が崩れる音がしたが、彼には関係のないことだった。
 ルシフェルの腕の中で、レナの意識は完全に消滅しようとしていた。ゆっくりと目が閉じられる。同時に、鼓動は速くなっていった。


 とくん……とくん……とくん……とくん……。
 暗闇の世界に、鼓動の音ばかりが響いている。静かな、穏やかな世界。でも今はそうではない。
 自分とはまったく異なる何かが浸食してくるのを、彼女はひしひしと感じていた。もうすぐ私の意識は呑み込まれ、私は私でなくなってしまう。もはや浸食は止められない。このままじっと消えてゆくのを待つしかないのだ。
 それでいいの?
 自分の声がした。でも声の主は彼女ではなかった。こんなことが、前にもなかったか?
 ほんとうに、あなたはそれでいいの?
 そうだ。思い出した。あれはハーリーでのことだった。ユールを助けるためにザンドと戦って……あのとき私に話しかけてきた、不思議な声。
 ……いいわけないじゃない。
 彼女は拗ねたように答えた。
 だったら、あいつをなんとかしなさいよ。
「あいつ」の示すものが何なのか少し戸惑ったが、たぶん、彼女の意識を浸食し、呑み込もうとしている「あいつ」なのだろう。
 なんとかできるんだったら、とっくにそうしてるわよ!
 彼女は怒ったように言った。ほとんど八つ当たりだったが、とにかく不安をどこかにぶちまけたかったのだ。
 だいじょうぶ。私が力を貸してあげる。だから、あなたも頑張って。
 力を貸す?
 そう。これまでも私はあなたを助けたことがあるのよ。何度もね。あなたは気づいてないかもしれないけど。
 そうだったの……ごめんなさい。
 身に覚えのある彼女は素直に謝った。
 いいのよ。これは私の償いみたいなものなのだから。あなたの成長をこの目で見届けられなかった私が、唯一あなたにしてあげられること……。
 ……え?
 さあ、時間がないわ。想いを繋げて。みんなの想いが、みんなへの想いが、あなたを元の世界へ連れていってくれるわ。……ほら、聞こえない? みんなの声が。あなたを呼ぶみんなの声が。
 彼女は耳をすませた。
 ……聞こえる。聞こえるわ。大好きなみんなの声が。大好きな、大好きなあのひとの声が。戻りたい。みんなのところへ。あのひとのところへ。
 還りなさい。あなたの場所へ!

 レナ!!!


 彼女の中で、何かが大きくはじけた。その衝撃の凄まじさに、レナは思わず絶叫した。
「あああああっ!!」
 朦朧としていた意識が急激に覚醒され、頭が割れそうなほど痛んだ。心臓が胸を突き破りそうなほど大きく跳ねあがり、腕や脚が締めつけられるように軋んだ。彼女を流れる血が逆流して身体のあちこちで暴れ回っているようだった。
「なに?」
 ルシフェルは突然の少女の異変に、初めて動揺をみせた。瞳を見開き身悶えして苦しむ彼女を神妙に眺める。すると、胸許に仕舞われていたペンダントの飾り石が、ひとりでに服から抜け出して浮き上がった。そしてそれは、ルシフェルの眼前でいきなり強烈な閃光を放った!
「ぐおおっ!」
 ルシフェルは呻いて片手で顔を覆った。狂風の渦がピタリと止む。この機を逃さずすぐに斬りかかったのは、ディアス。石柱を足場にして大きく跳躍し、気合一閃、赤い翼の片方を付け根から斬り落とした。ルシフェルはレナを手放し、あえなく落下する。ところがレナは落ちなかった。空中を浮遊したまま、留まっている。
 ようやく地面に降りることができたクロードたちは、あちこちぶつけられた痛みとさんざん振り回された後遺症の眩暈《めまい》とで、起き上がることすらままならなかった。それでも顔だけはどうにか上げて、レナの方を仰ぐ。
 翼を斬られたルシフェルも同様にレナを見上げる。先程の閃光にやられたのか、頬には血の涙の流れた跡があった。
「莫迦な。この私の傀儡《くぐつ》法が通じない? いったい何が起こったのだ?」
 レナは両腕を少し広げ、目を閉じたまま宙に立っている。ペンダントの石が白い霊気のようなものをしきりに放出して、彼女を護るように覆っている。
「あれはただのクォドラティック・キーではないか。どうしてあのような反応が……」
(「……紋章石から異質な紋章を抽出することに成功……」)
 その声は、彼女の内側から聞こえてきた。嫋々《じょうじょう》と、そして粛然と自身に秘められた大いなる真実を告げる。
(「……胎児の遺伝子に直接刻み込むことにより、効果の精度は無比に増幅され……」)
「レナ……あれは、レナなのか?」
 クロードは立ち上がり、光に包まれながらゆるゆると降りてくるレナを放心したように見つめる。
(「……防衛本能と結合し、決定的な危機の際に発動……」)
 レナが地面に降り立つ。飾り石の光が徐々に弱まり、彼女を包む霊気も薄くなっていく。
(「……これを、絶対守護紋章と称する」)
 光が完全に消え去り、レナは目を開けた。視界の中心には忌々しそうにこちらを見るルシフェルの姿があった。その奥には、クロードの姿も。
「お母さんが、護ってくれてる」
 レナはペンダントを握りしめて、それに囁きかけるように言った。
「私はずっとお母さんを捜してた。でもほんとうは、お母さんはどこにも行ってなかったのね。いつだって私のなかにいたんだね。ずっと気づかなくて、ごめんなさい。これからはいつも一緒よ。私を、見守っていてね」
 ペンダントを服の中に仕舞って、レナは前方のルシフェルをきっと睨んだ。ルシフェルは左手の拳を胸の前で震わせている。掌の内から赤い血が洩れて、地面に滴り落ちる。
「認めぬ……私は認めぬぞ! 我が術法は完璧だ。私は完璧な肉体と精神を兼備した至高なる存在なのだ。なのに……なぜだ。お前は私を超えるというのか?」
 言いながらルシフェルは、自分が怯えを感じていることに気づいた。こんな感情を抱いたことは、あのガブリエル以外では一度もなかった。あり得ないことだった。
「ずいぶん自分に自信のある奴なんだな」
 誰かがすぐ近くで言った。
「そういうのをナルシストって言うんですのよ」
 気がつくと、人間たちがルシフェルを取り囲んでいた。ルシフェルはぎょろぎょろと神経質そうに目玉を動かして彼らを見回す。もはや余裕などなかった。翼を斬られ、飛ぶことも風を起こすこともできない。だが、それでも。
「認めんぞっ!」
 高々と掲げたルシフェルの掌から電光が迸り、無数に枝分かれした稲妻が部屋を駆け巡る。彼の矜持《きょうじ》と名誉とを賭した、最後の戦いの幕が開いた。
 仲間の何人かは電撃に打たれたが、何人かはうまくやり過ごして反撃に転じた。クロードが斬りかかり、オペラが光弾を放ったが、ルシフェルは瞬間的に消えては別の場所に現れて、なかなか捉えることができない。彼が四方八方に真空の刃を飛ばして抵抗すれば、セリーヌはイラプションを唱えて切り返す。空気を圧縮して放たれた砲撃はエルネストの鞭が作り上げた気流の壁によって打ち消される。あらん限りの力を振り絞って放たれた電撃は彼らの身を灼いたが、すぐさまレナの呪紋で癒される。
「私は……私は完璧だ。貴様らのような不完全な人間ごときに負けるはずがない。私は世界をあるべき姿に導き、その頂点へと君臨する使命を負った存在。選ばれし人間なのだ! それが、貴様らごときに……」
 取り逆上《のぼ》せて無差別に攻撃しながら、彼は自分に言い聞かせるように喚《わめ》き散らす。瞋怒《しんど》のために歪んだその形相に絶世の美貌はもはや微塵も感じられず、血の涙はとめどなく流れている。
 ボーマンが背後から殴りつけ、エルネストが鞭で足許を薙ぎ払った。床に蹲るルシフェルを残して、彼らは部屋の隅へと避難する。その正面で並んで詠唱しているのは、レナとセリーヌ。
「スターフレア!」
「ルナライト!」
 ふたりが息を合わせて同時に唱えた。恒星の激しい光と月光が上空で絡まり合い、融合して、凄絶な光の柱となってルシフェルの頭上に落ちた。天地も砕けんばかりの絶叫が部屋に轟く。
 光の柱は、すぐに何事もなかったかのように消え失せる。ルシフェルはなおもそこに立っていた。全身から黒煙の細い筋が立ちのぼり、残る片方の翼も半ば溶けている。栄華を誇っていた男の惨めな姿に、彼らは憐れみすら感じた。
「まだ生きているのか?」
「そうみたいだけど……あっ」
 ディアスが無言のままに駆け出した。まっすぐ、ルシフェルの許へと。
「夢幻」
 すれ違い、ただ駆け抜けただけのように見えたが、次の瞬間、ルシフェルの胸から鮮血が噴き上がった。裂かれた胸から迸る紅の飛沫は地獄の噴水を思わせ、また同時にこの世ならぬ美しさもあった。
 ルシフェルの背中が地面に着く。それは彼が乗り越えてきた三十七億年という歳月が、一気に解放された瞬間でもあった。彼は自らの敗北を受け入れた。天に向けて見開かれた双眸が緩み、そして笑った。今まで見せた表情の中で、最も人間らしい笑顔だった。
「ふふふ……まさかこのような結末が訪れようとはな……。だが、これで宇宙の崩壊は決定的となった。私の存在なくしてガブリエルは止められん。崩壊紋章が作動し、全てが終わる」
「止めてみせるさ。そのために、僕らはここまで来たんだ」
 クロードが歩み寄って、言った。
「ふん、甘いな。貴様らは奴の恐怖を知らん。欠陥品《バグ》であるが故の恐ろしさを。……ふっ。だが、それは私とて同じことであったな」
 ルシフェルは自嘲的に呟いた。
「惜しむらくは、私が企てたこの戦乱の結末を、この目で見ることができんことか。まあ……今となってはもはやどうでもいいことだ」
「お前が企てただって?」
 クロードは思わず声を上げた。
「この戦いの発端は、ランティス博士じゃないのか?」
「……ふふふ。貴様らには話してやるか。悠久の過去に起きたあの事件の、最後の真実を」
「最後の、真実……」
 レナが呟く。仲間たちも固唾を呑んで、次の言葉を待った。
「……三十七億年前の、あの日のことだ」
 たっぷりと間を置いてから、ルシフェルは話した。
「ランティスの一人娘がテロリストに誘拐された。奴らは娘《フィリア》の命と引き換えに、十賢者計画の中止を要求してきたのだ。ランティスは要求を呑むつもりだった。自らの地位も研究も財産も全て投げ出してでも、娘の命だけは守る、そんな男だったのだ。……だが、それでは私が困る。私の大いなる野望を、こんなところで潰すわけにはいかなかった。だから──私はラヴァーに命じた。『テロリストのアジトに潜入し、皆殺しにしろ』とな」
「ま……まさか……」
 クロードは戦慄した。笑みを浮かべたまま、ルシフェルは淡々と続ける。
「ラヴァーは忠実にそれを実行してくれたよ。アジトを見つけ、中にいた者をひとり残らず殺した。……無論、監禁されていた人質もな」
「なっ!」
 その場にいた全員が凍りついた。信じられない。信じたくない。だが。
「それじゃあ、フィリアさんを殺したのは……」
「私だよ」
 ルシフェルは言った。息絶える間際とは思えないほど、明瞭な声だった。
「フィリアが死ねば、ランティスは狂う。暴走したランティスは十賢者を使って復讐を始める。全ては私の予測通りに事が運んだ。……まあ、エタニティスペースに封印されることまでは予想外だったが……。それでも私は雌伏《しふく》して機会を待った。そして、ようやく我が至願が達せられるときが来たのだ。それを……貴様らは何もかもぶち壊してくれた。三十七億年も堪えてきたというのに、その結果が、このザマだ」
「……欠陥品《バグ》は、お前の方だったのか」
 クロードが呟くと、ルシフェルは何か言おうと口を開いたが、途中でやめて、代わりに息を吐いた。
 創られし存在が抱いてしまった野望が、創り主の運命をも変えてしまった。それは、創造という人間が踏みこんではならぬ領域を侵してしまったことによる、神罰だったのかもしれない。しかし、あまりにも哀しすぎた。
 レナが突然、クロードの手に握られていた剣を奪って、ルシフェルの傍らに立った。すっかり青白くなったその顔を、じっと見つめながら。
「あなたはきっと、この世界に生まれてくるべきではなかったのね」
 冷厳《れいげん》として、彼女は言った。
「……そうかもしれないな」
 ルシフェルは微笑を浮かべたまま、瞑目する。
「還りなさい、あなたの場所へ」
 そして、剣を胸に突き立てた。



--
【ひとくち解説】
 最後の場面のレナが恐いよぅ(´・ω・`)
 それはともかく、ルシフェルは変態キャラ全開で書いてて楽しかったです。美形の変態とショタっ子は永遠に不滅です。両方セットなら猶良し。
posted by むささび at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2009年02月05日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第五章(1)

第五章 星の鎮魂歌《レクイエム》


   1 大決戦 〜フィーナル(2)〜

 荒野に聳《そび》える巨大な塔は、以前に見たときよりも一層、忌まわしいもののように思われた。
 ラクアで一夜を過ごした彼らは、朝日が昇るより少し前にはヘラッシュに乗りこみ、こうして再び十賢者の根城へとやってきたのだった。あのときはナールとマリアナと、ネーデ軍と共に。そして今は、たった八人きりで。

「ナールさんは行かないんですか?」
 ラクアの港で、出発を前にした彼らはナールの指示によって集められた。
「私はまだ準備が残っているのです。それが片づき次第、そちらへ参ることにします」
「準備?」
 クロードが訊き返した。ここまで来て、いったい何の準備があるというのか。
「崩壊紋章のことはすでにご存じですね。その発動を食い止めるための準備、とでも申しておきましょうか。数日前からミラージュ博士とも協力して進めてきたのですが、どうにも仕上げが難航しまして」
 クロードが怪訝そうな視線で見つめていると、ナールは慌てて取り繕う。
「いえ。心配には及びません。必ず間に合わせますので。そろそろミラージュから連絡が入る頃でしょう。そうしたらすぐに私たちも後を追います」
「……はぁ」
 クロードは気のない返事をした。彼が不審に思っているのは、そんなことではなかった。
 ナールの物言いにはどこか重要なところを避けているようなふしがあった。崩壊紋章を防ぐための準備。それが一体どのようなものなのか、どういう効果を及ぼすものなのか、具体的な話が一切なかったのだ。しかし、それに気づいたのはヘラッシュに乗りこんだ後のことだったので、ナールをじかに問いつめることは結局かなわなかった。

 そうして、彼らは塔の前に立った。
 これが最後なんだと口では言っても、実際そんな気分にはなれなかった。不安な要素なら掃いて捨てるほどある。ナールのこともあるし、何より自分たちの力がこの先の十賢者に通用するのか、まったく自信が持てなかった。
 それでも、前に進まなくてはならない。
 唯一、希望があるとすれば、それは今この場に仲間と共にいられること。たった八人のちっぽけな人間ばかりでも、信じあうことでひとりでは絶対に出せない力を出すことができる。反物質の武器は確かに大きな力だけど、仲間の絆の強さにはかなわない。みんなと一緒に戦えるということが、何にも勝る力となるのだ。
「……行こう」
 クロードが言うと、彼らは徐《おもむろ》に歩きだした。ちっぽけな八人が、あまりにも巨大な塔に立ち向かおうとしていた。

