2008年08月28日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第五章(2)

   2 想う 〜リンガの聖地〜

 前方からブラックハウンドが紅き弾丸となって飛びかかってきた。オペラは錘《おもり》のついた銃の先端で襲いかかる猛獣を殴りつけ突き飛ばす。そのうちに巨大な卵のような体形をしたキラーラビが、身軽に跳びはねてこちらへ躙《にじ》り寄ってくる。狙いを定めて銃を構えるオペラ。第三の目が大きく見開かれる。
「フレイムランチャー!」
 勢いよく放たれた焔《ほのお》の帯はごうと音を立てて、起き上がろうとするブラックハウンドもろとも魔物どもを焼きつくした。
 残り火を上げる黒焦げの骸を眺めやると、大きく息をつく。そうして、背後を振り返った。
「ねえ、まだ見つからないの?」
 オペラの視線の先では、クロードとレナとセリーヌが道の脇にしゃがみ込んで分厚い薬草書を広げ、足許の草と照らし合わせている。
「これはどう?」
「ん? ああ、これはさっき調べた」
「『リンガウコギ』ウコギ科の一年草。葉は3〜5片の掌状複葉。若葉は食用。根は薬用で、潰瘍や皮膚病の他、肥満にも効用がある。……へぇ」
「セリーヌさん、感心してないで他のも調べてくださいよ」
「これは? かなり珍しいと思うけど」
「うーん……あ、駄目だ。『シャドウフラウア』ここに載ってる」
 オペラは重ねて深々と吐息を洩らした。
 洞窟の内部は入り口からは想像もつかないほど広大で、奥へ進むに従ってさらに広まっていくように思えた。この風穴は完全に密閉されているわけではなく、天井や壁に積み重なる岩の隙間からは、陽の光が薄衣の幕のように射し込んでいた。このわずかな明かりを頼りにして、植物たちは細々と生きながらえているのだ。
 リンガの聖地は薬草のみならず、鉱物の宝庫でもあった。岩に含まれる多量の鉱石が洞内をさまざまな色彩で充たして、ある種神秘的な空間を作りあげていた。
 入口付近で目につくのは石灰岩で、その成分である方解石が鉄を多く含んでいるため、黄色がかった褐色をしていた。地面にまで伸びて天然の柱となった鍾乳石の間を通り抜けると、やがて鮮やかな緑色が目立つようになる。道端や壁にはぎっしりと緑鉛鉱の結晶が浮き出ていた。一部の壁にはくすんだ緋色の岩も見られたが、これは鉛が熱によって変質したものであった。さらに進むと再び鍾乳石の柱が現れ、道から少し外れた場所にはまた緑色が──しかしこれは鉱物ではなく、床一面に群生する叢草《むらくさ》だった。丈は低く、遠目からは岩にこびりついた苔のようにも見えた。
 彼らはその場で薬草を片っ端から調べ上げているのだが、作業は遅々としてろくに捗《はかど》っていない。そもそも薬草にはまったくの素人四人組である。それらしい草を採ってきては薬草書の図と照らし合わせて、見つかればまた別の草を捜す。植物の系統や種類など判別できるはずもなく、ただひたすら図を頼りに調べていくより他ないのだ。
 ずぶの素人がいきなり新種を見つけてしまえるほど、世の中は甘くない。彼らはそれを身をもって思い知ることになった。
 結局彼らはその場を諦めて、もう少し奥へと進んでみることにした。鍾乳石の柱が続く道をしばらく歩いていくと、ある所から洞内の様相が一変した。
 急に通路が狭くなり、岩という岩が怪しげな紫色に発色している。彼らの顔や服もすべてが紫に染まり、互いの姿がまるで亡霊のように浮かび上がった。
「どうなってるの、ここ?」
 オペラがしきりに辺りを見回して気味悪がっている。その隣でセリーヌは興味津々に顔を岩に近づけていた。
「この色は……青金石《ラピス‐ラズリ》ではなさそうですわね。……ひょっとして、ガーネット?」
「ガーネットって宝石の、ですか?」
 レナが首を傾げた。
「お店で見たのは確か、赤色だったような……」
「宝石として出回っているのは赤ですけど、本当はいろんな色があるんですのよ。素晴らしいわ、こんなに綺麗な色のガーネットがあったなんて」
「ねぇみんな、向こうに」
 クロードが前方を指さした。
 先にはちょっとした部屋のような空間があり、道はそこで途切れていた。天井の岩盤には大きく亀裂が走り、そこから眩いばかりの光が射し込んでいる。その光を受けて、地面には多くの植物が自生していた。よく映える藍色の花が一面に咲き乱れる光景は、さながら藍と緑の絨毯であった。
「ここが、洞窟の一番奥なのかしら」
「そうみたいですわね」
 四人は絨毯の上に立った。
「全部同じ種類なのね、ここの草」
 レナが周囲を一望して言った。
「手間が省けて助かるよ」
 クロードはその場に座り込むと、薬草書を広げて照合を始める。
 そのとき、クロードの背後の岩陰から何かしらの物体がもぞもぞと蠢《うごめ》いて、彼に近づいていた。本人はおろか他の三人も、花を眺めたり横から本を覗いたりしていて気づかない。
 レナがふと草から目を逸らしてクロードの方を向いたときには、既に赤茶色の物体は彼の背中で大きく膨れ上がっていた。
「クロード!」
 レナが鋭い声で叫んで、ようやくクロードは背後を振り返った。目の前に見上げるばかりの、うつろな穴。それが何かの口であると理解したのは、そのあとだった。
「う……わあぁっ!」
 赤茶の大口は容赦なくクロードの上に覆いかぶさり、そのまま呑み込んでしまった。悲鳴の最後の方はその物体の中でこもって聞こえた。
「あ……」
「どうしたの?」
 その場を離れていたオペラもようやくそれに気づいた。人ひとり分だけ大きくなった物体は、臓物のごとき躯でのろのろと周囲を這いずりまわっている。
「大変、助けなきゃ」
「しょうがないわね……」
 オペラは銃口を物体に向けたが。
「ち、ちょっと待って!」
 レナが慌ててそれを制する。
「中にはクロードがいるんですよ。そんなもので吹き飛ばしちゃまずいですよ」
「なら、私がイラプションで」
「蒸し焼きにする気ですか」
「それじゃあ、どうしようもないじゃない」
 三人は黙り込んでしまった。かの魔物は満腹で機嫌が良いのか、緑の絨毯の上を奔放に動き回っている。
「ああもう、早くしないと消化されちゃいますよ」
「そろそろ溶けかかっているんじゃないの」
「レナの剣で、うまく魔物だけを刺してみるってのは」
「『うまく』って、どうやるんですか」
「外から強い衝撃を与えてやれば、吐き出すんじゃないかしら」
「衝撃?」
「叩くなり蹴飛ばすなりして……でも、私は嫌ですわよ。あんなゲテモノに触るなんて」
「あたしもちょっと遠慮したいわね」
「…………」
 再び沈黙。もはや手段を選んでいる暇はない。
「もうっ!」
 レナが意を決して駆け出していった。魔物の背後に回り込むと、思いきり尾の部分を蹴りつける。魔物は一瞬ビクッと全身を引き攣《つ》らせたが、すぐにまた何事もなかったように動き出す。そこでもう一度、二度と、続けざまに何度も蹴った。さしもの魔物も弱り始め、衝撃にも反応が見られなくなった頃、ようやくその大口から大量の胃液とともにクロードが吐き出された。
 レナは緑の絨毯に転がり込む金髪の若者を認めると、すかさず腰の剣を抜き放って、ひと思いに魔物を突き刺した。魔物は躯を捩《よじ》らせ激しく痙攣していたが、やがて動かなくなる。
 剣から手を離して、脱力したように足を投げ出して座り込むと、レナはその様子を茫然と眺めていた。それから両手を背後の地面につけて上気した顔で天井を見上げ、苦しそうに息をきらす。
 視線の先では、岩盤の亀裂から射し込む光が眩しく彼女を照らしあげていた。あたかも舞台を演出する照明《スポットライト》のように。
 そう考えると、なぜだか急に可笑しくなってきた。上を向いて、岩の隙間から臨める青空を見ながら、堪えきれずに笑いだした。
「レナ……?」
 クロードが歩み寄って呼びかけると、レナもやっと気づいて立ち上がる。
「クロード、大丈夫だった?」
「うん、なんとか……まだ頭はクラクラするけど」
 胃液で汚れた上着を脱ぎながら、クロードが言った。そこへセリーヌとオペラもやってきて。
「クロード、お願いですから戻ったら、体洗ってくださいね」
「それにしても、すごい剣幕だったわねぇ、レナ。見直したわ」
 意地悪くそう言うオペラに、レナはしかめっ面をしてみせた。
「へ? なに、どうかしたの?」
 その様子を見ていたクロードが狼狽した。
「なんでもないの。それより、この草を調べなきゃ」
「そういえば、本はどこ?」
「クロードが持っていたんじゃありませんの?」
「いや、だから僕は、そこに置いて……」
 示した先には、例の魔物が横たわっていた。
「もしかして……」
「一緒に呑み込まれちゃった?」
「どうするのよ」
 四人は顔を見合わせて、それからまた魔物の方を向く。さすがにあの腹を割いて本を取り出そうと提言するものは、誰もいなかった。


「おぅ、無事に帰ってきたか」
 扉を開けて中に入ると、カウンターのボーマンが出迎えた。
「で、どうだった、首尾は?」
「あの、それが……」
 言い淀むクロードに、ボーマンは片方の眉をつり上げる。
「駄目だったのか?」
「いえ、薬草は採ってきました。けど……」
「本を、魔物に呑み込まれてしまいましたの。だから、この草が新種かどうかは調べていないんですのよ」
「ほう。まぁいいや、そいつを見せてみな」
 セリーヌは袋から藍色の花をつけた草を取りだして、ボーマンに手渡した。
「へぇ。こりゃクラリセージだな」
「と、いうことは……」
「新種じゃない。でも珍しいな。そう簡単には手に入らねぇぜ」
 言いながら、ボーマンは奥の階段へと歩いていく。
「おい、ニーネ」
 階段の下から妻を呼ぶと、ニーネがゆっくりと下りてきた。
「どうかしましたか」
「ちっと出かけてくるから、店番頼むわ」
「はいはい、行ってらっしゃいな」
「あの……」
 クロードがおずおずと声をかけた。ボーマンはこちらを振り返って。
「俺がキースの家へ行ってやるよ。ほれ、行こうぜ」
「いいんですか? 新種じゃなかったのに」
「別に構わねぇよ。端《はな》から新種なんて期待しちゃいねぇさ。ま、見つかれば儲けモンだったがな」
「だったら最初からそう言いなさいよ」
 オペラが愚痴っぽく呟いた。結局のところ、この男に振り回されただけであった。そう思うと、他の者も徒労を隠せない。疲れがどっと涌いて出てきたようだった。

 黒檜《くろべ》の扉をボーマンは無遠慮に押し開ける。すると床に積み上げてあった本が扉にぶつかり、崩れて周囲に散らばった。
「おい、そこ、散らかすな」
 部屋の奥から鋭い言葉が飛び込んできた。
「散らかすなって、お前、ドアの前に物を置いておくのが悪いんだろ」
「なんだ、ボーマンか」
 男は青白い顔をこちらに向けた。伸び放題の黒髪は掻き毟《むし》った後のように乱れ、目の下にはくっきりと隈《くま》が浮いていた。
「ここは俺の部屋だ。どこに何を置こうが俺の勝手だ」
「にしてもひどすぎるぜ。たまには部屋の片づけくらいしろよ」
 部屋一面を埋めつくす書物を跨《また》ぎながら、ボーマンはどうにか奥へと進んでいく。
「帰れ。お前のくだらん話につきあっている暇はない」
 キース・クラスナは、横に立ったボーマンを無視して再び机に向かった。
「そう言うなよ。お前さんに会いたがっている奴がいるんだ」
 ボーマンはここから急に小声になって。
「可愛い女の子がさ、どーしても会わせろって聞かないから、連れてきたんだよ」
「俺をからかっているのか」
 横目で睨みつけるキースにも構わず、ボーマンは入口の前で立ちつくしている四人を呼んだ。
 全員は入れそうになかったので、代表としてクロードが前に進み出た。キースの刃物のような視線が彼に注がれる。
「男じゃないか」
「後ろに女の子もいるだろ」
「なんでもいい。とっとと用件を言え」
 促されて、クロードは緊張した面持ちで話し始める。
「あの、実はクロス洞穴の最深部で発見した古文書の解読を依頼したいのですが」
「クロス洞穴」
「ええ、見つけたはいいのですけど、さっぱり読めませんのよ」
 クロードの背後からセリーヌが言った。
「言語学の権威たる貴方なら解読できるのではないかと思いまして」
「権威はやめてくれ。柄でもない。で、その古文書は?」
 クロードはセリーヌから古びた本を受け取り、さらにそれをキースに渡した。
 キースは本を開いて、しばらく厳しい表情でそれに目を通していたが。
「……クロス洞穴の奥と言ったな」
「ええ」
「古の一族が一般的に使っていたのは古代ラバヌ紋字だ。これはおそらくその類型だろうが、配置が大きく異なる。弁別素性《べんべつそしょう》に関してもいくらか違いがありそうだ。……こりゃ面白い。下手すりゃ歴史的発見だぜ」
「解読できそうですの?」
「……少し時間がかかりそうだな。しばらく預からせてくれないか」
「ええ、是非ともお願いしますわ」
「おいキース、国からの研究とやらはいいのかよ」
「ああ、あんなもの適当に結論をつけて送り返しておくさ。どのみちアテははずれだ。あの書物はソーサリーグローブと何の関係もない」
 そう言うキースの顔にはいくらか生気が戻っていた。爛々と輝く瞳でクロードを見返すその表情は、先程までの彼とはまるで別人だった。
「いや、色々すまなかったな。研究が思うようにはかどらなくて気が立っていたんだ。いいもんに出会えた。礼を言うよ」
 そこまで言うと、ボーマンが横から彼の肩をつついた。
「俺にもなんか言うことがあるんじゃないのかな」
「ああ、そうだな」
 と、キースは扉の前の床を指さして。
「散らかした本、ちゃんと元に戻しておけよ」
「……はーい」
 反省するように項垂れるボーマンに、クロードたちは思わず吹き出してしまった。


 窓枠の向こうに見える夜空には、卵のような月が浮かんで皓々《こうこう》と街を照らしていた。闇は地表に沈んで澱み、家々の輪郭だけが白くぼんやり浮かび上がっている。
 四人はボーマンの好意で彼の家へと招かれた。ニーネの心づくしの手料理が振る舞われ、今は店の二階にある居間でくつろいでいた。
 クロードの横で、レナは眠っている。ソファに頭を半ば埋《うず》め、安らかに寝息を立てて。クロードは横目でチラリとその様子を覗き込んでみる。起きているときには見せることのない、あどけない表情に彼の胸は大きく揺さぶられた。
「こうしていると、やっぱりまだ子供ね」
 机をはさんで反対側に座っていたオペラも、レナの寝顔を見て言った。
「クロード、この子にいろいろ無理させてるんじゃない? なんだかんだ言っても女の子なんだから、大切にしてあげなきゃダメよ」
「……僕には、何もできませんよ」
 机の上の一点を見つめながら、クロードが言う。
「僕の方が助けてもらってばかりで……。レナが傷ついたり、困っていたり、落ち込んだりしていても、僕は何もできなかった。……情けないけど、僕にはどうすることもできない。無力ですよ」
「そんなことはありませんよ」
 振り向くと、ニーネが湯気の立つカップを載せた盆を持ってこちらへ歩いてきた。
「お茶、いかがです?」
「どうぞお構いなく。……あら、いい香り。ハーブティーですわね」
「ええ。薬屋だけにこういうのには欠きませんから」
 ニーネはカップを机に置きながら、クロードに言う。
「レナさんは、決してあなたをそんなふうには思っていないわ。心強く思うこそすれ、無力だなんて」
「どうして、そんなことがわかるんですか」
 決して責めるつもりで言ったわけではなかった。だが、焦りから知らずと苛立ちが口調に表れてしまう。
 ニーネはそんなクロードにも優しく微笑んで、それからレナに視線を移した。
「レナさんの今の顔が、なによりの証拠ですよ。あなたがそばにいるから、彼女も安心して眠ることができる。違いますか?」
 桜の花弁のごとき瞼《まぶた》を閉じて、レナは相変わらず眠っている。
 机の手前に立ったまま、ニーネが続けた。
「ひとはね、ひとりじゃとても弱い存在なの。互いに支えあってこそ、初めてひとは強くなれる。レナさんの強さはあなたの強さでもあるのよ。……じきにわかるときが来るわ。レナさんがあなたを支えているように、あなたも彼女を支えているんだってことが」
「ニーネさんたちも、そうだったんですか?」
 オペラが訊くと、ニーネはくすくすと笑って。
「ええ、そうね。ほら、あのひとってああいう性格でしょ。冗談は言うことがあっても、優しい言葉なんてなにひとつかけてくれない。でも、なんとなくわかるの。この人は私のことを想ってくれているんだなって。照れ屋だから、言葉や行動では表さないけど、想いは痛いほど伝わってきたわ」
「おぅ、ニーネ」
 と、噂のボーマンが階段を上ってやってきた。風呂上がりらしく、首にタオルを巻いている以外は見事に下着一丁だった。
「俺は先に寝るからな。あとは頼むよ」
「あなた、お客さんの前なんだから、なにか着けてくださいな」
「しょうがねぇだろ。別に顔出すつもりはなかったけど、風呂場から寝床へ行くにはここを通らにゃならんのだから。……お、それでは皆の衆、明日からよろしくな」
 そう言うと、さっさと階段を上っていってしまった。
 ボーマンは、先刻の夕食の席でクロードたちがソーサリーグローブを調査していることを知ってから、自分も同行すると言ってきかないのだ。
「ホントについてくる気なのかしら……」
「ニーネさん、いいんですか?」
「そうね、ちょっとは淋しいかな」
 ニーネは今は柔らかな微笑を浮かべている。彼女の表情から笑顔が消えることはほとんどなかった。
「でも、私が好きになったのは、あのひとのなにものにもとらわれない生き方だから。黙って見送ることが、あのひとのためであり、私のためでもあるの」
 そこまで言うと、ニーネは盆を持ってクロードの背後に回り込み、耳許に囁きかける。
「大切にするってことはね、なにも身を挺《てい》して守ったり、励ましたりすることばかりじゃないの。そのひとのことを想ってみる。それだけでも相手は必ず気づいてくれるわ」
 身じろぎもせず黙ったままのクロードを残して、ニーネは階段を下りていった。
「さて、と、わたくしたちもそろそろ休みませんこと?」
 セリーヌがカップを置いて立ち上がった。
「レナ、風邪ひくわよ」
 オペラはレナの肩を揺すって起こそうとしたが、まったく目覚める気配がない。
「いいよ、僕が背負っていく」
 クロードはレナの身体を抱き起こして背中に担ぐと、階段へと歩いていった。
 セリーヌとオペラは初め、目を丸くしてその様子を眺めていたが、上下に揺れる黄金《きん》と青の髪がランプの明かりに照らし出される頃には、互いに口許を緩ませて笑っていた。


「あ〜た〜らし〜い〜あ〜さがっきた♪ き〜ぼ〜おの〜あ〜さ〜が♪ っと」
 店の前にニーネとレナたちが集まっているところへ、ボーマンがけたたましい歌声とともに二階の扉から出てきた。
「おぅ、諸君。準備はOKかい?」
「ボーマンさん、本当にいいんですか?」
 レナが念を押すように訊いた。
「旅に出たらしばらくは戻ってこられないし、危険な目に遭うかもしれないんですよ」
「そんなことはとっくに承知してるさ。これでも俺は体術には自信あるんだよ。信頼と実績二十七年のボーマン様に任せなさい」
 そこまで言うと、ボーマンはニーネに向き直る。
「すまないな。必ず戻ってくるから」
「あら、なにを謝っているの。あなたらしくもない」
 ニーネの言葉にボーマンは頭を掻きながら。
「いや、その、なんだ……まぁ、なんつーか、そういうことだ! 行ってくる」
「はいはい、気をつけてくださいね」
 ニーネは平然としたものだが、他の者は笑いを堪《こら》えるのに必死だった。
「ほれ、出発すっぞ!」
 照れくさいのを誤魔化すように、ボーマンはひとりで街の門に向かって歩き出した。
「じゃあ、僕たちも……」
「皆さん」
 歩きかけた四人をニーネが呼び止めた。
「主人を、よろしくお願いしますね」
 その言葉に対して、彼らはもはや笑顔で応えるしかなかった。



--
【ひとくち解説】
 洞窟を書く際の参考資料として鉱物図鑑を買ったんですが、これが意外に面白くて軽くハマりました。で、その結果、鉱物に関する記述が異様に詳しくなってしまった(;´Д`) 堀秀道さんの『楽しい鉱物図鑑』。もしかしたら絶版になっているかもしれないけど、おすすめです。
posted by むささび at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年08月21日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第五章(1)

第五章 探求


   1 或る憧憬 〜リンガ〜

 彼女は、キャンパスの中に立っていた。目の前に厳然と佇む建物に、瞳を爛々と輝かせて。
 藍鼠色の壁を整飾するように一列に並んだ窓は、中心から外枠へ歪曲しながら三方に伸びる金属の格子が填め込まれている。屋根は目にも鮮やかな縹《はなだ》色で、それがあたかも蒼天に溶け込んでいく様にも映った。
 大陸唯一の大学、ラクールアカデミーの校舎を前にして、レナの胸は次第に熱くなっていた。校舎は一見すると古びて色褪せ、輪奐《りんかん》の美というものには程遠い。ともするとみすぼらしい印象を抱く者も少なくなかったろう。だが彼女にとっては、硝子窓のひび割れも、土壁の黒ずんだ染みも、屋根の縁の欠けたのさえも、この上なく愛おしいものに思えてならなかった。
 クロスから再度ラクールへ渡った一行は、城で報告を済ませると一路、南西のリンガへと向かった。王は未だ、魔物側との睨み合いが続いている前線基地に滞在したまま数日は戻らない。そこでセリーヌの提案により、先にクロス洞穴で見つけた古文書の解読を依頼することになったのだ。このラクールアカデミーが象徴するように、リンガは学者の街として知られている。
 ところが。
「先生は忙しいんです。お引き取りください」
 高名な言語学者だという人物を訪ねて家までやってきたが、この一言を前にしてあっさり追い返されてしまった。
 なんとか言語学者と面会を果たしたい一行は、ひとまず街で情報を集めることにした。もし彼の知人が見つかればそれを伝《つて》に接触を、という心算もあった。手分けして捜した方が早いだろうということで、四人はそれぞれ街に散ったのだった。
 そうして、レナはひとり、キャンパスの中に立っていた。行き交う学生たちは、道の真ん中に突っ立って一心に校舎を見つめる少女に面妖な眼差しを投げかけ、あるいは辟易《へきえき》して首を捻ったり、くすくすと笑いながら囁き合う集団もいたが、当の本人はまるで気づいていない。
 少女は、この建物の中で過ごす自分の姿を幾度となく想い描いてきた。自然の理、社会の成り立ちと仕組み、めくるめく数字のパズル、心躍らせる神話や伝承──その中にはもちろん光の勇者の話もあったが──幼い頃から何でも興味を示しては父や母に教えを請うた少女は、ものを知ること、学ぶことの楽しさを知っていた。そうして、いつしか父親から聞いた大学というものに憧れるようになる。もっといろんなことを知りたい。みんなと一緒にたくさんのことを学びたい。片田舎の村娘には畢竟《ひっきょう》叶わぬ徒夢《あだゆめ》だと知ったときには、一晩を泣き明かしたものだった。
 自分は今、夢の舞台に立っている。とうの昔に諦め、忘れ果てたはずの。その思いが、彼女の胸を熱くしていた。
「ちょいと、そこの学生さん」
 横から呼びかける声がして、ようやく我に返った。
「え」
「学生さんでしょ?」
 レナに親しげに声をかけてきたのは、大きな鞄を肩に提げた商人風の男。筒型の帽子からはみ出た焦茶の髪はぼさぼさで、耳の下から顎までを覆う頬髯がいかにも怪しい。
「いい本があるんだけど買わない? 生物学に薬草学、精神学から文法論まで何でも揃ってるよ。これを読めば次の試験はバッチリ!」
「あ、いや、その……すみません」
 きまりが悪くなって、レナは商人の横を通り抜けてその場を離れた。
 向かった先には、大学の付属図書館があった。

 扉を開けると、目の前に窈然《ようぜん》とした空間が広がった。古木の梁を幾重にも渡した天井は見上げると身体がそり返るほど高く、反対側の壁も霞んで判別できない。明かりは奥の壁のステンドグラスから射し込む光のみで、広大な建物の光源としては不足していた。天井には城のものと見紛うほどのシャンデリアが釣り下がっていたが、最後に灯が点《とも》されたのはいつだったのやら、カットグラスの間には埃を被って太くなった蜘蛛の糸が垂れ下がっていた。
 レナが目を見張ったのは、壁という壁を埋めつくした浩瀚《こうかん》の書物。居丈高に並べられた棚は遙か天井を突き破らんとするほど。傍らにはこれまた長い雁木梯子が立てかけてあり、高い段の書物はそれを登って取りに行くらしいが、足場の摩耗して痩せている様がいかにも心許なく、たとえ用があっても自分は登るまいと思った。
 机の上に高々と資料を積み上げた横で羽根ペンを走らせている黒縁眼鏡の研究生やら、目に隈をつくりながらも書物とにらめっこしてはぶつぶつと呟いている学生やらを、物珍しげに歩きながら見ていたレナだったが、ふと近くの書棚の前で立ち止まった。
 棚にはまだ真新しい装丁のものから黄ばんで色の抜け落ちたもの、中には厚手の表紙がまるごと消失したらしく、代わりに薄っぺらな紙を貼りつけて背表紙に書名を殴り書きしたものまでが雑然と並べられていた。手書きの題名《タイトル》は汚い字で読みづらかったが、「チクリー・ヤガッタ・ダーレガ著『種の根源』」と、かろうじて判読できた。
 背表紙に書かれた題名を順に目で追っていくレナ。そこに並んでいる本の大部分が、自分にはとうてい理解できる内容でないことはわかっていた。だが彼女は、こうして小難しい本の前で何かを探すという行為そのものを楽しんでいたのだ。かつて思い描いていた自分の姿を、そこに重ね合わせて。
 視線を下から上の段へ移すと、一冊の本の題名が目に留まった。
『希少動物の生態と習性3 バーニィ編』
 知っている言葉が出てきて思わずその本に手を伸ばしたが、棚が高すぎて届かなかった。ここまでして諦めるのもなんだか悔しかったので、爪先立ちして精一杯腕を伸ばしたが、本の置いてある底板に触れるのがやっとだった。
 そのとき、レナの背後から別の手が伸びて、目当ての本を取りだした。振り返ると、眼前に男の顔があった。
「この本でよかったのかな?」
 男は微かに笑みを浮かべながら本をレナに手渡す。レナは受け取ったあともしばらく呆気にとられていたが。
「あっ、はい……ありがとうございました」
 慌てて言うと、恥ずかしさに俯いてしまった。むきになって本を取ろうとしていたのを見られていたのだろう。
 男はそんな彼女に構いもせずに、訊ねる。
「君、見かけない顔だね。一年生かい?」
「あの、違うんです、私……」
「ここの学生じゃないの?」
 レナは地面を見つめたまま頷くと、しどろもどろに話し始めた。
「その、私はアーリアから旅をしてきて……大学に入るの、夢だったんです。もっともっとたくさんのことを勉強できたらいいなって、ずっと思ってたんです。今考えたら、ばかな夢ですけど……でも、ここに来たら、やっぱり昔の気持ちに戻っちゃって……」
「ふ……ん。大学が夢、ねぇ……」
 男は何と無しにレナを見たまま戯《おど》けるように口をすぼめていたが、不意にニッと笑って本を彼女から素早く取り上げると、元の書棚へと戻した。
「あ、あの……」
「本なんて後でいくらでも読めるよ、お嬢さん……おっと失礼」
 急に格式張って、右手でレナの手を持ち上げると気障な口調で言う。
「挨拶が遅れた非礼をお詫びいたします。それがしはこの街のけちな薬屋ボーマン・ジーンと申すものでございます。この度はこのような見目麗しきご令嬢にお会いでき、まことに光栄感佩《かんぱい》この上なく」
「……え?」
 狐につままれたような表情で見つめ返すレナに、男はがくりと肩を落として。
「やっぱり似合わねぇか。似合わねぇよなぁ……」
 手を下ろし、嘆息混じりに振り返って歩き出す。そのまま立ち去るのかと思いきや、不意に振り返ると、口許をつり上げて彼女にこう言った。
「ついて来な。大学を案内してやるよ」

