2008年06月19日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第三章(2)

   2 すれ違う心とこころ 〜マーズ〜

 机の上には、鞘に収まった細身の剣が無雑作に置かれていた。彼は立ち上がり、それを手に取り腰に据え付ける。
 壁に掛かっていた外套《マント》を手慣れた所作で羽織ると、扉を開けて部屋を出る。狭い廊下を抜けて、きいきいと材木の軋む階段を降りていく。
「おや、お出かけですかぁ?」
 カウンターでうたた寝をしていたフロントの若者がその音に目を覚まし、いかにものんびりした口調で訊いてきた。
「夕方には戻る」
 男はそれだけ告げて、宿を出る。数歩進んだところで不意に立ち止まり、空を見上げた。上空には分厚い雲が村全体にのしかかるように、重く垂れ込めている。
 ──ひと雨くるか。
 心の中でそう呟いたとき、こちらに向かってくる足音に気づいて視線を落とした。
「あの、あなたを剣士さまと見込んで、折り入ってお話があるのですが……」
 女はおずおずと男に話しかけた。
「あ、申し遅れました。私は村の長老の孫でアルマナといいます。実は、その……この村で困ったことが起きまして……」
「何かあったのか?」
 男が押し殺した声で言うと、アルマナと名乗った女はひとつ頷いて。
「子供たちが、さらわれてしまったのです。相手は、おそらく山賊かと」
「山賊」
 今まで無表情だった男の眉がピクリと動いた。
「その、それでぜひとも剣士さまにご助力を願いたいと、おじいさま……長老が言われたので……」
 男はしばらく無言で考え込んでいるふうだったが、少しして口を開いた。
「詳しく話を聞こう」


 呪紋を唱えかけていた魔女マギウスを得意のプレスで押し潰すと、レナは背後からこちらへやってくるロバーアクスの気配に気づいて振り返った。クロードとセリーヌはコボルト二匹を相手にしている。いつもなら彼らが敵《コボルト》を片づけるまで、逃げ回るなり呪紋で牽制するなりするのだが。
 そのとき、彼女の腰にはセリーヌから貰った剣があった。
(そうだ、試してみよう)
 レナは笑みを含ませながら、剣を鞘から抜き放った。魔物と向き合い、そして駆け出す。
 ロバーアクスが体型の割にはやけに大きな斧を突きだしてくる。少女はそれを横っ飛びで避けると、反動をつけて相手に斬りかかった。振り上げ、思いきり振り下ろした剣はロバーアクスの右肩から腰までを斜めに斬りつけた。しかしいかんせん女の細腕、おまけにろくに剣の扱い方を知らないとくれば、いきなり致命傷を与えられるはずもなく、敵の強固な皮膚の薄皮一枚を傷つけるのが精一杯だった。
 そうしてすぐにロバーアクスが斧を繰り出してくる。あまりに近づきすぎたために逃げ遅れてしまった。三日月に反り返った刃がぎらりと光る。恐怖に、レナは立ちすくんだ。
 ロバーアクスが斧を振り下ろす。しかし、刃はレナの首筋のわずか手前でがくりと止まった。間一髪、彼女と魔物の間に滑り込んだクロードが剣で斧の柄を受け止めたのだ。
「な……にっ、やってんだよっ、レナ……」
 クロードは食いしばった歯の隙間から洩らすように言う。そして力ずくではこの斧を打ち返せないと判断したのか、不意をついてロバーアクスの鼻面を思いきり蹴飛ばした。突き飛ばされるロバーアクスに対し、クロードは高々と跳躍する。そして、相手が立ち上がったところの脳天を上空から力任せに叩き割った。ロバーアクスの頭は、身につけていた兜らしき頭飾りごと真っ二つになった。彼自身の力が落下の勢いで増幅され、想像以上の威力を伴ったらしい。
 終わったのか、とレナはほっと胸をなで下ろしたが。
「なんで立ち向かったりしたんだよ」
 見ると、クロードが厳しい顔をしてこちらを向いていた。
「僕がもうちょっと遅れていたら、やられるところだったじゃないか。どうして戦ったんだ?」
「だって……いつも逃げてばかりじゃ私だって嫌だもの。それに、剣もあったし……」
 拗ねたようにレナが言うと、クロードはますます嵩《かさ》にかかって。
「いいかい。これはお遊びじゃないんだ。軽はずみな行動は慎んでほしいな」
 つけあがるクロードにムッとするレナ。雲行きが怪しくなる。
「軽はずみなんかじゃないわ。私だってちゃんと考えて行動しているのよ」
「今のが軽はずみじゃないっていうなら何なんだい? 勝ち目がないのに立ち向かったりして」
「勝ち目がないなんて、戦ってみなきゃわからないじゃない」
「わからない? まったく、大した自信だね。今まで剣なんて使ったこともないくせに」
「なによっ」
「なんだよっ」
「ちょっと、ふたりとも!」
 コボルトを一掃したセリーヌが駆けつけてきた。
「こんなところで何を言い争ってるんですの? ほら、もう少しで宿なんだから、先に進みますわよ」
 セリーヌが場を諫めると、クロードは不貞腐れたように。
「……悪かったよ。言い過ぎた」
 そう言ったが、レナはぷんと顔を横に背けた。
 クロードは彼女のその態度に頬をひくつかせ、ああそうかいと口の形だけで呟くと、肩を怒らせて歩いていった。
「ちょっ……クロード、レナ……」
 困惑したセリーヌはふたりを交互に見ていたが、やがて諦めたように肩を竦《すく》め、クロードの後についていく。かなり離れたところで、レナも歩き出す。
 三人の行く先には、重々しい暗雲が垂れ込めていた。