 入り口を潜ると、いきなり彼らは困惑する羽目になった。
 そこは、だだっ広い部屋になっていた。以前に乗り込んだときには、階段が延々と続いていただけだったのに。入る度に部屋の構造が変化する仕掛けになっているのか、それともこの二週間足らずの間に突貫工事で塔の内部をがらりと変えてしまったのか。どちらにしても、事はすんなり運びそうにないのは間違いなさそうだ。
 部屋は目立った装飾もなく、つるつるの床が荒削りの石壁に囲まれているだけの空虚な空間だった。光源は不明だが、明るさは充分にある。ただ、天井とおぼしき部分だけは不自然なほど濃い闇が立ちこめている。見上げているだけで吸い込まれてしまいそうな闇だ。
「おやおや。こんなに朝早くから、ご苦労なことです」
 その天井の辺りから、物腰の落ち着いた声が降り注いだ。
「早起きは三フォルの得、とも言うからの。良いことじゃて」
 同じ場所から今度は嗄《しわがれ》れた声が。
「愚かな……よほど早死にしたいのか」
 次にはくぐもった声が聞こえた。
「誰だ!」
 クロードが叫ぶと、呼応したように天井の闇が激しく動いた。まるで今にも生まれんとする胎児を宿した子宮のように。
「言われなくても出てきますよ。そら」
 闇が破れて、そこから何かが飛びだした。三人の、異形の人間たち。
「まずは自己紹介と洒落こみましょうか。自分はサディケルと申すものです」
 最初に降り立ったのは、まだ幼さの残る少年だった。紺色の短髪に細めの体つきはまさしく子供のそれだが、死人のような青白い肌と鋭くこちらを見据える双眸《そうぼう》は、彼の持つある種の冷たさを象徴しているようだった。だらりと下ろした右手には途中で二股に分かれた金属の棒を携えている。それは大きな音叉のようにも見えた。
「儂はカマエルじゃよ。ほっほっ」
 次に降りてきたのは、前の少年と対蹠的《たいしょてき》な老人。十賢者の中では小柄な体躯をしているが、それでも通常の人間の一回りほどはある。白い覆面をつけているので顔つきはわからないが、合間からときおり窺《うかが》える目尻のあたりには深い皺が刻まれ、瞳も穏和な老人のものと違《たが》わない。しかし、その外見とは裏腹に、小作りの躯からは桁違いに邪悪な気配が発せられていた。
「ラファエル……それが貴様たちの死神の名だ。覚えておけ」
 最後に床に立ったのは、草色のローブを纏った者。声は男のようだが、見かけで性別は判別できない。本来なら頭があるはずのフードの奥は暗黒に閉ざされ、ふたつの眼光ばかりがいかにも怪しい橙色に輝いている。ローブは前の部分にスリットが入り、そこから垣間見える躯も暗黒だった。動作も人間とは微妙に異なり、どこか人形めいていた。奇妙な黒い塊にローブを着せて、手袋と靴を然るべき位置に備えつけただけ、というふうにも見えた。全く不可解な存在だった。
「おいおい、聞いてねーぜ。十賢者がいきなり三人も出てくるなんてよ」
 ボーマンが弱音を吐いた。
「ゲームは終わりだということですよ」
 サディケルは音叉を持ち上げ、肩に担いでから言う。
「我々にとってあなたがたの存在は、暇つぶし程度のものでしかなかったのですよ。けれど残念ながら、あなたがたに構っている猶予は終わりました。そういうわけで、すみやかに消去させていただきます。悪く思わないでください」
「簡単に言ってくれるわね」
 ランチャーの挿入口《スロット》にエネルギーパックをセットしながら、オペラが。
「消去だなんて……あたしたちをプログラムみたいに言わないでほしいわね」
「何が違うというのじゃ?」
 と、カマエル。
「そなたらの身体とて、遺伝子の情報《プログラム》を元に作られたものに過ぎんのじゃぞ。むしろ半端な進化の過程であるそなたらの身体のほうが、なまじそこいらのプログラムよりも脆《もろ》いくらいじゃ」
「それは、作られたプログラムであるお前たちの優越感というやつかな」
 エルネストが皮肉めかして言うと、カマエルとサディケルはともに意外そうな顔をする。
「ほう。我らの真実を知っておるのか」
「これは驚きましたね」
「お前たちの目的はなんだ? 宇宙を支配することなのか、それとも破壊なのか」
 クロードの問いかけに、サディケルは肩を竦《すく》める。
「我々はルシフェル様の意に応じて動いているにすぎないのですよ。あのかたは十賢者を統括すべく創られた存在ですからね。あのかたが何を考えて動いているのかなど、我々が詮索する余地はないのですよ」
「ルシフェル……またあいつか」
 ファンシティに現れた十賢者も、同じことを言っていた。どうやらガブリエルの他にも、あの銀髪の男が一枚噛んでいるようだ。
「さて、自己紹介も終わったことですし、そろそろ仕事にかからせてもらいますよ」
 サディケルが音叉を構え、ラファエルが宙に浮き上がり、カマエルの邪気がひときわ強くなった。
「そうはさせない……私たちは、ここで負けるわけにはいかないのよ!」
 レナが黒い玉石を取り出して、窪みにペンダントの飾り石を填めた。翠《みどり》色に輝く玉石にさらに紋章力を注ぐと、波動が発生して周囲の仲間たちの武器を包み込む。波動を吸収して反物質となった武器を手に、彼らは決戦の舞台へと上がっていった。
「バラバラに戦って入り乱れたりしたら、それこそ向こうの思うつぼだ。それぞれ標的とする相手を決めよう」
 クロードの言に仲間たちも諒解し、すぐに相手とする十賢者の許へと分かれていった。打ち合わせもないのに素早く対応できるのは、この旅の中で培われた信頼があってのこと。サディケルにはクロードとディアスが、ラファエルはオペラとエルネスト、それにボーマン、そしてカマエルにはレナ、セリーヌ、ノエルがそれぞれ挑んだ。
 ラファエルが空中から何の前触れもなしに衝撃波を放った。それが合図だったかのように、いっせいに口火が切られた。
 クロードとディアスが肩を並べて同時に斬りかかる。サディケルは猫のような身のこなしで軽く躱し、音叉を薙ぎ払うように振り抜いた。クロードはすかさず剣を差し出して受け止めようとしたが想像以上にその一撃は重く、弾かれるようにして突き飛ばされた。隙を狙ってディアスが跳躍し、剣を十文字に振るった。
「クロスウェイブ」
 衝撃波はサディケルの翳《かざ》した音叉の手前でかき消された。何か見えない防御壁を作ったのか。地面に降りたディアスはすぐに間合いを取る。サディケルが攻撃にかかる。しかし、そこへ割りこむようにしてクロードが突進してくる。闘気を込めた拳の一撃は寸前で避けられ、サディケルは身を翻してその場を離れた。間を置かずにクロードとディアスが並んで彼の許に駆け出す。少年の青白い貌に不吉な笑みがこぼれた。
 まるで銃でも構えるように、サディケルは音叉の先端をふたりに向ける。二股に分かれた先端の間から何かが光り、爆ぜた。そして音叉を中心として光の輪がいくつも生じ、凄まじい熱風を伴ってひといきに放出される。
「なっ!」
 不意を衝かれたクロードとディアスは避ける間もなく真正面から熱風を食らい、吹き飛ばされて石壁に身体を叩きつけられた。床に落ちると、ふたりは全身の痛みに顔をしかめた。服はところどころ焼け焦げ、腕や顔には火傷の黒い斑点が浮いていた。
「ソニックバーナー。超音波で空気を振動させれば、この程度の熱はすぐに発生できるのですよ」
 小憎らしいほどの余裕をみせるサディケル。クロードは膝をつき、歯を食い縛って立ち上がる。ディアスは既にその隣で、敵を睨みつけて立っている。
「なるほど。未だ闘志は衰えず、といったところですか。しかし、次は火傷じゃ済まされませんよ」
「いいからかかってこいよ」
 固く握りしめた剣の切っ先を相手に突きつけて、クロードが挑発した。彼が敵に向かってそんなことを言うのは、これが初めてのことだった。
「ガキが玩具《おもちゃ》振り回して、いい気になるなよ」
「言ってくれますね」
 サディケルの目の色が変わった。
「ならば、これが玩具かどうか、もう一度確かめてごらんなさい!」
 音叉から再び熱風を繰り出す。ふたりはそれぞれ左右に避け、そこから地面を蹴って同時に斬りかかった。
 一方、ラファエルを相手にしていた三人は。
「ちくしょう。何なんだこいつは。ふざけやがって」
 ボーマンが悪態をつく。その間にもオペラがラファエルに向けて銃を連射していたが、相手はまるで風に舞う布切れのようにひらりひらりと躱していく。背後からエルネストが鞭を繰り出しても、正面からボーマンが殴りつけても、草色のローブのごわごわした感触以外に手応えは全くない。果たしてそのローブの内側に、そいつが存在しているのかどうかも疑わしかった。
 そうこうしているうちにラファエルが衝撃波を放つ。近くにいたボーマンとエルネストは撥ねつけられるように突き飛ばされ、オペラは頭を低くしてなんとかやり過ごした。
「これじゃ、ラチが明かないわ。あいつの身体がどうなってるのかわからないことには」
「だったら、俺が確かめてやる」
 そう言って、ボーマンがラファエルに向かっていった。足許に丸薬を投げつけて煙幕を張り、視界を奪ったところで一気に相手の懐に潜りこむ。そして、ローブのスリットをつかんでひと思いに引き剥がす。だが、その中身を目の前で見て、愕然とした。
「なんだ……これは」
 そこには人間のからだなどなかった。ただ、不可思議な空間がぽっかりと口を開けているのみ。黒と青と緑と赤が渾然一体となって混ざり合ったその空間は、この世に存在するいかなるものよりもおぞましく感じられた。悪夢の中で見る宇宙は、もしかしたらこのようなものかもしれない。
 その空間を眺めているうちに、ボーマンはそこに吸いこまれていくような錯覚に陥った。いや、これは錯覚ではない。実際に吸いこまれているのだ。気づいたときにはすでに下半身がすっぽり空間に嵌《はま》りこんでいた。底なし沼と同じだ。もがけばもがくほど、ずるずると引き込まれる。
「ボーマン!」
 エルネストが駆け寄り、その腕をつかんだ。しかし、どれだけ腕を引いてもボーマンの身体はみるみる空間の中に沈んでいく。そのうちエルネストまでもが巻きこまれてしまい、最後にはふたりともおぞましい穴の中へと呑みこまれてしまった。あとには口を開けたままの空間が、何ひとつ変わらぬ状態でそこにあるのみ。
「自ら地獄への扉を開けるとは……愚かしい」
 ラファエルが低調な声色で呟いた。
「そんな……冗談でしょ」
 オペラはしばらく茫然としていたが、すぐに気を取り直して銃口をラファエルに向ける。
「ふたりを出しなさい。さもないと、その頭をぶち抜くわよ」
「無理だ。この超空間は我のものであり、また我のものではない。そこは秩序の存在しない世界。制御も統制も意味を為さない。一度そこに迷い込めば、永久に彷徨《さまよ》い続けることになる」
「そんな禅問答みたいな理屈で諦めきれるわけないでしょ」
 自分に言い聞かせるように、言った。
「エルは戻ってくるわ。必ず。あのひとがこんなことで死ぬもんですか!」
 言いながら引き金を引いて光弾を放つ。ラファエルは空中に浮き上がってそれを避けた。そして止《とど》めとばかりに強烈な衝撃波を放った。充分な間合いを取っていたはずのオペラもこれには手もなく吹き飛ばされ、何度か床に身体を打ちつけながら、最後は地面に倒れこんだ。
「やはり他の二人同様、超空間に放り込むのがせめてもの情け……」
 そう言ってオペラの前に歩み寄ろうとしたとき、ラファエルに異変が起こった。
「……ぬ?」
 躯が動かない。金縛りにでも遭ったかのように硬直してしまっている。そして次の瞬間、空虚なはずのローブの内側から凄まじい衝撃が奔《はし》った。
「ぐ……ぐぉぉぉぉっ!」
 オペラは両手をついて起き上がり、その様子を信じられないように刮目《かつもく》した。悶え苦しむラファエルの躯に亀裂が生じている。草色のローブに網の目のように罅《ひび》が広がり、その溝から光が洩れだした。
「ぐわぁぁぁおぉぉぉぉっ!!」
 そして、恐ろしい絶叫とともにラファエルの躯がはじけ飛んだ。ローブの裾が、手袋が、フードやその内側にあった奇妙な空間が細かい破片となって砕け散る。それはちょうど硝子か陶器でできた人形を中から爆破したような感じだった。
 飛散した破片が降り注ぐ中に、オペラはふたつの影があるのを見つけた。彼女の表情に笑顔が戻る。
「エル! ボーマン!」
 オペラはまだ破片が降っているのにも構わず、体格のいいほうの身体に飛びついた。それは間違いなくエルネストだった。
「今の、あなたたちがやったんでしょう。どうやって抜け出したの?」
「ちょいと中で暴れてやっただけさ」
 ボーマンが親指を立ててニヒルに笑う。
「似合わないわねぇ、それ」
「うっせぇ」
 せっかく格好つけたのに、とボーマンは不貞腐れた。
「あの超空間こそが、やつの本体だったんだ」
 エルネストが説明する。
「俺たちが見ていたローブの男は、あの空間とこの世界とをつなぐ扉《ゲート》というだけの存在だった。超空間を司っていた『意識』こそがラファエルの本体だったんだ。だから俺たちはその中にあった『意識』の核を捜し出して、そいつを破壊した。後は見ての通りだ」
「でも、あいつは中に入ったら空間を彷徨うだけだって……」
「普通ならそうなったのだろうな。だが、俺にはこいつがある」
 そう言って、エルネストは握っていた鞭を前に示した。
「この鞭ならば異空間の中でも自在に操れる。元来空間を飛び超えて攻撃できる武器だからな。こいつを頼りにして、どうにか『意識』の核へと辿り着くことができたんだ」
「へぇ……」
 オペラが感心していたそのとき、別の場所から爆風が巻き起こった。
 そこでは、レナたちがカマエルを相手に戦っていた。
「ふぇふぇ。もう終わりか、小童《こわっぱ》ども」
 カマエルは先程放ったイラプションの残り火を掌に燻らせながら、綽然《しゃくぜん》と笑った。
「なにをっ……」
 セリーヌが憎々しげにカマエルを睨めつけ、そして杖を掲げた。
「ルナライト!」
「シャドウフレア」
 上空から舞い降りる光の帯は闇の焔にかき消された。
「エナジーアロー!」
「サンダーストーム」
 カマエルを包み込む光の矢は電撃に触れると一瞬のうちに消滅した。
「グラビティプレス!」
「トラクタービーム」
 無数の鉄の塊はカマエルの頭上で突然落下が止まり、逆に天井へと遡《さかのぼ》っていった。
「それだけかの? ふぇっふぇっ。それでは、次は儂からいくかの」
 そう言って、カマエルは腕を振り上げた。
「サンダークラウド」
 天井から稲妻が迸り、レナたち三人を襲う。衝撃で目の前が真っ暗になる。頭のてっぺんがズキズキと疼き、そして眩暈《めまい》がした。気絶してはいけない。ここで倒れてはいけない。全身の痺れと痛みを必至に押しやって、レナは精神を集中させる。
「フェアリィ……ライト!」
 うまく動かない口をどうにか動かして、呪紋を唱えた。レナとその周囲に光の粒が降りそそぎ、三人の傷を癒していく。
「いたた……冗談じゃないですわ。あいつ、ほとんど詠唱してないじゃない」
 片手で頭を押さえながら、セリーヌが立ち上がった。
「半端な呪紋では確実に打ち消されますね。向こうが対抗できないだけの強力な呪紋ならば、あるいは倒せるかもしれません。レナさんのスターフレアか、それとも……」
 ノエルはセリーヌを見た。セリーヌもその言葉の意味を汲みとった。
「よろしいですわ。でも、これは詠唱に時間がかかりますわよ」
「私たちが時間を稼ぎます」
 レナが言い、ノエルもしっかりと頷いた。ふたりの決意に気圧されながらも、セリーヌは微笑を返した。
「期待してますわよ」
「セリーヌさんも」
 そして、彼女は目を閉じて詠唱を始めた。
 残ったレナとノエルは手当たり次第に呪紋をぶつけた。カマエルも最初のうちは相変わらずの余裕をみせながら呪紋を返していったが、やがてセリーヌが攻撃に加わっていないことに不穏を感じ始めた。
「ふむ……何を唱えようとしてるかは知らんが、怪しいの。まさかとは思うが、念のために潰しておくか」
 用心深い老人はセリーヌに向けてサンダーボルトを唱えた。
「だめっ!」
 レナはセリーヌの頭上に飛びこみ、身を挺して電撃を防いだ。またもや電撃を浴びたレナは着地もままならず、床に転がりこむ。
「邪魔は……させないから」
 それでもすぐに立ち上がり、未だ詠唱を続けているセリーヌの前に立ちふさがる。
「ふむ。みずから盾となって仲間を守るか。殊勝なことじゃ。だが、どこまでもつかの」
 カマエルは次にファイアボルトを放った。それはセリーヌがいつも唱えているものの数倍はあった。炎の尾を曳いて迫り来る火球に、レナは両足を踏ん張って、両腕を顔の前で組んで衝撃に備えた。
 しかし、火球は彼女の手前で弾かれた。腕を解いて前を見ると、そこにはノエルの後ろ姿があった。
「女性にばかりこんな目に遭わせるわけにはいきませんよ」
 ノエルは首だけ動かして背後のレナを見ると、力強く笑いかけた。両手の手袋は炎の球を受け止めたために焼け焦げている。
「レナさん、紋章力で防御壁を作るんです」
「え?」
 レナの隣に並んでから、ノエルは言った。
「この周囲に紋章力の膜を張るんです。そうすれば少しは呪紋の攻撃を和らげることができるはずです」
 自分にそんなことができるのかわからなかったが、とにかく今はノエルの言うとおりにやってみるしかない。レナは掌を頭上に翳《かざ》して、慎重に紋章力を放出していく。これでどうやったら膜なんて作れるのか。途中で迷いも生じたが、慌てて首を振って無心に戻る。大事なのは理屈じゃない。感覚だ。瞳を閉じ、自分の中に流れる紋章力を感じて、それを自在に操る自分の姿を想像した。
 ある程度まで紋章力を放出して、彼女のまわりに無数の光の粒が煌めくようになると、レナは放出を止め、指先で粒の群れを撫でるように腕を動かした。すると光の粒は互いに寄り集まり、大きな光の塊へと変化し、さらに薄い膜となってレナたちを覆った。
「これで……いいの?」
「上出来です」
 ノエルは、まだ自信なげなレナを励ますように頷いてみせた。
 そこへカマエルの放ったシャドウフレアが降りそそぐ。光の防御壁によって多少は軽減できるとはいえ、膜を突き抜けた青黒い焔《ほのお》は執拗にレナとノエルの身体にまとわりつく。服が焦げ、肌が灼けても、ふたりはセリーヌの前を離れようとはしなかった。
「なるほど。テコでもそこを動かぬ気か。面白い。先にそなたたちから片づけてくれよう」
 カマエルの怒濤《どとう》の攻撃が始まった。強烈な冷気が渦巻いたかと思うと、紅蓮の炎が防御壁を包み込む。真空の刃がふたりを切りつけ、雷撃が身を打つ。矢継ぎ早に繰り出される呪紋の数々にも、ふたりは必死に耐えしのいだ。セリーヌの詠唱が終わるまでは。それまでは何がなんでも彼女を守りきらなくてはならない。
 カマエルは弄《もてあそ》ぶように様々な呪紋を片っ端からぶつけてくる。レナは徐々に薄くなる光の膜に絶えず紋章力を送り続ける。そのため彼女はほとんど無防備だった。容赦なく鎌鼬が切りつけていき、腕や脚に血が滲んだ。ノエルもセリーヌに降りかかる炎や氷の矢や真空の刃を懸命に振り払っていく。
 そうして、ついにセリーヌが動いた。目を大きく見開き、杖を高々と掲げて。
「エクスプロード!」
 カマエルの眼前で、急速に大気が凝縮される。
「ぬおっ! これは」
 呪紋の威力を予期したカマエルがその場を離れようと一歩退いた刹那、それは一気に膨張を始めた。熱を帯びた空気が覆面の老人を呑みこみ、爆発を巻き起こす。
「伏せて!」
 セリーヌがレナの肩をつかんで地面に押し倒した。横にいたノエルも既に伏せている。爆発は彼らの頭上でも起こっていた。轟音と爆音、そしてかすかに聞こえる老人の断末魔。爆風が生暖かい突風となって背中を吹き抜けていくと、ようやく辺りは静かになった。
 レナがおそるおそる顔を上げて前を見る。そこに嫌らしく口許を歪ませた老人の姿はなかった。まさに塵ひとつ残さずに吹き飛んでしまったのだろう。
「前よりは随分おとなしい爆発でしたね」
 それでも、ノエルがそんなことを言うのだから、レナはその「前」がどのくらいとんでもない爆発だったのか、想像しようとしてすぐに嫌になった。
「今回は爆発の範囲を調整してみたんですのよ。おかげで詠唱にさらに時間がかかってしまいましたけど」
 セリーヌは立ち上がり、まだ床に座りこんで放心しているレナにも手を貸して立たせる。それから、軽く抱きとめて、彼女に囁きかけた。
「ありがとう、レナ。こんなになるまで頑張ってくれて」
 それで緊張の糸がほぐれたのか、レナの瞳に涙がにじんできた。何気ないはずのセリーヌの言葉が、本当に嬉しく感じられた。
「おや。あちらはまだ戦っているのか」
 ノエルの視線の先には、サディケルと激しく打ち合うクロードたちの姿があった。
 同時に振り下ろされたクロードとディアスの剣を、サディケルは巧みに音叉で受け止める。ディアスは切り返して相手の横腹を抉るように振るったが、サディケルは躯を反転させて背後に避けた。そこを狙って放たれたクロードの空破斬は手前であっさり防がれた。
「なかなかやりますねぇ。さすがにメタトロンたちを倒すだけのことはある」
 さしものサディケルも軽く息をきらせ、疲れを見せている。
「このままもつれて泥仕合になるのはお互い望まないことでしょう。そろそろ決着をつけようではないですか」
「いいだろう」
 クロードは汗で額に張りついた前髪を払ってから、それに応じた。彼にしてもディアスにしても、これ以上戦いを長引かせるつもりはなかった。
 サディケルが速攻を仕掛けた。迎え撃つクロードとディアスは左右に散って斜めから斬り込む。サディケルはわずかに速いディアスの剣を跳躍して躱し、クロードと斬り結ぶ。何度か打ち合ったあと、クロードの頭めがけて音叉を振り抜いた。クロードは背中から倒れこむようにして避け、ついでに足払いをかける。足許を取られて体勢を崩すサディケルにディアスの剣が振り下ろされる。かろうじて音叉を差し出すものの、打ち合った衝撃で地面に尻餅をつく。そこをさらにクロードが斬りかかったが、サディケルはその信じがたいほどのバネを生かして後方に跳び退いた。
 劣勢で間合いを取ろうとするサディケルに対し、クロードとディアスはここぞとばかりに攻めたててくる。ふたりが一列になってこちらに向かうのを見ると、サディケルは音叉を突き出して音波を放ち熱風を繰り出した。前を走っていたクロードは跳躍してそれを躱したが、後ろにいたディアスはそこに踏みとどまった。
「なに?」
 目を見張るサディケルをよそに、ディアスは両手で剣を振りかざす。刃に炎が宿った。
「朱雀衝撃破!」
 振り下ろされた剣から燃え盛る朱の鳥が飛び立ち、音波と熱風に真っ向からぶつかっていった。焔の鳥は熱風を呑みこみ、音波をものともせずに突き進んでいく。
「くっ!」
 熱風を吸収して倍に膨れ上がった焔の鳥がサディケルに襲いかかる。彼は横に逃げようとしたが、反応が遅れて炎を浴び、熱風に舞い上げられる。それでも空中で体勢を立て直し、片膝をつきながらもうまく着地した。立ち上がり、相手の方を睨みつけようとして──背筋が凍った。
 クロードが、彼の背後にぴったりと寄り添っていたのだ。剣の切っ先を、脊椎《せきつい》のあたりに突き立てて。
「お前の負けだ」
 耳許でそう囁いて、クロードは腕に力を込める。刃が少年の幼い躯を貫いた。驚愕の色に見開かれた双眸が、みるみる光を失っていく。クロードが剣を抜くと、口から紅の華を咲かせて、サディケルは倒れた。
 十賢者の骸が音もなく消滅するのを見ると、クロードは剣を投げ出して、脱力したように座りこんだ。
「勝った……んだな」
 天を仰いで、自分で確かめるように呟いた。そこへ仲間たちも集まってくる。
「これで残るはあと四人ね」
「ああ。だが、まだ先は長い」
「気を引き締めてかかりませんと」
 クロードは剣を拾って鞘に収め、立ち上がってから言った。
「先を急ごう」


 八人は一丸となって塔を駆け抜けた。大きな広間があり、迷宮があり、ひたすらまっすぐ延びた長い通路があった。扉を潜り、トランスポートで移動するたびに、めまぐるしく部屋の様子が変化していった。石造りの部屋、木と紙でできた部屋、冷たい金属質の部屋──それはまるで、異なる世界のいろいろな場所にある建物の一部を切り取って、無雑作に塔の中に貼りつけたようだった。
 行く手には数多の魔物が待ち構え、彼らの前に立ちはだかった。大蜥蜴が炎を撒き散らし、胃袋のような気味の悪い生物が群れを成して押し寄せ、巨大な怪鳥が立ちふさがった。彼らはもはや躊躇《ためら》うことなく剣を振るい、呪紋をぶつけてそれらを退けていく。異形の塔の内部を八つの希望の星が疾風となって駆け抜けていったあとには、夥《おびただ》しい数の魔物の屍が累々と積み重なった。鋼の怪物が無差別に放つ銃弾を躱し、中身のない甲冑が投げつける剣を弾き返す。刃が鞭が拳が唸り、瞬時にしてがらくたの山を築く。なにものも彼らの侵攻を止めることはできなかった。

 そうして、数えきれないくらいの部屋を通っていき、何度目かの扉を開けたとき、突如として茫漠とした空間が広がった。
「ここは……?」
 そこは、見渡す限り真っ白な空間だった。白い大地に、白い空。空と大地を分け隔てる地平線のあたりがわずかに灰色味を帯びている以外には、見事に白一色の世界だった。まだ何も描かれていないカンバスの中に閉じこめられてしまったような気分だった。
「誰かいるぜ」
 ボーマンが、その白い景色の中心にいた二人組を見つけた。そいつらは、同じように腕を組んで、ニタニタと下卑た笑いを浮かべながらこちらを見ていた。



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【ひとくち解説】
 いよいよクライマックス突入。この章はほぼ全部バトルです。仕方ないけど。キャラの動きとか展開とか、果たして文章で表現できているのか一抹の不安はあります。
posted by むささび at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2009年01月29日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第四章(3)

   3 背中あわせの少女たち 〜ラクア〜

 ──フィリアよ。もうすぐだ。間もなく凡《すべ》てが終わる。我らは永遠の安息を得ることができるのだ。
 ──おとうさま。もはやわたしが何を言っても、あなたは耳を貸さないでしょう。でも、それでも、わたしはあなたを止めなければならない。

〈……余は我らの願望の目途《もくと》を胎内に宿し、また全ての崇高な喜悦の源の周囲を廻《めぐ》る天使なり……〉

 ──何故だ? 何故にお前はそうまでしてこの世界を救おうとする? 罪なきお前の命を、灯火を消すがごとく奪い去った、あの忌々しき世界を。
 ──違うのです、おとうさま。わたしが救いたいのは、あなたのことなのです。かつてのあなたは、この世界をとても愛してくださったではないですか。世界を愛し、世界と共に生きていたおとうさま。わたしの大好きなおとうさま。それが、どうしてこのようなことになってしまったのでしょう。どうかもう一度、この世界と共に生きていたあなたに戻ってくださいまし。

〈……天の淑女よ、汝が御子の後を追って至高天《エンピレオ》に入り、それをさらに聖化するまで余は汝が周囲を廻るであろう〉

 ──世界? お前のいない世界に、いったいどれほどの価値があるというのか? 私が愛したのはお前のいる世界。私の世界とは、フィリア、お前のことなのだ。それが叶わないのならば、世界など、そこらに漂う塵ほどの価値もない。消えてしまえばよいのだ。
 ──わたしはそのようなことは望んでおりません。これが最後のお願いです。どうか、わたしに免じておやめになって。

〈……かくも謙遜に余に請願し給う神聖なる妹よ。汝の赫《かがや》く愛もて余をかの美しき円環より解いたのだ……〉

 ──私は己が赦《ゆる》せぬ。お前を奪ったこの世界と、それに無力だった私が赦せないのだ。傲岸不遜《ごうがんふそん》な世界に裁きを下し、その贖罪《しょくざい》を全うすることが今の私に課せられた使命なのだ。
 ──ああ、ああ。どうしてこのようなことになってしまったのでしょう。おとうさまの怒りは灼熱の溶岩よりも激しく、哀しみは海の底よりも深い。もはやわたしでは止めることはできません。だれか、だれか、おとうさまを止めて。このままでは、すべてが終わってしまう。