 ボーマン・ジーンは一見すると風采の上がらない生男《きおとこ》であった。
 褐色の短めの髪は寝癖で後頭部の左側の部分だけが乱れて逆立っていたし、深緑色のチョッキの下に着込んだ白いシャツは襟元を留めるボタンが外れており、ネクタイもだらしなく緩められて垂れ下がっていた。よれよれの白衣を靡かせて歩いていく彼に、通りかかった学生が「先生」と呼ぶのを聞いたときには、レナは思わず目を丸くして彼を見た。
「一応、ここの講師もやってるんだ。非常勤だけどな」
 彼女の表情に気づいて、ボーマンが説明した。それ以降、レナの彼を見る目が一転して敬慕の眼差しになったのは、素直というべきか単純というべきか。
 大学の廊下をふたりで並んで歩いた。長衣に身を包んだ学生が通りかかるたびにレナは気恥ずかしくなって、いちいち下を向いて通り過ぎるのを待っていた。
「ちょっと待ってな」
 とある教室の扉の前で立ち止まったボーマンが、扉を開けて中を覗き込む。そしてすぐに首を引っ込めると、レナに向けて手を振った。中に入れという合図らしい。
「え、でも……」
「静かにしてりゃ誰もなんも言やしないから、大丈夫だよ」
 そう言って、ボーマンはさっさと教室へ入ってしまう。仕方なくレナも畏まりつつ足を踏み入れる。
「……従って、錬金術の窮極の目的は金を創出せしめることではなく、賢者の石を得ることにある」
 教壇に立った教授の声が飛び込んできた。ずらりと並んだ長椅子の所々には講義を受ける学生の姿があったが、思っていたよりも人数は多くない。
 ボーマンとレナは一番後ろの席に座った。周囲を気にしながら腰を下ろすと椅子が軋んでいささか取り乱してしまったが、しばらく前を向いて静かにしていると、気分も落ち着いてきた。
「……では次に、賢者の石の具体的な作成方法について……」
「錬金術ですか?」
 レナが小声でボーマンに訊いた。
「そうだよ。詳しいのかい?」
「いえ、ちょっと話に聞いただけで……」
 また俯きかけてしまうレナを、ボーマンは無雑作に頭を掻きながら見ていた。
「……これの代表的なものが硫黄‐水銀理論であり、対立する二種の物質、いわゆる哲学的硫黄と哲学的水銀、それにこの両者の間に塩と呼ばれる中間物質が存在するという見解があるが、これは無視しても差し支えないだろう。すなわち……」
「あのう、全然わからないんですが……」
「だろうな。俺も全然わからねぇ」
 腕を組んだままあっさりと言い放った。
「でも、なんとなく雰囲気はつかめるだろ。大学で講義を受けるってことの、さ」
「はい」
「幻滅した?」
「いえ、やっぱりいいなって思いました」
 怪訝そうに眉を聳《そび》やかすボーマン。レナは目を細めて前方に向けた。
「うらやましいです。こんな難しい話もちゃんと聞き取って、理解できるひとたちが。私もこんなふうになれたらいいなって、思ったんです」
「……硫黄と水銀は現存する物質とは異なり、万物の原理とも言うべき存在である。然らば硫黄は土であり、火であり、男性であるのに対し、水銀は水であり、空気であり、女性ということになる……」
「そいつは、かいかぶりってやつだな」
 少しく間を置いて、ボーマンが口を開いた。
「よく見てみな。居眠りこいたりお喋りしたり、ぼーっと他事を考えているような学生があちこちにいるだろ。ここにいる奴らがみんな講義を聞いて理解しているわけじゃないってことさ。しょせん親のスネかじって大学に来ているような連中だ。純粋に知識を求めているような学生なんて、ほんの一握りのものなんだよ」
「そう……なんですか」
「……まずは、採取した第一原質を錬金炉《アタノール》へ……」
「それでも、大学へ行きたいと思うかい?」
「はい」
 あっけらかんと応えるレナに拍子抜けしたのか、ボーマンは目をぱちくりさせ、それから机に額をぶつけてくつくつと笑いだした。
「どうしたんですか?」
「ああ、なんでもないよ」
「……黒化《ニグレド》から白化《アルベド》、さらに赤化《ルベド》の過程を経て……」
「なぁ、レナ」
 ようやく笑いが治まり、ボーマンは頭を起こして腕組みをすると、言った。
「夢を叶えてみる気はないか」
「え?」
「学費の足りない分は俺が出す。通えないのだったらウチを下宿にすればいい。大学に入ってみなよ」
「そんな、いきなり……どうしたんですか。会ったばかりなのに……」
「そうさな、一言でいえば、惚れた」
 レナが火のついたように真っ赤になる。ボーマンはそれを可笑しいように眺め入りながら。
「君の可能性を試してみたくなった。俺はパトロンとしちゃ少々頼りないかもしれんが、コネクションだってないわけじゃない。君が本当に行きたいって言うのなら、いくらでも力を貸すよ。とにかく、気に入ったんだ」
「なんだ……惚れたって、そういうことですか」
「がっかりした?」
「安心しましたっ」
「つれないねぇ」
 ボーマンが笑った。
「……以上が、賢者の石の作成法の簡単な説明である。来週はさらに詳しく……」
「講義も終わりだな。そろそろおいとまするか」
「あ、いけない」
 と、レナが突然声をあげた。
「私、言語学者の知り合いを捜しているんだった。どうしよう、もうこんな時間だ……」
「言語学者?」
「ええ、キース・クラスナっていう」
「キースか。あいつに何の用なんだ?」
 レナは驚いてボーマンを見た。
「キースさんを知ってるんですか?」
 ボーマンは表情ひとつ変えずに、わずかに首を傾げた。


 薄暗い店内の棚には、粉や液体の詰まった瓶が雑然と並べられていた。奥の一角には乾燥させた薬草と茸が山ほど積まれている。街の薬屋というよりは、怪しいアイテムを売っている闇の道具屋といった雰囲気だ。
(あの茸、薬に使っているのかしら)
 やたらと毒々しい色を放つ茸を見て、レナは思った。
『ジーン・メディシン・ホーム』──通称ボーマン薬局に、一行は集まっていた。そこには店主ボーマンと、彼の妻ニーネの姿があった。
「……話は大体わかった」
 カウンターの前の椅子に腰掛けて脚を組んだまま、ボーマンが言った。
「では……」
 と、言いかけたセリーヌを制して。
「そう早まるな。まずはその古文書を見せてみろ」
 はぐらかされたセリーヌが、むっとしながらも道具袋から古びた書物を取り出し、カウンターに置いた。
 ボーマンはそれを手にとり、ぱらぱらと頁《ページ》をめくってみる。
「ふ〜ん……なるほどねぇ」
「まさか、読めるんですの!?」
 気色《けしき》ばんでカウンターに身を乗り出したセリーヌだったが。
「いーや、さっぱり読めねぇ」
 あからさまな返事にあえなく突っ伏した。
「まあ、いつもだったらすんなり紹介してやってもいいんだが……。あいにく奴は現在、国から押しつけられた研究とやらで、ひじょーに機嫌が悪い。そんなときにろくでもない依頼をしてあいつを怒らせたりしたら、俺もタダじゃ済みそうにないからな」
「わたくしたちを疑っているんですの?」
「そんなことはねぇよ。あんたがたはともかく、レナが言うんだから、たぶん本当のことなんだろう」
「なんであたしたちはともかく、なのよ」
 オペラが隣のクロードにだけ聞こえるように愚痴った。
「だが、証拠がほしい。これが本物だっていう、確実な証拠がな。……そこで」
 ボーマンが足許から何かを持ち上げて、カウンターの上にドサリと置いた。
 それは一冊の分厚い本だった。表紙に『薬草大全』とある。
「これを持って、リンガの聖地へ行くんだ」
 ボーマンが言った。
「そして、その本にない薬草を見つけてこい。そうしたらキースに会わせてやるよ」
「ちょっと待ちなさいな。薬草を見つけることがどうして証拠になるんですの?」
「クロス洞穴の奥地へ入ったのなら、あの聖地だって踏破できるはずだ。正しく言うなら、この古文書が本当にクロス洞穴から取ってきた証拠、ということになるがな」
「リンガの聖地とは?」
 クロードが訊いた。
「この街を出てすぐ東にある、薬剤師御用達の洞窟だ。あそこの鉱物が含む成分が様々な効用を持つ薬草を育てるんだ。ただ、奥地には昔っから凶暴な魔物が棲みついているから、まだ誰も最深部まで到達したことがない」
「そんな危険なところへ行けっていうの?」
「なにも一番奥まで行ってこいっていうわけじゃない。ただ、奥地には未発見レベルの薬草もあるだろうから、それを採ってくるだけでいいんだよ」
「もし、なかったら?」
「ん〜? そのときはまた、そのとき考えるさ。ほら、さっさと行った行った」
「ああ、もう、わかりましたわよ! 行けばいいんでしょ!」
 ついにセリーヌが腹に据えかねて声を荒げた。カウンターの本を両手で抱えて扉へと歩き出したが、予想以上に重かったらしく、クロードの前を通ったときに抱えていたものを無理矢理彼に押しつける。そうして振り返って、突き刺すように人差し指をボーマンに向ける。
「見てらっしゃい。その目ん玉をひんむかせて、ひっくり返るようなものを持ってきてみせますわ」
「楽しみにしてるよ」
 ニヤニヤと笑うボーマンの言葉を背に受けて、セリーヌは店を颯爽と出ていった。
「仕方ないわね……」
 オペラが大儀そうに額に手をやりながら店を出る。レナも後に続いて扉へ向かった。それを見たボーマンが。
「レナも行くのか?」
「当たり前ですよ。仲間なんだから」
「そっか……そうだよな。……おい、そこの兄ちゃん」
 彼はクロードを呼んだ。
「レナを危険な目に遭わせたら、この俺が承知しねぇぞぉ」
「わかってますよ」
 ふざけた口調のボーマンにむっとした表情で応じると、クロードは身を翻して扉の向こうへと消えていく。
 店には、ボーマンとニーネのみが残された。
「あの女の子のこと、ずいぶん気にかけてらっしゃるのね」
 誰もいない扉を見つめながら含み笑いを浮かべる夫に、ニーネが訊いてきた。
「お、なんのことだ?」
 そう惚《とぼ》けると、立ち上がって大きく伸びをする。
「私たちが出会ったのも、ちょうどあのくらいの年頃でしたね」
「それがどうしたってんだよ。なーんも関係ねぇよ」
 背中をぼりぼり掻きながら、逃げるように階段を上っていくボーマン。その姿を見てニーネが微笑む。彼女のしなやかな青い髪が、そっと揺れた。



--
【ひとくち解説】
 出ました、のっけから小難しい単語や言い回しのオンパレード。何かそういうのに凝ってた時期だったんですな。読みにくくてすんません。
 あと、このあたりはうちのサイト(ER)が賑わっていた時期でもありました。掲示板にも皆さんが小説の感想を書いてくれたりして、結構充実してましたな。もう9年前かァ……。
posted by むささび at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年08月14日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第四章(5)

   5 追う女 〜山岳宮殿〜

 壁の窪みに点々と置かれた燭台の炎に照らされ、梔子《くちなし》色の煉瓦は輪郭を揺らめかせながらも、くっきりとその形を映す。床も壁も天井も同色の砂岩で積まれていたが、年月を経て岩石が風化したのか、足許はざらつき、壁も手で触れるといくらか砂がこぼれ落ちた。
 建物の内部は、山頂近くの山肌を刳《く》り貫《ぬ》いて建造しただけに、ひどく寒かった。反面、湿気は意外なほど少なく、むしろ岩石から舞い上がる砂埃と歴史の重みとやらが織りなす堆積物とで噎《む》せ返るほど埃っぽい。この宮殿も、クロス洞穴と同様に決して良い環境とは言えない場所にある。いったい『古の一族』は何を思ってこんなものを造ったのか。思いは遙か彼方の時間《とき》の果てへと馳せては消える。
「明かりがついてる……」
 入口の門を潜って通路に足を踏み入れたレナが、開口一番に。
「ということは、中にまだ誰かがいるってことよね」
「さぁ、ちゃっちゃと行きますわよ」
 セリーヌは思いがけないトレジャーハントに頗《すこぶ》る機嫌がいい。靴音高く、ひとりで先へと進んでいく。少し遅れて、レナとクロードが並んで歩き出した。
「ねぇ、クロード」
 いくらか躊躇しながら、レナが訊いた。
「どうして、急にここへ来たいなんて言い出したの?」
 クロードは依然として口を真一文字に結んだきり、何も語ろうとしない。揺らめく黄金色の炎のせいか、前方に向けられた瞳の奥が、微かに震えているようにも感じた。
「オペラさん……あのひとを、知ってるの?」
 レナが質問の矛先を変えると、ようやくこちらを向いて、首を振った。
「いや、たぶん知らないよ。でも……確かめたいことが、あるんだ。……ごめん」
 こんなふうに曖昧に言葉を濁すクロードを、彼女はよく覚えていた。
(アーリアで初めて会ったときに戻っちゃったみたい)
 歯痒い想いに、唇を噛んだ。
 レナにしてみても、あのオペラという女性に少しは興味があった。だからクロードが山岳宮殿へ行くと言い出したときにも、さして反対はしなかった。しかしその一方で、彼とあの女性を会わせたくない、会わせてはいけないと焦心する自分が、こころのどこかに混在していたのだ。確たる理由もなく、漠然としたものではあったけれども。
 こころの中の蟠《わだかま》りは天井に張りつく緋色の塊となって、彼女の前にぼとりと落ちた。
「きゃっ!」
 それは心象ではなく、現実のものだった。ゲル状の塊は中央を隆起させて嘲笑するように左右に揺れた。スライムの亜種、フッドである。レナの悲鳴を聞きつけてか、前方からも蛞蝓《なめくじ》のような躯に大きな口と牙を持つペトロゲレルやら、鋭い牙と逆立つ青毛の尾をもったハウンドドッグやら、媚茶《こびちゃ》色の液体がそのまま動き出したようなスライムプールやらが、大挙してこちらへ向かってくるのが見えた。
「くそっ!」
 クロードはレナを庇うようにフッドとの間に立って、ギャムジーから譲り受けたシャープエッジを抜くと真っぷたつに叩き斬った。緋色の塊は形をなくし、溶けるように床に広がっていく。
 さらにクロードは跳躍して一気に魔物の群の前まで行こうとしたが。
 ゴンッ。
 頭上のことには意識がいかなかったのか、天井に脳天をぶつけてセリーヌの目前に不時着した。
「何やってるんですの?」
 呆れ返るセリーヌに弁明もできず、頭を抱えて蹲るクロード。
 そうこうしているうちにハウンドドッグがふたりに襲いかかってくる。飛びかかられる寸前でクロードは急に面《おもて》を上げ、右手を地面につけて獣の腹を蹴り上げた。真上へ突き飛ばされたハウンドドッグは落ちてきたところであえなくクロードの刃の餌食となった。
 息つく間もなく、接近してきたペトロゲレルの集団が大きな口をこちらに向けて、いっせいに牙を吐き出した。避ければ背後のセリーヌに当たってしまう。クロードはすかさず剣を前方に薙ぎ衝裂破を繰り出して迫り来る無数の牙を弾き飛ばした。
 ところが遅れて飛んできた牙が一本だけ、彼の右腕に突き刺さった。剣がからんと音を立てて地面に落ちる。
 腕を見ると、牙の刺さった部分から徐々に肌の色が失われ、硬直していく。みるみるうちに指先から肩までが鼠色に変色し、既に首筋をも蝕み始めていた。
「くっ……」
 クロードは両膝をつき、顔を苦痛の表情に歪めた。その頬も硬直しかけている。観念したように目を伏せたそのとき、左の耳に彼女の声が届いた。
「ディスペル!」
 柔らかな光が降り注ぎ、彼の身体に吸い込まれていく。からだが中から熱くなっていくのを感じた。肌に色が戻り、大量の血液が右半身に遡源《さくげん》し、駆けめぐった。
 クロードは初めてそうするように肘を動かし、それを面妖に眺めている。と、視線に気づいてレナの方を向いた。彼女は心から安堵したように顔を綻《ほころ》ばせていた。クロードは力強く見つめ返して、大きく頷いた。
 ペトロゲレルがその大口の周囲に再び牙を出現させて、吐き出そうとする。それを見たクロードはすぐに剣を拾って渠《かれ》らの前へ駆け出す。そして少しく距離を空けたところで立ち止まり、振り翳した。
「砕け散れッ!」
 気合いとともに剣を振り下ろして足許の床石に叩きつける。すると地面から爆音を発して無数の岩塊が突き出し、魔物の群を襲った。槍のような岩塊に貫かれたペトロゲレルは大部分が息絶えたが、中には躯に穴が空いてもなお動き出すものや運良くまったく無傷のものもあった。さらに、もともと動きの鈍いスライムプールも岩塊を免れて泥水のような躯で躙《にじ》り寄ってくる。興奮すると液体の温度が上昇するのだろうか、表面は煮え立ち、さかんに泡を噴出させていた。
「クロード!」
 セリーヌが叫んで合図をした。それに応じてクロードはその場を退く。見るとレナもセリーヌの横で同じように詠唱をしていた。
「スターライト!」
「ライトクロス!」
 ふたりが同時に唱えた。魔物の上で白熱する光が迸り、滝のように流れ落ちる。光に触れた魔物は瞬時にして蒸発し、黒い煙となって空気中に飛散した。気がつくとそこにはもう、なにものも存在していなかった。
「タイミングばっちりでしたね」
 レナが言うと、セリーヌも片目を瞑って笑顔を返した。

 山岳宮殿の内部は大小数多の部屋があり、通路も入り組んでいたので、闇雲に歩いていては確実に迷っていたことだろう。先に入り込んでいるオペラが点けていったと思われる通路の燭台が、唯一にして絶対の道標だった。
 いくつか部屋を抜けていった先の通路を進んでいくと、はたして前の方から女の声が響いてきた。
「あーもう、どうしてこんなに埃っぽいのかしら」
 苛立たしげに振り乱した金髪が通路の奥で艶やかに耀《かがや》いた。
「こんなところに長居してたら肌が荒れちゃうわ……体にも悪そうだし」
 そこまで言うと背後の気配に気づいたのか、急に押し黙って立ち止まった。レナたち三人も立ち止まる。
「あのー……」
 レナがおずおずと呼びかけてみる。女は背を向けたまま。
「……あたしになんか用?」
「オペラさん、ですよね」
 言うと、女が怪訝そうに振り返った。額の中心には紛れもなく第三の目が、こちらを見据えて開かれている。
「あら、あなたは確か、ヒルトンで……」
「レナです」
「どうしたの? こんなところまで来て」
 会話を遮るように、突然クロードがオペラの前に進み出る。
「ちょっと、いいですか?」
 そうして、押し遣るようにしてふたりだけで通路の奥の、壁沿いに積み上がった瓦礫の陰に隠れて、何やら小声で話を始めた。
「なんですの?」
 セリーヌが眉根を寄せる。レナも表情には出さなかったが、内心は穏やかではなかった。
「あのふたり、知り合いなんですの?」
 セリーヌが訊いてもレナはまったく応ぜず、静かに瓦礫の方へと歩いていく。肩を竦《すく》めてセリーヌもついていった。
 近づくにつれ、話し声が聞き慣れない言葉を含んだ会話となってレナの耳に入ってきた。
「……動くんですか?」
「うーん、エンジンは復旧したんだけどね。不時着したときの衝撃でメインコンピュータがイカレちゃったみたいなのよ。メカにはそこそこ自信があるけど、さすがに船はね……手に負えないわ」
「そうですか……」
 クロードは深々と溜息を洩らし、そしてレナとセリーヌがすぐ傍まで近づいてきたことに気づく。
「ふたりだけで何を話しているんですの?」
 セリーヌが言うと、クロードは困ったように頭を掻いて言葉を詰まらせる。その表情に、レナは頬を膨らませてむくれた。
「あ、えっと……」
「あら、誤解されちゃった?」
 けたけたと揶揄《やゆ》するように笑いながら、オペラ。
「残念だけど、あたしたちはそんな関係じゃないわ。だいいち、あたしには心に決めた人がいるんだから」
 そう言って、彼女は話し始めた。
「あたしの彼……エルネストは考古学者なんだけど、研究のためだって、勝手に辺境へ飛び出して行っちゃったのよ。で、あたしはそれを追いかけてきたってわけ」
「追いかけてきた? こんな所まで?」
「まぁね。それが恋ってモンでしょ」
 オペラがウインクすると、レナとセリーヌは目を丸くして顔を見合わせた。
「で、そのエルネストさんは、ここにいるんですか?」
 クロードが訊ねる。
「多分ね。ほら、これ」
 そう言って、オペラは瓦礫の山を指さした。それは壁や天井と同じ材質の砂岩らしかったが、ほとんどが黒ずんで炭と化している。
「ここは壁だったのよ。向こうに下へ降りる階段があるから、隠し通路だったのね。焦げ具合からみて、壊されたのはつい最近のことだと思うわ」
「なるほど」
「でも、ここってひとりで進むにはちょっとキツいのよね。もう疲れちゃった。……どっこいしょ」
 大儀そうに瓦礫の焦げていない箇所に腰掛けて脚を組むと、黒いドレスのスリットが大きく開けて滑《すべ》らかな太股が剥き出しになり、クロードの視線を誘った。隣でレナが恐い顔をして睨んできたので、すぐにあらぬ方角を向いたけれども。
「そうだ」
 と、オペラが再び口を開いた。
「もしよかったら、最後までつきあってくれない? 途中で見つけた宝とかは全部あげるからさ」
「え……僕は構いませんけど……」
 クロードは他のふたりを見た。レナはやはり膨れっ面のまま冷ややかな眼差しをこちらに向けて、セリーヌは意地悪く天井のどこかを見つめて考え事をしているような素振りをしている。
「なんだよ……ふたりともなんでそんなに怒ってるんだよ」
「別に怒ってなんかいませんけどぉ」
 そっぽを向いたまま、セリーヌが。
「けど、そうやってふたりでコソコソやっているのを見れば誰だって、素直に『はいそうですか』とは言えないんじゃなくて?」
「…………」
 クロードは下を向いて黙ってしまった。
「不快に思われちゃったみたいね。ま、いいわ。あたしはひとりで行くから」
 オペラは立ち上がってさっさと通路の奥へと歩いていく。
 クロードは彼女の後ろ姿を見て、それからふたりに向き直り。
「僕は行くよ。女の人をひとりでなんて行かせられない」
 きっぱり言い放つと、背を向けて彼女の後をついて行ってしまった。憮然としたようにその姿を見送るレナとセリーヌ。
「あーあ、もう……マーズのときとまったく逆になってしまいましたわね」
 セリーヌが言うと、レナは腿の横にあてた拳を握りしめて、軽く項垂れた。
「どうしますの? このまま帰っても……」
「帰れるわけ、ないじゃない」
 強気に呟いて、レナは通路の奥へと進んでいく。セリーヌもまた、その仕種が癖になってしまったかのように肩を竦《すく》めて、後に続いた。
 燭台の炎がひときわ大きく揺らめいている。風もないのに。

 階段を下りて、さらに続く通路を進んでいくと、やがて大きな広間のような部屋に出た。
「あれは?」
 部屋の中央に横たわる淡黄色の巨体に、用心しいしい近づくクロードとオペラ。
 それは巨大な蜥蜴《とかげ》のようだった。両の眼を閉じ、僅かに開かれた口から鋸の歯のような牙を覗かせて倒れている。躯の表面はぬめぬめと光る鱗に覆われ、引き締まった筋肉が横腹や四肢のつけ根のあたりに浮き出ている。脚は太く、とりわけ後脚が不釣り合いなほど発達していた。茶褐色の尻尾は胴体と同じくらいの長さだろうか、弓状に曲がって地面に投げ出されている。
 目の前まで来ても魔物はまったく動く気配がない。どうやら既に事切れているらしい。
「エルネストがやったみたいね」
 オペラは反対側に回り込んで念入りに眺めている。
「傷も焦げ痕もほとんど見あたらない。さしあたってプラズマランチャー……彼愛用のAP‐3型『ファイアフライ』の一撃ってところかしら」
「はあ……すごいもの持ってますね。完璧に違法じゃないですか……」
 クロードが呆れ半分に言う。
「ま、とりあえず奥に進んでみましょうか。エルがいるかもしれないし」
「そうですね」
 ふたりは大蜥蜴の横を通り抜けて先の通路へと消えていった。入れ替わるようにレナとセリーヌが部屋に入ってくる。
 ふたりが驚いたのはもちろん中央に横たわる魔物のこと。
「なんですの?」
「死んでるんですか?」
 セリーヌは大蜥蜴の前に立って杖で足の裏をつついてみた。
「そうみたいですわね。前のふたりがやったというわけでもないようですけど」
「じゃあ、早く先に進みましょうよ。もたもたしてたらクロードたちを見失っちゃう」
「はいはい」
 レナに急かされるようにセリーヌも通路へ向かおうと大蜥蜴に背を向けた。
 そのとき、魔物の躯がピクリと動き、尾が蛇のようにのろのろと地面を這った。それから眼《まなこ》を開いてゆっくりと立ち上がる。巨体の影がセリーヌの前に落ちた。
 セリーヌが気づいて振り返ったときには既に、大蜥蜴──フレアリザードは目前にいた。
「レナ!」
 呼びかけると同時に前脚で突き飛ばされ、床に倒れ込んだ。
「セリーヌさん!」
 レナはセリーヌの許へ駆け寄ろうとするが、次の標的を彼女に絞ったフレアリザードが重々しい足取りで向かってきた。やむなくレナは腰の剣を抜いて立ち向かう。
 大蜥蜴はセリーヌのときと同じように前脚を繰り出した。レナは跳んで躱《かわ》すと、反動をつけて魔物の横腹に剣を突き立てた。しかし刃の切っ先は表面の鱗を数枚飛ばしただけで、身体の内部にはまるで届かなかった。
 その場を離れる間もなく、レナはその強靱な後脚で蹴り上げられた。宙に投げ出され、床に叩きつけられる。爪で裂かれた腹が疼いたが、それでもまだ意識のある自分が不思議だった。
(だめ……私ひとりじゃ、勝てない)
 両手両膝を地面につけ身体を起こして項垂れる。
 前を向くとフレアリザードがこちらへ向かってくるのが見えた。膝を起こして立ち上がろうとするが、足が竦《すく》んで上手くいかない。膝から下が鉛のように重い。ままならない足をそれでも必死に動かして、どうにか起きあがろうと試みるも、気ばかり焦って身体は一向についてこない。気がつくと瞳に涙が溢れ、こぼれ落ちた。自分のあまりの不甲斐なさがどうしようもなく悔しかった。
 突如、心臓を劈《つんざ》くような爆音が部屋に轟き、フレアリザードの巨体は豪快に吹き飛んだ。反対側の通路の入口で、オペラが白い煙を上げる筒の先端を敵に向けたまま立っている。金属の筒はどうやら銃らしい。彼女の横にはクロードの金髪もあった。
 フレアリザードが何事もなかったかのようにのそりと起きあがる。下肢のつけ根から尾のあたりまでが黒く焦げていたが、それも強固な鱗に阻まれ大してダメージは負っていないようだ。
「手強いわね」
 オペラが唸った。クロードがその横に立って。
「なんとか奴の動きを止められませんか?」
「できるけど、どうするの?」
「仕留めますよ。一撃で」
 クロードの視線は壁際の床で座り込んでいるレナに向けられていた。彼女は怯えきった目でこちらを見つめている。言いようのない憤懣《ふんまん》が全身を駆けめぐる。
「オッケーイ、いくわよ」
 オペラが再び銃を敵に向ける。銃口から青白い光が洩れるように輝きだした。
「フォトンプリズン!」
 乾いた音とともに放たれた光の銃弾は、フレアリザードの頭に命中すると弾け飛んだ。光が無数の粒となって飛散し、さらにそれは筋を画《えが》いて幾多の糸となった。光の糸は大蜥蜴の躯を覆いつくし締めつける。あたかも蜘蛛の巣にかかった虫のように、フレアリザードは糸に絡まり身動きがとれなくなる。
 それを視認すると、身構えていたクロードが駆け出した。一気に敵の懐に潜りこみ、灼熱する闘気をその右拳に込める。
「バーストナックル!」
 硬い鱗に包まれた背中ではなく、柔らかな腹部を狙って拳を繰り出した。下から突き上げられた拳はいともあっさりと腹を貫き、そして爆発した。鱗が、肉片が、タールのようにどす黒い血が周囲に飛び散る。腹部はごっそり抉《えぐ》り取られ、胸から上の部分と後脚、それに尻尾だけが塊のまま、潰れるような音を立てて梔子色の床に落ちた。
 魔物の肉片と血を一身に浴びた姿でクロードは立ちつくしていた。そうしてふとレナの方を向いて、歩み寄る。
 レナは脱力して座り込んだまま、下を向いていた。クロードの姿を見ることはできなかった。見るのが辛かった。
「レナ……」
 クロードが彼女の前で立ち止まった。続けて何か言おうとしていたのを遮るように、レナが。
「ごめんなさい……」
「いや、レナのせいじゃないよ。僕が……」
「ごめんなさい……」
 繰り返し謝るレナの瞳に、再び涙が溢れてくる。
「ごめんなさい……」
「…………」
 叱られた幼子《おさなご》が母親にするように、レナは何度も謝り続けた。クロードは目を細め、震える青い髪を見つめていたが。
「……ほら、もう顔を上げて。大丈夫だから」
 そっと頭を撫でられて、レナは彼を見た。優しい笑顔が、こちらを見ている。
「一緒に行こう」
「ん……」
 差し出された手を取って、少女は立ち上がった。そして頬の赤さを悟られまいと背中を向けて。
「クロードが、悪いんだからね」
 そう言うと、倒れているセリーヌの許へ駆けていく。クロードは頭を掻きながら、その後ろ姿を眺めていた。

 その先もいくつか部屋と通路が続いたが、ほぼ一本道だったので迷うことはなかった。クロード、オペラ、それにレナと、レナの呪紋によってどうにか意識を取り戻したセリーヌの四人は慎重に歩を進めて、ついに宮殿の最深部まで辿り着いた。
「ここは……」
「なにかの研究施設みたいね」
 小さな部屋に、木製の棚と机と実験台のようなものが雑然と置かれていた。棚は壁沿いにふたつあり、ひとつは本が、もうひとつは奇妙な色の液体を詰め込んだ瓶がぎっしりと並んでいる。ただし本棚は下の段の板が壊れていて、そこに収められていたはずの本が地面に落ちて山積みになっていた。机の上には硝子の曇ったランプと古びた本が置かれ、実験台は基礎の部分が朽ち果て半ば崩れかけていた。
「宮殿の奥にこんな部屋があるなんて……」
「それも隠し通路の奥、ですわよ」
 セリーヌがさっそく本棚をあさり始めた。
「何かいかがわしい研究でもしていたんじゃないかしら」
「でも、肝心のエルネストさんはすでに立ち去ったあとみたいですね」
「そのようね……あーあ、せっかくここまで来たのに……」
 オペラは実験台の隅に腰掛けると、嘆息混じりに大きく息をついた。
「どこ行っちゃったのよ……エル……」
 膝の上に両腕を置き、さらにその上に頭を載せて呟くオペラ。レナはそれをじっと見つめていたが。
「あの、オペラさん」
「なに?」
「よかったら私たちといっしょに来ませんか?」
 オペラが顔を上げた。レナは続けて。
「私たちはソーサリーグローブを調査するために旅をしているんです。もしかしたら行く先にエルネストさんがいるかもしれませんし」
「どうしたんですの、レナ? さっきまであんなに嫌っていたのに」
 本棚の前でセリーヌが言うと、レナは慌てて首を横に振って。
「嫌ってなんかいません! ……ただ、あてがないなら私たちと行くのもいいかなって……」
「ふふっ、ありがとう」
 オペラはうち笑んで、背中の髪を両手で束ねるようにしながら。
「そうね、ちょうど手がかりも途切れてしまったことだし……それもいいかもね」
「私たちもエルネストさん捜しを手伝いますよ」
「ありがとう」
 オペラは立ち上がると右手を差しだした。
「改めてよろしく。オペラ・ベクトラよ」
「レナ・ランフォードです」
 レナも右手を前に出して、握手を交わした。彼女の手の温もりが伝わってくると、知らずと笑みがこぼれた。
 一方その頃、セリーヌは本棚を相手に格闘していた。
 どうやら最上段の分厚い本を取り出そうとしているらしいが、古びた表紙の本が隙間なく並ぶその棚は入りきらない本を無理に押し込んだらしく、どれだけ指に力を込めて引っ張ってもビクともしない。
「強情ですわね……。マーズの、紋章術師をっ、なめるんじゃ……きゃあっ!」
 渾身の力を込めて引っ張ると、その段の本が全部すっぽり抜けてセリーヌに降りかかってきた。驚いて尻餅をつくセリーヌの上にばさばさと本が積み重なる。
「セリーヌさん……なにやってるんですか?」
 彼女の前に屈み込んで、クロード。彼女は一冊の本を頭にかぶったまま、ふて腐れている。埃と黴《かび》の匂いがつんと鼻をつく。
「……それは、さっきの仕返しと考えてよろしいですわね」
 そう言うと、もうもうと舞い上がる埃に噎せた。
 そのとき、頭の本が目の前に落ちて、彼女の視界にとある頁《ページ》の項目が通り過ぎていった。
「ルナ……ライト?」
 セリーヌは飛びつくように落ちた本を手にとって頁を捲《めく》った。途端に顔色が変わる。
「何か書いてあるんですか、その本?」
 クロードが訊くと、セリーヌは驚嘆と歓喜の入り混じったような表情を浮かべて。
「これは……呪紋書ですわよ。それもとびきり高等の。……すごいわ。こんなのマーズにも伝わっていませんわよ!」
 はしゃぐあまり、いきなりクロードの首に抱きついてしまった。
「大発見ですわよ、クロード。これをマスターすれば世界一の術師も夢ではありませんわ!」
「わっ、せ、セリーヌさん。おっ、落ち着いて……」
 藤色の髪の香りに頬を紅潮させつつも、じたばた藻掻くクロード。一番落ち着くべきは彼かもしれない。
「あーっ! ちょっとそこ、なにやってるのよ!」
「あらぁ、モテモテね、クロード君。ずっとこの星にいた方が幸せなんじゃない?」
 レナとオペラに見つかってしまい、もはや収拾がつかない。セリーヌを胸に抱いたまま、クロードはひどく疲れきった表情で壁のどこかを見上げて、つくづく思った。
 女三人よれば、かしましい。