 彼らの目的地である港町ハーリーは、クロス大陸の東端に位置する。大陸中心部のクロスからは程遠く、徒歩であれば三日はかかる。旅人たちは、クロスを出て東の街道を行く。やがて日は沈み、一日目は野宿で過ごすことになる。
 そして二日目、そろそろ疲労が溜まってきたという頃に見えてくるのが、街道脇の森の入口に作られた集落、マーズである。数多の偉大な紋章術師を輩出し、彼らの修行場として名を馳せている村であるが、ハーリーへ向かう旅人の宿場としても利用されている。
 先程の喧嘩の空気が残ったまま、彼らは宿を取るためマーズに入った。すると。
「セリーヌじゃないの!」
 道を歩いていた娘が声を張り上げて駆け寄ってきた。
「アルマナ」
「誰ですか、セリーヌさん?」
 レナが訊ねる。
「わたくしの幼馴染みですわ」
「幼馴染み?」
「言わなかったかしら。ここは私の故郷ですのよ」
「ええ!? 聞いてないですよ」
 驚くレナに、そうだったかしら、と肩を竦めるセリーヌ。
「大変なのよ、セリーヌ!」
 アルマナは息を切らしながら言う。
「どうしたっていうのよ、そんなに慌てて」
「子供たちが、さらわれちゃって、それで、山賊が……!」
「はぁ?」
「ああもう、とにかく家に来てよ! あなたのご両親もみんな集まっているんだから」
 じれったいようにセリーヌの腕を引っ張る。仕方なくセリーヌたちはアルマナの家──長老の屋敷へと向かった。