 お願い…………だれか────。


 賑やかな石畳の道を、レナは名残惜しいように、ゆっくりと歩いた。すれ違い、追い越してゆく人々は、いつもと何ひとつ変わらない表情をして、ふだんと変わらない日常の中で動いているように見えた。十賢者がこの星を支配しようと暗躍していることなど、まるで知らないように。
 いや。本当は知っているのかもしれない。ただ、今さら騒ぎ立てたところでどうしようもないと開き直っているだけで。そう考えてから見ると、人々の表情にはどことなく、諦めにも似た感情が潜んでいるような気もしてきた。
 岩を避けて流れる渓流のように、自分の周りを流れる人々をつぶさに観察していたら、通りがかった年嵩《としかさ》の婦人に嫌な顔をされてしまった。レナは慌てて目を逸らして、横の衣料品店に視線を向ける。さほど大きくはないが、わりと見栄えのいい、小綺麗な感じの店だ。透明な硝子板の扉からそっと覗いてみると、明るい店内には所狭しとハンガーにかけられた上着やスーツやスカートが並べてあり、何人かの女性客が熱心にそれを選んでいた。彼女はその光景を、ちょっとだけ羨ましく思った。こないだ服を買ったのは、いったいいつのことだったろうか。一年前? それとも二年前? アーリアのゆったりと流れる時間の中で過ごしていた日々が、なんだかひどく遠い日のことのように思える。
 レナはこの場所に奇妙な違和感を覚えていた。なぜか、自分はここにいてはいけないような気がするのだ。人々が何気ない生活を送る空間。退屈すぎるほど平和な時間が流れる空間。そんなものから、ひどくかけ離れた存在に自分はなってしまったように思えてならない。この一年の間に、あまりにも色々なことがありすぎた。一生ぶん、いや百年ぶん、二百年ぶんの出来事をこの一年で経験してしまったようだった。
 だからかもしれない。こういう穏やかな日常にいた自分をうまく思い出すことができないのは。街中で自分と同じくらいの歳の娘を見かけるたびに、懐かしさを通り越してひどく哀しくなった。
 でも、それももうすぐ終わりだ。その終わりを、一体どのような形で迎えることになるのかは、誰にも予想のつかないことだったが。
 もし、この戦いが無事に終わったなら。レナは思った。私はアーリアに戻っているのだろうか。またあのゆったりとした時間の中で、平穏な生活を送っているのだろうか。
 けれど、そこにクロードは……。
 はっとして、レナは立ち止まった。誰かが自分を見ている。雑踏の向こうに、自分の知っている誰かがいる。姿が見えないのに、なぜか直感的にそれがわかったのだ。私はそのひとを知っている。ただ、それだけが。
 押し寄せる人の波の合間から、薄い絹のローブの裾が見えた。細く白い腕が、華奢な肩が、頭にかぶったフードが、人ごみを通して断片的に彼女の目に入ってきた。そして、ようやく人の波が途切れ、ふたりの間には何も遮るものはなくなった。レナとその女性は、正面から向き合った。
 女の顔は、フードをかぶっているためによくわからなかった。ただ、そのフードのついた薄紅色のローブには見覚えがあった。花の蕾《つぼみ》のような唇を見たとき、いつか、同じ口から語られた言葉をレナははっきりと思い起こすことができた。
『虚に包まれた幸福に身を埋めるか、寒風の中に肌を曝《さら》そうとも真実を求めるか』
 そうだ。あれはクリクでのことだった。街の壊滅を予言したあの女性。レナに奇妙な言葉を残したあの女性。それが、どうしてこんなところに?
 レナが茫然と見つめている間に、女はローブの裾を翻して、人垣の向こうへと歩き去ろうとする。
「待って!」
 レナはすぐに後を追って駆け出した。女は歩いている。走れば追いつけないはずはなかった。しかし、どれだけ人ごみをかき分けて走っても追いつくことはできなかった。女は一定の距離を保ちながら、まるで彼女を誘いだすように歩き続ける。雑踏の合間から見え隠れするフードを頼りに、レナは夢中で彼女を追った。
 そうして、気がついたら薄暗い路地に迷い込んでいた。人影のまったくない、うらぶれた小径だった。くしゃくしゃに丸められた新聞紙が、風に吹かれて横切る。道の真ん中でレナは立ち止まって、辺りを見回した。女性の姿はなかった。
 見失ってしまった。レナはため息をついて、今来た道を引き返そうと振り返り……息を呑んだ。
 彼女の背後に、いつの間にかローブの女がこちらを向いて立っていたのだ。
「あなたは……」
 レナは言葉を詰まらせた。女性はなにも言わずに、おもむろに右手でフードを払って頭から外した。血で染めたように濃い紅の髪がさらっと背中に落ちる。肌は透き通るように白い。薄手のローブを身につけているせいもあり、彼女の姿は消え入りそうなほどの透明感に充ちていた。
「レナさん、でしたね」
 桃色の蕾が開いて、彼女は鈴のような声色で言った。
「どうして私の名前を」
「あなたのことはずっと見ておりました。そう、ずっと前から……」
 そのとき、女の顔に微笑が洩れた。見ている方の息が詰まるほど美しく、完璧な微笑だった。
「わたしはフィリア。お察しの通り、クリクの街で崩壊を告げたのも私です」
「どうしてあんな予言を……いや、それよりも、クリクからどうやってここに来られたんですか」
 フィリアはそれには答えなかった。微笑が消え、僅かに瞳を伏せる。
「すべては父の仕業なのです。あの街の崩壊も、エクスペルの消滅も。そして今、父は全宇宙をも破滅に導こうとしています」
「宇宙の……破滅……?」
 どこかで聞いたことのある言葉だった。確か、ナールの説明の中で……。
「まさか……」
「崩壊紋章。あなたもその名は聞き及んでいるでしょう」
 レナは無意識に後退りをした。その紋章の存在を知っているのは、ナールに教えられた自分たちと十賢者だけのはずだ。つまり、このひとは……。
「あなたは……十賢者なの?」
 フィリアはやはり答えなかった。濃緑の瞳が小刻みに震えている。まるで、何かを堪えているように。
「……これだけは信じてほしいのです。わたしはあなたの敵ではないし、味方でもない。宿命《さだめ》の名のもとに動き、それに振り回される愚かな存在に過ぎません。不幸なひとりの男を救ってほしいがために、こうしてあなたの前に姿を現しただけなのです」
「不幸な、男……。それが、あなたのお父さんなんですか?」
 レナが訊くと、フィリアは真摯に前を向く。
「今の父をつき動かしているのは純粋な憎悪、純粋な哀憐《あいりん》。あまりにも純粋すぎるがゆえに、それらは危険な方向へと父を導いてしまったのです。今や全宇宙の命運は父の手に委ねられていると言っても過言ではありません。彼の意志ひとつで崩壊紋章は作動し、世界は完全なる無へと帰すのです」
「あなたのお父さんって……」
「もはや時間がありません」
 差し迫ったようにフィリアが言うので、レナは口に出かかった質問を喉の奥に押しやった。
「父を止めるにはあなたの助けが必要なのです」
「どうすればいいんですか?」
「わたしを、殺してください」
 レナの表情が凍りついた。
「……え?」
「父とわたしは別々の意識を持ちながら、同一の存在でもあるのです。わたしが消えれば、半身を失った父も同時に消滅するはずです。彼を……父を止めるためには、もはやこれ以外に方法はないのです」
「でも、そんな……どうして私が」
「父に制御されている以上、わたしは自ら死を選ぶことはできません。誰かにやっていただく必要があるのです。あなたを選んだのは……」
 言葉の途中で、フィリアの顔が一瞬にして青ざめた。緑の瞳は大きく見開き、口は息苦しいように喘いでいる。
「フィリアさん?」
 レナが呼びかけても、フィリアは何の反応も示さない。小刻みに震える膝を動かし、二、三歩背後に下がり、仰《の》け反るようにして天を仰いだ。
「お、とう、さま──!」
 呻くような声でそう言いながら、彼女の身体は少しずつ色を失っていく。薄紅色のローブも赤い髪も、緑の瞳や肌の色も桃色の唇も、彼女を構成していた色という色がことごとく褪色《たいしょく》し、白というひとつの色に同化していった。最後には、白い紙を人間のかたちに切り抜いたような姿になり、それもやがて、輝きとともに跡形なく消滅した。
 レナはその間、一歩も動くことができず、一言も口をきくことができなかった。フィリアが消えた後も、その場所を神妙に凝視している。そこからまた、誰かが出てくるのを待っているように。しかし、どれだけ待ってもそこからは、なにものも出現することはなかった。
 ……いったい、彼女は何者だったのだろうか。
 崩壊紋章と関係しているのなら、やはり十賢者の一味なのだろうか。それにしても様子がおかしい。
 殺してくれ、と彼女は言った。その言葉には、途方もなく深い哀しみばかりが秘められているようだった。しかし、緑の瞳はその真意を告げることなく消えてしまった。レナの胸の中には、澱《おり》のような蟠《わだかま》りばかりが残った。
 破滅を導こうとする父と、命を絶つことを願った娘。この父娘《おやこ》を引き裂いた大いなる悲劇を、彼女は程なくして、知ることとなる。


 セントラルシティのホテル『ブランディワイン』の一階には、バーがある。その名にちなんで造られたのか、それともこのバーがそのままホテルの名前の由来になったのかは、誰も知るところではなかったが。
 ロビーの横にひっそりと構えるその店はさほど広くはないが、見た目にも趣向を凝らしてある。いくつかの木製の机と椅子、それにカウンター。そこに立ってせっせと年季ものの瓶を磨くマスターは、短めの髪を整髪剤で固め、鼻の下と顎の先だけ髭を生やしている。背後には様々な色をした瓶が、いろんなラベルを貼られて棚にずらりと並べてある。天井から吊り下がった灯りは、丸い磨り硝子のカバーの中で満月のように茫漠と店内を照らし上げる。床はホテルと同じワインレッドの絨毯。壁のクロスは少し黄ばんでいたが、豪邸の壁紙にでも使うような上品な模様が描かれているぶん、やはり上品に古めかしい印象を与えてくれた。
「珍しいわね。あんたがこんなとこに来るなんて」
 カウンターに肘をつきながら、オペラが隣に座ったディアスに言った。彼女の前には底の広いグラスが涼しげに汗をかいている。
「マスター、オンザロックひとつ。こっちの人にね」
「はいよ」
 ディアスが無表情のままオペラを見ると、彼女は悪戯っぽく笑って肩をすくめた。
「まさか、飲めないってクチじゃないわよね」
 マスターがディアスの前に氷の入ったグラスを置き、琥珀《こはく》色のウイスキーを注ぐ。ディアスは軽く嘆息して、グラスを手に取った。
「今日は一人なのか?」
「エルのこと? 彼なら、ノエルと一緒にギヴァウェイに行ったわ。クロードもね。でも、ひとりってわけじゃないのよ」
 そう言って、オペラは顎で背後のテーブル席を示した。そこに向かい合って座っていたのは、ボーマンとセリーヌ。ボーマンの前にはゴブレットが、セリーヌの前にはチェリーの浮いたカクテルグラスがそれぞれ置かれてあった。
「なんだ。いたのか」
「いたのかはないだろ。ったく」
 ボーマンは赤ら顔をこちらに向けて苦笑した。向かいのセリーヌは、両手で頬を受け止めるように肘をついて、呆れたようにそれを眺めている。
「なぜギヴァウェイに?」
 ディアスはオペラに向き直って訊ねた。
「あそこの大学に、レイファスっていう学者がいたでしょ。ノースシティの図書館をハックしてるっていう。そのひとから呼び出しがかかったのよ」
「何かわかったのか?」
「さあね。でも、多分そうじゃないかしら。まったく、こんなギリギリになって、やっと連絡してくるんだから」
 ディアスはグラスに口をつけて傾けた。そして、黙って彼女の話を聞く。
「今日の午後にはラクアに行って、明日が決戦だって言うのに、間に合うのかしら。あたしだってそれなりには気になってるんだから」
「興味ないな。奴らの正体が何であれ、俺はぶちのめすまでだ」
「あら、そう」
 オペラは冷ややかな微笑を浮かべたまま、言った。
「だったら、こういうことだったらどうする? 十賢者のうちのひとりには、妹がいたのよ。それをネーデ人に殺されてしまって、その恨みで復讐してるとしたら?」
 ディアスは眉間に皺をつくり、彼女を睨んだ。オペラはやれやれ、と深い溜息をつく。
「あんたのトラウマは相当なものらしいわね。冗談よ。悪かったわね」
 オペラは悪びれる様子もなく、グラスの残りのウイスキーを飲み干した。ディアスは無言のまま、視線を正面に向ける。
「あら、レナじゃありませんの」
 テーブル席から声が上がった。ロビーを歩いていたレナがこちらに気づき、扉を開けてバーに入ってきた。
「あなたもどう? 一杯くらいならおごりますわよ」
 しかし、レナはぼうっとつっ立ったまま、机の上のあらぬ一点を見つめている。たった今、夢から覚めたばかりというような表情をして。
「どうしたの?」
 セリーヌに顔を覗かれて、ようやく作り笑顔を返す。
「いえ。なんでも……ないんです」
 そのとき、バーの扉を勢いよく開けてくるものがあった。クロードだ。
「みんな、いるか!」
「どうした、クロード? そんなに慌てて」
 呑気にそう言うボーマンに構わず、クロードはその場に全員が揃っているのを確認してから、真剣な顔をして言った。
「ギヴァウェイに来てほしい」
「今すぐ?」
「ああ。とんでもないことがわかったんだ」
 セリーヌが眉をつり上げ、ボーマンの酔いが一気に醒める。オペラとディアスは互いに顔を見合わせ、レナの胸は風に揺れる大樹のようにざわついた。
「とにかく、ギヴァウェイに来てくれ」
 高ぶった感情を抑えるようにして、クロードは繰り返し言った。

「必死になってトラップを解除して、やっとデータを閲覧できたかと思えば……まさか、こんな真実が隠されていたとはな」
 研究室の一角で、レイファスは腕を組み、装置の画面を睨みつけながら言った。レナたちは黙って次の言葉を待つ。
「……すまないな。私もいささか困惑している。何から話していいものか……」
「十賢者というのは、いったい何者なんですか?」
 レナの脳裏には、先ほどのフィリアと名乗った女性のことが残っていた。十賢者とは、そして、彼女はいったい何者なのか?
「彼らはネーデ人ではない。むろん他の星の人間でもない。ネーデの遺伝子工学が生み出した、人工生命体だ」
「人間を、造ったってのか?」
 ボーマンが信じられないように言った。
「遺伝子情報さえ揃えば、生命体を生み出すことなど容易いことなのだよ。遺伝子というのは簡単に言えば、生命体の姿や形状、性質などを記録した設計図のようなものだな。解析ができれば、それを書き換えることもできる。彼ら十賢者の遺伝子は、人間が持ちうる最大限の能力を引き出せるようになっている。つまり、設計図を書き換えることによって最強の人間を生み出したということだ」
「なんのために?」
 オペラが訊くと、レイファスは操作盤を叩いて画面を切り替えた。そこには『第一次十賢者防衛計画 立案書』とあり、そのあとは細かい文字の羅列が画面の下の端まで続いていた。
「三十七億年前、ネーデはその比類なき文明を駆使して周辺の惑星を配下に従えていた。正史では友好的な関係を築いたことになっていたが、実際には武力を盾にして半強制的にその支配下に置いていったらしいな。だが、どのような時代においても、そのような支配がいつまでも続いたためしはない。周辺の星々のネーデに対する反感は次第に高まり、それはネーデにとっても脅威となった。そこで彼らは、より強力な兵器でもってそれを鎮圧することを考えた」
「兵器?」
「それが、十賢者なのだよ」
 レイファスは画面から目を離さずに、続ける。
「当時のネーデには、ランティスという天才的な科学者がいた。ネーデ軍は彼に十体の生体兵器の作成を命じたのだ。『第一次十賢者防衛計画』と銘打たれたその計画は、ランティス博士の主導の下、すぐに開始され、そして十賢者は誕生した」
「ネーデ人が十賢者を生み出した?」
「そんな……人間の兵器だなんて」
 嫌悪するセリーヌをよそに、レイファスはさらに続ける。
「計画は順調に進行した。次々と生体兵器は完成し、それらは予想を遙かに凌ぐ性能を持っていた。このまま無事に計画が完了すれば、彼らによってネーデの平和は保たれることは間違いなかっただろう。……しかし、そこで思わぬことが起こった。博士の一人娘がテロの犠牲になったのだ」
「娘?」
 レナは驚いて訊き返した。
「ああ。ランティスにはひとりきりの娘がいたのだ。名はフィリア。妻を病で亡くしてからは、この一人娘を溺愛していたらしいな。……どうかしたのかね?」
「い、いえ。なんでもないです」
 レナは慌てて首を振った。胸の鼓動はしばらく治まりそうもない。
「当時はネーデ人の中にも周辺の惑星と内通している者がかなりいたらしい。十賢者の計画を嗅ぎつけた彼らは、その妨害のためにフィリア嬢を誘拐した。計画の中心的存在であったランティス博士を脅し、生体兵器の開発から降ろすためにな。しかしその途中、手違いでフィリア嬢は死んでしまった」
「手違い?」
「データの中にも『手違い』としかなかった。それ以上のことはわからないがね。……ともかく、娘を失ったランティス博士は突如、研究所を封鎖した。誰も入れない研究所の中で、博士は九人まで完成していた十賢者に新たな任務を与え、そして世に解き放った。任務とは、すなわち『全宇宙の破壊』」
「どうしてそんな命令を」
「さあな。娘を殺され、もはや発狂していたのかもしれん。自らの研究が元で命を失ったのだからな。やり場のない復讐心……その矛先をどこかに向ける必要があったのだろう。しかし、不幸なことに彼は天才的な科学者でもあった。彼の感覚では、人ひとりや組織や軍隊ごときでは何の復讐にもならないのだよ。星ひとつでさえも彼にとっては復讐の対象にはならない。自分の研究と等価なものでなくては復讐は成立しないと考えたのだろう。そうして最終的に彼が下した命令が『全宇宙の破壊』だ。……まったく。この感覚は常人には到底理解できないがね」
 レナもクロードも、誰も何も言うことができなかった。思うはひとりの天才の悲劇か。それともひとりの愚者の暴挙か。
「九人の十賢者は忠実に任務を遂行した。鎮圧にかかったネーデ軍はわずか数日で全滅寸前にまで追い込まれた。このままではネーデはおろか、宇宙のあらゆる星は十賢者によって消されてしまうことは必至だった。ところがあるとき、何の前触れもなく十賢者は攻撃を止め、博士のいる研究室に戻っていったのだ。ネーデ軍は不審に思いながらも研究室に突入したが、中に十賢者の姿はなかった」
「博士はどうしたんですか?」
「自殺していた。短剣で喉を突いてね」
「…………」
 レナはうつむいて、苦しそうに胸に手をあてた。
「のちの軍の調査でわかったことだが、博士は自殺する直前に十賢者をエタニティースペースに封印したらしいのだ。エタニティースペースのことは知っているね。時間軸の存在しない特殊な空間だ。死刑制度のないネーデでは重罪人がここに放り込まれる。この空間は中からは絶対に破ることはできない。しかし実際には十賢者はスペースを抜け出し、こうしてネーデに舞い戻ってきた。スペースに何か抜け穴のようなものがあったのか、それとも外部に抜け出すための鍵《キー》を残しておいたのか……今となっては知りようもないがね。
 話を戻そう。博士が自殺し、十賢者がエタニティースペースに放り込まれたことで、事態は一応の終息を迎えた。ただ、ここにひとつの気になる報告がある」
 レイファスは画面に別の文章を表示させた。画面の上端には大きな文字で『事後報告書』とある。
「それによると、研究所のコンピュータに、ランティス博士とフィリア嬢のものと思われる思考ルーチンの残骸が残っていたのだという」
「思考ルーチン?」
「要するに、人間のもつ思考パターンをコンピュータ上に再現させたものだな。これによってロボットや人工生命体に人格を持たせることも可能になる」
「それがいったい、どうしたってんだ?」
 ボーマンが訊くと、レイファスは操作盤で画面を動かしてから答える。
「ネーデ軍はこういう仮説を立てている。十賢者は最後の一体が未完成だった。そして、その一体も研究所に踏み込んだときには消えていた。つまり、博士は自分と娘の思考ルーチンをそいつに組み込み、完成させてから他の十賢者と同じようにスペースに放り込んだのではないだろうか、と。未完成だった十賢者の名はガブリエル。通称『最終破壊兵器』だ」
「最終、破壊兵器……」
「これがただの偶然と思えるか? 宇宙の破壊を望んだ博士の思考ルーチンが、究極の破壊兵器に組み込まれてしまったというのだ。博士はやはり全宇宙を滅ぼすつもりだったのだよ。自らの手で復讐を遂げるために、自分の分身を送り込んだガブリエルにすべてを託したのだ」
「でも、どうしてフィリアさんの思考まで?」
「さあな。フィリアと一緒にいたいという思いがそうさせたのかもしれん。しかしね、ここからは私の仮説になるのだが……私は、フィリアの存在こそが、エタニティースペースを解除する鍵《キー》だったのではないかと考えているのだよ」
「なんだって?」
 クロードが思わず声を上げた。
「私は以前、いつの時代のものだったかは忘れたが、複数の思考ルーチンを植えつけた人工生命体についての研究論文を読んだことがある。それによれば、複数の思考ルーチンを持った生命体は、何らかの状況や環境の変化によって、絶えず表層的な人格が入れ替わったという。ちょうど人間の多重人格のようにね。しかし、生命体と人間とでは、ある点において決定的に異なる特徴がみられた。すなわち人間の多重人格は、それぞれに別個の人格を持ってはいるが、それが『自我』という殻を破ることはできない。しかし人工生命体は違った。彼の人格──つまり思考ルーチンは、自我はおろか、時間や空間をも超越する能力を持っていたのだ」
「? どういうことですか?」
「たとえば、ある生命体にAとBという思考ルーチンを植えつけたとしよう。それぞれは不定期ながら、交代に生命体の表層意識として表れることになる。仮に、最初にAという意識が表れ、次にB、そしてまたAに戻ったとする。その過程を経たあと、彼にこう質問するのだ『Bの意識が表れていたとき、あなたはどこで何をしていたのか』とね。すると彼は、この部屋で自分を眺めていたと言う。同じようにBの意識のときにも質問してみる。それを何度か繰り返していくうちに、彼らは実にいろいろな場所に出かけていることがわかったのだ。街の大通り、山の頂上、海の上……場所だけではない。過去の出来事を見てきたと言えば、未来の出来事をずばり言い当てることもあった。片方の意識が自我に縛られている間は、もう片方の意識は時間的にも空間的にも自由な存在となっていたのだ」
「つまり、ガブリエルにフィリアの思考ルーチンも入れたのは、彼女の意識をエタニティースペースの外に出し、それを解除させるためだと?」
 エルネストが言うと、レイファスは頷いた。
「恐らくそういうことだろう。時間も空間も超越した存在ならば、エタニティースペースなど何の意味も為さないからな。ガブリエルという『自我』にランティスの意識が縛られている間に、もう片方の意識であるフィリアが、外からスペースを解除したのだろう」
「そこまでして……」
 レナはその後に続く言葉を口にすることができなかった。世界に対する復讐。自分に対する復讐。フィリアの哀しみの意味を、このときようやく理解することができた。
「それで」
 しばしの沈黙を破って、セリーヌ。
「ネーデはそのあと、どうなったんですの?」
「この事件を契機に、周辺の星々が一斉に蜂起を開始した。十賢者との衝突で大半の戦力を失ってしまったネーデ軍にこれを止める手だてはなかった。そこで……そう、ここで出てくるのが、エナジーネーデ移住なのだよ。長年ネーデの正史に疑問を抱いていた私としては、さもありなんという感じだな。自己の能力の封印だと? そんな綺麗事ばかりで自分たちの星を躊躇《ちゅうちょ》なく壊せるものか」
 そう言って、レイファスは自嘲的《じちょうてき》に笑った。どうして笑いだしたのかは、彼らにはわからなかったが。
「エナジーネーデ移住は、いわば隠れ蓑《みの》だったのだよ。周囲をクラス9のエネルギーで覆った人工惑星ならば、外部からの侵入は完全にシャットアウトされる。他星の脅威に怯えることもないわけだ。提案はすみやかに可決され、そしてネーデは破壊された」
「それでも、彼らにしてみれば相当な覚悟だったろう。自らの星を永久に失うのだから」
「本当にそう思うかね?」
 レイファスは嘲《あざけ》るような笑みを残したまま、クロードたちを見渡した。
「彼らは我々が想像する以上に狡猾《こうかつ》な人間のようだ。私にもその血が流れていると考えただけで虫酸が走るほどのね」
「狡猾……?」
「ネーデ破壊に際して、彼らはちゃんと『保険』を用意しておいたのだよ。……それが、四つの宝珠だ」
 クロードたちは息を呑んだ。
「宝珠って、僕らがそれぞれの場で取ってきた、あの宝珠のことですよね」
「あれには、やはり重大な意味が隠されていたのだよ。すなわち、時空転移シールドによる惑星ネーデの復活だ」
「なるほど……そういうことだったのね」
 オペラが唸った。
「星ひとつの時空間転移に必要なエネルギーを四つの宝珠に込めておいてから、彼らはネーデを破壊した。当時はまだ理論でしか証明されてなかった時空転移シールドが実用化されるまで……エナジーネーデはそれまでの期間を凌ぐための、かりそめの隠れ家に過ぎなかったのだ。シールドの実用化に成功した時点で、彼らは惑星ネーデを蘇らせ、再びそこへと戻っていくつもりだった。……しかし、彼らにとって誤算だったのは、シールドの実用化にはそれから三十億年もの歳月がかかってしまったことだ。悠久の年月がネーデ人の悲願を風化させ、宝珠の存在すら忘れ去られて、結局ネーデの復活はならなかった。皮肉なものだな。ネーデの悲願のために残した遺産が、今や君たちの希望となっているのだから」
 言い終えると、レイファスは疲れたように椅子の背にもたれかかり、顔をこちらに向けた。
「これで全部だ。ネーデの上層部は無用な混乱を避けるために情報管制を敷き、十賢者の件に関する資料はことごとく抹消された。そうしてできた歴史の空白部分を埋めるために偽の歴史をでっち上げ、それを正史と思い込ませたりもした。我々は今の今まですっかりそれに騙されていたというわけだな。唯一残されたこのシークレットファイルにしても、軍によって二重三重のプロテクトが施されていた。並大抵の警戒ではない」
「そうまでしても、知られたくなかったわけか……」
 うずたかく積み上がった歴史に押し潰された犠牲者。以前にレイファスはそう表現した。確かにそうかもしれない。十賢者こそ、歴史にないがしろにされた犠牲者なのだろう。
「……さて、次は君たちが決断するときだ」
 と、レイファス。
「この真実を知ってしまっても、まだ彼らに刃を向ける気概があるかね?」
 レナが、仲間たちがいっせいにクロードを見た。それぞれの想いを胸にして。
「戦いますよ」
 クロードは、きっぱりと言った。
「たとえ彼らがどんな存在であったとしても、僕らには僕らの信念があります。それは絶対に曲げられないし、曲げてはいけないんだと思います」
 それが、真実を知った後での彼の覚悟だった。