--
【ひとくち解説】
 なんかレナとクロードがバカップルみたいになってきました(;´Д`) 何でこんなコトになってしまったんだろ……まァいいか。色々とイライラするかもしれませんが、この先も二人の痴話喧嘩におつき合いください。
posted by むささび at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年08月07日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第四章(4)

   4 三《み》つ目の疑惑 〜クロス(4)〜

 北からの冷たい突風を受けて、セリーヌは乱れた藤色の髪を鬱陶《うっとう》しいように掻きあげた。風は一心不乱に草原を疾駆する。緑と枯色の波が、うねるように靡いては地平の彼方へと消えていった。
 厳しい冬が間近に迫るクロス大陸。空一面には灰色の雲が垂れ込めている。遠方に見渡せる山の頂から稜線にかけては、うっすらと雪化粧も施されていた。
 曲がりくねりながら東西に伸びる道の途中で、セリーヌは泰然自若と腕を組んで立ちつくしていた。そこへクロードが、木製の水筒を手に駆け寄ってくる。
「レナは?」
 クロードが訊くと、セリーヌは視線で彼女の方を示した。
 道の脇に生えるクスノキの幹を背にして、レナが座っていた。両膝を抱え込んで、気怠《けだる》そうに顎をその上に載せている。その表情は、平生の明るく活発な彼女のものではなかった。
「どうだい、具合は?」
 クロードが歩み寄って水筒を差しだす。レナは伏せていた目を漸く擡《もた》げて。
「うん……ありがと」
 消え入りそうほど弱々しい声で応えると、水筒を受け取った。
「ここのところずっと歩きづめだったからね。疲れが出たんだと思うよ」
 クロードにしてみれば、彼女を気遣っての言葉だったのだろう。だが背後のセリーヌは、その見当違いな発言に片手で顔を覆って項垂《うなだ》れた。そして無雑作に彼の腕を掴むと、少し離れた場所まで引きずっていった。
「な、なんですか、セリーヌさん」
 慌てふためくクロードを前に立たせると、なにやら耳打ちを始めだした。みるみるうちに顔が真っ赤になっていくクロード。
 ふたりのやりとりをよそに、レナは手に持っていた水筒の蓋を開けて、縁に口をつけ筒を傾ける。冷たい水が喉を通ると、胸のあたりの不快感も少し和らいだような気がした。
 ふと、その手が止まった。耳を澄まして聞こえるのは、風の音と。
「どうしたの?」
 戻ってきたクロードが訊ねたが、彼女は応じない。水筒を地面に置くと、立ち上がって道とは反対側の──草原の中へと足を踏み入れていく。
「ち、ちょっと、レナ?」
「どこへ行くんですの?」
 彼女の行動を訝《いぶか》しく思いながらもクロードが、そしてセリーヌが彼女の後をついていった。レナは覚束《おぼつか》ない足取りで、なにかに導かれるように奥へと突き進む。
 そこは草原というよりは、むしろ叢《くさむら》だった。始めは腰丈ほどだった草が歩を進めるごとに深くなり、しまいにはクロードの背丈にまで達した。草葉の陰に消えては現れる青い髪と赤いケープを見失うまいと、必死に草をかき分け追っていく。
 やがて、ふたりにも彼女が何を思ってこんな叢に入ったのか諒解できた。
 動物の鳴き声だろうか。きぃ、きぃとごく小さく、振り絞るような音が断続的に聞こえてきた。歩を進めるにつれてそれは大きくなり……俄《にわか》に止んだ。
 立ち止まったレナの前に、毛むくじゃらの白い塊が横たわっていた。頭も胴体もほとんど区別のない楕円形の躯に、つぶらな赤い眼と口と、やけに短い腕が中心にまとまってついていた。頭と思しき部分には一対の細長い耳朶《じだ》が、途中で二股に分かれて躯をなぞるように垂れ下がっている。その巨体を支えるためか、足は随分と大きかった。
「バーニィですわ」
「ばぁにぃ?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまったクロード。セリーヌの視線に慌てて顔を背ける。
「怪我してる」
 見ると確かに、窮屈に折りたたまれた膝から足首にかけて、鋭利なもので突き刺されたような赤い斑点がいくつも浮いていた。魔物にでも襲われて逃げてきたのだろうか、全身も砂埃や枯草の切れ端などで薄汚れ、眸は雨上がりの川のように濁っていた。
「かなり弱ってますわね」
 レナは白い巨体の脚の部分に屈み込むと、傷口に手を翳《かざ》し始めた。
「レナ、調子が悪いんだから、あまり無理しない方が……」
「平気よ。それに、この子の方がもっと苦しんでる」
 淡い光がバーニィの脚から躯全体を包み込んだ。赤い斑点が徐々に薄くなり、消え去っていく。
「苦しんでいる子を助けるのが、私の役目だもの。私にできること、私にしかできないこと……」
「…………」
 クロードは口を閉ざし、じっと彼女を見つめる。
 傷の癒えたバーニィはしばらく不思議そうにレナたちを見回していたが、すぐにぴょんと跳ねるように起きあがり、その巨体で草を押し倒して逃げていこうとする。草陰にその姿が消えようかというとき、思い出したようにぴたりと立ち止まって振り返り、再びレナの方を見た。
 レナはこちらを向いたまま微笑んでいる。が、不意に身震いした。
「寒いのかい?」
 クロードが訊くと、自分で自分を抱きしめるように胸許で腕を重ね合わせて、表情を曇らせた。
「ん……ちょっと」
 体力の衰えた状態で呪紋を使用して体温が低下したのだろうか。クロードはジャケットを脱ぐと、そっと彼女の背中にかぶせた。
「クロード……でもこれ」
「いいよ。僕はそんなに寒くないし」
「あら、ずいぶんと気が利くようになりましたわね」
 セリーヌに茶化されて明後日の方を向くクロード。寒さのためか頬は赤く染まっていた。
 バーニィは首(?)を傾げてその様子を眺めていた。そしてのそのそと歩き出して、レナの前に立つ。
「ど、どうしたの?」
 巨体を目の前にしてさしものレナも少し怯んだ。顔(?)は彼女の頭よりも高い位置にある。
 不意に、バーニィの白い手が伸びてレナを手前に引き寄せると、強く抱きしめ始めた。突然のことにレナは抵抗もできずに、されるがままになる。少女の細い身体が、ふかふかの白い毛の中にすっかり埋まる。
「なんですの?」
「……もしかして、寒そうにしてるのを見たから、暖めてくれているんじゃないか?」
「もしくは、ただのスケベか、ですわね」
「オスなんですか、こいつ?」
「さあ。でも、どっちでも関係ありませんわよ」
 バーニィはまだレナを腕の中に収めている。その表情は無垢といえばそうかもしれないが、妙な満足感に満ちているようにも見受けられたので、セリーヌの見解もあながち間違いとは言い切れない。
「ありがとう……でも、ち、ちょっと苦しいから、放して」
 レナが腕の中で藻掻くと、バーニィはようやく彼女を放した。
「大丈夫かい?」
「あのまま連れ去られてしまうかと思いましたわよ」
 レナは乱れた髪を手櫛で直して、それから首を横に振った。
「ううん、違うの。この子はほんとうに私のことを心配してくれたの。ちょっと不器用みたいだけど……でも、優しい子なのよ」
 一同がバーニィを見た。『優しい子』はもう呑気に毛繕いを始めている。
「なんか気が抜けてしまいましたけど……」
 と、セリーヌ。
「これからどうするんですの? 今日のところはひとまずマーズへ戻って、休んだ方がいいかもしれませんわね」
「うん、そうしようか」
「ごめんなさい……」
「気にすることないよ。体調が悪いのは仕方がないし」
「うん、それもあるんだけど……クロード」
「え?」
「ジャケット、毛だらけになっちゃった……」
「あ……」
 言葉を交わしながら、来た道を引き返していく三人。それに気づくと、バーニィも遅れて後をつけて歩き出す。
 三人が立ち止まり、振り返った。するとバーニィも立ち止まる。彼らが再び歩き出すと、バーニィもまた後をつけてくる。立ち止まり、歩き出す。そんな動作を幾度か繰り返して。
「……なんだよ、こいつ、僕らについてくる気なのか?」
「レナになついてしまったんじゃありませんの」
 セリーヌが言うと、レナは困ったような表情をして、バーニィの前へ立って語りかける。
「よく聞いて。私たちはクロスへ行かなくちゃならないの。ずっと遠いところだから、連れていけないの」
 そう言ったものの、やはりバーニィには理解しがたいらしく、愛くるしい眼でこちらを見つめるばかり。なんとかわかってもらおうとレナはクロスのある南西を指さして、続けた。
「私たちはね、ここからうんと歩いて、向こうへ行くの。あなたはここにいたいでしょ? だから、寂しいけど、ここでお別れしなくちゃ……」
 ところが何をどう勘違いしたのか、バーニィはいきなりレナを片腕で軽く抱え込むと、彼女が示した方角へと歩き始めた。
「あ、あの、ちょっと……」
「どこへ連れていく気ですの!?」
 セリーヌがちょうど手前に垂れ下がっていた耳朶をつかんで引っ張ると、バーニィはこちらを振り返った。その迫力にセリーヌは思わず手を離してたじろいだ。
 バーニィはセリーヌを見、クロードを見て、それから腕の中のレナを見た。そうして首(?)をひねってしばらく考え込んでいた(?)が、突然セリーヌをもう片方の腕でつかみ上げると、真上へ高々と放り投げてしまった。それからクロードも同様に抱え込んで、落下してきたセリーヌを背中で受け止めると、猛然と草原を突っ切って走り出した。
「きゃーーーっ! どうしてわたくしだけ……きゃーーーーーッ!!」
 片手で吹き飛ばされそうな帽子を押さえ、片手でバーニィの後頭部にしがみつきながら、セリーヌが絶叫している。腕の中ではクロードが双眸を見開いたまま前を向き、レナは白い体毛に額を埋めてギュッと目を瞑った。
 草原を抜け、街道に達してしまえば、もはやバーニィの暴走を阻むものは何もない。両脇にレナとクロード、そして背中にセリーヌを乗せて、白き巨体が一陣の疾風となって南西へと駆け抜けていった──。


 さて、彼らはなぜ今になって、クロスを目指しているのか。
 話は一週間前にさかのぼる。

 ラクール武具大会が幕を閉じたその日の夕刻、ホテルに戻って休んでいた三人の許へ、兵士が飛び込んできた。
「至急、ラクール城までご来謁《らいえつ》願いたい」
 表彰を受けるのは優勝者だけと聞いていたので、思いがけない呼び出しに半信半疑のまま、クロードたちは謁見の間に通された。
 待つこと暫くして、玉座の横の扉から入ってきたのはラクール王ではなく。
「ろ……ロザリア姫、さま!?」
 そう、それはクロス王子の元婚約者、盛大な結婚式まで挙げておきながら結局はセリーヌに主役を奪われてしまった、あのロザリアだった。この場で身につけているのはもちろん純白のウェディングドレスではなく、典礼用の落ち着いた色彩のドレスであったが。
「お久しぶりですね。クロードさん、でしたっけ」
「は、はは……その節はどうも」
 引きつった笑いを浮かべるクロードを、レナはむっとした表情で睨む。
「セリーヌさんも前へ出てきてくださいな。なにも捕って食べようというわけではないのですから」
 彼女はレナの背後で窮屈に身体を縮めて隠れていたが、いかんせん体格が違いすぎるのでかなり無理があった。ロザリアに言われて仕方なく、気まずいように下を向きながら前に立った。
「王は緊急公務のため城を出ております故、私が代行を務めさせていただきます」
 ロザリアは流麗な口調で話を切りだす。
「急にお呼びだてした無礼を詫びます。実は、あなた方にお願いしたいことがあるのです」
 ロザリアの横に立っていた係官が、クロードの前に歩み寄って銀盤の上の細長い筒を差しだした。
「これは?」
 筒を受け取ったクロードが訊いた。筒の表面は黒い毛皮が貼りつけてあり、蓋の上面部には獅子彫刻の飾りつけがついていた。
「クロス国王に宛てた親書です」
「親書?」
「ええ。あなた方にこれを、クロス王の許へ届けていただきたいのです」
 三人は顔を見合わせた。ロザリアは続けて。
「その書簡にはソーサリーグローブとその対策についての重大な報告が記されてあります。もしかすると、これにより魔物との戦いにも終止符が打たれるかもしれません」
「そんなに重要な手紙なら、どうして僕たちに……」
「皆さんだからこそ、お願いしているのです。この書簡は何があってもクロス王の許へ届けなくてはなりません。遣いの者や城の兵士では、道中いつ魔物に襲われて奪われるやもわからない。その点、あなた方なら安心して託せます。クロードさんの実力はすでに大会で実証されていますからね」
「はあ……でも」
「もちろん報酬は払います。それに、あなた方は確かエルに渡りたいのでしたよね。頼まれていただけるなら、そのことについても考慮しますよ」
「う……」
 報酬はともかく、エル行きの船の話を持ちだされては弱い。三人は再び顔を見合わせると、そろって嘆息をついた。
「よろしくお願いします」
 念を押すように、ロザリアが言った。その微笑に妙な威圧感を覚えたのは、やはり彼女に対して引け目があったからだろうか。


 暴走バーニィの活躍により、一行は日没までにクロスへ到着することができた。
 その日はそのままレイチェルのホテルで一泊し、翌日、城へと赴いた。
「おお、レナか。とうにラクールへ渡ってしまったと思ったが。今日は何用じゃ」
 謁見の間にて、クロス王は三人に視線を向けると相変わらず快活な声で言った。セリーヌはやはり体裁が悪いようで、今度はクロードの背後に隠れている。それを目ざとく見つけたクロス王が。
「ほう、セリーヌ嬢もご一緒か。クロウザーが逢いたがっておったぞ。後で顔を見せてやるといい」
 などと言い出すものだから、セリーヌは火を噴きそうなほど真っ赤になって、足許を睨んだまま固まってしまった。
「ラクール王から、親書を預かってきました」
「なんじゃと?」
 クロードが懐から黒い筒を取り出して、王の手前に控えていた兵士に手渡した。兵士は蓋を取って中を確かめると、恭しく王に差しだした。
 クロス王は筒から羊皮紙《ベラム》に記された手紙を取り出して読み始めた。途端に表情が厳しくなる。
「ソーサリーグローブについての書簡だと聞いています」
 読み終わるのを待ちきれずに、レナが切り出した。
「新しい情報でもあったのですか?」
「……いや、情報は何も書いておらぬ……だが」
 レナたちが固唾を呑んで見守る中、クロス王は大きく息をつくと。
「すまないが、これ以上は口外できぬ。国の機密に関わる事柄なのでな」
 そう言って、羊皮紙を筒に仕舞うと立ち上がった。
「しばし待っていてくれ。返書を認《したた》める」
 豪奢なマントを引きずって退出していくクロス王。その姿が見えなくなると、レナたち三人は気を抜いて直立姿勢を緩めた。
「はぁ……あのまま倒れてしまうかと思いましたわよ」
 セリーヌが心底、安堵したように声を洩らした。
「でも、ソーサリーグローブの手紙だって聞いたのに、国の機密だなんて……嘘ついたのかしら、ロザリア様」
 レナが言うと、クロードは首を傾けて難しい顔をして。
「いや、嘘でもないと思うよ。ロザリア様は対策だって言ってた。たぶん、ラクールはクロスにそのための協力を要請したんじゃないかな」
「協力?」
「あくまで僕の推測、だけどね」
 クロードはそう言ったが、レナにはどうも腑に落ちない。『対策』という言葉がどういう意味を含んでいるのか、彼女にはわからなかったのだ。
 あれこれ考えを巡らせているうちに、ふと部屋の入り口で雑談をしていた兵士たちの声が耳に入ってきた。
「……けど最近、ホントに変わった奴らが王様に会いに来るよなぁ」
「そうそう、こないだ三《み》つ目の男が来たかと思えば、昨日は三つ目の女だぜ」
 はっとして兵士たちの方を向くレナ。
「なかなか色っぽい姉ちゃんだったよな」
「そうそう、服の裾からチラッと見える太ももがエロちぃ……」
「すみません」
 盛り上がってきた兵士たちの会話に、レナが割り込んだ。
「今の話、詳しく聞かせてくれませんか」
「どうしたんだい?」
 クロードも話に入ってきた。
「うーん、昨日の昼過ぎだったかな」
 兵士のひとりが話し始める。
「三つ目の女が謁見に来たんだ。ずっと前にやっぱり謁見に来た三つ目の男について、いろいろと聞いていたな」
「んで、男が山岳宮殿へ行く許可を取りに来たって聞いたら、自分も許可を取って、慌てて退出していっちまった」
「山岳宮殿?」
「知らないのかい。コル湖のほとりにある、古の一族の遺跡だよ」
「なんでも中にはモンスターがうじゃうじゃ棲みついてるって話じゃねぇか。どういう事情かは知らんが、物好きなこった」
「その姉ちゃんだけど、すんげぇ綺麗な金髪でよぉ、脚とか胸なんかもう……(と、さりげなくレナの方に視線を向けて)比べもんにならない(きつく睨み返される)」
「その割に、ごっつい武器を持ってたよなぁ。あと着てるものも変わってた……そうそう、君の着ているそれ。それと似たようなのをつけていたよ」
 兵士がクロードのジャケットを指さした。クロードは呆気にとられたように立ちつくしている。
「間違いない……あの人だわ」
 レナの脳裡には、ヒルトンの酒場で会ったあの女性の光景が映し出されていた。
「やっぱりクロスに来ていたんだ」
「そういえば、王様が女にその三つ目について聞いたら、女はそういう種族なんだって答えていたな。なんつったっけな……セトラじゃなくて……確か、テト……テト」
「テトラジェネス」
 クロードが呟くように言うと、兵士はポンと手を打って。
「そう、それだ! ……って、なんで君が知ってんの?」
「クロード?」
 レナが呼びかけても、クロードは反応しない。茫然と俯き加減に床のどこかを見つめるばかり。
「まぁ、世の中にはフェルプールの例もあるからな。三つ目の種族がいてもおかしなことじゃないのかもしれないが……おっと」
 王が部屋に入ってきた。兵士たちは慌てて所定の位置へ散っていく。レナたちも再び玉座の前に立った。
「待たせたな。これをラクールへ届けてくれ」
 兵士から手渡されたのはラクールのものと同じような筒。ただし獅子の彫刻はなく、筒の側面に南十字星座をあしらった刺繍が施されている。
 レナが礼を言って退出しようとしたそのとき、突然クロードが前に進み出た。
「陛下」
 しっかり前を向き、決然と彼は言った。
「山岳宮殿へ入る許可をいただきたいのですが」



--
【ひとくち解説】
 オペラさんの仲間イベントです。とにかくクロスに戻さないといけないので、よくわからん用事を作って戻らせてます。
 バーニィはこの回のみの限定出演。もう少し活躍させたかったけど。まァ、あんまり横道逸れちゃうのもアレですしね。
posted by むささび at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年07月31日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第四章(3)

   3 己が信ずるもののため(後編) 〜ラクール(2)〜

 澄み渡った空に花火が爆ぜる。ポン、ポン、ポンと小気味いい音を立てて、白煙の筋がいくつも尾を引いた。尖塔の屋根に掲げられた獅子の紋章旗が、穏やかな風を受け悠然と翻る。
 歴史の重みともいうべき荘厳さを備えるラクール城。年に一度の祭典をこの目で見ようと、城門前には溢れんばかりの人々が立ち並んでいた。
「ちゃんと二列に並んでくださーい。えー、チケットはひとり一枚ずつ持つように。武器やそれに該当するものは持ち込みできません。入口にて荷物検査をいたしますので、ご協力をお願いします。大会参加武具店・出場者は隣のゲートよりご入場ください」
 係官がしきりに大声を張り上げて客に指示する。門の前では別の係官数人が次々とチケットを切り、荷物の中を覗いている。
「ついにこの日が……ああっ、試合が待ち遠しい!」
「お願いだから、去年みたいに興奮しすぎて失神しないでよ」
「もうさー、チケット取るのぉ、すっごい苦労したんだからぁ」
「あたしのために取ってくれたのぉ。もう、すっごいうれしぃ」
「さあさ、優勝と準優勝を予想して、あなたも一攫千金! 出場者の一覧とオッズはこの通り。賭け札は一枚三百フォルだよ」
「ママぁ、アイス買ってよ、アイス」
「だぁめ、後にしなさい」
「今年は誰が優勝するんだろうな」
「やっぱりディアス・フラックじゃねぇか? ムチャクチャ強ぇって話だぜ」
「余り券ないかい、余り券ないかい。余った券あったら買うよ〜」
 人々の流れは門を抜けて城内に入り、やはり係官の指示のもと、左側のコロシアムへ続く通路へと進んでいく。
 薄暗い通路を抜けると、眩さとともに視界が開ける。そして怒濤のような熱気が遅れてやってきた。
 戦いの舞台となる円形のフィールドを囲んで、白色の煉瓦を積み上げた観客席が同心円状に広がっている。外壁沿いの外周は通路になっていて、同様に石造りのアーチがかけられていた。正面から見て向かい側の屋根の上には、かの先代王の彫像が建っている。長年風雨に曝《さら》されてきたせいか、石膏像は垢《あか》と埃にまみれて薄汚れ、その姿は少々みすぼらしくも見えた。
 試合開始を前にして、スタンドは観客で埋め尽くされ、すでに異様な盛り上がりをみせている。男も女も老人も小さな子供も、期待に胸を膨らませ、目を輝かせて開幕を待ちわびていた。
「おらぁ、まだ試合始まらないのかよ。待ちくたびれちまったぜ」
「なっ、なによその大きな板。恥ずかしいわねぇ」
「友人の晴れ舞台なんだ。これ持って応援するんだよ」
「ウーロン茶にサンドイッチ、肉まんあんまんはいかがっすか〜」
「うう……なんでこんなに後ろの席なんだよぉ。これじゃ豆ツブが戦っているようにしか見えないよ」
「ねぇ先生、こんなところまで来ちゃって、研究の続きはいいんですか?」
「ビールにおつまみ、地鶏串焼きはいかがっすか〜」
「うるせぇ! 嫌なこと思いださすんじゃねぇよ! ……あ、ビールひとつ」
「ほら、もう一度かけ声の練習するわよ。せーの『グロリアス様がんばって〜!』」
 やがて、司会進行と実況を務める男が中央のフィールドに立つと、いっせいに拍手と歓声が沸き起こる。丸眼鏡に赤と黒のタキシードを着込んだ男の声は、拡声器を通してコロシアム内に響きわたる。
「さぁ、ついにこの日がやって参りました。腕に覚えのある強者たちが、誇り《プライド》と名誉をかけて挑むは肉体、精神、はたまた気力の限界か。勝つもドラマ、負けるもドラマ。一対一の真剣勝負の中で、男たちはどんなドラマを我々に魅せてくれるのでしょうか。第二十一回ラクール武具大会、いよいよ開幕です!」


「……クロード・C・ケニー様ですね。では、いったんこちらですべての武具と所持品をお預かりします」
 クロード、レナ、セリーヌの三人は、コロシアムの控え室前のカウンターで参加のための最終手続きをしていた。
「確かにお預かりしました。それでは、登録武具店からの武具とアイテムをお渡しします」
「はい」
 係員に向かって返事をしたそのとき、視線の端に水色の髪が靡いた。
「……っ!」
 ディアスであった。振り返るとレナも既に気づいていたようで、その姿に向けられた眼《まなこ》は大きく見開いていた。
 ディアスは平然とクロードの横に立ち、係員を呼んだ。
「すまないが、俺の武器はまだ届いていないのか?」
「ディアス・フラック様ですね。申し訳ありません。今のところ武具店からは何の連絡も……」
「まだ間に合うのか?」
「ディアス様の場合は特例ということで、受付を試合直前まで延ばしてあります。よろしければ、武具店の方へご確認に行かれてはいかがでしょう」
「わかった」
 すぐにその場を立ち去ろうとする彼を、レナが呼び止めた。
「ディアス!」
「……レナか。何の用だ」
 ディアスが立ち止まると、レナは背後に駆け寄って。
「おじいさんの……ギャムジーさんの剣が届いてないの?」
「今のお前には関係のないことだ」
「関係なくはないわ!」
 直立したまま微動だにしないその背中に、レナは思わず叫んだ。
「あなたにおじいさんの武器を紹介したのは、私なんだから」
 その言葉にクロードの身体がビクッと揺れた。そしてカウンターに乗せた手を固く握りしめて。
「レナ、ディアスに武器を紹介したって、いったい……」
 口を挟むとレナは急に黙り込んで、下を向いてしまった。代わりにディアスが。
「大したことじゃない。偶然紹介する形になっただけだ。門《かど》違いなヤキモチは妬くな」
「なっ……!」
 絶句するクロードには構いもせずに、続けてレナに言う。
「これは俺の問題だ。お前が気にする必要はない」
 そうして、城の通路へと消えていった。
 レナは左手を胸に宛《あてが》って俯いているばかりだったが、不意にきっと前を向くと。
「……私、ディアスのところへ行ってくるわ」
「レナ?」
 訊き返したのはセリーヌ。クロードは表情ひとつ変えずに押し黙っている。だがその視線は、明らかに彼女に対する非難そのものだった。
「だって、このままじゃ、ディアスは大会に出られなくなるのよ。クロードとだって戦えなくなるじゃない!」
 レナは懸命に訴えた。しかし、ふたりの視線は交わらず。
「……ディアスの方が大事なら、行っちゃえばいいさ」
 カウンターの上に置かれた自分の拳を見つめて、クロードは口を尖らせた。
「なによ、その言い方」
「だってそうだろ。ディアスには武器まで紹介したりして。優勝してほしいのはどっちなんだよ」
 厳しい口調で言うと、レナは口許を歪め、瞳を潤ませる。
「クロード……どうして、そんなこと、言うの?」
「悪いのはどっちだよ」
 頬を膨らませて、そっぽを向くクロード。
 レナはしばらく肩を震わせて地面を見つめていたが、急に駆け出して、ディアスと同じく城の通路へと向かっていった。彼女の通った後の道に、光の粒が舞い上がり、煌めいたように見えた。それは彼女が零した涙か、それとも──。
「ちょっとクロード」
 カウンターの前で立ちつくすクロードの背中に、セリーヌが非難めいた口調で言う。
「それはあんまり……っ」
 その言葉を遮って、クロードは力任せにカウンターを殴りつけた。

 色褪《いろあ》せ、硬くなった赤い絨毯の上を、ディアスは足早に、それでいて──彼の習性だろうか──音も立てず吹き抜ける風のように、歩いていた。急いでいるにも関わらず走り出さなかったのは、予感があったから。
「待って、ディアス!」
 自分を呼び止める声。そしてこちらへ駆け寄る足音。そう、この娘《こ》はいつも俺の後を追いかけてくる。
 背中を向けたまま立ち止まるディアス。レナもディアスの背後に立つと、苦しそうに息をつくばかりで何も切り出さない。
 ディアスは軽く嘆息すると、ようやく口を開いた。
「まったく、お前は仲間に誤解されるようなことばかり起こしているな」
「だって……」
 言い淀《よど》んで下を向くレナ。ディアスは振り返り、彼女の前に立つと、片手で青い髪をくしゃくしゃと撫でた。そして俯いた頭を上げさせる。彼女は恥ずかしいように視線を横にそらし、下唇を突きだした。睫《まつげ》の先は露で濡れており、目許もわずかに湿っている。
(ちっとも変わっていないな、この顔は)
 ディアスは目を細めて微笑し、親指で軽く目許を拭ってやる。そうして、再び背後を向いた。
「俺も時間がないんだ。早いところ爺さんを捜し出してくれ」
 そう言うと、曇っていたレナの表情が輝きだした。
「うん。……でも、どうすればいいの」
「まずは爺さんの店へ行く。急ぐぞ」
 言うが早いか、ディアスは外套《マント》を翻して駆け出していった。レナも慌てて走り出す。
 遠くから、第一試合開始を告げる声が聞こえてきた。