 屋敷の広間では、数人が長机を囲んでいた。老人と、術師風の男女三人。それに、旅装束の若者がひとり。
「セリーヌ! あなた、いつ帰ったの?」
 彼らが広間に入ると、細身の婦人が席を立って言った。
「ついさっきですわ。お母様、これは一体どういうことですの?」
 セリーヌが母と呼んだ婦人は、自分の横の空席を示して。
「とにかく、こっちへ来て座りなさい。……あら、そちらは?」
 セリーヌの背後のふたりに気がついて言うと、彼女が簡単に紹介する。
「旅先で知り合ったんですの」
「はじめまして、レナです」
「クロードです」
「あらまぁ、そうだったの。ごめんなさいね、ちょっと今、立て込んでいて……。さあ、そこの席にどうぞ。セリーヌも早く座りなさい」
 セリーヌは母親の横に座った。クロードとレナも同じように席につく。
 椅子に座ろうとしたとき、レナの目に水色の長髪が留まった。長机の隅で腕を組んだまま佇んでいる、剣士らしき男。もしかしてあれは……。
「これは、マーズ始まって以来の大事件じゃ……」
 男の横で、老人が全員を見渡してから口を開いた。レナは視線をそちらに向ける。
 老人は子供のようにひどく小さく、そして年老いていた。額や口許には深い皺か刻まれ、灰色の顎髭は喉を完全に隠している。
「長老様」
 と、セリーヌ。
「わたくしはまだ事件のあらましを知らないんですの。詳しく教えてくださらないかしら」
「私が話そう」
 長老の代わりに声を発したのは、セリーヌの父親、エグラスだった。
「事の発端は昨日の夕方だ。その日、私は村の子供をすべて集めて紋章術の修練を行っていた。修練が終わり私は子供を解散させた。だが、どうやらその帰宅の最中を狙われてしまったようだ。子供たちはその夜、誰ひとりとして家に戻っていなかった。報せを受け、私たちが慌てて捜索を始めるのと同時に、彼が紋章の森から大変な伝言を持って帰ってきた」
 エグラスは隣のローブに身を包んだ男の方を向いた。フードを深々と被っているので、その表情はあまり見て取れなかったが、男は徐《おもむろ》に顔を上げると、調子の低い声で話し始めた。
「私はそのとき、紋章の森で修行をしていました。すると突然、私の目の前に山賊が現れたのです。私は身構えましたが、相手はこう告げただけで消えてしまいました。『俺たちのボスが、お前らの子供を預かっている。返してほしくば、五十万フォルと密印の書を用意しろ』と……」
「『密印の書』とは何ですか?」
 クロードが訊くと、長老が答える。
「すべてを話すことはできぬが、わが村に伝わる門外不出の紋章術書の一冊じゃよ」
「我々にとって、それは俄《にわか》に信じがたいことだった」
 エグラスが続ける。
「かの森に山賊が侵入した例など、これまで一度もなかったのだ」
「紋章の森には邪《よこしま》なものは入れないように、聖なる紋章が隠されて刻まれているのです」
 神妙な口調で、紋章術師の男が言った。
「その結界が破られたとなると、相手は相当の使い手だと考えなければなりません」
「それで、子供たちは無事なんですの?」
 セリーヌが父親に訊ねた。
「第二の使いによれば、山賊たちは紋章の森の奥地に子供たちと共にとどまり、こちらが要求を呑むまでは動く気がないという。それ以上のことはわからないのだ」
「紋章の森は、術師の修行場です」
 と、フードの男。
「使いようによっては天然の要塞ともなります」
「それでも、山賊程度の相手ならば、私たちが数人でかかればなんとか倒せるとは思うが……」
「じゃが」
 エグラスが言葉を詰まらせ、代わって長老が苦々しげに口を開く。
「子供たちの生命の危険を考えると、必要以上に手出しはできんのじゃよ。相手は山賊とはいえ、紋章の森の結界を破った強者。たとい儂らが勝利したとて、子供たちが無事でなければ意味がない」
「それじゃあ、手も足も出ないじゃないですの」
 焦れったいようにセリーヌが言った。
「しかし、私たちもいたずらに手をこまねいていたわけではない」
 毅然とした声で、エグラス。
「調査の結果、山賊どものアジトは突きとめた。あとはなんとか子供たちを救出するだけなのだが」
「それでは……」
 クロードが言うと、エグラスは静かに頷いて。
「うむ。しかし先ほども言ったように、我々だけではいささか心許ない。そこで、偶然この村を通りかかった剣士の方に、力添えをお願いしているのだが……」
 そこでエグラスは剣士の方を見た。レナも再び彼に目を向ける。そして、息を呑んだ。
「ディアス……!」
 水色の長髪は、彼だった。二年前、村を出ていったときとは比べものにならないほど逞《たくま》しく、凛々《りり》しくなっていた。けれど、いやに女性めいた顔立ちだけは、しっかりと面影を残していた。
「レナ?」
 かの剣士を見つめたまま硬直しているレナに、クロードが怪訝そうに眉を顰《ひそ》めた。
「ほう。レナさんはディアス殿のことをご存じなのか」
 エグラスが言うと、レナは握りしめた左手を胸に宛《あてが》って。
「はい……同じ、村の出身なんです」
 答えながら、レナはチラリと横目でディアスを見る。彼はまったくこちらを向く気配がない。
「ディアスに頼むんですか?」
「ええ。剣豪ディアスの名は私たちも聞き及んでいます。彼に協力していただけるのなら、これほど心強いことはない」
 レナは少し面食らった。噂には聞いていたが、そこまで彼の名が知れ渡っているとは。
「ディアスなら、きっと大丈夫ですよ。ぜったい、そんなひとたち倒してくれます」
 なんだか嬉しくなって、思わず声を張り上げるレナ。隣で唇を噛んでいるクロードにも構わずに。
「それでお父様、ディアスさんはOKしてくれたのかしら?」
 セリーヌがエグラスに訊く。
「ラクール武具大会の腕ならしに丁度いいと言って、引き受けてくださったのだが……」
「私は反対しているんです」
 紋章術師が口を挟んだ。
「こんな素性の知れない者に頼むのならば、いっそのこと私たちだけで森に踏みこんだ方がいいのではないかと」
「そんなことありません! ディアスの身元も、剣の腕も私が保証します」
 レナが必死に訴えたが、術師は口許を微かに皮肉るように歪ませるばかりで。
「お嬢さんに保証されても、ね……」
「まあ、確かにこれは我々の村の問題である」
 と、エグラス。
「通りすがりの剣士殿に頼むのも無責任かもしれぬが……」
「あら。でしたらお父様、その悩みを解決する一番の方法がありましてよ」
 ここぞとばかりに、セリーヌが提言した。
「山賊を倒す役目を、わたくしたちに任せてはくださらないかしら」
「セリーヌ、本気か?」
 エグラスが眉間に皺をつくって訊き返すと、セリーヌは胸を張って。
「もちろんよ。わたくしの修行の成果、見せてあげますわ」
「……どうでもいいが」
 不意に、ディアスが席を立った。
「お払い箱だというのなら、俺はもう帰るぞ。ただし、その傲慢な女のおかげで失敗しても、俺は知らんからな」
「なんですの、この失礼な男は!」
 憤慨したようにセリーヌが声を荒げると、ディアスは冷たい眼光で彼女を見据えて。
「それはお互い様だろう。途中から入ってきて、勝手に依頼を横取りしてるのだからな。……俺は宿に戻る」
「お待ちください、ディアス殿!」
 扉に向かおうとするディアスを、エグラスが引き止めた。
「それなら、あなたもセリーヌたちに同行してはいただけませんか? あなたがついていただければ我々も安心できます。……あ、いや、別にセリーヌが信用ないというわけではないのだが……」
 途中でこちらを睨む娘の視線に気づき、慌てて言葉を濁すエグラス。
 ディアスは立ち止まったまま、口を開こうとはしない。長老も、エグラスも、レナも、その場にいる者すべてが彼の返答を待った。
「……断る」
 ディアスの口から発せられたのは、はっきりと、拒否であった。
「足手まといを連れて歩くほど、俺は物好きではないのでな。やるなら俺ひとりで行く。……適わないのなら、この話は無しだ」
「ちょっと待てよ」
 クロードが立ち上がって、ディアスに詰め寄った。
「足手まといってのは、誰のことだ?」
「さあな」
「僕たちのことを知りもしないで、よく言えるな」
 相手の息が顔に触れそうなほど近くで、ふたりは睨み合った。無言のまま、広間に刻が流れる。
 しばらくして、ディアスが背を向けた。
「まあ、せいぜい頑張ることだ。弱い犬ほどよく吼えるというが、負け犬にはならんようにな」
 肩越しに皮肉を浴びせて、広間を出ていこうとする。
「ディアス」
 レナが席を立ち、思いきって呼びかけた。ディアスは扉の前で再び立ち止まる。
「……久しぶりだな、レナ。見違えたぞ」
「あなたも……ディアス。あの、私……」
 言い終わらぬうちに、ディアスは扉を開けて、部屋を出ていってしまった。ゆっくりと閉まる扉を呆然と見送るレナ。
「まったく、一体なんなんですの、あの男は!」
 面白くなさそうにセリーヌが机を叩いた。
「親の顔が見てみたいわ!」
「それを言われると私も立つ瀬がないな……」
「なにか言いました、お父様?」
 ぎろりと物凄い流し目を受けて、エグラスは必死に首を横に振る。セリーヌはそのまま父親に向かって続けた。
「本当にあんな怪しげな剣士に頼むつもりですの? ちっぽけな山賊一味なんて、わたくしたちでひねりつぶしてやりますわ!」
「いや、そうは言うけどね、セリーヌ……」
 一風変わった親娘の会話をよそに、クロードは、未だ扉の方を向いたままのレナを見ていた。
「レナ……」
 軽く呼びかけてみるが、彼女はまったく反応しなかった。想いはすでに、彼のもとから遠く離れて。


