2008年11月06日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第一章(2)

   2 友 〜ノースシティ〜

 ──ノエル、今していることが、君の理想だったのか?
 ──意志を貫く、という言葉はすでに僕自身を切り刻んでいるんだ。
 ──それでは君が見下してきた学者たちと変わりないではないか。
 ──そうかもしれない。けれど、それでもやり遂げなければならないことが、僕には、ある。
 ──いつまでも不器用な男だな。
 ──君とは違うよ、アーティス。


「館長ぉ?」
 研究員の男が、机に身を乗りだして顔を覗き込む。向かいに座っていたアーティスは、ようやくそれに気づいて顔を上げた。
「あ、ああ、どうしたのかね」
「ナール市長から連絡があった件の、彼らが到着しましたが」
「そうか。すぐに通しなさい」
「わかりました」
 研究員はすぐに部屋を出ていった。
 アーティスはゆっくり閉まる扉を見送ると、机に肘をついて手を組み、その両手を口許に当てる。視線は机上に置かれた一枚の紙に向けられていた。
 長辺形の白い紙には、なにか表のような枠線の中に文字がぎっしりと埋められている。いくつかの項目には×印もついている。上の隅には丁寧な文字で、
『稀少動物保護地域 定期報告 ノエル・チャンドラー』
 と記されていた。
「やり遂げなければならないこと、か」
 口許から手を離して、自嘲的に呟いた。
「……不器用なのは、私の方なのかもしれないな」
 再び扉が開く。アーティスは机上の書類をまとめて引き出しに仕舞うと、立ち上がった。


 ノースシティは緑に溢れた街──いや、もはや村と称した方がいいだろうか。駘蕩《たいとう》とした初夏の風に吹かれて木々がいっせいにざわざわと騒ぎ立ち、その樹木の間を縫うようにして瀟洒《しょうしゃ》な木造の家並みが道沿いに続いている。のどかな田舎じみた外見とは裏腹に、ここでも人々の生活はレナたちの想像にも及ばない技術を駆使して営まれている。しかし、吹く風にほんの少しだけ自然とは異なる匂いを感じた以外は、ここが創られた田舎であることを実感させる要素は何ひとつなかった。
 つづら折りの道の先に臨める小高い丘には塔のような細長い建物が聳《そび》えていた。五、六階ほどはあろうか、帽子をかぶったような屋根の赤が目に染みいる。ネーデのありとあらゆる叡智が収められた図書館『エンサイクロペディア』だ。
 サイナード飼育場『ホーム』の大きな建物はその隣に位置していた。内部は質朴とした造りながら天井も高く、研究施設らしい装置も充実しているようだ。レナたちはロビーの受付の前で呼び出されるのを待っていた。板張りの壁には明かり取りの窓と、黒に碧の稲妻を重ねたような図柄の描かれたタペストリが下がっている。受付の女性が暇そうに爪の手入れをしているカウンターの横は館長室の扉、そのさらに横は昇り階段と吹き抜けの通路が奥の部屋へと続く。何もないはずの天井の一角には、丸顔の男が紙を手に喋っている映像が映し出されていた。
 彼らはトランスポートでノースシティに出向き、この施設を訪ねていた。ネーデにおいて唯一、人工的にサイナードを飼育している、この施設へと。

 ──それは、今から数刻前のことだった。
「サイナード?」
 セントラルシティで一夜を明かした彼らは、再びナールのところを訪ねた。
「ええ。サイナードは飛行も可能な紋章生物です。体内に特殊な紋章を刻むことによって主の意のままに操ることができます。トランスポートのない場所への移動はこれを使うしかありません」
「で、そいつはどこにいるんだ?」
「乗用に飼育された種がノースシティにあります。あなた方にはまず、そちらに出向いてサイナードを入手していただきたい。移動手段がなければ十賢者との戦いもままなりませんからね。ノースシティの飼育場『ホーム』にはすでに連絡を入れておきました。準備が整い次第、すぐにでも出発してください」

 ナールの施政者らしい手回しのよさに半ば乗せられた気がしないでもなかったが、ともかくクロード、レナ、セリーヌ、ディアス、ボーマンの五人は武器や道具の買い出しもそこそこに、ノースシティへと向かった。オペラは新たに材料を集めて自分のランチャーを作るため、エルネストは例によってその手伝いのため、セントラルシティに残った。
「ここにあるものを使えば、すんごいランチャーができると思うわ。期待しててよ」
 見送る際にオペラは興奮気味にそう話したが、それよりも横で複雑な笑顔をみせるエルネストの表情の方が印象的だった。あの様子では二、三日は眠らせてもらえないだろう。

 研究員の男に呼ばれて、彼らは館長室の扉を潜った。意外なほどに狭いその部屋は、入口の手前に応接用のソファと卓、奥に事務の机が置いてあるのみだった。正面の壁にはやはりロビーと同じ模様をしたタペストリが下がっている。この施設の徽章なのだろうか。
「ようこそ、『ホーム』へ。私が館長のアーティスです」
 この巨大な施設を治める長は驚くほどに若かった。項で切り揃えた青い髪、前の釦《ボタン》まできちっと留めている白衣。誠実そうな面構えは、老い先見えて今の地位にすがりつこうとする年寄りの長には決してない気概で漲《みなぎ》っていた。
「話は市長から伺っています。早速ですがあなた方のサイナードを作成しますので、そこの階段を上がって奥のフロアへお進みください」
「作成?」
 思いもよらない言葉に、レナが聞き返す。
「作成って、どういうことですか? サイナードって生き物なんですよね」
「ええ」
 何でもないように、アーティスは説明する。
「サイナードは確かに生物です。ですが、主人に従順にするために、あらかじめその主人のデータを刻み込んでおくのです」
「生き物に、データを?」
 クロードは眉を顰める。
「それって、なんだかかわいそうじゃないかな」
「まあ、我々が飼育しているのは既に人間によって支配された種ですからね。目的自体は間違っていないんですよ」
 支配だって! あっけらかんとそう言ってみせるアーティスに、レナは不快感すら覚えた。
「さあ、どうぞ奥のフロアに。研究員が待っています」
 まるでとりつく島がないアーティスに促されて、彼らは納得のいかぬまま部屋をあとにした。
 扉がゆっくりと閉まり、ひとりになったアーティスはその場で項垂れ、こみ上げてくる笑いに肩を揺すらせた。
「私もつくづく悪役だな」
 自分を哄笑するように、アーティスは声も立てず笑い続けた。

 吹き抜けの通路は次の部屋では中央を突っ切るような橋廊となっており、左右には大きな筒のようなものが整然と連なって鈍い光を放っている。半透明の筒のいくつかには紅の胴体に青い頭をつけた生き物が逆さ吊りになって浮かんでいた。
「もしかして、これがサイナード?」
 それは鳥とも蜥蜴とも似つかない奇妙な姿をしていた。背中はなだらかな勾配で広く、なるほどこれなら数人は乗せて飛ぶこともできるだろう。お世辞にも愛嬌があるとは言いがたい両の眸には光彩がない。これで育てているというのだろうか。
「飼育場っつーから、屋外に牧場や牧舎でもあるのかと思えば……これじゃ、悪趣味な動物実験じゃねぇか」
 うんざりしたようにボーマンが吐き捨てる。
「支配された動物たち……」
 筒の中でなにも語らぬその眸を見つめながら、レナは呟く。
「エクスペルの動物たちも、こんなふうにして、おかしくなっちゃったのかな……」
 返す言葉もなく、クロードは唇を噛んで憮然と立ちつくしていた。
「準備ができました。どうぞこちらへ」
 橋廊の先で研究員が彼らに呼びかけた。クロードが返事をして、彼らはさらに奥の部屋へと進んでいく。
「なあ、ネーデ人以外の紋章を刻むんだろ。うまくいくのか?」
「さあ? でもやるだけやらないとまずいだろ。上からの命令なんだから」
「はぁ、下っ端はつらいねぇ」
 研究員の間で交わされた会話も、レナの耳には入っていた。

 パーソナルデータの取得作業は狭苦しい研究室で行われた。人ひとり分ほどの透明な箱の中に数秒間入るだけで、あっさりと終わってしまった。
 研究員たちが取得したデータをサイナードに入力する間、五人はロビーに戻ってまた待つこととなった。
「なんだか今日のわたくしたち、待たされてばかりのような気がしますわ」
 セリーヌがぼやくのも無理はない。
 待っている時間というのは普段にもまして長く感じられるもので、このときも随分と待たされたように思えたが、実際のところどのくらい経ったのかは判然としない。
 ひとつだけはっきりしているのは、しばらくして誰かの悲鳴と硬いものが砕ける音、それに建物全体を揺るがす振動が怒濤のごとく襲ってきたこと。
「なんだなんだ!?」
 ボーマンが叫ぶと同時に、館長室の扉が開いてアーティスが飛び出してきた。彼はクロードたちには見向きもせず真っ先に隣の部屋へと駆け込む。五人も後を追ってサイナードが保管されている部屋へと急いだ。
 半透明の筒を破って、一匹のサイナードが外に出ていた。研究員たちは遠巻きにそれを見守っている。
「どうした、何があったんだ!?」
 アーティスが近くにいたひとりをつかまえて問いただす。
「ぱ、パーソナルデータを入力したら、突然暴れ出して」
「なんだと?」
 サイナードが絹を裂くような咆哮をあげて、頑強な前脚を振り回す。橋廊が崩れ、あたりの筒が叩き割られる。
「いかん、このままだと他のサイナードも巻き込んでしまう。おい、なんとか制御はできないのか!?」
「無理です。ポッドから出てしまった後では……」
「僕らに任せてください」
 クロードはそう言って、ディアスとともに前に進み出た。ところが。
「だめよ、その子を傷つけちゃだめ!」
 身構えるふたりに背後からレナが叫んだ。
「レナ、だけど……」
「その子はなんにも悪くないのよ。悪いのはこんなところに閉じこめて、無理やりいうことを聞かせようとした私たちじゃない!」
 困ったようにディアスと顔を見合わせるクロードに、アーティスは冷たくぴしゃりと言い放つ。
「構わん、私が許可する。早くそいつを始末しなさい」
「アーティスさん!」
 息巻いて詰め寄るレナ。だがアーティスは彼女の顔を見ようともしない。
「放っておけば被害はさらに拡大する。君は他のサイナードが殺されていくのを黙って見ていろというのか」
「私が止めます、止めてみせます」
 制止しようとしたボーマンの手を振りきって、レナは猛り狂うサイナードの前へ駆けだした。
「レナ、無茶だ! 戻ってくるんだ!」
 クロードの声も空しく、レナはサイナードの鼻先まで近づいて話しかける。
「お願い、私のいうことを聞いて、おとなしくして……」
 サイナードは喉を鳴らして眼前のちっぽけな少女を威嚇する。眸は燃えるような紅に輝いていた。
「おとなしくしないと、あなた、殺されちゃうのよ。まわりにいるのもあなたの仲間でしょう? だから……」
 返答は口から吐き出された炎だった。青白い火焔が襲いかかるより早く、殺気を察知したディアスがレナを抱きかかえて跳躍したので大事には至らなかった。
 ディアスはレナを片腕に抱えたまま空中で剣を抜き、衝撃波を眼下の獣にぶつける。翼が折れ、透明な翅《はね》が破れて吹き飛ぶ。
「ディアス!」
「もう手遅れだ」
 悲痛な視線を送るレナにディアスはきっぱりと言った。地面に降り立つと、駆けつけたボーマンにレナを預ける。
「奴を止めるには、倒すしかない」
 そう言い残して、ディアスはサイナードと対峙しているクロードの許に走っていった。
「やめて、ディアス! クロードも……」
「落ち着け、レナ。仕方ないんだよ」
 後を追いかけようとするレナを、ボーマンが今度はしっかり両脇を抱えて諫める。その横でセリーヌがエナジーアローを唱えた。光の矢が幾重にも巨大な獣の躯を貫く。天井高く呻きをあげるサイナードの姿にレナは貌を背けた。
 ディアスが滅茶苦茶に振り回す前肢をかいくぐり、腹の下に滑り込んで剣を突き立てた。怯んだ隙をついてクロードが正面から斬りかかる。無防備な首を狙って剣を振り上げ、力を込めて振り下ろす。
「だめぇぇぇっ!」
 喉を振り絞って叫ぶレナ。その声にクロードはギュッと目を瞑り、歯を食いしばって──剣を、止めた。その刃が相手の首筋に届く、一歩手前で。
 時が凍りついたような一刹那ののち、先に動いたのはサイナードの方だった。大口を開け、青白い炎の息をクロードに浴びせる。クロードは咄嗟に反応して跳躍したものの熱風に巻き上げられ、地面に背中から落ちた。腹の下に潜り込んでいたディアスも後肢で蹴り飛ばされ、何も入っていない筒を巻き込んで壁に叩きつけられる。
 そうして、天に向かってサイナードは吼えた。それは勝利を確信した鬨《とき》の声か、それとも自らの存在を恨み呪い哀しむ嘆きの声か。
「やばい、やばいぞ、おい。セリーヌ、レナを頼んだ。ちょっくらディアスをみてくる」
「待って!」
 セリーヌが息を呑んだ。視線の先、サイナードの目の前で倒れていたクロードがゆっくりと起きあがろうとしている。火傷の痣の浮き出る腕を伸ばして剣を拾い上げ、その剣を地面に突き立て支えにして、ふらつきながらも両足を踏ん張って立ち上がった。頭はがくりと項垂れたままなので表情はわからない。
 サイナードがそれに気づいた。そして狂ったような雄叫びとともに襲いかかる。
「クロード、逃げろ!」
 ボーマンが呼びかけてもクロードは応ぜず、肩を落とし下を向いたまま。
「クロード!」
 サイナードの前肢がクロードの頭上で振り上げられる。次の瞬間にはその足が彼の身体を無惨に踏み潰すことだろう。
 そのとき、クロードが眸を見開いて顔を上げた。同時に剣を高々と掲げ、渾身の力で振り下ろす。
「砕け散れッ!」
 刃の切っ先が地面に突き刺さり、そこから迸《ほとばし》った衝撃波が地中から床石を砕きつつサイナードの足許へ潜り込む。そして、いきなり地面から大木の幹ほどの鋭い岩塊が突きだしてサイナードの躯を貫いた。それはすべて、ほんの一瞬の間に起こったことだった。
 クロードの頭上で振り上がったままの前肢が弱々しく空をきり、猛々しき獣は膝から折れて地面に頽れた。きゅう、とか細い鳴き声を残して。
 クロードは肩で荒く息をついていた。そして地面に半ば埋もれた剣を手放すと、膝をついて座り込んだ。レナもボーマンの腕をすり抜けて、同じように座り込む。
 その眸に紅の輝きが完全に消え失せるのを確認すると、アーティスと研究者たちはサイナードに近づいていった。ディアスも起きあがって、床に散らばる円筒の破片を踏みしだきながら出てきた。
「まさかこんな事態になろうとは……」
 串刺しのサイナードを見上げてアーティスが呟くのを、研究員のひとりが聞き咎めて。
「……まさか? まさかですって?」
 今にもつかみかからんとする剣幕でアーティスを詰問する。
「ネーデ人以外の紋章を刻むという時点で予測できたはずじゃないですか。未知のデータをサイナードに入力すればどういうことになるのか、あなただってわかっていたはずでしょう?」
「き、君……」
「これで貴重なサイナードが一匹おじゃんになった。どうしてくれるんです! 館長、ここの修理代と研究費のアップ、お願いしますよ」
 研究員は大股で部屋を出ていった。アーティスは大きく溜息をつく。
「まいったね、まったく」
 中途で崩れた橋廊と壊された円筒を見渡してから、大袈裟にかぶりを振った。
「……今の話、ほんとうですか」
 床に座り俯いたまま、レナが感情を押し殺してアーティスに言う。
「最初からわかっていたのに、無理にデータを入れたんですか」
「君まで私を非難するのか」
 もはや諦めにも近い苦笑を浮かべて、アーティス。その表情には明らかに倦怠感が滲んでいる。
「まあ、なんと思われようが構わないさ。これも仕事だ」
 皮肉を込めて言うと、自分の部屋へと立ち去っていく。その背中に、初対面の時に感じた気概はまるでなかった。


「昨日はすまなかったね。私も突然のことでいささか感情的になっていたようだ」
 翌日、彼らが再び『ホーム』を訪れたとき、アーティスは開口一番に昨日のことを釈明した。今さら咎め立てする気もないクロードたちも快く諒解した。ただ、レナだけは彼の姿を見ることなく、最後まで黙って下を向いていた。
「しかし、こういう結果が出てしまったからには、これ以上君たちのデータを入力することは不可能だね」
「それじゃあ、僕らはどうやって移動手段を見出したらいいんです?」
 クロードが言うと、アーティスは腕を組んで何やら考える素振りをみせて。
「……手は、ないわけでもない」
 そう言うと、館長室の壁に据え付けられているなにかの装置を操作し始めた。程なくして横の壁の一部がすっと消失して、人ひとりが通れるくらいの穴ができた。
「この先にトランスポートがある。そこへ行ってみれば、おそらく別の方法が見つかるだろう」
「どこに通じているんですか?」
 クロードの質問を無視するように、アーティスは背を向けて自分の机へと歩き出す。
「話は向こうで聞いてくれ。市長もおそらく文句は言うまい」
「僕たちのやろうとしていることは、まずいことなんですか?」
 焦れるように訊くクロードに、アーティスは歩をやめて振り返る。
「世界を救うのだろう? 多少の犠牲はやむを得まい」
 懐疑的な視線にもまるで気づかないように、悠然と椅子に腰掛けて、彼は言った。
「行きなさい、サイナードを手に入れたいのならば」
「……わかりました」
 不承不承ながら、クロードたちは穴の中へと入っていく。最後のディアスが入ると壁はひとりでに元通りになった。
 アーティスは椅子に座ったまま腕を組み、足を組んで天井の隅を眺める。瞳の奥に映じているものは。
「ノエルよ、君ならどのような答えを導き出すのか」
 気心しれた友に語りかけるように、彼は呟く。
「私を敗者だと嘲笑うか、無意味に殺戮したと怒りに震えるか、それとも……」
 途中で下を向き、口許をつり上げて笑った。
「……いや、君はひとの道に干渉するような男ではなかったな」



--
【ひとくち解説】
 こうして読み返すと、レナって結構面倒くさい子ですね……。いや、悪い子じゃないんだけど……ううむ。わたしの好みも10年で変わってしまったのかなァ(;´Д`)
posted by むささび at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年10月30日

小説 STAR OCEAN 2 〜 ネーデ編 第一章(1)

第一章 至高天《エンピレオ》の神々


 ついに、我が至願が達せられるときが来たのだ。
 時空間の狭間を彷徨《さまよ》い、絶望の淵に瀕しても涓埃《けんあい》たる期待に大望を託した。
 そして、時は動き、時は満ちた。
 この宇宙において唯一絶対なる存在、それが私だ。
 神などというものが実在するならば、それは私のことだ。
 我が掌上に握らんとする銀河宇宙の、何と矮小《わいしょう》なことか。
 普遍にして不変たる万物の理《ことわり》とやらも、まるで幼稚な機械仕掛けではないか。
 我が理論は完璧、我が肉体は完全。我が蹂躙《じゅうりん》こそが万物において自然であり、本儀なのだ。
「ようやく戻ってこられましたな。我らのネーデに」
 高揚した気分を害したのは、傍らにいた我が同胞がひとり。剛悍《ごうかん》な気性と強靱な肉体だけが取り柄の能なしだ。
「だが、あの虫けらどもも一緒に来ちまったようだが」
 ぼんくら兄弟の片割れがしゃあしゃあと口を挟む。配下を遣って姑息に嗅ぎ回る鮟鱇《あんこう》武者が。
「それは仕方がない。あの場所にいたのだ。死んでいない限りそうなっていたはずだ」
 応じたのは甲冑を纏《まと》った朴念仁。そんなに我が身が大事なら貝のように一生殻に閉じこもっておればよかろう。
「どうする、殺るか? かなり遠くに飛ばされちまったようだが」
 兄弟のもう片方が言った。野卑な言動と下劣な風貌はもはや直視に堪えがたい。
「捨て置け……どうせ何もできはしない」
 草色のローブのものが呟く。頭巾《フード》の奥に潜むふたつの眼光がいかにも陰気だ。
「気になるのはネーデ人の少女ですね。なぜあの場にいたのでしょう?」
 小賢しい口を叩くは年端もいかぬ子供。言葉と態度だけは一人前のつもりか。
「わからぬ。今のネーデから抜け出すことは不可能なはずじゃが」
 くたばり損ないが老獪な面構えをして言う。愚かな老いぼれはとっとと隠居して遁世したらどうだ。
〈恩寵の子よ〉
 奴が、徐《おもむろ》に口を開いた。が、私は無視する。
〈その目を地の底ばかりに注ぐならば、ここの法悦は汝にはそれが知覚せしめることはあるまい。王国が服従し崇敬する元后の坐し給うのを見るまでは、諸々の環の最も遠きものまで眺めるがよい〉
「ガブリエル様?」
「ただの欠陥品《バグ》の戯言だ。放っておけ」
 そう……奴はなんと醜穢《しゅうわい》なことか、欠陥品《バグ》なのだ。しかし、奴の欠陥《バグ》は我らの欠陥でもある。完全であるべき私にとって、堪えがたい汚点だ。
「未だ芽も出ぬ種を懼《おそ》れて待つよりも」
 私は言った。
「まずは、我らの計画を進めることが先決だ」
「スベテハ、コレカラハジマルノデスカラ」
 木偶《でく》人形に言われずともわかっている。
「ああ」
 累々と積み重なった愚昧なる人間どもの骸──その上に、私《ルシフェル》は立っていた。


 フィーナル、陥落。



   1 創られた楽園 〜セントラルシティ〜

 誰かに呼ばれたような気がして、レナはそっと目を開けてみた。柔らかな日射しが目の前いっぱいに広がり、すぐに目を細める。
「レナ?」
 日射しと金髪が半ば重なってすぐにはわからなかったが、横たわるレナの傍でクロードがこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫?」
 クロードは安堵をにじませた微笑を浮かべて言った。だがレナは身体を起こしながら、その声に違和感を覚えていた。
「さっき、私を呼んだのは……あなたなの、クロード?」
「え? そうだけど……」
 ──違う。クロードじゃない。
 声そのものをとうに忘れているのに、奇妙な確信があった。
「よう、お姫様のお目覚めか」
 クロードの背後に歩み寄ってきたのはボーマン。
「他の連中も見つけてきたぜ。みんなこのへん一帯に転がっていたみたいだ」
 周囲に目を向けるとなるほど、他の仲間も続々と集まってきている。
 レナは立ち上がった。
 森を切り拓いた道のような場所に、彼女たちはいた。脇には腰丈ほどの草花が咲き乱れ、道沿いにずっと続いている。道の両側は鬱蒼とした森。見上げるとそのさらに奥には崖が峙《そばだ》ち、花崗岩の壁がちらちらと陽光を反射している。道の先は緩い下り坂になっているらしく、遙か遠方に霞がかった山並みを臨めるばかり。
 心なし頭を擡《もた》げて、レナは瞼を閉じた──それは何という理由もなく、ただ彼女の自然からきた動作であった。小鳥のさえずり、木立のざわめき、そこらを飛び交う蝶の落とす鱗粉までもが、煌《きら》びやかな旋律となって感じられそうな気がする。日射しは暖かく、彼女の青い髪をくすぐるように揺さぶる風も穏やかだ。
 世界に溶けこみ、一体となっていく自分を、少女はそこに見出した。自身で自分というものを自覚できたことは一種不思議な感覚であったが、それがこの場の一部であると考えると、それほど抵抗もなかった。
 ああ、そうか。ここが私の場所だったんだ。
「ここは……どこですの?」
 セリーヌが怪訝そうに辺りを見回している。
「まさか天国……じゃ、ないよな」
 ボーマンが呟くと、隣にいたオペラが彼の頬を思いきりつねった。痛がるボーマンを確認するとすぐに手を放して。
「そういうわけでもないみたいね」
「てめぇで試せ、てめぇでッ」
 赤くなった頬をさすりながら、ボーマンは涙目に言った。
「ここは……外壁楽園。ネーデの南西に位置する人類起源の地」
 全員が驚いてレナを振り返った。レナ自身は何の反応も示さず、薄青い空を眺めるばかり。意志とは関係なく、発するべき言葉を彼女の口が紡ぎだした、という感じだった。
「レナ?」
 そのとき、レナの中をなにかが奔流となって駆け巡った。頭を強い力で締めつけられているようで、両手でこめかみを押さえてその場に蹲った。
「くうっ……いやぁ」
 目が眩んだかのように視界が真っ白になる。指先は戦慄《わなな》き、動悸が今にも喉の奥から飛び出してきそうだ。なにかが流れ込んでくるのを、彼女の中のなにかが拒んでいる。閉ざされたこころと開かれた真実。氷は炎によって融解せられ、やがてあるべき水へと還る。
「レナ!」
「……だいじょうぶ。心配しないで」
 クロードが背中をさすってくれた頃には、不快な発作は治まっていた。彼に軽く笑いかけてから、レナは再び立ち上がった。
「こっちよ」
 そうして、緩やかな下り坂の道を歩き出す。その動作は、あまりにも自然だった。まるで既に大昔から、そうするように約束されていたように。
「レナ、一体どうしたんだ?」
 ようやくクロードが声をかけるとレナは立ち止まって、振り向いた。赤いケープが翻り、しなやかな青い髪が揺れるその姿は、風の中を舞う妖精のようで、はっとするほど美しかった。
「自分でもわからない……けど、こっちに行けばいいってことだけは、なんとなくわかるの」
「それは、レナがネーデ人だからわかるのかもしれんな」
 エルネストが言うと、レナは肯定も否定もせずわずかに首を傾げて。
「こうしていると、いろんなことが感じられるの。木や花や草や動物たち、大地の息吹、風の匂い、日のあたたかさ、すべてが懐かしいの。だから……ここは、ネーデなんだと思う」
「そういえば、クロードたちも他の星の人間だって言われてましたわね」
 セリーヌが話を振っても、クロードはぼうっとレナに見蕩れるばかりで気づかない。
「あたしとエルは自分の意志で来たまでよ。テトラジェネスっていう星から、艦に乗ってね。まさかこんなことになるとは思ってもみなかったけど」
 先にオペラが説明すると、ようやくクロードも話の流れに気づいた。
「僕は……突発的な事故に遭って、偶然エクスペルに飛ばされたんだ。……そして、神護の森で、レナと出会った」
「そうだったの……」
 すべての始まりはあの森から。なんだかひどく遠い日の出来事のように思えてならない。
「どこから来た人間だろうと関係ないさ。お前であることに変わりはない」
 ぶしつけにディアスが言った。セリーヌも、ボーマンも笑顔で頷く。
「……ありがとう」
 クロードは目を伏せ、何かを堪えるように礼を言った。

「エクスペルのみんなは、今頃どうしているでしょうね?」
 日溜まりの道を歩いていたとき、不意にセリーヌが訊ねてきた。
「きっとみんな、元気にしているわ。私たちの帰りを待っているはずよ」
 レナも少し気にかかっていたが、あえて楽観的に振る舞うことにした。
「ね、クロード」
 だが、隣を歩いていたクロードの表情は思わしくない。いくぶんか青ざめているようにも見える。レナに見つめられていることに気がつくと慌てて笑顔を作って。
「ああ、そうだね」
 と、簡単に応じただけだった。
「おい、なんか妙なものが建ってるぜ」
 道の先は花畑になっていた。左手は岩壁、右手から正面にかけては険しい谷に囲まれている。ここから先へは進めないようだ。
 ボーマンが示したものは花畑の中心に鎮座している。茶褐色の石を敷き詰めた円形の台上に、やはり茶褐色の石柱が三本、上から見るとちょうど正三角の頂点を成すように立っている。支えるべき天井はなく、柱の先は梁のようなものが渡されているだけだった。台の埋もれ具合から推測しても、それは随分と昔からそこにあるようだが、風化した様子もまるでなかった。
 彼らがこの奇妙な建造物の前で立ちつくしていると、突然、頭上から声が聞こえた。
「中にお入りください」
 レナは声の主を探して空を仰いだ……が、当然ながらそこには何者もなかった。仲間たちも不審そうに目配せしている。
「誰だ!」
「怪しいものではございません。とにかく、そこの建物……トランスポートにお入りください。話はその先でいたします」
 クロードの問いかけに応えたということは、少なくとも向こうにはこちらの声が聞こえているのだ。だが、相変わらず姿は見えない。
「ふん……声だけしか聞こえないような奴を、おいそれと信用できるか」
 ディアスの意見にセリーヌも同意のようだ。杖を持つ手に知らずと力がこもる。ところが。
「行きましょう」
 だしぬけにレナが言い放った。その言葉も、彼女の意志とは異なるところから発せられている感じだった。
「だいじょうぶ……この声は、信じてもいい」
 憑き物にでも憑かれたかのような彼女の言動に仲間たちは困惑しきりだった。だが、ここで手をこまぬいているわけにはいかないことも事実。
「ま、ここはひとつ話に乗ってみるのも一興じゃないか」
 エルネストが言うと、他の者たちも慎重に頷いた。
「獅子の穴に入らずんばウサギを得ずとも言うしな」
「混ざってるわよ、それ」
「……よし、行こう」
 クロードが決断して、彼らは正三角の中心に立った。たちまち光の帯が周囲を取り巻き、景色が七色に歪む。エルリアのときのような不快感はなかった。
 視界が戻るまではわずか数秒程度だったろうか。目の前に広がるのは、無機的な金属光沢をもつ壁。薄暗い部屋の中に、彼らは立っていた。

 不可思議な光を放つ道が、足許からずっと続いていた。それに導かれるように彼らは進み、隣の部屋へと入った。
 ひとりの男が、彼らを出迎えていた。
「ようこそお越しくださいました」
 声色で、彼らをここに招き入れたのはその男であるとわかった。
 部屋は男を含め八人が入ってもまだ充分な広さがあった。天井一面に白い板が張りつけてあり、それが輝いて──いや、板の内部に光源があるのか──部屋を明々と照らしている。堅そうな材木の机には山と積まれた書類と、なにか箱のような装置が置いてあった。床はつるつるに磨かれており、男が立っている部屋の中央より壁際には革張りの長椅子が、背の低い机を挟んで対になって配置されている。
「私はこのセントラルシティの市長を務めます、ナールという者です」
 男は丁寧な口振りで紹介した。齢は既に五十を越えているだろうか。禿げ上がった額に肩まで伸ばした白髪まじりの後ろ髪。目尻や口許には細かい皺も見られる。耳朶の薄い、先の尖った耳はレナのそれとまったく同じだ。市長などという激務には頼りないと思えるほど、人の好さそうな顔立ちをしている。赤に黄色の筋が入った上着は裾が踝のあたりまであり、ウエストの部分で絞ってある。体格はずいぶんと細身のようだ。
「ここはネー……デじゃ、ないんですか?」
 レナが自信なげに訊ねると、ナールは優しく笑いかけて応える。
「ネーデですよ。セントラルシティはネーデにある都市のひとつです」
 やはり、というふうにクロードたちは顔を見合わせた。
「あなた方がどうしてネーデと呼ばれる場所に来てしまったのか、おわかりですか?」
「僕たちは……エルリアの塔で怪しい男たちと戦って……」
 クロードが懸命に記憶の糸を手繰りよせて話すが、それ以上はどうしても思い出せなかった。
「そうして、気がついたら、あの場所にいたんです」
「おそらく、あなた方は彼らがネーデに飛ぶ際に、巻き込まれる形でここに辿り着いたのでしょう」
「いったい、奴らは何者なんですか!」
 息巻くクロードに、ナールは背中を向けて。
「……彼らは『神の十賢者』と呼ばれている者たちです。彼らについて語るには、ネーデが犯した過ちの歴史を語らなくてはなりません」
 そう言うとナールは机上の箱のような装置の前に立って、なにやら操作を始めた。
「私の口から話すよりも、こちらの方がわかりやすいでしょう。小学生の教材用ですが……」
「小学生?」
「もしかして俺たち、ナメられてない?」
「いえいえ、内容はちゃんとしたものですから」
 ナールはそう取り繕ってから、装置のスイッチを入れた。
 途端にまわりの景色が一変した。床も天井も長椅子もなくなり、あるのは広大な宇宙に輝く星の煌めきばかり。
「なんだぁ、空の上に立っているぜ!」
「きっ、気味悪いですわ」
「ホログラフですか?」
「いえ、そんな面倒なことはしていません」
 クロードの問いかけにナールはきっぱりと応える。
「この部屋にいる全員の脳波を制御《コントロール》して、視覚野と聴覚野に直接、情報を送り込んでいます。ですから、今あなたたちが見えている映像は外部のものではなく内部の、いわゆる脳裏に浮かんだ映像ということになります」
 彼らが唖然としているうちに耳鳴りのような音楽が流れだして、若い女性の声でナレーションが始まる。この声も自分の中だけで感じているものとは、とてもではないが信じられなかった。