 ラクアに到着すると、八人はすぐに会議室へと向かった。
「お待ちしておりました」
 ナールは彼らを出迎え、それぞれ席に着かせた。
「十賢者のうち三人は、すでに倒したそうですね」
「ええ……」
 生返事をするクロードに、ナールは首を傾げた。
「どうしました? 何かあったのですか?」
「え、いえ、なんでもありません。少し疲れているだけです」
 ──十賢者の真実を、はたしてナールに話すべきだろうか。
 彼らは悩んだ。そして結局、何も話さない方がいいだろうということになったのだった。ずっと偽のネーデの歴史を信じてきた者にとっては、その事実は容易に受け入れられるものではない。事実を話し、納得してもらうには、あまりにも時間がなさ過ぎた。
「そうですか……。それでは、私の無駄話もそこそこにして、今日のところはゆっくり休んでいただきましょうか。フィーナルへの再突入は、明日の朝に決行します」
「明日、か……そこで、全ての決着がつくのね」
 誰に言うでもなく、オペラが呟いた。他の仲間も言葉にはしなかったものの、あるものは表情を引き締め、あるものは目を細めながら、これまでのこと、そしてこれからのことに想いを馳せているようだった。
「それでは、最後のラクアの夜を、どうぞゆるりとおくつろぎください」

 ナールにはそう言われたものの、実際、くつろげるはずがなかった。すっかり闇に包まれた部屋のベッドに潜り込んでから、レナは数えきれないくらい何度も寝返りを打った。殺してくれと懇願したあの女性のことを、怒りと哀しみに我を忘れ、破滅へと突き進もうとする父親のことを思うたびに、眠気はどんどん遠ざかる。寝返りを打つのにも疲れると、レナは仰向けになって窓から見える半月をぼんやりと眺めた。
 ざぁ……ん。ざざぁ……ん。寄せては返す波の音が、静寂の彼方から彼女を誘うように聞こえてくる。
 どうせここにいたって眠れないのだから。と、レナは掛け布を剥いで起きあがった。海を見に行こう。
 外に出ると、ひんやりした風が頬を掠めていった。昼間は汗ばむくらいに暖かかったのに、夜は随分と冷えこむようだ。強風でくしゃくしゃになった髪を押さえながら、海岸へと降りていく。
 海岸は、ラクアの建物の裏手にある。ごつごつした岩ばかりが続く道を抜けると、いきなり前方に砂浜が広がった。横手には濃紺の海。空を振り仰げば明るい月と、こちらを見つめているように瞬くたくさんの星。夜の海岸は、昼よりもずっと広く大きく、そして深かった。
 レナは靴を脱いで、裸足で乾いた砂浜を歩いた。踝《くるぶし》まで砂に埋まる感触が心地いい。しばらくざくざくと砂を踏みながら歩いていくと、少し先の砂浜にひとつの人影があるのに気づいた。月明かりに照らされた金髪が風に揺れる。膝を投げ出し、両手を砂の地面に突いて、一途に水平線の先を眺めているようだった。
 さらに近づくと、彼もこちらに気づいて振り返った。闇の中で、金髪がはっとするくらい鮮やかに輝いていた。
「やあ、レナ」
 クロードは特に驚いたふうでもなく、軽く声をかけてきた。
「眠れないの?」
「うん、ちょっとね……。クロードも?」
 レナが訊くと、クロードはわずかに首を傾けた。同意とも否定ともとれる仕草だった。
「どうなのかな? 眠れないというより、眠りたくないっていう感じかもしれない」
「なによ、それ」
 レナは彼の横に膝を抱えて座った。クロードはうっすらと笑みを浮かべながら、空を見上げる。
「なんだか、自分でもよくわからないんだ。夢から覚めたら、ここに座っていた、みたいな」
 星がひとつ流れた。半分だけの月は、周りの星に励まされるようにひっそりと世界を照らしている。この月も星もすべてつくりものだということはレナにもわかっていた。でも、そんなことはどうだっていい。自分が思えば月はそこにあるのだし、星は流れるのだ。
「明日のことを考えてるの?」
「ん? まあ、そりゃ、ちょっとは。最後だからね」
 最後。クロードの口からその言葉が出ると、レナは急に不安になった。
「ねえクロード。十賢者と戦うのって、やっぱり恐い?」
 気持ちを紛らすように、レナは思いついた質問をクロードにぶつけてみる。
「恐いよ」
 思いがけず真面目な答えが返ってきたので、レナはどきっとして彼の顔を見た。
「今度だけじゃない。僕はいつだって怯えながら戦ってきた。まだ旅を始めたばかりの頃に、セリーヌさんに怒られたことがあったよね。戦うことに後込《しりご》みしてどうする、って。今の僕だって、あのときと大して変わっちゃいないんだ。戦いに怯え、戦う自分に怯えてきた」
「でも、クロードは強くなったわ。そのことはみんなも認めてるはずよ。ディアスだって」
「それは、みんなのおかげだよ」
 クロードは言った。
「僕の力は、僕ひとりの力じゃない。みんながいたからこそ、僕は強くなれた。みんなが信じてくれたから、僕も信じることができた。きっと、僕ひとりでは何もできなかったと思うよ。ずっと暗闇で、がたがた震えて怯えていただけだったろうな」
「クロード……」
 レナが切ないような表情で見つめていると、不意にクロードがこちらを向いた。
「どうしてそんな顔してるの?」
「……え?」
 きょとんとするレナに、クロードは笑いかけた。
「昔はそうやってひとりで悩んでいた。でもね、この頃思うんだ。そういう『弱さ』もぜんぶ含めたのが、僕自身なんじゃないかって。昔は弱い自分を言い訳にして、逃げてばかりいた。けれど、今はもう、自分に嘘をつくことはやめた。僕は弱い人間だ。だからこそ、みんなと一緒に強くなれた。それが僕なんだ」
「私だって……みんなに、あなたにたくさん勇気をもらったよ」
 レナは自分の膝に視線を落とす。見つめられているうちに、顔が火照ってきたのだ。
「ひとりきりじゃ絶対にくじけていた旅も、みんなといっしょだからここまで来られた。ひとりきりじゃどうにもならないことも、みんながいたからできてしまった。ずっとひとりぼっちだった私には、それがとても嬉しかったの」
「君は決して、ひとりじゃないよ。そのペンダントがある限りね」
「うん……わかってる。あなたが教えてくれたんだよね」
 風がふたりの間を通り過ぎ、後ろの椰子の木を揺らした。レナは横からそっとクロードの身体に腕を回し、片側の頬でその胸のぬくもりを感じながら、囁きかける。
「ありがとう、クロード。あなたが私に勇気をくれた。お母さんの手がかりがなくて、ずっと心細かった私を、あなたは励ましてくれた。ううん、言葉だけじゃない。それよりももっともっと、あなたと私を結びつけてくれるもの……あなたの『想い』が、私をなにより勇気づけてくれた」
「……レナ」
 クロードの手がレナの青い髪に触れる。胸の奥がみるみる熱くなっていくのを彼女は感じた。もう、躊躇わなかった。
「今なら言える……。大好きよ、クロード」
 レナは顔を上げた。クロードの顔が間近にあった。その青く澄んだ瞳をしばらく見つめてから、彼女はゆっくりと目を閉じた。瞼に閉ざされた世界の中で、とくん、とくん、と自分の胸の鼓動ばかりが響いてくる。
 クロードの前髪が額にかかった。そして、唇に彼の感触が伝わる。温かく、優しい口づけだった。
 彼の顔が離れると、レナは目を開けて、もう一度静かに抱きしめた。頭の中はなんだかひどくぼうっとしていた。胸の熱さが頭に伝染してしまったのだろうか。こうして彼に抱かれているだけで、ひどく心地いい。このままいっしょにいたい。ずっとずっと、いつまでも……。
 背中に柔らかい砂の感触があっても、レナがそれに気づくことはなかった。こちらを見つめてくるクロードに微笑みを返し、そこでふたたび唇を交わした。


 波は、暗い海の向こうからいくつもやってくる。それは海岸にたどり着く前に崩れ、ただの塩からい水となって、白い泡とともに砂浜に打ち上げられる。やってきては、崩れて、またやってきては、崩れる。そんな無意味ともとれるような動きを、海は飽きることなく続けているのだ。
 海面に立つ小波《さざなみ》は月の光を受けて、一面に煌《きら》めいている。小さな波が孕むその一粒ひとつぶの光は生命の誕生を思わせた。あのずっと沖にある波もだんだんと大きく膨れ上がり、いつしかこの海岸までやってくる。まるで抗えない運命のように。
 クロードとレナは海岸線に沿って歩いていた。クロードが先を歩いて、その背中をレナが追う。ふたりが歩いたあとには、二組の足跡が湿った地面に点々と残った。
「ねえ、ひとつ聞いていい?」
 レナが声をかける。クロードの歩みがわずかに緩んだ。
「なに?」
「その……この戦いが終わったらのことなんだけど」
 言いながら、レナは少し後悔していた。訊かないほうがよかったかもしれない。
「クロードは、やっぱり自分の星に帰っちゃうの?」
 クロードの足が止まる。しかし、返事はなかった。
「帰っちゃうのね?」
「…………」
 口を閉ざしたまま、下を向くクロード。
「私が引き止めても、いっしょにエクスペルで暮らそうって言っても、だめなの?」
 身じろぎひとつしない彼に、レナはだんだん焦ってきた。はちきれそうな感情を必死にこらえながら、幅の広い肩に手をかけて、額をその背中につける。
「お願い……行かないで。ずっといっしょにいて……」
 レナの声は震えていた。肩にかけた腕も、力なく落ちて何もない空をつかむ。
「……母さんを、ひとりにはしておけないんだ。だから……」
 そう呟いたきり、クロードは口を噤《つぐ》んでしまった。
 波がふたりの足許を洗い、足跡も消していった。



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【ひとくち解説】
 冒頭のガブリエルとフィリアは……ピサロとロザリーですね、ぶっちゃけ。
 十賢者の真実については、こっちで多少、脚色を加えてます。ちょっと強引に結びつけているところもあるけど、とりあえず辻褄を合わせようと頑張りました(笑)
 レナとクロードは相変わらず赤面モノです。何か微妙に怪しい雰囲気だけど、よい子は気にしてはいけません。はい。
posted by むささび at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2009年01月22日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第四章(2)〈続〉

 眼光ばかりが真紅に輝く両の瞳。背中に担いだ二本の筒のような奇妙な装置。枯木のような全身を覆うのは、皮膚のように身体にぴったりと合った銀と水色の薄いスーツ。そいつはさながら異世界の悪魔だった。ファンシティが夢の楽園ならば、男は楽園に舞い降りたおぞましき悪夢──さしずめ、そんなところだろう。
 ジョフィエルは石畳の広場で殺戮《さつりく》を満喫していた。我先にと逃げ出す者の背をかたっぱしから光線で貫き、逃げきれずに命乞いをする者にも一片の同情も見せず、光弾で焼きつくす。彼にとって殺人は快楽だった。血と肉の焦げる匂いは甘美な陶酔をもたらし、人間どもの阿鼻叫喚は心地よい興奮を喚起させる旋律となるのだ。石畳が血に染まり、累々と屍が積み重なっていくのを見ては、彼はこの世のものとは思えない声色で哄笑《こうしょう》するのだった。
 入り乱れて逃げまどう人々の中、一組の母娘が、男に突き飛ばされて転倒した。不運にもそれがジョフィエルの目にとまった。地面に座りこんでがたがたと震える母娘の前に、さっと死神のごとく降り立つ。
「親ガ死ネバ子ガ悲シム。子ガ死ネバ親ガ悲シム。サテ、ドチラガヨリ悲劇的ナノカ……」
 どちらを先に殺すかで迷っていたジョフィエルに、母親が涙ながらに懇願した。この子だけは助けて。お願い。その腕に抱く子はようやく言葉を覚えたというくらいの幼さで、母もまだ少女と呼べそうなほどの歳だった。
「無理ナ相談ダナ。オレノ目ニ入ッタ人間ハ残ラズ抹殺スル。……ヨシ、決マッタ」
 ジョフィエルが掌から光弾を放った。それは母親の身体を包み込むと凄まじい高温となり、華奢な肉体は無残に灼かれた。服が瞬時に焼失し、皮膚が剥がれ、髪は黒いタールのようにどろどろに溶ける。絶叫を上げた口の中で白い歯が見る間にぼろぼろと抜け落ちる。血と焦げた肉とで赤黒く染まった顔は、もはや先程までの面影は微塵も残されていない。瞼もそげ落ち、むきだしになった眼球ばかりがカッと天に向かって見開かれている。
 得体の知れない肉の塊となってしまった母を、娘はきょとんとして見つめていた。何が起こったのかも理解できない。理解するにはその子は幼すぎた。さっきまで自分を抱いてくれていた母親が、ぶよぶよの赤黒い塊に変わってしまったことへの衝撃。そのあまりに大きく、突然すぎた衝撃に娘は感情すら逸してしまったのだった。
「人間ナンテ、一皮剥イテシマエバコンナモノヨ。ドウダ、コレガオマエノ母親ダ。醜イダロウ?」
 歩み寄るジョフィエルに、娘は笑いかけた。笑ったのだ。摘まれようとする一輪の花がみせる最後の美しさ、そして儚さのように。
「案ズルナ。オ前ハモットマトモナ死体ニシテヤル」
 ジョフィエルが娘の頭に手を置いた、そのとき。
「グェッ!」
 衝撃波がジョフィエルの横から炸裂した。突き飛ばされたジョフィエルは、すぐに起きあがってそちらを見る。衝撃波を放ったのは、水色の長髪を振り乱した男。ディアスだった。
 まだ茫然と地面に座りこんでいる娘を、レナが駆け寄って抱き上げた。セリーヌやボーマンたちも背後からやって来て、ジョフィエルを取り囲む。
「随分と派手にやらかしてくれたな」
 ディアスが言うと、ジョフィエルは口許だけを三日月のかたちに歪ませて、笑った。
「オ前ラ、オレノ楽シミノ邪魔ヲスル気カ?」
「楽しみだって……これが、楽しみだって……?」
 石畳に散乱する骸。立ちこめる死の匂い。レナの腕の中の娘は、まるで別の世界の出来事を見ているように、焦点のずれた瞳でその光景を眺めていた。怒りと深い哀しみに、レナは肩を震わせた。
「……許さない……ぜったい、許さない!」
 仮面に張りついたような笑いを浮かべるジョフィエル。彼らは散開した。
「うおらっ、行くぜ!」
 景気のいい声を発してボーマンが殴りかかった。だがジョフィエルは空中に浮かんであっさりと攻撃を躱した。そして頭上から光弾を叩きつける。慌てて避けるボーマン。光弾は彼が立っていたあたりの床にぶつかり、石畳が真っ赤に溶けて大きな窪みをつくった。
「ひえ……こりゃ、まともに食らったらアウトだな」
 蒸気をあげて黒く固まる地面を目の当たりにすると、ボーマンは背筋に寒いものが走った。
 ジョフィエルは下卑な笑い声を立てながら、空中から次々と光弾を投げつけてきた。彼らは必死になって地面の上を逃げ回る。光弾が地面を貫き、すでに黒焦げになった骸をもふたたび灼くと、あたりは異様な臭気と煙に包まれた。ジョフィエルはその光景を眺めては無碍《むげ》に笑いだす。お気に入りの玩具で遊ぶ無邪気な子供のように。
「ケケケケ、イイゾ。モット苦シメ。ソシテ死ンデシマエ……ン?」
 ジョフィエルの頭上に影が落ちた。見上げると、白昼の陽光を遮って、ディアスが目前で剣を振り上げていた!
「グエェッ!」
 ディアスの剣はジョフィエルの細い右腕を付け根から斬り落とした。そのショックで落下しかかったが、どうにか持ち直して宙に踏みとどまる。そして地面に降り立ったディアスを憎々しげに見返す。
「グオオオォッ!」
 ジョフィエルは半ば逆上しながら光弾を投げつけた。ディアスはそれを躱そうとはせずに、渾身の気合いを込めたケイオスソードでそのまま弾き返してしまった。ジョフィエルは自らが放った光弾を腹に食らい、甲高い悲鳴を上げた。
「ク……クソ……フザケヤガッテ。コノオレヲコンナ目ニ……」
 ジョフィエルの鈍い光沢を放つスーツは高熱で溶けかけ、斬り落とされた腕の付け根からはどす黒い血が流れ出ていた。魔物以外でこのような色をした血を見たのは初めてだった。
 痛みと屈辱とで錯乱したジョフィエルは、手当たり次第に光線を撒き散らし始めた。鋭く放たれた光線は地面や周辺の建物の壁を砕いた。しかし狙いすましたわけではないので、それほど恐くはない。手近に来た光線を確実に避けていって、彼らは隙をうかがった。
 と、不意をついてエルネストが動いた。鞭を大きく振り上げると、その先端が空間に呑みこまれるようにフッと消えた。そして次には遠く離れたジョフィエルのすぐ背後に出現し、その胴体に幾重にも巻きついた。ジョフィエルは藻掻いたが、引きちぎろうとすればするほど鞭は細身の身体をきつく縛りつける。
 エルネストがもう一度鞭を振り上げる動作をした。連動してジョフィエルを縛っている鞭も躍り上がり、彼は空中に舞い上げられ、そして地面に思いきり叩きつけられた。二度、三度としつこく叩きつけているうちに鞭が緩んで、ジョフィエルはなんとか抜け出すことができた。ところが、次にはオペラが放った光弾に襲われる。弾はすぐ手前で破裂し無数の光の筋になると、蜘蛛の糸のようにジョフィエルにぴったりと張りつき、動きを封じた。
「悪いけど、もうちょっとだけ大人しくしてもらうわよ」
 オペラはそう言って、背後を見た。ボーマンも、エルネストも、そのほうを向いた。
 たった今、詠唱を終えたばかりのセリーヌが、そこに立っていた。
「汝を裁くは神聖にして崇高なる十字星座。汚れしその身を浄化するは必定の理」
 何事かわめき散らすジョフィエルに、セリーヌは凛然《りんぜん》と杖を翳《かざ》した。杖の先についた紫の宝玉が激しく輝く。
「サザンクロス!」
 昼間の青空に十字星座が浮かび上がった。それはすぐに形状を崩し、流星となって地上に落ちてきた。七色の尾を曳きながら、まっしぐらにジョフィエルの頭上へと。もちろんそれは実際の隕石ではなかったのだが、想像以上の威力を予感して、彼らは慌ててその場を離れた。
 流星は地面を大きく抉った。土砂と隕石の破片と白い焔が一緒くたになって周囲に飛散する。大地を揺るがす鳴動。鼓膜を突き破りそうなほど物凄い轟音。衝撃の波動はその場を中心としてファンシティを呑みこみ、ネーデ全体をも震撼させた。
 ひとしきり流星が降り注いだ後には、地面に深い擂鉢《すりばち》状の窪みができていた。彼らは窪みの縁に歩み寄る。中心には、細身の男が横たわっていた。服は破れ、ところどころ黒い斑点のような焦げ痕が浮き出て、気味の悪い人形のように打ち捨てられている。息絶えたのかと思った矢先、その片方だけの腕が動いて、身体をのろのろと起こした。
「コンナ……コンナハズデハ……ナゼダ……理解不能……」
 ディアスが窪みの底へと降りていく。その姿を見つけたジョフィエルは、全身を痙攣《けいれん》させておののいた。
「ヒッ……ク、来ルナ!」
 地面に座ったまま、ずるずると後退りするジョフィエル。その前に、ディアスが立った。
「案ずるな。お前はもっとまともな死体にしてやる」
「ヒイイイイィッ!」
 背を向けて逃げ出そうとするジョフィエルの首を、ディアスは無表情のまま斬り落とした。首は彼の足許にゴトリと落ちて、そして胴体とともに消滅した。
 ディアスが窪みから上がってくると、その場所では、レナがあの母親を殺された娘を前に立たせて、話しかけていた。
「ねえ、ママは?」
 娘がそう訊いてきたとき、レナは返す言葉を失った。
「あそこにいるの、ママでしょ。ねえ、どうしちゃったのかな、ママ」
 娘はすでに窪みができて、なくなってしまったはずの地面を指さして、言った。瞳に力はなく、どこか恍惚《こうこつ》としていて、ものを見ている感じではない。あまりにも惨たらしい事実を、娘の意識は受け入れられずに拒絶し、その結果、彼女は光を失ってしまったのだろうか。
 レナは娘を強く抱きしめた。それ以外に、この娘にいったい何がしてやれただろうか。ただひたすら、その小さな身体を抱きとめる。
「レナ……まだ、戦いは終わってない」
「……うん。わかってる」
 レナは娘を放し、立ち上がった。
「ひとまずこの子は、係員に預けてきましょう。……ほら、こっちだよ」
 ノエルは娘を抱えて、街の中央にある建物へと向かっていった。
 その姿を見送ってから、ふと視線を横に向けると、ディアスと目が合った。ほんの少しだけ愁いをにじませた表情が、そこにあった。彼がどんな気持ちであの娘を見ていたのか、レナにはよくわかった。
「みんな、無事か!」
 ちょうどそのとき、闘技場の建物からクロードが駆けつけてきた。
「クロード、あの十賢者は……」
 レナがおずおずと訊ねると、クロードはしっかりと頷き返した。
「ああ。倒したよ」
「よしっ、さすがは俺が見込んだ男だ!」
 ボーマンは興奮気味に拳を振り上げる。
「これでふたり片づけたわけだが……ところで、あとひとりはどこへ行ったんだ?」
「さあ?」
 彼らは耳をすませてみたが、ファンシティの街は不気味なほどに静まりかえっている。逃げきれたものはとっくに避難しており、逃げ遅れたものはこうして物言わぬ骸となり果てているのだから、当然といえば当然なのだが。
「この街にはもういないのか?」
「そういえば、『先程の女を追う』って言ってましたわね」
「女?」
 彼らは顔を見合わせた。女?
「……まさか、ミラージュさん?」
「え?」
 レナの言葉に、クロードは驚いた。仲間たちも怪訝な顔をしている。
「ミラージュさんって、女だったのか?」
「私もずっと男のひとだと思ってたのだけど、もしかしたら……」
「あれが、女?」
 ボーマンが半笑いのような複雑な表情をみせる。
「…………」
 不自然な沈黙がその場に流れた。けれども、今はそれどころではない。いち早く正気に返ったクロードが叫ぶ。
「とっ、とにかく、アームロックだ!」