 木製の階段は、一段ずつ足を乗せる度に悲鳴のような音を立てる。登りきると、レナは部屋の前に立って、ドアをノックした。
「開いている」
 部屋の中からぶっきらぼうに返事が聞こえてきた。レナはドアを開けて部屋に入る。
 ディアスは部屋の片隅に置かれたベッドで、片膝を立て両手を後頭部と枕の間に挟むようにして、仰向けになっていた。
「なにか用か、レナ」
 こちらを向かず、起き上がりもしないでそう言うディアスに、レナは軽く嘆息してから、取り澄ましたように言う。
「長老様からの伝言よ。『どうぞ子供たちを救い出してください』って」
 その言葉で初めて、ディアスはこちらを向いた。
「……あいつらは行かないのか?」
「行くわよ。ただ、いっしょに行動しないだけ」
「ふん、そういうことか」
 ようやく起き上がり、ベッドに腰掛けてレナを見る。彼女はなんとも複雑な表情でこちらを見つめていた。
「まだ何か言いたそうだな」
「お願いが、あるの」
 躊躇《ためら》いがちに、レナが口を開いた。
「私たちといっしょに戦ってほしいの」
「どういうことだ? あいつらが泣いて頼んできたとでもいうのか?」
 悪態をつくディアスにレナは言葉を失いかけたが、負けじと言い返す。
「ディアス、わかってほしいの。あなたが強いことはわかるわ。でも……」
「わかっているなら、共に戦う理由はないな」
「どうしてそんなに人を拒むの?」
 レナは自らの感情を必死に堪えて言う。
「いくらあなたが強くたって、そんなのほんとうの強さじゃないわ。他人を拒否するのは、他人を恐がってるからよ」
「久しぶりに会ったと思ったら、説教か」
 ディアスは苦笑すると、かぶりを振った。
「レナもずいぶん生意気を言うようになったものだな」
「小さかった頃の私とは違うわ」
「まだ二年しか経ってないがな」
「なによ」
 頬を膨らませるレナに、ディアスは口許をつり上げて笑った。
「まあ、もうひとりの『妹』の頼みだからな。一度くらいは聞いてやってもいいだろう」
「ほんとに!?」
 レナは目を輝かせた。
「ただし、あいつらが足手まといになるようなら、俺はその場で置いていくからな」
「……ありがとう」
 笑顔で言うと、レナは軽い足取りで部屋を出ていく。そしてドアを閉めるときに。
「セシルも『ありがとう』って言っているわ」
 ドアがぱたりと閉まる。ディアスは立ち上がり、窓から空を眺めて、眩しそうに瞳を細めた。
「……天国は少し遠いな。俺には聞こえなかったよ……」
 黒い雲の隙間からは、ヴェールのような光が射し込んでいた。