〈ネーデは約三十七億年前、ひとつの惑星でした。
 当時のネーデは宇宙全体でも比べるものがないほどの科学力を持っていました。そのため、多くの星がネーデに従うことを選んだのです。それは決して強制的なものではなく、おたがいが共存し合うという理想的なかたちでした。
 しかし、そのような時代でも、よからぬ野望を抱くものがいるのです……。
 それが『神の十賢者』でした。彼らは共存ではなく、銀河全体の支配を望みました。そうして、まずはネーデを我がものにするため、戦争をしかけたのです。十人の狂信者たちの力は強大で、さすがのネーデ防衛軍も苦戦しました。それでもネーデ軍はやっとのことで十賢者を追いつめて、時の流れない特殊な空間、エタニティスペースに封じ込めることに成功しました。数年間続いた戦いはネーデ軍の勝利で終わったのです。
 しかし、この戦いを通じて、ネーデ人はひとつのことに気づきました。私たちはたとえ自らが望まなくても、宇宙全体を支配するほどの力を身につけてしまったということに……。いつまた、第二、第三の十賢者が現れて、全宇宙に危険を及ぼすかもわかりません。そうして長い会議のすえ、ネーデの中でも指折りの科学者、ランティス博士の提案したある結論に達しました。
 それは、ネーデと自らの力の封印です。
 惑星ネーデはネーデ人自らの手によって破壊されました。そしてネーデ人たちは人工的につくられた居住区『エナジーネーデ』に移住することになりました。居住区の周囲は高エネルギー体で覆われ、これにより外界との行き来はできなくなったのです。
 こうしてネーデは外の世界と隔離されました。三十七億年もの間、ネーデ人たちは他の星と関わりをもつことなく暮らしてきたのです〉

「あとは皆さんのご覧になった通りです」
 ナールがスイッチを切ると、部屋はすっかり元通りになっていた。いや、自分の頭の中が、というべきか。
「エタニティスペースに封じ込め、銀河に放逐したはずの彼らがどのようにして抜け出し、エクスペルに辿り着いたのかはわかりません。しかし現実に、彼らはこのネーデに帰ってきました。再び銀河の支配者として君臨するために」
「それが……神の十賢者」
「はい。リーダーであるガブリエルの力は計りしれず、参謀のルシフェルは血も涙もない残忍な男です。戦術を司るミカエル、情報を統括するハニエル。ふたりの配下に位置するラファエル、カマエル、サディケル、それにザフィケル、ジョフィエル、メタトロン……恐るべき狂信者たちです」
「それで、僕たちはどうしてあなたに呼ばれたんですか」
 クロードが訊くと、ナールは真摯に彼を見つめた。
「あなた方に、可能性があるからです」
 その言葉にディアスが面《おもて》を上げる。
「俺たちでそのふざけた連中を倒せということか」
「その通りです」
「わたくしたちで勝ち目はあるのかしら? ……いえ、別に怖じ気づいたわけではございませんけど」
「それに、さっきの装置みたいなすげぇ力があるんだろ。そんな三十七億年も前に出てきた奴らくらい、なんとかならねぇのか」
 セリーヌとボーマンがそれぞれに意見した。
「残念ながら、我々の力は三十七億年前のものとなんら変わるところがないのです」
「どういうことだ?」
 エルネストが眉根を寄せて問い返すと、ナールは微かに口の端に力を込めて。
「エナジーネーデに移住したとき、我々の祖先は生物としての進化すらも封印してしまったのです。三十七億年もの間、我々は進化も退化もなく、発展も衰退もない日々を送り続けてきました。ですから、我々の科学力、それに紋章力は十賢者が出現した頃とほとんど変わりがないのです。いや、永きにわたる平穏な生活によって、むしろ退化しているかもしれません。……それに、我々と十賢者の力は同質です。結局は力の強い方が勝ちます。必要なのは、異質な力なのです」
「異質な力……か、どうする?」
 クロードが仲間の方を振り返った。
「聞くまでもないと思うが、なぁ?」
「どのみちそいつらをなんとかしないと、帰れそうにないしね」
「特に異論はない」
「同じく、ですわ」
「前回の屈辱を晴らさねば気が収まらんからな」
 クロードは最後にレナを見た。彼女もしっかりと頷き返した。
「ありがとうございます」
 全員が同意したのを見届けると、ナールは敬虔《けいけん》そうに項垂れた。
「さて、見知らぬ地に突然飛ばされてお疲れのことでしょう。宿をとってありますので、今日のところはごゆっくり休まれるとよろしい。ホテルまでの案内は秘書にさせますので、外に出たところの受付の前でお待ちください」
 指示を受けて部屋の外へと足を向けたとき、つけ加えるようにナールが少女の名を呼ぶ。
「レナさん」
 足を止め、目を瞠《みは》って振り返る。
「どうして、私の名前を……」
「あなただけにお話があります。少しの間、残っていてもらえないでしょうか」
 その言葉に微妙な響きを察知したレナは、すぐに承諾した。
 最後に出たオペラがそっと扉を閉めると、あたりは息苦しいほどに静まり返った。
「……もう、すべてを聞くだけの覚悟はできているつもりです」
 顎を落とし、押し殺した声で、レナが切り出す。
「私は、ネーデ人なんですね」
「ええ、間違いないと思います」
 ナールにそう告げられて、意外にもすっと肩の力が抜けていくような感じがした。長い間、追い求めてきたひとつの答えが見出せたからだろうか。それがどれほど信じがたい事実であろうとも?
 けれども、もうひとつ。
「ナールさん、あなたは私の名前を知っていました。それなら、私の両親のことも知っているんじゃないですか?」
 ナールは口を閉ざしたまま、表情ひとつ変えない。
「私はエクスペルでずっとほんとうのお母さんを捜してきました。けれども、全然手がかりがなくて……私がネーデ人なら、当たり前だったんですけど……知りたいんです、お母さんのことを。教えてください」
 感情に任せて捲《まく》し立ててしまい、言い終わってから少し後悔した。間の悪い沈黙の中、ふたりの睨み合いがひとしきり続いた。
「いえ、私は知りません」
 ナールから出されたのは、あまりにも拍子抜けな返答だった。
「ただ、これから旅先のどこかで、あなたのご両親のことを知ることができるかもしれません。真実は必ず、このネーデの中にあるのですから。……あなた自身の手で、お探しなさい。自らに秘められた大いなる真実と、意志を」
「……はい」
 返事をしながら、レナは奇妙な感覚に見舞われている自分に気づいた。以前にどこかで似たようなことを言われたような気がするのだが、それがどこで、誰から言われたのかは、記憶がその部分だけすっぽり抜け落ちたように忘れていた。


「ここがセントラルシティの中心部、大通り《メインストリート》です」
 市庁舎《シティホール》を出てしばらく歩いたところで、一行を先導していた秘書が説明し始めた。
「ここセントラルシティはネーデ唯一の行政機関であるシティホールをはじめ、官庁や新聞社、出版社など主要施設が集中しております」
「ネーデの実質的な中心地ってわけか……なるほどね」
 オペラが通り行く人々を眺めやりながら首肯する。
 違う星だといっても、そこで暮らしている人たちの生活はエクスペルとあまり変わりがないのだ、とレナは思った。こうして街を歩いてみても不思議な感じはほとんどない。軒先に並ぶアクセサリを品定めする女性、手に提げた買い物袋にはちきれんばかりの食料を詰め込んでいる婦人たち、威勢のいい声で手に持った剣を売り込む武器屋の親父、『レザード・ヴァレス愛用のフラスコ有り□《マス》』と貼り紙がしてある怪しげな店、玩具屋の窓越しに店内の人形を物欲しげに眺める女の子を見つけたときなどは、幼い頃の自分をそこに重ね合わせて、懐かしさに思わず胸が締めつけられた。
「でも、比類なき文明を誇っていたにしちゃ、なんだかアンティークな雰囲気よね」
「これが、私たちの結論なのです」
 オペラの疑問に、秘書が説明した。
「究極ともいうべき文明を持った私たちが物質的にも精神的にも満たされた生活を追求した結果、この姿になったのです。古代への帰結とでも言いましょうか。ただしそれは外見上だけで、実際の生活レベルは最上テクノロジを用いた超文化です」
「乗り物らしきものの姿が見あたらんが、移動手段は足だけなのか?」
「都市間の移動はトランスポートを用います。都市の内部にも連絡用のトランスポートが数箇所設置されています」
「きゃあ、可愛いっ」
 レナが見つけたのは道の脇に置いてあった巨大なバーニィ人形。「バーニィレースはファンシティで連日開催! ぼくらの走りを見に来てほしいにゃ♪」と書かれた板を首(頭?)から提げている。
「ファンシティ、って?」
「各種娯楽施設を取りそろえたネーデの一都市です。ネーデの都市は他にも、ここからすぐ北のノースシティ、大学のあるギヴァウェイ、唯一武器の製作が許可されているアームロックなどが各地に点在しています」
 大通りの中途で右に折れて、人気のまばらになった道を歩いていくと、やがて焦茶の大きな建物が目前に見えてきた。
「あちらが、ホテル『ブランディワイン』となります」

 ネーデの夜空にはちゃんと星も輝いている。話に聞けばこれもつくりものだという。聞かなければもっと楽しめたろうにな。そう思うとなんだか白けてきてしまった。
 レナはホテルの廊下で夜景を眺めていた。窓を大きく開け放ち、縁《ふち》に身を乗り出して頭上の月を見る。
「前にそうしていて、二階の窓から落ちたことがあったな」
 振り返ると、背後にディアスがいた。さすがに外套と剣は外してあるが、それほどくつろいだ様子でもない。
「あのときは木がクッションになって助かったが、今度は硬い地面にそのままぶち当たるな」
「おあいにくさま。落ちたりなんかしませんよっ」
 身体を縁から降ろして、取り澄ましたふうに言った。ディアスは無言で彼女の横に立つ。
「……今日一日だけで、いろんなことがあったね」
 レナがしきりにディアスに話しかける。
「ディアスは今日起こったこと、ぜんぶ覚えてる?」
「さあな」
「十賢者がどうだとか、なんとかスペースだとか、ちゃんと理解できた?」
「さあな」
「私、なんだかこんがらがっちゃって、よく覚えていないんだ。だって、ナールさんのお話長かったし……」
 ディアスは口を噤《つぐ》んだまま大通りを照らす街灯から目を離そうとしない。それに業を煮やしたレナが。
「ねえ、なにか言ったらどうなの」
 ディアスは視線を流してレナの顔を見た。
「それはお前の方だろう」
「え?」
「もっと他に言いたいことがあるんじゃないのか」
 レナは下を向いた。気を紛らわそうと余計なことばかり喋っていたのが、裏目に出たらしい。
「……私、やっぱりネーデ人なんだって」
 窓に背を向けて、縁にもたれかかる。
「どうして治癒の力をもっているのか、紋章を刻んでないのに呪紋が使えるのか、ずっと不思議だった。みんなと同じでないことが、怖かった。ううん、怖かったのは……みんなから変な目で見られること、ばけものみたいに思われること……。治癒の力で喜ばれても、私はみんなには受け入れられない。感謝されているのは私じゃなくて、私の中にある治癒の力だから……」
 途切れがちにそこまで言うと、そっと自分の耳に触れる。
「こんな耳のことなんか、気にしたこともなかったのに……」
 口許を緩めて、レナは笑った。こんなときにどうして笑いがこみ上げてくるのかは、わからなかったが。
「やっぱり私はみんなと違うのね……生まれた場所も、もっている力も……」
 ディアスは表情ひとつ変えずに彼女を見つめていたが、不意に横を通って向こう側の階段へと歩いていく。
「他の連中がどう思っているかは知らんがな」
 廊下の途中で立ち止まって、ディアスは言った。
「どこの星で生まれていようが、お前は俺の『妹』だ。昔も今も、これからも、な」
 そうして、足音も立てずに階段を降りていった。
「『妹』……?」
 窓縁に寄りかかったまま、レナは呟いた。
「……うん、そうだね。私はディアスの妹だよ。これからも、ずっと……」
 嬉しいはずなのに、涙がぽろぽろ零れて頬を流れる。涙の粒は、葡萄酒色《ワインレッド》の絨毯にぽたりと落ちる。夜空に煌めく星々が、震える少女の背中を静かに見つめていた。



--
【ひとくち解説】
 後半戦開始です。
 冒頭からルシフェルのナルシーっぷりが炸裂してます。わたしの中ではこういうキャラなんです。ゴージャスで、誇大妄想家で、ナルシストで。まさに典型的な悪役だけど、こういう奴がいたほうが盛り上がりますよね。もう少し要所で活躍させたかったなァ。
posted by むささび at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年10月23日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第七章(3)

   3 破滅への輪舞曲《ロンド》 〜エルリアタワー(2)〜

「まさか海に落ちて生きていようとはな。お前たちの悪運には真に恐れ入る」
 胸の前に組んだ腕を解いて、シンはセリーヌたちを一同に睨みつけた。
「だが、奇跡もこれまでだ。この塔がお前たちの墓標となるのだ」
「それはこっちの科白《セリフ》ですわね。あなたの墓にはこんな悪趣味な塔がお似合いでしてよ」
 セリーヌも負けじと指を突きだして睨み返す。
「今度は手加減せんぞ」
「お生憎様。わたくしも全力で参りますわ」
 魔物は赤紫の羽根を羽撃かせて飛び上がり、空中で静止する。そしてセリーヌめがけて突っ込んできた。
 彼女を庇うようにボーマンとエルネストがその前に立ちはだかる。ボーマンは向かってくるシンに毒気弾を投げつけた。丸薬から噴き出る炎に相手がたじろいだところで、すかさずエルネストが鞭を振るった。
「サウザンドウィップ!」
 鞭がまるで生きもののように伸び上がり、シンの腕といわず脚といわず全身を打ちつけ切り刻んだ。鞭の動きのあまりの速さに無数の残像が生じ、傍目からはまさしく千の鞭を振るっているかのように見えた。
 シンが鞭の嵐の中を抜け出し、再び宙に飛び上がる。そこへ間髪容れずにボーマンも跳躍し、シンの背後から渾身の力で殴りつけた。落下して床に叩きつけられる寸前で翼を翻し、体勢を戻してふわりと着地した。
「安心するのはまだ早くてよ」
 そこへセリーヌがスターライトを唱えた。頭上の一点から放たれた一条の光線を、シンは毫ほどの差で躱す。しかし、それに気を取られているうちに、渠《かれ》の周囲にはいくつもの光弾が取り囲んでいた。
「これでもう、逃げられないわよ」
 オペラのα《アルファ》オンワンだった。光弾は彼女の言葉に呼応するようにいっせいにシンに襲いかかった。炸裂する轟音が腹の底に響き、爆風が髪を靡かせる。しかし一体どういう造りをしているのか、床からは振動ひとつ伝わってこない。
(ふむ。これなら、あれも使えそうですわね)
 ヒールで床をコツコツ叩きながら、セリーヌは口許をつり上げた。
「ぐ……おのれぇ、そんなに死に急ぎたいか」
 並の魔物なら一撃で事足りる光弾をいくつも浴びても、シンはそこに屹立していた。黄色の双眸は憎悪に激しく輝く。だが、しかし。
(…………?)
 四人は身構えながら、それぞれに同様の疑問を抱いた。
 シンの動きが、以前に戦ったときよりも鈍いような気がする。船上で見せた圧倒的な身体能力も強靱さも、今ではあまり感じられない。それまでの渠《かれ》ならば、ボーマンの毒気弾ごときでは怯むはずもなかったはずだ。筋肉の盛り上がった体躯はどことなく疲労に衰弱しているように見え、怪しく光る黄色の眸もいくらか濁っている。
 ──勝てる!
 そう確信すると俄然《がぜん》力が沸き上がってきた。
「よっしゃあっ!」
 今度は先にボーマンが気合いを発して駆けだし、シンと打ち合う。弾かれるように背後に後退すると、必殺の気合いを込めて両手を横に広げた。掌に紅蓮の炎が灯る。
「朱雀双爪撃!」
 両腕を交差させるように振るって炎を投げつけた。シンは光の膜を張って炎を防ぐが、タイミングが少し遅れて衝撃に蹌踉《よろ》めいた。立ち直って前方に目を向けると、そこでは既にエルネストが空中に飛び上がって攻撃を仕掛けていた。
「アークアタック!」
 何もないはずの宙の一点に鞭が絡みつき、それにぶら下がって反動をつけるとエルネストは空中から猛然と蹴りを繰り出した。不意をつかれたシンは胸板に蹴りを浴びせられ、背中から倒れる。
 その隙をオペラが見逃すはずはなかった。シンに向かって手製のランチャーの引き金を引くと、コールドリザードの吹雪にもまさる冷気が銃口から噴きだした。見る間にシンの躯が白く凍りつき、その動きも完全に止まったかに見えた。
 終わった。その場にいた四人はそう信じて疑わなかった。
 ところが。
「ふざけるなぁっ!」
 霜を振り払い、冷気をはじき飛ばしてシンが飛び上がった。相手に身構える隙も与えずエルネストを殴り飛ばし、ボーマンを蹴りつけ、矢継ぎ早に撃ちだすオペラの銃弾をものともせず頭から突っ込んで突き飛ばした。
「非力な人間どもがどう足掻こうと、この私は倒せん」
 そう言い放つと、シンは残るセリーヌのところへ歩み寄る。三人を一瞬のうちに昏倒させた力と速さを目の当たりにして、セリーヌは金縛りにあったように動けなかった。
「ふっ、先程までの威勢はどこへいった?」
 シンはセリーヌの前に立つと、頭をつかんで持ち上げ、顔を自分の貌に近づけた。恐怖に青ざめる彼女の表情を嘗めるように眺めていたが。
「脆弱《ぜいじゃく》な人間は、蛙のように潰れて死ぬのが相応しいか」
 そう言うと、彼女を高々と放り投げた。しなやかな肢体が吹きさらしの通路を越えて、何もない闇の中へと躍り上がる。絶望の奈落へと。
 そのとき、通路に一陣の疾風が駆け抜けた。誰かが素早く跳び上がり、落下しかけていたセリーヌを両腕でしっかり受け止める。そして近くにあった根のような柱にしがみつくと、それを足場に再び跳躍して通路に戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
 通路にセリーヌを立たせてそう訊いてきたのは、クロード。まだ茫然とする彼女に笑いかけ、それから毅然とシンと睨み合った。
「お前は……」
 憎々しげにシンが言葉を洩らしたとき、渠の背中を黒い衝撃が襲った。振り返ると、通路の手前に長身の男と、瞑目して何やら細かく口を動かしている少女がいた。ディアスとレナだ。
「キュアオール!」
 目を開けてレナが唱えた。床に倒れていた仲間たちに光の粒が降り注ぎ、見る間に傷の癒えた彼らはゆっくりと起き上がる。
「まだ虫けらどもが残っていたのか……まったく忌々しい連中だ」
 シンの双眸の黄色がいよいよ濃くなった。右手を前に出し、鋭く研ぎ澄まされた爪を彼らに見せつける。
「よほど私に八つ裂きにされたいらしいな。よろしい、その望み叶えてやろう」
 いきなり腕を振ってディアスとレナに鎌鼬を投げつけた。ふたりは素早く横に散開して攻撃を凌《しの》ぐ。シンが低空飛行でディアスに詰め寄る。ディアスは剣を抜いて応戦する。刃が強固な皮膚を斬りつけ、爪が服の裾を掠めた。
「セリーヌさん」
 シンがディアスと打ち合っている間に、クロードは隣のセリーヌに訊ねた。
「まだ呪紋は使えますか?」
「え? ええ、あと二、三回は平気ですわよ」
「僕らが時間を稼ぎますから……お願いします」
「わかりましたわ」
 互いに頷き合い、クロードは振り返ってすぐに駆け出そうとしたが。
「クロード!」
 セリーヌが呼び止めて、言った。
「さっきのあなた、なかなか格好良かったですわよ」
 クロードは鼻を掻いて照れ笑いを浮かべる。そして、シンの許へと走っていった。
「……けど、あの程度のことで射止められるほど、わたくしは軽い女でなくてよ」
 誰に言うでもなく呟くと、セリーヌは本を取りだして詠唱を始めた。
 ディアスとシンの攻防はまだ続いていた。
 迫り来るシンに対しディアスはケイオスソードを放つ。シンは地面を蹴って跳躍し、空中で翼の向きをくいと変えると頭上から突撃してきた。ディアスの頭を狙って繰り出された手刀は間一髪躱した。水色の髪が数本、宙に舞う。ディアスはすかさず剣を下に向けて構える。
「朧」
 攻撃を予期したシンは膜を張って弧状の衝撃波を防ぎ、逆に無防備なディアスの腹を鋭利な爪で引き裂いた。苦し紛れに遅れて打ちだされた剣の一撃をシンは宙に飛び上がって避ける。腹から大量の血が流れ出て、程なくディアスは蹲った。
「とどめだ!」
 シンは空中から鎌鼬を放った。痛みに判断が鈍ったディアスは動けない。白く細長い鎌鼬が回転しながら真っ直ぐ彼のところに向かっていく。シンが口許を歪めてほくそ笑う。
 しかし、ディアスに届く目前で鎌鼬ははじけるように消滅した。彼を守ったのは、盾の形をした光の障壁。
「よかった……間に合って」
 彼の背後で腕を振り下ろした体勢のまま、レナが安堵の息をついた。それは彼女の防御呪紋《プロテクション》によるものだった。あまり長時間は保たないようで、しばらくすると光の盾はすっとかき消えた。
「また邪魔が入ったか。────っ!?」
 ほんの一瞬生じた隙を、彼は見逃さなかった。シンが気づいたときには既にクロードが背後にいた。空中で渾身の力を込めて剣を振るう。背中を深々と斬り裂かれ、シンは真っ逆さまに落下して床に伏した。
「ぐ……おのれぇ」
 すぐに立ち上がり、荒々しく息をつきながら怒りを顕現《けんげん》させる。レナの呪紋で回復したディアスと、ボーマンやエルネストらも加わって、仲間たちは渠を中心として周りを取り囲んだ。クロードの斬撃により右の翼が付け根から折れ、肩からだらりと垂れ下がっている。もはや飛ぶことはできまい。
「あの小僧の呪紋のダメージさえ恢復《かいふく》しておれば、お前らなどには……」
「小僧?」
 レナが訊き返す。
「まさかレオンのこと? あなたレオンをどうしたの?」
「そんなことを私が知るか。あの呪紋を自ら浴びて無事でいるとも思えないがな」
 ────────!
 レナの瞳に力がこもる。全身から血の気が引いていくのがわかった。戦慄《わなな》く指先は知らずとスカートの隠しに入っている雫の飾り物を辿る。
「ふっ」
 不意にシンは指先を頭上に掲げた。その一点に気圧が急激に凝縮され、一気に爆発する。近くにいた者はことごとく吹き飛ばされ、ボーマンは通路の縁を越えて奈落へと落ちかかったが、咄嗟にエルネストが鞭を振るい彼の腕に巻きつけてどうにか助け上げた。
「空など飛べずとも、お前らを葬り去ることなど造作もない」
 凄いような笑みをつくって、シンは言い放つ。
「さあ、かかってくるがいい」
「残念ですけど、これでジ・エンドですわ」


 振り向くと、そこにはセリーヌが立っていた。突きだした杖の先端の飾り玉は蕩々《とうとう》と光に充ちている。
「今宵の空の天満月《あまみつつき》よ、狂おしき光は闇を破りて降り注がん」
 杖を翳して、彼女は唱えた。
「ルナライト!」
 暗雲に覆われた上空に光が射し込み、幾本もの帯を成して流れ落ちてきた。白い光の帯は螺旋状に縺《もつ》れ合いながら降下する。そうしてシンの周囲に降り注ぐと、帯と帯とが融合して巨大な光の渦が生じた。暴風が吹き荒れ、小さな稲妻が迸る。彼らは吹き飛ばされぬよう身を固くしてそれを見守る。渦の中心から咆哮とも悲鳴ともつかない叫喚《きょうかん》が轟いた。
 やがて、渦は霧にでも紛れるようにその光が薄まり、消失した。シンは床に膝をつけて項垂れていた。赤紫の皮膚は焼けただれ、だらりと下ろした腕の爪の先から緑色のどろどろした液体が滴っている。今度こそやったかと息を詰めていたが、いきなりその頭が吊り糸に引っ張られたかのように持ち上がり、血走った眼でこちらを睨んだ。
「先へは、進ませぬ……たとえ、この命尽きしとも」
 シンは怨恨の形相で腕を振り上げ、詠唱を始めた。彼らの脳裏に、船上を吹き荒れた熱風が蘇る。この場所であの呪紋を唱えられては、また誰かが吹き上げられ落下してしまうかもしれない。
 クロードは走った。シンに止めを刺すために。だが渠は既にほとんど詠唱を終え、その掌上には深紅の光が集中していた。間に合わない。無我夢中でクロードは右腕に闘気を込めて振りかぶった。
「吼竜破ッ!」
 腕から放たれた闘気が青白い竜のかたちを成してシンに襲いかかった。竜は闘気の尾を曳いて飛翔するごとく駆け抜け、呪紋を唱えようと口を開きかけたシンの首筋に食らいつき、突き飛ばした。背中を床に叩きつけて、ついにシンは斃《たお》された。
「ぐ……ふふ、見事だ、人間どもよ」
 シンは仰向けのまま、息も絶え絶えに言った。
「だが、これも所詮は無駄な悪足掻《わるあが》きでしかないのだ……結局は、我らの、勝利、だ……」
 黄色の双眸から光が失せ、シンは事切れた。
 勝利の歓びも生き残ったことへの安堵もなく、彼らはただ、無言で眼前の骸を見つめていた。すぐ傍から、誰かの啜り泣きが聞こえてくる。
「レナ……」
 彼女はそこに座り込んで、両手で掬うように持った雫の飾りを一心に見つめていた。少年の健気な想いがこめられた、お守り。そう、これが私たちを守ってくれたんだと。
「行こう、レナ」
 クロードが前に立って、そっと手を差し延べてきた。
「この悲しみを、僕らの手で終わらせよう」
 レナは目頭を拭い、飾りを隠しに仕舞うと、顔を上げて頷いた。そして彼の手に手を乗せて立ち上がる。
 通路の先に突き立つ光の柱へ仲間たちが歩き出しても、ディアスはその場に立ちつくしていた。見開いた眼が向けられた先は、金髪の少年。
「どうしたの?」
 それに気づいたオペラが声をかけると、はっと我に返りすぐにかぶりを振った。
「……何でもない」
 そう答えて、仲間たちの後をついていく。
 ──クロードが咄嗟に繰り出した、吼竜破という技。それが、ディアスの脳裏に焼きついて離れなかった。
 技そのものに何かを感じたのではない。あの瞬間、彼の背後に途方もなく巨きな黒い影を見たような気がしたのだ。
 もしあれが、彼の秘めたる力の一部だとすれば──。
 ディアスは畏怖にも似た念を抱きつつ、クロードの背中を見つめていた。