 彼らはそこでまた、唖然とする羽目になった。宇宙が終わるか否かの瀬戸際には、何が起きても不思議ではなくなるのかもしれない。
 アームロックに着いた一行は、街の人々の目撃情報をもとに、半信半疑のまま、『やまとや』という喫茶店の扉を潜った。そこで、すこぶる珍妙な光景を目にすることになる。
 ミラージュが、十賢者を相手にくだを巻いているのだ。
「だいたいさァ、市長も人使いが荒いんだよ。俺は武器の製作のために二日も徹夜したってのに、礼金もなけりゃ、奴自身も姿を現さねェときたもんだ。いったいアレは何様のつもりだァ?」
 ミラージュは火照った顔を冷ますように水をごくごくと飲んで、グラスの底を机に叩きつけた。向かいの席にはメタトロンと呼ばれていた十賢者が、甲冑をつけたまま居心地の悪そうに座っている。膝丈スカートの女性店員たちは銀色の盆を抱えたまま、取り巻きにそれを眺める。
「う……うむ。よくわかった。ぬしもそれだけ喋れば悔いはないだろう。そろそろ始末させてもらう……」
「あーッ! わかってない! あんた、全然わかってねェよ。いいからそこに座んな」
 席を立ちかけたメタトロンを、ミラージュが無理やり座らせる。彼女の倍近くもある(それもいかめしい鎧兜をつけた)大男が、それに素直に従ってしまうのだから、滑稽を通り越して、気味が悪い。
「あんただって、そのルシフェルとかいう、いけ好かない上役がいるんだろ? だいたい俺たち下々の人間ってのはな、上の連中からすればせいぜい体のいい操り人形か、もしくはチェスの駒だ。その程度にしか思われてないんだよ。あんたもな、そのでっかいオツムに入ってるのが八丁味噌じゃないんなら、考えることはできるだろ。訳もわからないまま上司にこき使われて、それであんたは満足なのかい? ……おっと。何だ、あんたら来てたのか」
 そこでようやく、入口に突っ立っていたクロードたちを見つけた。
「ミラージュさん……何やってるんですか?」
「何やってるように見える?」
 ミラージュは不敵に微笑した。
「……すみません。僕らには理解できそうにもありません……」
 なんだかひどく疲れたように、クロードが言った。
「きっ、貴様ら、なぜここに」
 メタトロンは焦ってがたがたと席を立つ。何やら下手な猿芝居のようである。
「まさか、ザフィケルたちを倒してここまで来たというのか?」
「次はお前の番だ。覚悟しろ」
 クロードは剣を抜いてメタトロンに突きつける。……が、いまいち決まらない。切迫した場面であったはずなのに、ミラージュのおかげですっかり緊張感がなくなってしまった。
「ふっ。愚かな。思い上がりもはなはだしい。奴らを倒していい気になっているようだが、この私がその鼻っ柱をへし折ってやろう」
 メタトロンはそう言うと、窓際の壁に立てかけてあった剣と盾をいそいそと身につけ始める。思わず店員から失笑が洩れる。
「あ〜、ちょっと待った」
 と、ミラージュが突然、口を挟んだ。
「ドンパチは表でやってくれよ。ここは俺も気に入ってる店なんだからさ。……いや、表もまずいな。どうせなら、街から出て何にもない場所でやってくんないかな。俺にも一応近所づきあいってのがあってね。『ミラージュさんの知り合いがうちを壊した』なんて訴えられた日にゃ、俺も荷物まとめてここを出ていかなきゃならんかもしれないわけよ」
「……は、はあ……」
 クロードはメタトロンを見た。兜の目庇《まびさし》のせいで表情は見てとれなかったが、たぶん、情けない顔をしているのだろう。
 宇宙でいちばん強いのは、もしかしたら、彼女かもしれない。

 アームロックから少し離れた見渡しのきく草原で、彼らはメタトロンと対峙した。結局、最後までミラージュの言いなりになってしまったのだから、メタトロンも立つ瀬がない。
「さて……茶番はここまでだ。相容れないものは始末するのみ」
 その茶番をさっきまで演じていたのは誰なんだ、とクロードは内心思った。あえて口にはしなかったが。
「ザフィケルやジョフィエルを倒したその実力、見せてもらおうか!」
 口火はディアスが切った。草原を一陣の疾風のように駆けて相手に斬りかかる。しかし、刃はメタトロンに届く手前で見えない壁に弾かれた。続いてクロードも攻撃を仕掛けたが、やはり壁に阻まれる。エルリアの塔での戦いとまったく同じだった。
「それだけか?」
 メタトロンは泰然とそこに立ったまま、剣を横に薙いだ。跳躍して躱すディアスとクロード。
「そんな。反物質が通用しない?」
 クロードはそこから空破斬をぶつけてみたが、やはり衝撃波はメタトロンの手前で消滅する。
 ノエルがマグナムトルネードを唱えた。メタトロンを中心として大気が渦を巻き、一気に天に向かって流れだした。だが、吹き荒れる暴風の中でも彼の身体はびくともしない。ボーマンが丸薬を投げつけ、オペラが銃を撃ちまくり、エルネストが鞭から電撃を放っても、結果は同じだった。
「それで終わりか?」
 メタトロンは涼しい声色で言った。
「では、次はこちらから行かせてもらうぞ」
 甲冑が動き出した。重装備のくせに動きは恐ろしく俊敏だった。クロードがそれに立ち向かう。片手で軽々と振り回す剣にクロードは翻弄され、受け流すのがやっと。そもそも、あの見えない壁が存在する限り、反撃は無意味なのだ。策もないまま、クロードは怒濤の攻撃を受け止め、躱し、どうにかやり過ごしていく。
「どうすればいいの……。やっぱり、あのひとを倒すことはできないの?」
「いや、そんなことはないね」
 背後から馴染みのある声がして、レナは驚いて振り返った。
「ミラージュさん、いつの間にそこにいたんですか?」
「俺がこんな面白い戦いを見逃すはずがないだろ。勘定を済ませてから、あんたらの後を追ったのさ」
 ミラージュはいつものように飄々と言った。先ほどの絡み口調ではなかったので、レナは少し安心した。
「あいつのガード機能にはタイムリミットがある。恐らくもうちょっとしたら消えるだろう。そこから再び『壁』を作り出すためには、わずかだけどチャージ時間がかかる。狙いどころはそこしかないだろうね」
「どうしてそんなこと知ってるんですか?」
「あいつから直接聞いたんだよ。さっきね」
 ニヤリと笑うミラージュに、レナは呆気にとられた。
「それより、問題なのはそこから先だ。たとえガードが解除《キャンセル》されても、チャージの時間に一気に畳みかけないと、またガードを張られてしまう。『壁』ほど万能じゃないにしても、あの重装備だ。そう簡単にはダメージを与えられないと思うよ」
「『壁』が消えてるわずかな間に、倒さなきゃならない……」
 仲間たちは戦いの渦中にいる。今それができるのは、自分しかいない。レナは決心した。
 彼女はまず、近くにいたディアスに呼びかける。
「ディアス。ぎりぎりまであのひとを引きつけておいて。お願い」
 レナがそんなふうに指示をすることなど初めてのことだったので、ディアスは眉をつり上げたが、すぐに詠唱にかかるレナを見ると、心の中で諒解してメタトロンの許へと駆けていった。
 クロードひとりを集中して標的にしていたメタトロンだったが、そこへ突如ディアスが加わって、動きはいよいよ激しくなった。防戦一方の彼らを翻弄するように剣を振り下ろし、叩きつけ、薙ぎ払う。彼らの攻撃はにべもなくはねつけられ、自分たちはこの『壁』を相手にしているのか、それとも向こうの甲冑の男を相手にしているのか、それすらもわからなくなりそうだった。
 しかしそのとき、ひゅうんと何かが萎《しぼ》むような音が聞こえた。攻撃の手を休めて狼狽えるメタトロン。
「ぬうっ。しまった」
 ディアスはそれを『壁』が消えた音なのだといち早く理解した。受けの型に構えていた剣を翻して勢いよく振り下ろす。刃はメタトロンの大きな盾に阻まれた。それでも、初めて彼の身体に攻撃が当たったのだ。続けてクロードが頭を狙って剣を振る。メタトロンは剣でそれを打ち返し、ディアスも盾で押しのけてから、背後に退いた。
 ちょうどそのとき、レナの詠唱が終わった。右手を広げて天に向かって掲げる。掌に陽の光をめいっぱい浴びさせておいてから、それをグッと握りしめ、振り下ろした。
「スターフレア!」
 メタトロンの真上から、太陽がこぼした欠片《かけら》のような焔の塊がいくつも落ちてきた。その存在を知ることもなく、メタトロンは頭からその焔を浴びた。途端に地獄の業火を思わせる火柱が噴きあがる。絶叫ならぬ絶叫と、火柱の放つ唸りのような音が入り混じって、周囲に轟く。兜が外れ、焔の向こうでもはや顔立ちなど判別ができないほど焦げてしまった頭から、ぎょろりとした眼球がこぼれ落ちて、地面に落ちる前に蒸発した。甲冑が真っ赤に焼けている。その中に入っていたはずの身体はどろどろに溶かされ、眼球と同じように蒸発していく。臑当てが、腰当てが、大きな筒のような鎧が、まるで最初から中には誰も入っていなかったかのように、がらがらと地面に崩れ落ちていく。そこで、ようやく火柱は衰えをみせた。
「へええ。スターフレアかい。やるじゃない、あんた」
 ミラージュが言っても、レナは背を向けたまま、草原に膝をついてうなだれた。
「どうした、疲れたのか?」
「それも……ありますけど」
 レナは上目遣いに、まだ炎上している草原の一角を見た。甲冑も大きく変形して、鉄の塊と化している。これはすべて、自分のやったことなのだ。
「この呪紋は、できるなら使いたくなかったんです。いくら敵でも、あんな恐ろしいことにはしたくないから……」
「敵を殺すのにためらってどうする……って、言いたいとこだけど」
 肩を動かして深々と息をついてから、ミラージュが言った。
「たぶん、あんたはそうやってためらいながら強くなっていく、そういう人間なんだろうね」
 草原を涼しげな風が吹き抜ける。炎は名残惜しいように、鉄の塊をちりちりと焦がしていた。



--
【ひとくち解説】
 ミラージュさん最強伝説。何でこんなことになっちゃったんだろか(;´Д`)
 この回はずっとバトルやってますな。書いてるほうは楽しかったけど、読む側は……どうだったでしょうか。
posted by むささび at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第四章(2)

   2 仇敵 〜アームロック〜

 西日はとうにスタンドの向こうに沈んだ。後は空も暗くなるばかりだろう。
 ファンシティの古風な闘技場。ラクールのそれを偲《しの》ばせるスタンドには人の気配はない。先程までの喧噪が、風に吹かれて翻る夢の裳裾《もすそ》の切れ端のように、無音の余韻をそこいらに響かせている。スタンドの外から、残っている客の喚声や笑い声や様々な会話が、雲の上から聴く潮騒のように耳をくすぐった。
 この闘技場に彼ら以外の人間がいないのは、何のことはない、ナール市長の命令で係員たちが客を追い払っただけのこと。ファンシティ自体は昼夜を問わず動いている。この時間だけ、闘技場の一切の施設は彼らの貸し切りということになったらしい。
 薄暗がりのフィールドがぱっと白色の光に照らされる。スタンドを取り囲む屋根に設置された照明が点灯したのだ。程なくして、ひとりの男がフィールドの入口から姿を現した。
「みなさんお揃いですか?」
 揃っている、とクロードが答えると、男は堅苦しく頷いた。
「私はこの闘技場の管理責任者です。ナール市長はご自分の業務が忙しくお越しできないとのことなので、私が代わりに説明いたします」
 言いながら、男は掌ぐらいの直方体の箱を取りだした。表面にいくつものボタンが整然と並んでいる。前にクロードが持っていたものと似ている、とレナは思った。
「すでにご存じかもしれませんが、この施設ではヴァーチャルリアリティーで擬似的に魔物を『生み出し』て、参加者に戦わせるというシステムになっております」
「それで、俺たちもここで仮想現実の敵を相手に特訓しろということか」
「ええ。しかし、ただの魔物相手では能率も悪いでしょう。……そこで」
 男が手に持っていた箱のボタンを押す。すると、背後のフィールドが強く光った。何事かと振り返って……彼らは肝を潰した。
 そこには、鮮やかな色の甲冑に身を包んだ大男が立っていた。いっさいの攻撃を弾き返す盾。一振りですべてを粉砕する大剣。見覚えのあるものたちは、無意識のうちに身構えた。そうだ、こいつはエルリアの塔で……。
「それも、ヴァーチャルリアリティーです」
 まったく抑揚のない、事務的な口調の男に、彼らは目を瞬いた。
「これが?」
「ええ。先ほど、みなさんがここで待っている間に、脳にスキャニングをかけさせていただきました。そいつは、あなたがたの記憶にある十賢者をデータにまとめ、実体化させたものです。外見だけでなく、戦闘能力も記憶の範囲で忠実に再現してあります」
「記憶の、十賢者……」
 レナは呟いた。
「みなさんには、これを相手に特訓をしていただきます」
 眉ひとつ動かさずに説明する男に、彼らは複雑な顔をした。
「……こりゃ、もう特訓なんてレベルじゃねぇな」
 と、ボーマンが苦笑する。
「気合い入れてかからないと、ただじゃすまねぇぜ」
「あんたがいちばん気をつけなきゃね」
「にゃにをう」
「それでは、プログラムを開始します」
 男はまるで無頓着に、箱のボタンを押した。甲冑の十賢者が、ゆっくりと動き出した。


 闇黒《あんこく》の廊下を、ルシフェルは一陣の旋風のように軽やかな足取りで歩いていく。笑みの洩れた顔は、絶対的な確信で漲《みなぎ》っていた。
 それもそのはず、三十七億年も前から彼が周到に練り上げてきた計画は、ここまでほぼ思惑通りに進み、ついに最終段階へと到達しようとしていたのだから。こちらの手駒は忠実にその役目を果たし、向こうの手駒も予想以上に働いてくれた。睨み合い、小競り合いを続けてきた両者であったが、いよいよ真正面から衝突するときが来た。機は、熟した。
 ルシフェルの心は抑えようのない歓喜で満ち溢れていた。これが終われば、心おきなく『奴』を始末できる。奴こそが、この自分を縛りつけてきた忌まわしき鎖。永遠と思われた呪縛も、ついに解き放たれるときが来る。そして私は、この宇宙を統べるものとして永遠に君臨するのだ。
 野望などという陳腐なものではない。これは、いわば全宇宙の意志なのだ。
 この私《ルシフェル》こそが、神に選ばれし人間なのだ。
 高揚した気分は、知らぬうちにも綻ぶその表情が物語っていた。
 前方から、誰かがこちらに向かってくる。一歩、また一歩と足を引きずるようにして歩いているのは。
 ──ああ、そうだ。あれこそが私の呪縛だ。前触れなく疼《うず》きだす、目の上の瘤《こぶ》だ。あれが存在するうちは、自分とて檻に入れられた獣に過ぎない。何があっても、奴だけは消さねばならないのだ。
(欠陥品《バグ》が……貴様の阿呆面もこれが見納めだ)
 すれ違うときに、ルシフェルは自分の優越を確かめるように、心の中で貶《けな》した。ところが。
〈欠陥品《バグ》はどちらだ?〉
 その声に、ルシフェルは電撃に打たれたように棒立ちになった。まるで両脚を鉛にされてしまったように。彼は耳を疑った。だが、次の瞬間には、もはやその言葉を、声の主を信じないわけにはいられなかった。
〈欠陥品《バグ》はどちらだ? 創られし子よ〉
 声は、彼を得意の絶頂から奈落に突き落とすには充分すぎる破壊力を秘めていた。先程までの歓喜が、高揚が、優越感が、重々しい一撃のもとに手もなく粉砕される。鎖は、やはりまだそこにあり、自分を縛りつけている。そこから抜け出すことは、永遠に叶わないのだ。奴が存在する限り。
 動かない脚のかわりに、ルシフェルは徐《おもむろ》に首を回して、背後を見た。奴が、にんまりと口を開けて嗤《わら》っている。嘲《あざけ》っているのか。それとも、罵《ののし》っているのか。赤い前髪の奥に隠れた眼光は、あまりにも危険な色に輝いていた。狂気の塊のような嗤いにルシフェルは戦慄し……そして、目を覚ました。
 カッと見開いた瞳に映ったものは、闇の廊下でも、赤髪の男でもなかった。永久に尽きることのない風に吹かれる空間。そこは彼がこの世界で唯一、安息を得られる場所であった。風に属するものである彼にとって、地獄のように吹き荒れる暴風は心地よい音楽であり、柔らかな寝床でもあるのだ。
 ルシフェルは夢の中の光景を追い払うように頭を振り、そして、配下のものを呼んだ。
「ラファエル」
 空間の一部が乱れ、そこに濃緑色のローブに身を包んだものが現れた。ルシフェルはそのものの姿を見ることなく、ただ用事だけを告げた。
「ザフィケル、ジョフィエル、それにメタトロンを呼べ」
 緑のローブは終始無言で、その言葉を諒解できたのかもわからないまま、空間を乱して消えていった。
 急がねばなるまい。ルシフェルは焦っていた。手駒の中でたったひとつだけ、自分の意のままに動かぬものがあることを、彼は忘れていた。そいつのために、自分の計画が台無しにされてしまうわけにはいかない。凡《すべ》てが手遅れになる前に、事を運んでおかなくては。
 そう考えたときに、ルシフェルはようやく気づいた。これは、自らの存在を賭けた戦いなのだということに。創られし子。そして、欠陥品《バグ》。それらの呪縛から逃れるために、自分は鎖の内で藻掻いているに過ぎないのだと。
 ルシフェルは歯を食い縛った。否定しきれないその事実に、必死に抗うように。