「遅かったですわね。あの男に何かされませんでした?」
 長老の屋敷の前で、セリーヌとクロードが待っていた。
「突然だけど、お願いがあるの」
 レナは一呼吸おいて、続ける。
「ディアスを仲間に入れてほしいの」
「それって、どういうことですの?」
 不思議そうにセリーヌが訊ねた。
「ディアスに頼んだの。そうしたら、いっしょに戦ってくれるって約束してくれたの」
「そりゃあね、可愛い彼女の頼みなら、聞かないこともないでしょうけど……」
「そんなんじゃないの!」
 レナは語気を強めて言う。
「剣の腕もほんとうに一流なのよ。私たちの大きな力になってくれるわ」
「そうは言っても……。どうします、クロード?」
 困りきったセリーヌは横のクロードに話を振った。クロードは俯《うつむ》いたまま押し黙っているばかり。いつもの彼ならば、ここで渋々ながらも了承していたかもしれない。だが、その日はいささか状況が違った。
 ディアスの態度も気に食わなかったが、それ以上にクロードの脳裏には、村に来る前に起きたレナとの諍《いさか》いのことがあった。こちらが素直に謝ってやったのに、意地悪く顔を背ける彼女の姿が、焼きついて離れなかった。
 そうして、まるで仕返しでもするように、クロードは言い放った。
「彼はひとりでやれるって言った。だったら一緒に行く必要なんてないよ」
「ひどい!」
 レナは微かに瞳を潤ませた。
「どうしてそんなことを言うの?」
「僕は嘘は言ってないよ」
 面と向かいながらも、クロードはレナの顔を見ることができなかった。非難がましくこちらを見つめる彼女の視線と交わることはなく。
「それに僕たちだって、あの人がいる必要はないよ」
「そう」
 レナもあの一件が尾を引いているのか、やけにあっさりと説得を諦めた。
「じゃあ私が、ディアスと一緒に行くわ」
「ちょっ……レナ?」
 唖然とするセリーヌ。クロードはむっつりとした表情のまま、片方の眉をつり上げた。
「クロードには必要ないかもしれないけど、私にはディアスが必要だもの」
 熱くなる目頭を悟られまいと、レナは強気にそう言ってみせると、すぐに駆け出していった。
 離れていくレナ。立ちつくしたまま見送るクロード。ふたりのこころの隔たりは、それ以上に大きかった。