 その場所は、地上からどれほどの高さなのか、およそ計り知れなかった。この塔を覆う黒雲を取り除くことができたなら、どんなに絶景であっただろうか。空気は薄く、吐く息は煙のように白く霧散する。
 足許の地面すらほとんど見えない暗闇の中を、彼らは慎重に歩いていく。やがて前方が仄かに明るくなる。
 明かりは、その先にあった巨大な球体から発せられていた。表面にぎっしりと不可解な紋様が刻まれ、翡翠色の光に包まれたそれは、台座の上に浮かびつつも鎮座していた。霊気《オーラ》ともいわれる波動が辺りに立ちこめ、球体の輪郭は蜃気楼のように揺らめく。
「まさか……これが」
「ソーサリーグローブ……!」
 そのとき、レナのペンダントが再び強い光を放った。慌ててレナが上着の中から取り出すと、翡翠色の石はこれまでにないほど激しく明滅していた。彼らにはそれが危険信号のようにも思えた。
「動クナ」
 突如、鋭い声がして、クロードたちはいっせいに振り向いた。台座の手前にいくつかの人影が見える。ソーサリーグローブにばかり気を取られていて、それまで存在がわからなかった。
「なぜこの女がクォドラティック・キーを持っているのだ?」
「核を作り結晶化させたキーは、ひとつではなかったのですか?」
「ふうむ……確かにそのはずじゃが」
 男の声が、子供の声が、老人の声が方々から聞こえてくる。球体の放つ強い光を背に受けて、大小様々なシルエットが浮かび上がる。
「なに……なんなの、あなたたちは」
 レナが一歩前に進み出たとき、クロードは影の中に光の瞬きを見た。
「危ない!」
 影のうちの誰かが光線を放った。それを察知したクロードはレナを庇って前に立つ。一条の光線は彼の左の腿を貫いた。
「クロード!」
「くっ……」
 クロードはその場に蹲って呻いた。腿の傷口から、とめどなく血が溢れ出てくる。
「動クナ、ト言ッタハズダ。我々ノ言葉ガ理解デキヌワケデハアルマイ」
 人間的な抑揚を殺したような声で、誰かが言う。光線を放った当人であるらしい。
「クロード、しっかり!」
 レナはクロードの前に屈みこむと、紅いものが流れる腿に手を翳して回復呪紋《キュアライト》を唱える。煌めく光の粒が傷口に触れると出血は止まり、傷も完全に塞がった。
「治癒の力だと。てめぇ、ネーデ人か!?」
 野太い声が響き渡った。その言葉に、レナの心臓は跳ね上がる。
「まさか。なぜこんなところに」
「現在のネーデでは星を離れることは不可能のはずだが」
「ふむ。しかしそれならば、クォドラティック・キーを持っていることも説明がつく。キーを作れるのはネーデ人だけだからな」
「クォ……キー?」
 レナが影に向かって訊ねようとしたが、焦って口がうまく回らなかった。それでも影の誰かがその意を汲みとって、答える。
「あなたたちがエナジーストーンと呼んでいる紋章石を結晶化させたものですよ。あなたも首から下げているじゃないですか」
 言われて、レナは胸許に輝く翡翠色の石を見た。
「これが……?」
「クォドラティック・スフィアを活性化させるにはこのキーが必要だったのでな。貴様らが兵器に使用していたものも拝借させてもらった」
「だが、この星にキーが存在するとは思わなかったな。おかげで計画が百年は早まったよ」
「計画だと? お前たちは何者だ。いったい何を企んでいる!」
 クロードが叫ぶと、影はしばし沈黙した。その間が、やけに不快だった。
「まったく、これだから未開惑星の野蛮人は……すぐにそうやって声を張り上げる」
「いや、見たところこの少年は地球人のようじゃぞ」
「それは失礼……おや、それに後ろのふたりはテトラジェネスではないですか?」
「なんで先進惑星の人間が混じってるんだ?」
「知るか。だが、ここまで登ってこられたのも、その連中の入れ知恵があったのかもしれんな」
 影たちの会話にレナは困惑して、クロードの方を向く。
「クロード……?」
 彼はレナの問いかけるような視線に気づいても、打ちひしがれたように俯くばかり。
「ふむ、わかるはずもないか」
 老人のような声がレナに語り始めた。
「ならば教えてやろう、その者らはこの星の人間ではない。別の星から来た人間ということじゃ」
「別の……星?」
「そうじゃ。お前たちがただの光と思うておる星にはさまざまな人間が住んでおる。それは地球しかりエクスペルしかりじゃ。だが、それとて大したことではあるまい。お前さんだって儂らと同じ、ネーデ人なのじゃから」
 多くの言葉が、事実が洪水のように頭の中に流れ込んでくる。レナは譫言《うわごと》のように口を動かし、意味なく復唱する。
「私が……ネーデ……」
「レナ、こいつらの言うことは聞くな!」
 クロードは鼻に皺をつくり、歯を食いしばって影を睨めつけた。
「お前たちの目的はなんだ? どうしてこの星を滅ぼそうとする!」
「ク……ククク」
 台座の中央あたりの影から笑い声が洩れた。
「ふははは、ハーーーッハッハッハ!」
「何がおかしい!」
 拳を固く握りしめるクロードに、影は笑いを止めて。
「下等生物らしい、浅薄な考えだと思ってな」
 若い男の声で、小馬鹿にするように言い放つ。
「この星のことなどどうでもよい。すべては我らがネーデに戻り、銀河宇宙を手中に収めるための布石に過ぎんのだ」
「銀河……宇宙を?」
「そりゃまた、たいそうな野望をお持ちね」
 クロードの背後で、オペラが皮肉るように言った。
「どこの人間かは知らないけど、連邦の存在くらいは貴方たちだって知っているでしょう」
「連邦だと? へっ、烏合《うごう》の衆がいくら集まっても俺たちにはかなうめぇ」
 荒々しい男の声が嘲《あざけ》る。
「そう……ネーデに戻り、我らが力を取り戻せば、全ての存在は我々の前に屈服するのだ。たとえ連邦であろうともな」
「……宇宙は生と死、希望と絶望、愛と憎との相反するものの結合により平衡を保つ。一方が他方を殲滅《せんめつ》せしめば、そこに混沌《カオス》は生ず」
 最後の不思議な声だけは、影の中から発せられているように感じなかった。影たちもまるで空耳であるかのごとく言葉に応じない。
「そんなこと……させるもんか、絶対に!」
 クロードは剣を抜きはなって叫んだ。
「お前たちを倒して、この馬鹿げた行いを阻止してやる!」
「ははは、何も知らぬというのは幸せだな」
「こうしている間にも、あなたたちの死は確実に近づいているのですよ」
「知っているさ」
 驚くほど冷静に、クロードが言う。
「この星の軌道を変えたのは、お前たちだろう」
「ほう、さすがだな」
「どういうことだ、クロード?」
 エルネストが訊くと、彼は影を見据えたまま答える。
「……父さんから聞いたんだ。隕石の衝突によって異常な公転軌道が起こって、この星はもうすぐクラス9もの高エネルギー体に衝突する」
「な……」
 オペラが、そしてエルネストが愕然とする。
「クォドラティック・スフィア……そなたらは単にソーサリーグローブと呼んでいるらしいがな……これを使って惑星の軌道を変えさせてもらったんじゃよ」
「どうして、そんなことを……」
 言いかけて、クロードは先程の若い男の言葉を思い出した。すべてはネーデに戻るため。それはつまり。
「まさか……まさか、ネーデとは……」
「そう、ネーデとはすなわちこの星が向かう先、あの高エネルギー体のことだ!」
 中心にいた影が指を天に突き立てた。たちまち上空の黒雲が唸りをあげて渦を巻く。塔を覆っていた闇に巨大な穴が穿《うが》たれ、空から眩しい光が射し込む。瞳を細めて見上げると、そこには星の海を呑み込んで膨れあがったような、青白い光のかたまりがあった。
「な、なんだ、ありゃあ!?」
「太陽? 月? いえ違うわ。空にあんな大きなものが」
 ボーマンが、セリーヌが、その場にいた全員が、空に広がる光に戦慄した。
「この星はすでにネーデとの衝突コースに入った」
 彼らは再び正面を向く。分厚い黒雲に穴が空き、そこから青白い光が射し込んだおかげで、影たちの姿が露わになった。
 台座の手前、中央で喋っているのは銀髪の若い男。近くには頭のてっぺんだけ髪を剃り残した男や緑のローブに身を包んだ者、そのさらに前には木偶人形のように痩せ細った者や逆にはちきれんばかりの筋肉を剥き出しにした男などがずらりと並んでいた。そして、ソーサリーグローブの上に浮遊している、真紅の髪をした男だけは、ひとり孤立していた。影のままではわからなかったが、彼らは通常の人間に比べてひとまわり以上も大きい。
「もはやいかなる手段をもってしても、この星の崩壊は免《まぬが》れぬ」
「そんなこと、やってみなければわからない!」
 クロードが剣を横に振って衝撃波を放ったが、その者らは涼風がごとく受け止めて微動だにしない。ディアスとボーマンも構えた。
「まったく、往生際の悪い連中だ。見苦しいぞ」
 戦闘に臨むクロードたちに銀髪の男が言い放った。
「ルシフェル様、ここは私にお任せあれ」
 そう言って前に進み出てきたのは、仰々《ぎょうぎょう》しい甲冑に全身を包んだ男。左手には盾、右手には人の背丈ほどもあろう大剣を携えている。
「さあ、かかってくるがよい」
 クロード、ディアス、ボーマンの三人がいっせいに打ちかかった。しかし彼らの攻撃はいずれも、何か見えない壁に遮られて甲冑にすら届かなかった。
「何をしているのだ?」
 唖然とする三人に男が大剣を振るう。その一撃を受け止めようとしたクロードの剣が、ボーマンの籠手が、ディアスの剣さえもが一瞬にして粉砕される。剣圧が凄まじい衝撃波となって彼らを吹き飛ばした。
「クロード!」
 レナが駆け寄ったときには、クロードは顔を歪ませ膝をついて起きあがろうとしていた。砕けた剣の破片が当たったのか、額から鼻の横にかけて血の筋が流れていたが、それ以外は傷もなく、直接の攻撃は食らっていないようだ。
 地面が大きく揺らいだ。クロードははっとして空を見上げる。青白い光が黒雲の穴いっぱいにまで広がっていた。
「ふっ、いよいよ終焉のようだ。もはや貴様らなどどうでもよいわ」
 甲冑の男が退いた。背後の床に亀裂が奔り、地面が大きく裂ける。砕かれた瓦礫や柱のかけらが青い光に吸い込まれるように空を駆け上っていく。前から後ろから統制をもたぬ風が吹き荒れ、大地の鳴動はいよいよ激しさを増す。
「聞くがよい、天堂よりの鎮魂歌《レクイエム》を。感じるがよい、地獄よりの狂想曲《カプリッチオ》を。それは地上において永劫に繰り返される、破滅への輪舞曲《ロンド》」
 崩れゆく塔の中で謳いあげるように言ったのは赤い髪の男だろうか。レナにはそれが神の声にも思われた。自分たちが決して侵すことのできない、侵してはならない存在であるような、そんな畏敬心すら抱かせる神聖な声。
「ここまで来れば、あとは我々の力でテレポートできる。さらばだ、蒙昧たる人間どもよ」
 周囲の景色が歪んだ。男たちの姿が消え、ソーサリーグローブが消え、空や地面までもが消えてしまった。
「あっ、ああ、ぁ────……」
 全てが瓦解して、何もない、真っ白な空間にレナは放り出された。鳴り響く大地の唸りばかりが鼓膜を揺さぶる。
 自分の中を流れる血が煮えたぎるように熱くなったと思ったら急激に凍りつく。堪えきれない疼きが全身を駆け巡る。身体が引き裂かれそう。いや、もう引き裂かれている?
 ──クルシイ。
 ──イタイ。
 ──キモチワルイ。
 不安と絶望と混迷とに打ちひしがれたとき、音が聞こえた。
 地面の音じゃない。もっと安らな、声が。

「レナ」

(ああ)
 彼が、こちらを見ている。大好きな、優しい笑顔で。
(ああ)
 懸命に差し伸べた手を、彼はしっかりと握ってくれた。
(ああ!)
 あなたは、言ってくれたよね。いつも、そばにいるよって。
 ──約束、守ってくれた──。
 少女は涙を零して、暖かい胸に頬を寄せた。

 ありがとう、クロード。



--
【ひとくち解説】
 エクスペル編終了。ようやっと折り返し地点でございます。
 最後のシーンは結構ばっさり手を入れてます。まァ大事な場面ですし。ついでに誤字も発見(;´Д`) 本にするとき念入りにチェックしたつもりなんだけど、まだ見落としていたんだなァ……。すみません。
posted by むささび at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年10月16日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第七章(2)

   2 カ、ミ、カ、ゼ 〜エルリアタワー〜

 赤茶けた土塊《つちくれ》が剥きだしの大地を進むと、そこには巨大な塔が聳《そび》えていた。
 地図の上では確かにエルリアの街並があった場所である。しかし、今やその痕跡は見てとれない。話には聞いていたものの、ここまで完璧に消滅しているとは想像だにしなかった。目の前にあるのは、燃え上がるように危険な赤色を放つ異質の建物のみ。不自然なほどに大きな一枚岩の扉には、中央の上下に鋭く亀裂が奔《はし》っている。真上を仰ぐと、塔の中途からは空に立ちこめる暗雲に突き刺さっており、どの程度の高さなのかは視認できなかった
「なんだ……こりゃ」
 ボーマンがぽかんと大口を開けながら言った。
「ここが敵の本拠地なのか?」
「そのようですわね。けれど……」
 怪訝そうに周囲に目配せしてから、セリーヌが。
「なんだか様子が変ですわ。ここに来るまで一度も魔物に遭遇しないなんて。気配すら感じない」
「中に入ってみればわかることだ」
 ディアスは腕組みをしたまま動じない。
「この中に、ソーサリーグローブがあるのかしら……」
 レナがおもむろに塔に歩み寄った、そのとき。
「きゃっ!」
 レナの胸許から強烈な閃光が迸った。直視できないほどの碧白い光が辺りに充満し、またすぐに消え失せる。
「今のは……ペンダント?」
「レナ!」
 地面に膝と手をついて倒れているレナを見つけると、クロードは真っ先に彼女の許に駆け寄った。
 レナは肩で息をつき、瞳を見開いて灰色の地面を睨んでいた。クロードの呼びかけにこちらを向くと、喘《あえ》ぐような小声で言った。
「いま、私……」
 言葉の途中で急にかぶりを振って、すぐに言い直す。
「ううん、なんでもない。私はだいじょうぶよ。ちょっとびっくりしただけだから」
 心配そうに覗き込むクロードの前で、身軽に立ち上がってみせる。
「どうして急に光りだしたのかしら?」
 その横でオペラが首を捻った。
「それに、今のはこれまでになく強い光だったわね」
「まさか」
 クロードが突然声を張り上げた。
「ソーサリーグローブに反応しているのか?」
 請け合う者はいなかったが、その場に不吉な空気がひとしきり流れた。
「とにかく、中に入ろう」
 全員に確認すると、クロードは塔に近づく。他の仲間も後からついていく。彼らは巨人の住処の入口とも見紛うほどの石扉の前に立った。
〈ID照合完了。ロックを解除します〉
「え?」
 どこからともなく金属音めいた声が響いて、中央の亀裂からすみやかに扉が開かれた。振動も音もなく、大きな一枚岩が左右に割れていくのを目の当たりにして、レナやセリーヌたちは目を丸くした。
 だが、先頭に立っていたクロードは驚いた様子もなく、オペラとエルネストの方を振り返って互いに神妙な表情をするばかり。あたかも三人だけは、こうなることがわかっていたように。
「扉は開いた。……行こうか」
 レナたちにはそう告げて、クロードとオペラ、エルネストは入口を潜っていった。腑に落ちないまま、四人も塔の内部へと足を踏み入れた。


「侵入者だと?」
 闇の中で、男が言った。クッションの入った椅子に腰掛け足を組み、手には赤黒い液体で充たされたグラスを持って。
「はっ。タワー入口のロックが解除され、中に人間が数名入り込んだ模様です」
 男の前で片膝をついて報告するのは、赤紫の翼をつけた人型の魔物。魔物軍首領のシンだ。
「いかが致しましょう」
「タワーに残っている魔物を全てし向けろ。間違ってもクォドラティック・スフィアには近づかせるな」
「御意」
 シンは翼を翻し、闇の彼方へ飛び去っていった。
 男は口許にグラスを持っていき、薫りを愉しむように軽く回した。その五指は金やら銀やら数多の指輪で星を鏤《ちりば》めたように煌めいている。
「さて、タイムリミットは三時間足らず。ここまで辿り着けるかな……」
 グラスを傾けて赤黒い液体を啜《すす》ると、その口がニッと嗤った。


 内部は不可思議な光で充たされ、角灯がなくても隅々まで見渡すことができた。壁や天井こそ積石が風化し、そこかしこに稲妻のような罅《ひび》が入っているが、入り口から奥の壁際までの床には小綺麗な赤い絨毯が延びている。部屋の左右には上へと続く階段もあった。
「この部屋……俺は見覚えがあるぞ」
 辺りを見回して、ボーマンが。
「これはエル城だ」
「まさか」
 すかさず異を唱えたのはセリーヌ。
「城ならここからもっと南ですわ。どうしてこんなところに」
「俺だって信じられんさ。だが、見間違えるはずもない。二年前にエル王の要請を受けて御用達に来たときのまんまだ」
「それじゃあ、城を丸ごと引っこ抜いて、ここに持ってきたとでも言いますの?」
「かもな」
 ふたりのやりとりにエルネストが口を挟んだ。
「ここには、それくらいのことをやってのけてしまうほどの存在があるのかもしれん」
 その曖昧な物言いに、ついにセリーヌは腹底の不満をぶちまけた。
「……どういう意味ですの?」
「それ以上の意味はないさ」
「嘘おっしゃい。クロードも、貴方たちもさっきから何か隠していますわ。もしかしたら知っているんじゃありませんの、ソーサリーグローブの正体を」
「そんなに買いかぶられても困るね」
 物凄い剣幕で食ってかかるセリーヌに、エルネストは苦笑して。
「実際のところ、我々にもわからないんだ。ソーサリーグローブのことも、誰がこんな塔を造ったのかも」
「……先に進もう」
 それでも引き下がらないセリーヌを宥《なだ》めるように、クロードが言った。
「きっとそこに、答えがあるはずだから」
 セリーヌが再び口を開きかけたとき、いきなり猛獣の咆哮が轟いた。見ると左側の階段の通路から、怪物の首だけが突き出ている。通路が狭くて躯の方は抜け出せないらしい。怒り狂い、もがいているうちに壁が砕け、階段が崩れて、瓦礫とともに巨体は床に降り立った。
 魔物は白い鱗の大蜥蜴、コールドリザードだった。反対側の階段からも山羊頭の怪物ゴウトヘッドやら、上半身は女の姿で下半身は蜘蛛の躯をもったダースウィドウやら、強固な盾と鎧に身を包んだディフェンダーやらが大挙して押し寄せてきた。
「あーあ。やっぱりすんなりとは通してくれねぇか」
 ボーマンが拳に籠手をつけて愚痴をこぼす。クロードとディアスは既にコールドリザードに立ち向かっていた。
 正面から斬りかかるふたりに対しコールドリザードは大口を開けて吹雪を吐いた。ふたりはそれぞれ左右に跳んで躱し、ディアスは着地と同時に空破斬を放つ。巨体は黒い衝撃波にぶつかるとわずかに怯んだ。その間隙をついてクロードが駆け寄り相手の横腹を斜めに斬った。魔物が哮《たけ》り、切り口から鮮血が飛び散る。クロードはすぐに場を離れようとするが、敵の尻尾が思いがけず速く動いて突き飛ばされてしまった。
「くそっ」
 クロードはすぐに立ち上がり魔物を睨みつけた。彼が斬った横腹の傷も魔物にとっては掠り傷程度だったようだ。
「クロード」
 不意にディアスが呼びかけた。彼は人差し指を突きだし、上の方を示す。指示している事柄を理解したクロードはしっかりと頷き返した。
 今度はディアスが先に斬りかかった。コールドリザードは前脚を振り上げディアスめがけて叩きつける。ディアスは難なく避けるとすれ違うように相手の背後に回り込み、後脚の腱を斬った。四肢のバランスが崩れた魔物の巨体は横に傾く。ディアスは素早く相手との間合いを取る。蹲る魔物の上空では既にクロードが拳を固めていた!
「バーストナックル!」
 落下の勢いに任せて燃え上がる拳を魔物の脊椎に叩きつけた。魔物の躯は薄紙のごとく貫かれ、中心から爆発するように砕け散った。
 どろどろに溶けた肉片に埋もれるようにして、クロードは立っていた。
「……この技、使いやすいんだけど、その後がなぁ……」
 魔物の血を全身に浴びた彼は自分の腕の臭いを嗅いで顔をしかめる。
 反対側の階段付近では他の仲間たちが別の魔物の群を相手にしていた。
「ライトクロス!」
 レナが唱えると、魔物の周囲に光の筋が駆け巡る。光に弱い魔物はそれに触れると呻き苦しんで藻掻きだした。
「よっしゃあぁっ!」
 敵全体の動きが止まったところで、ボーマンが猛々しく群に突っ込んでいった。いち早く気づいたダースウィドウの一匹が鎌鼬を飛ばすがボーマンは闘気をこめた左拳で弾いて、そのまま魔物に突っ込み右拳で殴り飛ばした。その間に背後からゴウトヘッドが躙《にじ》り寄ってきた。
「しゃらくせぇ!」
 背後に殺気を感じたボーマンはすかさずゴウトヘッドとの間合いを取ると、懐から丸い玉を取り出して相手の足許に投げつけた。褐色の玉は地面に当たると爆ぜて火柱と煙が噴き上がった。煙に冒され、炎に身を焼かれたゴウトヘッドは転がり込むようにして倒れる。
「どうだい、ボーマン様お手製、毒気弾の味は」
 ボーマンは手に持ったもうひとつの丸薬を投げ上げながら不敵に笑った。
 エルネストはディフェンダーと対峙していた。相手は動きこそ鈍いが大きな盾と鎧とに阻まれ、鞭ではまるで歯が立たない。なんとか背後に回り込んでと模索しているうちに他のディフェンダーも加わり、気がつくと彼の周囲を囲んでいた。
「そこをどいて!」
 セリーヌが叫ぶのを聞いたエルネストは、鞭を振るって階段の欄干に引っかけ、それから跳躍して器用に鞭を手繰り寄せ階段に飛び移った。それを確認したのかしないのか、詠唱の終わったセリーヌはすぐに杖を翳《かざ》して唱える。
「イラプション!」
 ディフェンダーが群れる辺りから凄まじい炎が立ちのぼった。荒れ狂う炎の渦は周辺にいた魔物をあらかた吹き飛ばし焼き尽くす。セリーヌが指を鳴らすと炎は急激に収縮し、やがて消滅した。まだ盛んに炎が立つ絨毯の上には黒焦げの魔物の骸が累々と横たわっていた。
「はぁ……相変わらずすんごい威力ねぇ」
 オペラが呆れたように言った。
「まだまだ序の口ですわ。山岳宮殿で手に入れた呪紋書には今のが可愛く思えるような呪紋がごろごろしてましてよ」
 対してセリーヌは得意げに言い放つ。
「おかげで助かったよ」
 階段の上からエルネストが笑いかけると、セリーヌはわざとらしくしかめっ面をしてみせて。
「まだ納得したわけではございませんからね」
 ぷいと顔を背けて向こうに歩いていく彼女を、エルネストは肩を竦めて見送った。

 二階に上がっても魔物は執拗にクロードたちを襲ったが、百戦錬磨の彼らも無難に退けていった。とりわけクロードとディアスの活躍は他の仲間たちをも寄せつけないほどだった。ディアスの速さについていけるのはクロードだけであったし、クロードの技の威力を活かしきるにはディアスの速さが必要なのだ。ふたりが渾然《こんぜん》一体となって敵に立ち向かう様はまさしく鳥の両翼のごとく。二枚の翼は雄々しく羽撃《はばた》き大空を駆け巡るように敵を翻弄し、駆逐していった。互いに息を合わせる必要などない。自分の思うように行動すれば、相手も必然とそれに応じて動いてくれるからだ。
 二階の奥へと進み、頑強な鉄扉を開けた先は、謁見の間とおぼしき場所だった。
 樹木の根のように曲がりくねった柱があちこちの床を貫き、壁を突き抜けてはいたが、床一面にはやはり赤い絨毯が敷き詰められ、奥の一段高くなったところに玉座が設置されていた。その先の壁際には黄色の怪光を発する支柱が真っすぐ上の方へと伸びている。
「これは……」
 玉座には、半ばずり落ちたような恰好で腰掛けている、ひとつの骸があった。肉はとっくに削げ落ち、頭や手は薄茶に変色した骨が剥き出しになっていた。身体を覆う服装と天鵞絨《ビロード》のマントのみが、生前の栄光と権勢を物語っている。
「エル王、か?」
 そう、それはこの城のかつての主だった。眼窩《がんか》はただのうつろな穴、整然と歯の並ぶ顎は物言えぬ。ひとではない、変わり果てた姿を晒していても、それはエル王に違いなかった。何かに貫かれたような腹部の痕跡と、血に染まった衣裳を見たとき、彼らはこの王の悲運を悟った。
「この部屋には階段らしきものはありませんわね」
 セリーヌは部屋を丹念に歩き回っている。
「まさか、ここから先は進めないなんて……」
「いや、それは大丈夫だよ」
 と、クロードは玉座の背後に回り込んで、鈍く輝く柱の前に立った。
「みんなも後からついてきて」
 レナたちにはそう告げて柱に向き直ると、クロードの身体は黄色い光に溶け込むようにして消えてしまった。息を呑む間もなかった。
「クロード?」
 困惑するレナの肩に、オペラの手が伸びる。
「さ、あなたもあの中に入って」
 オペラに背中を押されるまま、レナも柱の前に進んだ。
 不審に思い、手を突きだして柱に触れようとすると、すっとその手がすり抜けた。そこで彼女は初めて「中に入る」という意味を理解した。レナは不安そうにオペラを振り返る。
「うん? ……やっぱり恐いか。いいわ、一緒に行きましょう」
 オペラはレナの隣に並んで手を繋いだ。そうして先に彼女が輝く柱に踏み入り、中からレナの手を引く。仕方なしにレナも、こわごわと入っていった。
 身体が黄色い光に包まれた途端、奇妙な感覚が彼女に襲いかかる。空中からまっさかさまに落下するときはこんな感じだろうか。地面に立っているのにそうではなく、かといって宙に浮いているようにも思われない。視界はどこを見ても黄色く輝くばかりで、側にいて手を繋いだオペラの姿すら見えない。耳鳴りのような音が頭の奥に沁《し》み込む。気分が悪くなり、もう駄目だと身を屈めようとしたとき、彼女は見知らぬ場所に立っていた。
 建物の屋上なのか、そこは壁も天井もなく、吹き抜けだった。毒々しい黄緑の囲い塀、半透明の床から突き出る不可解な突起物。奥には同じような黄色い柱が二本立ち並び、塀の向こうは巨大な根のようなものがそこいらの暗闇を吸いつくすように這いずりまわっていた。
 正面にはクロードが背中を向けて立っている。柱の中では見えなかったオペラもいつの間にか横にいた。
「驚いたわね。まさかこんなところでこんな建物が拝めるなんて」
 オペラが言うと、クロードも神妙に頷く。
「ええ。僕も……意外でした」
 他の仲間たちも次々に上がってきた。全員がその場に集まったのを確認すると、クロードはレナたちに向かって。
「みんな、ちょっとだけ聞いてほしい」
 改まったふうに言う彼に、レナたち四人は小首を傾げた。
「セリーヌさんの言ったとおり、僕らはひとつの事実を隠していた。それは決してやましいからじゃなくて、たぶん、話しても信じてもらえないだろうと思ったからだ」
 クロードの声色は不思議なほどに落ち着いている。
「この建物は、おそらく僕らが隠している事柄に深く関係しているんだと思う。君たちが想像もつかないような大きな力が、この塔に働いているんだ。だから、この先に進む以上、その事実を隠し通すことはできない。それになにより、ここまで一緒に戦ってきたみんなに隠しごとをするのは、僕自身つらい」
 そこまで言うといったん言葉を切って、照れくさいように首の後ろを掻いた。そうして再び話し始める。
「けれど、今はそんなことをゆっくり説明している場合じゃない。君らにちゃんとわかってもらうには時間が必要なんだ。僕らもうまく説明できるかわからないし……。だから、もう少しだけ待ってほしい。この戦いが終われば必ず話すと約束する。勝手かもしれないけど、それまでは、この先なにが起こっても、僕らのことを信じていてほしい。……一度きりの、僕からのお願いだ」
 言うべきことを終えたクロードは軽く息をついて、それから仲間たちを順繰りに見た。彼らはめいめい微妙な表情をみせていたが、そのうちに。
「……ま、ひとまずはそれで納得することにいたしますわ」
 さばさばしたように、セリーヌが。
「貴方が騙されることはあっても騙すようなひとでないことは、重々承知していますから」
「お前らの素性などに興味はない。俺は目の前の敵を叩きつぶすまでだ」
「水くせぇなぁ。そんなに俺たちに気ぃ遣わなくてもいいよ」
 ディアスが、ボーマンが言い募る。
「レナ……」
 クロードは心許ないように彼女の方を向く。そんな彼に、レナは屈託なく微笑み返した。
「私はいつだって、クロードのことを信じてるわ」
「……ありがとう」
 クロードは下を向いた。こみ上げてくる何かを堪えるように。
「先にあるのは、この地に異変を及ぼした大いなる元凶」
 闇黒の空を振り仰いで、エルネスト。
「それがなんなのかは、あたしたちにもわからないわ」
 右目にかかった金髪を振り払って、オペラ。
「ここまで来て、今さら後込《しりご》みするような奴なんざいねぇさ」
 籠手をつけた両拳を打ち合わせて、ボーマン。
「もう後には引き返せませんわよ」
 杖の先で肩を叩きながら、セリーヌ。
「望むところだ。この身果てても敵は残らず叩きつぶす」
 腕を組んで横を向いたまま、ディアス。
「エクスペルの、すべてのひとたちのために」
 胸を張り、凛とした声で、レナ。
 彼らの顔を一同に見渡してから、クロードは敢然と言った。
「行こう。この戦いで、全てを終わらせるんだ」


 うるさい魔術師エルダーマギウスを退治して、ダースウィドウと斬り結ぶ。クロードは相手の鎌鼬を避け損なって左腕を負傷するが、構わず突っ込んで右腕一本で剣を振るった。
「双破斬!」
 ふたつの斬撃は敵の肩口を切り裂き、ダースウィドウは背中から頽《くずお》れた。一息ついたのも束の間、向こう側の光の柱から新たな魔物が続々と降りてきていた。
「くそっ、キリがない……セリーヌさん!」
 背後のセリーヌに攻撃を促すと、彼女は口許をつり上げて。
「待ちくたびれましたわよ」
 セリーヌが掲げた杖の先は皎々《こうこう》と輝いている。左手に呪紋書を携えているところを見ると、まだ詠唱は覚えきれていないらしい。
「サンダークラウド!」
 上空の暗雲から無数の稲妻が降り注いだ。柱から降りたばかりの魔物は白い雷に身を灼かれ、衝撃に引き裂かれ瞬時に黒い塊と化して無雑作に床に散らばった。どれほど強力な呪紋を使おうとも建物自体は傷ひとつつかないので、セリーヌにとっては好都合だった。
 魔物がすべて片づいたのを認めて、クロードは剣を鞘に収める。そうして振り向くとレナが駆け寄ってくるのが見えた。
「クロード、腕の治療を」
「ああ、ありがと……」
 言いかけたとき、何か別の声が聞こえてきた。
〈……お、とう、が、ます……〉
「え?」
 クロードは辺りを見回す。まわりにはレナの他には誰もいない。少し離れたところにいる仲間たちの声とも違う。
「どうしたの?」
 急にきょろきょろしだしたクロードを、レナは不思議そうに見つめた。
「今、なにか……」
〈……ちら、カ、ナス……‥‥ロード、ニーしょ、い……〉
 その声はレナの耳にも届いたが、途切れ途切れで言葉としては聴き取れない。しかしクロードは何かに気づいたように急に血相を変え、右手で自分の左胸のあたりを押さえた。
〈……て、そう、びょ、まえ……ご……よ……〉
「なんだって!?」
 いきなりクロードは駆けだした。レナと距離を隔てたところで止まって、振り返る。
「クロード?」
「来ちゃだめだ! 巻き込まれる!」
 近づこうとするレナをクロードは必死に制する。その身体が、光に包まれた。
「戻ってくる! 必ず、戻ってくるから!」
 刹那のうちに光が炸裂した。視界は圧倒的な輝きに遮られ、懸命に叫ぶクロードの姿を追うことはできなかった。眩しさに思わず目を閉じ、そしてゆっくりと開けたとき、彼はそこから忽然《こつぜん》と消え失せていた。
「く、ろーど……?」
 クロードを呑み込んだ光に自身も精気を吸い取られたかのように、全身から力という力が抜け落ちる。彼が立っていた場所へ二、三歩ふらふらと歩み寄ると、レナは地面に膝をついた。

 闇に浮かぶその建物は空気の流れも滞っているようで、じっとしていると息が詰まりそうだった。遠鳴りに聞こえるは風の吹き抜ける音ばかり。静寂の中で、彼らは待った。
 奥に立つ光の柱の方がにわかに騒がしくなった。魔物がいくらか降りてきているのだ。
「また来たわ」
 オペラが嘆息をつく。ディアスは前に進み出て。
「下がっていろ」
 言うやいなや、剣を抜いて少しの溜めのあと、横一文字に振るって衝撃波を放った。黒い衝撃波は弧状を成したまま敵の群にぶつかり、魔物はその一瞬で吹き飛び絶命した。
 ディアスが剣を収めると、黄緑の塀にもたれて瞑目していたエルネストが眼を開けた。
「かれこれ三十分か。これ以上ここにいるのは得策でないな」
「そうですわね」
 セリーヌはちらとレナを見ながら請け合う。
「こんなところで足止めを食って、雑魚ばかり相手にしているわけにはいきませんわ」
 ボーマンが、オペラが立ち上がる。だが、レナは動かなかった。
「レナ。クロードなら大丈夫だ。後から追ってくるさ」
 そう言うボーマンに、レナは首を横に振った。
「私、待ってる……。戻ってくるって、言ったから……」
 集落のときと同じだった。時間を遡《さかのぼ》ってしまったような光景に、彼らは困憊《こんぱい》して肩を落とす。
「もう、離ればなれになるのはいや……」
 顔を伏せ、鼻を啜りだすレナ。と、ディアスが彼女の傍らに立って。
「お前らは先へ行け」
 ボーマンたちにそう言った。
「ここで固まっていても意味がない。レナを守るのは俺ひとりで充分だ。お前らは先へ進め」
「でも、大丈夫ですの? パーティが分断されて」
 気乗りしないようにセリーヌが言うと、ディアスは含み笑いを浮かべた。
「俺がいないと敵に勝てる自信がないのか?」
「なっ! そんなこと……いいわ。見てらっしゃい、あんたが来るまでにはぜーんぶ片づいていましてよ」
 頭に血の上ったセリーヌはすっかりその気になって、大股で光の柱へと歩いていく。
「ほら、あなたたちも行きますわよ!」
 どやされて、ボーマンたちもおっかなびっくり彼女の後をついていった。