 甲冑の大男が剣を振りかぶり、叩きつける。彼らは四方に散開して攻撃の間合いから離れ、一斉に反撃にかかる。鞭が唸り、拳が炸裂する。呪紋で足止めしたところへクロードが斬りかかり、剣を交える。その一瞬、相手の死角を衝いてディアスが敵に向かって跳躍した。すれ違いざまに剣を振るって首筋をひと思いに裂く。兜の目庇を深々と降ろした首が、ごとりと鈍い音をたてて地面に落ちる。そこで、敵は消滅した。
「いいね、上等だよ」
 乾いた拍手の音が聞こえてきた。振り向くと、フィールドの出入り口の階段から、小柄なわりにやけに肉付きのいい人間が上がってきた。ミラージュだ。
「久しぶり……つっても、まだ二日しか経ってないか」
「ミラージュさん、まさか、その剣が……」
 鞘に収まった剣を携えているのに気づいたクロードが、訊いた。
「あァ、そうだよ。こいつが反物質の剣『セイクリッドティア』だ」
 ミラージュは剣を掲げて、彼らによく見えるようにした。金をちりばめた紫の布が巻かれた鞘が、青金石《ラピスラズリ》のように輝く。柄は白銀色の不思議な金属で、鞘に閉ざされた刃の煌めきを洩らすように、鈍く光っている。刀身は長くもなく短くもなく、刃も鞘の大きさから推測すれば細い部類に入るだろう。
「そういえば、結局この剣はクロードとディアスのどちらが使うんですの? 決闘では相討ちだったって聞いてますけど」
「そうか、まだ言ってなかったね。あれが終わったときにはもう腹は決まってたんだけど。悪いね、焦らしてしまって」
「いや……ま、別にそんなに気にしてなかったんですけど」
 クロードのその言葉が本意かどうかは、レナにははかりかねた。
「こいつは、あんたのものだ」
 ミラージュが前に立って剣を差しだした相手は、クロード。彼はわずかばかり瞳に力を込めたが、それ以上に表情の変化はなかった。
「……僕でいいんですか?」
 クロードは慎重に、念を押した。するとミラージュは急に剣をひっこめて。
「なんだい、ずいぶん自信がないんだね。だったらいいよ。こいつはディアスにやるから」
「いや、ちょっと……」
「冗談だよ」
 ミラージュが珍しく愛嬌のある笑顔をみせた。
「剣の腕は互角だった。でも、聞けばちょっと前までは、ディアスに全然かなわなかったという話じゃないか。ディアスの剣技は基本的な部分は既に完成されてるから、技術は上がってもそこから先伸びることはない。ところがあんたは、まだ何ひとつ完成されてないんだ。いい意味でも悪い意味でもね。型にはまってない、と言った方がいいかな。そのぶん、こちらは未知の可能性を秘めている。多少リスキーな選択だが、俺はその可能性に賭けてみたいね。ほらよ」
 クロードはミラージュから剣を手渡されると、周囲の視線を気にしながら、おもむろに抜いてみた。鞘から姿を現した白銀の刃は、想像以上に磨きこまれている。いったんその輝きを目にしてしまうと、しばらくは視線を逸らすことができないほど、圧倒的な風格をもっていた。
「それからレナ、あんたにはこいつを渡しておくよ」
 ミラージュは右手に握っていたものをレナに渡した。
 それは、拳ほどの大きさをした玉石だった。色は夜の闇を閉じこめたような黒だが、光にかざしてみると驚くほど鮮やかな翠《みどり》に変化した。その色合いを他にすれば、それは四つの場で手に入れた宝珠に酷似していた。
「これは?」
「『ヴォイドマター』。前に言っただろ。みんなの武器を反物質化させる『装置』だよ」
「この石が?」
 オペラが意外そうに訊く。なにか別のものを予期していたのだろうか。
「こいつは中心部に紋章力を注ぎ込むことによって、特殊な波動を放つ。それを武器に取りつけた『アンテナ』が受信すると、その武器はそっくりそのまま、反物質となるんだ」
「紋章力を、注ぎ込む?」
「あァ。だからこそ、レナが持っている必要があるのさ」
 レナたちは首を傾げた。ミラージュの話はどうしていつも要点が抜けているのだろう。
「なんだい。みんな、狐につままれたような顔をして」
「いや、その、言ってる意味が……」
「じゃ、実際にやってみようか。レナ、クォドラティック・キーを出して」
「キーって……なんですか?」
「あんたの首からさげてる、ペンダントのことだよ」
「これが?」
 レナは、服の中に仕舞ってあった翡翠色の宝石を取り出した。
「そう。まさしくそれが発動のための鍵《キー》になっているんだ。そいつをヴォイドマターの窪みにセットしてくれ」
「窪み……あ」
 玉石を回してみると、一箇所だけ、小指の先程度の穴が開いているのを見つけた。ちょうど、ペンダントの飾りの型になっているのだ。レナはミラージュにペンダントを見せた覚えはない。なのに、どうしてここまで正確に形を知っているのだろうか?
「単純なことさ」
 そのことを訊ねてみると、ミラージュは淡々と答えてくれた。
「このヴォイドマターを開発したのはリーマ女史なんだ。彼女は発動のために作った鍵《キー》を首にさげて持ち歩いていた。それが、あの事故のときに娘の手に渡ったというわけさ。偶然にもね」
 ──偶然にも。
 そう、自分は多くの偶然によって、今、ここにいるのだ。このあまりにも数奇な邂逅《かいこう》を、レナは運命と呼びたくはなかった。
 言葉にはできない。うまく説明はできないけれど、これだけははっきりと言える。
 みんなと一緒の時間を過ごすことができて、ほんとうによかった。
 そっと、ペンダントの飾りを玉石に填め込んだ。玉石は翠色に明滅を始める。
「それで発動の準備は完了だ。あとはほんの少し、紋章力を注いでやれば波動が発生する」
「どうやるんですか?」
「回復呪紋《ヒール》の要領だよ。手をかざして、包みこむように紋章力を送るんだ」
 レナはアームロックでのサイナードのことを思い出しながら、同じようにやってみた。玉石は光に包まれたかと思うと、いきなり目も眩むほど激しい閃光を放った。ディアスの剣が、ボーマンの籠手が、エルネストの鞭が、オペラのランチャーがその光を浴びると、それらはまるで共鳴するかのように輝きを放つ。一瞬のうちに起こった出来事は、一瞬のうちに収束した。
 目がまだ眩しさの影を残しているうちに、玉石と武器の発光は止まった。
「それで反物質化は終わり。みんなの武器も反物質になってるはずだよ。ちなみに、持続時間は武器によって個体差があるけど、せいぜい数時間程度ってとこだ。放っておくとただの武器に戻ってるから、それだけは気をつけるように」
 ミラージュがそう言うので、彼らはそれぞれの武器を丹念に眺めてみた。
「あんまり、変わったところはないようだが……」
「そうだろうね。なにせよくできたシステムだから。俺もこの技術には驚かされたよ」
 ミラージュはそこで大きく伸びをした。ようやく肩の荷が下りたといったふうに。
「さて、と。それじゃ、そろそろ俺は帰るよ。頑張ってな」
「え? もう帰っちゃうんですか?」
「こう見えても忙しい身なんでね。まァ、いろいろと楽しかったよ。またな」
 振り返り、フィールドの出入り口へと向かっていく。その背中を彼らは見送ったが……途中で足が止まる。
「あ、忘れてた」
 ミラージュは振り返った。
「セイクリッドティアだけど、ひとつだけ注意することがある」
「なんですか?」
「柄の先端に、スイッチがついてるだろ」
 クロードが確認すると、なるほど、柄の先に丸い突起物がついている。
「これは?」
「自爆装置だよ」
「へ?」
 クロードは笑おうとしたが、中途半端なところで顔がひきつってしまった。
「冗談ですよね?」
「いや、それが、当たらずとも遠からずなんだよ」
 と、ミラージュ。
「この前説明したように、刃の反物質は普段は磁場によって固定されてるから、威力もそこそこに制限されている。けれど、そのスイッチを押すと、磁場からすべての反物質を解放できるようになってる。つまり、剣を構成している反物質をまとめて相手にぶつけることができるんだ。これがどういう結果をもたらすかは、前に話したよな」
「……相手も、自分も、剣も、全てが吹き飛ぶ」
「そういうことだ。運がよけりゃ、使用者だけは生き延びるかもしれないが、あまり期待しないほうがいいね。いいかい、こいつは最後の最後、追いつめられたときの切り札だ。できるならこいつの出番がないことを祈るよ。……じゃあな」
 そう言い残して、ミラージュは立ち去った。今度こそ、本当に。

「クロード?」
 レナが呼びかけた。彼はぼうっと剣を眺めている。
「え……なに?」
 ようやく剣から視線を離して、こちらに向ける。
「ミラージュさんの言ったこと、考えてるの?」
 クロードは肯定も否定もせず、また剣に視線を戻してしまった。
「切り札、か……そこまで追いつめられるってのは、どんなときなんだろうな」
「クロード」
 レナが諫めるように、語気強く言った。目を丸くするクロード。
「ダメよ、クロード。そんなこと考えないで。どんなに追いつめられたって、絶対にそれは使っちゃいけないのよ。何が切り札よ。そんなもので勝手に死んじゃうなんて、許さないから。絶対に、ダメだからね」
「……レナ」
 クロードがそっと彼女の腕に手をかけようとしたとき、周囲のぎこちない視線に気づいてハッとする。ふたりを中心にして、いつの間にやら仲間たちが集まっていたのだ。弾かれるようにして背を向けあい、顔を赤くする。
「あー、ゴホン」
 ボーマンがわざとらしく咳払いをする。
「んで、これからどうするんだ? 市長のところに戻るか……」
「せっかくだから、ここで武器の威力を試してみたらどうかな。いきなり本番ってのも不安だろうし」
 まだ頬に赤みが残っているクロードだが、その提案には他の者も請け合った。
「そうね。あたしも試してみたいわ」
「よし。それじゃあ、お願いします」
 スタンドにいる係員に指示を送ると、彼は頷いて手持ちの箱で操作を始めた。すぐにフィールドの中央に強靱な筋肉を剥きだしにした男が現れる。大剣を携え、挑発的な瞳でこちらを見据えている。彼らもそれぞれに身構えて、攻撃のタイミングをはかっていた。
 そのとき、クロードは屋根の上で何かがキラリと光ったのに気づいた。陽光に反射された、刃の輝き。
「みんな離れろっ!」
 クロードが叫んだ。仲間たちが跳び退くのと、目の前の大男が爆発するのとは、ほぼ同時だった。地面に伏せたまま、もうもうと舞い上がる砂埃の先を見極めようとする。
「なに……?」
 そこには、大剣だけが地面に突き刺さっていた。記憶によって創られた十賢者は既に消滅している。彼らはそこで奇妙なことに気づく。なぜ大剣だけが消えずに残っているのだろう? ──いや、違う。この大剣は記憶が創りだしたものではなくて……。
 クロードは天井を睨んだ。太陽の光を背に受けて、剣の持ち主は屋根の上に立っていた。遠目からでもはっきりとわかる、鋼の肉体。しなやかな体躯が空中に躍り上がって、フィールドへと降りてくる。
「そんな……!」
 セリーヌが前方を指さして絶句した。
 ひとりだけではなかった。スタンドの階段を降りてくるのは、もはや見慣れてしまった甲冑の大男。むろん、こちらも仮想現実ではない。さらに空中からは、あのエルリアの塔で見たことのある細身の男が、背中に担いだ筒のような装置から光を噴出させながらゆっくりと降下してきた。
 ──十賢者──!
「面白いことをしているな、貴様ら」
 フィールドに降り立った大男──ザフィケルが、地面に突き刺さった剣を抜いて、片手で軽々と振るった。
「なんなら、この俺が直々に相手してやろうか?」
「お前たち、どうしてここに……」
 狼狽えるクロードに、甲冑の男が歩み寄って。
「全てはルシフェル様のご命令のまま。我らがその真意を知るすべもない」
「人間ハ残ラズ皆殺シ。ソレガ我々ノ目的ダ」
「なんだと?」
 いびつな声をした男は金属の擦れ合うような高笑いをしながら、背中の筒から勢いよく光を噴き出してスタンドの外へと飛んでいった。
「くそっ。待て!」
 クロードが追いかけようとフィールドの出入り口へ向かうが、ザフィケルに呼び止められる。
「貴様らの相手は俺だ。奴を追いたければこの俺を倒すことだな」
「くっ……」
 クロードは振り返り、ザフィケルを睨みつけた。
「ザフィケル、ここはお前に任せた」
 スタンドにいる甲冑の男が言う。
「あ? お前はどこへ行くんだ、メタトロン?」
「先程の女を追う。鼠も放っておけば猫を噛むこともあり得るからな」
 そう言うと、メタトロンは霞がかったように姿を眩ませ、そして消えてしまった。
「ふん。相変わらず神経質な奴だ。まあいい。俺は俺でこの戦いを楽しむまでよ」
 ザフィケルが剣を前に突き出す。その一挙一動が凄まじい威圧感となって、彼らをたじろがせる。早鐘のように鳴る鼓動を抑え、全神経を目の前の敵に集中させる。
「みんな、頼みがある」
 唐突に、クロードが言った。
「ここは僕に任せてほしい。みんなは、さっきの奴を追いかけてくれ」
 仲間たちは怪訝な顔をして、彼を見る。
「まさか、お前ひとりであいつとやり合うつもりか?」
「僕は大丈夫です。これ以上犠牲者を出さないためにも……お願いします」
「無茶だわ」
 オペラがいつになく感情を露わにして咎めた。
「あんた、自分の言ってることがわかってんの?」
「わかってます。けど、こいつは……こいつだけは、僕が倒さなきゃならない相手なんだ」
 構えた剣をザフィケルに向けたまま、クロードが言う。その表情には、彼がこれまで見せたこともないような、鬼気迫るものがあった。
 仲間たちは黙ってクロードを見つめる。説得しようと思えばできるかもしれない。だが、ここで話をこじらせて、意味のない時間を潰すわけにはいかなかった。
「……わかった」
 ボーマンがついに折れた。セリーヌやノエル、エルネストたちも心ならずも承諾した。
「クロード……」
 レナはどうしていいかわからずに、立ちつくしてクロードの背中を見つめた。不意にクロードが振り返って、微笑みかける。
「心配ないよ」
 そのとき、レナは武具大会のときのことを思い出した。ディアスと戦う前にも、彼は今と同じように笑いかけてくれた。安心できる、やさしい笑顔。でも、これは彼の揺るぎない決意の表れなんだということが、レナにもひしひしと感じられた。止めてはいけない。もう、止められない。
「……私はひとりじゃないって、前に、言ってくれたよね」
 レナは言った。
「でも、あなたもひとりじゃないのよ。今もあなたを想うひとがいるってこと、忘れないで」
「ああ。僕はひとりじゃない。君がいる。みんながいる。だから恐くはないし、絶対に死なない」
「約束して」
「約束する」
 そこで、レナも微笑した。そうして振り返ると、仲間たちとともにフィールドの出入り口へと駆けていった。
「まさか貴様が一騎打ちを望むとはな」
 ザフィケルが意外そうに言う。
「その勇気に敬意を表して、仲間は逃がしてやった。まあ、どのみちジョフィエルたちに始末されるのが関の山だろうが」
「どうかな。始末されるのは、もしかしたらお前たちのほうかもしれない」
「ぬかせ」
 ザフィケルが再度大剣を薙いだ。その威力は剣圧だけで周囲の地面が抉れてしまうほど。クロードも顎を引き、毅然と相手を睨みつけてから、両手で剣を握った。
 静寂は時として焦りを生む。だが、このときはむしろクロードの側に余裕があった。間合いを計り、充分に溜めをつくってから、一気に敵に向かって駆け出した。
 クロードが斬りかかる。ザフィケルが大剣を振ってはねつける。衝撃で背後に弾かれたクロードは地面を蹴って跳躍すると、空中から闘気の炎を叩きつけた。ザフィケルは腕で顔を覆って炎の塊を防いだが、予想以上の衝撃に僅かながらよろめいた。その様子を見たクロードは口許をつり上げた。いける。フィーナルでの歴然とした力の差は、ここでは感じられない。
 地面に降り立ったクロードはすぐさま剣を振り上げてザフィケルの許に駆けた。ザフィケルが身構える。しかしクロードは正面から打ち合おうとはせず、相手の目前で横っ跳びに退いて、そこから地面に剣を突き立てた。
「砕け散れッ!」
 ザフィケルの足許の地面が裂け、そこから鋭利な刃のような岩塊がいくつも突き出した。ザフィケルはその体躯のわりに軽い身のこなしで岩塊を躱していく。だが、クロードが地面に剣を残したまま、みずから岩塊の中心に突っ込んできたことには気づかなかった。
 ザフィケルがその気配を察知したときには、既にクロードは目の前まで迫っていた。握りしめた右拳を無防備な胸板めがけて繰り出す。
「流星掌!」
 クロードの小さな拳が、ザフィケルの巨体を突き飛ばす。尻から地面に着地したザフィケルはそのまま蹲《うずくま》った。
 クロードが岩塊から抜け出し、剣を再び握ると息をつく間もなく高々と跳躍した。真下のザフィケルを捕捉し、その頭めがけて振り下ろす。そのとき、ザフィケルの頭がいきなり持ちあがり、こちらを睨んだ! 右手の大剣が唸る。クロードは体勢を大きく崩しながらもどうにか剣を突き出して受け止める。が、二次的に繰り出された衝撃波が突風のようにクロードの身体を吹き飛ばし、彼は壁際に据え付けられた金網を突き破ってスタンドに転がりこんだ。
 膝と腕とを固い地面に突いて噎《む》せ返る。全身が痺れるように痛んだ。だが、痛いと感じるのは、まだ意識がある証拠だ。剣を握り直し、大きく深呼吸してから立ち上がろうとして……そこで左脚に鈍い痛みが走り、がくりと膝をつく。そこだけ力が入らない。見ると、腿の脇のあたりに一筋の切り傷が生じていた。ザフィケルの一撃は完全に受け止めたつもりだったが、振り抜いたときに切っ先が掠めたのだろうか。かなり深い傷だ。骨にまでは達していないが、ぱっくりと裂けた切り口から桃色の肉も見えた気がする。見てはいけない。見たらますます力が入らなくなる。
 クロードは下に着込んでいた黒いシャツの裾を引き裂いて、包帯がわりにそれを腿に巻きつけ、固く縛った。そして、フィールドのザフィケルを睨めつけて、立ち上がる。
「馬鹿が。調子に乗りすぎだ」
 ザフィケルが嘲るように言う。
「ちょこまかと鬱陶しい奴だったが、その傷ではもはやろくに動くことはできまい。観念したらどうだ? 無駄な悪あがきはみっともないぞ」
「悪いけど、僕はそういう美徳は持ち合わせていないんでね」
 クロードがスタンドから降りながら、言った。
「たとえ悪あがきでも、無駄な抵抗だとしても、この身体が動かなくなるまでは剣を振り続ける。それが僕の戦いだ」
「面白い答えだ」
 ザフィケルは満足そうに口許を曲げた。
「よかろう。地獄の入口まではこの俺が案内人だ。悔いの残らぬよう存分に戦うがいい」
「僕は死なない。地獄に落ちるのはお前だ」
「口の減らぬ小僧だな」
 ザフィケルの目つきが変わる。そして、猛然と襲いかかってきた。
 まともに打ち合うのを避けて、クロードは壁づたいに横に退いた。そこで吼竜破をぶつけようと腕を振り上げたが、ザフィケルがもう目の前まで迫っている。脚の怪我を無意識に庇っていては、どうしても強く踏み込めない。そのせいで充分な間合いが取れなかったのだ。剣をひっこめて、容赦なく振り下ろされる大剣を受け止める。クロードは顔をしかめた。この桁外れのパワーと身体能力だ。まともにやり合って勝てる相手ではない。はたして手負いの状態でうまく間合いが取れるだろうか……いや、違う。間合いを取るのではなく、逆に……。
 勝算が見えて、クロードの表情に活力が戻った。すると不思議なことに脚の傷も気にならなくなった。右に左に襲いかかるザフィケルの大剣を受け流しながら、少しずつ間合いを詰めていく。肝心なのはタイミングだ。少しでも時機を誤ればただの自殺行為になってしまう。感づかれないように、じりじりと前に詰め寄る。
 ザフィケルが大きく剣を振り上げた。今だ。クロードは剣を横に寝かせて握ったまま、相手の懐に潜り込んだ。虚空をきる大剣。ザフィケルの動きが止まった。この一瞬に、クロードはすべての力を剣に注ぎ込んだ。呼応するように、セイクリッドティアが燦然と煌《きら》めく。
「鏡面刹ッ!」
 それはまさに刹那の剣技だった。無数の太刀筋が閃光のように迸り、分厚い胸板を、大きくくびれた腹を斬りつけ、抉り、裂いてゆく。噴き出した返り血が彼の金髪を染め上げる。最後に相手の肩口から斜めに袈裟《けさ》斬りを見舞い、そこで怒濤の攻撃は終息した。
 ザフィケルが血を吐いて背中から倒れる。それでも彼はなおも抵抗しようと、地面に転がった大剣に手を伸ばす。が、その手はクロードの足に踏みつけられ、阻まれた。そうして、剣の切っ先を喉元に突きつけられたところで、ようやく彼は敗北を悟った。
「なぜだ……なぜ、俺は敗れた」
「腕の長さと剣の大きさ。それがお前の特徴だった。僕はそれを逆手にとっただけさ」
 まだ激しく息を切らしながら、クロードが。
「リーチが長いということは、それだけ自分の手前がおろそかになる。だから僕は間合いを取るんじゃなくて、逆に懐に飛びこんだ。そこが唯一のお前の死角だったし、弱点だったからだ」
「……なるほど。貴様がそこまで機転をきかせることができようとはな」
 ザフィケルは笑った。実に愉快だといった笑い方だった。
「完敗だ。さあ。止めを刺すがいい」
 クロードは切っ先を喉元から左胸のあたりに動かした。ザフィケルは薄く目を開けたままこちらを見ている。柄を握る手に力を込める。このまま剣を突けば、すべてが終わるのだ。けれど──。
「どうした? この俺が憎いから、わざわざ一騎打ちをけしかけたんだろう。フィーナルでのこともあるしな。父親の仇とやらだったんだろ?」
「勘違いするな」
 クロードは言った。
「僕はもう、憎しみで剣を振るったりはしない。お前と戦ったのは、そんな自分にけじめをつけるため。僕の剣は、敵を倒すためにあるんじゃない。みんなを守るため。大切なみんなを守るために、僕は剣を振り続けるんだ」
「ふん……面白い答えだ」
 ザフィケルはそう言い残して、目を閉じる。クロードは剣を振り上げ、そして振り下ろした。



--
【ひとくち解説】
 またエラーになったので分けます。
 何とかならんか、この字数制限……('A`)
posted by むささび at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2009年01月15日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第四章(1)〈続〉

   PANIC1 家庭料理の勇者現る

 レナとクロード、それにボーマンの三人は、街の中心部から東に向かって歩いていた。
「あれ? みんなは?」
 レナがあたりを見回しながら言った。入場門を潜ったときには、確かに全員いたはずなのに。
「エルネストさんは、まだ足の具合が不安だからって、宿で休んでるよ。オペラさんも付き添ってね。ノエルさんは何かバーニィレース場に用事があるとかで、そっちに行った。ディアスとセリーヌさんも、いつの間にかいなくなってたな」
「そっか。まあ、街の中なんだから、みんないっしょに動くことはないよね」
 と、レナは背後のボーマンを見た。なんとなく。
「な、なんだ?」
 その視線にうろたえるボーマン。
「もしかして、邪魔なのか、俺?」
「別に、そういうわけじゃ、ないんですけど……」
 それでも、やはり残念そうだ。
 広々とした通りをずっと行くと、向こうに石造りの大きな建物が見えてきた。ラクールの城を思わせるような荘厳な建物だった。
「なんなのかしら、これ」
「『クッキングマスター』だってさ」
 クロードが三つ折りになっている紙を広げた。入場門でもらったこの街の案内図だ。今いる場所を確認して、そこの説明を読み上げる。
「『特定の食材をテーマにして、我がマスターが誇る【ゴールドシェフ】と料理で対決していただきます。制限時間は六十分。作品の審査は当マスターの主宰ヤーマが行います。料理に自信のある方ならどなたでも参加できます。参加料は千フォル』……変なアトラクションだな」
「料理かぁ。面白そうね」
「まさか、参加するの?」
「うん。せっかくだから、やってみたい」
「よし。行けっ、家庭料理の勇者よ!」
 ボーマンが後ろから威勢よく言ったが、ふたりは白けたように彼を見ただけで、すぐに何事もなかったように歩いていった。
「……やっぱり、俺、場違いな気がするんですが……」
 ボーマンはがっくりと肩を落としたまま、失業したサラリーマンのようにとぼとぼとふたりの後をついていった。


   PANIC2 戦いが俺を呼んでいる

「ようこそ。ファンシティ闘技場へ。参加をご希望ですか?」
 ディアスが無言のまま頷く。
「バトルモードはどれになさいますか? デュエルバトルは一対一で四戦勝ち抜き。ブリーングバトルは複数敵相手に三戦勝ち抜き。チームバトルは……団体戦ですからお仲間もいっしょでないと参加できません。あとは、サバイバルバトルですか」
「それは何だ?」
「五十戦勝ち抜きですよ。最初のうちは弱い敵ですが、だんだんと強くなっていきます。かなり厳しいモードなので、これまで見事五十戦を戦い抜いた者はおりません」
「それにしよう」
 ディアスがさらりと決めてしまったので、受付の女性は目を瞬かせて彼を見た。
「本当によろしいのですか? 敵はヴァーチャルリアリティーですが、叩かれれば傷も負いますし、場合によっては大怪我するかもしれませんよ」
「のぞむところだ。実戦に近ければこちらも全力で戦えるからな」
 受付の女性はそう言うディアスに呆れたような顔をしながら、デスクの装置に彼の登録を始めた。
「ディアス様ですね。登録は完了しましたので、そちらのフィールド入口までお進みください」


   PANIC3 ノエルの出張健康診断

「おや、ノエル先生」
「やあ。お久しぶりですね」
 ノエルはレース場の裏手にある関係者専用の通用口から入って、そこにいた若い男に挨拶をした。
「ちょうどよかった。また、お願いできませんかね?」
「ええ。僕もそろそろ時期かと思って、この街に来たついでに寄ってみたんです」
「そいつはありがたい。ささ、こちらへ」
 男に案内されて、ノエルは奥の部屋へと通された。
 そこはバーニィたちの厩舎となっていた。木の柵で仕切られた小部屋がずらりと並んで、その中に一匹ずつ、さまざまな大きさや色合いのバーニィが入れられていた。
「最後にノエルさんに診てもらったのが半年前ですからね。その間に調子が悪くなったり、具合のおかしくなったバーニィもちょくちょく出てきました。専属の獣医だけではどうにも対応しきれない面もありましてね。どうかよろしくお願いします」
「わかりました。それじゃあ、始めますか」
 ノエルは柵の隅に設けられた扉から、バーニィのいる小部屋へと入っていった。