 重々しい鉄の扉を勢いよく開け放つと、中にいた緑色の髪の幼女は、涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔をこちらに向けた。
「スフィア!」
 期せずしてレナとディアスが同時に叫んだ。
 スフィアはふたりの姿を認めるとすぐさま駆け寄って、レナの腰を抱えるようにして飛びついてきた。
「答えろスフィア、何があった!」
 ディアスが語気を強くして追及するが、動転しているスフィアは呂律の回らない口調でしどろもどろに言葉を発するばかりで、内容は全くつかめない。
「駄目よディアス、そんな乱暴な聞き方じゃ」
 この状況に既視感《デジャビュ》を覚えながら、レナは抱きついたままのスフィアをしっかりと立たせ、自分は両手を膝につけて前屈《まえかが》みになる。
「スフィア、私たちはギャムジーさんを助けに来たの。なにがあったのか、落ち着いて話してくれないかな」
 目の高さを同じくして言うと、スフィアはこくりと大きく頷いて、ゆっくりと話し始めた。
「おじいちゃんと一緒に、お城へ行こうとしたの……そしたら、男のひとたちがおじいちゃんの剣を取り上げて……」
「まさか爺さん、その男どもに突っ込んでいったんじゃないだろうな」
 スフィアが首を縦に振ると、ディアスは呆れたように片手で顔を覆った。
「まったく、世話をやかせる爺さんだ」
「スフィア、おじいさんたちがどっちへ行ったか、わからない?」
 今度は首を横に振った。
「そう……困ったわね」
「おおよそ見当はついている」
 ディアスはそう言うと小屋を出て、ひとりで駆け出していった。
「ちょっと、待ってよ! ……スフィア、ここで待ってて。すぐにギャムジーさんを連れてくるから」
 スフィアにそう言い置いて、レナも急ぎ彼の後を追った。

 けたたましい笑い声をあげながら、頑強そうな剣士風の男三人が酒場から出てきた。
「へっへっ、棚からボタ餅ってのはまさにこのことだな」
「そんじょそこらじゃ手に入らねぇ代物だぜ、こりゃ」
「これで俺たちの名が上がるのは間違いないな」
 男たちは軽い足どりで、話を交わしながら意気揚々と歩きだす。
「剣を返してもらおうか」
 そのとき、背後から鋭く声がかかった。男たちが振り返る。酒場の入口のすぐ横、そこに彼の姿があった。壁に凭《もた》れかかり、腕組みをして眠るように瞑目している。水色の長髪が紺の外套とともに、微風を受けてふわりと揺れた。
「てめぇは……!」
 三人の中でもとりわけ風格の漂う壮年の戦士は、ディアスの姿を認めると眼を剥いた。
「いつからそこにいやがった」
 ディアスはそれには応えず、顔を上げて男たちを一瞥する。
「やはり貴様らか」
 ゆっくりと三人の前に歩み寄った。
「酒場で何をしていた。爺さんから剣を奪って祝杯でもあげていたのか?」
「な、なんのことだぁ?」
 覚束《おぼつか》ない口調でしらを切ると、ディアスは視線を壮年の戦士の腰に移して。
「その腰に下げている剣はなんだ?」
「……ちッ」
 壮年の男が身構える。背後の剣士ふたりも素早く左右に散ってディアスを取り囲む。
「バレているんじゃ仕方ねぇ。早速この剣の斬れ味を試させてもらうぜ」
「よせ。剣に振り回されるのがオチだぞ」
 ディアスの忠告を無視して、男は柄に手をかけ抜きはなった。細長い片刃の刀身は陽の光をそのまま映したかのごとく輝いている。紛うことなきギャムジーの剣だ。
「ディアス!」
 ちょうどそのとき、レナが裏通りから駆けつけてきた。剣を構えた男たちに囲まれるディアスを見つけると、息を呑んで立ち止まる。
 ディアスは正面の壮年男を見据えたまま、彼女に言った。
「そこで待っていろ。すぐに片づく」
「ぬかせッ」
 不意を突いたつもりなのか、男が高々と剣を振りかざしてディアスに斬りかかった。しかしディアスは、それを避けようとも剣を抜いて打ち返そうともせず、静かに左腕を前に突きだして、猛然と迫り来る刃を受け止めようとした。両手を口にあて双眸を見開くレナ。
 刃は、彼の左腕に深々と刺さって、止まった。
「……にっ?」
 振り下ろした体勢のまま戦慄する男をよそに、ディアスはじぶんの左手を握りしめてみた。溢れ出る血が刀身をつたい、鍔《つば》に流れ落ちる。手が動くということは、刃も骨までは達していないのだろう。
 右手で柄との付け根あたりの刃をつかむと、男の顔に顔を近づけて凄んだ。
「言ったはずだ。貴様にこの剣は使いこなせん」
 そうして、鳩尾《みぞおち》に思いきり膝蹴りを喰らわした。剣を手放して足許に蹲る男。
 自らの血に染まった剣を右手で握り直すと、ディアスは他のふたりを冷たい眼光で睨めつけた。目が合った剣士たちは恐怖に震え上がり、相争うようにして逃げ出していった。
 残った足許の男は額に脂汗を浮かべながら、尻餅をついてディアスを見上げる。
「ま、待て!」
「剣とはこう使うんだ」
 ディアスは剣を横一文字に薙いだ。刃は男のすぐ頭上を掠め、短く切り揃えられた黒髪をばっさりと剃り落とした。
「ひ……ひいッ」
 舞い上がる自分の髪をその身に浴びて、男は素早く身を起こして逃げ出そうとしたが、ディアスに後ろから襟をつかまれてしまう。
「鞘を置いていけ」
「はいぃッ!」
 慌てて腰から鞘を取り外して地面に投げ出すと、見事に円形に剃り落とされた頭のてっぺんを両手で押さえながら、広場の方へと消え去っていった。
 ディアスは外套の裾で刃についた血を拭うと、鞘を拾ってそこに納める。そこで初めて左腕の痛みに気がついて、傷口を見てみた。衣服の袖は切り裂かれた部分を中心にして赤黒く染まり、なおも肘の先から紅の滴がしたたり落ちている。
「ディアス!」
 レナは駆け寄ると、いきなりディアスの胸倉をつかんで引っ張りだした。
「ちゃんと避けなさいよ! くっだらない意地張っちゃって、馬鹿みたい。腕がちょん切れていたらどうするつもりだったのよ! ほんとにもう……」
 かの剣豪も圧倒されるほどの剣幕でひとしきり怒鳴りつけると、急に力が抜けたように手を放し、その場に項垂れた。
「……心配したんだから」
 ぽつりと呟いたあと、すぐに彼の左腕に手を翳して回復呪紋《ヒール》を唱える。
 ディアスはその姿を無表情に見つめていたが。
「大きなお世話だ」
 不意にそう言った。唖然とするレナに、彼はニヤリと笑う。
「この前の彼との喧嘩も、こんな具合に始まったのかな。やはり意地を張るのは良くないな」
 言われて思いだした。あれはマーズへ向かう途中でのこと。魔物との戦いで無謀な行動をとった彼女を咎めて、クロードが放った言葉──「なんで立ち向かったりしたんだよ」──あのときの彼と今の自分が重なっていたことを、ディアスは指摘して茶化したのだ。
「……意地悪」
 上目遣いでディアスを睨んで、拗ねるように言った。
 治療が終わると、レナは改めてディアスの前に立った。
「剣は大丈夫なの?」
「ああ。これしきで壊れるような駄剣じゃない」
「でも、どうしてあの人たち……」
 レナが広場の方を向いたが、そこには無論、男どもの姿はない。
「覚えてないか? 三日前に酒場で絡んできた連中だ」
「あっ……」
 スフィアの謗《そし》りに腹を立てて詰め寄ってきた三人組。その姿を思いだしながら。
「でも、決着は大会でつけようって……」
「どこかで俺の名を知ったか、爺さんの昔の名声を聞きつけたんだろうな。まともに勝負しては勝てないと踏んだんだ」
「そんなの、正しいやり方じゃないじゃない……」
 憮然としたように、レナが言う。ディアスはそれを見て肩を竦《すく》めると。
「そうかと思えば、真正面からぶつかっていこうとする馬鹿もいる」
「それって誰のこと?」
「さあな」
 横を向いて言葉を濁したとき、酒場の扉が開いた。出てきたのは薄汚れた帽子と上着《チュニック》を着込んだ小柄な老人ひとり。
「ギャムジーさん! 酒場にいたの?」
「おやおや、レナ嬢ちゃんにディアスか」
 ギャムジーは申し訳なさそうに頭を掻いて。
「すまんのう、剣をバカな奴らに取られてしもうた」
「それなら心配無用だ。既に取り返してある」
 ディアスが剣を持った手を前に突きだすと、ギャムジーは目を丸くし、次いで細めて安堵の笑みを浮かべる。
「おお、それはよかった、よかった……」
「何かあったら俺がカタをつける。爺さんにはスフィアがいるんだ。孫を泣かせるような真似はするな」
「ほんに、すまなんだ……承知したよ」
「ディアス」
 レナが横から彼を見上げる。
「それじゃあ、あなたには誰も泣いてくれるひとがいないみたいだわ」
「俺のために泣いてくれる奴なんているのか?」
 素っ気なくディアスが言う。レナは何も言葉を返さず、ただ彼の顔を厳しい眼差しで見つめた。
「俺はもう行くぞ」
 ディアスは視線を彼女から引き剥がし、背後を振り返った。
「爺さんはひとまず店へ戻れ。スフィアが心配している。……レナもいい加減に彼のところに戻るんだ」
「なによ」
「あいつはお前のために戦っているんだ。こんな時にいてやらなくてどうする」
「え?」
 レナはどきっとして、焦れるように訊き返した。ディアスは背中を向けたまま沈黙を保っている。
「……レナ」
 幾許《いくばく》かの刻を経て、ディアスは言った。
「ありがとう。助かった」
 そうして、城門へと走り去っていった。
 左手を胸にあてて、その姿を見送るレナ。乾いた風を受けた赤いケープが、ゆらゆらと揺れていた。


 ラクール武具大会は、一対一のトーナメント方式で行われる。参加者は十六名。戦士たちはそれぞれ、自らの属する武具店が用意した武具を身につけて戦うことになる。いわばこの大会は、戦士たちだけでなく武具店にとっても大きな意味を持つイベントなのだ。
 受付にどうにか間に合ったディアスは、大方の予想通り圧倒的な実力で勝ち進んでいった。何しろほとんどの相手はろくに剣を交えることもなく、彼の一撃にて敗れ去っていくのである。盛り上がる隙すら与えられない観客はただ茫然と、彼の一分の隙もない剣さばきに感嘆するしかなかった。名うての職人たちが持てる力と技のすべてを結集させて作り上げた、いかに強固な防具であろうとも、ディアスとギャムジーの剣の前には薄紙も同然だった。
 そして、クロードは。
 気合いを発して相手が斬りかかってくる。動きを見切ったクロードは、剣で相手の剣を軽く受け流すとすかさず背後に跳び退いた。剣士は詰め寄ってさらに攻撃を仕掛けるが、クロードもまた受け流して今度は横に跳ぶ。間合いを詰めて執拗に攻撃する相手に対し、クロードは打ち払っては退くばかりでまともに剣を交えようとしない。そのうちに相手も苛立ちを露わにして動きが緩慢になってくる。それが彼の狙いであるとも知らずに。
 彼の剣もろとも打ち砕かんばかりに振り下ろされた刃をクロードは身体を仰け反らして躱し、素早く相手の懐に潜り込んだ。左拳に闘気が集中する。
「流星掌ッ!」
 白熱したように鈍く光を放つ拳を相手の胸板に繰り出すと、剣士は一気にフィールドの隅まで吹き飛ばされ、壁に激突して昏倒した。
「勝負あり! クロード・C・ケニー選手、決勝進出決定!」
 アナウンスと共に盛大な歓声が沸き起こる。観客席のどこかしこで鳴り物をうち鳴らし、紙吹雪や賭け札を撒き散らしては彼の名を大呼する光景が見られた。スタンドからの賞賛を一身に浴びて、異国の少年は闘技場の中央で静かに立ちつくしていた。
 レナとセリーヌはコロシアムの向こう正面、最前列の席で観戦していた。
「きゃーっ! きゃーっ! 次は決勝戦ですわよ! どうなってしまいますの!?」
 他の観衆と同じように騒ぎたてるセリーヌの隣で、レナは席に座して黙ったまま、一心にクロードを見つめている。
 と、クロードがこちらを向いた。不安げな視線を送る彼女を見つけると綏撫《すいぶ》するように微笑し、軽く頷いてみせる。先程、レナはディアスの件の事情を説明し、誤解は解かれた。今はどちらにも蟠《わだかま》りはない。
 心配ないよ。こころからこころへと、紡ぎだされた言葉が彼女に伝わってくる。
 クロードは再び前を向いて入り口へと歩き出し、控え室の方へ消えていった。
 堪えきれずに、レナは下を向いた。胸の鼓動が、喉から飛び出しそうなほど大きくなっていた。深呼吸をしてなんとか落ち着かせようとするが、それでも鎮まらない。どくんどくんと一定の間隔で鳴り続ける音が、からだの中から耳を劈《つんざ》く。
(クロード……ディアス……どちらが勝つことを、私は望んでいるのだろう……)
 募る不安に、レナは瞳を伏せた。凍えるように背中を震わせながら。

「……先代ラクール十三世は、かつて臣下に次のような言葉を残しました。曰く『負け戦に得るものは無し』と。ひとたび戦争を始めるのならば、勝たなくては意味がない。軍備を整え、よりよい人材を集め、いかなる状況においても勝てると判断したときにのみ、戦を仕掛けるべきである。そんな先代の慎重さこそが、この大会を生み出したと言っても過言ではないでしょう。かの方が見下ろすこのコロシアムで、いよいよ最後の勝者が決定いたします」
 丸眼鏡の司会がフィールドの中央に立って、流暢な口振りで話していた。
「それでは、両者の入場です」
 ディアスが、そしてクロードが入口から出てきて、闘技場の中央に向かい合うように立った。観客席から歓声と、どよめきが走る。これまでの試合ではしっかりと防具を身につけていたクロードだったが、今はすべて外している。ディアスと同様に剣のみを腰に差して。
「いいのか? 身を守るものがなければ、怪我では済まされないかもしれんぞ」
 ディアスが言うと、クロードはニッと口許をつり上げて。
「こうでもしないと、お前のスピードにはついていけそうにないからな」
「ふん、賢明な判断だな」
 クロードが剣を抜いて構える。ディアスはいつものように剣は抜かず、だらりと両手を垂らしたまま。
 場内の喧騒が一気に静まり返った。その場にいたすべてのものが、息を呑んでふたりを見守る。
 そのとき、観客のひとりが無言のままに席を立った。つられるように周囲でひとり、またひとりと立ち上がる。それを見た者たちが次々と席を立ち、その輪は瞬く間に場内に広まった。恋人たちは手を繋ぎ合い、老人は杖に寄りすがるようにして立った。セリーヌも立ち上がる。だがレナは放心したように前を向くばかりで、立とうとはしなかった。
「第二十一回ラクール武具大会、決勝戦。……試合開始ぃっ!」
 合図と共にクロードが斬りかかった。ディアスは彼が目前まで迫ると素早く剣を抜いて下から突き上げるように攻撃を弾き返し、返し刀でクロードの肩口を狙った。クロードは上に跳躍して避け、落下する勢いに任せて剣を振り上げ叩きつけた。ディアスもすぐに反応して峰で受け止める。
 ふたりがそれぞれ同時に後方に跳躍して間合いを取ると、やはり同じように反動をつけて相手に向かっていく。乾いた金属音が場内に谺《こだま》した。ディアスが切り返して横に薙げば、クロードも剣で弾き返して無防備になった胸の中心めがけて突きを繰り出す。身を翻して躱したところをさらに回し蹴りを放つが、ディアスは既に跳躍してクロードの背後に降り立つところだった。慌てて間合いを取るクロード。
 ディアスが剣を納めた。クロードは油断なくディアスを睨んで構えている。
(強い……小手調べとはいえ、この俺が劣勢に立たされるとは)
 心の中で、ディアスは唸った。
(ならば、こちらとしても、手加減するわけにはいかないな)
 ディアスの目つきが変わった。クロードもそれを感じ取ったのか、剣を握る手に力を込める。
「空破斬!」
 黒き衝撃波が地面を走り、クロードを襲った。虚を突かれたクロードは体勢を崩しながらもなんとか躱しきる。そこへディアスが詰め寄り、瘴気の込められた剣を振り上げて。
「ケイオスソード!」
 振り下ろされるより一瞬早くクロードは横に跳んで避けた。瘴気の塊が地面を砕き、土くれやら石の破片やらがあたりに飛び散る。
 追い討ちをかけるようにディアスはクロードの真上に跳躍して、剣に全神経を集中させると。
「クロスウェイブ!」
 空中から放たれた十文字の衝撃波は辛うじて躱したものの、それが地面にぶつかる際の余波を喰らって宙に放り出され、クロードはフィールドの壁際まで吹き飛んで倒れた。闘技場を四等分するかのように地面が鋭く抉られ、中心にできた大きな窪みはその威力の凄まじさを物語っている。
 地面に降り立ったディアスが剣を納める頃には、クロードは立ち上がろうとしていた。服は砂と埃にまみれ、顔にはいくつもの細かい傷が赤く浮かび上がっている。
「降参してもいいのだぞ」
「バカ言え。まだまだこれからだ」
 再び剣を構え直し、相手を睨みつけるクロード。一瞬、ディアスはわずかに口許を緩ませたが、すぐにきっと切り結ぶ。
 クロードがじりじりと間合いを詰めていく。だがディアスは動かない。彼は間合いを取る必要はないのだ。相手が動いたところを反撃するだけでいいのだから。彼に隙を作らせるには。
 その場で剣を振り上げ、クロードは気合いを込めて振り下ろした。剣先から放たれた衝撃波が地面を走って相手へと向かっていく。
 ディアスは目を見張った。それは自分の技だった。白と黒の違いはあれど、それは先程この身自ら放った空破斬だった。一度見ただけで真似ができたというのか。
 しかし、衝撃波の速さまでは真似できなかったらしい。疾風迅雷の勢いで相手に向かっていくディアスの空破斬に比べて、クロードのものはやけにのろのろと進んでいく。避けてくれと言わんばかりに。
 ディアスがその道筋から身を外そうとした刹那、上空から影が落ちた。既にクロードが彼の頭上で剣を振りかざしていたのだ! ディアスは柄に手を滑らせてさっと抜き放つと、断ち切るように振り下ろされる刃を受け止める。目前に衝撃波が迫る。そのまま剣でクロードを押し返すと間一髪、地面を転がるようにしてどうにか躱した。左手と右膝を地につけたまま身を起こしてクロードの方を向く。
「気功掌ッ!」
 すぐにクロードは間合いを置いた場所から闘気の塊を放った。体勢の崩れたディアスに躱す余裕はない。右手一本の無理なかたちからケイオスソードを繰り出し、闘気を弾き飛ばした。
 間髪容れずにクロードが斬りかかる。ディアスが背後に跳び退くと、彼も地面を蹴って追いすがる。ふたりの中心で剣と剣がぶつかり合った。
「……見事だ」
 剣を交えたまま、ディアスが言った。クロードは小刻みに息をつきながら相手を睨んでいる。
「お前がここまでやってくれるとは、思いもよらなかった。……だが」
 ひゅっ、と、クロードの腹のあたりを風が吹き抜けた。クロードも反応して後方に退いたが間に合わず、片膝をついて腹を手で押さえる。大量の血が堰《せき》をきったように溢れ出て、指の間から流れ落ちる。
「残念だが、速さでは俺には勝てん」
 ディアスは剣を鞘に納めて言い放った。彼はあの瞬間に切り返してクロードの腹を薙ぎ払ったのだが、場内でその動作を見極められた者は、おそらくいなかっただろう。
 クロードが血を吐いた。観客席から悲鳴が上がる。それでも彼は前を向いてディアスを睨めつけ、よろめきながらゆっくりと立ち上がった。腹を押さえる腕は紅に染まり、口の端からも血がひとすじ零れ落ちる。
 その姿に、ディアスは思う。
 ──この男は、何のためにここまで戦う?
 何が彼をこの場に駆り立てているのか。賞金や名誉といった物欲ではない。それは明らかだ。彼の背後には、もっと大きな理由が、存在が見え隠れしているように感じる。
 彼が戦う理由、それはつまり。
(……己が信ずるもののため)
 それゆえに、こいつはここまで強くなったというのか。それゆえに、こいつは立ち上がろうとするのか。傷つき、砕かれ、果てようとも、この男は信ずるもののために突き進んでいくのだろうか。
 とうの昔に信ずるものを失った彼は、目の前の少年に追懐の情を抱かずにはいられなかった。瞳の奥に宿る孤独は、かつての自分と同じではなかったか?
 ふと、ディアスは横に目を遣って観客席を見た。そこには席に座ったまま俯くレナの姿があった。からだを震わせ、膝の上に置いた手を握りしめて。
 ディアスはかすかに顔を曇らせ、眉間に皺を寄せた。
「レナ!」
 突如として彼が叫ぶとレナはビクッと全身を揺すり、怯えたような表情でゆっくりとディアスに視線を向けた。
「前を見るんだ。こいつの姿を、その目にしっかりと焼きつけておけ」
 闘技場に彼の澄んだ声が響く。そして再びクロードに向き直り。
「このまま下手に長引いて、くたばってもらっても困る。次で最後だ」
「ああ」
 クロードは歯を喰いしばり、汗と血にべっとりと濡れた両手で剣を握って構えると、視点の定まらない目でディアスを睨みつけた。傷口から流れ出た血が腿から腓《こむら》を伝って足許に落ちる。
 ディアスはおもむろに柄に手をかけ、剣を抜きはなった。この大会にして初めて、彼は抜き身の剣を構えた。
 場内が再び静寂に包まれた。その場のすべての視線が中央のふたりに注がれる。唾を呑み込み、汗の浮いた掌を腿の横に擦りつける若者。祈るように両手を前で合わせる女性。レナもついに立ち上がり、目を背けたくなる心を必死に励まして前を向いた。闘技場全体がひとつになり、誰しもが次の瞬間を待った。
 気合いを発して先に攻撃を仕掛けたのはクロードだった。腕に必殺の闘気を込めて斬りかかる。ディアスが受け止めようと身構えたそのとき、クロードは真上に高々と跳躍した。そして空中で反転すると同時に、右手の剣を思いきり投げつけた!
 ディアスの双眸が驚愕の色に開かれる。素早く剣を振るって、車輪のごとく回転しながら向かってきた剣を寸前で打ち飛ばした。主なき刃は砕かれ、その破片と共に宙に舞い上がる。──そして、頭上に影が。
 はっとして見上げると、クロードの顔がすぐ目の前にあった! 右の拳は凄まじい闘気を帯びて燃え上がるように黄金色に輝く。
「バーストナックル!!」
 灼熱する拳をディアスの胸の中心めがけて叩きつける。だがその刹那、相手の身体が横に動いた。必殺の一撃は肩口の外套を掠めて空をきる。
 ディアスはすかさず切っ先を地面に向けて構えると、足許から弧を画くようにして剣を突き上げる。
「朧」
 剣先の筋から蒼白い衝撃波が巻き上がり、クロードの身体をいとも容易く突き飛ばした。自身の剣と同じように彼は宙に投げ出され、そして地面に落ちた。無雑作にうち捨てられた人形のように、うつ伏せに倒れたまま、動こうとはしなかった。
「し……勝負あり! ディアス・フラック選手、優勝ですっ!!」
 その言葉に、沈黙に包まれていた場内が一気に沸き返った。もはや怒号のようになった歓声はディアスの勝利を讃するものでもクロードの健闘を称えるものでもなかった。両者がぶつかり、繰り広げた激闘は、勝負を超えて観客を圧倒し、魅了したのである。ラクール・オブ・ラクールを決する試合に相応しい、それ以上の戦いを見せてくれたふたりに、彼らは手を打ち鳴らし、口々に賞賛の言葉を浴びせた。
 フィールドでは、入場口から慌ただしく担架が運ばれてきた。四人がかりでクロードを乗せると、また小走りに入口へと戻っていく。
 ディアスはレナを見た。彼女は瞠然《どうぜん》と、担架に乗って運ばれていくクロードの姿を目で追っていたが、ふとディアスの視線に気づいてこちらを向いた。
 ディアスが顎で控え室の方を指し示す。行け、というふうに。
 それを見たレナは大きく頷くとすぐに駆け出し、階段を上って通路を走っていった。慌ててセリーヌも後を追う。
 その姿を見送った後、ディアスは自分の左肩に視線を移した。クロードの最後の一撃によって、その部分だけ外套と上着の生地が焼け焦げ、肌が剥きだしになっている。さらに肌も高熱に曝されて赤く腫れていた。衣服も肌も彼の拳に直接は触れていないはずである。立ちこめる闘気だけでこの威力ならば、まともに喰らっていたらどうなっていただろう。
(これほどの技を、あの状態で繰り出せたのか)
 もはや収拾のつかない歓声の中、ディアスは粛として歩き去っていく。かつてない好敵手に敬意と、そして微かな嫉妬を抱きながら。

 控え室の方へ足を運ぶと、案の定、レナたち三人がいた。扉を潜るとクロードが、そしてレナが順にこちらを向いた。彼女の呪紋により、傷はすっかり癒えているようだ。
「ディアス」
 クロードが言うと、ディアスは彼の前に立って肩を竦める。
「お前に名を呼び捨てにされる覚えはないが、まあいいだろう」
「なんの用だよ」
「一応、礼を言っておこうと思ってな」
「礼?」
 怪訝そうにクロードが訊いた。気にも留めずにディアスは続けて。
「お前は想像以上だった。本気を出したのは久しぶりだ」
「…………」
 神妙に見つめるクロードに対し、振り返って背中を向けると。
「だからといって図に乗るな。褒めたわけではない」
「なっ……!」
 またも言葉を失ったクロードを後目に、今度はレナの方を向いて。
「レナもあまり甘やかすな。こいつは突き放すくらいが充分だからな」
「なによ、それ」
 レナは口を尖らせた。
「じゃあな。話はそれだけだ」
 振り返って扉へ歩き出そうとした、そのとき。
「ディアス!」
 クロードが呼び止めた。立ち止まるディアス。
「……何だ?」
「また、会えるか?」
 片方の眉を上げて、ディアスが振り向いた。クロードは相変わらず睨むような眼差しでこちらを見据えている。
「時が来れば、な」
 それだけ言い残して、彼はその場を去っていった。


 ギャムジーとスフィアが連れたって店に戻ると、そこには既にディアスがいた。作業小屋の外壁に寄りかかり、腕を組んで瞑目している。
「なんじゃディアス。待っておったのか」
 ギャムジーが声をかけると、ディアスは目を開いて顔を上げた。
 作業小屋の鍵を開けて、ギャムジー、スフィア、そしてディアスが中に入る。
「剣を返しに来た」
 ディアスは腰の剣を外すと、前に差し出して言った。
「いやいや、それには及ばんよ。その剣はお前さんが持っていてくれればいい」
「ディアスお兄ちゃん、すっごいカッコよかったよ〜」
 横でスフィアがはしゃぐのをよそに、ディアスは意外そうにギャムジーを見た。
「いいのか?」
「ああ。どうせ売る気はないんじゃ。その剣も、お前さんに使うてもらいたいと言うておる。ほっほっ」
「剣がおしゃべりするの? 変なの〜」
「おやおや、スフィアは聞いたことないのかね。儂の作った剣はみんな、おしゃべりするんじゃぞ」
「ほんと?」
「ああ、ほんとじゃ。その剣はこう言っておる。『ディアスさん、こんなボクでも使ってくれてありがとう。これからもあなたの役に立ちたいから、連れていってください』とな」
 ギャムジーはそこまで言うと、ディアスに向き直り。
「……まぁ、そんなわけじゃ。お前さんはこんな老いぼれにも夢を与えてくれた。礼だと思って受け取ってくれ」
「……この剣の名は?」
「シャープネス、じゃ」
「シャープネス……」
 ディアスは舌の先でその名を転がしてみた。呼応するように、柄の先端の部分が微かな光を零す。
 剣を腰につけ直し、改めて前を向いたとき、ギャムジーの後方の壁に彼の剣《シャープネス》と同じような剣が立てかけてあったのが目についた。
「それは?」
 ディアスが訊くと、ギャムジーはああ、と剣を手にとって。
「大会用に作っておったもう一本の剣じゃよ。こちらの方が若干、刀身が太くて重いが、斬れ味はそう変わるものでもないじゃろう」
「……見せてくれ」
 請われて、ギャムジーは剣をディアスに渡す。
 鞘から抜いてみると、やはり刀身はシャープネスよりもいくらか太いようだ。しかし、それでも通常の剣に比べれば細く、片手でも楽に振り回せる重さだった。刃の輝きはディアスのものと寸分違わない。
 もし、クロードがこの剣で出場していたら、とディアスは不意に思った。俺は負けていたかもしれない。負けずとも、苦戦は必至だったろう。
 同時に、彼は見てみたくもなった。クロードがこの剣を使って戦う姿を。
「……頼みがある」
 剣に視線を落としたまま、ディアスが言った。
「クロード・C・ケニーは知っているか?」
「ああ。決勝で戦った相手じゃろう。あちらもなかなか強かったのう」
「もし、あいつがここを訪ねてきたら……いや、きっと訪ねてくるだろう。そのときには、この剣を渡してもらいたい」
「なんじゃ、知り合いなのか」
「まあな。……会えばわかる。奴ならこの剣を充分に使いこなせるはずだ。無理は承知しているが……」
「あいや、わかったよ。ほかならぬお前さんの頼みならな」
「礼を言う」
 剣を鞘に戻してギャムジーに渡すと、踵を返して扉へと歩いていく。
「なんじゃ、もう行くのか? せっかくだからもう少しのんびりしていっても」
「どうやら俺には、外の空気の方が性に合っているみたいでな」
「そういえば、夕方に授賞式があると聞いておるぞ。そっちはどうするんじゃ?」
「爺さんが代わりに行ってくれ」
「儂が!?」
 返答を待つ間もなく、ディアスは扉を開けて外へ出ていった。
「やれやれ……相変わらず無愛想な奴じゃ」
 がたんと閉まる鉄の扉を見ながら、ギャムジーはかぶりを振った。
 老人の手の中で、剣はちりちりと微かな光を湛《たた》えていた。


 城下町の門を抜け、下り坂の道を降りきったところで、彼は振り返った。
 夕闇の中に、重厚な石造りの城が浮かんでいる。風にはためく獅子の紋章は、西陽を受けてなおも毅然と佇む。
 しばしの間、彼は眩しそうに旗を眺めた。そして思う。
 見限ったはずの、この世界。
 だが、この胸の高揚は何だろう。
 ──もし、もしも。
 まだ、世界が俺に何かを示してくれるのだとしたら。

 外套を翻し、城に背を向けて、彼は歩き出す。

 ──もうしばらくは、この世界につき合ってみるのも悪くない──。



--
【ひとくち解説】
 ディアスとの対決は、連載を始める前から書きたかったエピソードのひとつでした。ずっと温めていたので満を持して、という感じだったんだけど、文章でバトルはなかなか難しいですね。映像的には(わたしの脳内イメージだけど)悪くないと思います。ただ、それが再現できているかどうかは……。
 まァ、それなりに頑張ったつもりです。書いてるときは結構ノリノリだったし。勢いで書けるのが良い。
posted by むささび at 04:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年07月24日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第四章(2)