 絞り出すような階段の悲鳴が聞こえてきた。それが止むと、案の定、ドアが叩かれる。返事も待たずに戸を開けて、しずしずとレナが入ってきた。
 部屋の真ん中で、レナは下を向いたまま黙り込む。ディアスは窓から空を見上げたまま、言った。
「その様子だと、思ったようにいかなかったようだな」
「……こっち見てないじゃない」
 重い調子でレナが言うと、ディアスは振り返って。
「見なくても見えることはあるさ」
 レナの横を通り抜けて、机の上の剣を持ち出した。
「だから、私があなたといっしょに行くことにしたの」
 その言葉に、ディアスは剣を眺めていた視線を彼女に向ける。
「お前が?」
「足手まといになんかならないわ。私は治癒の力も持っているもの」
 レナの口調は、意固地な気迫が込められていた。
「……俺が駄目だと言っても、無理矢理ついてきそうな勢いだな」
 剣を鞘から抜いて、刃の様子を丹念に確かめながら、ディアスが。
「それなら、最初から了解しておいた方がいいだろう」
「ありがとう……」
 力のない声で、レナが言う。ディアスは剣を持つ腕を下ろした。
「今度のは元気がないな」
「ごめんなさいも、いっしょに言ったから」
 落ち込んだように目を伏せるレナに、ディアスは薄く微笑を浮かべる。そして剣を鞘に納めると、歩きざまに彼女の頭をポンと軽く叩いた。
「今日は早めに休んでおけ。明朝に出発するぞ」


 ……にい、ちゃ……。
 ……お兄ちゃん?
 お兄ちゃん、元気にしてる?
 ちゃんとレナお姉ちゃんと、仲良くやってる?
 あんまり無理しないでね。
 セシルはいつだって、お兄ちゃんのこと、見守っているから。
 でも……ちょっと淋しいかな。
 セシルも、そっちへ行きたいな……。