 表情には出さずとも、ディアスは焦れていた。魔物の本拠地のただ中で何もせずじっとしている自分がもどかしかった。死に対する懼れなどとうの昔に捨てた。この塔を上りつめた先にどんな悍《おぞま》しい敵がいようとも、そこにある種の享楽を見出しこそすれ恐怖することは有り得ない。だが、こうして敵の本陣で剣も抜けず、木偶《でく》の坊のように立ちつくしているこの状態はひどく苦痛だった。炎の上でじわじわと炙《あぶ》られているような、不快な気分だった。いっそのこと炎の中に放り込んでくれた方がどんなに楽であるかと、ディアスは密かに歯軋りした。
 けれど、と彼は相変わらずふさぎ込んでいるレナを見た。彼女がここを離れる気がない以上、自分もここにいるより仕様がない。この『妹』が相手では強引に引きずって行くこともできない。
(あの馬鹿……いつまで待たせるつもりだ)
 結局、矛先の相手をクロードに差し替えることで、どうにか落ち着いてしまった。
「……ん?」
「あ……」
 そのとき、ふたりの目の前で床が輪状に輝きだした。光は下から上へと放たれ、円形の筒のようなかたちを映す。それはしばらく燻《くすぶ》るように明滅を繰り返すばかりだったが、次の瞬間、ひときわ強い光が四散するように放たれ、周囲の闇へと呑み込まれて消滅した。
 そして、その場にはひとりの少年が立っていた。
「クロード……」
 レナが立ち上がる。クロードはゆっくりと歩み寄った。
「ごめん、遅くなって……」
 レナは俯《うつむ》いて肩を震わせる。その小さな身体に溢れそうな想いを、懸命に堪えているのがわかった。
「どうして……どうしていつもそうやって、ひとりで勝手に行っちゃうのよ。ひとの気も知らないで……」
「ごめん、本当に……」
 クロードが繰り返し謝ると、レナは愛想をつかしたように背中を向けた。
「もうクロードなんて知らない。どこにでも行っちゃえばいいわ」
「レナ……」
 クロードは瞳を細めて、その背中を眺める。
「痴話喧嘩は済んだか?」
 腕を組んで傍観していたディアスが、口を開いた。
「だっ、誰が痴話喧嘩よ!」
「何でもいいが、あまり時間はないんだ。さっさと行くぞ」
「そういえば、他のみんなは?」
 周囲を見回して、クロードはディアスに訊いた。
「先に行った。三十分ほど前かな」
「そうか。じゃあ、僕らもすぐに追いかけよう」
 言いながら、クロードは懐から鼠色の小箱のようなものを取り出して、床に置いた。
「さあ、急ごう」
「クロード、あれって……」
 疑問に思ったレナが、床の上の箱を示して言った。アーリアやヒルトンで、彼があの箱を大事そうに懐から取り出して、何かしていたのを見たことがあるのだ。
「ああ、通信機ね。それは、もう……僕には必要のないものなんだ」
 笑顔をこぼすクロードに、レナはようやく自分の気持ちが解《ほぐ》れていくのを感じた。ふと視線を移すと、負傷した彼の左腕からはまだ血が流れ続けていた。レナは手首をつかんでその腕をぐいと引っ張った。
「あたっ」
「ほら、治療するから、動かない」
 レナは傷口に手を翳して呪紋を唱えた。その間際に、そっと、呟く。
「おかえり、クロード」
「……ただいま、レナ」
 回復呪紋《ヒール》の光が、少年を柔らかに包み込む。
 ふたりの背後で、床に置いてあった小箱が光に包まれ、やがて消え去った。


 セリーヌたち四人は光の柱の前に立っていた。それは今までのものに比べても、かなり大きい。四人同時に入ることもできそうだ。
「なんか、嫌な予感がしますわね……」
 中に入るのを躊躇していたセリーヌに、ボーマンが揶揄《やゆ》するように言う。
「怖じ気づいたのか?」
「だぁれが! とっととボスをぶっ倒して、あの気障《きざ》男の鼻を明かしてやるんですのよ」
 良家の子女はどこへやら、セリーヌは悪態をつきながらヒールの音を響かせて、柱の中へと踏み入る。仕方なしにボーマンたちも入っていった。
 ここに来るまで何度も経験しているものの、この柱で移動するときの心地ばかりはどうにも慣れることはできなかった。眩暈《めまい》のような感覚が襲い、口許を押さえて嘔気《おうき》を我慢しているうちに、次の場所に立っていた。
 目前に気配を感じた彼らはすぐに身構える。吹きさらしの通路の中央。そこに腕を組み、赤紫の大きな翼を窮屈そうに折り畳んだ魔物が、こちらを見据えて立ちふさがっていた。



--
【ひとくち解説】
 この回はバトルばかりです。仲間が一丸となってダンジョンを駆け抜けるのって、ラストっぽくて良いですよね。実際はラストじゃないんだけど……。
 ワイングラス片手にシンの報告を受けている男は、ルシフェルです。決して「ギリ様ゴッコをしているタテジワネズミ」ではありません。笑止ッ。
posted by むささび at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年10月09日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第七章(1)

第七章 破滅への輪舞曲《ロンド》


   1 闇黒に射す光 〜エルリア集落〜

 ……ゆらゆら……ゆらゆら……。
 大きなうねりに呑み込まれたように、揺れている。
 ……ゆらゆら……ゆらゆら……。
 水の中を、あるいは空の上を、為すがままに漂うている。
 この安らぎにも似た温もりは何だろうか。この身を愛撫するように揺すぶるものは。
 歌が聞こえる。柔らかな、女のひとの声だ。
 懐かしい旋律。実際に聞いた覚えはないが、物心ついた頃から気がつくと口ずさんでいた。
 女は切々と謡いあげる。

  鳥の歌を聞きなさい、
  この世が悲しみに覆われる前に。
  大地の息吹を聞きなさい、
  この世が闇に包まれる前に。
  主に護られしこの森よ、
  たとえ世界が滅ぶとも。
  永劫を生きるこの森よ、
  私はあなたとともにいます。

 寄せては返す波のように、女の声がからだに伝わり、沁み込んでいく。朦朧とする脳裏には、ひとつの光景が映し出されていた。
 灰色の天井。ゆらゆら揺れる温もり。歌の主は目の前でこちらを見下ろして微笑んでいる。女の顔をよく見ようとしたとき、急に意識が薄らいできた。閉ざされる視界の中で、女の歌声ばかりが鷹揚《おうよう》と流れる。

  獣の叫びを聞きなさい、
  この世から希望が失われる前に。
  木々の嘆きを聞きなさい、
  この世がこの世でなくなる前に。
  主に護られしこの森よ、
  どれほど罪が重くとも。
  永劫を生きるこの森よ、
  私はあなたとともにいます。


 安らぎの歌声は、いつしか漣《さざなみ》の音に変わった。
 誰かに呼ばれたような気がして、レナはゆっくりと目を開ける。薄暗い空と、自分を覗き込む仲間たちの顔。
「気がついたな」
 ボーマンが口許をつり上げて笑いかけた。セリーヌやオペラも安堵の溜息をつき、胸を撫で下ろす。
 レナは冷たく湿った砂地の上に横たわっていた。上半身を起こして辺りを見渡す。左には水平線いっぱいに広がる海。右にはごつごつした黒い岩。その向こうには、闇の帳の降りた大地を垣間見ることができる。空は濃い夕闇に包まれ、赤々と燃えているようだ。
「ここは……どこ?」
 まだ明瞭としない意識の中、レナが仲間たちに訊く。
「エル大陸、でしょうね、たぶん」
 肩を竦めて答えるはオペラ。その言葉が頭の隅まで行き渡ってようやく、レナは自分たちに何が起こったのかを少しずつ理解する。
 エル大陸への侵攻。魔物の襲撃に遭い、そして。
「あのとき、私たちは海に落とされて……大陸《ここ》に流れ着いたのね」
 そう言って立ち上がると、はたと気づいて周囲の仲間たちを順繰りに見ていった。傍らにボーマン、その横にオペラとエルネスト、セリーヌは地図を広げてこの場の地形を確認しており、ディアスは海岸に立って海の向こうを眺めている。いない、どこにも、いるべきひとが、この場にいない。
「クロードは……どこ?」
 仲間たちが表情を曇らせる。レナは不安と焦燥とで押し潰されそうだった。
「ねぇ、クロードは、どこにいるの?」
 縋《すが》りつくようにボーマンに問いただした。ボーマンは顔を背け、眉間に皺をつくる。
「……ここに流れ着いたのは俺たちだけだ。クロードは……」
「うそ!」
 言葉を待たずしてレナが声を張り上げた。
「うそよ! どうしてクロードだけ!? どうして私たちが助かったのに、クロードだけ」
「レナ、落ち着け、いいから自分を抑えるんだ」
 ボーマンは取り乱すレナの肩をつかんで懸命に言い聞かせる。
「いいか、ここは敵の本拠地なんだ。下手に行動を起こせば魔物の餌食になりかねん。落ち着いて、冷静になって、これからのことを考えるんだ」
 あのボーマンが真摯《しんし》にこちらを見つめ返している。そう、事態は逼迫《ひっぱく》しているのだ。レナは糸が切れた操り人形のようにがくりと肩を落とし、項垂《うなだ》れた。
「場所がわかりましたわ」
 セリーヌがやってきて、砂地の上に地図を広げて置いた。そのうちに他の仲間たちも集まり、地図の周りに輪をつくる。
「今、わたくしたちがいるところは、ここ」
 と、セリーヌは左上の大陸の一端、南西の海岸を指で示した。それから大陸の中心付近、東の海岸と続けて指していく。
「エルリアがここ、テヌーがここですから、どちらにしろ随分と離れた場所に流れ着いてしまいましたわね」
「で、これから俺たちはどこへ行けばいいと思う?」
 ボーマンが訊くと、全員が黙り込んでしまった。
「とりあえず」
 再び切り出したのはエルネスト。
「大陸の住民に会うのが先決だろう。あれこれ考えるのは、やはり話を聞いてここの現状を把握してからでないと」
「でもエルリアは魔物に占拠されているんでしょう? もし街から逃げ出した住民がいたとしても、今はどこにいるかわからないじゃない」
「それに、もうこの大陸に人なんて住んでいないかもしれませんわね」
 オペラとセリーヌがそれぞれ言い募ると、エルネストは苦笑して首を捻った。
「それは、運を天に任せるしかないだろう。ただ、エルリアから落ち延びた住民がいたとすれば、街から離れたこの付近に逃げ込んでいる可能性は大いにある。どのみち長くはここにいられないんだ。……捜すしかないだろう」
「だな」
 ボーマンが神妙に請け合った。
「よし、そうと決まればすぐに出発だ」
 セリーヌが地図をしまい、仲間たちが歩き出そうとしても、レナは水平線を見つめたまま立ちつくしていた。
「レナ」
 ボーマンが諫めるように呼びかけても、彼女は海から目を離そうとしない。
「ねえ……もうちょっと、ここで待っていてはだめ? もしかしたら、クロードが流れてくるかもしれないし」
「気持ちはわかるが」
 と、エルネスト。
「ここは目立ちすぎるんだ。一刻も早く海岸を離れないと、いつ魔物に襲われるやもしれん」
 それでもレナは動かない。仲間たちは困り果てて、互いに目配せをする。
 不意に、ディアスが歩み寄り、レナの前に立った。彼女の前髪を指で掻き上げるようにして頭を撫でる。
「奴なら大丈夫だ」
 いつもの口調で、彼は言った。
「俺が認めた男が、これしきのことでくたばるものか。無事でいるさ、きっとな」
「……うん」
 視線を落としたまま小さく頷き、ようやく歩き出した。鉛のように重い足を、一歩ずつ、引きずるように。

 海岸から離れて少し歩いたところで、前方の森の中から一筋の煙が立ち上っているのを見つけると、彼らは迷わずその方へと向かった。暗澹《あんたん》とした森の中に踏み入り、慎重に歩を進めていく。
 やがて、樹木の間を縫うようにして、柵に囲まれた家々が見えてきた。柵は杭を乱雑に打ちつけ、その間に二枚の板を渡しただけのもので、家屋も丸太を組み合わせたごく簡素なものだった。中には土台が崩れて一方に傾きかかっている小屋もある。彼らが目印とした煙は奥のひときわ大きな家の煙突から上っていた。
 柵の途切れた入り口の前では男がふたり、背丈よりも長い棒を持って番をしていた。
「そこで止まれ」
 門番は彼らに気づくと棒の先端を突きだして言った。
「見かけん顔だな。どこから来た?」
「わたくしたちは船から落ちて、そこの海岸に流されてきましたの」
 セリーヌがかいつまんで説明すると、男たちは目を丸くして、それから痛いような笑みを作った。
「そうか、そいつは運が悪かったな。ここはエル大陸だ」
「やっぱり、そうなのね」
 オペラが腕を組んで嘆息した。彼女の手に愛用のランチャーはない。今頃は海の底に沈んでいることだろう。
 門番は構えていた棒を解いて道を開ける。
「まぁ、なんにせよそういう事情なら歓迎するよ。ここはエルリアやテヌーから逃げ出した者たちが住まう集落だ。ここまで歩いて、さぞかし疲れたろう。中に入ってゆっくり休むといい」
「助かりますわ」
 礼を言ってセリーヌが、それから他の仲間たちが中へ入った。最後尾のレナは、門番の横を通り抜けるときに立ち止まって。
「あの……私たちの他に、海岸に流れ着いた人が誰か来ませんでしたか?」
 そう訊ねてみると、門番のふたりは顔を見合わせて、すぐに首を横に振った。
「いや、来てないな」
「そう、ですか」
 消え入りそうな声で返事をして歩きかけたとき、門番の片割れが再び呼び止めた。
「そうだ、君たち、あとで長のところへ行って事情を説明してくれないか。その先の……そら、煙突が見えるだろ? あの建物にいらっしゃるから」
「わかりました。……けど、まだ仲間が来るかもしれないんです。もう少し待って、それからでもいいですか?」
「ああ、構わないよ。長には私から話しておくから」
「すみません」
「……なんだか元気ないね。しっかりしなよ」
「……はい」
 誰の目から見ても、レナの沮喪《そそう》は明らかであった。

 長の家の前の広場で、彼らは待った。
 どのくらいの刻が過ぎていったろうか。空が赤いのは夕闇が故ではなく、魔物の放つ濃い瘴気が大陸全体に立ち籠め、陽の光を遮っているからだった。よって、完全に闇に包まれる夜を除けば、いつまでも空は赤いままである。
 レナは切り株に腰掛け、膝を抱え込むようにして蹲《うずくま》っていた。仲間たちは彼女から少し離れた場所で、めいめい思いを馳せながら佇んでいる。長の家の煙突は相変わらず細い煙を吐き出している。クロードが周囲の海岸に流れ着いていれば、この煙を頼りにして来るかもしれない。
 だが、過ぎてゆくのは時間ばかり。のろのろと、もたもたと、彼らを嘲弄《ちょうろう》するように何もない刻が流れていく。とりわけレナにとって、この時間はもはや堪えがたい苦痛を伴うものだった。
 クロードが、いない。
 つい数ヶ月前に出会ったばかりなのに、そのことがまるで自分の半身が抜け落ちたように彼女を苛《さいな》む。思えばクロードと旅を始めてから、ずっと行動を共にしてきた。気持ちが通じ合わずに離れてしまったこともあったけど、こころの片隅ではいつも彼のことを想っていた。彼と過ごした日々がどれだけかけがえのないものだったということが、皮肉にも、彼がいなくなってみて初めて気づいたのだった。
 さらに無為な刻は流れ、ついにボーマンがレナの傍《そば》に歩み寄ってきた。
「レナ、とりあえず先に長のところへ行こう。見張りがいるんだ、クロードがここに来たらすぐに知らせてくれるさ」
「……クロードなんて、知らないわ」
 両腕で抱えた膝を睨みながら精一杯に強がるその声は、震えていた。
「心配なんて、してないもん。……全然、平気なんだから」
 ずっと一緒だよ。そう言ってくれた声が寂寞《せきばく》の彼方に霞んでいく。
(いやだ、消えないで)
(お願い、戻ってきて。もう一度、あの声を聞かせて)
(どうか神様、お願い──!)
 そのとき、誰かが駆けてくる足音が聞こえた。落ち葉の積もった地面を踏みしめる音が大きくなり、仲間たちの前で止まる。レナの視線は自分の膝に固定したまま。見るのが恐かった。もし違っていたら、立ち直れないかもしれない。胸が高鳴り、指先が細かく震えだした。
「レナ!」
 その者は叫んだ。脳裏で消えかかっていた言葉が、声が沸々《ふつふつ》と湧き上がってきた。レナは顔を上げる。はずみに瞳から弾けた滴が赤い光を受け、紅玉《ルビー》のように輝いて飛散した。
 息を切らせて立ちつくす金髪の若者と目が合うと、もはや堪《こら》えていた感情を抑えることはできなかった。涙がぼろぼろと零れ落ち、立ち上がって一目散に彼の懐に飛び込んだ。あまりの勢いに彼の方がうしろにぐらついたほど。
「ばかぁっ!」
 泣きじゃくりながらいきなり怒鳴りつけられて、さしものクロードも面食らった。
「どうしていなくなっちゃうの! ずっと一緒だって言ったじゃない! 男のくせして約束ひとつ守れないの!?」
 クロードはしばらく茫然とレナの顔を見ていたが、突然に、彼女の身体を引き寄せて、抱きとめた。
「ごめん」
 純朴そうに謝る彼に、レナの頬が撲《ぶ》たれたように赤く染まる。恥ずかしいのを隠すため彼の胸に額を埋める。そこは、懐かしい匂いと、ぬくもりに満ちていた。
「なによ。ちっとも心配なんてしてなかったんだから……」
 それでも口から出るのは強がりの言葉。そんな自分が少しもどかしかった。
 遠巻きにそれを見守る仲間たちからも、ようやく笑顔が洩れた。
「まったく、素直じゃないわねぇ」
 オペラが髪を掻き上げて苦笑する。
「あいつは昔からそうだからな。変わらんよ」
 ディアスは先程までレナが座っていた切り株に腰を下ろして、面白いように眺めている。
「それにしても、見せつけてくれますわね。わたくしも人のことを言えるクチじゃありませんけど」
 顔を背けつつも、横目でふたりの様子を盗み見するセリーヌ。
「諸手をあげて喜べる状況ではないが、まあ何にせよ無事でよかった。……な?」
 エルネストは隣のボーマンを肘でつついて言った。誰よりも彼女を気遣っていたボーマンは、安堵のあまり言葉も出ないらしく、そのまま脱力して地面に座り込んだ。
 クロードが彼女の背中に宛《あてが》った手を降ろしても、レナは離れようとはしなかった。額を胸に押しつけて、彼の息づかいを、鼓動を感じとる。
「あなたがいなきゃ、だめなの」
 ようやく落ち着きを取り戻したレナが、彼にだけ聞こえるようにそっと囁く。
「強くなくたって、勇者じゃなくたっていい。あなたがそばにいてくれれば、私はそれでいいの」
 燃えるような空に、紅の太陽が高く昇った。光を受けて、ふたりの身体も朱に染まる。


「近頃は冷え込んでくると体の節々が痛んでのう、魔物に見つかる危険があると知っていても、なかなか火を消すことができん。いやはや、年には勝てんよ」
 彼らを導いた煙は石を積み重ねて造った暖炉から出ていた。小間使いらしき中年の女が薪を中にくべると、ぱちぱち爆ぜて火の粉を上げる。おかげで家の内部は、軽く握った掌が汗で湿っぽくなるほどに暑い。
 長の家並みは他の家に比べれば幾分はましな方なのだろう。質素な木造の平屋ではあるが、暖炉に加え、奥には枕と毛布が敷かれた寝台も設《しつら》えてあった。
 集落の長は暖炉の前で、丸太を輪切りにしただけの椅子に腰掛けた。杖を持つ右手の腕は木の枝のように細い。皺だらけの顔には茶褐色の肝斑《しみ》が点々と付着し、こちらを目する双眸に宿る光は濁っていた。傍らには凛々しい容貌の青年が腰に剣を差して控えている。さしずめ護衛兼相談役といったところか。
 簡単に紹介を終えて、長はすぐ本題に切り出した。
「さて、いきなりで恐縮だが……そなたらはエルに向かう途中で魔物に襲われ船から落ちて、ここの海岸に流れ着いたということじゃな」
「はい」
「しかし、ここ数ヶ月、他の大陸からの船は全く途絶えていたはずじゃが……どうしてわざわざこの禍々しき地に向かおうなどと考えたのかね?」
「それは……」
 彼らは口ごもった。事実を語れば失望させてしまうことになる。
「待って」
 ところが期せずして、小間使いの女が口を挟んだのだ。
「あなたたち、もしかしてラクールから来たんじゃないの?」
 嘘をついてまで隠し通すことはできなかった。
「……そうです」
「やっぱり! じゃあ、私たちを助けに来てくれたってことよね?」
 その問いに応えるものはなかった。それでも女は期待を顕《あら》わにして、浮かれたような口振りで続ける。
「ほんとにもう、やっと来てくれたのね。ずうっと待っていたんだから。それで、迎えの船はどこにあるの?」
「自重したまえ」
 そう諫めたのは長の隣に立つ青年。落ち着き払った態度で淡々と諭す。
「彼らが置かれている状況を考えれば、どういった事態なのかはわかるだろう」
「どういう意味よ」
 女はむっとして青年を見返したが、彼は鼻で溜息をつくばかりで応えようとしない。代わりに長が。
「つまり、ラクールは魔物側に敗北したということじゃな」
「はい……おそらくは」
 クロードが言うと、女は愕然と彼を見た。
「そん、な……」
「仕方あるまい。あまりにも魔物が強すぎるのだ」
 長は杖をついて立ち上がり、彼らに背を向ける。
「ソーサリーグローブが落下して以後の魔物の強さは尋常でない。もはや、我々に対抗する手段は残されてないのかもしれぬ」
「ひとつ、よろしいかしら?」
 セリーヌが口を開くと、長は首だけを動かして彼女の方を向いた。
「何かな」
「ソーサリーグローブが落下した場所は、今はどうなっていますの?」
「……魔物の巣窟じゃよ。まさに」
 長はそれだけ言って、また首を戻してしまった。
「エルリアの落下地点には、巨大なクレーターができたのだ」
 青年が説明する。
「落下の衝撃で街は半壊してしまったが、それでも今よりはましだった。今ではエルリアはおぞましい魔物が蠢《うごめ》く魔窟と化している。街はとっくに消滅し、エル城ももはや原形をとどめていない」
「なにもかも、あのソーサリーグローブのせいなのよ! あの石さえ落ちてこなければ……」
 女が吐き捨てるように言ったところで、会話がしばし途絶えた。外から吹きつける風を受けた戸が、がたがたと鳴っている。
「……わかりました」
 沈黙を破ったのはクロード。
「エルリアに敵の本拠地があるんですね」
「そうじゃが、なぜそんなことを……まさか」
 長は振り向きざまに眼窩《がんか》を大きく開いて彼を見た。クロードは毅然と前を向いている。
「僕らはエルリアへ行って、厄災の原因となったものを突きとめます。そして、それがソーサリーグローブであるなら……破壊します」
「君は自分の言っていることがわかっているのか」
 青年は冷淡にクロードを見下ろす。
「エルリアは魔物の根城だぞ。そこへたった七人で乗り込むなど。これを無謀と言わずしてなんとする」
「わかっています。でも、僕らはそのためにここまで来たんです。方法がないからといって、何もしないで黙っているほど諦めのいい人間でもない。任せてくださいとしか今は言えませんが」
 長はクロードを見、レナを見て、仲間たちを見渡した。絶望ばかりが支配するこの闇黒の大陸においても、彼らの瞳は爛々と輝いていた。決意は揺るぎそうもない。
「……あいわかった」
「長殿?」
 青年の怪訝な眼差しを遮るように、長は深く瞑目して、言った。
「たとえわずかな希望であれ、そなたらがそれに賭けるというのであれば、我々も協力しよう。……この屋敷の隣に小屋がある。集落に逃げ込んだ者が持ち寄った武器がそこに保管されている。必要なだけ持っていくがよい」
「ありがとうございます」
 クロードは心から礼を言った。
「あの、それからもうひとつ、聞きたいことがあるんですが」
 と、前に進み出たのはレナ。
「私たち以外に、海岸に流れ着いた人が来たという話は……」
「ふむ? 少なくとも儂らは聞いておらぬが」
「そうですか……」
 レナは俯いた。船団に乗り込んだ多くの兵士たち、そしてレオンは。海に沈み、泡とともに消えていく少年の姿がふと思い浮かんだが、慌てて首を振り不吉な想像を掻き消す。
「レオンは、きっと、生きているよね」
 スカートの隠しを探ると、少年から貰った『お守り』があった。銀色の鎖を握りしめて、レナは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


「話は聞いているだス。好きなものを持っていくとよろしいだス」
 武器庫の案内をした男は、語尾に癖のある喋り方をした。
 彼らが中に入って確認すると、そこにある武器や道具は、埃は被っているもののかなりの代物であった。街の人間が持ち寄ったというから、さほど期待をしていなかっただけに、この質の高さには目を見張るばかりだった。
「そりゃ当然だス。命がけで逃げ出すってときに、そこらのナマクラ刀を持っていく奴はいないだス。ここにあるのは、ほとんどが家宝として大事に保管されていた品物なんだスよ」
 彼らの疑問に男がそう説明した。
「僕はこれにするよ」
 クロードが選んだのは、切っ先が鋭く尖った両刃の剣。鞣《なめ》し革の鞘は薄汚れていたが、すらりと抜き放った刀身の輝きは見るものを圧倒した。形ばかりで構えてみると、身体とのバランスも悪くない。
「ふん、剣士が剣をなくしていては失格だな」
 ディアスの嫌味を背中に受けながら、クロードは剣の鞘を腰につけ替えた。ディアスはしっかりと腰にギャムジーの剣《シャープネス》を差している。
 ボーマンやセリーヌもそれぞれ自分の武器を見つけだした。エルネストは予備の鞭を身につけていたので問題ない。
 オペラは武器には目もくれず、部屋の片隅に積まれたがらくたばかりを探っていた。
「ねぇ、ここにあるものも、持っていっていい?」
「別に構わないだスが……」
 男がそう返事すると、オペラは嬉々として中の鉄屑をいくつか選び出した。
「あ、それから、工具みたいなものはないかしら」
「それならここにあるだスよ」
 男は部屋の奥から一抱えほどもある木箱を引っ張り出してきた。中には金槌、鋸《のこぎり》、鑢《やすり》に鑿《のみ》と、それらしいものはほとんど揃っている。
「かなり古いものだスが、どこかの職人が使っていた工具だとかで、使い勝手はいいと思うだスよ」
「ありがとう、助かるわ、お兄さん」
 オペラが色めかしい笑顔で片目を瞑ると、男は呆気なく鼻血を噴いて卒倒した。
「そんなもの借りて、どうするんですか?」
 不思議に思ったクロードが訊いてみる。
「決まってるじゃない」
 と、オペラは口許をつり上げて。
「ランチャーを作るのよ」
「これだけの材料で作れるんですか?」
「多分ね。エネルギーパックは持っているから、それを装填する装置さえ作れば銃の形はどうだっていいのよ。時間もないから、小型のライフルくらいの大きさにしかならないだろうけど」
 そう言ってから、彼女は隣のエルネストの服をつまんで引っ張ると。
「もちろん、手伝ってくれるわよね」
「む……」
 にこりと笑いかけるオペラに、複雑な表情をして見つめ返すエルネスト。
 その頃、オペラの悩殺ウインクで倒れた男がようやく起きあがってきた。
「ふ、不覚だス……おらとしたことが」
 手で鼻の下を拭って立ち上がったとき、懐から何かが零れて床に落ちた。掌ほどの大きさの、赤い半透明の板だ。
「それは?」
 目ざとくそれを見つけたクロードが男に訊いた。
「ああ、これだスか」
 男は板を拾い上げて彼の前に差し出す。レナも加わり、三人でその板をじっと見つめる。
「なあに、これ?」
「エルリアから逃げるときに拾ったんだスよ。何に使うのかよくわからないけど、きれいだから取っておいたんだス」
「見せてください」
 板を受け取ると、クロードはそれを眼前に近づけてみたり、明かりに透かしたりしてみた。
「間違いない……これはIDカードだ。たぶん、センサーで感知するタイプの」
「愛泥カード?」
 レナの言葉に明らかな解釈の違いに気づいたクロードは、続けて何か言おうとした口を止めて。
「あ、いや、なんでもないよ。気にしないで……」
 首を傾げるレナにそうつけ加えてから、男の方に向き直る。
「このカード、よければ僕にもらえませんか?」
「ああ、どうせおらが持っていてもしょうがないから、必要ならあんたにあげるだス」
「あら、ほんとに親切ねぇ、お兄さん」
 そこへオペラが割り込んできた。急に顔色を変えて後退りする男。
「あんまり親切だから、今日はサービス」
 と、彼女は指で自分の足許を示す。男が何気なく視線を下に向けたとき、服の裾が大きく翻った。男はまた鼻から赤い飛沫を盛大に上げて倒れる。
「がっ!」
 倒れた際、壁際に飾ってあった甲冑の臑当《すねあて》に後頭部をぶつけてしまった。甲冑はゆっくりと傾いて、頭を抱えてもんどり打っている男に向かって倒れる。
「ぎゃふん!」
 あえなく甲冑の下敷きになった彼は、それきり動かなくなった。
「さて、早速作業に取りかかりましょうか」
 オペラは平然と小屋を出ていこうとする。対処に困ったレナは彼女を呼び止める。
「ち、ちょっとオペラさん、この人どうするんですか。放っておいたら死んじゃいますよ」
「だったら、あなたが呪紋でもかけてあげれば」
 鼻血まみれで甲冑に潰されている男を、レナはチラッと見て。
「そんな。嫌ですよ、こんなの」
「こんなのって……」
 彼の命運や、いかに。

 その日の夜は、長の家に隣接する小屋に泊まることになった。本来は薪や丸太を保管する小屋なのだが、部屋の造りは意外にしっかりしており、全員が横になるのに充分な広さもあった。集落のどこかでは馬も飼っているらしく、小屋には飼葉も多量に積まれており、彼らはそれに包《くる》まって眠った。
 闇の帳が下り、夜が更けてもオペラとエルネストは小屋の外で武器製作の作業を続けていた。彼らに少し話すことがあったクロードも途中まではつきあわされていたが、あまりの眠さに集中力が散漫になり、金槌で自分の指を思いきり打ちつけたところでようやく解放してくれた。
 腫れた左手の親指を庇いながら戸を開けて、小屋の中に入る。部屋のそこここに、飼い葉に埋もれるようにして眠る仲間たちの頭があった。奥の方で青い髪が揺れたのを見つけると──なんとなく周囲を見回して誰も起きていないのを確認してから──そちらへと足を運んだ。
 少女の枕元にそっと腰を下ろすと、その寝顔を見つめる。うつ伏して片頬を下に向け、その横に手を添えて穏やかに寝息をたてる少女の顔を、ただひたすらに見つめる。彼の想うところはやはり、これまでの旅のことか。それとも。
(だいじょうぶ)
 いとしい少女を前にして、少年はこころの中で誓う。
(僕はどこへも行かないよ)
 そうしてすぐに背中を向け、自らも飼い葉をかぶって横になった。

  主に護られしこの森よ、
  たとえ世界が滅ぶとも。
  永劫を生きるこの森よ、
  私はあなたとともにいます。



--
【ひとくち解説】
 エクスペル編最終章。いよいよ佳境です。
 冒頭の子守唄は、『Theme of Rena』のメロディに合わせて作ろうと思ったんですが、なんか上手くいかないのでやめました。雰囲気だけは、そんな感じで。
posted by むささび at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年10月02日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第六章(3)