   2 己が信ずるもののため(前編) 〜ラクール〜

 仄暗い闇の中、ディアスは両手で剣を握って構えた。服の袖から突きだした撓《しな》やかな腕が固く強張る。父愛用の大剣は背丈ほどもあり、彼の華奢な身体には釣り合っていない。それでも彼は、呼吸を整え、じりじりと摺《す》り足で間合いを計ると、素早く前方の敵──に見立てた丸太に斬りかかる。多少よろめきながら振り上げ、振り下ろした剣は丸太の芯にも届かずに止まった。あとから腕がじんと痺れる。なおもディアスはこの動かぬ敵を相手に猛攻を仕掛けた。斬り、払い、ときには切っ先を突き立てもしたが、丸太は細かい傷痕を増やしながらも、なお彼を小馬鹿にするように泰然と立っている。
 ディアスは攻撃の手を休めた。無雑作に剣を地面に落とすと両手を膝に突き、頭《こうべ》を垂れて苦しそうに息をついた。
「お兄ちゃん」
 家の入口の方から馴染みのある声がした。扉を閉めて出てきたのは、寝間着用のゆったりした服に身を包んだ少女。眠そうに目を擦る妹の顔は、いつもよりあどけなく見えた。
「セシル、何時だと思っているんだ」
「怖い夢、見ちゃったの」
 セシルが言うとディアスは軽く嘆息して、剣を拾って家の外壁沿いに置いてある岩に腰かけた。セシルも歩み寄り、寄り添うようにして彼の横に座る。
 ふたりは空を見上げた。満ちかけの月が皓々《こうこう》と闇の中に浮かんでいる。そのためか星は普段よりも少なく見えたが、それでもなお、女神が戯れに跳ね上げた水飛沫のように、またこの世ならぬ蝶が舞い散らした鱗粉のように、ちかちかと瞬き、煌めいていた。
 ディアスは視線を下ろして妹の横顔を覗く。肩までの髪は月明かりに照らされて、もはや白銀とも言い得る輝きを放っている。顎《あぎと》から肩口、さらに胸から腰にかけての躰の線は緩やかな曲線で、まだ幼さを見せているが、その瞳だけは、まれに驚くほど大人びた色を映すことがある。
 セシルは月に目を遣ったまま、舌足らずに夢の内容を話し始める。
「緑色のもじゃもじゃしたお化けがね、いっぱいやってきて、セシルを追っかけまわすの。セシルもいっぱい走って、逃げたんだけど、そのうち追いつかれちゃって、囲まれて……それで、目が覚めちゃったの」
「……そうか」
 ディアスはしばらく黙するのみだったが、不意にゆっくりと立ち上がった。だらりと降ろした手には剣を提げて。
「夢ならばいい。夢なら、目覚めてしまえばすべて消える」
「でも、セシル怖くて眠れないよ。夢の中にまたお化けが出てきたら」
 瞳を潤ませてそう言う妹を、ディアスはひどく愛おしく感じた。彼女の頭を軽く撫でると眦《まなじり》を緩めて微笑し、それから剣を前に掲げて、言った。
「そのときは、俺が助けに行くさ。お化けなんて、この剣で蹴散らしてやる」
「ほんと?」
「ああ、約束する。だから、もう寝るんだ。明日起きられなくなるぞ」
「じゃ、一緒に寝よ」
 セシルは無邪気に、眉根を寄せてこちらを向く兄の顔を覗き込んで言った。
「だって、お兄ちゃんも寝ないと、夢の中のセシルを助けらんないでしょ。早く家に入ろ」
「……ちょっと待て」
 ディアスはその言葉の真意を理解して、呆れ半分に言う。
「一緒に……って、言っておくが、添い寝はしないからな。赤ん坊じゃあるまいし」
「えーっ」
 セシルは不平そうに口を尖らせる。
「そばにいないとセシル助けらんないでしょ」
「夢の中ならどこからだって助けに行けるさ。妙な理屈をこねるな」
「いーもん、だったらあたしがお兄ちゃんの部屋に行くもん」
「おい」
 恐い顔を作るディアスに、セシルは悪戯っぽく笑って。
「そんな顔したって、ぜーったい行くからね。まさかかわいい妹に床で寝ろ、なんて言わないよね?」
「……勝手にしろ」
 満面に笑みを浮かべるセシルの横を、仏頂面ですり抜けるディアス。
 家の入口まで歩きながら、ディアスは誰にも知れず溜息を洩らした。
 こんなことがレナに知れたら、また冷やかされてしまうな。……いや、きっと知れるだろう。セシルが一言ももらさず話してしまう。
 そうは思ったものの、やはりセシルは彼にとってかけがえのない存在だった。血を分けた、たったひとりの妹というだけでない。むしろそれ以上に、彼女の無垢なひとつひとつの表情が、彼に無限の安らぎを与えずにはいられなかった。
 しかし、純真無垢なだけに、彼女は傷つきやすく、壊れやすいものにも思えた。
(だからこそ、俺はこの子を守らなくてはならない)
 それは自分のかけがえのない妹を、俗なもの、汚れ多きものに近づけたくないという個人的な感傷も含まれていたのかもしれない。だが、それも彼の、一途にセシルを守りたいという想いには違いない。
(俺はこの子を守る盾となろう。そのために俺は強くなる。これが、俺の信じる道だ)

 ──そう、固く誓っていた。
 ……なのに。

 ふと、背後にセシルの気配が感じられないことに気づいた。振り返ると、そこに妹の姿はない。
「セシル……?」
 訝しげにそう呟いた刹那、あたりの景色も闇に呑み込まれた。月も星も家も先刻まで座っていた岩も、すべてが闇黒《あんこく》に閉ざされてしまった。あるのは自分自身と、彼が手に持っていた剣のみ。
(……けて、お……にい……ちゃ)
 どこからか妹の声が聞こえる。ひどく弱々しい、か細い声だ。
「セシル、何処だ! 何処にいる!」
 周囲を見渡して叫ぶ。あるのはただひたすら闇のみ。そこから抜け出そうとがむしゃらに駆け出したが、彼を嘲笑うかのように闇は延々と続いている。
(た、す……け……て)
 その声は彼の脳裡《のうり》を直に射抜いているように感じられた。焦燥と不安にかられた瞳が必死に妹の姿を追って、闇の中を彷徨《さまよ》う。
「セシル、返事をしろ! 何処にいるんだ!」
(お……に……い……ちゃ……)
 もはや正気を逸したように走りながら、滅茶苦茶に剣を振り回す。ディアスは藻掻いていた。執拗に纏《まと》わりつく闇を振り払い、妹の姿を見つけるために。しかし、それは畢竟《ひっきょう》適わぬことであった。
 足がもつれて、ディアスはその場に倒れた。妹の声は、もはや届いてこない。それが何を意味しているのか、彼は解っていた。
「……守れないじゃないか」
 両膝と手を地面に突いて身を起こすと、その黒き地面を奇妙に凝視したまま彼は呟いた。額から流れた汗が鼻先を伝って、ぽとりと眼前に落ちていく。
 ディアスは自らの無力さを呪った。守るべきものさえ守れない自分を責めた。やり場のない怒りが奔流となって彼の躯《からだ》を駆けめぐる。
 それらをすべて吐き出すように、ディアスは吼えた。喉も潰れんばかりに、吼えて、吼えて……最後には嗚咽ともつかぬ呻きだけが残った。

(…………もう…………で。ほら……)
 誰かが、彼の前に立っていた。
 憔悴しきった顔を上げると、そこには青い髪の少女がいた。
 慈しむように優しく微笑しながら、細く白い手がゆっくりと差し伸べられる──。


 小鳥の囀《さえず》りで、彼は目を覚ました。
 森は濃い靄《もや》に包まれ、まだ薄暗かったが、木の葉の隙間から臨める空は藍晶石《キアナイト》のごとき澄んだ青色をしていた。日が昇ってからさほど刻も過ぎていないようだ。視線を落とすと眼前には燃え尽きた薪が燠火《おきび》となってちりちりと燻《くすぶ》っている。
 ディアスは木の幹に凭《もた》れたまま、しばらく額に手を宛てて物思いに耽っていた。その表情には知らずと倦怠感が滲んでいる。
(目覚めてしまえばすべて消える……か)
 夢の中の、いや、遠い過去に自らが吐いた台詞を思い出して、彼は自嘲気味に笑った。
 傍らの荷袋から水筒を取り出すと軽く嗽《くちすす》いで、それから残りの水を燠火にふりかける。ジュッと小気味いい音を立てて火は消えた。
(目覚めても消えぬものは、現実という名の悪夢)
 立ち上がって荷袋を担ぐと、朽ち木や枯れ葉を踏みしだきながら黙々と歩き出した。
(……あの頃には、思いもしなかったな)


 ラクール・オブ・ラクール。かの王国が武具と戦士の国としてこう称せられるのには、由縁がある。
 現在のラクール十四世の父親、つまりラクール十三世は頗《すこぶ》る野心家であった。健在だったはずの先代が急逝し(これも彼が毒殺したとの噂がある)、自らが王位に就くやいなや、友好関係にあったクロス・エル両国をも掌中に収めるため、急速に軍備を拡大させていった。しかし、当時のラクールはさほど大きな国ではなかった。兵士にしても武具にしても、国内のみで賄うには限界がある。
 そこで王は、城内に巨大なコロシアムを建設させ、年に一回、武具店と戦士による剣術大会を行うことにした。目的は言うまでもなく、優秀な武具と兵士を自国にかき集めることである。これが、のちの『ラクール武具大会』の原型となった。当時は優勝者には将軍の地位と称号が与えられ、また武具店には国軍御用達の店として、莫大な利益が約束された。
 さらにラクール十三世は、一部の術師のものでしかなかった紋章術を兵器として利用できないものかと考え、秘密裏に研究所を創設し、学者たちに研究をさせていた。もっとも、その成果が顕著に表れるのは、彼の没後幾年か後のことだったのだが。
 そう、ラクール十三世はその野望を胸に秘めたまま、この世を去った。表向きには飼っていた毒蛇に咬まれて急死したということになっているが、それも先代同様、確かではない。
 だが、奇しきも彼の暴戻《ぼうれい》なる野望は、結果としてのちのラクール繁栄に多分に貢献した。武具大会は武具店と戦士の実力を純粋に競い合うイベントと化し、それによる利益は国を大いに潤した。世界中から屈強の戦士たちが、優秀な鍛冶師や職人がそれぞれの名誉と誇りをかけてこの地に集い、いつしか『ラクール・オブ・ラクール』の名を冠するまでに至った。戦乱を企てた先代の野心が、ラクールに繁栄と平和を──皮肉にも──もたらしたのだった。ラクール十三世は繁栄の基礎を築いた名君として国民から賞賛され、その業績を称えてコロシアムの正面の屋根には彼の彫像まで建てられた。コロシアムを見下ろす石膏像のラクール十三世は、今もそこに、居心地の悪そうに佇んでいる。

 武具大会を前にして、ラクールの城下町は活気に満ち溢れていた。殊《こと》に東部の武具店が揃って軒を並べる通りでは、大会の参加者を募る店主の威勢のいい呼び声と、展示されている武具に鋭い視線を送っては店主と談論する戦士たちとで、異様な熱気に包まれていた。
 通りの一角、隅にある店の前で、長身の剣士が剣を手にとって丹念に眺めている。滝のごとく背中に下ろした水色の長髪は、雑然とした群衆の中でもひときわ目立つ。
「へへっ、いかがでやしょうか、そいつはウチの剣の中でも傑作中の傑作でさぁ」
 揉み手をしながらそう言う店主をよそに、剣士──ディアスは一心不乱に剣の刃を見つめる。
 成る程、確かに外観は良い。剣としてのバランス、刃と切っ先の形、角度ともに申し分ない。だが、いささか刀身に艶《つや》がありすぎる。見る角度を変えてみれば案の定、刃の至る所に細かい刃零《はこぼ》れが生じている。これは外観にこだわるあまり、剣としての実用価値を忘れてしまった証だ。
「……装飾品のごとき剣は要らん」
 ディアスは剣を棚に置くと、唖然とする店主には見向きもせずにその場を立ち去った。
 早足で武具店街を抜ける。元来、彼は人混みを好まないのだ。一通り店を廻ってきてしまえば、こんなむさ苦しい場所に用はない。
 陽は既に西の地平線に落ちかけている。中央広場の大通りから正面のラクール城を振り仰ぐと、重厚な建物は夕日に染められて脈動するかのように赤々と輝いていた。
 ディアスの表情は自然と険しくなっていた。今日一日かけて、名のある武具店をすべて訪ね歩いたにもかかわらず、彼を唸らせるような剣を扱っている店はひとつもなかったのだ。街に来たのが大会の開催三日前ということで、優秀な武器はあらかた他の参加者に取られてしまったのかもしれない。しかし、それにしてもこの惨状には目を覆うものがある。名工たちがその匠の技を存分に魅せつけてくれた、往年の武具店街の姿はそこにはなく、あるのはやたらと媚びを売る商人まがいの連中や、実力もないくせに態度だけは職人気取りの頑固親父ばかり。立派な店構えや派手派手しい看板とは裏腹に、武具の質は堕落としかいいようがない。いや、むしろその店構えに相応しい武器と言えるのかもしれない。どちらも外見だけを取り繕い、実《じつ》がない。
「……ラクールも、堕ちたものだな」
 苛立ちを吐き捨てるように、ディアスはひとりごちた。
 そんな経緯が、彼の足を酒場へと向かわせたのだろう。
 ディアスは特に店を選ぶこともなく、通りに面していた酒場の扉を潜る。すると珍妙な光景が彼の目に映った。
 息が詰まるほどの酒気が立ちこめる店内で、あまりにも場違いな少女と子供が、赤ら顔の戦士たちに何やら話しかけている。子供の方は緑色のおかっぱ頭で、しきりに甲高い声を張り上げては戦士たちの顰蹙《ひんしゅく》を買っている。そして少女の青い髪と三日月の髪飾り、さらに丈の短い衣装と赤いケープにははっきりと見覚えがあった。
 少女の方もこちらに気づき、はっと驚いたような顔をすると、すぐにこちらへ歩み寄ってきた。
「レナ、か」
「ディアス、どうしてここに……」
「それなら驚く必要もないだろう。武具大会に出場すると言ったはずだが」
「うん……そうだったよね」
 俯《うつむ》くレナに、ディアスは続けて。
「驚いたのは俺の方だ。また例の彼と喧嘩でもしたのか? 女の子がひとりで飲みに来る場所じゃないぞ」
「違うわよっ……!」
 レナは声を荒げると、紅潮しかけた頬を隠そうと背後の子供を向く。
「スフィアのおじいさんが打った剣を使ってくれる戦士を捜しているの」
「剣だと?」
 ディアスが眉を寄せて訊き返したとき、その子供がひときわ大きな声を揚げた。
「いやあっ!」
「スフィア!」
 レナは慌てて駆け寄り、スフィアの背後に屈んで抱き留めた。
「おいこらァ、いい加減にしないとたたっ斬るぞ、こんガキゃあ」
 戦士風の男たちが三人、凄い剣幕でスフィアに詰め寄る。
「俺たちの剣がナマクラたぁ、ふざけたことぬかしやがって」
「おじいちゃんの剣をバカにするからだいっ!」
 レナの腕の中でスフィアも強気に言い返した。
「そんな耄碌《もうろく》ジジイの作った剣なんざ、ろくすっぽ斬れやしねぇんだよ」
「それは試してみないことには分からないだろう」
 ディアスが口を挟むと、男たちがいっせいにこちらを向いた。
「なんだ、貴様」
 それには答えずに、スフィアとそのすぐ前に立っていた壮年の戦士との間に割って入ると。
「確かにラクールの武具は名品揃いだった。優れた逸品をラクールオブラクールと呼ぶだけのことはある」
「へっ、あんたもそう思っているんじゃねぇか」
 男は口許をつり上げて言うが、ディアスは無視するかのように続ける。
「だが、長い間その名声に浸りすぎたな。最近の武器の質は悪く、刃の輝きは曇るばかりだ」
「なんだと」
 一転して苦々しげに表情を歪ませる男に、彼は背を向けた。
「俺はすべての武具店を見て回ったが、目を留めた武器はひとつもなかった」
「ディアスはまだ武具店の登録をしてなかったの?」
 意外そうにレナがディアスに訊いた。
「そりゃ、あんたに剣を見る目がないだけじゃねぇか」
 男が莫迦にしたような口調で言うと、ディアスは自分の肩越しに相手を睨めつけて。
「戦ってみればわかるさ。あんたの剣では、髪の毛一本切れやしない」
「へっ、そういうことなら決着は大会でつけてやろうじゃねぇか」
「楽しみにしていよう」
 そう言い置くと、入口に向かって歩き出す。
「お前たちも行くぞ」
 途中、立ちつくすレナとスフィアにもそう呼びかけながら。

「まったく、酔っぱらっている連中に喧嘩をふっかけるバカがどこにいるか」
 酒場の前で、ディアスは嘆息混じりに言った。
「バカじゃないもん!」
 スフィアは相変わらず脳天に響くような声で言い返した。
「まあいい……それより、先程、剣がどうとか言っていたが、剣があるのか?」
「うん、ギャムジーおじいちゃんの剣は誰にも負けない名剣だよ」
「ギャムジー……」
 その名を聞いたディアスは、しばらく手を口に宛てて神妙な表情をしていた。
「どうしたの、ディアス?」
 レナが訊くと、徐《おもむろ》に手を降ろして彼女の方を向く。
「レナ、お前は部屋に戻るんだ。ひとりでフラフラしていないで、仲間のところへ帰れ」
「なによ、いきなり」
「俺はこの子と一緒に、その爺さんの店へ行ってみる。お前までついてくる必要はないだろう」
「そうだけど……でも」
「また例の彼に怒り狂われるのは嫌なんでな」
 ディアスが言うと、レナは顔を真っ赤にして絶句した。
「大会に、あいつは出場するのか?」
「……クロード? ええ、出場するわよ」
 なんとか体裁を取り戻してレナが答えた。
「伝言だ」
 外套《マント》を翻して踵《きびす》を返すと、去り際に彼は言った。
「必ず決勝まで勝ち残れ、とな」
 早足で街の西へと歩いていく。スフィアも慌てて後からついていった。
「なによっ。いつもそうやって、ひとりで勝手に進めていっちゃうんだから!」
 レナが叫ぶ声を背に受けても、ディアスは仮面のごとき表情を微塵も崩さなかった。
 日は沈み、濃紺の空には星がいくつか瞬いていた。

 ギャムジーの店は、街の西の外れ、人もほとんど通らない裏通りのさらに奥まったところにあった。
 店、とは言ったものの、そこにあるのはいわゆる商いをするような店とは程遠い、むしろ『小屋』と呼んだほうが相応しい建物だった。
 そもそも、建っている場所からしても卦体《けたい》である。一体全体この辺りはどんな地形をしているのやら、裏通りを抜けた先は切り立った崖か突堤のような場所に出た。その突端に、半球状をした作業小屋らしき煉瓦造りの建物と、それに寄りかかるようにして隣接している木造の小屋がふたつきり、まるでその場所だけ街から隔離されたように建っている。
 煉瓦造りの建物の前に立ち、きいぃと悲鳴のように軋む鉄製の扉を開けると、中にはこちらに背を向けて立ちつくす老人の姿があった。頭を被う毛織の帽子と上着《チュニック》は、どちらも元の色がわからないくらい煤《すす》にまみれている。
「おじいちゃん!」
 スフィアが駆け寄ると、老人はようやくこちらに向き直った。深い皺が刻まれたその顔は、長年炎と熱に曝《さら》されてきたせいか、やはり黒味を帯びていた。
「おや、スフィア、そちらの方は?」
「大会に出場する剣士さん。ディアスっていうんだって。おじいちゃんの剣が見たいって言うから連れてきたの」
「おうおう、それは有り難いことじゃ、て」
 老人の声はたまに、すうと息が抜けるような音だけがして発音されないことがあり、ひどく聴きづらかった。
「工匠ギャムジー」
 ディアスが一歩前に進み出て言うと、ギャムジーは一瞬、眼をカッと見開き、それからすぐに穏やかな表情に戻った。
「ほうほう……そう呼ばれるのは久方ぶりじゃ。その肩書きは、かつては儂だけの専売特許だったんじゃがのう」
「やはり……そうか」
 ディアスは軽く目を伏せて、それからまたギャムジーを見た。
「ラクール十三世の時代に、右に並ぶ者がないと言われた名匠。圧倒的な実力で武具大会には優勝したものの、国軍に協力するのを拒否して国外追放を受けた鍛冶師がいたというのを聞いたことがある。……この街に戻っていたのか」
「ああ、じゃがもう剣は打たん。打っても売りには出さんかった。のんびりと遁世《とんせい》生活を送らせてもらったよ」
 ギャムジーはそこまで言うと、傍らにいたスフィアを抱き上げて。
「じゃが、このスフィアがどうしても武具大会に出てくれとせがむのでな。儂ゃ、もう表舞台には立ちとうないのだが、可愛い孫の頼みとあっては話は別じゃ。老いた身ひとつながら、頑張ってみようということになってな」
「おじいちゃんの剣は、ぜったい強いんだから!」
 ギャムジーの腕の中で、スフィアが得意満面の笑顔を浮かべて言い放つ。
「……剣を見せてもらおうか」
 ディアスが言うと、ギャムジーはスフィアを降ろして。
「おうおう、そうじゃな。……これじゃ」
 壁に立て掛けてあった一本の剣を手にすると、ディアスに手渡した。
 剣の鞘を抜くと、すらっとした刀身が目の前に現れた。それは、剣というよりほとんど細剣《レイピア》に近いものだった。長さは柄も含めて、ディアスの腰から足許にかけてほど。力を加えればポキリと折れてしまいそうなほど刀身は細かったが、いかなる妙技をもってしてか、よほど変な力を加えない限り折れない形状になっている。そして刃は、親指で軽く触れただけで指先に薄く線が刻まれていた。これまで見て廻ってきた武具店にはなかった、正真正銘の刃の輝きがそこにあった。
 ディアスはこの剣を手に取った瞬間、背筋に電撃が走った。その理由は、こうして刀身を眺めているうちにわかった。柄を握っているはずの右手が何も持っていないようにも感ぜられる。まるで、剣そのものが右手の一部となってしまったかのような感覚。この剣はまさしく、ディアスの剣だったのだ。自らの半身に出逢えた悦びに、剣は輝きを一層増す。
「いやはや、正直、儂の剣を使って参加してくれる者がいなくて困っておったのじゃよ。……いかがなものかね。無理を承知でお願いするのじゃが……」
「……いいだろう」
 魅入るように剣を眺めていた視線をギャムジーに移すと、ディアスは言った。
「この剣で、俺は戦おう」



--
【ひとくち解説】
 「森のお化け」再登場(笑)。実際アレが集団で襲ってきたら誰だって逃げますわな。イベントでは愛嬌振りまいてチヤホヤされてるけど、実はその正体は、環境破壊する人間を襲っては森の肥やしにするクリーチャーなんです。皆様もゆめゆめ油断なさらぬよう……。
 ……で、何の話でしたっけ(;´Д`)
posted by むささび at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年07月18日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第四章(1)

第四章 彷徨の途《みち》


   1 そら 〜ヒルトン〜

 港町ヒルトンは、雑然たる街並みを呈していた。
 かつてのクリクのような、ひとつの芸術作品のごとき美しさもなく、ハーリーのように広大な敷地に建ち並んだ屋敷や豪邸のごとき雄渾《ゆうこん》さもない。住居の隣はまた住居。店の隣もまた店。飲んだくれの集まる酒場のすぐ横で、八百屋の親父が買い物客相手に威勢よく声を張り上げるといった具合である。港の強い日差しにさらされて黄ばんだ白い壁。ところどころ瓦が欠けたり罅《ひび》の入っている赤茶色の屋根。それらの建物は息苦しいほど密集しており、果てなく広がる海とは対照的に、こぢんまりとしていた。
 一隻の船が、港の桟橋の前に停泊した。桟橋から渡し板がかけられ、乗客が次々と降りていく。
 全員が降りきったと思いこみ、船乗りが渡し板を外しかけたそのとき、ようやく船室から出てきた一組の旅人が、慌てて声をあげて船乗りに合図した。ぐったりとしている風変わりな衣装の女。それを両側で抱え込むようにして、それぞれ少年と少女が支えている。
「うう……不覚ですわ……」
 真ん中でふたりに支えられている女が呻いた。顔色は悪く、心なしか少しやつれて見える。
「このわたくしが船酔いなんて……」
「ほら、しっかりしてくださいよ、セリーヌさん」
 青い髪の少女はセリーヌと呼んだ女の左腕を肩にまわして、ゆっくりと渡し板を降りていった。セリーヌを挟んだ反対側では、金髪の少年が同じように右腕を抱えて慎重に歩を進めている。
「まだ早いけど、とりあえず今日は宿をとって休もう。セリーヌさんがこんな状態じゃどうしようもない」
「そうね……っと、セリーヌさん、あんまり動かないでください」
「うう……情けない……マーズの紋章術師の恥ですわ!」
「それは関係ないですって。誰でも船酔いはするんだから。……そろそろひとりで立てませんか?」
「ああ、ピンクの豚が気持ちよさそうに空を飛んでますわ……」
「……だめだ、こりゃ」
 ふたりは諦めて、セリーヌを引きずるようにして街へと歩き出していく。その上空にピンクの豚は……むろん飛んではいなかった。

 結局、その日はろくに街を見て回ることなく、近くの宿に泊まることとなった。
 食事を済ませ、部屋に戻って早めに床についたレナだったが、なかなか寝つけない。横のセリーヌが寝言なのか呻き声なのか、うう、とたまに唸るのが気になっていたこともあるのだが。
(ラクール……武具大会)
 宿に向かう道すがら、通りがかる人々の話が耳に入ってきた。話題はもっぱらこのイベントに関して。
(そういや、ディアスも出るって言ってたっけ)
 見計らったわけではない。だが偶然にも彼女たちがこの大陸を訪れた今の時期に、ちょうどラクール武具大会が開催されようとしていたのだ。
(もしかしたら会えるかもしれないな。会ったら、いろいろ言ってやらなきゃ)
 マーズのときには言いたいことがほとんど言えなかった。クロードとのことで頭がいっぱいだったから。
 ……けれど、実際に何を言おうかと考えると、これといって思いつかない。
(私は、ディアスに何が言いたかったんだろう……?)
 そのとき、ぱたんと扉の閉まる音が聞こえた。隣の部屋だ。それからコツ、コツ、コツと、足音が近づき、すぐに遠ざかっていく。
(クロード……?)
 レナはむくりと起きあがり、音を立てぬように扉まで歩いて慎重に扉を開ける。そうして隙間から廊下を覗いてみた。金色の髪が揺れながら廊下を抜け、誰もいないロビーに達すると、カウンターに背を向けて──つまり、外に出ていく方向へ進み、視界から消えていった。
 レナも部屋を出て、小走りで彼の後をつけていく。ロビーを左に曲がり、建物の入り口の手前まで踏み込むと、立ちつくすクロードの姿が思ったよりも手前にあって、慌てて開け放たれた扉の陰に身を隠す。
 クロードは空を見上げていた。レナが見つめる位置からはその横顔がはっきりと映っていた。澄みきった青空のごとき瞳は星の明かりを受けて微かな光を湛《たた》え、えもいわれぬ美しさと、そして言いようのない淋しさで満たされていた。
 不意にクロードは視線を落として、懐から直方体の、小さな箱らしきものを取り出した。アーリアの夜に見たのと同じものだ、とレナは思った。
 クロードはそれを耳に当て、しばらく何かに聴き入る。それから箱を耳から離すと、諦めたように小さくかぶりを振る。
「やっぱり、駄目か……」
 彼の呟く声が聞こえた。呟くというよりもはや囁きに近いものだったが、夜の静寂の中では溜息すらも離れた場所に立っている彼女に聞こえてしまう。
 直方体の箱を懐にしまうと、ふうっと重々しく息をつく。そして、再び空を見上げた。
「太陽系はどっちなんだろうな。どこかにはあると思うけど……。地球も……見えるわけないか」
 言葉の意味はよく理解できなかった。ただ、その言葉に込められた強い寂念、愁心が、彼女の胸を大きく揺さぶった。
「父さんや母さん、どうしているかな……。なんか昔から心配かけてばかりだな……」
 星々が瞬く夜空を眺める彼の表情は、はぐれた親を捜し回って疲れ果てた迷い子のそれに似ていた。不安と焦燥と倦怠が入り交じったような、触れればすぐに壊れてしまうほど繊細な瞳が、そこにあった。
 その刹那、レナははっと息を呑んだ。彼の瞳から、ひとすじの涙がこぼれ落ちたのだ。彼自身もそれに驚いたらしく、すぐに腕で目許を拭う。そして地面に視線を落とすと、恥ずかしさを紛らわすように苦笑した。
 踵《きびす》を返して、クロードは宿の入り口へと向かう。扉を潜り、ロビーを抜けて自分の部屋へ戻っていく姿を、レナは陰からじっと見つめていた。
 あの涙を見たときから、発作が起きたように胸が苦しい。クロードが見えなくなると、すぐ横の壁に片手をつき、項垂れて大きく息をついた。
 あれは、クロードではなかった。彼女が今まで知っていたクロードではなかった。彼が人前で決して見せることのなかった、こころの奥底に押し込めていた深い哀しみ──それが、ひとすじの涙というかたちになって表れたのかもしれない。
 途方もなく深く、重い哀しみに、レナの胸は押し潰されそうになった。ずっと傍《そば》にいながら、これほど深い愁いを抱えていたことに気づかなかった自分にも、苛立《いらだ》ちを覚えながら。


「へ? 買い物?」
「そ」
 レナが言うと、クロードは困ったように眉根を寄せた。
「セリーヌさん、まだ起きあがれないみたいなの。だから、代わりにつきあってよ」
「うーん……でもなぁ」
 彼は気が進まないように頭を掻き、そっぽを向いて黙り込んでしまった。こうなれば強行策しかない。
「ほら、男なら女の子のいうことは素直に聞きなさいっ」
「なんだよ、それ……。わ、っと、ちょっと」
 いきなり腕をつかんで引っ張りだすレナ。クロードは不意をつかれて足許をふらつかせる。
「わかった、わかったよ! ……ったく」
 いつになく強引な誘いに、気の弱い青年は折れるしかなかった。
「それじゃ、まずは道具屋へ行きましょ。れっつごー」
 こぶしを振り上げて歩いていくレナの後ろ姿を見て、まんまと彼女のペースに乗せられたクロードは、情けなさそうに溜息をついた。