 早朝のマーズは、霧のような雨が降り続いていた。空を見ると、さほど雲は厚くない。土砂降りになることはなさそうだ。
「予定より少し遅れたか。行くぞ」
 ディアスが濡れた地面に足を踏み出した。レナも後に続く。
「まだ誰も起きてないのね」
 あたりを見回してレナが言うと、ディアスは歩きながら振り向いて。
「あいつらと同じ時間に行くことを考えていたのか?」
「そうじゃないけど……」
「この時間なら山賊も油断している。叩くなら今しかない」
「わかってるわ」
 レナは口許を引き締めて頷いた。
 ディアスは道具袋からひと揃いの靴を取りだして彼女に手渡した。紐も継ぎ目もなく、爪先から膝のあたりまでをすっぽりと覆うようになっている。
「森には沼がいくつかあるらしい。おまけにこの雨だ、地面もぬかるんでいるだろう。長老から泥靴をもらっておいた。持っておけ」
「……うん」
 受け取った靴は革靴だったが、レナの腕にはズシリと重くのしかかった。ひっきりなしに降る霧雨が身体に纏《まと》わりつくようで、ひどく不快だった。



--
【ひとくち解説】
 ディアス登場。つっても前から名前明かさないで出してるけど。セシル絡みの一連のエピソードは、レナ編を担当する上で書きたかったもののひとつでした。
 ディアスって、わたしの中ではわりかし線の細いイメージなんですよね。表向きは虚勢張ってみんなもそれに騙されてるけど、内心ではいつまでもウジウジ思い悩んでるという。そのへんの葛藤と、それを克服する過程というのも、今後の見所じゃないかと思います。この話はクロードの成長物語だと以前言ったけど、ことレナ編に関しては、ディアスの成長物語でもあるかもしれんですな。
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2008年06月12日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第三章(1)

第三章 追憶と清算


   1 ひとつの恋の物語(後編) 〜クロス(3)〜

 皮肉なことに、クロスの城下町はかつてない熱気に包まれていた。
 中央広場は人々で埋めつくされ、ろくに身動きもとれないほど。威勢よく商いの声をかける露天商の若者、ぺちゃくちゃと路上でお喋りしながら店の品物を見定めている婦人たち。人込みの中を器用に潜り抜けながら走り回る子供ら。皆すべてが活気に溢れ、忙しなく動き回っている。
 それもこれ、明日に控えたクロス王子とラクール王女の結婚式あってのこと。ふたつの大陸を統べる両王家のロイヤル・ウェディングは、人々を熱狂させるには充分すぎる出来事だった。婚儀が執り行われるクロス大聖堂の周りでは、儀式の準備に大童《おおわらわ》の兵士や王室おつきの官吏らを取り囲むようにして、野次馬ついでに明日のイベントの舞台となる場所を見学しようと人集《ひとだか》りができている。
「いよいよ明日か……楽しみね」
「私は王子様の晴れ姿が拝めるだけで幸せよ♪」
「ロザリア様のウェディング姿もきれいだろうね。ああん、私も早くステキな殿方を見つけて、晴れの舞台に立ってみたいわ」
「……そんなこと言ってるから相手が見つからないのよ、あんたは」
 若い娘たちの会話に耳を奪われつつも、レナは聖堂の尖塔を見上げた。明かり取りのステンドグラス、さらにその上には真新しい銀色の鐘が真昼の陽光を反射して彼女の眼にしたたか飛び込んでくる。
 街はいたって平和だった。だが、それがレナには逆に大きな痼《しこ》りとなって、彼女に何かしらの違和感をもたらしていた。未だこの眼に灼きついている、あの悪夢のような光景が、ほんとうにただの悪夢であったように思えてならない。
 いや、あれは実際に起こった出来事だ。信じたくはないけれど。