   3 雫 〜エルリア海岸沖〜

 左右の帆桁に登った船乗りたちの合図で、いっせいに帆が広げられた。風を受けて雄々しく張りつめた帆の中央には、ラクール王家の象徴である獅子の紋章が大きく刺繍されている。近くに停泊する船も同様に獅子の紋章をつけていた。ところが、そこから少し離れた沖側の一所には、十字架に南十字星座《サザンクロス》の刺繍をつけた船団が見受けられた。それは紛うことなきクロス王家の紋章。ラクール王はクロスにも協力を要請していたのだ。
(そういえば、ずっと前に手紙を届けたことがあったっけ)
 あの手紙こそがクロス王に助力を願う文書であったのだと、レナはこのときになってようやく気づいた。
 ヒルトンの港にはエル侵攻を控えた艦船がすべて集結していた。埠頭《ふとう》のあたりでは縦横に整列した兵士たちが、出撃のための最終説明を総司令官から受けていた。船の数にも圧倒されたが、兵士の数もこれまた半端でない。ラクール王はほんとうにこの戦で決めてしまうつもりなのだろう。
 やがて総司令の説明が終わり、兵士たちはいくつもの列に分かれて各々の船に乗り込む。と同時に、街に近い方の港の外れから勇壮な行進曲《マーチ》が流れ出す。軍帽に制服を着込んだ者たちが手に手に楽器を持ち、同じ格好をした男の指揮のもとで盛んに演奏をしている。その傍らで小柄の青年が『協賛:海野楽器』と書かれた幟《のぼり》を抱えて立っていることから、どうやら楽器は店の借り物らしい。
「大袈裟な船出だな」
 埠頭に渡された板を踏み鳴らして船に乗り込む兵士を眺めながら、ディアスが呆れた。
 彼らも全員がこの港に集い、乗船の指示を待っていた。港の入口である門の下にレナとクロード、それにディアス。反対側の門柱に寄りかかり、腕を組んだまま船を漕いでいるのはボーマン。オペラとエルネストは波打ち際で何やら話をしており、セリーヌは道具の買い出しに行ったきり、まだ帰ってこない。
 埠頭の別の場所では、白衣の研究員たちがマードック親子を囲んで指示を仰いでいた。彼らの背後に横づけされた船の甲板には巨大な砲身が聳《そび》えている。前線基地に設置してあったラクールホープをそのまま持ってきたのだ。
「どう思う、この戦い?」
 ディアスがクロードに訊いた。
「……全船団をエルリア西海岸まで北上、予測される敵の先遣隊をラクールホープで撃破」
 クロードは力強く楽器を奏する軍奏隊に目を遣りながら、今回の作戦を復唱する。
「その後にこちらの先発隊が上陸、住民の安全確保と避難をすみやかに行い、最後に」
 三人は船上の砲台を振り向く。その周囲ではすでに研究員たちが作業を始めていた。
「ラクールホープでエルリアを破壊、か……」
 砲台の上空で飛び回っていた数羽のカモメが帆桁に並んで停まった。下にある装置がどれほど悍《おぞま》しい威力を秘めているのか、かれらは知る由もない。
「作戦が単純すぎると思わないか?」
 ディアスの言葉にクロードも頷いた。
「確かにな。これじゃ、作戦なんてあってないようなものだ。……住民の避難にしたって、そう簡単に上手くいくとは限らない。これだけの戦力があるなら一箇所に集中させるより、別働隊を大陸の東側にでも派遣して、両側からことを進めた方がいいかもしれない」
「成程な。だが俺が気になるのは別のことだ」
 と、ディアスは兵士たちの横でふんぞり返る総司令官を顎で示した。
「連中、やたらとラクールホープに頼りすぎている」
 視線の先で総司令は船に乗り込む兵士を威圧的な目つきで見張っている。
「確かにラクールホープの威力は絶大だ。だが、今回の作戦はあまりにもそれに依拠しすぎている。言ってしまえば、たかが武器ひとつに全世界の命運を賭けているようなものだ。なのに軍の奴らはもう凱旋気分で、この騒ぎときた。ラクールホープがなければ形勢的にはこちらの方が不利なのをまるで忘れている」
「なければ?」
 レナは小首を傾げる。どうしてそんなことを危惧するのかわからなかった。
「ひとは自分の能力以上の武器は持たん方がいい。ろくな使い方をしないからな」
 ディアスははぐらかすようにそう言うばかり。
「僕らが確実に勝つにはどうしたらいい?」
 クロードが訊くと、ディアスは含み笑いを浮かべて。
「決まってるだろ。敵のボスを叩きのめし、二度と立ち上がれないようにすることだ」
 冗談なのか真剣なのか、彼はそう言い置いて埠頭の方へと歩き去ってしまった。
「……煙《けむ》に巻かれたか」
「ディアスの方が一枚上手だったみたいね」
 ふたりはそろって苦笑した。
 カモメの飛び交う青空には、ちぎれ雲が縺《もつ》れた糸のように絡まりながら流れている。
 そういえば、とレナは隣のクロードを見た。彼は門柱で立ったまま器用に居眠りするボーマンを眺めている。最近のクロードは空を見ることがほとんどなくなっていた。仲間が増え、ひとりでいることが少なくなったということもあるだろうが、それでも以前は意識的に視線を逸らしている向きがあった。
(ディアスも『表情が変わった』って言っていたっけ。昔はもっと思い詰めた顔をしていた、って)
 彼も、クロードのそうした変化に気づいたのかもしれない。
 クロードは変わった。そのことがレナにはやけに嬉しかった。
「……これで、人々を苦しめていた異変の原因がわかるのね」
 彼女が呟くと、クロードはゆっくりと首を前に傾けた。
「いろいろ遠回りはあったけど、やっとここまで来られたんだ。絶対に勝たないと」
「うん。……それからね」
 レナは下を向いたまま、そっと左手でクロードの右手の甲に触れた。彼から貰った翡翠色の指輪《エメラルドリング》が人差し指に輝く。
「ありがとね、クロード」
 クロードは不思議そうに彼女を見る。
「なんのことだい?」
「アーリアを出たときから、ううん、初めて会ったときからずっと、クロードは私を守ってくれたよね」
 手に手を重ねるようにして、掌全体で彼の手の大きさ、暖かさを感じる。
「守るだなんて……。僕の方は、情けなくてしょうがないのに。口ばっかりで、ちっとも君を守りきれなくて……」
 言いながらクロードは表情を曇らせる。
「そんなことない」
 レナは思いきって顔を上げ、クロードと向き合った。火照った頬を見られるのは恥ずかしかったが、必死に前を見て。
「私はすごく心強かった。いつも命がけで守ってくれるクロードが頼もしかった。それだけじゃないわ。クロードがそばにいるだけで、私はなんだか安心できるの。……だから」
 語気が弱くなり、レナは再び下を向いてしまう。頭の中はまったくの空白で、自分が何を喋っているのかまるでわからなかった。ただ、胸ばかりが仄《ほの》かに熱い。苦しい、でも心地よい。知らぬうちに左手が彼の右手を握りしめている。そうして最後に、彼女は内に秘めた思いを言葉に紡ぎだした。
「これからも、ずっと……ずっと一緒にいてね」
 いつの間にか周囲の喧噪は鎮まっていた。軍楽隊も演奏を止め、遠くの海岸から打ち寄せる波の音ばかりがその場に流れる。
 沈黙がひとしきり続いて、レナはこわごわと頭を上げて上目遣いにクロードの顔を見る。目と目が合うと、茫然としていた彼のそこに優しい微笑が灯った。
「ああ。僕らは一緒だよ、これからもずっと……」
 クロードの右手がレナの手を握り返した、そのとき。
「レナお姉ちゃーん!」
 埠頭の方から聞き覚えのある声で呼びかけられて、レナは反射的にクロードの手を振り払ってしまった。勢いよくはじかれた彼の右手は、すぐ横にあった街の案内板の角にしたたか打ちつけられた。声ならぬ声をあげるクロード。
 長すぎる白衣を引きずって駆けてくるのはレオン。レナの前で立ち止まると、息を弾ませながら言う。
「お姉ちゃんたちは、ラクールホープの船に乗るんだよね?」
「え、ええ、そう聞いているけど」
 レナは隣のクロードを気にしながら答えた。
「じゃ、同じだ。ボクもその船に乗るんだ」
「レオンも行くの?」
「当然だよ。あの武器はボクが作ったんだ。他のひとなんかに任せられないよ」
 そう快活に言ってから、レオンは急に黙り込んでしまった。
「どうしたの?」
 しばらくしてレナが訊くと、少年は切ないような表情で何か言いかける。が、横で案内板を抱えるように凭《もた》れかかり、痛そうに右手を振っているクロードが目につくと、むっとして口を閉ざしてしまった。口を尖らせたまま、つかつかとクロードの前に立つ。
「なにやってんだよ、お兄ちゃん。邪魔だからあっち行っててよ」
 案内板から無理矢理クロードを引っぺがし、背中を押して門の外へと追いやってしまった。それからすぐにレナの許へ戻ってくる。
「あのね、お姉ちゃん……」
「なあに?」
 レオンははにかんで、また俯《うつむ》いてしまった。手持ちぶさたに臍《へそ》の下で交差させた両手の指先を擦りつけるようにして弄《もてあそ》んでいる。
 と、決意を固めたのか、いきなり頭を上げ、白衣のポケットに手を突っ込んで何かを取り出すとレナの前にずいと突き出した。握りしめた拳の指の隙間からは細い銀の鎖が覗いている。
「あげる。お姉ちゃんに」
 突《つ》っ慳貪《けんどん》にそう言うも、どことなくわざとらしい。
 言われるままにレナが手を差し延べると、レオンは拳を開く。銀の帯を纏った一粒の雫がレナの掌にはらりと落ちた。よく見てみると、それは雫のかたちをした宝石だった。色は青というより紫に近い。尖った部分に金具がついており、環になった銀の鎖に繋がっている。
「これを、私に?」
 レオンはこくりと頷いた。
「昔の文献を見て、ボクが作ったんだ。月の魔力を持ったお守りなんだって」
「作ったの? あ、ねぇ、ちょっと……」
 レナが訊ねたときには、少年はもう埠頭の両親のいる方へと走り去っていた。
「なんだったのかしら……」
 レナは得心《とくしん》のいかない表情で鎖を指に引っかけ、雫を目の前に吊り下げてゆらゆらと揺らしてみた。
「あらあらあら、レナもなかなか隅に置けませんわね」
 そこへ入れ替わるようにしてやってきたのはセリーヌ。気味の悪い笑顔を浮かべて躙《にじ》り寄ってくる。
「なんのことですか」
「そのプレゼント。レオンがどんな気持ちで貴女にあげたのか、わかりませんの?」
 この口振りだと、どうやら先程のレオンとのやりとりを見ていたらしい。レナは首を傾げる。
「んもう、相変わらず鈍いですわね」
 セリーヌはレナの鼻先を軽くつついて。
「初恋ですわよ。は・つ・こ・い」
「は!?」
 あまりに意外な言葉に思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「初恋って、レオンがですか。私に?」
「間違いないですわね。こないだから怪しいとは思っていたんですのよ。なーんかレナにばかりアプローチしていたから」
「そんな、困ります!」
 真剣にそう叫んだレナにセリーヌは呆気にとられ、それから吹き出すように笑いだした。
「あなたも可愛い子ね。そんなの真に受けることはないんですのよ」
「でも……」
「初恋なんて実らないのが世の常ですもの。特にああいうマセた坊やは、一度苦い思いをさせた方が今後のためですわ。なんだったらそのプレゼント、海に投げ捨てたって構いませんのよ。その方があなたもスッキリするでしょう」
「そんなこと……せっかくレオンが作ってくれたのに」
 レナは紫の雫を握りしめる。銀の鎖が掌から零れ、流れ落ちる水のように垂れ下がった。
 セリーヌは肩を竦めて、去り間際にこう言った。
「優しさは時としてひとを傷つけるわ。気をつけなさい」
 膨らんだ道具袋を肩に提げて、埠頭へと歩いていく。
 レナはもう一度手を開いて、雫の宝石を見た。レオンはこれをお守りだと言った。守る、もの。あの小さなレオンが、私を守ろうとしている。そう考えると、少年の哀しいほどの健気さに胸が締めつけられるようだった。
(……やっぱり捨てられないわ。たとえそれがあの子を傷つけることになっても、私は私の優しさを大切にしたい)
 雫を固く握りしめると、砲身が伸びる船へと歩いていった。


 出航からエル大陸到着までの日程は六日。そのうち五日目までは何事もなく、船団は予定通りの航海を続けた。
 しかし、六日目の夜明けにそれは起こった。
 慌ただしい足音が階段を駆け降りる。薄暗い廊下を抜けて、船室の前まで来たところで、扉が勢いよく開け放たれた。
「おい、みんな起きろ! 敵のお出ましだ!」
 血相を変えて船室に駆け込んできたのはボーマン。眠っていた仲間たちもその声で飛び起きる。
 慌ただしく支度を済ませて、彼らは甲板に上がった。ひんやりとした空気が肌に凍《し》みる。船の周囲には朝靄が微かに立ちこめており、一定の距離をおいて併走する他の船が白んで見えた。舳先の向く先には影のように暗々とした陸地が水平線に広がる。陸地の右端には太陽が、幾筋もの光の筋を放ちながら頭を出している。
 闇黒の大陸。あれこそが魔物の本拠地、エル大陸に相違ない。そして大陸の上空に広がる忌まわしき群影。その様態は場所から場所へ移動しては作物を食い荒らすイナゴの群を連想させた。闇の陸地から飛び立った害虫どもが餌食とするは無論、この船団だ。
「あんなのに来られたら、ひとたまりもないわね」
 陽の光に目を細め魔物の群を眺めながら、オペラが言った。
 船首楼では数人の兵士と禿頭の総司令官、それにこの船団を指揮する提督が集まり言葉を交わしていたが、あまり切迫した様子ではない。それもこれ、ラクールホープという切り札に絶対的な信頼を置いているからであろう。
「ラクールホープの準備は?」
「いつでも発射できます」
 砲台の手前では既にマードックたちが待機していた。レオンが研究員に照準の座標を指示している。
「予定よりはいくらか早いが、作戦通り発射を実行する」
 提督が皆に向かって決断を下した。上空の魔物群はその姿が視認できるほど近づいている。
「エネルギー装填完了」
「よーし、発射あっ!」
 はしゃぐようにレオンが人差し指を前方に突き出した。砲口に光が集まり、緑色に輝く塊が勢いよく飛び出した。光の塊は尾を曳きながら魔物が群れる上空へと突き進む。
 と、そのとき群れから一匹の魔物が飛び出して、陣風のごとく砲撃の進路へと向かっていった。緑色の砲弾は彗星さながらに、それでいて彗星とはまるきり逆に、空を駆け上っていく。魔物は進路に達したところで急停止すると、右手を前に掲げて身構えた。砲撃が迫る。数千もの魔物をたちどころに殲滅《せんめつ》した一撃である。まともに喰らって無事でいられるはずがない。誰もがそう思った次の瞬間、人間たちは自らの目を疑った。
 砲撃は魔物の手前で止まった。薄い光の膜のようなものを掌の前に生じさせ、砲弾を遮っている。緑の塊は無数の光の粒を飛散させてその場で燻《くすぶ》っていたが、程なくすっとかき消えた。
 そうして、魔物は嗤《わら》った。遠目でその貌はよく見えなかったが、全身の気配がそう感じさせたのだ。
「ラクールホープが……効かない?」
 マードックは愕然として言った。総司令も提督も、そしてレナたちも同様に茫然と立ちつくすばかり。
「そん、な……」
 最も衝撃が大きかったのはレオンだった。腰が抜けたようにへたへたと座り込んで放心する。天才であるこの少年に、失敗などという文字は存在しなかった。常に完璧だったはずの理論が初めて覆されたとき、少年の裡《うち》にあったのは屈辱でも絶望でもなく、ただ、困惑であった。
「あの魔物……もしや前線基地に乗り込んできた奴か」
 ディアスが言うと、他の者も我に返り魔物を改めて凝視する。
「そうですわ。あの魔物、わたくしのサンダーストームにもビクともしなかった」
「魔物軍の首領……名前は」
 そうこうしているうちに、ついに魔物が船を襲い始めた。厄介なことに、飛来してきた魔物はすべて前線基地のときと同じ種類の、緑色の蝙蝠《こうもり》であった。船上の彼らを愚弄するように飛び回っては爪で引っ掻き、牙で噛みつこうとする。見る間に船団の上空は魔物で埋めつくされた。
 クロードが剣を抜き、仲間も各々の武器を手に戦いに臨んだ。しかし、魔物の動きの素早さは前線基地で証明されている。たった二匹が相手でもあれだけ苦戦していたのに、果たしてこれだけの数を撃破することはできるだろうか。
「それならそれで、やりようはあるわ!」
 オペラが銃口を敵に向けて引き金を引くと、口径よりも大きな光の玉が吐き出された。光弾はゆらゆらと甲板の上を漂っていたが、不意に急上昇して近くの魔物へ向かっていった。それに気づいた魔物は横に動いて逃げようとするが、光弾も反応して進路を曲げる。それはまるで生きているかのように、魔物を追撃している。しばらく魔物と光弾の追跡劇《チェイス》が繰り広げられたが、ついには光弾が魔物を捉え、緑色の躯は黒煙を上げて真っ逆さまに海へと落ちていった。
「よしっ、α《アルファ》オンワン成功っ!」
 得意顔で親指を下に突き下ろすオペラ。
 ボーマンやエルネストも前回の戦いで相手の動きは把握しているので、かなり善戦できるようになっていた。ディアスに至っては襲いかかる敵を次から次へと斬り捨て、屠り去っている。
 勝てるかもしれない。そう思ったとき、セリーヌから悲鳴が上がった。
「きゃあっ!」
 呪紋を唱えようとしたところを背後から魔物に襲われたのだ。右肩を爪で裂かれて杖を取り落とす。
「セリーヌさん!」
 駆けつけようとするレナにも近くの一匹が狙いを定めて突っ込んでくる。それにいち早く気づいたクロードがレナと魔物の間に入って、迫り来る魔物を見切った。
「双破斬!」
 ふたつの斬撃は魔物の左右の翼を根元から切り落とした。青黒い血を噴き出して足許に頽《くずお》れる魔物に、剣を突き立てとどめを刺す。
「みんな散らばるな! 固まるんだ!」
 クロードが呼びかけると仲間たちもそれに応じ、レナとセリーヌを囲むようにして集まった。
「クロード、レオンが!」
 レナが背後から叫んだ。レオンはひとり、ラクールホープの横で座り込んだままだった。見るからに無防備で、今にも魔物に襲われそうだ。
「レオン、こっちへ来い!」
 レオンがゆっくりと振り向く。淋しさにも哀しさにも似た表情で、奇妙に笑っていた。
「も、だめだよ……ラクールホープが効かなかったんだ。勝てるわけないよ……」
 譫言《うわごと》のように呟くレオンに、クロードは剣を握る手に力を込める。
「諦めるなっ!」
 そして、気がつくと彼は怒鳴りつけていた。
「男なら、守るものがあるなら、最後まで戦え!」
 レオンは目を丸くしてクロードを見た。彼はそれ以上は何も言わずに、厳しい眼差しで見つめ返している。からだの底からなにかが沸き上がってくるのを少年は感じた。
「レオン、後ろ!」
 緑の魔物がレオンめがけて急降下してきた。レオンの瞳に力が戻る。片膝を床につけて身体を反転させ、ポケットから本を取り出しすかさず頁《ページ》を開く。そうして腕を突き出して、彼は唱えた。
「ブラックセイバー!」
 放たれた闇の刃は魔物を苦もなく切り裂き、首と胴体とが完全に離ればなれになった骸は海面へと落下していく。
 レオンはしっかりと立ち上がってクロードたちの方を向いた。それでいい、とクロードは頷く。背後のレナもにこやかにこちらを見つめていた。
「ふはは、大した悪あがきをしているな、虫けら諸君」
 突如、上空から不気味な声が轟いた。ラクールホープの砲撃を防いだ、あの魔物がゆっくりと降下してくる。船上の人間を襲っていた魔物どもも途端に攻撃の手を休め、船の中央に集まった。
「おや、またお前たちか。道理でこの船だけ攻めあぐねていたわけだ」
 魔物軍首領──シンはラクールホープの砲身の上に降り立った。
「まったく、この武器ごと誘《おび》き出されたとも知らずに、愚かなことよ」
「誘き出されただと?」
 総司令官が口を出すと、シンは凄まじい形相で彼を睨みつけ、腕を薙ぐように振るった。すると爪の先端の描く軌跡が白い鎌鼬となって放たれ、総司令の胴体を突き抜ける。遅れて太りすぎの腹から鮮血が迸《ほとばし》って、驚愕と恐怖に顔を引き攣《つ》らせながら総司令官は倒れた。
「下衆《げす》が。私に口を利くなど千年早い」
 シンは甲板に飛び降りて、ラクールホープの装置の前に立った。そしてひと思いに装置を叩き壊すと、中の翡翠色の石を取り出した。
「我々に必要なのはこれだけだ」
 控えていた手下の魔物二匹にそれを持たせる。
「行け」
 シンの命令ですみやかに魔物は飛び去っていった。闇黒の大陸へと。
「さて、ひとまずの用事は済んだが……お前たちにのこのこ上陸されても困るからな」
 殺気を感じてクロードたちは身構えた。
「少し遊んでやろう」
 言うが早いか、シンは再び鎌鼬を放った。彼らは四方に散開して躱す。三日月の白い刃は回転しながら甲板に突き刺さり、床板が粉々に砕け散る。
 仲間のうちで最初に標的とされたのはボーマン。低空飛行で猛然と突進してくる魔物に対してボーマンは拳を繰り出して闘気の塊を放った。だがシンはそれを片腕一本で弾き飛ばすと、そのままの勢いでボーマンを殴りつけた。吹き飛んだボーマンの身体は船縁の木材を突き破り、波立つ海へと落ちていった。
「エナジーアロー!」
 その間に詠唱の終わったセリーヌが杖を翳《かざ》して唱えた。シンの周囲に、針のように細い光の矢がいくつも生じて襲いかかる。だが、その堅い鎧のような外殻に阻まれて、かすり傷ひとつ負わせられない。
「ふん、せこい呪紋だな」
 シンはそう嘲ると空の高いところへと上昇していった。
「呪紋とはこう使うんだ」
 帆柱《マスト》の先も届かない高さまで上りつめるとそこで止まり、腕を掲げた。
「フェーン」
 シンが唱えると、船上に物凄い熱風が吹き荒れた。虚をつかれた提督やマードックたち、それに仲間の女性三人は暴風に巻き上げられて彼方の海へと飛ばされる。残った男たちは甲板の上で身を固めて風が過ぎるのを待つ。剥きだしの肌が火傷するほどに熱い。船の帆に火がついて、獅子の紋章が見る見るうちに焼け落ちていく。
 ようやく熱風は治まった。シンがゆっくりと降りてくる。
「ほう、あの風に耐えたのか。大したものだ……ん?」
 蹲《うずくま》っていたエルネストがその場で鞭を振った。すると鞭の先から半分がふっと消える。そしてシンの頭の後ろの何もない空間に小さな黒い穴がぽっかりと空いて、そこから消えた鞭が飛び出してきた! 鞭はシンの首に巻きついて強く締めつける。
「ぐ……なんだ、これは」
「ディメンジョンウィップ。この鞭は特殊でな、紋章力との調和で空間すら超越できる」
 膝を立てて起きあがりながら、エルネストが言った。
「奴は捉えた。やるなら今だ!」
 その言葉に応じたクロードとディアスが、並んでシンの許へと駆け出す。しかし目前にと迫ったそのとき、苦しみに歪んでいたはずのシンの表情が血も凍る笑顔に変わった。首に巻きつく鞭をつかんで引きちぎると、斬りかかるふたりの剣を宙に浮いて躱し、そのまま左右の足でそれぞれひとりずつ蹴り飛ばした。ディアスは船縁を越えて海へと転落し、クロードは船尾楼の段差に身体を打ちつけて昏倒した。
 すぐにシンは残るエルネストの前に詰め寄り、先程のお返しとばかりに右手で首を締めつけ吊し上げた。顔から次第に血の気が失せていく。
「弱い……弱すぎるぞ、お前たち」
 シンは吐き捨てるように言うと、無雑作にエルネストを海へ放り投げた。それから船尾楼の下で倒れるクロードの前に降り立つ。
「海の藻屑か魚の餌か。虫けらにはそれが相応しかろう」
 クロードの身体をつかんで同じように放り投げる。海面に着水する音が虚しく響いた。
「さて、これで終わったか」
 そう呟いた刹那、シンの背後から無数の氷の矢が飛来してきた。慌てて振り返り腕で貌を覆って防ぐ。氷の矢は腕や身体にぶつかると砕けて地面に散らばった。
「まだ終わってないよ」
 腕を下ろしたシンが見たものは、全身水を被ってびしょ濡れになったレオン。水色の髪から水滴が滴り、床には水たまりが広がっている。
「小僧、フェーンで吹き飛ばされたのではなかったのか」
「体に冷気の膜を張って、それからこいつにしがみついたんだ」
 レオンの足許には、金具に結びつけられた舫《もや》い綱があった。船縁から下の海へと垂れ下がっている。
「綱をつかんだまま飛ばされて結局は海に落ちたんだけどね。ここまで登ってくるのに一苦労だったよ」
「ふん、おとなしく海に沈んでいればいいものを、わざわざ死にに戻ってくるとは」
「どうかな。悪いけど、ボクはそう簡単にはやられないよ」
「ぬかせ」
 シンが突っ込んできても、レオンは慌てる素振りもなく身構えている。繰り出された拳を身体を沈めて避けると、背後に跳んで退いた。
「アイスニードル!」
 すぐに追いかけようとしたシンに氷の矢を浴びせ、怯んだ隙にさらに間合いをとる。それから左手に持つ本の頁を捲って。
「ディープフリーズ!」
 突き出したレオンの指先から鋭く冷気が発せられ、シンの身体を包み込んだ。霜がこびりつき、動きが止まったかに見えたが、シンがひとつ気合いを込めると霜も冷気も吹き飛んでしまった。
 シンはなおもレオンを追いかけるが、レオンもなんとかやり過ごしては間合いをとって呪紋をぶつける。レオンの動きはシンにも決して引けを取っていなかった。
「この小僧、どうしてこんなに動ける?」
 何度目かの氷の矢を打ち払った後で、シンは憎々しげに言い放った。
「ヘイストって呪紋知ってる? なん倍もの速さで動けるようになるんだよ」
 レオンがしたり顔で説明した。
「そういうことか。だが、いつまで逃げおおせるかな」
 シンは鎌鼬を放った。レオンも対抗してブラックセイバーを唱える。白と黒の刃が交わると、その一点で何かが破裂して大きな衝撃波が生じた。シンは慌てて腕を前に出して光の膜で衝撃を遮断する。波が消えてすぐに向き直ったとき、そこに少年の姿はなかった。
「これで終わりだ」
 衝撃波を予期したレオンは遠く離れた舳先の前まで退避していた。開かれた本を左手に持ち、右手を振り上げて唱えた。
「シャドウフレア!」
 凝り固まった無数の闇が天から降り注いだ。闇の塊はシンに触れると青黒い業火と化して躯を灼きつくす。
「どんなもんだい」
 立ち上る黒焔《こくえん》に包まれたシンに、レオンは勝利を確信した。ところが。
 焔の中から突如として鎌鼬が飛び出してきた。油断のために一瞬、動作が遅れたがなんとか跳躍して躱す。すると今度はシン自身が焔《ほのお》をかい潜り突進してきて、組み合わせた両手で空中のレオンを殴り飛ばした。甲板に叩きつけられたレオンの身体は床板を突き破って材木の破片に埋もれる。
 シンが船の中心に降り立った。瓦礫の中から本を持った手を突き出して、レオンが噎《むせ》びながら這い上がってきた。
「まさかあのような高等呪紋を操れるとはな。さすがに少しは堪《こた》えたぞ」
 笑いもせずにシンが言う。紫の肌は焔のために黒い斑点のようなものがいくつも浮き出ている。
 レオンはよろめきながら立ち上がった。右腕に激痛が奔る。床板の破片が刺さったのか、右肩から肘にかけて白衣が千切れて、そこから夥《おびただ》しい血が流れ出ている。手を僅かに動かしただけで脳の随まで突き抜けるように痛んだ。
「私に傷を負わせた報いは受けてもらわねばな。その腕では呪紋も唱えられまい」
 シンが歩み寄ってくる。レオンは後退りする。渠《かれ》の言うとおり、もはや攻めることも逃げることも不可能だった。
 ──いや、まだだ。諦めちゃダメだ。
 ──なにか、まだなにか、できることがあるはずだ。
 霞む目で魔物を睨みながら、考えた。そして。
 ──そうだ。
 ──まだ、ボクにできることが、あるじゃないか。
 ──どのみちこのままじゃ、こいつにやられてしまう。それなら──。
 レオンは決意した。十二の少年にとっては、あまりに残酷な決意だった。
 気づかれないよう腿の横で、持っている本の背表紙と見返しの間に親指を挿《はさ》んでおく。そうしてから、少年は空を振り仰いだ。
「……つまらなかった」
 誰に言うでもなく、少年は感情を抑えた声で呟き始めた。
「気がついたらボクは、ひとりぼっちだった」
「なに?」
 その言葉を聞きとめたシンが怪訝そうに立ち止まる。レオンは端《はな》から渠のことなど眼中にない。
「まわりの人たちはみんな、ボクを違った目で見る。みんなと同じように見てくれない。だからボクだって、みんなが期待するように振る舞うしかないじゃないか」
 少年は仮面の中の素顔が傷つくのを懼《おそ》れていた。自分から人と接する勇気を持たなかった。だから少年は仮面を被り、他人に気づかれぬように演技をし続け、結果としてまわりの人間との溝はますます深まっていった。
 でも。
「でも、レナお姉ちゃんは違った。お姉ちゃんだけは、ボクをまっすぐ見つめてくれた。ボクはひとりぼっちじゃないんだって、わかったんだ」
「ふっ、遺言でも残しているのか。殊勝なことだ」
 シンの足が再び動き出す。レオンの左手がぼんやり輝いていることも気づかない。
「レナお姉ちゃん、きっと無事でいるよね。お守り、あげたもんね」
 少年の瞳からひとすじの涙が零れた。目尻から頬を伝って顎に達すると、雫となって落ちていく。
「……さよなら」
 シンが目の前に立ったとき、レオンは本を高々と掲げて最後の頁を開いた。そこに描かれた紋章が光を放って頭上に浮かび上がった。そして、唱える。
「エクス……ティンクション」
 炸裂した。何かが。光と闇と、あらゆるものが。

 光の奔流が、甲板を突き破って噴き上がる。
 空気が爆発し、火の玉が降り注ぐ。
 空間が歪み、時間が崩壊し、ありとあらゆる秩序が悖乱《はいらん》されて、混沌のみがその場を支配した。
 物質は否定され、とどめるべき形態を持てずに融合と分裂を繰り返す。
 船などない、海などない、空などない、光などない。そこには無のみが──いや、無すら存在しなかった。

 すべてが無に帰すことはない。秩序は崩れ、そして秩序はあるべき姿へと戻るのだ。


 ────────────。


 少年は、仰向けになって海面に浮かんでいた。
 まわりには何もなく、果てない海が広がっている。ここはどこなのか、自分はどうなったのか、そんなことはどうでもよかった。ただ、このまま浮かんでいたかった。
 空が、青いな。彼は思った。
 青空がこんなに綺麗だとは知らなかった。どの研究書や論文にも書いてなかった。悔しいけど、ちょっと、嬉しい。
 そういえば、いつかレナお姉ちゃんが言ってたっけな。
 ──こんなにいい天気だと、お話ししたくなるじゃない?
 ──うん、そうだね。
 レオンはにっこりと笑った。



--
【ひとくち解説】
 完全にレオンがメインですな、この回は(;´Д`) なんせ最後だったから、思う存分活躍させてみました。これでもう悔いはありません。どうもありがとうございました。……いや、本編はまだ続きますけど。
posted by むささび at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年09月25日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第六章(2)