「えっと、ブルーベリィにブラックベリィ、アクアベリィもちょっといるかな……。ねぇ、おじさん、リザレクトボトル、もうちょっと安くならない?」
「そうだな……もうひとつ買ってくれるなら、ふたつで五千八百フォルにするよ」
「じゃ、そうする。全部で……あれ?」
 レナはふと、そばにクロードがいないことに気づいた。背後を振り返ると、彼は店から少し離れた街灯の柱に寄りかかり、じっと空を見上げていた。綿雲は青空の中を風に乗ってゆっくり流れてゆく。
 レナはクロードの許に駆け寄ると、いきなり買ったばかりの道具を入れた紙袋を彼の胸に押しつけた。
「な、なに?」
 綿雲に目を奪われていたクロードは、面食らいながら紙袋を受け取る。
「持ってて」
 それだけ言うと、彼女はすぐに背を向けて歩き出した。クロードも仕方なくついていく。
「……もしかして、荷物持ちのために僕を連れだしたのかい?」
「あら、今頃気づいたの?」
 予想はしていたことだけど、とクロードは内心だけで思う。こうもはっきり言い切られてしまうと、もはや返す言葉すらない。
「ねぇ、クロード」
 観念したように大人しくつき従う彼に、レナは訊ねてみた。
「クロードって、ひとりでいると、よく空を見てるよね」
「え? ああ……好きなんだ」
「空が?」
「うん、見ていて飽きないからね。晴れたり曇ったり……雨や雷の日はちょっと気が滅入るけど、雨あがりに虹がかかったりするとすごく綺麗なんだ。あと、夜空も好きだったな」
「『だった』?」
 レナが訊き返す。
「今は好きじゃないの?」
「え? あ……今も、好きだよ」
 そう言うクロードの表情は少し翳《かげ》りがみえる。レナは心配そうにそれを見つめていたが。
「私も、空は好きよ」
 思いたって、口を開いた。言葉の上では普段通りに。
「でもねクロード……」
 パッパラパッパッパラッパーーーーーン!
 突然、通りかかった店の前から盛大なファンファーレが鳴り響いた。多くの観衆が取り巻く中、トランペットをはじめ、様々な楽器を持った者たちが仮設の舞台に立っている。
 司会らしき男が舞台に上がって前に進み出た。
「本日は多くの方にお集まりいただいて、感謝感激雨あられ! 海野楽器主催、ラクール武具大会開催記念コンサート、いよいよ始まりますぅっ!」
 あまりのタイミングの悪さにレナはがくりと首を落として片手で顔を覆った。そんな彼女を嘲笑《あざわら》うかのようにいっせいに演奏が始まり、やけに軽い調子の曲が流れだす。
「どうしたの、レナ?」
「……なんでもない。ほら、とっとと次の店に行くわよ!」
 早足で歩き出すレナ。なんだかよくわからないが機嫌が悪いらしい。また海に突き落とされてはかなわないから、とクロードはそれ以上追及せず、黙って彼女について行くことにした。

 店の中は、薄暗くも落ち着いた雰囲気だった。テーブルの中央に置かれたランプが、仄《ほの》かに瞬く。壁には色彩豊かなタペストリーや動物の剥製などが飾られている。夜は酒場も兼ねているらしく、カウンター席には既に泥酔して机に涎《よだれ》をたらしながら高鼾をあげている男もいた。
 買い物を終えたレナとクロードは、この店で少し遅い昼食をとっていた。数種の茸と山菜をふんだんに盛り込んだパスタはあっさりとして味も良く、心地よく腹を満たしてくれた。
「……レナ」
「なあに?」
 飲み物に手をつけながらレナが返事すると、クロードは少し真面目な表情になって。
「この街に着いてから、あちこちで耳にするんだけど……」
「ラクール武具大会のこと?」
「うん……それでさ」
 やや躊躇して、クロードが言った。
「僕も、出場してみようと思うんだ」
「クロードが?」
 声を張り上げて、レナ。
「どうして?」
「自分の実力が、知りたいんだ」
 飲み物で口を湿らせてから、クロードが続ける。
「最初は剣の扱い方なんて全然わからなかった。それでもなんとかここまでやってきたけど……やっぱり、自信はないんだ。僕の剣がどこまで通用するのか、それが知りたい。……それに、僕はこの大会で会ってみたい人がいる」
「……ディアスのこと?」
 レナが言うと、クロードは微かに顔を傾けて目線を逸らした。
「ディアスと戦うつもりなの?」
「わからない……けど、もし対戦することになれば、戦って……勝って、みせる、さ……」
「どうしたの?」
 気がつくとクロードは机に肘をつき、掌で額を覆って頭を支えるような仕種をしていた。
「……なんか気分悪い」
 けだるそうに言う彼の顔色は真っ赤だった。もしやと思い、レナは近くを通りかかったウェイトレスに訊ねてみた。
「あの……もしかしてこの飲み物って、お酒入っているんですか?」
「ええ。でも、ほんの少しですよ。一杯で酔ってしまうほどは入っていないはずですが」
「はあ……」
 レナは再度クロードを見る。これはどう考えても「一杯で酔って」しまったとしか思えない。
「クロード、お酒弱いの?」
「……前に士官学校の新歓コンパで乾杯直後に救急車……」
「え?」
「うっ。だ、だめだ、ちょっと……」
 口許を押さえて席を立ち、一目散にトイレへと駆け込むクロード。レナはそれを見送ってから、深々と吐息を洩らした。
(どうして、こう……うまくいかないのかな)
 レナが両手で頬杖をつきながら、誰もいない向かいの席を眺める。
 そのとき、店内に長い影が落ちた。入口に誰かが立っているのだ。逆光で顔はよくわからなかったが、体型からすると女のようだ。背中のあたりまでのブロンドの髪を振り乱し、褐色と濃緑色の奇妙な上着の下は黒いドレスめいた衣装で、溢れんばかりの胸をわざと強調するかのように、前がVの字に大きく開いていた。右手には自分の背丈とほぼ同じぐらいの、いくつもの突起物がついた奇妙な金属の筒を持っている。
 女は入り口で誰かを捜すように店内を見渡していたが、やがて店内に入るとカウンターの席に腰かけた。
「マスター、そこのブランデー、お願い」
「はいよ」
 マスターが氷の浮いたグラスを差し出すと、女は一気にそれを飲み干した。
「どこか遠くから来なすったんですか? ここいらじゃ見かけない格好ですけど」
「まあ、そんなところね」
「おデコのそれは飾り物ですかい?」
「残念だけど、これは本物よ。そういう種族なのよ」
「はぁ……そうなんですか」
 女はしばらく頬杖をついて物思いに耽《ふけ》っていたふうだったが、しばらくして向こう側のマスターに訊ねてみる。
「ねぇマスター、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「よぉ姉ちゃん」
 先程まで反対側の席で居眠りをしていた男が近づいてきた。
「真っ昼間から酒たぁ、呑気なこったな」
「お互いさまでしょ」
「んだとぉ」
 男は火照った顔をさらに赤くして言う。
「女ってのはな、年頃になりゃあとっとと嫁にいって、淑やか〜に家でダンナのいうことを聞いてりゃいいんだよ。それがなんだ、昼間っから酒を飲むたぁ、どういう了簡《りょうけん》だ! まったく嘆かわしい……」
「ほらほら、他のお客さんに迷惑かけないでくださいよ」
 マスターが困ったように諫めると、男はすっかりべらんめえ調になって。
「にゃにおぅ! 常連客は大切にしねぇと店つぶれるぞ!」
「……あなたがツケを払ってくれれば、もっと店も楽になるんですよ」
 呆れたようにそのやりとりを見ていた女だったが、ふとあることを思いついて、男に提案した。
「ねぇ、勝負しない?」
「勝負ぅ?」
 怪訝そうに眉間に皺をつくる男に構わず、女は続ける。
「飲み比べよ。あたしとあなたで、どれだけたくさん飲めるか。あたしが勝ったら、後で言う質問に答えてもらうわ。負けたときは、あなたのツケを全額払ってあげる」
「ツケを、全部!?」
「そうよ。いい話でしょ」
「……面白ぇ、やってやろう」
「マスター、酒樽ふたつもってきて。なるべく強いやつね」
「で、ですが……」
「大丈夫よ。お金はあたしが払うから」
 かくして、カウンターに酒樽ふたつがでんと並べられた。マスターが特大のゴブレットに中の酒をなみなみと注いで、ふたりの前に置く。
「それでは……始めっ!」
 マスターの合図とともに、ふたりはゴブレットを持ち上げて、勢いよく口に流しこみ始めた──。

 ──そして、十分後。
「ぐぇ……も……飲め……ねぇ……」
 男がゴブレットを置いてカウンターに突っ伏す。眼は血走り、顔は茹で蛸のように真っ赤になっていた。
「あらぁ、もう駄目なの? 情けないわねぇ」
 女は八杯目を飲み干すと、余裕の笑顔を作って言った。
「それじゃ、あたしの勝ちね。質問に答えてもらうわよ。……ちょっと、聞いてる?」
「揺する、な……吐く……」
 男の顔はやや紫を帯びてきた。
「どこかで三《み》つ目の男を見なかった? あたしみたいな長い金髪の」
「知らねぇよ……三つ目の男なんて、見たこともねえって……」
「……そう」
 女は口をすぼめて、正面に向き直った。
「マスターも知らない? ココにもうひとつ目をつけた男」
「さあ……この店には来ていないと思いますがねぇ」
「そっか……ありがと」
 女は肩を竦《すく》めて立ち上がり、代金を払うと入口へと歩いていった。
「あのっ!」
 それまで見ていただけのレナが突如声をあげて、女を呼び止めた。
「なに?」
 こちらを向いて立ち止まる女の前に歩み寄って、レナが言う。
「私、見ました。三つ目の男のひと」
「本当? いつ、どこで!?」
 興奮気味に詰め寄る女にたじろぎながら、レナは続けて。
「ひと月ぐらい前でしたけど……クロス城の前ですれ違いました」
「クロスね!」
 女はすぐに入口へ駆け出したが、思い出したように止まって振り返り。
「ごめんなさい、まだ礼も言ってなかったわね。あたしはオペラ・ベクトラっていうの」
「あ、レナ……レナ・ランフォードです」
「レナね。ありがとう。また会えるといいわね」
 そう言い置くと、女は店を出ていってしまった。
 店内の騒ぎもようやく収拾がつき、レナも席に戻った頃、入れ違いのようにクロードがトイレから出てきた。
「はぁ……ひどい目にあった」
 椅子に腰かけながら、クロードは酒樽ふたつと突っ伏して呻く男が転がっているカウンターに目をやる。
「ん? 何かあったの?」
「……大したことじゃないわ。それより、そろそろ宿に戻りましょ」
 レナは席を立った。

 水平線の近くに落ちかけた夕日を背に、ふたりは人のまばらになった大通りを歩いていた。地面に長く伸びた自分の影法師を追いかけるようにして。
 不意に、レナの影法師が止まった。やや遅れて、クロードも。
「レナ?」
 クロードが見ると、レナは橙色に輝く夕日を、それによって赤く染まった空を眺めていた。
「クロードは、夕焼けも好きなの?」
「うん……まあね。落ち込んだときなんかに、真っ赤に燃え上がるような空を見てると、勇気づけられるというか……ちっぽけなことで悩んでいた自分がバカみたいに思えてくるんだ」
 レナは瞳を細めて夕日を眺めている。彼の話を聞きながら何かを考え、そして意を決する。
「私ね……空を見てると、ときどき怖くなることがあるの」
 鷹揚《おうよう》と語りかけるように、レナ。
「怖い?」
 クロードが意外そうにレナの方を向く。
「どうして」
「こうやってじっと空を見てるとね……なんだか、自分があの空に吸い込まれそうな気がしてくるの」
 言いながら、真上の空を仰ぐ。
「天地が逆さまになって、私は空に落ちていくの。なにもない空にどんどん落ちて、それでもまだ何もなくて、もっともっと落ちて……そうして私は、ひとりきりになっちゃうの。何もない空にひとりぼっちで、淋しくて、不安で、胸がいっぱいになるの。そんなときはね……」
 上空に向けていた顔をぱっと正面に向ける。目の前には少し驚いた表情のクロードがいた。
「こうやって前を向くの。そうすれば、まわりに建物があって、木や草があって、人がいて、今だってクロードがいる。ああ、私はここにいるんだな、って実感できる。それでいつも、安心するの」
 無表情にこちらを見据えるクロードに、微かに笑みを返しながら。
「空を見ているクロードも、それとおんなじ感じがするの。ひとりぼっちで、淋しくて、今にも消えてしまいそう、空に吸い込まれていってしまいそうな……そんな気がするの。だから……その……」


 途中で恥ずかしくなり、下を向いて言い淀《よど》んでしまったが、思い切って再び向き直ると。
「前を向こうよ。空だけじゃなくて、この世界ももっと見つめて、好きになって。そうすれば、淋しくなんてないんだから」
 横から照りつける陽の光は彼の貌《かお》に陰影を成している。クロードは呆然と立ちつくしたまま、ピクリとも動かない。
「……ごめんなさい」
 それを見たレナは視線を落として、呟くように。
「変なこと言っちゃって」
「いや、いいんだ……」
 顔を背けるように踵を返して、クロード。
「行こうか」
「うん……」
 歩き出すクロードの背後で、レナは腿の横にあてた拳に力を込めて、ギュッと握りしめた。



--
【ひとくち解説】
 1日遅れました。すんません。
 オペラ登場、武具大会の話、そしてクロードとレナの関係……と、今後の展開に通じるフラグ的な内容の回でした。
 ちなみに第四章のタイトルは2005年の修正時に変更したものです。前のタイトルがあんまりだったから。
posted by むささび at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年07月10日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第三章(5)

   5 ザンドとユール(後編) 〜ハーリー(2)〜

 クロードたち一行がハーリーに着いてから三日が経った。ヒルトン行きの船は、今日の午後には出航できるという。
 高台にある道具屋『がめつき堂』で、レナは所狭しと並べられた土産物を熱心に眺めていた。
「どうだい嬢ちゃん、こんなのは」
 頭のてっぺんの少し寂しい店主が手に取って見せたのは、焦茶色の小さな人形。寄せ木ではなく、一本の木から造られているらしいそれは、目も鼻も口も髪もない頭と、申し訳程度に突き出た両手両足がくっついている胴体のみの、至極単純な造りをしていた。
「なに、それ?」
「リバースドールってんだ」
 店主が饒舌《じょうぜつ》に説明を始めた。
「この中には復活の紋章が刻まれた札が封じ込められていてな、化物どもにやられちまっても、これを持っていればたちどころに復活できるという、すげぇお守りなんだぜ」
「へぇ」
「ただし、そのときにこいつも一緒に砕け散っちまうのが難点だけどな。それでも便利なアイテムに代わりはないぜ。どうだい、今ならなんと二千フォルで譲っちゃうよ!」
「うーん。でも、いいわ」
「どうして!? こんな珍しいアイテム、よそじゃ手に入らないよ」
「可愛くないもの」
「あ、そう……」
 店主が気の抜けたような返事をしたとき、店の入口の扉が開いた。入ってきたのは。
「ユール」
「よう、レナか」
 ユールは意外そうにレナを見て言う。
「まだこの街にいたんだな」
「今日の昼には出るわ。……ところで、あなたの方はどうなの」
「ああ、おかげさまでちゃんとやってるよ。まだ見習いだけどな」
 レナの横に立って、店の品物を選別しながら。
「心配しなくても、もう喧嘩は卒業したよ。おやっさんにも止められてる」
「おやっさん?」
「バルトの爺さんのことだよ。船長って呼ぶ気がないならこう呼べって」
「へぇ、おやっさんねぇ」
 レナはユールの顔を見て含み笑いを浮かべた。
「何がおかしいんだよ」
「案外、船長さんもあなたのこと、子供みたいに思っているのかもね」
「はぁ?」
「あなたもそうなんじゃないの。船長さんのことをお父さんみたいに……」
「けっ、よしてくれ。けったくそ悪い」
 ユールはそっぽを向いて悪態をつく。
「白鯨だか白熊だか知らねぇけど、あんなうすらでかいジジイを親だなんて思うわけねぇだろ」
「ふーん」
 レナはそう言うと、急に真面目な表情になってユールに近づき、すぐ目の前に立った。
「な、なんだよ」
 じっとこちらを見つめる彼女の視線にユールは少したじろぎ、一歩後ろに下がった。するとレナもすぐに一歩詰め寄る。また一歩下がり、一歩詰め寄る。そうしていくうちに、ついにユールは壁際に追いつめられた。
 レナは、なぜか額に汗しているユールの顔を食い入るように見ていたが、不意に右手を彼の眼前に出して──鼻の頭の剥けかけていた皮を人差し指と親指で、ぴっとつまみ上げた。
 ユールはしばらく呆気にとられていたが、レナが小麦色の皮を地面に落としたところで、目が覚めたように我に返る。
「いきなり何すんだよ!」
「さっきから気になってたのよ」
 レナはそう言うと、彼の横を抜けて扉を開け、その際に一度振り返り。
「じゃあね」
 笑顔を残して、店を出ていった。
 ユールは壁に凭《もた》れかかったまま、左手で鼻の頭を押さえる。
「なんだよ……期待させやがって……」
 小麦色の頬は、仄《ほの》かに薔薇色を帯びていた。


 人気のほとんどない街の入口で、レナはひとり、クロードたちが来るのを待っていた。太陽はまだそれほど高い位置には昇っていない。昼過ぎにここで集合することを決めたのは彼女自身だ。もう少し店を見て回ってきてもよかったかな、と少し後悔したりもした。
 門の柱に寄りかかり、退屈そうに視線を前に向ける。と、その目に妙なものが映った。
 数人の男たちが、こちらに向かって歩いてきている。レナは眉を顰めた。あれは確か、倉庫でユールに絡んでいた、ザンドの……。
 取り囲むようにして周りに散った男たちを、彼女は鋭く睨めつけて牽制する。
「なによ、あなたたち」
「貴様、ユールの女だな」
 真っ赤な鬣《たてがみ》めいた髪をした男がレナの前に立った。
「そんなんじゃないわ。ユールはただの友達よ」
「お前の気持ちなんかはどうでもいい」
 赤い髪の男は凄いような笑みをつくって言う。
「問題は、ユールがお前をどう想っているか……だ」
「……?」
 怪訝そうに首を傾げるレナ。そのとき。
「──っ!」
 背後に殺気を感じた。慌てて振り返ろうとしたが、一瞬早く後頭部に強い衝撃が走り、前のめりに倒れ込む。
(しまった、油断した──)
 遠のく意識。その中で脳裏を掠めたのは、藍色の髪の少年の姿──。


「……ぅ……ん……」
 彼女は、おもむろに目を開いた。視界には、見知らぬ場所が広がっていた。白い壁の、きれいな部屋。
 右の頬に、ごわごわした感触がある。毛織の絨毯の上で横になっていたらしい。
 すぐに立ち上がろうとして、尻餅をついた。手足が動かない。そこでようやく自分の状態に気づいた。見ると、両手は後ろ手にして縄で縛られており、両足も束ねて足首でぐるぐる巻きに縛ってある。力を込めてみたが、どちらも簡単には外れそうになかった。
 手足が不自由ながらも器用に立ち上がり、飛び跳ねてなんとか部屋の扉まで辿り着いたが、扉はやはり反対側から鍵がかけられているようだ。
(……なんか、前にもこんなコトがあったような……)
 意外なほど冷静にそんなことを考えつつも、とにかく落ち着いて状況を把握しようと、近くにあったベッドに腰掛けて、これまでのことを整理してみる。
 まず、自分はザンドの手下に殴られて、意識を失った。そして、おそらくここに連れ込んだのもあいつらだろう。……なんのために? それにここは一体どこだろう?
 レナは部屋をぐるりと見回してみる。広さはホテルの一個室ほどだろうか。自分が座っているベッド、それに机と椅子、内装の雰囲気などはやはりホテルのそれに似ているが、昨夜までレナたちが泊まっていた『オーシャン・ビュー』はこんな内装ではなかった。さらにこの街には『オーシャン・ビュー』以外にホテルはない。
 ふと、レナは窓の外に目を遣った。平原を突っ切る道の遙か先に、小さな村と森が見える。
 ──マーズの村と紋章の森……!
 このハーリーはマーズよりも標高の低い場所にある。現に、マーズからハーリーに向かう道はずっと緩やかな下りが続いていた。普通ならばこの街からマーズが見渡せるはずはない。見える場所があるならば、ただひとつ。
 高台。それも一番高いところに建っている……。
 そこで確信した。ここはあの、高台から街を見下ろすように建っていた、ザンドの屋敷だ。
 そう考えると自分をここに連れ込んだ理由も見えてきた。「問題は、ユールがお前をどう想っているか」あの男はそう言った。つまり、自分を囮にしてユールをおびき出そうというのだろう。
(……大変だわ、ユールが危ない)
 なんとかここから、と気は焦ったが、まずはこの縄を解かないことにはどうにもならない。
 ふと思い出して、レナは自分の腰を見た。そこにはセリーヌから貰った短剣が差したままになっていた。奴等は気づかなかったのか、それともただの玩具《おもちゃ》だと思ったのか。ともかく活路を見出せたことに彼女は知らずと笑みが零れた。
 ベッドから立ち上がり、飛び跳ねて机の前まで行くと、机の角に短剣の鍔《つば》をひっかけ、そのまま擦りつけるようにして少しずつ剣を鞘から抜いていき、終いに柄を口で銜《くわ》えて完全に抜ききった。
 銜えた抜き身の短剣を床に落とすと、床に座って背中越しになんとか拾い上げる。左手で柄を握り、鍔からごく近い部分の刃で右手首の縄を削るように切っていく。縄は手首の肉に食い込んでおり、断ち切るためには自らの手をも傷つけずには為されなかった。痛みを堪《こら》えて歯を食いしばり、自分の手がどうなっているのか全く見えない中で、思わず力を緩めてしまいそうな左手を固く握り直し、冷たき刃を手首に擦りつけていく。
 そして、ついに縄は断ち切られた。
 すぐさま自由になった右手を前に出して見てみたレナは、一瞬顔をしかめる。手首から流れ出た血の跡は指先まで達して、手の甲を深紅に染め上げていた。後ろを振り返ると、灰色の絨毯に紅い染みがいくつもついている。思いのほか出血はひどかったようだ。
 レナは自分の手に回復呪紋《ヒール》をかけた後、足の縄も剣で切ってやると、扉の前に向かった。
(あとはこの扉ね……)
 取っ手をつかんで回してみる。やはり開かない、が、取っ手と扉の板との接合部分はかなり弱くなっているらしく、少し揺すると取っ手だけがぐらついた。もしかしたら、と力の限り取っ手を引っ張ってみたが、さすがにそう簡単には壊れないようだ。
(こうなったら……)
 レナは扉から少し離れて、しばしの間瞑目し、大きく深呼吸して心を落ち着かせる。そしてカッと眼を見開くと。
「でやあぁぁっ!」
 勇ましい掛け声とともに扉に体当たりした! どしんと肩からぶつかると、板の砕ける音とともに取っ手が弾け飛び、扉は勢いよく外側に開け放たれた。
「よしっ!」
 レナはすぐに部屋を出て廊下を駆け出す。そして、ふと思った。
(こんなところ、クロードには見せられないわね……)