   PANIC4 JOFC−TV+『クッキングマスター』台本より

 BGMと同時に、主宰のナレーション開始。
「わたしの記憶が確かならば、今、このエナジーネーデは未曾有の危機に瀕している。三十七億年の時を経て、あの恐ろしい十賢者が再び舞い戻ってきたのだ。そして彼らはこのネーデだけでなく、全宇宙の脅威となりつつある。そんな彼らの野望を阻止すべく、わずか八人の勇敢な戦士たちが立ち上がったことは、皆もよく存じていることだろう。今回はなんと、その希望の戦士のひとりが挑戦者として名乗りを上げたのだ。
 それではご紹介しよう。戦士たちの食事を一手に引き受ける家庭料理のスペシャリスト、レナ・ランフォード!
 彼女が料理を始めたのはわずか四歳のとき。母親の手伝いで材料の下ごしらえをしたのがきっかけであった。それから長い下積みを経て、六年後にようやくひとりで台所に立つことができた。あのとき初めて作ったビーフシチューは、生涯忘れられない味になったという。そして十七歳で旅に出てからは、野宿の際の炊事をいつも任されていた。なけなしの材料でいかに旨く作るか。彼女の料理に対する追求は日増しに強くなっていったのである。
 さあ、レナ・ランフォードよ。戦士たちの腹を満たしてきたその素晴らしい料理を、大いに見せつけるがいい!」
 カメラ切り替え。マスタースタジアム全体から徐々にズームイン。カットバックには整然と並んだ食材。テーマ曲が流れる。
 主宰入場。壇上の中央で止まり、手前に山積みになっている食材から黄色のピーマンをつかんで、爽やかにかじる。そこでズームアウト。それをタイトルバックに『COOKING MASTER』のタイトル表示。
 BGMストップ。再びスタジアムを俯瞰《ふかん》する。実況席のマイクON。
「マスタースタジアムに、新たな挑戦者がやって参りました。希望の戦士は、果たしてここでも希望の風を吹かせてくれるのでしょうか。実況はわたくしフクイ。解説はおなじみのユキオーン・ハトリさんとお伝えして参ります」
「よろしくお願いします」
「さあ、それでは主宰の挨拶です」
 観客席の盛大な拍手に応えて、主宰が一礼。
「十賢者との激しいせめぎ合いも、いよいよ最終局面を迎えようとしているこの時勢。今回の挑戦者は、まさしくその渦中にいる人間でもあります。
 それでは皆さん、大きな拍手をもってお迎えください。打倒十賢者に燃える家庭料理のスペシャリスト、レナ・ランフォード!」
 拍手に出迎えられ、挑戦者入場。スタジアムの中央で主宰と握手する。
「ようこそお越しくださいました」
「あ、はい。ありがとうございます」
「自信のほどは」
「え、いや、ありませんよ。そんなすごい料理作れるわけじゃないのに……」
「その謙虚な姿勢での料理を、期待してます」
「はあ……がんばります」
「それでは、我がマスターが誇る料理人に登場してもらいましょう。
 蘇れ、ゴールドシェフ!」
 荘厳なBGM。壇の下からゴールドシェフがせり上がってくる。盛大にスモークとライトアップ。実況がシェフの紹介をする。
「ネーデの料理界を常にリードしてきた天才料理人、ヒロ・サクァーイ。芳醇で繊細な味と絵画のごとく色彩豊かな料理はまさに芸術作品。その流れるような包丁さばきで、今日はいったいどんな料理を我々に披露してくれるのでしょうか」
 ゴールドシェフ、挑戦者と並んでスタジアムの中央に立つ。主宰は壇上で二人を見下ろす。
「野宿のときにはいつも材料を集めるのに苦労するという、今日の挑戦者。おそらく、最も使い慣れている食材だと思います。
 それでは発表します。本日のテーマは、これです!」
 主宰が手前の棚にかかっていた布を華麗にめくる。所狭しとひしめく野菜。重々しいBGM。
「今日のテーマは、野菜」
 そこで数秒の間。余韻を残したまま画面フェードアウト。

 ────CM────

 CM明け。カメラはスタジアムを俯瞰。勇壮なBGM。実況のマイクON。
「全宇宙の命運を握っていると言っても過言ではない挑戦者。このマスタースタジアムでも、料理界の命運を賭けた戦いが今、始まろうとしています」
「さあ料理を始めよ《アーレ・キュイジーヌ》!」
 ゴングが低く鳴り響く。ゴールドシェフと挑戦者、材料選びのために中央の棚へと向かう。
「さあ、長くて短い六十分が始まりました。今回の挑戦者はいわゆるプロではないだけに、新鮮なものが期待できそうですね」
「そうですね。やはり家庭料理ということで、愛情たっぷりの料理を作ってほしいです」
「さて……挑戦者は何を取ったでしょうか。……ほう、ジャガイモですね」
「男爵イモですね」
「男爵イモと、人参、それにタケノコですね。一方のヒロは、キャベツと、トマトですか」
「ネギと白のアスパラガスも取りましたよ」
「さあ、両者とも、これでいったいどんな料理を作ろうというのか」
「フクイさん」
「はい。オウタさん。どうぞ」
「挑戦者にこの試合の意気込みを聞いたところ、照れくさそうに一言『一生懸命やるだけです』と話してくれました」
「今日も冷蔵庫前のリポートはオウタさんです。ハトリさん、挑戦者は相変わらず謙虚ですね」
「ですね。好感が持てます」
「おっと、挑戦者がジャガイモの皮をむき始めてます。やはり慣れた手つきです」
「これだけ包丁を自在に扱えるってのは、たいしたもんですよ」
「あっという間に皮をむき終えて、さて、これをいったい何に使おうというのか」
「フクイさん」

「オウタさん、どうぞ」
「一方のヒロなんですが、挑戦者について聞いてみたところ、『こっちはプロなんだから、貫禄ってやつをみせてやんないとね〜。でも、油断はできないよ』と語ってくれました」
「ありがとうございました。そのヒロですが……鍋に火がつきましたね。入っているのは、これは、水だけですか?」
「おそらく、なにか茹でるんじゃないんですかね」
「そして、これが茹でるものになるのか。帆立を殻から取りだしてます。さらに、その横にはトマトが用意されてますね」
「見てくださいよ。挑戦者の炊飯器にスイッチが入ってますよ」
「おやおや、本当だ。これは入ってるのはご飯なのでしょうか」
「フクイさん」
「はい、どうぞ」
「この炊飯器の中身ですが、お米の他に、だし汁、醤油、それにタケノコが入っている模様です」
「ということは、炊き込みですね。挑戦者、竹の子ご飯を作ってきました」
「いいですね。炊き込みご飯ってのは家庭のアイデアが詰まった料理ですからね」
「一方のヒロですが、なかなか下ごしらえに時間がかかっていて、こちらからではまだ一品も形が見えてきませんが……ほう、フォアグラとトリュフが用意されてますよ」
「これは面白いですね。家庭料理に対して、あくまで高級志向で対抗する。見物ですよ」
〈十五分経過〉
「さあ、早くも十五分経過のアナウンスが流れました。……おおっと、ヒロは、フライパンで何をやってるんでしょうか」
「キノコですね。しめじに舞茸にシャンピニオン。スライスしたものをソテーしてます」
「その一方で、ヒロはアイスクリーマーの用意もしているようですね」
「これですよ、これ。湯むきしたトマトをフードプロセッサーにかけてます。これはなにか味つけしてあるのかな?」
「フクイさん」
「オウタさん、どうぞ」
「このフードプロセッサーの中身ですが、湯むきしたトマトに、シロップ、ウォッカ、レモン汁、タバスコが加わってます」
「ほら、やっぱり。ソルベですよ」
「それでは、トマトのソルベってことになるんでしょうか……。おや、挑戦者サイドですが、牛肉が出てきましたね。牛の薄切りです」
「読めましたよ。ジャガイモに人参、タマネギ、グリンピース、それに牛肉とくれば、間違いないでしょう」
「肉じゃがですか」
「その通りです。肉じゃがといえば家庭料理の代表格ですからね。狙ってますねぇ」
「さて……ヒロは何をしているんでしょうか? これは、キャベツですね」
「茹でたキャベツで、帆立とニラを巻いてます。あの黒いのは……塩昆布ですかね」
「フクイさん」
「はい。どうぞ」
「先程の『狙ってる』というハトリさんのコメントに対して、挑戦者は『そんな、狙ってませんよ。これしか作れないだけです』とのことです」
「ありがとうございました。これしか作れない、ですか」
「そんなことはないですよ。自信をもって作れるのがこれだってことでしょうね」
「なるほど。あくまで謙遜の姿勢を崩さないわけですね。……さあ、ヒロのキャベツで巻いたものがオーブンに入れられました。彼の方も少しずつではありますが、作品の輪郭が見えてきたようです」
〈三十分経過〉
「いよいよ後半戦へと突入しました。ここまでは両者ともに、それぞれの持ち味を出しきっているという感じですが」
「おやおや、挑戦者のほうでもアイスクリーマーが出てきましたよ」
「ほう、本当ですね。今、挑戦者がボウルでかき混ぜているものが入れられるのでしょうか」
「フクイさん」
「どうぞ」
「このボウルの中身ですが、ゆずの果汁、グラニュー糖、はちみつ、それにゆずの皮をすりおろしたものも入ってます」
「ということは、ゆずシャーベットということですか」
「そうですね。きっとあれでしょう、ヒロのほうがソルベを作ってるから、こっちでもデザートがいると思ったんじゃないでしょうか」
「なるほど、そのあたりは臨機応変に対応しているわけですね。……ヒロのソルベはすでにアイスクリーマーに入れられています」
「ヒロは、これ、さっきのキャベツ包みのソースですかねぇ」
「これは、何が入っているんでしょうね。赤というか、橙というか……」
「フクイさん」
「どうぞ。オウタさん」
「この、煮詰めている鍋の中身なんですが、エシャロット、にんにく、ノイリー酒、サフラン、ジュ・ド・ユキュヤージ、たかの爪、カイエンヌ、パプリカが入ってる模様です。今、人参のピューレも加わりました」
「はい。どうも。おそらくこれは、キャベツ包みのソースになるものと思われます」
「見てくださいよ。挑戦者の肉じゃが、いい具合に煮詰まってますよ」
「ああ、本当ですね。なんだか、見てるだけでよだれが出てきそうなぐらいです」
「フクイさん。この肉じゃがの中身の確認なんですが」
「はい。どうぞ」
「ジャガイモ、牛肉、タマネギ、人参、グリンピース、だし汁、砂糖、酒、醤油、それに生姜のみじん切りしたものが入ってます」
〈十五分前〉
「おっと、ここで十五分前のコールがかかった。この対決も、残すところあと四分の一足らずといったところまで来ました。さて……ヒロは、カップになにやら盛りつけているようですが」
「牛ですね。牛のローストです。下にはキノコとアスパラ、それにフォアグラのソテーも入ってるんじゃないですか」
「これはいったいどういう……ああ、スープですね。横にコンソメスープの鍋がありました」
「たぶん、このままテーブルに出して、直前で熱いコンソメを注ぐんですよ。いやいや、これは間違いなく旨いですよ」
「確かに、牛のローストに、フォアグラまで入ってるんですからね。これが不味いわけがないといった感じです。おお、今、トリュフも入りました」
「これでもかこれでもかって具合に高級品の応酬ですねぇ。これは面白いですよ」
「おや、ここで挑戦者側にアクシデントか? これは、アイスクリーマーだ。アイスクリーマーが動きません。ゆずのシャーベットは、果たしてどうなってしまうのか?」
「故障ですねぇ。これは不運だ……おお!?」
「動いた。直りました! 今、挑戦者が思いきり機械を蹴飛ばしたら、何事もなかったかのように、再び動き出しました」
「いやいや、今のはすごい場面でしたね。はっはっ」
〈五分前〉
「さあ、いよいよ大詰めです。両者ともに仕上げの段階へと入りました。ヒロのソルベは、もうカップに盛りつけてありますね」
「フクイさん」
「はい。オウタさん」
「先程の挑戦者がアイスクリーマーを直したことについて、ヒロは『あれはよく止まるんだよねぇ。俺も泣かされたよ。蹴りで動かしちゃうなんて、やるじゃない』と、別の方面で感心してました」
「そうですか。蹴りではヒロに認められた挑戦者。果たして料理のほうでもヒロを唸らせることができるのでしょうか」
「挑戦者、竹の子ご飯がでてきましたよ」
「おっと、本当だ。ほかほかの竹の子ご飯が、茶碗に盛りつけられております」
〈一分前〉
「ついに一分前です。ヒロのほうも動きが慌ただしくなった。キャベツ包みをオーブンから取りだして、皿に盛りつける。ここでソースがかかった」
「このソースが絶妙なんですよね」
「一方、挑戦者は最後に肉じゃかの盛りつけにかかった。これもおいしそうだ。湯気をたてて、ほくほくのジャガイモが器に転がりこむ」
〈十五秒前〉
「両者とも、ほぼできあがった模様です。ヒロはスープに、キャベツ包みに、トマトのソルベ。挑戦者は竹の子ご飯に肉じゃが、そしてなんとか間に合ったゆずシャーベット。さあ、まったく趣向の違う二人の料理。果たして軍配はどちらに上がるのでしょうか」
〈五秒前。三、二、一〉
 試合終了のゴング。調理の手を止める両者。観客席から拍手が湧き起こる。
 すぐにリポーターのインタビュー。まずは挑戦者から。
「いかがでしたか。六十分戦い終えて」
「短かったです。時間配分とかもよくわからなかったから、どんどん時間が過ぎていっちゃって。とりあえず、やれるだけのことはやりました」
「ゴールドシェフに勝てる自信は」
「そんな、勝つつもりなんてありませんから。勝ったら向こうに失礼です」
 続いて、ゴールドシェフ。
「いかがだったでしょう。今回は」
「いや、いつもどおりですよ。手加減したつもりはないし」
「料理の出来はどうでしょう」
「んー。まあまあじゃないかな。プロの意地ってやつだね」
「では、勝てると」
「やってみなきゃわかんないからね。こればっかりは」
 インタビュー終了。すぐに画面切り替え。作品の画面とともに、実況が料理の説明をする。
「挑戦者の料理はこの三品。竹の子ご飯は家庭の知恵が編み出した究極の一品。ほくほくしたご飯に竹の子の歯触り。アクセントに添えた三つ葉が絶妙です。挑戦者が自信をもって作り上げた肉じゃがは、素朴な『おふくろの味』を彷彿とさせます。煮汁が芯まで染みこんだジャガイモは、旨味が口の中でふわりと広がります。デザートは、ゴールドシェフに対抗して作ったという、ゆずのシャーベット。すりおろしたゆずの皮の粒が、上品な味に仕上げています。
 一方のゴールドシェフも同じく三品。新緑のスープはネギとアスパラのほか、牛ロースト、フォアグラ、さらにトリュフまで用いたまさに贅沢な一品。客席で熱々のコンソメスープを注いで完成です。帆立貝のキャベツ包み・新わかめ添えは、帆立とニラ、塩昆布をキャベツで巻いたもの。ヒロの真骨頂でもあるソースが絶品です。デザートには一風変わった、トマトのソルベをもってきました。サバイヨンソースをかけ、さらにグラッセして見た目にもこだわった、ヒロらしい一品です」
 その後別室で試食が始まるが、ここでは割愛。あしからず。

 ────CM────

 CM明け。審査を終えた主宰がスタジアムに戻ってくる。会場、大きな拍手。
「飽食のこの時代にあって、シンプルな家庭料理を見直すきっかけをもたらしてくれた、今日の挑戦者。私も、思わず故郷の母を思い出しました。……それでは発表します」
 緊迫したBGM。実況のマイクON。
「十賢者との戦いのさなか、このスタジアムに挑んできた挑戦者。ここで見事に勝利して、故郷に錦を飾ることができるのか。ゴールドシェフか。それとも、家庭料理の勇者か!」
 BGMストップ。一瞬の間。
「挑戦者、レナ・ランフォード!」
 驚いて、それから満面に笑みを浮かべる挑戦者。勝利をたたえるBGMが流れ、割れんばかりの拍手が起こる。中央で、ゴールドシェフと挑戦者が両手で握手を交わす。
「やりました。挑戦者です。家庭料理の勝利です。けっして着飾ることなく、純粋にうまさを追求した家庭料理が、ゴールドシェフを打ち破りました。ここに、ネーデ料理界においても新たな一ページが刻まれることでしょう!」


   PANIC5 患者1:イエローバーニィ

「二ヶ月くらい前からですかねぇ。急に走りが悪くなったんですよ。出走してもすぐに息切れしてしまって。充分休養は取ってるはずなのに、なんだか疲れているみたいなんですよ」
「なるほど」
 ノエルはバーニィの前で、係員から説明を受けていた。
「それで、我々のほうでも調べてみたら、どうも、寝不足みたいなんですよ。夜に小屋をのぞいても、こいつだけずっと起きてるんです。不眠症ですかねぇ……」
「うーん。バーニィの不眠症ってのは、あんまり聞いたことないですねぇ。ほかに原因があるのかも……おや?」
 ノエルは、バーニィがちょっとだけ口をもごもごと動かしたのに気づいた。元からもごもごとしたような口なので、普通の人間では気づかないが、彼だけはその微妙な動きを察知したのだ。
「ちょっと、ごめんな。口を開けて」
 ノエルは嫌がるバーニィの口を無理やり開けさせた。その中を、じっと覗き込む。
「ああ、これは、虫歯ですねぇ」
「虫歯?」
 係員が驚いた。
「ええ。たぶん、こいつが痛むから、夜もなかなか寝られなかったんじゃないでしょうか。……あ〜。もう神経までやられてますねぇ。抜くしかないでしょう」
 ノエルは係員に大きめのペンチを持ってこさせた。銀色のペンチを受け取り、ふたたび振り向くと、バーニィは目を潤ませてノエルに懇願している。
「ダメですよ。そんな顔しても。あなたのためでもあるんだから」
 ノエルが無表情ににじり寄る。バーニィは思った。この人、鬼だ。


   PANIC6 生肩と生足

 クッキングマスターに勝利して、景品に山ほどの野菜をもらったレナは、意気揚々と会場を後にした。野菜は当然のごとく、男ふたりに持たせて。
「結局、こうなるんですね……」
「だから深く考えるなって……」
 クロードとボーマンがこそこそと囁き合う。
「ほら、早く歩きなさいよ。まだ時間はあるんだから、ほかのところへ……きゃっ!」
 後ろのふたりを振り返ったとき、誰かが正面から勢いよくぶつかってきた。突き飛ばされて尻餅をつくレナ。
「いったぁ〜……あれ、セリーヌさん?」
「レナ?」
 そこにいたのは、セリーヌだった。狸のバイオリン演奏でも見るような顔つきで、そこに立ちつくしている。
「どうしたんですか?」
 レナが訊ねても、セリーヌはまるで彼女のことなど気にもとめずに、きょろきょろと辺りを見回し、そこで何かを見つけて、脱兎のごとく大通りを走っていってしまった。
「あ、ちょっと、セリーヌさ……!?」
 言いかけて、レナは口をつぐむ。横の狭い脇道から、蜂の巣をつついたように何人もの人がわんさか溢れ出てきたのだ。
「彼女はどこだ!?」
「いたぞ、向こうだ!」
「待ってくれ〜」
「お姉ちゃ〜ん」
「おらのこの愛、受け止めてくんろ〜」
「いとしのマイエンジェル、今この僕が行くよ〜」
「いや〜ん、お姉さま〜ん」
「バグってハニ〜」
「スペランカー」
「ワシの後妻になってくれ〜」
 若い男ばかりでなく、女性もいれば老人もいる。それぞれに歓声やら奇声やら意味不明な単語やらを発しながら、セリーヌを追っている。その様子は、まさに餌に群がる蟻の集団だ。
「……ネーデも、もう、ダメかもしれない……」
 狂乱の余韻が尾を引くなか、クロードがぼそりと呟いた。
「セリーヌの奴、いつの間にあんな熱狂的な追っかけがついたんだ?」
「そんなわけないでしょ」
 ボーマンに突っ込んでから、レナは走り出した。クロードが慌てて止める。
「ちょっと、どこ行くんだよ?」
「なにがあったのかは知らないけど、ほっとくわけにはいかないでしょ。後を追っかけるわ」
「僕らはどうすりゃいいんだよ」
「野菜を宿まで持っていって」
 それだけ言い置くと、さっさと駆け出していった。取り残された男ふたりは、茫然とそこに立ちつくす。
「……最近、悩みがあるんですが」
「なんだ?」
「レナは、本当に僕のことが必要なのかなって……」
「……まぁ、あれだ、その件に関しては後でゆっくり話し合おう。な?」
 落ち込むクロードの肩を、ボーマンは慰めるように叩いた。


   PANIC7 歯ごたえがありそうだな

「さあディアス選手、ここまで二十九匹までを無難に退け、いよいよ三十匹目です。果たしてどこまで記録を伸ばせるのか?」
 フィールドの中央に、大蜥蜴の怪物がさっきからそこにいたような恰好で現れた。ディアスは身構え、すぐに斬りかかる。
 蜥蜴が炎を吐いた。ディアスは跳躍して躱すと、岩山のような背中に降りたってそこに剣を突き刺した。魔物はもがいてディアスを振りほどこうとする。ディアスが剣を抜いて相手の足許に着地したとき、突如として図太い尻尾が鞭のように撓《しな》って襲いかかった。弾き飛ばされ、フィールドの壁に叩きつけられるディアス。さほどダメージは大きくなく、すぐに立ち上がることはできた。
 蜥蜴が再び炎を吐き出した。横っ跳びでそれを避けてから、ディアスはその場で空破斬を放つ。衝撃波が敵の腹下の地面を素通りする。それでいい。動きさえ止められれば。
 ディアスは柄を逆手に握り変え、下から上へ、弧を描くように剣を振るった。
「弧月閃」
 剣の軌跡がそのまま闘気の刃と化し、一瞬にして大蜥蜴の胴体を真っ二つにした。地面に転がった肉片はさあっと霧散するように消滅した。
 ディアスは大きく息をついた。さすがにここまで来ると、敵の強さも半端ではない。だが、相手が強ければ強いほど、自分の闘争心もおのずとかきたてられるのだ。目の前の敵を屠ることの喜びに、彼は酔いしれていた。
 まったく事務的に、次の敵がフィールドに出現する。恐ろしい怪鳥を相手に、ディアスの孤独な戦いはまだまだ続いた。


   PANIC8 患者2:グリーンバーニィ

「この子はどうしたんですか?」
「耳が遠くなったみたいなんですよ」
 係員が説明する。
「レースのスタートの合図が、聴き取れないみたいなんです。みんながスタートしたのをみて、遅れて走り始めるといった具合で。おかげでどうしても出遅れて、なかなか順位が上がらないんですよ」
「へえ。耳が遠い、ですか。どれどれ」
 ノエルはバーニィの垂れ下がった耳をぺろっとめくって、その付け根に顔を近づけて呼びかけてみた。
「もしもーし」
 バーニィの反応はない。
「聞こえますかー」
 少し声を大きくしても、やはりバーニィは動じることなく、彫像のように佇んでいる。
「わっ!」
 ノエルはいきなり、おどかすように耳許で叫んだ。さすがのバーニィもこれには飛び上がって、野生の本能か、狭い小屋ということを忘れて一目散に逃げ出し、柵に激突してあえなく倒れた。
「うーん。ちょっと耳がただれてますねぇ。もしかしたら中耳炎かもしれません」
 ノエルはまったくお構いなしに、気絶したままのバーニィの耳を覗いている。
「僕では治療はできないから、獣医に頼んで詳しく診てもらってください」
「あ、あの、ノエル先生……」
「なんですか?」
「それより、この子、起きあがらないんですけど……」
「ああ、大丈夫ですよ。ショックで伸びてるだけですから。少しすれば目を覚まします」
 ノエルは平然とそう答えて、小屋を出ていってしまった。
 係員も思った。この人、やっぱり鬼なんじゃないかと。