   2 大いなる希望の下に 〜ラクール(4)〜

「よう、アラーク」
「レイモンドか。何しに来たんだ。お前の持ち場はここじゃないだろ」
「そう言うなよ。外壁の見張りは大変なんだ。……ふう、渓谷はいいよなぁ、なんだか空気まで違うぜ」
「そんなもんか? 見張りならどこだって同じだろう」
「ぜんぜん違うさ。向こうはやけにピリピリしていて、息が詰まりそうだ。おまけに冷たい風がびゅんびゅん吹いて、骨の芯まで冷えきってしまうよ」
「寒いのはこことて変わらんさ。早く戻れ、また隊長にどやされるぞ」
「それだよ。どうして隊長たちはあんなに機嫌が悪いんだ?」
「エナジーストーンが到着しないからだろう。完成したと報告が入ってから今日で六日目か。その間、魔物の襲撃もひっきりなしに続いて、味方の戦況は悪くなる一方だ。総司令も随分と頭を悩ませているらしい」
「へええ、あの総司令がねぇ。でも、ま、あの顔じゃ悩んでいてもいつもと変わらないけどな。シメられる前の豚みたいな顔してさ」
「おい……」
 うおっほんと咳払いをして、シメられる前の豚……ではなく、総司令官がすぐ横に立っていた。青ざめたレイモンド兵士は形ばかりの敬礼をすると、脱兎のごとくその場を逃げ出した。
 渓谷を一望できる崖の上で、レナはその一部始終を傍観していた。総司令官は残った兵士と少し話をして、それから彼女に気づくとこちらに歩み寄ってきた。
「君はアレかね、確か、例の戦士たちの仲間だったね」
「ええ、そうですけ……ど」
 間近で見るとなるほど総司令の容貌は醜い。先程の兵士の表現も言い得て妙だと思えてしまうぐらいだ。鼻は押しつけたように低く、両眼の窪みもまわりの肉にほとんど埋もれてしまっており、口許はどこかだらしなく緩んで、下顎の余分な肉が顎を覆うように垂れ下がっている。禿げ上がった頭は油を塗ったようにぎらぎらと照り輝き、突き出た腹を苔色の軍服がはちきれんばかりに締めつけていた。
「君たちの働きぶりには我々も感服の至りだ。次の襲撃のときも頼りにしているぞ」
「はあ……」
 レナは気乗りのしない返事をした。そのことが総司令官にありもせぬ懐疑をもたらしたらしく、さらに言葉を重ねる。
「案ずることはない。間もなくエナジーストーンが到着する。そうすればラクールホープも完成だ。こいつで憎き魔物どもを蹴散らして、我らに……」
 暑くもないのに総司令官の額には玉の汗がいくつも浮き出ていた。途中で言葉を切って手巾《ハンカチ》で額を拭うと、レナの横を抜けて砦の奥へと歩き去ってしまった。
 総司令の口から勝利という言葉が出ることはなかった。
 風は崖上から渓谷を抜けていく。寒さにひとつ身震いすると、レナも砦の中へと入っていった。
 砦の中央に延びる通路は明かり取りの窓もろくになく、燭台は皿ばかりが壁に並んで灯される気配もない。薄暗い歩廊を歩くと、隅で蹲《うずくま》る人々の呻きが否応なしに耳に届いてくる。救護室から溢れ出た兵士や戦士たちだ。
「熱い……熱いよぉ……」
「お願いだ……助けてくれ……」
「足は……俺の足はどうなったんだ?」
「苦しい……薬を、誰か……」
「頼む、妻と子供に、会わせてくれ……」
 レナは前を向き、なるべく彼らを見ないように通り抜ける。できれば耳も塞ぎたかった。いつもならばすぐに手を差し延べて治療していたことだろう。しかし今、彼女はこの前線基地の中で回復呪紋を大っぴらに使用することは禁じられていたのだ。
 それは、エルネストの危惧によるものだった。
「もし、レナがここに倒れているひとりを治療したらどうなる? そうすればここにいるすべての怪我人を治療してやらねばならなくなる。あとはもう芋蔓《いもづる》式だ。レナの噂が基地の隅々まで広まって、なん千人もの怪我人がいっせいにレナひとりの所へなだれ込んでくる。そうなってしまっては、お前の身体がもたんだろう」
「でも、時間をおいて、少しずつ治療していけば……」
「そんなに悠長な話だと思うか? あちらさんは生きるか死ぬかと切羽詰まっているんだ。レナが疲れていようがいまいが向こうは知ったこっちゃない。下手すればお前を脅してでも治療させようとするだろうな」
「そんな……」
「悲しいが、それが人間の本性なんだよ。追いつめられるとどんな手段を講じてでも助かろうとする。まったく、数ある生物の中でもヒトというのは最も愚昧な動物かもしれんな。……いいな、レナ。その力は決して人前で見せるんじゃないぞ。基地がパニックになるし、何よりお前の身に危険が及ぶかもしれないんだ」
 エルネストは強い口調で彼女にそう言い聞かせた。
 レナも一応は諒解したつもりだった。けれど、頭のどこかではどうしても納得できない。自分にはここにいるひとたちを助ける能力《ちから》がある。なのにそれを使ってはいけないという。仕方のないことだと割り切ろうとしても、これまで経験したことのないこころの痛みに、レナは堪えるのがひどく辛かった。この場所を通るたびにいつも、人々を欺いているような後ろめたさがつきまとう。床に伏して呻きをあげる負傷者たちの、怨恨の視線がすべて彼女に注がれているような気がする。自分の身はどうなっても構わないからと、道の途中で立ち止まってしばらく葛藤していたこともあった。
(こんな思いをするくらいなら、いっそ治癒の力なんて持たなければよかった!)
 自暴自棄になって、レナはそう思ってみたりもした。
 通路を抜けて、突き当たりを右に折れたところで、いきなり警鐘が鳴り響いた。
「北北東に魔物来襲! 繰り返す! 北北東に魔物来襲!」
 手前の部屋から兵士たちが慌ただしく飛び出して外へ出ていった。背後の通路の奥にある指揮官室からも、甲冑を身に纏った隊長たちが何事か叫びながらレナを追い抜かしていく。レナはひとりで外壁へと通じる道を駆けた。
 外壁には既に仲間たちが集まっていた。夕日はほとんど沈みかけて、地平線近くの雲を茜色に染め上げている。
「クロード、魔物は……」
 訊くまでもなく、前に広がる平原の先に無数の魔物の群れを視認することができた。
「あっちゃー、こりゃまた豪勢に来てくれたねぇ」
 戯《おど》けたようなボーマンの言葉も場を和ませることはなかった。
「こっちの状況は?」
 オペラが横にいた副司令に訊く。
「出撃できる兵士は六千五百ほど。傭兵を含めても一万には満たないだろう」
「絶対数が足りない……攻め込まれるのは時間の問題か」
 ディアスが魔物を静かに睨めつけながら呟いた。
「僕たちも下に降りて戦おう」
 クロードが提言すると、副司令官は色めき立って。
「それはいかん。君らは砦の最終防衛線なんだ。君らがいなければここは確実に落とされてしまう」
「でも、このまま何もせずに兵士がやられるのを見ているわけにもいきません」
 レナが副司令の前に進み出た。
「私はなんと言われようと行きます。これ以上、傷つく人を見るのは、嫌なんです」
 そう言って目を伏せるレナの肩を、エルネストは軽く叩いてやってから。
「そうだな。俺たちが行けばなんとか食い止められるかもしれん」
「仕方ありませんわね」
「行こう」
 決意を固めてクロードが言ったそのときだ。
「無駄な戦いは必要ないよ!」
 どこからか聞き覚えのある声がした。周囲を見回してみたが、それらしき人影はない。
「ここだよ、ここ」
 砦の西側には、外壁よりも高い断崖が隣接して峙《そばだ》っている。その頂にひとりの少年が立っていた。
「レオン?」
 腕組みをして、大見得を切った表情でふんぞり返っているのは、ホフマン遺跡で共に鉱物を採取に行った、あのレオンだった。水色の髪と白衣を靡かせて、頭の上の一対の耳は存在を誇示するようにしっかりと突き出ている。
 少年は腕を解くと、弾みをつけて崖から外壁へ飛び降りた。ところが勢い余って体勢まで崩してしまい、レナたちの手前に尻から着地する羽目になった。
「どうしてあんな所にいたんだよ」
 クロードが訊くと、レオンは痛そうに尾骨のあたりを摩《さす》りながら立ち上がる。
「いたた……。真打ちは、高いところから登場するのがお約束なんだよっ……」
「ナントカと煙は高いところが好き、とも言うわな」
 軽口を叩くボーマンにきつい一瞥をくれてやってから、レオンは砦の出入り口に視線を向けた。そこから遅れて出てきたのは、大きな装置を抱えた別の研究者たち。
「ほら、急いで向こうに持っていって。もたもたしてると魔物が来ちゃうよ」
 レオンは甲高い声でしきりに命令を飛ばす。研究者たちは汗だくになって、装置を外壁の隅にあるラクールホープの砲身へと運んでいく。
 装置、と言ってもそれはおよそ単純なものであった。両側から押し潰したような球形の石──翡翠色に鈍く輝くそれは、彼らがホフマン遺跡で採取したエナジーストーンに相違なかった──と、石を囲むように取りつけられた円環、あとはそれらを支えるための台座が備えてあるばかり。金属の円環には細かく紋章が刻まれ、石を繋ぎ止めるように白い紐状のものがいくつも走っている。
 研究者たちは、エナジーストーンを砲身の横に慎重に置くと、急いで両者を接続する作業に取りかかる。レオンはその場にいた見張りや副指令、それにレナたちを一同に見据えて。
「さて、これからボクらがみなさんに素晴らしいショーをご覧にいれましょう。驚くなかれ」
 気取ったようにそう言ってから、今度はレナひとりに向かって手を振り、一転してあどけない笑顔をはじけさせた。
「レナお姉ちゃん、よっく見ててねー!」
「え? あ、うん……」
 いきなり名前を呼ばれたレナはびっくりして、それから周囲の視線がすべて自分に注がれているのに気づくと、ばつが悪くなって俯いた。
「レオン博士、接続完了しました」
 研究者のひとりがレオンに報告する。レオンはまた表情を引き締めて、ラクールホープの巨大な砲身に向き直った。
「術師の準備はできてる?」
「いつでもよろしゅうごさいます」
 エナジーストーンの手前には、白いローブに赤茶のフードを被った術師が既に待機していた。
「よし、起動!」
 レオンの命令で、研究者たちが慌ただしく動き始めた。
「抽出部の各機器とも異常ありません」
「紋章力の抽出開始」
 術師が掌を宛《あてが》って念を送ると、エナジーストーンの前面に炎のような模様が浮かび上がった。
「飽和状態になりしだい、砲身への装填開始だ。引き続き照準の指定を行う」
 レオンは地図らしき紙を広げて、前方の魔物軍と照合する。
「敵の予測中心地は座標二一八の六五。高度は、効果範囲から算出して……八三」
「二一八の六五の八三。設定しました」
「紋章力の抽出完了。砲身に装填します」
 エナジーストーンは鮮やかな翡翠色の光を一層強めた。研究者が砲身の前で一連の操作をすると、その光が白熱する紐状のものを伝って砲身の内部へと溜まっていく。
「装填完了まで、残り二十……十……五……一」
「……発射ぁっ!!」
 人差し指を突き出してレオンが叫ぶ。同時に砲口から光が洩れだして徐々に増していく。そして一瞬の間を置いたのち、勃然と光の塊が吐き出された。尾を曳きながら滔天《とうてん》の勢いで魔物の群れへと突っ込んでいくその姿は、さながら緑色の彗星であった。
 光の砲弾は魔物軍の上空で見えない壁にでもぶつかったように炸裂し、無数の閃光が火花のごとく周囲に飛散した。閃光は魔物の群れに降り注ぎ、それに触れた魔物は躯の内部から瞬時に爆発を起こし粉微塵になった。魔物の群れそのものが巨大な爆弾と化して、平原に凄まじい轟音と爆風が吹き荒れる。大地の鳴動は遠く離れた砦をも揺り動かした。
 大量の塵芥が巻き上がる平原を、城壁にいた者たちは茫然と眺めた。一万の兵をもってしても駆逐することは不可能と思われた魔物の群れは、その瞬間に一匹残らず消滅していた。
「……なんだ、今のは?」
「まさか……あれが」
 見張りの兵士たちが騒つきだした。レオンは彼らを振り返って、得意満面の口振りで言う。
「みなさん、いかがでした? これがラクールホープの威力ですっ」
 全員がいっせいにレオンを見た。
「……勝てる」
「我々の勝利だ!」
「ラクールホープがあれば勝てるぞ!」
 口々に賞賛の言葉を浴びせる兵士たちをよそに、レオンはまっしぐらにレナの許へ駆け寄った。
「お姉ちゃん、どうだった? すごいでしょ!」
「ええ、すごいわね……」
 レナの反応にレオンはなんとなく物足りなさを感じたのか、溢れる笑顔をわずかに凋衰《ちょうすい》させた。
「あの武器はお前が作ったのか?」
 脇からディアスが口を挟むと、レオンは不満げに口を尖らせた。邪魔するなよ、というふうに。
「そうだよ。あれぐらいの武器なら二日もあれば作れちゃうけどね」
「なら、どうして完成にこんなに時間がかかったんですの?」
「そっ、それは、その……いろいろあったんだよっ。安全性チェックとか操作テストとか」
「レオン」
 砦の出入り口から白衣を着たふたりの男女がやってきた。マードックとフロリスだ。
「首尾はどうだ?」
「上々だよ。ほぼ期待通りの成果が得られた。数値測定は今あっちでやっているけど、多分もう十パーセントは出力を上げても平気だと思う」
「そうか。……ああ皆さん、ちょうどよかった」
 と、マードックはレナたちの方を見て。
「陛下が皆さんをお呼びです。至急ラクールに戻っていただきたい」
「何かあったんですか?」
「ラクールホープ完成を機に、いよいよエル大陸への侵攻を開始するようです。皆さんにもこの作戦に加わっていただきたいとのこと」
「なん……だって!?」


 数ヶ月前、激しく刃を交えた同じ場所に、ふたりは戻ってきた。しかし今ここにいるのは彼らだけではない。旅を続け、共に戦ってきた仲間たちも一様に胸を張り、それぞれの決意を内に秘めて立っている。
 あのときと同じように、コロシアムは大勢の人間で埋めつくされていた。だが、人々の表情にかつての活気はなかった。長きにわたる避難生活に身も心も疲れ果て、憔悴した者たちばかり。応援の掛け声や勝利を喜ぶ歓声のかわりに、赤ん坊の泣き声や悪酔いした男の無意味な叫声が虚しく余韻を残す。
 先代の肖像が見守る中、ラクール十四世がコロシアムの中心に設けられた演台の前に立つ。背後には護衛の兵士と夥《おびただ》しい数の勲章をつけた将軍数名、左の脇にはレオンとマードック、フロリスの研究者親子が、そして右の脇にはクロードたち七人が揃って肩を並べた。
「……皆も承知の通り」
 王が話を始めると、場はしんと静まり返った。
「半年前、ひとつの隕石がエル大陸を直撃した。それにより我が盟友エル王国が多大な被害を受けることとなった。我らは救助の為に物資と人員を派遣した。しかし、彼らは帰ってこなかった」
 彫りの深い王の顔立ちは、目許と痩《こ》けた頬の陰影をより濃くしており、獅子奮迅たる老戦士の面影がどことなく見え隠れしていた。彼の代になってからは戦らしい戦もなく、彼自身は戦場に立ったこともないはずである。とすれば彼の表情に滲み出るこの風格は、先代の血というものが成せる業なのだろうか。
「これが所謂《いわゆる》ソーサリーグローブと呼ばれる隕石による厄災の始まりであった。その後、どこからか凶悪な魔物どもが大挙して出現し、程なくエルは壊滅した」
 人々は口を閉ざし、頭を垂れて王の言葉を聞いている。
「やがてこのラクールにも厄災は降りかかってきた。ここ数ヶ月で魔物の数は格段に増加し、たびたび人間を襲うようになった。クロスでは地震と津波により楽園クリクが崩壊した。そして今、エルを壊滅せしめた魔物軍が我がラクールを急襲するまでに至った。もはや一刻の猶予も許されぬ。今こそ行動を起こすときなのだ。そして、このような状況の中で我らはついに希望を見いだした」
 依然として静寂の場内に王の声ばかりが響いていたが、「希望」という言葉を耳にしたとき、微かに空気が動いたような気がした。
「我が父である先代は、秘密裏に紋章力を利用した武器の研究を進めていた。父の没後はその研究も必要性を損ねて頓挫させたままであったが、今回のソーサリーグローブによる異変を機に私は研究を再開させた。そしてここにいる研究者たち(と、左手でマードック親子を示して)の弛まざる努力により、我々はひとつの武器を完成させたのだ。武器は我らの希望《ラクールホープ》と命名され、その圧倒的な威力は先の前線基地でも実証された」
 ここに来て、コロシアムの中は騒然の装いを呈してきた。下を向いていた者たちも面《おもて》を上げ、しっかり王の姿を見て言葉を待った。
「我らはこのラクールホープを切り札として、エル大陸への侵攻を開始する。その際のもうひとつの希望が……彼らだ」
 今度は右手でクロードたちを示しながら、続ける。
「見覚えのある者もいるだろう。先日催された武具大会の決勝で刃を交えた二人も含まれている。彼らはクロス王の命を受けてソーサリーグローブの調査を行っており、この度の侵攻作戦にも参加を快諾してくれた。実力のほどは皆が一番知っておろう」
 どよめきが歓声に変わるのに時間はかからなかった。あの壮絶を極めた一戦を記憶している者は、この上ない喜びにうち震えた。
「この作戦はラクールの、いや全ての人間の命運がかかっている。もし失敗するようなことがあれば、もはや我らに対抗する手段はない」
 歓声に負けじと嗄《しわが》れた声を張り上げて、王は続ける。
「だが、我らは成功を確信している。これらの大いなる希望を前にして、どうして失敗を考えることができようか!」
 握りしめた拳を思いきり振り上げ、喉に太い筋が浮くほどありったけの声を振り絞って、王が叫んだ。
「我らに勝利を! 魔物に怯える日々からの解放を!!」
 歓声が爆発し、怒濤となってコロシアム全体を揺り動かしているようだった。男も女もすべての者に活気が漲《みなぎ》り、諸手をあげてラクールの名を叫ぶ。武具大会をも凌《しの》ぐ熱気と歓声を受けて、七人の「希望」たちは表情を引き締め、眦《まなじり》を決したようにしっかりと立っていた。



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【ひとくち解説】
 レオンの「尾骨」で掲示板がえらい盛り上がっていた回です。まァ、なんというか……昔のことなので(;´Д`)
 最後のラクール王の演説は、『インディペンデンス・デイ』の大統領の演説を意識して書いてみました。あの映画も考えてみると妙ですよね。宇宙人のコンピュータがWindowsで作ったウィルスに感染するという(笑)
posted by むささび at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年09月18日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第六章(1)

第六章 ラクールの希望


   1 守るための強さ 〜ラクール前線基地〜

 それは、よく晴れた日のことだった。
 赤い塗料の剥《は》げた屋根。その奥に広がる深緑の森は、暖かな光を浴びて眩く輝いている。村の合間を縫う小道では、年端もいかぬ子供らが棒きれを振り回して無邪気に戯れる。小川は澄みやかに流れ、風は眠くなるほど緩やかに吹いていた。
 いつもと変わらない、村の風景。平和で、穏やかで、そして退屈な世界。……嫌気がさすほどに。
 森に守護された村は、外界とまったく隔絶され、独自の時の流れを漂っている。ここには全てがあった。しかし同時に、何もなかった。
 ──村という名の檻。その中で、何の刺激もなく一生を終えることに、俺はひどく懼《おそ》れていた。ここを出るのはそう難しいことではない。自身もそれを望んでいる。だが……。
「お兄ちゃん、支度できたよぉ」
 窓から外を眺めていた俺に、セシルが呼びかけた。たったひとりの、かけがえのない妹。
「今行く」
 簡単に返事をして、机の上に置いてあった剣を取って腰に差した。森に出かける際は必ず身につけるようにしている。けれども、これまでただの一度も役に立ったことはない。せいぜい道を邪魔する枝を切り払うか、迷わぬよう木の幹に目印を刻むときに使うくらいか。
 アーリアの春は遅い。太陽の位置が最も高くなる時期にようやく雪解けが始まり、待ち侘びたように新芽が地面からいっせいに吹き出す。この季節に森へ山菜摘みに出かけるのが、家族の毎年の恒例行事になっている。セシルはこれを楽しみにしているようだったが、俺は別にどうでもよかった。ただ、家族が、セシルが行くというからついて行くだけで。
 樹木のアーチを潜るような山道を、父さんと母さん、それに俺が続いた。セシルは俺たちの周囲をしきりに駆け回って、やれ足許の土が柔らかくて気持ちいいだの、木の上にリスがいただの、珍しい鳥の声が聴こえただのと、はしゃいだ口調で騒ぎ立てる。
 そこまでは、いつもの光景だった。
 やがて道の反対側から、ひとりの男がやってきた。肌は艶々として白く、歩き方や仕種も変になよなよとしており、一見すると女のようでもあった。身なりは小綺麗に整えられ、およそ山歩きする風体とは思えない。
「やあ、おそろいでどこへ行かれるのですか?」
 媚びたような笑顔を作って、男が声をかけてきた。
「ちょっとそこまで、山菜でも摘みに行こうかと思いましてね」
 父さんも笑顔を返して応えた。すると男は大げさに手を開いて驚いたような仕種をする。
「おやおや、それなら私がいい場所を知っていますよ。いや、私も先ほど見つけたんですがね、そこへ行けばワラビもゼンマイもオケラもその籠いっぱいに採れますよ」
 饒舌な男に父さんと母さんは怪訝そうに顔を見合わせて、それから訊ねる。
「失礼ですが、あなたは?」
「これはしたり、ご紹介が遅れました。私はラクールアカデミーで地質学を研究しておりますメッサーというものです。今回はクロス南部の地質を調査しているところで」
「学者の方でいらっしゃいましたか」
「ええ。まあどうぞ、こちらへ。ここで出会ったのもなにかの縁ですから」
 男は俺たちを誘って森の奥へと歩き出す。語気にはどこか有無を言わさぬ鋭いものがあった。父さんと母さんは困ったような表情をしながらも、威圧されるように男の後をついていった。
 俺は男の言動にどこか芝居めいた装いを感じたが、父さんたちにそのことは言わなかった。自分の杞憂のせいで、山歩きを楽しんでいる家族にいらぬ心配をかけさせるのは心苦しかったし、もし何かあれば、俺がこの剣で皆を守ればいいだけの話である。その頃の俺は、実戦での経験は無きに等しいにも関わらず、根拠のない自信だけは募っていた。
 男は森の奥深くを無言で突き進んでいく。途中でセシルが疲れて、俺がおぶってやることになった。それでも男はこちらを振り向きもせず歩き続けるので、とうとう堪えかねた父さんが。
「あの、どこまで行くのでしょうか」
 そう訊くと、男は立ち止まり、こちらを振り向いて言う。
「ここですよ」
「え、でも……」
 その場はただの山道で、踏みしめられた黒い土と朽葉の他は苔ばかりで、山菜など影も形も見あたらない。
 嫌な気配を感じて男の顔を見ると、そこにはニタニタと薄気味悪い笑顔が張りついていた。
「そうら、お客さんだ。出迎えてやんな!」
 突如として男が叫んだ。すると周囲の茂みや樹木の陰から別の男が五、六人ほど現れて俺たちを囲む。屈強そうな体躯にさんばら髪、筋肉の盛り上がった腕には三日月形の蛮刀が握られている。やられた、山賊だ。
 母さんが抱えていた籠を落とす。その音でうとうとしていたセシルが目を覚ます。俺は妹を背中から降ろして、右手を剣の柄にかけた。
「おっと、妙な真似はするなよ。大人しくしてりゃ、悪いようにはしねぇよ」
 先程まで俺たちを案内していた男が、まるで別人のような口振りで言った。
「まずは有り金全部出してもらおうか」
 父さんが俺に目配せして、俺もそれに頷いた。いかんせん相手の人数が多い。今は逆らわずにいた方が得策だろう。
 臆病な自分に気づいたのはそのときだった。知らないうちに足が震えている。こんなことは初めてだった。どのような場においても俺は、俺だけは冷静に対処できると思っていた。それが今はどうだ。胸は苦しく、頭は絡まった糸のように混乱し、そして足は竦んで動かない。こんなにも俺は情けない奴だったのか? 今の自分を、俺は決して信じたくなかった。
 父さんが腰につけていた革袋を男に投げ渡す。男は袋の紐を緩めて中を確認すると、疑わしげに父さんを睨んだ。
「たったこれだけか?」
「山菜を摘みに来たんだ。そんなに多く持っているわけがないだろう」
「ちッ、しょうがねぇな」
 男は舌打ちをすると、次に俺の腰にしがみついているセシルを指さした。
「なら、そのガキを置いていきな。女《め》っ子はそこそこの値で売れるというからな」
 怯えたセシルが俺の背中に顔を埋める。もはや躊躇《ためら》う理由はなかった。妹を母さんたちに任せて、俺は剣を抜きはなつ。
「小僧、なんの真似だ。まさか俺たちとやり合おうってのか」
 嘲笑する山賊どもを俺は歯を食いしばって睨み返した。
「妹は渡さん」
 冷静に剣を構えたつもりだったが、既にそのときは頭に血が上っていたらしく、あとのことは断片的にしか覚えていない。ただ、がむしゃらに剣を振り回して二人ばかりを打ち倒したこと、それから木の上に潜んでいた山賊が弓を放って右肩を貫かれたこと、剣を取り落とした俺を背後から別の山賊が斬りつけたことは、頭の片隅に無意識のうちに刻み込まれていた。
 そうして、不覚にも俺は倒れた。黒土に顎をつけて前を向くとセシルの姿が見えた。俺の許へ駆けつけようとして母さんに止められる。お前を守る。そう心に誓ったのに。
 立ち上がろうとした俺の左脚を、誰かが容赦なく踏みつける。鈍い痛みに呻き声が洩れた。同じ所をもう一度踏みつけられると、今度は鋭い激痛が身体を伝って脳天に突き抜けた。目の前が奇妙に明るい。不快な痼《しこ》りが胸を蝕んで、思わず嘔吐《えず》いた。
 三度目に踏みつけられたときは、もはや痛みと呼べるものではなかった。屈辱と絶望に涙を零しながら、俺は意識を失った。

 次に気がついたときは、地獄のごとき光景が広がっていた。いや、いっそのこと地獄に堕とされた方がどれだけ幸福であったろうか。
 傍らに父さんと母さんが折り重なって倒れていた。庇うように母さんを抱えて地面に伏した父さんの背中には、蛮刀が深々と突き刺さっている。仰向けの母さんの額は血に染まり、驚愕の表情のまま見開かれた双眸は虚空を見つめて動かない。
「いやっ! パパ、ママぁ、お兄ちゃん!」
 重い頭を動かして声のした方に視線を向けると、少し離れた道端で、賊に捕らえられたセシルが腕を振ってしきりに泣き叫んでいた。身体を起こしかけた俺を左脚の激痛が襲う。痛みなど関係ない。妹を守るんだ。顔を歪めて左脚に力を込める。動け。頼むから動いてくれ。念ずれど脚はもはや思うようには動いてくれない。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃあん!」
「うるせぇ!」
 山賊がセシルを蹴り上げた。妹の華奢な身体が木の幹に叩きつけられ、根元に転がり落ちる。
「おい、売り物なんだろ。傷つけたら値が下がるぜ」
「こんなやかましい奴を連れて歩けるか。勿体ねぇが、ここで始末する」
 そう言った男の手には、ああなんと! 俺の剣が握られていた。あの剣で妹を守ると、俺は誓ったではないか。
 身を固めて震える妹を前にして、男が剣を振り上げる。やめろ。こころの中では叫んだものの、喉がつかえて声は出ない。
 妹は、振り下ろされた俺の剣に貫かれた。
 それは果たして刹那の出来事であったのだろうか。俺にとってはそれまで生きてきた平穏な時間をいくら積み重ねても足りないほど、途方もなく長い瞬間だった。
 樹木の緑も、土の黒も、血の赤も、目に見えるものすべてが灰色に染まっていく。山賊どもが何やら喋っているが、俺の耳には届かない。セシルの身体に突き刺さった剣を抜くと、奴らは下卑《げび》た笑いを浮かべながら森の奥へと歩き去っていく。
 俺は地面を這ってセシルの許まで行った。矢に射抜かれた右肩、斜めに斬り裂かれた背中、踏みつけられて砕けた左脚、それ以上にこころが痛かった。左腕と右足だけを動かして蛞蝓《なめくじ》のようにのろのろと進んでいく。あまりにも無様な、惨めな姿だった。
 俯《うつぶ》せの妹を抱き起こして顔を覗きこむ。セシルはうっすらと目を開けてこちらを見た。紫色の唇をわずかに動かして、弱々しく呼吸をしている。
「お兄ちゃん、どうしたの。どこか痛いの?」
 セシルが放心したきりの俺に言った。蚊の鳴くような、小さな声だった。
「痛い、なら、レナお姉ちゃんに、なおしてもらわないと、ね」
 涙が溢れ、セシルの姿が歪む。ギュッと目を瞑ると、大粒の滴が血の気の失せた頬に落ちた。瞳を見開いてもう一度顔を見る。妹は安らかに微笑んでいた。
「セシル、なんだか、眠くなっちゃった」
「ああ。ゆっくりお休み」
 なぜかその言葉だけは滞りなく声に出た。他人が聞けば残酷と思われたかもしれない。だが、それが今の俺にできる精一杯の愛情だった。
「おやすみ、おにい、ちゃ」
 頭がこくりと沈んで、白い喉が目の前に突き出された。俺は徐《おもむろ》に妹を地面に寝かしつけて、自らの涙に濡れた頬にそっと口づけをした。
 俺は哀しかったのだろうか。泣いていたのだろうか。視界は灰色からもはや暗闇となり、頭の中は霞や靄でもかかったかのように判然としなかった。ただ、守るべきものを守れなかったという事実だけが、目前に横たわっていた。
 奇妙な安堵が俺を襲って、全身の力が抜けていく。妹の胸に頭を凭《もた》れさせて、俺も横になった。妹の顔が、父さんや母さんの姿が、まわりのすべてのものが遠ざかっていく。このまま眠りにつき、できるなら妹と一緒になりたい。俺は心から切望して、意識を手放した。

 だが、俺は生き残った。
 その望みは叶わなかった。
 生きることが俺の犯した罪であり、罰であったからだ。


「違うわ」
 レナが言った。ディアスは驚いたように彼女を見る。
「誰があなたにそれを押しつけたの? 生きることが罪になるなんて、誰が決めたの? 自分自身じゃない。あなたは自分で自分を追いつめてるだけよ」
 厳しい口調のレナに視線を背けるディアス。ふたりが立つ断崖の向かい側には壁のように切り立った渓谷が続いており、眼下の川に流れ込む瀑布の音ばかりが響きわたる。
 ラクール前線基地。大陸の最北端に位置するラクール軍の最大にして最後の防衛拠点だ。このあたりは地理的に険しい崖や谷が多く、それが天然の要塞となっている。
 一行はラクール王の要請により、交戦中の魔物軍の侵攻を阻止するためこの地に駐留していた。ホフマン遺跡から採取したエナジーストーンを精製してラクールホープに組み込むには、まだかなりの時間を要する。彼らに課《おお》せられたのはそれまでの時間稼ぎだ。
 そして、ディアスも偶然ここに来ていた。姿を見かけたレナはひとり、彼に会っていたのだった。
「ねえ、ディアス」
 再びレナが口を開いた。
「お願いだから、もう自分を責め続けるのはやめて。その力を自分を責めることだけに使うのはやめて。あなたが生きているのは罪じゃない。罰でもない。セシルがそう望んだからよ」
 ディアスの表情に変化はない。だが、妹の名を聞いたときに僅かに口の端《は》が動いたような気がした。
 レナはさらに続ける。
「もう忘れちゃった? あの子はお兄ちゃんのことが大好きだったのよ。どんなときだってあなたのことを慕っていたじゃない。大好きなお兄ちゃんだからこそ生きて、幸せになってほしい。あの子ならきっとそう願っているはずだわ。他人から、現実から逃げてばかりのあなたを、セシルはどんな思いで見ているか」
「逃げてばかり、か。確かにな」
 ディアスは自嘲気味に呟いた。
「俺は弱い人間だ。あいつのように逞《たくま》しくはなれん」
「あいつ?」
「お前の身近にいる誰かさんだ」
「……クロードが? どうして?」
 レナは首を傾げた。
「あいつは時々、ひどく孤独に見える。俺なんかよりも、ずっとな」
 ディアスは視線を擡《もた》げて流れゆく筋雲を眺めた。
「お前や俺の前では強がってみせているが、ふと気がつくと、誰よりもひとりぼっちのような表情をすることがある。今まで住んでいた家から引き離された子供みたいにな。レナもずっと一緒に行動してきたなら、身に覚えがあるはずだろう」
「うん……」
 ヒルトンの夜。あのときの彼の孤独は、いまだにレナの脳裡に焼きついて離れない。
「何故かはわからん。ただ、家族も身分も住む場所も、自分に関わるすべてのつながりが断ち切られて、ひとりきりでこの世界に放り出された。あいつを見ているとそんな気がしてならない」
 レナはその言葉に胸の詰まる思いがした。それはまさに彼《ディアス》のことではないか。いつから彼は自分とクロードを重ね合わせるようになったのだろう。
「なのにあいつは、そんな素振りを見せることなく仲間のために戦っている。俺にはできん芸当だ」
 冷たい風がディアスの空色の髪をさらった。どうと唸りをあげて、風は谷間を抜けていく。
「俺なら仲間なんぞ放っておくがね。あいつは放っておけん性分なんだろう。他人が困っていれば、自分がどれだけ窮地に追い込まれていようとも助けようとする。お人好しもここまでくると立派なものだな」
 そこまで言うとディアスはレナの方を向いて。
「お前に対してだってそうだ。たとえ自分がどんなに傷つき、倒れるようなことがあっても、あいつはお前を守り続けるだろう。仲間のためには、信じるもののためには命すら投げ出せる。そういう男なんだ」
「そんな……」
 言いつつも、レナには思い当たる節があった。確かにクロードはこれまで命がけで戦ってきてくれた。だが、それはすべて、仲間のためだったのだろうか?
 私の、ため?
〈僕には、これが精一杯なんだ〉
 サルバ坑道で力なく笑ってみせたクロード。
〈どうして守りきれないんだ〉
 クロス洞穴では拳を叩きつけて悔しがった。
〈なんで立ち向かったりしたんだよ〉
 あのときの言葉も、彼女を想ってのこと。
 そして、武具大会。彼は決して自分のためなどには戦っていなかったではないか。傷つき倒れても何度も立ち上がって相手に立ち向かう。あのときも彼は信じるもののために戦っていたのだ。
 レナはようやく気づいた。彼が信じるもの、それはつまり。
「守るための強さ、か。俺はとうの昔に棄ててしまったがな」
 ひとり呟くディアスの瞳は、深い海の底のように冷たく、寂寥《せきりょう》感に充ちていた。
「そんなことはないわ」
 レナが言う。
「棄ててなんかいない。あなたはただ、守るために戦うのを恐がっているだけよ」
「俺に守るものがあるとでも言うのか?」
「それはあなた次第じゃない。守ることが恐いから、他のひととの関わりを避けているのよ。そんなんじゃ、いつまでたっても前に進まない」
「相も変わらず言ってくれるな」
 ディアスは苦笑した。
「では、前に進むために俺はどうしたらいいのかな」
「いっしょに戦いましょう」
 ディアスは目を見張る。それは彼にとっても意外な言葉だった。
「私たちと一緒にいれば、きっとあなたの守るものが見つかるわ」
「俺を仲間に引き入れるつもりか? クロードが許さないだろう」
「僕は構わないよ」
 声のした方を振り向くと、横の煉瓦造りの建物からクロードが出てきてこちらに歩み寄った。
「強い仲間はひとりでも多い方がいい。あなたさえよければ、みんなだって歓迎するさ」
 ディアスはしばらく無言でクロードの顔を見つめていたが。
「……表情が変わったな」
「え?」
「前はもっと思いつめたような顔をしていた。何があったかは知らんが、まあそういうことか」
 大きくかぶりを振ると、ディアスは背中を向けた。
「まいったな。俺は集団で動くのは嫌いなはずなんだが……」
「ディアス」
 期待を込めた視線を送るレナに、ディアスは少し気圧されるように見返す。そして言った。
「……ひとりがいいと思ったら、俺はいつでも抜けるからな。それから、柄《がら》でもないから仲間なんて呼び方はやめてくれ。あくまでお前らに同行するだけだ」
「ええ、それでもいいわ。ありがとう!」
 レナは満面の笑みを浮かべてクロードを見た。クロードも、少し困ったような表情をしながらも笑顔を返す。
 ディアスは空を振り仰いだ。筋雲はすっかり流れ去って、澄みきった青空に眩い太陽が浮かんでいる。
(セシルもこんな空が好きだったな)
 彼は瞳を細めて笑いかけた。空の向こうの、愛しきものに。