 屋敷の一室で、ユールは冷笑を浮かべるザンドと睨み合っていた。ふたりを取り巻くように、ザンドの手下どもも部屋の周囲で見守っている。
「……レナはどこだ」
 押し殺した声でユールが言った。
「それを知ってどうするんだ」
 蔑《さげす》むような、哀れむような視線で、ザンド。
「あいつは俺とは関係ないんだ。放してやれよ」
「ならば、どうしてお前はここに来たんだ?」
 悪魔的な微笑のまま、ザンドが言い放つ。
「関係ないなら見捨ててしまえば済むことだろう。なのに危険を冒してまでここに来たのは何故だ?」
「そっ、ンなことはどうでもいいだろ。早くレナを出せ!」
 声を荒げるユールに、ザンドは眉を聳《そび》やかして。
「まったく、礼儀というものを知らぬ奴だな」
「なんだと」
「人にものを頼むにしては、頭が高すぎやしないか?」
 右足の踵で自分の前の床を叩きながら、ザンドが言う。
「我が前にひれ伏せ。そして平身低頭希《こいねが》うのだ。そうすれば聞いてやらんでもないぞ」
 ユールは歯軋りして、拳を震わせた。今にもザンドにつかみかからんとする心を必死に抑えて。殴れない。殴ってはいけない。手を出したら、俺は……。
「ほら、どうした。女を助けるんじゃなかったのか。だったら床に這いつくばって頼み込め」
 ユールは目を閉じた。暗闇の中には、青い髪の少女がいた。
 落ち込んでいた自分の話を真剣に聞いて、励ましてくれたレナ。
 俺が船長に引き取られることになったときも、自分のことのように喜んでくれた。
 ──じゃあね。
 道具屋で別れたときの明るい笑顔が、すぐ目の前にまで近づいた少女の顔が──。
 身体じゅうの力が抜けていくのをユールは感じた。そしてがくりと膝を地面につけ、両手をついて項垂れて、憔悴《しょうすい》しきったように言った。
「頼む……レナを、放してやってくれ……」
「まだ頭が高い」
 ザンドは白い革靴の底でユールの頭を踏みつけた。額が絨毯の床にめり込む。ザンドが足を退けても、ユールはなおも地面に頭をつけたまま、じっと堪えていた。
「ふふふ……いいぞ、最初からそうやって大人しくしていればいいんだ」
 ザンドはさも満足そうにユールを見下して。
「案ずるな。あの女は私が娶《めと》ってやろう」
 ユールの双眸が大きく見開いた。ザンドはさらに続ける。
「まだガキだが、ややもすればいい女になるだろう。お前は何も心配することはない」
「……汚ェぞ……」
 痙攣するように全身を震わせて、ユールが言った。
「ザン……っ!」
 面《おもて》を上げて叫びかけたところを、ザンドに顎を蹴り上げられて吹き飛んだ。手下の何人かが倒れ込んだユールを無理やり立たせて、主人の前に突きだす。
「お前はほんとうに目障りな奴だったよ……だが、すぐに消してしまってはこちらの気が収まらない。それに、あの女に言うことを聞かせるには、お前の存在が必要だからな」
 ユールは焦点の定まらない視線をどうにかザンドの顔に留めた。ザンドは続けて。
「どういうことかわかるか? お前は女のために、この俺に頭まで下げた。おそらくあの女も同様だろう。お前を殺すと脅しをかければ何だって言うことを聞く。いわば、互いに互いを枷《かせ》にして生きていくようなものだな」
「んにゃろ……!」
 哄笑するザンドの前で、ユールはつかまれた腕を振り解こうと藻掻く。それを見かねた手下のひとりが拳でユールの腹を突いた。それでもまだ気は失わずに、霞む眼で憎々しげにザンドを睨みつける。
「なかなかにしぶといな。二度とその反抗的な目ができぬように、痛めつけてやるか」
「やめなさいっ!」
 部屋の入口で誰かが叫んだ。その場にいた者すべての視線を一身に浴びて、レナが立っていた。
「この女、どうやって逃げ出した!?」
 近くにいた手下の何人かがレナを捕らえようと駆け寄るが、レナはまだ血の跡が残る右手を天に掲げて、唱えた。
「光よ!」
 掌の上から瞬時にして数本の光線が放たれ、絨毯を焦がして床に突き刺さった。セリーヌに教わったばかりの光線呪紋《レイ》は、彼女がクロス洞穴で見せたような凄まじい威力には程遠かったが、手下どもを威嚇するには充分だった。
「邪魔すると、怪我するわよ」
 かろうじて躱した手下どもを一瞥してそう言うと、レナはユールの許へ歩み寄った。彼女の気迫にユールを抱えていた男たちは思わず手を離して、周囲に逃げるように散っていく。
「大丈夫、ユール?」
 部屋の中央に放り出されたユールを抱き起こして呼びかけると、ユールは半開きの目を彼女に向けて、薄く笑った。
「よぉ、レナか」
「どうして私なんかのために……」
「へっ、勘違いすんな。俺はただ奴との決着がつけたかった、だけだ」
「ははは、よく言うよ。この俺に土下座までしていたくせに」
 嘲笑するザンドをレナは鋭く睨み返し、ゆっくりと立ち上がって向かい合う。
「あなたがザンドね」
「いかにも、麗しき少女よ」
 ザンドは気障《きざ》に礼をした。
「どうしてこんなことを……あなたにユールの人生を邪魔する権利があるっていうの?」
「目障りなんだよ」
 髪を掻き上げ、飄々とした口調で、ザンド。
「この街で俺に楯突くのは、こいつとあの鯨ジジイくらいのものだ。それに手下も何度か可愛がってくれたしな。ただ消すだけでは飽きたらぬ。こいつの人生そのものまでもぶっ潰して、襤褸《ぼろ》雑巾のようにしてやるまでは気が済まないんだよ」
「……許さない……」
 レナは剣の柄に手をかけ、そして一気に抜き放った。
「あなただけは、絶対に許さないから!」
「おやおや、勇ましいことだ」
 言いながら、ザンドは右手を後方へと伸ばした。すると手下のひとりが壁に掛けてあった三角錐型の槍《ランス》を持ち出して、その手に渡す。
「じゃじゃ馬は少々躾《しつけ》をしないと、いうことを聞かないようだな」
 レナが剣を構えると、ザンドも槍を握って前方に突きだす。そうしてすぐに槍を繰り出したが、レナは剣を横に薙いで弾き飛ばし、返し刀で相手の肩から斜めに斬りつけた。寸前でザンドが背後に跳び退《の》いたので、刃は彼の上着を斬り裂いたに過ぎなかったが。
 ばっさりと斜めに裂かれた自分の上着をまじまじと眺めて、ザンドが言う。
「なるほど。先程の呪紋といい、ただの田舎娘ではないようだな」
「いな……!」
 レナは柄を握りしめる腕にさらに力を込めた。
「言ったわね」
 気がつくと、ザンドの表情が変化している。服を斬られたことが癇《かん》に障ったのか、嫌らしい笑顔は消え、冷淡にレナを見つめるその表情は怒りすら感じられる。
 今度はレナが斬りかかった。ザンドが打ち払うように槍を振るうと、彼女は身軽に跳躍して避け、空中で剣を振るう。躯を大きく仰け反らせてそれを躱すと、ザンドは地面に着地したレナにお返しとばかりに槍を繰り出した。レナも素早くそれに反応し、後方に跳び退《ずさ》る。追い討ちをかけるようにザンドは執拗に槍を繰ってレナに襲いかかる。相手が大きく振りかぶった隙をついて、レナはザンドの左足を斬りつけた。体勢の崩れかけたザンドはそれでも、振り上げた槍を叩きつけるように振り下ろしたが、既にその場にはレナの姿はなかった。
 レナはザンドの横にいた。頭に血の上ったザンドはそれを見つけるやいなや、すぐに襲いかかる。レナは再び繰り出された槍を打ち払うと、今度は相手の左腕を斬り、やはりすぐさまその場を離れる。
「この女、戦い慣れてる……?」
 ザンドの呟きに、彼女はニッと笑ってみせた。
 相手が攻撃してくるのを待ち、それを受け流して隙が出たところを反撃して、また退く。この剣法は、実はディアスのものだった。紋章の森でレナはディアスの戦い方を見ていて、力任せに敵に向かって剣を振り回すクロードの剣法(と実際に言えるものなのかどうかは定かでないが)よりも、素早さを生かして敵に隙を作らせるディアスの剣法の方が、自分には向いていると考えたのだ。もちろんそれは畢竟《ひっきょう》、真似ごとに過ぎない。しかし、今こうしてザンドと互角に渡り合っていることを考えると、レナの剣術もまんざら使えないというわけでもないようだ。そもそも彼女は、素早さに関しては自信がある。
 だが。
 何度か刃を交えた後、レナとザンドは再び部屋の中央で対峙した。レナが苦しそうに息を切らしているのに対し、ザンドは口許をつり上げて冷笑を浮かべた。
「ふっ、どうした。もう終わりか? 俺はまだまだやれるぞ」
 ザンドの言葉にレナは自分を叱咤し、剣をしっかり構え直す。すぐにザンドが槍を繰り出す。もはや払いのける力はない。横っ跳びに躱すが、ザンドもそれを読んでいた。突きだした槍をそのまま横に振るうと、その場所にちょうどレナが飛び込んできた格好になってしまった。槍の柄で横腹を打ちつけ、突き飛ばされる。
 打ち所が悪かったのか、壁際で両膝と両手をついてごほごほと噎せ返るレナの前に、すみやかに槍が突きつけられる。
「いい加減に飽きたな。そろそろ宴も終わりにしよう」
 感情の伴わない声で、ザンドが言った。
「……ンの野郎ッ!!」
 突然、部屋の隅にいたユールが立ち上がり、ザンドの背中に駆け出していった。拳を振り上げ、相手の後頭部を殴ろうと勢いづいたそのとき……右手の槍を構えたままザンドが振り返った!
 前方に突き出された槍の先端は、ユールの腹をいともあっさり貫いた。
「丸腰で飛び込んでくるとは……莫迦《ばか》か、お前は」
「ち……くしょう……」
 ザンドが槍を抜くと、ユールは口から血を吐いて、前のめりに倒れた。
「ユール!」
「おっと、動くな」
 立ち上がろうとしたレナに、ザンドは再び槍を突きつける。
「心配しなくても、すぐに後を追わせてやる」
 そう言うと、ザンドは左手を蹲《うずくま》る彼女の上に翳《かざ》して、唱えた。
「ディープフリーズ」
 レナの身体を強烈な冷気が包み込んだ。急激に体温が下がり、手足が痺れてくる。
「な、に、こ……れ?」
 あまりの寒さに呂律が回らない。衣服は凍りつき、髪は霜がびっしりとこびりついて老人のように白くなった。瞼《まぶた》が重くなり、手足の感覚はいよいよなくなってくる。
「うら若き女性を刺し殺すほど俺は悪趣味ではないのでな。そのまま眠りにつくがいい。美しき少女の姿のまま、永遠《とわ》の眠りへと……」
 ザンドの声が遙か彼方から聞こえた。眠ってはいけない。頭ではわかっていても、もはや身体は彼女の思い通りには動かない。瞼がゆっくりと閉じられていく。腕の力が抜け、床に横たわる。
〈こんなところで、死んでしまうの?〉
 誰かの声が聞こえたような気がした。いや、今のは自分の声?
〈起きなさいっ! 目を開けて、横を見るのよ〉
 まただ。自分が自分に話しかけている? ともかく今の声で少しは意識が戻った。声の言うとおり、微かに目を開け、動かない首をなんとか動かして、横を見てみる。
 そこには仰向けに倒れたユールがいた。腹から大量の血を流して、もはや生きては……いや、今、わずかに身体が動かなかったか?
 ……まだ、生きている?
〈そうよ、ユールはまだ生きているわ〉
 別の自分が再び語りかけてきた。
〈そして、彼を救えるのはあなただけ。あの傷はあなたにしか癒せないわ〉
 嘘よ。私はあんなに深い傷は、治せない。
〈そうかしら? 試してごらんなさいよ〉
 ……試す?
〈こころを落ち着かせて、頭の中をゆっくりと光で満たしていくの。焦らずに、ゆっくり、ゆっくりと……そう。それから、頭の中が光でいっぱいになったら、こう唱えて〉
 ……キュアライト……。
 彼女が心の中でそう念じた瞬間、暖かな光が彼女の身体に降り注いだ。手足に感覚が戻り、髪についた霜は溶けてかき消え、意識も完全に取り戻した。
「……けない」
 そう呟いたのを聞きとめて、背中を向けていたザンドは目を丸くして背後を振り返る。
「なに?」
「負けない……あなたなんかに、絶対負けないから!」
 跳びはねるようにして素早く立ち上がり、右手の剣を握り直してザンドの許に駆け出していった。虚をつかれたザンドは慌てて槍を突き出すが、レナが力強く剣で打ち払うと槍は手からすっぽ抜けて部屋の中央に転がった。
 レナはそのままザンドの胸に体当たりするように突っ込んで、壁際まで追いつめる。そして剣を両手で持って大きく振りかざすと、ザンドの胸……ではなく、脇腹と右腕の間の壁に、彼のマントを留めるようなかたちで突き刺した。
 剣から手を放して彼との距離をおくと、レナは右手を突き出して呪紋を唱え始めた。
「なっ、何をする気だ!」
 ザンドはその場から逃げようとするが、マントが壁に固定されていて身動きがとれない。マントごと脱ぎ捨てようと胸元の留め具に手をかけたときには、すでにレナは詠唱を終えていた。
「グラビティプレス!」
 ザンドの頭上に煙のような暗雲が生じ、そこから巨大な鉄の塊が雨霰と降り出してきた。マントを外して自由になったザンドは右へ左へ駆けずり回ってなんとかそれを躱していく。鉄塊は振動音をたてて地面に落ちるとすぐにかき消えた。ようやく鉄塊の雨が止み、ぜぃぜぃと息を切らして立ち止まったそのとき、忘れていたかのように特大の一個が頭上にぱっと出現し、落下した。
 ガンッ。
 ザンドはそれを脳天で受け止めた。鉄塊が消えてからも、しばらく何事もなかったかのように屹立していたが、程なくして白目をむいて倒れる。
「ひぇっ、ざ、ザンド様が!」
 周囲にいた手下どもは、こちらを睨むレナの視線に気づくと震え上がり、我先にと入口に殺到して逃げ出していった。
「ユール、ユール!」
「う……」
 レナが呼びかけると、ユールは表情を歪めてそれに応じた。よかった、まだ生きている。
 レナは虚《うつ》ろになっている腹に手を翳して、先程と同じようにキュアライトと唱えた。掌から放たれた光はユールの身体に触れるといっそう輝きを増し、それが消えた頃にはもう傷は完全に塞がっていた。
 すぐに起きあがろうとするユールを、レナが制する。
「傷は治ったけど、出ていった血までは戻らないの。もうしばらく横になってた方がいいわ」
 ユールは何か言おうとしたが、諦めてレナの言うとおり横になった。そして部屋の隅で俯《うつぶ》せになって倒れているザンドを見て。
「おい……奴は……」
「気絶しているだけだと思うわ。そのうち目を覚ますでしょ」
 レナが言うと、ユールは軽く笑いながら、目許に手を当てて。
「ったく。なんだよ、レナったら無茶苦茶強いじゃねェか……。これなら俺が助けに来なくてもよかったな」
「それだけ減らず口が叩ければ、もう大丈夫ね」
 わざと突っ放してそう言い、立ち上がった。そのとき、廊下から間の抜けた悲鳴が聞こえた。
「なにかしら、今の……?」
 レナが入口に視線を移すと、そこからぬっと巨体が潜《くぐ》るようにして部屋に入ってきた。
「よぉ、無事だったか、ふたりとも」
「船長さん」
 バーソロミュー船長は、仰向けのまま首だけをこちらに向けているユールを見ると、豪快に笑った。
「がはは、こっぴどくやられたようだな」
「うるっせぇよ」
「船長さん、ユールは……」
「わかってるさ」
 レナが慌てて言いかけたところを船長が制して。
「俺は確かに喧嘩をやめろと言った。けどな、もしこいつがそのために助けに行かなかったら、間違いなく俺は船から追い出していただろう。惚れた女ひとり守ろうとしない腰抜けは、海の男には要らねぇ」
「え?」
「ば、バカっ! 余計なこと言うんじゃねぇ!」
「がはは。まだまだ血の気が残っているじゃねぇか。もう少し抜いたらどうだ?」
 ふとレナは先程の悲鳴が気になって、開け放たれた扉から廊下を覗いてみた。そこには逃げ出したザンドの手下どもが折り重なるように倒れていた。どうやら船長の仕業らしい。
「う……ちくしょう……」
 頭をさすりながら、ザンドが起きあがった。そして目の前の巨体を見つけると。
「げっ、鯨ジジイ!」
「おーっ、誰がジジイだって?」
 戦慄するザンドを船長は猫でも扱うかのように首根っこをつかんで、自分の目の前に突き出した。
「こうして会うのは三年ぶりになるかぁ、ん?」
「そそそ、そうですね、おかげさまでっ」
 ザンドの顔は青ざめ、声は吃《ども》り、引きつった笑いを浮かべている。
「俺んところの船乗りが世話になったらしいな」
「ひっ、す、すみません! もう手出しはしませんからっ!」
「おー、そうかい。そーいう心意気ならもう何も言うねぇ。その言葉忘れんなよ」
 船長が手を放すとザンドは尻餅をついて、腰を抜かしたのか、そのままずるずると床を引きずるようにして後退りしていく。
 ザンドのあまりの変容ぶりに、レナとユールは互いに目を見合わせて、首を傾げた。
 三年前、船長とザンドの間でいったい何があったのだろう?
「嬢ちゃん」
 船長がレナに話しかけた。
「お仲間が船着き場の方で待ってるぜ。早く行ってやりな」
「あっ、いけない!」
 レナはすぐに走り出そうとしたが、不意に立ち止まり、ユールの方を振り返る。
「ユール……」
 目を伏せて、それからユールに視線をやると、彼は静かにこちらを見つめていた。
「……レナ」
 重たげな口を開いて、彼は一言だけ、言った。
「ありがと、な」
 潤みかけた瞳を誤魔化して、レナはにっこり笑って応えると、思いきるようにさっと振り返って駆けだし、部屋を出ていった。
「……行っちまったぜ」
 腰を屈めて、船長がユールに言う。
「いいのか、これで?」
「へっ、俺に何ができるって言うんだよ」
 ユールは上半身を起こすと、額に手を載せて苦笑した。
「それにな……あいつは、俺なんかには勿体《もったい》ねぇんだよ」


 船が岸から離れた。桟橋が、港が、ハーリーの街並みが、どんどん遠ざかっていく。陽に照らされて眩いほど真っ白に輝く帆は、穏やかな潮風を受けてピンと張りつめる。
 レナは甲板の船縁に立って、離れゆく街を眺めていた。正面からの風が彼女の青い髪をさらい、涼しげに靡かせる。
 さようなら、ユール。彼女は心の中でそう言った。
 いつかまた、会えるといいね。……ううん、きっと会いに行く。この旅が終わったら、必ず。
「あら。ねぇ、レナ」
 声がして振り返ると、セリーヌが不思議そうにこちらを向いていた。
「その指輪、どうしましたの?」
「ああ、これですか」
 レナは人差し指に填めていた指輪を示して。
「クロードにもらったんです」
「クロード? ……あら、ひょっとして」
 セリーヌはしばらく指輪を見つめていたが、不意にニヤリと意味深な笑いを浮かべて言った。
「レナって、誕生日はいつだったかしら?」
「え? 五月十三日ですけど……」
「やっぱりね」
「どういうことです?」
 レナが訊くと、セリーヌは急に小声になって。
「エメラルドって、五月の誕生石なんですのよ」
「ええっ!?」
 レナは指輪を見た。紛れもなく、そこに填め込まれているのはエメラルド。
「でっ、でも、どうしてクロードが私の誕生日を……」
「さぁねぇ。まぁ、あのズボラなクロードがそんな気の利いたことをするとも思えませんし、ただの偶然だとは思いますけどぉ」
 セリーヌははぐらかすようにそれだけ言うと、笑いながら船室へと歩いていった。
 その間、レナは真剣に考え込んでいた。これまで自分の誕生日をクロードに話したことがあったっけ? いや、ないはずだ。なかったと思う。……あれ? そういえば、誰かに話したことがあったような覚えもある。クロードではなかった。確かあれは……。
「……まさか。ちょっと、セリーヌさん!」
 彼女を追って、レナは船室に駆け込んでいった。
 船は風を受けて、大海原を突き進む。次なる大陸、ラクールへと。



--
【ひとくち解説】
 あー眠かった。……いや、すんません。独り言です。
 この話は一応PAが下地になっていますが、内容はほとんどオリジナルなので書いてて楽しかったですね。文章もここに来てようやく安定してきたかな。このあたりが一番バランスは良いかもしれません。次章の後半あたりから、変に言葉に凝りだして妙なことになっているんですよね(;´Д`)
posted by むささび at 04:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年07月03日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第三章(4)

   4 ザンドとユール(前編) 〜ハーリー〜

 港を一望できる崖の上で、彼は柔らかな草の生い茂る地面に寝転がると、顎が外れそうなほど大きな欠伸《あくび》をした。
 塩からい風が吹き抜け、ぼさぼさの藍色の髪を弄《もてあそ》ぶ。小麦色に日焼けした肌は陽の光を浴びてひときわ健康的に見えた。のんびり流れゆく綿雲を見つめるその瞳はくすんだ褐色だが、角度によっては驚くほど鮮やかな紅色に見えることもある。
 彼は上半身を起こし、近くに生えていた香草の茎を千切ると無雑作に口に銜《くわ》え、崖の下の港を大儀そうに見下ろした。
 港はいつものような大勢の船員たちの姿は見あたらず、閑散としていた。桟橋にかかっている船はヒルトン行きだろうか。出航するにしては積み荷が少ない。おおかたあの大雨の翌日だ、海がまだ荒れていると踏んだのだろう。この様子では二、三日は出航を見合わせるかもしれない。
「……うざってぇな。この天気なら時化なんて来ねぇよ」
 自分には関係ないことのはずなのに、彼は港に繋がれたままの帆船にもどかしさを覚え、知らずとそう口走った。
「よう、ユール」
 背後から声がかかった。振り向くと、真っ赤な髪をした男がこちらに近づいてくる。男は顔つきも身体も不自然なほど痩せこけており、上半身を左右に大きく揺らしながら歩くその姿も、ふらついているように見えた。
 その男の背後にも数人、いかにも柄の悪そうな者たちが控えていた。ユールと呼ばれた若者は徐《おもむろ》に立ち上がり、口に銜えた香草をぺっと吐き出すと、男を鋭く睨めつけた。
「ザンドの腰巾着が、何か用か?」
「へっ、そう粋《いき》がるなよ。早死にはしたくねぇだろ」
 男はへらへらと締まりのない笑い顔のまま、言った。
「てめぇにとっておきの知らせを持ってきたんだ」
「どうせろくでもないことだろ」
 そう言いながらユールの視線は、男たちの群れのさらに背後で様子を眺めていた金髪の男に釘づけになった。
 ……ザンド……!
 濃緑色のマントに身を包んだその男の姿を目にした瞬間、ユールは嫌な予感に眉を顰める。
「おカミさんが、死んだよ」
 彼の瞳は驚愕の色に見開かれた。
「可哀相になぁ、店番をしていたら、突然客に襲われたんだとよ。まったく、ひどい世の中になったもんだぜ、なぁ」
 男が話を振ると、背後の者たちはけらけらと笑いだした。
「……殺ったのか……」
 腹の奥から絞り出すような声で、ユール。
「おカミさんを……殺ったのか……?」
「あん? 俺たちじゃねぇよ。変な言いがかりをつけんじゃ……」
 言い終わらぬうちに、男はユールの右拳を顔面に受けて吹き飛んだ。
「俺が目障りならとっとと俺を殺ればいいだろ! どうしておカミさんにまで手を出した!?」
 ユールは吼《ほ》えるように叫んだ。
「見せしめだよ」
 金髪のザンドが前に進み出た。男たちは首を竦め、道を作って彼を通す。
「あの女は外れ者のお前をなにかと可愛がっていたからな。これでお前にはもう、何も残っちゃいない」
「てめぇ……!」
 歯を軋ませ、血走った眼でこちらを睨むユールに、ザンドは蔑むような視線を返して。
「我らへの叛逆は、すなわち身の破滅を招く。これでわかっただろう。我らに楯突くことの愚かさを」
「ザンドぉッ!!」
 殴りかかろうとしたユールだが、さっと周囲の男たちがザンドの前に立ち、行く手を阻んだ。数人がかりで両腕を掴まれ、ユールは身動きがとれなくなる。なおも藻掻く彼の腹に男のひとりが膝蹴りを喰らわすと、脱力したようにぐったりとした。
「いかがいたしやす、ザンド様?」
「殺さない程度に痛めつけてやれ……いや、ここでは人目につくな。下の倉庫にでも連れ込んでからだ」
「ザンド様」
 横にいた手下のひとりが進言した。
「こいつは危険ですぜ、早いうちに始末した方がよろしいのでは……」
「いや、こいつは殺さない」
 整った容貌に冷たい微笑を浮かべて、ザンドが言った。
「こいつが俺の足許に跪《ひざまず》き、ひれ伏す姿が見たい。そのためにはすべてを奪い、徹底的に追いつめる必要がある。抗う気力がなくなるまで、な。こいつが俺に屈服したその時こそ、我がザンド一味の力を知らしめる最高の機会ではないか」
「は、はぁ……」
「連れていけ。くれぐれも殺すなよ」
 ユールを連れて立ち去ろうとする手下たちにそう言ったあと、すぐに付け加えた。
「足の一本くらいは折ってもいいがな」


 かぁお、かぁお、かぁお。真っ青な空を数羽のカモメが飛び交っている。純白の翼を羽搏《はばた》かせ、滑空して、下降しては上昇する。活発に動き回るかれらとは対照的に、大きな帆船は桟橋に繋がれたまま、静かに佇んでいる。
 レナは桟橋近くの海岸の縁に腰掛けて、その光景を眺めていた。足のすぐ下で、港に入り緩やかになった波が整備された岸にぶつかって、たぷんと音を立てた。
「レナ」
 振り向くと、クロードがこちらに歩いてきている。
「やっぱり駄目だ。三日は待たないと出航できないみたいだ」
「そう……」
 レナは少し落胆したように応えた。そして、彼女がいないことに気づく。
「セリーヌさんは?」
「怒りながら街へ繰り出していっちゃったよ。あれで結構、楽しんでるんじゃないかなぁ」
「あはは」
 レナの隣に、クロードも座った。そして水面にゆらゆらと揺れる自分の顔を見つめながら。
「……あのさ、レナ」
「なに?」
「まだ、謝ってなかったよね」
 レナがクロードを見た。彼は膝の上に置いた拳に少し力を込めて、続ける。
「マーズに着く前の戦いで……僕もあんなに怒ることなかったんだ。大人げなかったよな……ごめん」
「そんな……私のほうこそ、ごめんなさい。むきになっちゃったりして」
「いや、いいんだ、レナは怒って当然だった。悪いのは僕の方だ」
 自嘲気味にそう話すクロードを、レナは静かに見つめていた。
「レナが魔物に襲われているのを見たとき、急に頭に血が上って、カッとなった。それでつい、君に八つ当たりしてしまったけど……本当は自分自身に怒ってたんだ。いつも大事なところで君を守りきれない自分が情けなかった。クロス洞穴のときだって僕は何もできなかった。傷ついた君を見て本当に悔しかった。だからもう絶対に、君をこんな目には遭わせないって誓ったんだ。それなのに……」
「……クロード」
 レナはクロードの手を取り、両手で優しく包み込むようにして。
「もういいわ。クロードがそうやって思ってくれるだけでじゅうぶんよ。……ありがとう」
 微笑を浮かべる彼女に、クロードも知らずと表情が綻《ほころ》ぶ。
 そして、レナの手の中にあった右手を抜くと、代わりに左手に持っていた何かを差し入れる。
 レナが手を開いて見てみると、それは指輪だった。銀色の環と、複雑な紋様細工の施された枠の中に填め込まれている宝石はエメラルドだろうか。陽光に照らすといかにも鮮やかな翠《みどり》色に輝く。
「どうしたの、これ?」
「マーズの露店で売ってたんだ」
 照れくさそうに人差し指で頬を掻きながら、クロード。
「なにかの紋章が刻まれているとかで、特殊な効果があるらしいよ。お詫びのしるしってわけじゃないけど……レナにあげるよ」
「そんな、もらえないわ、こんな高そうなもの」
「いいんだ、どうせ僕が持っていても役に立たないんだし」
「そう……? じゃあ、もらっておくね。ありがと」
 さっそく指輪を填めようとして、ふとその手が止まる。
「……ねえ、これって……」
「どうしたの?」
 クロードがレナを見ると、彼女は下を向いたまま、頬を赤らめている。
「プレゼントに、指輪ってことは、さ……」
「気に入らなかったのかい?」
「そうじゃなくて……その……」
 みるみる顔が紅潮していくレナを、鈍《にぶ》ちんクロードは不思議そうに見つめるばかり。
「もう、いいわよ! なんでもない!」
 急に立ち上がって──その際、ついでとばかりにクロードの背中をどんと押して──レナは早足で街の方へと歩いていった。
「ちょっ、レナ……うわっ!」
 レナに押されて体勢の崩れたクロードは、そのまま海へと見事に着水《ダイビング》した。
「なんなんだよ……いったい」
 水面からぬっと顔を出して、訳も解らず彼女の背中を見つめるクロード。金髪からこぼれ落ちた水滴が眼にしたたか入って、やけに滲《し》みた。

 街の入り口近くの路地にさしかかったとき、突然なにかが壊れるような音が耳に飛び込んできた。
「なにかしら、今の……」
 レナはあたりを見渡す。横に扉が開いたままの小さな倉庫があった。慎重に近づき、中をそっと覗きこむ。
 建物の内部は薄暗く、はっきりとは判別できなかったが、奥の壁際でいくつかの人影が蠢《うごめ》いていることだけは確認できた。
「さて、どうしてやろうか……」
 男の低い声が聞こえた。レナは息を殺して耳を澄ます。
「しっかし、ザンド様も酔狂なこった。こんなクズ野郎、とっとと簀巻《すま》きにして海に放りこんじまえばいいのに」
「そこがザンド様の恐ろしいところよ。生かさず殺さず、とことん追いつめてボロボロにした挙句《あげく》、ついには足元にひれ伏させようって寸法だ」
「……っざけんな……」
 その声だけはひどく弱々しかった。まだ若い、少年のような声だ。
「あん? こいつ気がついていたのか」
「俺が、あんな野郎の腰巾着だなんて……ヘドが出るぜ……」
「これからフクロにされるってのに、口の減らねぇ奴だな」
「黙らせてやるか」
 再び破壊音。どうやらこれは壁際に積んである樽が砕ける音のようだ。
 レナは少し躊躇したが、このまま放っておくわけにもいかない。思い切って入り口に足を踏み入れて、叫んだ。
「何やってるの! 人を呼ぶわよ!」
 レナの声に、中にいた者たちがいっせいに振り返った。入口に立ってみて、初めてその者たちの姿をはっきりと見ることができた。数は四、五人ほど、いずれも人相の悪い男たちだ。
「ちっ、邪魔が入ったか」
 連中のひとりがそう言うと、足許に蹲っている誰かの頭を爪先で小突いて。
「運が良かったな。だが次はこうはいかないぜ」
 ぞろぞろと入口から出ていく男たち。レナの横を通りかかるときにこちらを睨んでくる者もいたが、彼女も負けじと強気の視線を返す。
 全員が出ていくのを見送ると、レナは倉庫の中で倒れたままの少年のところへ駆け寄った。近づいてみると、声で想像していたよりも幼くはなかった。
「大丈夫?」
 呼びかけると、若者はゆっくりと身体を起こす。額をはじめ、腕や足のいたるところに紫色の痣《あざ》が浮き出ていた。周囲の床には壊れた樽の破片が散らばっている。
「ひどい怪我……さっきの人たちにやられたの?」
「うるっせぇな……放っとけよ……」
 突き放すような態度で言ったが、明らかに衰弱している。
「なによ、その言いかた」
「いいから俺に構うな……とっとと出ていけ」
「そうもいかないでしょ」
 レナは若者の前に屈んで手を翳すと、回復呪紋《ヒール》を唱えた。彼の身体が淡い光に包まれ、痣が消えていく。
「な……なんだこりゃ」
「終わったわ。もう動いてもだいじょうぶ」
 若者はすぐに立ち上がり、珍しいものでも見るかのように自分の身体をまじまじと眺める。
「こいつは驚いた。全部治ってやがる……お前、不思議な力を持ってるんだなぁ」
「え? うん……」
 レナは恥ずかしそうに俯く。
「まあいいや。俺はユールってんだ。いちおう礼を言っておくよ」
 藍色の髪の若者はそれだけ言うと、すぐに入口に向かって駆けだそうとした。
「ちょっと、どこへ行くのよ!」
 レナが呼び止めると、ユールは一度立ち止まって振り返る。そして先程とはうって変わり、真剣な表情で。
「悪い、急いでるんだ」
 そう言い置くと、再び走りだして倉庫を出ていってしまった。
「急いでるって……なんなのよ」
 腑に落ちないというふうに首を傾げながら、レナも倉庫を出た。すると。
「あら、レナ」
 声をかけてきたのはセリーヌ。肩に掛けた道具袋がいちだんと膨れあがっているところを見ると、また大量に買い込んだのだろう。
「何やってるんですの? こんなところで」
「いえ、ちょっと……あ、そうだ。さっきこの辺で男の子が走っているのを見ませんでしたか?」
「男? なに、もしかして逆ナンでもしてるの?」
「違いますってば! 真面目に答えてください!」
「はいはい。そうねぇ……ああ、そう言えば見かけた気もするわね」
 セリーヌは丘の上に鎮座する大きな屋敷があるあたりを指さした。
「たしか、向こうの高台の方へ走っていったと思うわ。……そうそう、高台といえばね」
「なんですか?」
「あの高台にある店の前で、人だかりができていたのよ。みんな深刻そうな顔してたけど、なんだったのかしらね、あれは」
「深刻そうな?」
 レナが真っ先に思い浮かべたのは、さっきの若者が最後に見せた表情。彼が向かっていった先もあそこなら、関係ないとは考えにくい。
「……すみません、ちょっと行ってきます」
 そう言うと、レナも高台に向かって駆けだした。どうしてこんなにあの若者のことが気になるのか、わからなかったけれど、とにかく走った。

 セリーヌの言った通り、高台の飲食店の前には大勢の人々が集まり、騒然としていた。
 はやる気持ちを抑えながら、レナは人の群れをかき分けて店へと足を踏み入れる。
 そこで目にしたのは、仰向けに倒れた恰幅のいい女性と、それを腕で抱きかかえる若者の姿。女性の身につけている純白のエプロンは紅に染まり、顎はのけ反り、開ききった瞳孔は天井のどこかを見つめたきり、動かない。
「ユール……」
 レナは若者の名を呼んだ。彼はこちらを振り向きもせず、女性の頭を抱いたまま、呟くように言う。
「……お前、傷を治せるんだろ」
「え?」
「俺のときみたいに、治してくれよ……おカミさんを……」
 ユールの声には感情が伴っていなかった。答えは、既にわかっていたのかもしれない。
「……ごめんなさい」
 彼の抱く女性の顔からは血の気が完全に失せ、唇も紫に変色している。そしてなによりも、床一面に広がった赤いもの──レナは、そう言うしかなった。
「なんだよ、なんで謝るんだよ……」
「ごめんなさい……」
 胸が詰まって、言葉がうまく出てこない。震える唇で、レナは繰り返しそう応ずるのが精一杯だった。
「治せねぇのかよ……」
「だって、その人は、もう……」
 涙で視界が歪む。もはや言葉すら出てこない。
「治せねぇのかよ……」
 ユールは項垂れて、目をギュッと瞑る。こぼれ落ちた雫が紅のエプロンに落ちて、染みこんでいく。
「ちきしょう……っっきしょおーーーッ!!」
 天井を見上げて、ユールは吼えた。レナもその場に立ちつくし、足許に視線を這わせたまま、肩を震わせた。