   PANIC9 ご乱心

「どこいったのかな……セリーヌさん」
 レナは闘技場の中をくまなく捜し回ったが、彼女の姿を見つけることはできなかった。道すがら、やはり彼女を追いかける謎の一団らしきものたちが周辺を必死に捜索していたが、同様に見つけられないでいるようだった。
 スタンドをぐるりと一周して、もうここにはいないのかと諦めて帰ろうとしたそのとき、受付のカウンター近くの部屋で、派手な藤色の髪がチラッと見えたような気がした。レナは怪訝に思いながらも、その部屋へと足を踏み入れる。
 そこは出場選手のための控え室だった。明かり取りは壁に小さなものがひとつきりで薄暗く、おまけになんとなく汗臭い。壁際には荷物を置いておくためのロッカーと、簡易的なものながらベッドもいくつか設えてある。レナは忍び足で、慎重に奥へと進んでいく。すると、突然二段ベッドの陰から細い手が伸び、レナの腕をつかんで部屋の隅へと引き寄せた。
「きゃ!」
「しーっ!」
 セリーヌは人差し指を口許に立てた。そう、それはセリーヌだった。
「セリーヌさん、こんなところでなにやってるんですか?」
 レナが小声で聞いた。
「決まってるじゃない。隠れてるんですのよ」
「いったい、なにがあったんですか? 外は大騒ぎですよ」
「あー、それはね……」
 セリーヌは面倒そうに頭を掻いて、そっぽを向く。
「ちょっと、薬の実験をしたのよ」
「薬?」
 レナは嫌な予感がした。
「そう。偶然こういう紙を拾いましてね。面白そうだから作ってみようと思って」
 レナは紙をセリーヌからひったくって、そこに書かれた内容を読んだ。
「『これであなたもモテモテ間違いなし! 効果バツグン【惚れ薬】の調合法』……惚れ薬!?」
「要するに、身体に塗るとそのひとの魅力が増幅するっていう薬ですわね」
「まさか、セリーヌさん、自分に使ったんですか?」
「そりゃ、使うとしたら自分以外にいないでしょ。でもまさかこんなに効き目が強いとはね。異性だけでなく、同性にまで好かれてしまうなんて」
「もう! のんきにしてる場合ですか。外は大変なことになってるんですよ。セリーヌさんを捜して大勢のひとが……」
「だから、ここに隠れているんですのよ。もう少ししたら効果は切れるはず……って、レナ?」
 気がつくと、レナの表情が変わっていた。とろんと微睡むような瞳で、セリーヌを見つめている。
 まさか。セリーヌの顔から血の気が引く。
 レナはいきなり彼女の両腕を捕まえ、猫撫で声で言った。
「お姉さま、かわいそう。でも、ここなら安心よね。誰にもじゃまされない。ずっとふたりっきり、ね?」
「お、お、おねえさま!?」
 あまりのことに、セリーヌの声が裏返る。身の危険を感じて逃げ場を探すが、どのみち腕をつかまれて身動きがとれない。陶然とこちらを見つめて迫る彼女に、じりじりと後退りする。
「どうして逃げるの? お姉さま、私のことが嫌いなの?」
 しおらしく瞳を潤ませるレナ。これが男に向けられた視線ならば、あっけなく悩殺されること間違いなしなのだが。
「き、嫌いとか、そんな問題じゃなくて、わたくしはそーいう趣味はございませ……あっ!」
 膝の裏になにか固いものが当たって、セリーヌは背中から倒れた。地面にぶつかると思っていた背中が、ずいぶん高いところで止まった。柔らかなマットレスの感触。そう、そこはなんと幸運、いや不運なことに、ベッドの上だったのだ。腕をつかんでいたレナも必然的に、彼女の上に折り重なるようにして倒れてきた。
 レナは、なんとか逃げようとしてもがくセリーヌを腕と脚で捕捉しておきながら、そっと囁きかける。彼女にこんな声が出せたのかと驚くほど、甘く切ない声色だった。
「あのね。お姉さま。私ね、ずっとお姉さまのことが」
「わーっ!! ダメダメ! それはもっと他に言うべきひとがいるでしょう! 健全な女の子が言っていい相手じゃありませんわ!」
「んもう。お姉さまの、いけずぅ」
「いけずって……きゃ、どこ触ってんのよ!」
 艶めかしく手が忍び寄ってきたかと思うと、今度は顔を近づけてきた。
「お姉さま。ここで愛の証を、ね?」
「ダメっ! それもダメ! ちょっと、聞いてるの!?」
 レナの顔が目の前まで近づく。セリーヌの表情がこわばる。何気に人生最大のピンチである。
 鼻先がかすめた。いよいよ禁断の瞬間が訪れようかという、その直前で、レナの動きが止まった。精気の戻った瞳をぱちくりさせて、セリーヌを見つめる。
「あれ……? 私、なにを……きゃあっ!」
 慌ててセリーヌから離れて、ベッドを飛び降りる。
「ち、ちょっと、セリーヌさん、なにやってたんですか?」
「あなたが言わないでよ」
 セリーヌも起きあがり、ベッドの縁に座りながら、大きくため息をついた。ぎりぎりのところで、薬の効果が切れてくれたらしい。
「はあ……なんとか一線は死守しましたわ」
「一線って……え? どういうことですか?」
 混乱するレナに、セリーヌは少しやつれ気味ながらも、いつもの調子でからかう。
「ま、あなたの意外な一面も見れたから、今回はよしとしますわ。クロードにも、それくらい大胆になれるといいわね」
 そう言って、彼女はそそくさと控え室を出ていった。レナは首を傾げて、その言葉を頭の中で繰り返してみた。
「クロードにも……? ちょっと、セリーヌさん、それ、どういう意味ですか!?」
 レナも後を追って駆け出す。控え室には、乱されたベッドばかりが、嵐の後のようにそこに佇んでいた。
「なんで逃げるんですか、セリーヌさん」
「あなたに追っかけられたら逃げるのが、癖になってしまったんですのよ」
「どうしてですか」
 無人の部屋に響く、ふたりの言い争う声はだんだんと小さくなり、やがて消えた。


   PANIC10 神聖美少年ロマンセ

     『怪盗633B参上』


 何やらここに蠱惑《こわく》的なエピソードが書かれていたようだが、この小説には相応しくないと判断した故、私がもれなく頂戴した。全国のショ……美少年愛好家の諸君は残念だったな。まあ、君らにこの内容はまだ早いということだ。精進したまえ。

 ちなみに、「あんた一体何者?」という疑問をお持ちの読者諸君は、以下のサイトの『少年探偵レオン』にて熟知されたし。子猫くんの活躍は私も眼福《がんぷく》の至りである。
 http://andante.halfmoon.jp/sonovel/

 さて、それでは参ろうか、子猫くん。ふふ、私の腕の中で眠っているのか。ういやつめ。今夜もたっぷりと可愛がってやるからな……。

(※彼が抱いているのは人形です。自作の等身大レオンきゅん人形。真性変態のやることですからご容赦ください)


   PANIC11 患者3:ピンクバーニィ

「この子の症状はちょっと微妙でしてね」
 と、係員。
「ふだんは何ともないようなんですけど、どうかすると痛そうな顔をするんですよ。いちおう、傷とか腫れ物がないか一通り調べたんですが、特に見あたりませんでした」
「なるほど」
 ノエルもバーニィの身体のあちこちをしらみつぶしに点検していったが、やはり痛みの原因となるようなものは見あたらなかった。耳の中にも、口の中にも、とりたてて異常はない。
「確かに外傷はありませんね……とすると、胃や腸などの内臓か、もしくはアレルギー症状かもしれません。なにか、痛むときの状況で、気がついたことはありませんか?」
「うーん。そうですねぇ……ああ、そういえば、痛そうな顔をするのは食後が多いような気がしますね」
「食後?」
「ええ」
 ノエルには何か思い当たるふしがあったようで、バーニィの背中側に回って、足許から何かをのぞき込むような仕草をした。
「ああ、やっぱり」
「なんだったんですか?」
 係員が聞くと、ノエルはそのままの体勢で。
「これは、痔ですね」
「……痔ですか……」
 バーニィは両手で顔を覆って、ぽっと赤くなった。


   PANIC12 セシル……かあ、さん。

 重そうな金属の腕がディアスの頭に振り下ろされる。ディアスは地面に這いつくばって避け、そのついでに剣で敵の脚を薙ぎ払った。バランスを崩す金属の塊に、ディアスはすかさず立ち上がってケイオスソードを叩きつける。金属片や何かの部品が飛散する。すぐに間合いを取ろうとその場を離れかけたディアスに、敵は腕を突き出して銃弾を乱射した。弾は頬をかすめ、腕や脚を撃ち抜いた。それでもディアスはその場に両足を踏ん張って立ちつくし、攻撃が止んだところをすかさず反撃に転じた。
「疾風突!」
 猛然と剣を突き出したまま、敵に体当たりを食らわした。突き飛ばされた敵はいびつなボールのように地面を転がり、ぐしゃりと鈍い音をたてて壁にぶつかった。あとには大きく変形した金属の塊が残っているのみ。それも、程なくしてすうっと消えた。
「なんと、ついにディアス選手、四十九匹目までも撃破しました! さあ、いよいよラストの五十匹目だ! 前人未踏の完全制覇はなるのか!?」
 ディアスは喘ぐように激しく息を切らした。撃ち抜かれた腕と脚がズキズキ痛む。意識が朦朧として、少しでも気を抜いたらそのまま倒れてしまいそうだ。しかし、ここで倒れるわけにはいかなかった。あの日から、俺は決して負けない、倒れないと誓ったのだ。こんなところで、誓いを破るわけにはいかない。
 最後の敵が前方に出現する。ディアスは面《おもて》を上げ、敵をきっと睨んだところで、唖然とした。
 そこには、見上げるばかりの巨大な怪鳥が、フィールドを覆いつくすほど大きな翼を広げて浮かんでいた。それを目の当たりにした瞬間、ディアスは全身から力が抜けていくのを感じた。
「冗談じゃ……ない」
 そうして、ぷつりと糸が切れたように、戦わずして彼は倒れた。



 お楽しみいただけたかな?
 それじゃ、今回はこのへんでGOOD−BY! 引き続き本編を楽しんでくれ。
 ご静読ありがとう。



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【ひとくち解説】
 料理の鉄人、大好きでした。実況と解説の掛け合いとかアイスクリーマーが壊れるところとか(笑)、それなりに再現はできたんじゃないかと思います。家庭料理の挑戦者が勝利するというのは実際に番組でもあったんですよね。陳建一vs小林カツ代だったかな。今回のもその対決を参考にしてます。
 あと、本を作る前の内容チェックの際に無理やり某怪盗をねじ込んでみました。まァ、この回は何でもアリですから。
posted by むささび at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第四章(1)

第四章 告白 ―愛しき新生、哀しき神曲―


   1 RENA PANIC! 〜ファンシティ〜

「遅いねェ。いったい何をグズグズしているんだか」
 業を煮やしたミラージュが口走った。ナールも、レナたちもずっと押し黙ったままだった。
 彼らはアームロックのミラージュの家に戻っていた。研究室の手前にあるがらくたの散乱する居間で、ミーネ洞窟に出かけた五人の帰りを待っているのだ。日はとうに暮れ、膝丈の高さしかない机に置かれたランプの灯りばかりが、もの寂しく部屋を照らしあげている。ソファに座ったミラージュは吸っていた煙草を灰皿に放り投げ、傍らにあったグラスの水をそこに注いだ。いくつものちびた煙草が灰皿の中で浮き上がる。汚い沼に漂う睡蓮《すいれん》のように。
「私、ちょっと見てきます」
 そう言って、レナは足早に家を出ていく。この場の重苦しい空気が、どうにも堪えがたかったのだ。
 夜の帳の降りたアームロックの上空は、どんより曇っていた。空を覆いつくす分厚い雲の白さばかりが、闇の中で見る白骨のように不気味に目立っている。今にも降りだしそうだ。けれど、家に戻る気はなかった。西の空に目を見張らせながら、人気のない大通りをひとり、歩いていく。
 風はいくらか湿気を含んでいた。道沿いにずっと続く街灯の明かりが人魂のように皎々《こうこう》と輝く。人家の窓から洩れる明かりも燐光ほどに弱々しい。
 亡霊の街みたいだ。レナは思った。死人の栖《すみか》にひとりだけ生きた人間が迷い込んでしまったようで、歩くうちにだんだん心細くなってきた。けれど、歩みはやめない。
 細かい雫が彼女の手の甲をかすめた。レナは空を仰ぐ。いよいよ雨が降りだしたのだ。それでも彼女は引き返そうとはしなかった。雨は次第にその勢いを増す。大粒の雫が髪に絡みつき、服を濡らし、靴に染みこんでいく。骨まで凍えそうなほど冷たい雨だったが、どこかで雨宿りしようという気もなく、むしろ甘んじて雨に打たれているような趣すらあった。
 幼い頃から、彼女は他人ほど雨というものを嫌っていなかった。雨に打たれて濡れることを不快とは思わなかった。どしゃ降りの日でも構わずに外で遊んで、泥だらけになって帰ったら、ウェスタにさんざん叱られたこともあった。けれど、それは子供としては当たり前のことではなかったか? 誰しも子供の頃は雨を嫌がったりはしなかったはずだ。それが、成長するにつれて、どうしてみんな雨を嫌いになってしまったのだろう。レナにはそちらのほうが理解できなかった。こどもからおとなへと成長する過程で、ひとはいろいろなものを失くしていくからだろうか。残酷なまでの純粋さも。無知からくる優しさも。そして、雨に打たれても平気だったことも。だとしたら、私はまだこどもだということなのだろうか?
 そんなことを考えながら歩いていると、不意に、西の空にひとつの影を見つけた。サイナードだ。降りしきる雨の中をこちらに向かって飛んできている。レナはすぐに、街の入口へと駆け出した。
 彼女が街の入口から外に出たときには、既に目の前にサイナードが降り立っていた。その背中からひょっこり顔を出したのは。
「ボーマンさん!」
「よう、レナか」
 ボーマンは憔悴《しょうすい》した笑顔で応えた。
「悪いが、ちょっくら手を貸してくれねぇか」
「え?」
 そこでようやく異変に気づいた。回り込んでサイナードの背中を覗くと、そこにはひどく傷ついた仲間たちが蹲《うずくま》り、あるいはうつぶせに倒れていた。
「なにがあったんですか?」
「ごめんなさい。わたくしのミスですわ」
 大きな麻袋を抱えて降りてきたのは、セリーヌ。彼女は見た目ほどに傷は深くないようだ。
「呪紋の威力が大きすぎて、洞窟が落盤してしまいましたのよ。まったく、わたくしとしたことが迂闊《うかつ》でしたわ……。外にいたサイナードが壁を壊して助けてくれなければ、今ごろ全員生き埋めになっていたわ」
 額に手を当ててうつむくセリーヌ。その表情は慚愧《ざんき》と後悔に満ちていた。
「それでも、ちっとは落盤に巻き込まれちまってな。エルネストはオペラを庇って片足を潰された。ノエルも落ちてきた岩に頭をぶつけて、気を失ったままだ。悪いがレナ、治療頼むよ」
 レナはすぐに頷いて、治療にかかった。オペラとふたりでエルネストをサイナードから降ろし、踝《くるぶし》から下が痛々しく変形してしまった足に手を翳《かざ》して呪紋を唱える。それが終わると、今度はボーマンと協力してノエルを降ろした。彼の手首を取って脈拍を確かめ、岩をぶつけたという後頭部の具合も確かめた。
「ノエルさんは大丈夫です。ショックで気絶してるだけ。エルネストさんもひとまず応急処置はしましたけど、その怪我だと、これから何回かに分けて治療をしないといけません。……とにかく、ミラージュさんの家に戻りましょう」
「そうだな」
 ボーマンは天を仰いだ。こんな雨の中でたむろしていても仕方ないのだ。
「レナもずいぶん腰が据わってきたな。前は少し治療するだけでもドタバタしながらやってたのに」
「やめてくださいよ」
 レナの頬に赤みがさした。ボーマンはそんな彼女を見て笑みを洩らすと、ノエルを担いで街の入口へと向かっていった。
 レナも彼らに続いて街に戻ろうとしたが、ふと思い出して、サイナードの前に歩み寄る。
「ありがとうね。みんなを助けてくれて」
 立派な鼻面を撫でてやりながら、その手に少しだけ紋章力を送り込んだ。回復呪紋《ヒール》の淡い光が、雨風に冷えきったサイナードの躯を温かく包みこむ。回復呪紋はただ傷を癒すためのものじゃない。呪紋を施したものと心を通わせ、お互いにわかりあうこともできるのだ。そのことを知ったのは、そう、このサイナードと出会ったときだった。
 サイナードが首を擡《もた》げて、礼を言うようにひとつ鳴いた。レナはそれに笑顔を返してから、雨でぬかるんだ道を街に向かって走っていった。

「まァ、なんにせよ、レアメタルは手に入ったわけだ」
 研究室の大きな画面を背にして、ミラージュが言った。
「じゃ、さっそくだけど、あんたたちの武器を預かるよ」
 唐突な言葉に、ボーマンたちは面妖な表情でミラージュを見る。
「あれ? どうしたの?」
「ミラージュ。まだみなさんには説明していないはずだろう」
 ナールが言うと、ミラージュは首を傾け指でこめかみを押さえるようにして、考えるような素振りをした。
「そうだっけ? じゃ、説明するよ。つっても、そんなに大した話じゃないんだけど」
 相変わらず飄々《ひょうひょう》とした口調で、ミラージュは続ける。
「要するに、あんたたちの武器も反物質化してやろうということさ。『剣』に比べれば簡易的な措置に過ぎないのだけど、それでも反物質だからね。武器としての性能は格段に向上するよ。そのための『装置』もこのデータの中に設計図があった。ただし、それにはあんたたちの武器にもちょっとした細工を施す必要があってね。言うなれば、その『装置』が発する信号を受信する『アンテナ』のようなものを取りつけるんだ。『アンテナ』から受信した信号によって武器が反物質化するって仕組みだね。……わかったかい?」
 わかったようなわからないような。彼らは神妙な顔つきのまま、曖昧に頷いてみせた。
「まァ、そういうことだ。武器を俺に預けてくれ。一晩で返すから心配いらないよ」
 言われるまま、彼らはめいめいの武器をミラージュの足許に置いた。ボーマンはナックル、オペラはランチャー、そしてエルネストは鞭を。セリーヌの杖はそれ自体で敵を殴るわけではないので反物質化の必要はない。
「ようし。これで材料はすべて揃った。後は俺の仕事だ。みんなご苦労だったね。三人の武器は明日返すけど、『剣』と『装置』の完成は三日後だ。それまではゆっくり身体を休めて、十賢者との決戦に備えてくれ」
「え? ちょっと待ってください」
 と、クロード。
「身体を休めてって……三日後まで、僕らができることはないんですか?」
「ええ。特にありません」
 あっさりと、ナールが答えた。
「そんな。ここまできて休んでなんていられませんよ。やることがないと言うのなら、僕らで自主的に特訓でもします」
「特訓ですか……まあ、みなさんがそうしたいというならそれで構いませんが……」
「市長。どうせならあれ使わせたら? ほら、ファンシティの」
 そう言って、ミラージュはナールと小声で相談を始めた。
「なに話してるんだ?」
「ふたりでコソコソと、怪しいですわね」
 ボーマンとセリーヌが眉を顰《ひそ》める。
「……では、そいつを使うとしようか」
 しばらくしてナールが頷き、こちらに向き直った。
「お待たせしました。みなさんには特訓にうってつけの場所を用意しますので、明日はファンシティにお越しください」
「ファンシティ?」
 オペラが訊き返すと、ミラージュがそれに答えた。
「ファンシティってのは……ああ、そこの三人はさっき行ったから知ってるだろうけど、ここから北に行ったところにある、娯楽施設ばかりが集まった街だ。要するにテーマパークだね」
「娯楽施設なんかで、特訓ができるんですの?」
「ええ。詳しいことは明日お話しします。いろいろと準備があるので、明日の夕方、ファンシティの闘技場に来てください。それまでは、街の中で休むなり遊ぶなりしていて構いませんので」
「遊ぶって……こんな切羽詰まったときに」
 クロードが口ごもる。
「いいんじゃないの。このところずっと戦い詰めだったろ? 決戦の前に気分転換ってのも悪くないと思うよ。……そら、これやるよ」
 ミラージュは懐から一枚のカードを出して、クロードに手渡した。見ると、その長方形のカードには大きな文字で『ファンシティ N.P.I.D.』と書かれている。その下には『一回の入場につき十名まで有効』と注意書きもされていた。
「何ですか、これ?」
「ファンシティのフリーパス券だよ。街に入るには入場料がいるんだけど、それがあればタダだ。明日一日、思いきり羽を伸ばしてくるんだね」
 ミラージュは悪戯っぽく笑ってみせた。背筋が寒くなるくらい、色気のある笑い方だった。





      あ〜、あ〜。
             マイクてーすっ。

                     ……いいかな。よし。

            ごほん。


 夢と希望と享楽の街、ファンシティにようこそ!
 ここはまさしくこの世の楽園、夢の国。日頃の嫌なことやムカつくことは全部忘れて、ストレスまとめて発散しちまおう! 上司に叱られたお父さんも、夫婦ゲンカをした奥さんも、かーちゃんに小遣いを減らされたおぼっちゃんも、息子の嫁にないがしろにされたオジイちゃんも、姑にいびられた若奥様も、ここに来ればみんなみんな、幸せハッピー全開さ。堅苦しいのは禁中御法度ノンノンノン。この街はすべてが娯楽、すべてがお遊び、すべてがジョークだ。だからみんなも、肩の力を抜いて思う存分楽しんでほしいのさ。
 ──けれど、だ。それによる弊害といっちゃなんだけど、ひとつだけ、みんなに注意してほしいことがある。よく聞いてくれ。
 ……え? 誰に言ってんのかって? そりゃ、キミだよ、キミ。そこで今、この小説を読んでいる、キ・ミ。
 いいかい。ここからのお話は他とはまったくノリが違う。言ってしまえばただのパロディー、もっと言えば悪ふざけだ。だから、そういうのが見たくないひとは、この先は読まない方がいい。物語の世界観を、あるいはキャラクターのイメージを壊されたくないなら、ここはさっさと読み飛ばして、すみやかに次の話へ進むことをおすすめする。ちなみに、このお話の中には物語の進行に関係するような事柄は一切出てこないから、その点は心配しなくていい。心置きなくすっ飛ばしてくれ。
 わかったね。それじゃ、選んでくれ。

■私はジョークに理解のある大人なので、この先に進む。
 はい  →そのまま次の段落へ
 いいえ →すっ飛ばして「2 仇敵」へ



 ……いいんだね?
 ……ほんとうに?

 ……オーケー。それじゃ、いってみようか。
 Let's walk in a parade !



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【ひとくち解説】
 また文字数エラーが出たので2つに分けます……。
posted by むささび at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2