 翌日、前線基地は魔物軍の襲撃を受けた。
 堅固な砦を囲む外壁の上は見張り台になっていて、足場は意外に広い。彼らは軍の副司令官を伴ってそこに集まった。外壁の端の部分には巨大な砲台が据えつけられている。屹々《きつきつ》とした砲身は、孤独に遙か彼方の空を向いたきり。あれこそがまさにラクールホープであった。もっとも、エナジーストーンを設置するまではただの飾りに過ぎないが。
 外壁で隔てた砦の反対側は荒涼とした平原が広がり、ラクール軍はそこで魔物軍と激しい戦闘を続けていた。数の上ではラクール軍が勝っているが、負傷者はこちらの方が圧倒的に多い。果たしていつまで持ちこたえられるか。
「どうして僕らは戦えないんですか?」
 クロードが詰め寄ると、副司令官は頭の軍帽を深々と被り直して渋い顔をした。
「なんの訓練もされていない戦士たちに勝手に行動されるのはまずいんだよ。総司令官と話し合って、各方面の隊長からも了承を得てからでないと」
「それじゃ、遅いんですのよ!」
 セリーヌが地団駄を踏む。
「俺たちは何のためにここに呼ばれたんだ? こうして兵士がやられていくのを指をくわえて眺めるのが、俺たちの役目なのか?」
 クロードの横からボーマンも言い寄った。
「だから、その、もう少し時間をくれ。そうすれば、戦場に出られるようになるから」
 副司令官はたじたじになって、苦し紛れに言葉を連ねるが。
「悠長なこと言ってる場合じゃないでしょう! 事態は一刻を争っているんですよ!」
 クロードに怒鳴りつけられて、完全に萎縮してしまった。
「副司令!」
 そこへ、見張りをしていた兵士の声が飛び込んできた。これ幸いと副司令官は兵士の方へと早足で歩いていく。
「北東の上空に魔物の群が。ものすごい速さでこちらへ向かっています」
 見ると、確かに翼をつけた魔物の影がいくつも空に浮かんでいた。下の平原で交戦中のラクール軍には目もくれず、まっすぐこの砦を目指している。
「弓を用意しろ! ありったけの矢を持ってくるんだ!」
 副司令官の命令を受けた兵士が慌ただしく砦へと降りていった。その間にも魔物は確実に近づいている。
 十数人の兵士が集められ、それぞれが弓を構えた頃には魔物の姿もはっきり見えるようになっていた。赤紫の翼をつけた大きな魔物が先頭に立ち、その周囲を緑色の蝙蝠《こうもり》のような魔物が埋めつくす。
 すぐ目前まで迫ったのを確認してから、副司令官が叫んだ。
「射てぇ!」
 合図とともに、いっせいに矢が放たれた。クヌギの矢柄に先端を尖らせただけの簡素な矢は緑の魔物をいくつか撃ち落としたが、多くの魔物は攻撃をものともせず突き進んでいく。
 不意に赤紫の魔物が身を翻してさらに上空へと昇っていく。そして空中でぴたりと止まり、翼をひとつ羽撃《はばた》かせた。たちまち凄まじい烈風が巻き起こり、外壁の上の彼らを襲う。弓を番えた兵士はことごとく吹き飛ばされ、副司令官も飛ばされかかるが、近くにいたエルネストが咄嗟に腕をつかんでどうにか一命を取り止めた。他の者たちは外壁の縁や床の段差にしがみついて難を逃れた。
 風が止んで立ち上がると、緑の魔物は既に彼らの周囲を飛び回っていた。赤紫の魔物がゆっくりと彼らの前に降りてくる。
「ほう、あの風に耐えたか。大人しく飛ばされていれば苦しまずにすんだものを」
 魔物の黄色い眸が怪しく光った。肌の色は黒ずんだ赤紫で、身体は鎧のような外殻に包まれている。長く伸びた手足には鋭利な刃物のごとき爪がぎらぎら輝く。
「私はシンという。魔物軍を統率する事実上の長といったところか」
「なんだって?」
 クロードは狼狽した。魔物軍の首領がわずかな配下のみを従えて、いきなり相手の本拠地に乗り込んでくるとは、一体誰が予想しただろうか。
「なあに、大した用ではない。退屈しのぎに遊びに来てやったまでだ」
 シンが右腕を掲げると、緑の魔物がその周囲に集まった。
「さあて、どれほど楽しませてくれるかな」
 首領の合図で配下の魔物どもはきいきい喚きながら彼らに襲いかかった。
 クロードは剣を抜いて急降下してくる一匹に向けて振るった。魔物は彼を欺くように切っ先すれすれで上昇して、次に背後のレナめがけて降下してきた。鋭い牙が彼女の喉元に届く寸前に、ディアスが疾風のごとく駆けてケイオスソードで魔物を叩き落とす。魔物は地面を大きく弾むと、何事もなかったように宙を飛び回った。
「思ったよりもタフだな……これは厄介だぞ」
 ディアスは辺りを見回した。ボーマン、オペラ、それにエルネストも別の魔物数匹に手こずっている。こちらの足場は限られているのに対して、敵は空中を自在に飛び回ることができる。不利な状況は否めない。
「クロード、みんな!」
 そのとき、セリーヌが叫んだ。
「わたくしに時間をちょうだい! 十数える間だけでいいから、なんとか持ちこたえて!」
「セリーヌさん?」
 言葉の意味を理解しかねたクロードが訊いた。
「あいつらに一泡吹かせてやるんですのよ。とっておきのをぶちかましますわ」
 そう言うセリーヌの頬は上気して赤く染まり、瞳は燃えるように熱く輝いていた。そのあまりの剣幕にクロードは戦慄すら覚えた。
「わ、わかりました。けど、程々にしてくださいよ。足場まで壊したら僕たちが」
 聞く耳持たぬといった様相で、言い終わらぬうちにセリーヌは瞑目して詠唱を始めてしまった。
「うわっ!」
 いきなりクロードの鼻先すれすれを先程の魔物が通り過ぎていった。馬鹿にするように上空でせせら笑う魔物に、クロードは歯軋りしつつ剣を構える。そして、頭の中で数を数え始めた。
「……一……」
 クロードは跳躍して魔物に斬りかかるが、あっさり避けられてしまう。
「二……三……」
 レナは腕を噛まれたボーマンを治療する。
「四……五」
 そのレナの背中をしきりに狙う魔物どもをディアスが振り払う。
「……六……七」
 エルネストは鞭を巧みに操って竜巻を作り出し、巻き込まれた魔物は宙に放り出される。
「……八……」
 オペラは魔物に向けて光の銃弾を放つが、相手の動きが素早くてなかなか当たらない。
「九……」
 傷の癒えたボーマンがさっそく襲いかかってきた一匹を籠手で殴り飛ばす。
「……十」
「みんな伏せろぉッ!」
 セリーヌを除く全員がいっせいに地面に伏せる。同時にセリーヌの双眸がカッと見開いた。
「サンダーストーム!」
 振り上げた杖の先から稲妻が迸った! それは空中で炸裂して瞬時に網の目のような細かい電撃となり、上空で様子を傍観していたシンもろとも魔物を焼き焦がした。周囲の空一面を青白い光の筋が埋めつくし、ばちばちと雷光の爆ぜる音ばかりが耳を劈《つんざ》く。一匹、また一匹と黒焦げになった魔物の屍が地面に落ちていく。
 ようやく静かになって起きあがると、彼らの足許には黒い塊がいたるところに転がっていた。セリーヌの呪紋の威力にほとほと呆れ返りながら上を向いたクロードは……そこで息を呑んだ。
 緑の魔物はことごとく全滅したにも関わらず、シンのみが変わらぬ姿で上空に浮いていた。あの電撃から逃れたとはとても思えない。しかし渠《かれ》の身体には傷ひとつ、焦げ痕ひとつ見あたらなかった。
「ふふん、楽しませてくれるではないか。なかなか良い余興だったぞ」
 シンは頬を引き攣らせて、凄まじい笑みを作る。
「お前たちと一戦交える日も近いだろう。楽しみにしているぞ」
 そうして、突風のごとく彼方へ飛び去っていった。
 彼らはその場に立ちつくしたまま、茫然と消えゆく魔物の姿を眺めていた。誰ひとりとして、口をきく者はなかった。
「副司令ー!」
 外壁の足場の隅で同様に立ちつくしていた副司令官に、ひとりの兵士が駆け込んできた。
「たった今、城から報告がありまして、先程エナジーストーンが完成したとのことです!」
 クロードが、レナが、その場にいた者たちが振り返って兵士を見た。
「なにぃ! そ、そうか。ならば我々も全力で防衛に臨まねばなっ!」
 急に鼻息が荒くなった副司令官は兵士を引き連れて砦へと降りていった。
「ラクールホープが、ついに完成する……」
 レナは外壁に設置された砲台に視線を向ける。重厚な砲身は前方の空を睨んだまま、静かに佇んでいた。



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【ひとくち解説】
 冒頭の回想部分も、連載開始時から温めてきたエピソードでした。個人的には納得いってます。五章と比べて文体も安定しているので、そんなに直すところもないですな。チェックが楽で助かります。
posted by むささび at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年09月11日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第五章(4)

   4 仮面の素顔(後編) 〜ホフマン遺跡〜

 深遠な森の胎内に身を宿すその建物は、巨大な祭壇のようでもあった。
 台座に台座を重ねたような形状で土台が高々と積み上がり、その頂には一対の円塔を伴った鈍色《にびいろ》の建物が鎮座する。地面から建物の入口までは石の階《きざはし》がまっすぐ続いている。
 この建物も、かつては威光ともいうべき輝きを放っていたのであろう。しかし今や台座を取り巻く花崗岩の列柱は折れ欠け、階段も角が摩耗して丸くなっており、往年の絢爛たる装いは見る影もなかった。唯一、建物の屋根に使用された黄金だけが──もっとも、それすら永年の風雨によってくすんでしまっているのだが──時を経ても未だその輝きの片鱗を見せていた。
 階の手前、紋章が一面に描かれた床石の上に、彼らは立った。
「これが、ホフマン遺跡かぁ……」
 レナがぽかんと口を開けて建物を眺める。
「いったい古の一族ってのは何者なんだ? 大昔にこんなバカでかい建物を造っちまうなんて」
 誰に訊くでもなく、ボーマンが大声で言った。
「観光に来たんじゃないんだ。とっとと行くよ」
 レオンは既に階段を上り始めている。
「いちいち癇《かん》に障るガキですわね」
 セリーヌがそんなことを口走るから、隣のクロードは冷や汗で水を被ったようになっている。
「あれ、どうしたんですか、オペラさん?」
 ふと隣を見ると、オペラは建物とは別の方を向いていた。
「さっきそこに……」
 オペラは森の奥を指さしかけたが、途中でやめてかぶりを振る。
「……いや、なんでもないわ」
 そうして階段へ歩いていく彼女を、クロードは訝《いぶか》しげに見つめていた。

 建物の内部は外観よりも狭く感じられた。金属的な光沢をもつ材質で仕切られた通路は、ひたすら冷たく無機的であった。遺跡と名のつくものがもつ独特の埃っぽさや黴臭さは、ここでは全く感じられない。
 入口からしばらく進んでいくと、先頭を歩いていたレオンが大きな扉の前で立ち止まった。扉、と形容したものの取っ手はついておらず、両端に円形の突起物と、中央部分に亀裂のような溝が横に走っているばかりで、一目でそれとは認められないほど奇妙な扉であった。
 レオンは向かって左隅にある突起物の前に立った。
「これと、そっちにあるスイッチを同時に押すんだ。ほら、ぐずぐずしないで誰かそっちについてよ」
 周囲に押し出されるかたちで、訳もわからぬままクロードが右隅のスイッチの前に立った。
「せーのっ!」
 レオンの掛け声でスイッチを押す。たちまち唸るような音と共に地面が細かく振動を始めた。程なくして扉が亀裂からふたつに割れて、それぞれ天井と床へ吸い込まれるように滑っていった。後に残ったのは振動による足の裏の痺れと、扉の先に広がる通路のみ。
「消えちゃった……」
 レナは先程まで扉があった場所で不思議そうに天井を見つめている。レオンは構いなしに彼女の横をすり抜けて先の通路を歩いていった。
 通路は途中でいくつかに分岐していたが、少年は迷わず右の道を選んだ。すぐに小部屋に入り、奥には人ひとりが通れるくらいの門が構えてあった。その先は箱のような狭い部屋になっているようだ。
「これを使って下へ降りるんだ。早く乗ってよ」
 レオンが門を潜って箱の中で催促する。
「……降りる?」
 訊いてもレオンは応えてくれそうになかったので、疑念を胸に閉じこめつつ彼らも箱の中に入った。六人が入ると内部はぎゅうぎゅう詰めだった。
 レオンが門の横に据えつけてあるボタンを押すと、箱はがたんと大きく揺れて門の両側から扉が閉まり、それから先程と同じような唸り音と、奇妙な感覚が彼らを襲った。
「な、なんか気持ち悪いですわね」
「体の中が浮いているみたい……」
「下へ降りているんだ……これは昇降機《リフト》か?」
「さっきの扉といい、遺跡にこんな装置が……しかもまだ動力があるなんて」
「動力源は紋章力だよ。紋章科学を応用すればこんな装置なんて簡単に作れる」
 レオンがそう説明したとき、それまでとは逆に上から押されるような感覚がしたが、すぐに治まった。唸りも止んで、すみやかに扉が開かれる。
「着いたよ」
 箱から出ると一面の暗闇だった。靴音の響き具合からかなり広大な空間であることだけはわかった。
「セリーヌさん」
「わかってますわ」
 セリーヌは道具袋から角灯《ランタン》を取り出して、火を点けた。
 道の両脇に照らし出されたのは赤茶けた岩壁だった。要所は木材の柱や梁でそれなりに補強してあるものの、色は黒ずみ朽ちかけて、この広い岩窟を支えるにはいささか頼りない。壁際に壊れかけの樽が積まれ、先の地面には二本の金属の筋が、間隔をおいて敷かれた矩形《さしがた》の板の上で平行に続いている。なにかの線路だろうか。
「なんなんだ、ここは?」
 ここは、ここは、ここは……。ボーマンの声が反響して、岩窟の奥へと消えていく。
「採掘場だよ」
 レオンはもう奥へと歩き出していた。クロードたちも後からついていく。
「遺跡の屋根に使われた金を見たろ? 内部には他にもいろんな金属が使われている。それは全部ここから採掘したんだ」
 金属の筋に沿って歩いていくと、傍らに土砂を積んだトロッコが放置されていた。線路はどうやらこれのためのものらしい。
 進むうちに二股道、三叉路といくつも道が分かれていたが、レオンの足取りは遺跡の入口から変わることなく、確かな歩みを続けていた。
「この遺跡のこと、よく知っているのね。前に来たことがあるの?」
 そのことを疑問に思ったレナが訊いてみると。
「知らない場所はあらかじめ下調べしておくのが常識だろ」
 素っ気なく突き返されてしまった。
「なあ、これ、なんだと思う?」
 突然、背後のボーマンが声を発した。全員が立ち止まる。
 彼が示しているのは足許の小さな装置。赤錆の浮く鉄製の箱にレバーのような取っ手がついただけの簡単なものだった。
「線路の分岐器じゃありませんの?」
「いや、ここは単線だ。こんなところに分岐があるなんておかしい」
「起爆装置だよ。バカっ、触るな!」
 レバーに触れようとするボーマンをレオンが怒鳴りつける。
「坑道のあちこちに、採掘のときに使った火薬がまだ残っているんだ。むやみに動かしてドカンってなっても知らないよ」
 そのとき何かが風を切り、肩を竦《すく》めたボーマンの髪を掠《かす》めて背後の壁に当たった。一本の白塗りの矢が、硬いはずの岩壁に深々と突き刺さっている。
 矢が放たれた方を向くと、彼らが歩いてきた道から、その躯に釣り合わぬ大弓を携えた小悪魔ジャイアントボウが、斧の刃を旗のごとく掲げた竜人ドゥームアクスが、群をなしてこちらにやってくるのが見えた。
「ほら、もたもたしてるから魔物に見つかったじゃないか」
 愚痴をこぼすレオンをよそに、クロードたちは戦闘の準備にかかった。
 先陣をきってクロードが魔物の群れに突っ込んでいく。続けざまに放たれた矢を跳躍して躱し、手前に立っていたジャイアントボウの脳天を空中から叩き割った。着地したところをたちまちドゥームアクスに囲まれるが、籠手をつけたボーマンが背後から一匹を殴りつけて昏倒させ、さらにクロードも衝裂破で魔物を怯ませ突破口をつくった。
「そこ、邪魔だよ!」
 レオンは白衣のポケットから本を取りだして広げた。横からレナがそっと覗くと、そこには黒インクでひとつの紋章が頁《ページ》いっぱいに描かれていた。
「ブラックセイバー!」
 右手を前に翳して唱える。すると周囲の闇を凝り固めたような黒き刃が生じ、刹那のうちに魔物どもの間を突き抜けていった。刃に触れた魔物の胴体は切り裂かれ、血飛沫を上げて地面に頽《くずお》れる。
 クロード、ボーマン、それにオペラは生き残ったドゥームアクスと対峙していた。
 ひと思いに振り下ろされた斧の刃をクロードはぎりぎりのところで躱した。力任せの一撃を受け止めれば名匠ギャムジーの剣とて折れるかもしれない。素早く懐に潜り込んで拳を繰り出すつもりが、敵の斧が思いがけない速さで動いて、逆に柄の部分で打ち返されてしまった。突き飛ばされたクロードは地面を転がり、なにか固いものにぶつかって止まった。
 すぐに立ち上がろうと腕を突っ張ったとき、また何かが肘に当たってごとりと動いた。ふと背後を振り返り……青ざめる。
 彼の背中にはちょうど例の起爆装置があった。うっかりレバーを肘で動かしてしまったのだ!
 凄まじい轟音が坑内に鳴り響き、地面が大きく揺れ動いた。岩壁が砕け、割れ目から幾筋もの火柱が噴き上がる。
「な、なにが起こった!?」
「誰だよっ、起爆装置を動かしたのはっ!」
 ついに天井の岩盤にまで亀裂が走り、爆発の振動で一気に崩壊して彼らの頭上に降りかかってきた。
「みんな、戻れっ、引き返せ!」
 雨霰と落ちてくる大小の岩を避けながら、彼らは来た道を反対に駆けていく。
「レオン、早く!」
 レナが必死に少年を呼んだ。レオンは他の者たちよりも離れて立っていたため逃げ遅れたのだ。
「レ……!」
 レナはふと視線を上の方に移して、息を呑んだ。こちらに向かって走る少年の頭上に、ひときわ巨大な岩が天井から崩れて落下しようとしている。
 言葉よりも、頭よりも先に身体が動いた。岩の雨の中をレナは敢然と駆け出していく。無我夢中でレオンを抱きさらい、そのまま向こう側の地面へと身を投げる。
「レナぁっ!」
 喉も潰れんばかりに叫ぶクロード。返ってくるのは大岩が地面にぶつかる音ばかり。ふたりの姿もその岩に隠れて見えなくなる。さらに、無情にも上から岩が次々と積み重なり、ようやく落盤が治まった頃には両者を隔てる大きな壁と化してしまった。
「くそっ、セリーヌさん!」
 立ちつくすセリーヌから角灯をひったくると、できたばかりの壁の前に掲げる。赤茶色の岩は道を完全に塞いでいた。
「こんな岩……」
 角灯を置いて剣を振り上げたクロードの腕を、ボーマンが背後からつかんだ。
「何をする気だ」
「決まってるじゃないですか。レナたちが向こうにいるんですよ。これくらいなら突き破れます」
 セリーヌとオペラも集まってきた。
「よせ。地盤が緩んでいるんだ。このうえ岩を砕いたら、今度こそ俺たちも危ない」
「構うもんか。レナを助けるんだ!」
 ボーマンの手を振りきって、クロードは再び壁と向き合う。そこを横からオペラが胸倉をつかみ、掌で彼の頬を引っぱたいた。
「目が覚めた?」
 茫然とするクロードを彼女はみっつの眼で鋭く睨めつけた。それから彼を放して、叩いたときに痺れたのか右手をしきりに振りながら背中を向ける。
「あの子がレオンを抱いて向こう側に逃げたところは、あたしも見た。だから岩の下敷きにはなっていないはずよ」
「けど、どうする? 道を知っているレオンがいないんだ。闇雲に歩き回っても迷うだけだぜ」
「とりあえず少し戻って、この先の道とつながっている道を探すしかありませんわね。レナもたぶん、同じことを考えて動くわ」
「つながる道がなければアウトってわけか……。賭けるしかねぇな」
 ボーマンの横でクロードは地面を見つめて黙りこくっていた。
「おい、クロード」
「……僕の、せいだ……」
 そう呟いたクロードの唇は震え、顔面は蒼白だった。
 ボーマンは嘆息して彼の背中を軽く叩くと、慰めるように言う。
「そう自分を責めるな。今はふたりが無事でいることだけ考えろ」
 そうして、オペラたちとともに道を歩いていった。
 クロードは引き攣《つ》ったように儘《まま》ならぬ右腕をなんとか動かして、剣を鞘に収める。心の動揺はどうあっても治まりそうになかった。
 足許を見ると、土を被って埋もれかけた本が落ちていた。拾って土を払う。表紙の装丁に見覚えがあった。それはレオンのものだった。


 耳を劈《つんざ》くばかりの爆鳴と破砕音のあとは、耳が痛くなるほどの静寂がおとずれた。そっと眼を開けて頭を起こすと、周囲は濃い闇が立ちこめていた。
「レオン……?」
 胸に抱いたレオンに呼びかけてみる。ギュッと瞑った少年の両目が大きく見開くのを見て、とりあえずは安堵した。
 ふたりは立ち上がって、あたりを見回した。暗くてほとんど何もわからなかったが、そのこと自体が、自分たちの置かれている状況を把握させることになった。手で探ってみると案の定、目の前に冷たい岩の感触があった。
「道が塞がっちゃったみたいね……」
「他のひとたちは?」
「たぶん、この向こう側に……」
「そんな、どうするんだよ!」
 レオンが悲鳴のような声をあげる。
「道がなくなったら、ボクたち帰れないじゃないか!」
「この先に、向こうの道とつながっている道はないの?」
「知らないよ! ボクはエナジーストーンの場所までの道すじしか教わってないんだから」
「じゃあ、とりあえず先に進みましょうよ。もしかしたらこの先でクロードたちと合流できるかもしれない」
「進む?」
 レオンは信じられないようにレナを見た。
「こんな真っ暗の中を、いつ魔物に襲われるかもしれないのに、ふたりだけで進むっていうの?」
「だって、他にどうしようもないじゃない」
「こんな岩ごとき、ボクが……」
 と、レオンは白衣のポケットに手をかけて、凍りついた。
「どうしたの?」
「……本がない」
「本?」
 訊きながらレナは思い出した。呪紋を唱えるときに彼が広げていた本のことだ。
「あれがどうかしたの?」
「……ボクはからだに紋章を刻んでないんだ。そのかわり、紋章の描かれた本を持つことで紋章力を引き出している。あれがないと、ボクは呪紋を唱えられない」
 放心して譫言《うわごと》のように呟くレオン。レナは彼の背中を撫でて、懸命に励ます。
「ほら、とにかく先に進もう、ね? きっとクロードたちがなんとかしてくれるから」
「…………」
 レオンは口を尖らせたまま、何も言わなかった。

 歩き続けてどのくらいになるだろうか。暗闇の中では時間すらも滞り、その活動を止めてしまうのではと思いさえする。
 右手を壁につけ、見えぬはずの前方を藻掻くように見つめて一歩一歩、地面を踏みしめていく。
 ──もし、この地面がなくなったら? 壁が消えてしまったら? そして、この暗闇から抜け出せなかったら?
 不安が黒い無形の悪魔となって彼女に執拗に纏《まと》わりつく。稍《やや》もすると自身がこの悪魔と同化して、闇のうちに霧散するのではないかと、とりとめもない疑心暗鬼に恐怖ばかりが募った。
 レナもレオンも歩き出してからずっと無言だった。ふたつの靴音だけが虚しく洞内に谺《こだま》する。
 しばらくして、ひとつの靴音が止まった。
「レオン?」
 レナも立ち止まって振り返る。レオンの水色の頭がずいぶん下の方にあったのは、屈《かが》んでいるからだろうか。
「もう歩けない」
 拗ねるように、レオンが言った。
「そんなこと言わないで。もうちょっとの辛抱だから、がんばって歩きましょうよ」
「なにが、もうちょっとだよ」
 膝を抱えて、下を向きながら喚《わめ》き出す。
「これだけ歩いてなんにもなかったのに、まだそんなことを言ってるの? これ以上進んだって、明かりなんか見えてこないよ。なにもありゃしないんだ」
 少年は震えていた。目ではわからなかったが、肌に触れる空気がそう感じた。
「もうダメだよ……。ボクたちは、ここで死んじゃうんだ……」
 そうして、小刻みにしゃくり上げる。いつの間にか泣いていたのだ。
「レオン……」
 レナは目を伏せた。
 そう、闇への不安に怯えていたのは自分ばかりではなかった。彼女と同じように──いや、それ以上の恐怖を、少年はこの小さき身ひとつで負わねばならなかったのだ。
(どんなに頭がよくたって、まだ子供なんだ)
 ──ううん、違う。レナは思った。
 頭がいいからこそ、類希《たぐいまれ》な才能を持っているからこそ、この子は子供のままなんだ。小さな頃から大人に混じり、もてはやされ、期待と羨望を一身に浴びることとなった少年。大人びた態度や言葉は、こうした環境の中で培われたものなんだろう。
 けれど、それが果たして彼のほんとうの姿なのだろうか。この闇の中で怯える少年は、ひどく小さく、寂しそうに見える。仮面の中に秘めた素顔を、彼女は闇を通して垣間見たような気がした。
(この子は、子供であることを隠して生きている)
(そうしないと、周囲に押し潰されてしまうから)
(甘えたいときにも甘えない。遊びたいときにも遊ばない。そうやってずっと『子供』の部分を閉じ込めてしまった)
(だからこの子は『子供』を中に隠したまま、それを引きずって生きているんだ)
 どうしようもなく居たたまれなくなって、レナはそっとレオンを抱き寄せた。レオンは初め驚いて抗《あらが》う素振りをみせたが、背中を優しく撫でているうちに、安心したのか彼女の胸に顔を埋める。
「だいじょうぶ。私たちは助かるわ。だから、あきらめないで……ね」
 レナが囁くと、少年は再び嗚咽を始める。泣きやむまでの間、レナはずっと腕に抱いて、小さな背中をさすってやった。

「もう大丈夫?」
「うん」
 レオンは腫れぼったい目をこすって、頷いた。
「じゃ、先に進もうか」
 レナがそう言って歩きかけると。
「待って」
 レオンの耳がピクリと動いた。
「どうしたの?」
「なにか、聞こえない?」
 レナが耳を澄ませてみると、確かに遠くから妙な音が聞こえてくる。
 ふしゅう……ふしゅう……。地中から蒸気が噴き出るときはこんな感じの音だろうか。しかもそれは断続的に、近づいてきている。気配を感じたのはそれからだった。
(なにか来るわ。隠れて)
 レオンを促して、ふたりは壁際の岩陰に身を潜める。
 ふしゅう……ふしゅう……。それは確実にこちらへと迫っている。鈍く地面を踏みしめる音も聞こえてきた。レナは悟られぬよう慎重に頭だけ出して、音のする方へと目を向けた。
 四つ足の魔物が、すぐそこまで来ていた。ぬらぬらと黒光りしているのは鱗だろうか。蒸気のような音は牙の隙間から洩れる息であった。
(サラマンダーだ)
 横で同じように覗いていたレオンが囁いた。
(火を吹く大トカゲの化物だよ。調査に行った兵士のなん人かがこいつにやられた)
 ふたりは岩陰に身を寄せ合って息を殺す。重々しい足音を響かせて、山のような魔物の躯が目の前を通り、過ぎていった。遠ざかる足音にホッと溜息を洩らしたのも束の間、不意に魔物の動きが止まった。においを探るように鼻を鳴らす音。そして、再びこちらへ近づいてくる。
(ダメだわ……気づかれた)
 もはや逡巡《しゅんじゅん》している暇はなかった。
(レオン、逃げて)
(え?)
 レオンが驚いてレナを見た。
(私が魔物を引きつけている間に、向こうへ走るのよ)
(お姉ちゃんは?)
(私のことはいいから。いいわね、めいっぱい走るのよ)
 そうレオンに言い聞かせると、岩陰から飛び出して叫ぶ。
「こっちよ!」
 レナの姿を見つけたサラマンダーが咆哮をあげた。怒濤のような声が足許から響き、一瞬足が竦みかけたがすぐに気を取り直して、岩陰から離れるために駆け出した。できるだけ、レオンへの気を逸らさせなければ。
 サラマンダーはレナの手前まで躙《にじ》り寄って、前肢を彼女に叩きつける。その一撃は躱したものの、視界がきかない中では大きな動きはできない。レナはさらに魔物との距離をおいて、いちかばちか、詠唱を始めた。
「トラクター……」
 唱え終わらぬうちに目の前が赤く染まった。サラマンダーが炎を吐いたのだ。慌てて地面に転がり込んで避ける。橙色の炎が暗闇を打ち破って洞内を照らしあげた。
 その明かりで初めて気づいた。レオンがこちらへ向かってきている。
「レオン、来てはだめ! 早く逃げなさい!」
 叱りつけるように声を張り上げると、レオンは彼女と少しく距離を隔てたところで立ち止まった。
「いやだ!」
 足を突っ張って、少年は叫び返した。
 はっとして振り返ると、魔物の巨体が目前に迫っていた。とにかく魔物とレオンを引き離さねばと、わざと敵を威嚇するように鼻先すれすれで反対側へ跳躍した。サラマンダーの首がこちらに曲がる。うまくいったとほくそ笑んだが、すぐに息を呑む。
 振り向きかけた魔物の横から、レオンが石を投げだしたのだ。
「このやろぉ!」
 石はサラマンダーの堅緻《けんち》な鱗に当たって、こんと跳ねた。レナに向きかけていた魔物の首がゆっくりとレオンに向けられる。
「逃げて、レオン!」
 声を振り絞ってレナが叫んだ。少年に照準を合わせたサラマンダーが、巨体を揺すって動き始める。
 レオンは口を真一文字に閉じて歯を食いしばり、凛として魔物を睨みつけた。そして右腕を前に突き出して、ひとつの呪紋を紡ぎだす。
「ディープフリーズ!」
 彼の指先から鋭く冷気が発せられ、瞬く間に魔物の躯を覆った。いくらか動きは鈍くなったものの、サラマンダーはなおもレオンに向かって歩みを続ける。冷気が徐々に巨体を蝕み始める。鱗に霜がこびりつき、牙の間から舌がだらしなく垂れ下がった。ゆっくりと脚を持ち上げ、地面に下ろす。また持ち上げて……そこで、ようやく止まった。
 雪像のように白く凍りついた巨体の前で、レオンは脱力してその場に座り込んだ。そこへレナが駆け寄ってくる。
「レオン、呪紋は使えないんじゃ……?」
「だから、さっき描いたんだ」
 そう言って、憔悴《しょうすい》しきった笑顔を見せる。レナは怪訝そうに首を傾げたが。
「あっ……」
 視線を落とすと、少年の剥きだしの膝から夥《おびただ》しい血が流れていた。これはどうしたのかと口を開きかけ、息を呑む。
 石の欠片《かけら》でも使って切りつけたのだろうか、右腿に無数の切り傷ができていた。そして、紅いものが滲み出た傷口は、紛うことなくある模様を描き出していた。
 紅の、紋章。
 レナはレオンの顔を見た。少年は屈託なく笑っている。そこに仮面はなかった。見栄も名分もなく、ただふたりの無事を喜んでいる、笑顔。それを見た途端、なぜだかわからないが涙が溢れて、ぼろぼろと目縁《まぶち》から零れた。
 今一度、彼女はレオンを抱き締める。互いの温もりを、絆を確かめ合うように。ふたりの間で、胸許のペンダントが仄《ほの》かに翡翠色の光を放っていた。