「親父は、俺が十の時に死んだ。お袋もな」
 昼間にクロードと話をしていた同じ場所で、レナはユールの話を聞いていた。
「親父はレグランドの手下だったんだ。……ああ、レグランドってのはザンドの父親だ。今のザンドよりは話のわかる奴だったけど……でも、親父は何かヘマをやらかして、奴に始末された」
「お母さんは?」
「お袋は、そのときのショックで寝込んじまったんだ。もともと体は丈夫なほうじゃなかったからな。それで、半年後に」
 言葉を途切らせて、ユールは水平線を見つめた。沈みかけた夕日を背中に浴びて、岸辺のふたりの長い影は波に揺れている。
「お袋が寝込んだ半年間、世話してくれたのがおカミさんだった」
 ユールが再び口を開く。
「隣近所で昔からお袋とも親しかった人なんだ。お袋が死んだあとも、身寄りのない俺を引き取って育ててくれた。……ま、俺はこんなだから、しょっちゅう殴られていたけどな」
「殴る?」
 レナが目を丸くして訊くと、ユールは吹きだすように軽く笑って。
「豪快な人なんだよ。俺が近所のガキと喧嘩して帰ってくるたびに、バチーンってひっぱたかれるんだよ。その威力といったら、凄まじいぜ。顔半分がタコみてぇに腫れて、丸一日痛くて何も食えやしねぇ」
 レナは笑った。ユールも笑ってはいるが、どこか淋しくも見えた。
「ほんとうに、強い人だった。レグランドが死に、ザンド一味が幅をきかせだしたときも、おカミさんは言いなりにはならなかった。奴らに目をつけられた俺を、守ってくれたんだ……最後まで」
「ユール……」
 心配そうに見つめるレナの視線に気づくと、ユールは顔を上げて、ニッと微笑《わら》ってみせる。
「悪ぃな、辛気くさい話をしちまって」
「ううん。話が聞けてよかった」
 レナがそう言って微笑みかけたとき。
「おーっ、いいねぇ、夕暮れの港に語り合う若人たち。絵になるねぇ」
 いきなり大声で誰かが叫んだ。振り返ると、恐ろしく大柄な老人が、木製のパイプ片手に立ちはだかっている。短めの髪も、もじゃもじゃの顎髭もすべて真っ白だったが、その熊のような体格は年寄りめいた雰囲気を少しも感じさせなかった。
 老人はこちらを非難がましく見つめる若者と目が合うと、少し驚いたように。
「おーっ。誰かと思えばユールじゃねぇか。ハーリー屈指の問題児、悪ガキだと巷《ちまた》で噂の」
「うるっせぇな」
「がはは。威勢だけはいい野郎だ」
 老人の声は普通に話していても怒鳴っているようで、いちいち腹に響く。
「聞いたぜぇ。お前ぇのカミさんがザンドに殺られたってな」
 ユールが片方の眉をつり上げると、老人はニヤニヤと笑いながら、パイプに火をつける。
「なんで知ってるのかって? 海の男の情報網を甘く見ちゃいけねぇよ」
「海の男?」
 レナが訊くと、老人は得意満面の表情を浮かべて。
「おうよ! 世界でただひとり世界一周航海を成し遂げた、『白鯨のバルト』ことバーソロミュー船長とは、俺のことだぁ!」
 ユールとレナが顔を見合わせる。
「知ってる?」
「いや、知らねぇ」
「な、なんだとぉ!?」
 失望のあまり開いた口から火のついたパイプが落ち、慌てて手で受け止めて、あちあちとお手玉する。
「まあ、世界一周したのは二十年も前だからな……仕方ないか。……ところで、だな」
 自分の名が知られていないのがよほど堪《こた》えたのか、やや声の調子を落として。
「ユール。お前ぇ、俺の船に来ねぇか?」
「え?」
「おカミが死んで、頼るところもないんだろう? おあつらえ向きに俺の船も人手不足だ。お前ぇは喧嘩っ早いが根性はありそうだからな。どうだ。この話、乗らねぇか?」
 船長の言葉にユールは目を伏せて、唇を噛む。
「……やめとけよ」
「あん? どうした、海の男は嫌いか?」
「俺に関わると、ザンドに狙われるぞ」
「がはは。これだからなにも知らねぇガキは困る」
 船長は嫌がるユールの首に無理やり腕を回し、羽交い締めにする。
「ザンドだって俺には一目置いてるんだぜ。今度奴らがお前ぇに手ェ出してみろ、天下のバルト様がぶちのめしてやるさ」
 相変わらずの大声でそこまで言うと、急に語りかけるような口調になって、続ける。
「それにな、あのおカミは俺もよく知っているんだ。店の常連だったからな。あいつのことを思うと、どうにもお前ぇが放っておけねぇんだよ」
「…………」
「俺の船に来いよ。立派な船乗りにしてやるぜ」
「けっ……くだらねぇ」
 悪態をつくが、瞳はじわりと潤んできていた。
「臭ェ腕だな。風呂入ってんのか」
 そう言って腕から抜け出し、船長に背を向けて涙を拭うと、振り返って言う。
「しょうがねぇから乗ってやる。けど、俺はてめぇを船長だなんて思わねぇからな」
「がははは。本当に威勢のいいガキだ」
「よかったね、ユール」
 レナが歩み寄って言うと、ユールはああ、と口を開いて。
「ありがとうな、レナ、励ましてくれて」
「そんな、私はなにも……」
「じゃ、旅、頑張ってな」
 先に歩き出した船長の後を追うユール。その姿が船の影に隠れて見えなくなるまで、レナは一心に眺めていた。


 ──その夜。
「……ユールは、バーソロミュー船長に引き取られたようです」
 屋敷の一室。艶々《つやつや》と輝く鞣《なめ》し革の椅子に腰掛け、事務用の机の上に足を乗せた格好で、ザンドは手下の報告を聞いていた。
「バーソロミュー……あの鯨ジジイか」
 忌々《いまいま》しそうに鼻に皺をつくり、机を蹴飛ばした。大きな机はけたたましい音を立てて倒れ、載っていた書類やら万年筆やらが床に散らばる。
「い、いかが致しましょうか?」
 主人の立腹に肝を冷やしながら、手下のひとりが指示を仰ぐ。
「ユールの側《そば》に、女がいると言ったな」
「はい」
「ならば、そいつを使ってユールを屋敷におびき寄せるんだ」
「か、かしこまりました」
 一礼してすぐに退室しようとした手下を、不意にザンドが呼び止めた。そして、ゆっくりと立ち上がり目の前に立つと、胸倉をつかみ上げて顔を近づけ、魂も凍りつくほどの形相で言った。
「くれぐれも、ヘマするなよ」
「はっ、は、はいぃっ!」
 情けない金切り声で返事をすると、逃げるようにして部屋を出ていく。
 ザンドはふと、足許に親指の先ほどの小さな石が転がっているのに気づいた。翡翠色に鈍く光を放つそれを拾い上げ、眼前に掲げて眺めると、満足そうにニッと笑った。



--
【ひとくち解説】
 この回はほぼ修正なしでした。珍しい。
 クロード編でアシュトンのイベントがあるので、その間の繋ぎということでこのPAを選んだんですが、割といい感じに書けたんじゃないかと思ってます。全体の雰囲気がジブリっぽい。船長のキャラとか特に。
posted by むささび at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年06月26日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第三章(3)

   3 非情の剣豪 〜紋章の森〜

 雨は、森の中では霧に変わった。
 森の長寿を象徴する太い樹木の幹は、湿気に黒っぽく変色している。地面も同様に黒く柔らかな腐葉土で、歩くと踝《くるぶし》のあたりまで埋まった。視界はひどく悪かったが、道らしき空間が森の奥へと続いていることは確認できた。
 森というものをよく知っているレナには、この森はあまりにも奇妙だった。まず何よりも静かすぎる。いくら天気が悪いとはいえ、この時期なら百舌《もず》や懸巣《かけす》や椋鳥《むくどり》の鳴き声が聞こえてもいいはずなのに。そこの木の枝でドングリを抱えた栗鼠が走り去って枝を揺らす音が聞こえてもいいはずなのに。雨は降れども風はなく、空気は重く澱んでいた。そして、動物や虫たちの姿はまったく見あたらない。まるで、何かを避けているように。
「……瘴気《しょうき》が渦巻いているな」
 ディアスも別の意味でそれを感じ取ったらしい。
「森のものではない、何か邪悪な存在が入り込んだようだ。……それにしても結界が破られたとはいえ、この瘴気は何だ? たかが山賊風情の仕業とは思えないが……」
「どういう意味?」
「見ろ、これを」
 ディアスは立ち止まって、横の木の幹を見る。彼の胸の高さの部分に、黒く焦げたような痕があった。
「おそらくここに、結界の紋章が刻まれていたのだろう」
「山賊が消したってことかしら」
「おそらくな。だが」
 ディアスはさらに森の奥を指し示した。見ると、他の樹木にもいくつか、同じような焦げ痕がついていた。森全体となると、どのくらいの数になるだろうか。
「全ての結界をしらみつぶしに探して潰すことなど、果たしてただの山賊にできるだろうか。外部の人間では、十重二十重《とえはたえ》に張り巡らされた結界を破るのは、まず不可能だ」
「つまり……この森をよく知っているひとに協力者がいるってこと?」
「さあな。だがこの焦げ痕も、術師が呪紋で灼いたと考えれば納得もいく」
「さすがに鋭いな」
 森の奥から野太い声がした。振り向くと、頭に灰色の布を巻きつけた男が蛮刀を手に、こちらへ歩み寄ってくる。
「だが残念ながら、俺たちに術師の仲間はいない」
「見張りの山賊か」
 ディアスは落ち着き払ったように言うと、相手は無精髭の口許をニッとつり上げた。
「子供たちは無事なの?」
 レナがディアスの背後から言う。
「教えたところで無駄だろう。お前らはここで死ぬのだからな」
「能書きはいい。来るならさっさとかかって来い」
「なにを」
「もしくは早々に立ち去るんだな。雑魚に用はない」
「こいつ、言わせておけば……」
 山賊は苦々しげに表情を歪ませながら、指を口に入れて口笛を鳴らす。すると木の上に潜んでいた他の山賊が数人、その男の周囲に降り立った。
「やっちまいな!」
 無精髭の男の合図で、山賊どもがそれぞれに蛮刀を抜き放つ。それでもディアスに動揺は微塵も見られない。
「すぐに終わる。下がっていろ」
 いつもと変わらぬ口調で、背後のレナに言う。
「でも……」
「お前がいるとろくに動けん。邪魔だ」
 ディアスの言葉にレナは拳を握りしめたが、この場は大人しく従うことにした。
 山賊どもがいっせいに襲いかかる。だがディアスは両腕をだらりと下げたまま、剣の柄を握ろうともしない。山賊がディアスに剣を繰り出したその刹那。
「空破斬!」
 ディアスの周囲に衝撃波が巻き起こった。もはや爆発に近いその衝撃に山賊どもは吹き飛ばされ、木の幹に身体を打ちつけて昏倒した。
「くだらんな」
 彼自身は何事もなかったかのように憮然と言った。剣も鞘に納まったままである。
「馬鹿な……なんだ、今のは……」
 無精髭の男は蛮刀を持つ手をおののかせた。間違いなくディアスは、あの一瞬の間に剣を抜いて、衝撃波を放ったはずである。だがその動作を確認することは、並の人間には到底適わなかった。
「さて、どうする。このまま消えるか」
「ぐぬぅ……」
 男は苦々しげに彼を睨みつけ、それから半ば自棄っぱちのように斬りかかった。縦一直線に叩き割るように振り下ろされた蛮刀はディアスのわずか横の空《くう》を虚しく裂く。対して、留め具を外し素早く抜き放ったディアスの剣は相手の横腹を的確に抉《えぐ》りとった。男が湿った地面に頽《くずお》れるのと同時に、ディアスは再び剣を鞘に納める。
「ディアス」
 木の陰に隠れて見ていたレナが歩み寄る。
「相手は人間なのよ。もう少し手加減したらどう」
 既に動かぬ骸と成り果てた山賊を後目に言うと、ディアスは視線だけをこちらに向けた。
「こんな下衆《げす》どもを、お前は人間というのか」
「…………」
 レナの胸は疼いた。冷酷な言葉の裏に隠れた真意を、その瞳の奥の深い淵に見出して。
(このひとの時間は、まだあのときのまま、止まっている)
(二年という月日も、このひとにとっては、なんの意味もなかったんだ)
「時間がない。先に進むぞ」
 外套《マント》を翻して森の奥へと歩き出すディアスを、レナは胸に当てた拳を握りしめながら、静かに見つめていた。

 その後も何度か山賊と遭遇することがあったが、いずれもディアスの一太刀にて破れ去っていった。あるときは敵を挑発し、あるときは黙って敵が襲ってくるのを待つ。そうして抜き放たれた彼の剣は、毛筋ほどの躊躇もなく相手の急所を確実に斬り裂く。人であるはずの(彼にとっては人ではない)山賊に一片の同情すら見せることなく、またこの殺戮を愉しむでもなく、ただひたすら冷酷に、無表情に相手を斬り捨てていく彼の姿は、他人の目からすれば悽愴《せいそう》以外のなにものでもなかっただろう。
 だが、レナは知っていた。彼のその行為の理由を。あのときのことを。そして、今の自分には何もできないことを。だから、ただただ、哀しかった。
 途中には泥のような沼が行く手を阻んでいたが、長老から借りた泥靴が役に立った。やっとのことで渡りきった先は森の奥深く、光もほとんど届かない暗闇だった。
「瘴気がさらに濃くなった。用心しろ」
 ディアスがレナに注意を促すが、当のレナは地面の一点を見つめたまま、立ちつくしていた。
「どうした、レナ?」
 彼の言葉でレナはハッと我に返り、顔を上げる。
「なんでもないわ。ただ、クロードとセリーヌさんは大丈夫かなって」
「心配なら戻ったらどうだ?」
 ディアスが言うと、彼女はすぐに首を横に振る。
「心配なんか、してないわ」
「そう強がるな」
「強がってなんか……っ!」
 思わず声を張り上げてしまい、慌てて自分で自分の口を塞ぐ。森の静寂だけがあとに残った。
 ディアスは軽く肩を聳《そび》やかすと、先に続く道をゆっくりと歩き始めた。レナは口を尖らせつつも、彼の後についていく。
 ふたりはしばらく黙々と歩いているばかりだったが。
「クロードったら、ひどいのよ」
 不意にレナが口を開いた。
「私が魔物と一対一で戦っただけで、『軽はずみな行動はするな』って。……私だって悪かったとは思うわよ。実際、クロードが助けてくれなきゃ危なかったし……でも、なにもあんなにムキになって怒ることないじゃない」
「いきなり何だ?」
 ディアスが立ち止まり、訝しげにレナを見て言う。
「なぜそんなことを俺に話す?」
「べっ、別になんでもないわよ。ただ、なんとなく……」
 レナは頬を赤くして弁解する。
 ディアスはしばらく幼馴染みの顔を何ともなしに見つめていたが、ふと目を逸らすと、ふたたび歩き出した。
「そいつがムキになって怒るということは、それだけお前が心配だってことだろう?」
「え?」
 レナは驚いたようにディアスの背中を見る。歩きながら、ディアスは続けた。
「本当にどうでもいい人間なら、いちいち構ったりしない。好きなようにやらせて、くたばったとしても何とも思わないさ。俺のようにな。そいつがお前のことを気遣っていることくらい、お前だってわかっているはずだ」
 レナは下を向いて、拗ねた子供のように頬を膨らませる。
「少しは成長したかと思っていたが、そういうところは変わらんな。昔もよく村の悪ガキと喧嘩してたな。勝てもしないくせに強がって、意地ばかり張って……」
「あのね」
 レナがいきなり走って、ディアスの前に回り込んだ。爪先と爪先がぶつかるくらい近くで向き合うと、人差し指を彼の顎の手前に突きだして、きっと睨みつける。
「意地っぱりの大将に言われたくないわよ」
 ディアスは面食らったように目を見開いたが、すぐに下を向いて、堪《こら》えきれずにくつくつと笑いだした。
「言ってくれるな」
「お互いさまよ」
 レナも腰に手を当てて、ふんぞり返ったような格好のまま、笑った。
 そのとき、横の茂みがガサガサと騒ついた。ディアスは素早く手を剣の柄にかけて身構えたが、出てきたのは彼の腰丈くらいの幼い少女だった。
 少女は二人の姿を認めると、震える声で訴える。
「たす、けて……」
「待ちやがれ、こんガキゃあ!」
 怒声を発しながら、少女の背後から山賊らしき男が追いかけてきた。男はレナとディアスに気づいて立ち止まる。
「ぬぬっ、なんだてめぇら。命が惜しけりゃ、そのガキをこっちによこしな」
 ディアスがレナに目で合図する。レナは少女を抱えて彼の背後に下がった。
「逆らう気か? 後悔するぜぇ」
 ニタニタと汚い歯を剥き出しにして笑みを浮かべる山賊の前に、ディアスは立ちはだかった。一見無防備なその構えに山賊は騙され、図に乗って襲いかかる。しかし次の瞬間、ディアスの剣が躍り上がるように抜き放たれ、あっさり相手の蛮刀を弾き飛ばす。手から離れた蛮刀は濃霧の森を高々と舞い上がり、樹木の梢《こずえ》付近の幹に突き刺さった。
「命が惜しければ……何だって?」
 抜き身の刃を突きつけながら、ディアスが圧するように言う。
「ひ、ひええっ!」
 山賊は情けない声を上げて後退りした。ディアスが剣に力を込める。レナは次に起こる光景を少女に見せぬよう、強く抱きしめ、自らも目を瞑る。
 ディアスの剣は容赦なく相手の腹を貫いた。剣を抜き、鞘に納めると、山賊は双眸に驚愕と恐怖の色を浮かべ、金魚のように口をパクつかせて、その場に倒れた。
 ディアスが背後を振り返ると、レナは少女を立たせて質問をしているところだった。
「あなた、マーズの子供よね?」
「うん」
「捕まっていたところから逃げてきたのか?」
 ディアスが訊くと、少女はこくりと頷いた。
「その場所まで、案内してくれないかな?」
 レナが言うと、少女の曇りのない瞳は爛々と輝きだす。
「みんなを助けてくれるの?」
「仕事だからな」
 ディアスが素っ気なく答えた。
「ありがとう。お兄ちゃん、お姉ちゃん」
 少女は愛らしい笑顔で言ったが、ディアスは明後日の方角を向いて、見向きもしない。
「仕事だと言ったろう」
「それでも、セシルはうれしいよ」
 ディアスの目の端がピクリと動いた。レナもそれに気づいて、少女に話しかける。
「あなた、セシルっていうの……」
「うん」
 レナはディアスを見た。ディアスは憮然と少女の顔を見つめていたが、レナの視線に気づくと背中を向ける。
「急いでいるんだ。早く案内しろ」
 わざとぶっきらぼうに言い放つ彼に、レナは軽く嘆息した。
「うん。こっちだよ」
 セシルは小走りに森のさらに奥深くへと向かう。ディアスとレナはその背中を追っていった。


 一方その頃。
 紋章の森の入り口で、エグラスは彼らの帰りを待っていた。腕を組み、霧深い森の奥の暗闇をじっと見つめたまま、立ちつくしている。
 エグラスは焦れた。待っている時間というものはひどく長いものだ。こんな思いをするくらいなら、いっそのこと私も行ったほうが良かったかもしれない。うちの蓮っ葉な娘が年寄りの冷や水だなんて言いさえしなければ……。
「エグラス殿」
 自分を呼ぶ声を聞いてエグラスは振り返った。そこには誘拐事件の一報を告げた、あの紋章術師が立っていた。
「いかがですかな。彼らからの連絡は?」
「いや、まだ何も……」
「そうですか」
 術師はエグラスの横に立った。
「……それにしても、妙だとは思いませんか?」
「何がですかな?」
「結界のことですよ」
 術師は相変わらずフードを深々と被っているので、その表情はわからない。
「あなたもあの結界がいかに強固なものであるかはご存じでしょう。森じゅうの木の幹に刻まれた紋章は全部で千二十四箇所。森全体での紋章の位置そのものが紋章を形取り、巨大な法陣結界となっているわけですが、あの紋章は単体でもかなりの威力を発揮します。つまり、邪なものが森に踏み込むためには、全ての紋章を潰さなくてはならないのですよ。……そんなことが、ただの山賊にできるとお思いで?」
「どういうことだ?」
 エグラスは怪訝そうに術師を見た。
「考えられるのは二通りです」
 術師はぼそぼそと抑揚に乏しい声で続ける。
「ひとつは術師の中に裏切り者がいるか。もうひとつは、山賊自身が術師に化けて森に入り込んでいたか」
「山賊が術師に? そんなことができるはずがない」
 エグラスが否定すると、術師の口許が三日月の形に歪んだ。
「ところが、できるんですよ。このようにね」
「!!」
 術師が掌を翳《かざ》すと、人の頭ほどの火球がエグラスめがけて放たれた。至近距離で喰らったエグラスは吹き飛ばされ、背中から地面に倒れる。
「なんだと……まさかお前が!?」
 エグラスが上半身を起こして術師を見る。
「今頃気づいても、手遅れだよ」
 術師はフードの奥に潜む眸《ひとみ》を危険な色に光らせて言った。
「村の中で厄介な奴らは全員、森へ行った。あとはマーズ屈指の紋章術師と名高い貴様さえ倒せば、この村は墜ちたも同然」
「くそっ……謀ったな!」
「死ね!」
 術師はサンダーボルトを唱えた。エグラスの頭上から電撃が迸《ほとばし》ったが、間一髪、エグラスは跳び退いて避け、すぐに掌を前方に突きだす。
「アイスニードル!」
「ファイアボルト!」
 氷と炎がぶつかり、瞬時にして水蒸気となり消滅した。エグラスは立て続けにウインドブレイドを放つが、術師は手もなく躱すと、人差し指を突きだして唱える。
「ウーンズ!」
 エグラスの足許の影から闇が膨れ上がる。凝り固まり鋭利な刃となった闇に包み込まれ、無雑作に斬り刻まれた。片膝をつくエグラスのローブはズタズタに切り裂かれ、すぐに傷口から血が滲み出てきた。
「とどめだ!」
 術師は勝ち誇ったようにそう言うと、両手を天に向かって掲げた。
「させるか!」
 エグラスは力を振り絞ってグレイブを唱える。術師の足許から槍状の土の塊が突きだしてきた。
「うおっ!」
 術師は慌てて躯を仰《の》け反らせて避ける。土の塊はローブの裾を突き破っただけですぐに消滅した。
「惜しかったな。だが、詰めが甘い」
 術師は再び両腕を天に翳す。
「イラプション!」
 エグラスの周囲の地面が熱で溶け、そこから猛然と炎の渦が噴き出した。熱風に高々と舞い上げられたエグラスは、なすすべなく地面に叩きつけられる。
「へっ、ざまあねぇな、エグラスさんよ」
「くっ……」
 エグラスはなんとか立ち上がろうとするが、もはや身体が動かない。術師もそれを確認すると、エグラスに背を向けてその場を立ち去る。
「さて……アザムギルの様子を見に行くか……」
 彼の向かった先は、紋章の森だった。


 森のほぼ中心に当たる場所に、その小屋はあった。
「あそこにみんながいるの?」
 レナが訊ねると、前を歩いていたセシルが頷いた。樫の木のみで造られた小屋は見た目は質素だが、実用に耐えられるようにかなり丈夫な構造になっているようだ。
 不意に、セシルとレナの間を歩いていたディアスが立ち止まった。
「どうしたの?」
 レナも立ち止まって訊くと、ディアスはゆっくりと、まるで樹木の一本、木の葉一枚までもつぶさに観察するように周囲を見回した。
「なんだ、これは……」
「え?」
 小屋を睨んだまま呟くディアスに、聞き返すレナ。
「なぜこんなに警備が薄い? 子供を人質に取っているにしては、警戒心がなさ過ぎる」
「そういえば……森の中では何度か山賊に会ったけど、この小屋に見張りがいないってのは変ね」
 レナも辺りを見回す。人の気配は全くない。
「そもそも、事の起こりからして妙だった。あまりにも突拍子がなさ過ぎる」
 ディアスが言った。
「書物を奪うだけなら、もっと他にやり方があっただろう。村の子供を根こそぎ誘拐する必要がどこにある? 一夜にして結界の張られた森を占拠できるような手練れが、こんな馬鹿げた真似をするだろうか」
「それって、つまり……」
「誘拐事件の目的は、別のところにある」
「その通り」
 ふたりの背後で誰かが声を発した。振り返ると、大仰な甲冑を纏った男が槍を手にして、こちらへ近づいてきていた。
「ようやくそこに気づいたか。だがここは森の奥深く。引き返してももう遅い」
 男のその言葉にディアスは眉間に皺を作った。
「……森ではなく、村か」
「子供たちはいわばオマケよ。人買いには高く売れるからな」
「どういうこと?」
 レナが訊くと、ディアスは甲冑の男を鋭く睨めつけたまま答える。
「誘拐事件は囮だ。村全体をかき回し、優れた術師たちを疲弊させた上で、混乱の隙に宝を奪おうという作戦だ」
「紋章術師は金持ちだが、ちょいと手こずるのが悩みの種でな。ボスも困っていたところだったんだ」
「あなたがボスじゃないの?」
「そんなことはどうでもいい」
 男が槍を掲げると、周囲の森からいっせいに仲間の山賊が飛び出し、ふたりを取り囲んだ。数は軽く十人は越えそうだ。
「うそ、こんなにいたの!?」
「気配を殺して待ち伏せていたか。姑息な連中だ」
「逃げ場はなくなった。覚悟を決めな」
 笑みに絶対の自信を含ませて、甲冑の男が槍を突き出した。
「てめぇなど、ボスの手を煩わせるまでもない。このアザムギル様が地獄に送ってやるぜ!」
 言うが早いか、アザムギルは重装備の割には意外に速い身のこなしでディアスに襲いかかった。ディアスは剣を抜き、繰り出された槍を打ち払う。返し刀で相手の兜を狙ったが、アザムギルも槍の柄で剣を受け止める。そうして素早く背後に跳び退《の》き、槍の長さを生かして遠い間合いから突きだしてきた。必殺の気合いが込められた槍の動きをディアスは読みとり、穂先が自分の胸に突き刺さるより一瞬速く、左手で槍の柄をつかみ、そのまま空中に跳び上がった。勢いづいたアザムギルはディアスの真下につんのめる。ディアスは空中で鳥のように両腕を広げた。外套が大きく翻る。そうして剣に気合いを込めて振り下ろした。
「ケイオスソード!」
 黒き衝撃波とともに振り下ろされた剣は相手の兜を砕き、脳天を叩き割った。アザムギルは頭から血を噴き出しながら、しばらくふらふらと蹌踉《よろ》めいていたが、ディアスが剣を納めるのと同時にどうと倒れた。
「こっ、この野郎っ!」
 アザムギルがやられたのを見て、周囲の山賊たちが一気に雪崩れ込んできた。ディアスは空破斬で吹き飛ばそうと柄に手をかけたが、すぐ隣にレナがいるのに気づいた。ここで衝撃波を放てば、彼女まで巻き添えを喰ってしまう。
 ディアスは軽く舌打ちして、左腕でレナを抱え込むと、そのまま高々と跳躍した。空中で剣を抜き、瞳を見開いて右腕に力を注ぎこむ。そして地面で一所《ひとところ》に固まっている山賊に向かって、刃を十文字に振るった。
「クロスウェイブ!」
 交差《クロス》した二本の衝撃波は地面にぶつかると、大地を抉《えぐ》った。土や石や樹木の破片が飛散し、山賊は逃げる間もなく吹き飛ばされた。突風が吹き荒れ、衝撃に森が震撼する。
 ディアスが降り立った場所は、最初に跳び上がった地点よりも随分と下にあった。衝撃波によって地面が削られ、深い窪みができてしまったのだ。
 そして、そこに山賊の姿はなかった。レナが周囲を見渡すと、樹木の枝に引っかかっているものと、幹に叩きつけられたのだろうか、木の根元で倒れ込んでいるものが、辛うじて確認できた。大多数の行方はわからない。おそらく森のどこかで息絶えていることだろう。レナは、その圧倒的な破壊力に思わず身震いした。
「子供たちを助けるぞ」
 この場においても、ディアスは何事もなかったかのような口調で言い、小屋の方へと歩き出す。レナはもはや、唖然とそれを見送ることしかできなかった。

「これで全員なの?」
「うん」
 小屋から助け出した子供たちを確認すると、レナはディアスの方を向く。
「とりあえずは一安心だけど……。これからどうするの? 子供たちも村に帰さないといけないし……」
「まだ終わったわけではない。村がどうなっているかがわからないからな」
 ディアスは子供たちには目を合わせずに、言った。
「きっと大丈夫よ。クロードたちがいるわ」
「途中でくたばっていなければいいがな」
 その言葉に、彼女はなぜか悔しさを覚えた。関係ないはずなのに。
「クロードだって本気を出せば、あなたと同じぐらい強いのよ」
 自分でも不思議だった。どうして彼を庇うようなことを言ったのだろう?
「ならば一度、手合わせを願いたいものだな」
 皮肉を言うディアスの頬が、わずかに緩んだような気がした。
 そのとき、聞き覚えのある爆音が森に響き渡った。ここからそう遠くないところで。
「セリーヌさんの呪紋だわ!」
 レナはすぐさま駆けだしていった。

 最初に目の当たりにしたのは、血のように紅い皮膚をした「なにか」だった。地面に頽《くずお》れ、既に息絶えていたので一目ではわからなかった。その傍らには立ちつくすセリーヌと、頭と左腕から血を流して蹲《うずくま》るクロードの姿があった。
「クロード!」
 レナはもはや悲鳴に近い声で、彼の名を呼んだ。駆け寄り、すぐに治療を始める。
「レナ……どうしてここに?」
 かなり衰弱しきっていたのか、クロードの声はひどく弱々しかった。
「子供たちが小屋に捕まっているところを、助け出していたの」
「本当かい?」
「うん。……ねぇ、これは……」
 治療が終わると、レナは深紅の怪物に目を遣った。
「マーズの村に、フードをかぶった紋章術師がいただろう? あいつの本当の姿さ」
 クロードがしっかりと立ち上がって、言った。
「あのひとが山賊のボスだったのね」
 レナは思い出した。ディアスの参加をしきりに拒んでいた術師の男。少し怪しいとは思っていたが、まさか山賊、それもこんな怪物だったとは。
 小屋の方から、ディアスもこちらへやってきた。彼は怪物の骸を見つけると、すぐ目の前まで歩み寄り、商人が品物を見定めるような所作で丹念に眺めていた。
「こいつは、お前が倒したのか?」
 納得のいくまで見てから、クロードに問う。クロードは彼を軽く睨みつけながら、答えた。
「ああ、そうだ。セリーヌさんと一緒に、だけどな」
 ディアスとクロード。ふたりの視線が交叉する。睨み合いは数秒ほどであったが、やけに長く感じた。
 しばらくして、ディアスが目を逸らした。そして背中を向ける。
「なるほど、レナの言っていたことも、あながち嘘ではないようだな」
「どういう意味だ?」
 ディアスの背中にクロードが言葉を投げかけたが、彼はそれには答えず。
「近いうち、お前と剣を交える日が来るかもしれない。楽しみにしていよう」
 そう言うと、森の入り口へと歩き出した。しかし途中で思い出したように、いったん足を止めて。
「昨日の無礼を詫びよう。お前はおそらく、足手まといにはなるまい」
 そうして、森の中へと消え去っていった。
「レナ、あいつはいったい何を言っているんだ?」
 わだかまる思いを吐き捨てるように、クロードが訊く。レナはただ、握りしめた左手を胸に宛《あてが》ったまま、森の闇に消えた彼の姿を見つめていた。
「そう。こんなことをしている場合じゃないんですのよ」
 突然セリーヌが声を張り上げた。
「早く村へ戻らなくては」
「そうですね」
「待った!」
 歩き出そうとしたレナを、クロードが止めた。
「レナ、ペンダントが……」
 そう言われて自分の胸許を見ると、上着の内側からペンダントがぼんやりと輝きを放っていた。慌てて上着から飾り石を引っぱり出すと、確かに翡翠色に明滅している。
「まさか……」
 クロードは思い立って、深紅の怪物の横腹を蹴り上げて仰向けにさせる。すると、腰のあたりからポロリと拳大ほどの石が地面にこぼれ落ちた。石は、やはり同じように緑色に輝いている。
 クロードとレナは目を見合わせた。言いしれぬ不安と、予感に。



--
【ひとくち解説】
 絶望した!
 ディアスの歳をとっくにオーバーしている自分に、絶望した!
 今更そんなことに気づいていることにも、絶望した!
posted by むささび at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2