 次第に闇の靄が薄れていく。地面や岩壁の輪郭もはっきりと映り始めた。不安と恐怖はいつの間にか失せ、安堵と期待とが取って代わった。励まし合うように繋いだ手を握りしめて、レナとレオンは光あふれる曲がり角を折れた。
 光源は奥で輝く翡翠色の鉱石と、地面に置かれたセリーヌの角灯《ランタン》だった。ところが、持ち主であるはずのセリーヌはその傍らで倒れている。
「セリーヌさん!」
 よく見ると、オペラとボーマンも近くに横たわっていた。焼け焦げた服や髪は、炎か電撃によるものだろうか。
「レナ!」
 クロードは奥にいた。山羊の頭を持った二匹の魔物と対峙している。
「無事だったんだな!」
 ふわふわと宙に浮いて隙を窺う魔物を後目に、クロードが叫ぶ。
「私は大丈夫。そっちこそ、なにがあったの?」
「みんな、こいつにやられたんだ。雷の呪紋で……くっ」
 正面と背後からの奇襲に対し、間一髪上に跳躍して躱して、着地と同時に爆裂破を放つ。だが魔物の周囲には四角錐形の光の膜が張られ、無数の岩塊を余すところなく防いでしまった。
「あれじゃあ、きりがないわ……」
 戦いぶりを見ていたレナが焦れた。それを気にしたわけではないだろうが、クロードは再びレナの方を向き、それから隣のレオンを見つけて、思い出したように懐を探った。
「レオン!」
 取り出したものを、その場からレオンに思いきり放り投げた。放物線を描いてレオンの腕に飛び込んできたのは、彼の呪紋書だった。レオンの瞳に輝きが戻り、すかさず頁を捲《めく》って広げた。そして、右手を天に掲げて唱える。
「シャドウフレア!」
 光の届かぬ天井から、闇黒が数多の塊を成して山羊頭の魔物に降りかかった。闇の塊は光の膜をものともせず、魔物に触れると青黒い炎へとかたちを変え、叫喚のうちに躯を焼き尽くした。瞬く間に炭と化した骸は、地面にぶつかり粉々に砕け散った。
 レナは負傷した三人の手当をしていた。見た目よりも怪我は大したことない。動けないのは電撃による一時的な麻痺のためだろう。回復呪紋《ヒール》を唱えると、すぐに立ち上がれるようになった。
 ついに合流を果たした一行は、その先にある翡翠色の鉱物の前まで進んでいった。壁一面を埋めつくした鉱物が、脈動するように明滅を繰り返している。
「エナジーストーンだ」
 レオンが言った。
「どうにかここまで辿り着いたわね」
 オペラが大きく息をついた。
「さっきから気になってたんだけど、これってどこかで……」
 と、言いかけたクロードは振り返ってレナの胸許を指さす。
「それだ」
「え?」
 見ると、ペンダントが強く輝きだしていた。暗闇で彷徨《さまよ》っていたときからずっと光を放っていたのは知っていたが、ここにきて一層光彩が増しているようだ。
「この鉱物って、アレンが持っていた石に似ていないか?」
「そういえば……確かにこんなふうに光っていたわね。ペンダントも反応しているし」
「さあ、ちゃっちゃと鉱物を採取して帰るよ」
 あれこれ思索を巡らすふたりをよそに、レオンはさっそく鉱物の見分を始める。
「うーん……これが、ちょうどいい大きさかな」
 彼が示したのは、ちょっとした樽ほどの大きさの石。
「こんなデカいの、どうやって運ぶんだよ」
 ボーマンが辟易《へきえき》して言った。
「そのために君たちを連れてきたんだから、そっちでなんとかしてよ」
「調子のいいやつだな……」
 クロードは頭を掻いてどうしたものかと視線を逸らした。そこに偶然、横転して土砂を吐き出したまま放置してあるトロッコが飛び込んできた。
「あれを使おう」

 歪んだ車輪ががたごと音を立てて線路を廻る。荷台には翡翠色の岩ひとつと、どういうわけかレナとレオンもちゃっかり同乗していた。セリーヌとオペラはその両脇を歩き、トロッコの連結部の金具に綱をつけて引いているのは、残る男ふたり。
「ほら、もっと踏ん張って」
「がんばれー」
 荷台から気のない声援が送られる。それなら降りてくれよと、愚痴が喉の先まで出かかったが、ぐっと呑み込んだ。
「ボーマンさん」
 代わりに、隣で同様に綱を肩にかけて引っ張っているボーマンに話しかけた。
「なんだ?」
「今のこの状況に、納得がいかないんですが……」
「深く考えるな。女にとって男なんて、所詮こんなもんなんだよ」
「勉強になります……」
 結局、昇降機のある場所まで、ふたりだけで運びきることになった。

 建物の外に出ると、今度は全員で岩を乗せたトロッコを階段から慎重に降ろしていく。ところがその最中に突然、オペラが手を放して駆け降りていくものだから、トロッコは斜めに大きく傾いた。
「……っ、とっ、と」
「わっ、ちょっと」
「逆だ逆。そっち誰か持て!」
「ああっ!」
 支えきれずに手放したトロッコと岩は、けたたましい音を立てながら、階段を跳ねるように落ちていった。
「あーあ……」
 幸いにも、地面にひっくり返ったトロッコと岩に損傷はないようだ。岩はともかく、意外にトロッコも丈夫にできている。
「ま、この方が手っ取り早かったか……」
 彼らも階を降りる。
 オペラは階下で、彼らに背を向けて立ちつくしていた。彼女の視線を追うと、先の木陰に誰かがいた。
「ねえ……あなた、エルでしょ?」
 オペラが呼びかけた。金髪の男がゆっくりと振り向く。額にはもうひとつの、目が。
「もしかして、そのひとがエルネストさんですか」
 レナがオペラに訊いたが、彼女の耳には届いていない。
 男は奇妙な薄笑いを浮かべて言う。
「やあ、オペラ、僕の後を追ってきてくれたのか」
「…………?」
 どこか腑に落ちないオペラは片方の眉をつり上げる。そこにいるのは確かにエルネストだった。引き締まった眉、無骨な顎を際立たせるような無精髭、少々痩せ気味の体躯、背中までの金髪に白のコート。間違えようもない。
 ただし、顔は死人のように蒼かった。
「どうしたんだい、せっかく会えたのに、嬉しくないのかい?」
「……違うわ」
 オペラは銃口を男に向ける。
「あなたはエルネストじゃない」
「なんだって? この僕がわからないのか」
「『僕』? 『僕』だって? ああいやだ!」
 吐き捨てるように、オペラが言った。
「出逢ってから五年間、あのひとは自分をそんなふうに呼んだことは一度もなかった。いったい誰なの。あたしを騙してどうしようというの?」
「オペラ、この姿が見えないのかい。信じてくれ」
 男は不敵に微笑んだまま、オペラに迫った。
「寄らないで! それ以上近づいたら、撃つわよ!」
 銃を前に突き出し、引き金に手をかけても、男は歩みをやめない。
「僕を撃てるのかい? この姿をした、僕を」
「いやあぁっ!」
 オペラが引き金を引く。光の銃弾は瞬時に男の脇腹を貫いた。
 それでも男は立っていた。深緑色の上着に紅い染みが広がり、口の端からは赤黒い血がひとすじ、顎に流れ落ちた。
 凄いような視線でこちらを見据える男に、オペラの背筋は凍りついた。
「あ、あたし……なにを?」
 息苦しく喘《あえ》いでいると、男を立たせていた何かがぷつりと切れ、崩れるようにして倒れた。
「エル!」
「ちぇっ、もう動かなくなった。しょうがないなあ」
 男の身体から何かが抜け出て宙に揺蕩《たゆた》う。ひとの子供の姿はしているが、足はない。薄墨のように黒くぼんやりと浮かび上がっているのみ。それはまさに幽霊《ゴースト》だった。
「どうだい、僕の操り人形《マリオネット》は? もう使い物にならなくなっちゃったけどね」
 男の前で座り込み、項垂れていたオペラの瞳が大きく見開いた。
「お前が取り憑いていたのか」
 クロードがすらりと剣を抜き放つ。半透明のそれは、へらへら笑みを浮かべて宙を漂う。
「へえ、僕を退治しようっていうの? 面白いね」
 問答無用とばかりにクロードが斬りかかるが、幽霊は素早く飛び上がって空中でせせら笑う。
「無駄むだ、捕まえられるもんか」
 クロードは跳躍して剣を振った。今度は下に沈んで避けられる。ボーマンも加わり、ふたりでしばらく追いかけっこを展開したが、敵は身軽に四方八方を動き回り、まるでつかみどころがない。
「もう終わりかい? つまんないなあ」
 立ち止まって息を切らすふたりに、幽霊は綽々《しゃくしゃく》と言い放った。
 そこへ、白く輝く銃弾が飛び込んできた。手前で弾けて無数の光の糸となったそれは、刹那のうちに幽霊の躯を締め上げた。動きを封じられた幽霊は驚愕と苦痛に顔を歪ませる。
「幽霊が光に弱いっていうのは本当みたいね」
 オペラが幽霊を睨んで立っていた。冷静を装っているものの、言葉の端には凄まじい怒りが込められていた。そしてクロードに目で合図する。諒解したクロードは剣を下手《したて》に握って駆け出した。
「やっ、やめろお!」
「双破斬ッ!」
 戦慄する幽霊にクロードは容赦なく剣を振り上げ、振り下ろした。闘気の込められた刃が半透明の躯を二度引き裂き、幽霊は幾千万の霧の粒となって周囲に四散した。
 クロードは剣を収めて、オペラの方を向く。彼女はレナの治療を一心に見守っていた。
「う……」
 男は意識を取り戻した。
「エル! ああよかった!」
 オペラは上半身を起こしたエルネストの首っ玉にかじりつく。
「オペラ……? どうしてお前が」
「なに言ってるのよ。あなたが勝手に飛び出していっちゃうから、追いかけてきたんじゃないの」
「そうか……すまなかったな」
 エルネストはオペラを擁して立ち上がる。
「幽霊に取り憑かれたところまでは覚えている。その後は記憶がないが、どうせろくなことはしなかっただろう。迷惑かけたな」
 そこまで言うと、次に周囲の者たちに向けて。
「挨拶が遅れて申し訳ない。俺はエルネスト・レヴィード。こんななりだが一応は考古学者まがいのことをしている」
 寄り添っていたオペラを立たせて、それから遺跡の建物を振り仰いだ。
「今回は紋章術文明の遺跡調査に来たわけだが、少しばかりドジを踏んでしまったな」
「だけど、どうしよう」
 と、オペラが口を開いた。
「エルが見つかったからには、あたしはこれ以上旅を続けられないわ」
「え?」
 思いもよらぬ言葉にレナは驚いた。
「オペラさん、帰っちゃうんですか?」
「うん、そうね……そのつもりだったけど」
 言葉を濁したあと、出し抜けにエルネストの方を向く。
「そうだ。よかったらエルもつきあわない? あたしたちはソーサリーグローブの調査をしているの。あなたもずっとここに来ていたなら聞いているでしょ、ソーサリーグローブのこと」
「ああ。何やら物騒な話だな」
「面白いと思わない?」
 煽りたてるような彼女の言動に、エルネストは面食らった。
「どうしたんだ? 随分と熱心じゃないか。いつもなら早く帰りたいって駄々をこねるお前が」
「だって……なんだか、別れづらくなっちゃったんだもの」
 オペラは照れくさそうに俯《うつむ》いた。
 エルネストは頬に手をあて考え込むような振りをしながら、そっとオペラの表情を盗み見して愉しんでいた。それからレナたちに訊ねる。
「そちらの皆さんはよろしいのかな?」
「もちろん、大歓迎ですよ」
 レナは笑顔で頷いた。
「そうか……。ならば、しばらく世話になるとしようか」
「エル」
 オペラは顔を上げて、晴れやかな表情を見せた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、以後よろしく」
 エルネストは革手袋を外すと、右手をレナの前に差しだした。レナがしっかりとその手を握る。
「じゃあ、さっそく」
 と、レオンが背後のトロッコと翡翠色の岩を指さして、言った。
「あれを海岸まで運んでもらおうかな」



--
【ひとくち解説】
 レオンに押されて、エルネストのイベントが微妙にやっつけ気味になっています(笑)。いや、エルもけっこう好きなんですけどね。おっさんは良いよね。心が洗われます。嘘だけど。
 エルに憑いてたゴーストは『キャスパー』のイメージで書きました。というか、そのまんまですな。
posted by むささび at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年09月04日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第五章(3)

   3 仮面の素顔(前編) 〜ラクール(3)〜

「君らは今、ラクールへ避難してきた者かね!?」
 城下町の門を潜ろうとすると、門番の兵士に怒鳴り声で呼び止められた。
「避難……?」
 クロードたちが立ちつくしていると、兵士は早口で説明する。
「知らないのか? エル王国が魔物軍に壊滅され、魔物の群れが現在ラクールに向かって進軍中なんだ!」
「ええっ!?」
 レナはクロードを見た。彼も動揺を隠せず、目を見張って鋼鉄の鎧兵士を見ている。
「もちろん魔物の群れなど前線基地で食い止めてしまうが、ラクール以北は戦場になる可能性があるから、住民たちには一時的に避難してもらっているんだ」
 どうやら事態は思ったよりも深刻のようだ。こうなれば黙っているわけにはいかない。
「あの……私たちも戦います!」
 せっかく覚悟を決めて言ったというのに。
「なに寝ぼけたこと言ってるんだ。足手まといになるだけだから、早いとこ避難してくれよ」
 兵士はまるで相手にしてくれなかった。
 五人は兵士から少し離れたところで寄り集まって、小声で相談を始める。面妖な眼差しでその風変わりな集団を注視する兵士。
「……で、どうする?」
 クロードが皆に訊いた。
「こんなところでじっとしていても仕方ありませんわ」
 小鼻を膨らませてぼやくセリーヌ。
「その、前線基地ってところへ行ってみない?」
 オペラが提案した。
「どこにあるんですか?」
 レナがボーマンに訊ねると。
「前線基地ならヒルトンからさらに北東だ。だが、いきなり行っても、民間人はどうせ入口で門前払いされるだけだろうな」
 ボーマンがすげなく答えた。
「そこでひと暴れしてわたくしたちの実力を見せつけてやればいいんですのよ」
 セリーヌが拳を振り上げたついでに隣のクロードの頭を小突く。
「セリーヌさん、お願いだから穏便に……ん?」
 頭を抱えたクロードが気づいたのは、北へ続く道から砂塵を巻き上げて駆けてくる馬と、それに跨《またが》り手綱を握りしめている男。馬は見るからに逞しく、そして男は見るからに痩せ細り枯れ木のごとき体つきをしていたので、馬ばかり目立って遠目からでは空馬のようにも映った。
 男は城門近くまで来ると手綱を引いて、兵士の目前で止まると地面にひらりと降り立つ。右腕の袖には獅子の徽章が刺繍された布を留めつけている。
「国王陛下に至急、ご報告がございます」
「ご苦労。陛下は謁見の間におられると思うが、ご不在ならおそらく研究所だろう」
「かしこまりました」
 男は兵士の脇を抜けて城下町をひた走っていった。
 さて、そのやりとりを傍観していた一行は、さっそく会議を再開する。
「今のひとって、前線基地から来たのかしら?」
「たぶん、そうだろうね」
「研究所って、何のことかな」
「ラクールで研究所っていやあ、あそこしかないだろう」
「ボーマンさん、知ってるんですか?」
「まあな。でも今さら何の……」
 そこまで言ったとき、ボーマンの口許がにんまりとつり上がった。
「そうか、そういうことか。はっはぁ〜、こりゃ面白くなりそうだ」
「ボーマンさん?」
 唖然とする四人を前に、彼は胸を張って宣言するのである。
「諸君、次の行く先が決定した」

 机の上は数多の書物と研究道具で埋めつくされていた。奥の壁に掛けられた黒板には何かの設計図が描かれた紙が貼りつけてある。いずれも薄暗くて細かなところまでは判別できない。
 無人の研究室をボーマンは逡巡《しゅんじゅん》することなく進んでいった。他の四人はおっかなびっくり彼の後をついていく。
「こっちだ」
 ボーマンが頑丈そうな鉄扉の前で皆を呼んだ。そうして躊躇《ためら》いもなく扉を開け放つ。
 目の前に驚愕の表情でこちらを向く兵士の姿があった。
「な、なんだ、お前たちは!」
「悪いな、ちょっとどいてくんな」
 呆気にとられる兵士を押し退けてボーマンが、それからレナたちが身を竦めながら中へと足を踏み入れた。
 隣の研究室とは違い、その部屋は白色の明かりが充満して眩しいほどだった。壁も天井も青白い塗料が塗られ、冷たく輝く様は水中にいるような感覚すらあった。壁には金属のパイプが縦横に走り、辿っていくとそのすべてが隅に置かれた奇妙な装置に繋がっていた。
 その装置の周囲に、数人の白衣を着た者たちと、真紅に染まりし毛皮の外套《マント》を纏った老人が集まっている。
 老人はこちらに気づくと怪訝そうに双眸をすぼめて。
「ボーマンか?」
「ご無沙汰しております、陛下。この研究所も随分と変わりましたな」
 そう、老人はまさしくラクール国王陛下であった。象牙色の白髪頭に王冠こそ戴いてはいないが、眦《まなじり》に刻まれた皺の奥に宿る瞳は恐ろしいほどの威厳と気概に充ちていた。老いてもなお猛々しき獅子の風格をそこに見たような気がした。
「何をしに来た、ボーマン」
 王の横に立っていた男が厳しく問いただしたが、彼は相変わらず飄々とそちらを向いて口許をつり上げる。
「いよう、マードック。フロリスも一緒か。それと、そこにいるおチビさんはお前らのガキだな」
「お前にガキって呼ばれる筋合いはない」
 ふたりの研究者の間から、やはり白衣に身を包んだ少年が出てきて、ボーマンに詰め寄った。歳は十一、二歳くらいだろうか。頭の左右には猫とも鼠とも区別しがたい、獣めいた耳が水色の髪からピンと突き出ていた。
 フェルプールだ、とレナは思った。ひとの中にはごく稀《まれ》に獣の特徴を具《そな》えて生まれ出てくるものがある。尻尾が生えていたり、またはこの少年のように獣の耳を有したり、中には手足までが獣化してしまう例もあった。この変化は親の特徴に関わらず突如として発生する現象であり、一説には人類の遠い祖先に何らかの形で獣の血が混じり、その血がより濃くなった場合において発生するのではないかと言われている。そして、このような特徴を有したものは多くの場合、常人よりも何かの才能に秀でている。
 少年は腕を組んだままボーマンを見上げて言う。
「ここの最高責任者はボクだ。たとえ陛下やパパたちと親しくても、話はボクを通してからにしてくれないか」
「最高、せきにん……!」
 セリーヌが思わず吹き出しそうになったところを自分で口を塞ぐ。目ざとくそれを見つけた少年が。
「なにがおかしい」
 セリーヌを睨みつけておいて、それから両手を後腰に組んで背中を向けた。
「紋章構成理論に基づく紋章科学も、ラクールホープにおけるエネルギー抽出法も、ぜんぶボクが考案したんだ。当然の地位だ」
「ほう、やはりラクールホープか」
 ボーマンが言うと、今度は少年が口を塞いだ。
「ラクール、ホープ?」
 レナがボーマンに訊き返した。
「紋章術を利用した紋章兵器だ。小さな島ひとつくらいは吹っ飛ばせるんじゃないか?」
「なんでおじさんがそんなこと知ってるんだよ!」
「おじさん……?」
 少年が狼狽して問いつめても、ボーマンは別のことで落ち込んでしまったらしく、肩を落として何やらぶつぶつ呟いている。
「レオン。彼はかつてこの研究所の薬学部門にいた者だ」
 代わりに少年の父親、マードックが説明する。
「半年しか在籍していなかったがな。彼がいなくなって間もなく、薬学部門も消滅した」
「へえ。じゃあ、パパが言うところの『負け犬』だね」
「レオン!」
 マードックが叱責しても少年は底意地の悪い笑顔をやめなかった。すると、ようやく気を取り戻したボーマンが。
「ああ、そうだよ。今ではただの街の薬屋だからね、ボウヤ」
「ボウヤって言うな!」
 レオンが上擦った声で捲《まく》し立てる。
「だいたいおじさん、薬学部門なんだろ? 同じ研究所でもラクールホープとは無関係じゃないか!」
「だから、おじさんってのは……」
 また落胆するボーマンに代わって、やはりマードックが。
「……彼が在籍していたのが九年前か。ラクールホープの研究はその頃始まったんだ。確かに薬学のボーマンは研究とは関係なかった。だが、こともあろうにこいつは、ラクールホープに関する機密資料を盗み出した」
「別に盗んだわけじゃねぇよ。どんなものか興味があったから、こっそり拝借して読ませてもらっただけだ」
「そういうのを盗んだというんだ。……で、彼はそれが理由で研究所を追い出された」
「『負け犬』の誕生ってわけさね」
「……なんだ、結局ただの泥棒じゃないか」
 ふざけた風に肩を竦めるボーマンに、レオンはあからさまに侮蔑の視線を送った。
「それでボーマン、今更戻ってきて、何をしようというのだ?」
 それまで沈黙を保っていた王が口を開いた。
「いや、それがですね」
 と、ボーマンは横に退いて背後の四人を紹介する。
「ソーサリーグローブを調査している一団の仲間に加わりまして、エルへ渡航する許可をいただこうとこの城に向かったら、避難民にされてしまったんですよ。それでふと、ラクールホープのことを思い出して、ここに来てみれば案の定、ってわけですよ」
「……そうか」
 王は身体を横に向けて、青白い天井を見上げた。
「使う気ですね、ラクールホープを」
「ああ、やむを得んだろう」
「他国牽制用の兵器が、むしろ他国をも救うことになるとは皮肉なもんですな。しかし、偽りであれ平和のために利用するのは悪いことではありませんよ」
 押し黙ったままの王にそう言ってから、レオンの方を向く。
「研究はどこまで進んだんだ? あのときは確か、紋章力の抽出精度が低くて難儀していたようだったが」
「そんなのとっくに解決済みだ! 紋章構成理論を応用してレベルの高い断片だけでより強力な紋章を再構成し、さらに個々の紋章に特殊な配列を加えることで相乗作用を起こさせ、これまでとは比較にならないほどのエネルギーを抽出することができる」
「さっきから気になっていたんですけど、紋章構成理論ってなんですの? マーズではそんなもの、聞いたこともありませんわよ」
 セリーヌが口を挟むと、レオンは嘲《あざけ》るように彼女を見て言う。
「ボクが証明したんだ。今までひとつの紋章と思われてきた図柄の断片それぞれにも意味がある。からだに紋章を刻んだ術師が特定の属性の呪紋しか唱えられないのは、その属性を示す紋章しか刻まれていないからだ。ボクはこの断片の意味をすべて解読して、それを再構成することによってまったく新しい紋章を作成することに成功した。まあ、昔っからの紋章をなにも考えずに受け継いでいるだけのマーズの連中には一生考えつかないだろうけどね」
 その言葉でセリーヌの表情が一転したので、嫌な予感を察知したクロードとオペラはあらかじめ彼女の腕を左右からつかまえておいた。
 レオンは相変わらず喚《わめ》き散らすように喋り続ける。
「完成は目前なんだ! あとは莫大なエネルギー放出に耐えきれるだけの素材、エナジーストーンをホフマン遺跡から採ってくるだけだ!」
「エナジーストーン?」
「ホフマン遺跡って?」
 レナとクロードが同時に違うことを訊ねて、ん?と顔を見合わせた。
「エナジーストーンはホフマン遺跡の内部で発見された新種の鉱物だよ。それ自身が微量な紋章力を持っているために紋章力との親和性が高く、またそのエネルギーに対しての抵抗性にも優れているんだ。これを使えば放出されたエネルギーを減衰させることなく砲身に装填することができる」
「ホフマン遺跡ってのは、ここからずっと北に行ったところにある古の一族の遺構だ。未開の地にあるから、まだあんまり調査は進んでいない。山岳宮殿なんざとは比べものにならねぇくらいデカいって話だがな」
 レオンとボーマンがそれぞれ説明した。ボーマンはさらに前の少年に言う。
「あんな危険な所、誰が行くんだ?」
「ボクが行くさ! 一週間もあればちゃんと鉱石を採取して帰ってきてみせる」
 ボーマンはここで初めて真剣な表情でマードックを見据える。
「マードック、いくら出来のいい息子でも、できることとできんことがある」
「だが、ほとんどの兵士は前線基地にやってしまった。遺跡にまで兵士を回している余裕がないんだよ」
 マードックが言うと、ボーマンは困ったように頭を掻いて、それからレナの方を見た。
「どうする、レナ?」
「えっ?」
「このチビ助……じゃなかった、レオン博士どのに同行して、ホフマン遺跡に行ってみるってのは」
「本気か、ボーマン?」
 危惧する王に彼は綽然《しゃくぜん》とした笑顔で応える。
「もちろんですよ。こう見えても彼らは結構頼りになる。武具大会の準優勝者もいることですし。な、クロード」
「へえっ?」
 出し抜けに名を呼ばれて情けない返事をするクロード。当の本人がそのことをすっかり忘れていたらしい。
「ふうむ、それなら……」
「ボクはいやだよ」
 王の言葉を遮ってレオンがきっぱり言った。
 ボーマンは無表情のまま少年を見下ろして。
「では、レオン博士は自分ひとりで採りに行けるとお思いで?」
「行けるさ! ボクはなんだってひとりでできるんだ」
「魔物が巣くっているかもしれませんよ」
「倒せばいいだけさ。ボクの紋章術をバカにしないでよ。どっかの田舎の術師とは格が違うんだから」
 セリーヌの怒りがそろそろ心頭に達しようとしていたので、クロードとオペラはいよいよ彼女の腕を握る手に力を込める。
「レオン」
 彼の母親、フロリスが横から諫めた。
「強がりもいい加減になさい。せっかくのご好意なのに、どうして素直に受け取れないの?」
「だって、ボクは……」
 フロリスの厳しい視線に口を噤《つぐ》み、項垂れるレオン。
「やはりボーマンたちに同行させた方が良いかもしれぬな」
 と、ラクール王。
「レナたちもいいだろ?」
「ええ。ぜひ同行させてください」
(レナ?)
 彼女の返事に驚いたクロードが小声で囁きかけた。
(だって、あんな小さい子ひとりで行かせられないでしょ)
 レナが囁き返すと、彼も不承不承に頷いた。
「ならば、早速ヒルトンに船を手配しておこう。そなたらも準備が整い次第、ヒルトンへ向かってくれ」
「ヒルトンですね」
 顔を上げて王にそう確認してから、レオンはレナたち四人の横を早足で通り過ぎて研究室を出ていく。その間、彼らの方を振り向くことは一度もなかった。
 レナは部屋の出口を、じっと見つめていた。そこにあった少年の後ろ姿──その残像が、何故か頭から離れなかった。


 帆は風を受けて大きく膨らみ、鮮碧《せんぺき》の海を進んでいく。帆柱《マスト》を見上げると、見張り台に座っていた船乗りが大口を開けて欠伸《あくび》をしていた。
 船室から出てきたレナも、穏やかな空と波を前にして伸びをする。ホフマン遺跡に向けての航海は順調すぎるほど順調だった。予定なら明日にも遺跡のある無人島に到着できるだろう。
 レオンは船尾楼の端に足を投げ出して腰掛け、一心になにかの本を読んでいた。レナはそれを見ると瞳を細め微笑して、少年の傍に歩み寄った。
 隣に座ってもレオンは横目で彼女をチラッと見ただけで、すぐに視線を本に戻してしまう。変な沈黙がひとしきり続いた。
「レオンって、本を読むのが好きなのね」
 ようやくレナが話しかけてみた。
「なにを読んでいるの?」
「『位相空間における紋章力の発生と運動の推移』」
 レオンは本から目を離さずにぼそりと応える。レナもそれきり何も言えなくなってしまった。
 なんとか会話を続けようと苦し紛れに。
「難しい本なのね」
「簡単だよ」
「そ、そう……」
 余計に状況が悪化してしまった。
 レオンはうるさそうにレナを見る。
「なんでそんなにボクに構うんだよ。放っといてよ」
「うん……。でも、こんなにいい天気だと、お話ししたくなるじゃない?」
「天気で感情が左右されるなんて、単純なんだね」
 吐き捨てるようにそう言うレオンに、レナはきょとんとした。
 少年は本を閉じると甲板に飛び降りて、船室へと歩いていった。船尾楼にひとり、取り残されたレナ。
「レナ」
 クロードが船縁からやってきて声をかけた。
「またレオンにふられたね」
「ふられたって、なによ、それ」
 レナも甲板に降り立つ。
「あいつには何を言っても無駄だよ。僕らのことはまるで相手にしない」
「わからない、クロード?」
 首を傾げるクロードに、レナは言う。
「あの子、すごく寂しい目をしているの」
 そうして、船室へと小走りに駆けていく。クロードはその背中を見遣ってから、そっとため息をついた。
 帆柱《マスト》を見上げると、見張り台の船乗りが呑気に居眠りをしていた。雲の切れ目から強い日射しが甲板を照らしつける。いたって穏やかな、船旅だった。



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【ひとくち解説】
 レオン登場です。当時は掲示板で盛り上がってたなァ。
 最初はとにかく生意気さを前面に押し出して書いてみました。次回見せる「素顔」との落差をもたせるのが目的です。
 しかし、この話は完全にレオンがメインになってますな。レナ編でのレオンの登場は限られているので、ここに全霊をかけて執筆しました。これを書くためにノベライズを始めたと言っても過言ではないかもしれません。……偉そうに言い切ることじゃないけど(;´Д`)
posted by むささび at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2