 ──地震。
 ──そして、すべてを呑み込んだ、あの津波。
 美しき水の都クリクは、瞬時にして大地から消滅した。家族を、友を、恋人を失った人々は嘆き、悲しみに暮れた。
 その中には、あの子供たち──ケティルとレヴィの姿もあった。
「みんなで、走ってたんだ。展望広場に、逃げようと……」
 レヴィがぽつりぽつりと、力なく話した。ケティルは目を真っ赤にして、嗚咽を上げている。
「そしたら、いきなり横の壁が崩れて……後ろを見たら、もう、ルチルたちは……」
「助け、ぇっ……られ、なかった……」
 泣き涸れた声で言うケティルを、レナは強く抱きしめた。せっかく仲良くなった友だち。それを失った悲しみは、計り知れない。レヴィも気丈に振る舞ってはいるが、同じ気持ちに違いない。
「レヴィ、ケティルを頼めるか?」
「……ああ、いいよ。そのかわり」
 クロードの顔を真っ直ぐ見つめて、レヴィ。
「クロスに行って、王様に伝えてきてよ。『早く助けに来やがれ』って」
 クロードはフッと表情を緩ませた。大丈夫。この子は本当にしっかりしている。

 そうして、彼らは急いでクロスへと戻り、王に事の次第を報告した。クロス王は即座に可能な限りの兵士と救援物資をクリクに送るよう命じた。レナたちもそれに随行するつもりだったが、王はそれを制した。
「どうやら事態は我らが考えている以上に深刻なようだ。この災害もソーサリーグローブによるものだとすれば、そなたらには一刻も早く彼の隕石の許に行ってもらわねばなるまい」
「しかし、クリクの港はもう使えません。どうやってエルに渡ればいいのでしょうか」
 王は口許に手を当て、しばらく考えてから。
「……仕方あるまい。ここは遠回りになるが、東のハーリーから一旦ラクールに渡るより外ないな。ラクールも我らと同様、ソーサリーグローブの脅威は感じているはず。事情を話せばエル行きの船も出して貰えるだろう」
「ラクール、ですか?」
「うむ。ハーリーから出ている定期便に乗れば、ラクールの港町ヒルトンに着く。長旅になるだろうから、準備は怠らぬようにな。今日のところはゆっくり休むといい。クリクから歩きづめで疲れただろう」
「はい。ありがとうございます」
 レナたちは礼をして、城を後にした。

 レイチェルのホテルで宿を取ると、各自解散となった。クロードは少し休むと告げて部屋に残り、セリーヌは欠伸をしながら広場に買い出しに行った。
 レナも疲れはあったが、ゆっくり休めるような気分ではなかった。気がつくと宿を出て、広場の隅を歩いていた。
 見渡す限りの、人・人・人。大人も子供も、婦人も男たちも、みんな楽しそうだ。
 ──誰も知らないんだな。ここにいるみんな。
 ──あの惨劇を。あの悲しみを。
 ──だからこんなに平和なんだ。
 目眩がして、レナはふらついた。足を止め、広場を仕切る木の柵に寄りかかる。やっぱり疲れているのかもしれない。
 ……宿に戻ろう。
「レナ」
 そのとき、背後から声がかかった。振り返るとセリーヌがぱんぱんに膨れた道具袋の紐を肩に掛けたまま、こちらに歩いてくるのが見えた。
「こんなところで何をやってるんですの?」
「別に……暇だったからちょっとその辺を散歩してたんですけど」
 そう言いつつ、レナはふと疑問に思った。中央広場で買い物をしてきたはずのセリーヌが何故こんな所に来たのか。
「セリーヌさんこそ、どうしてここに? ホテルは反対の方角ですよ」
「えっ? いや、その……」
 セリーヌは急に困ったような顔をしたが、すぐに思い出したように道具袋の中をあさりだす。
「そっ、そういえばレナに渡したいものがありましたの」
 そう言って道具袋から取りだしたのは、細身の短剣《ショートソード》。柄と鞘には濃紺色の布が張りつけてあり、両端には凝った意匠の細工が施されている。レナは剣を受け取ると、半分ほど鞘から抜いて刃を覗いてみた。鋭く研ぎ澄まされた刃は、その剣が見せかけだけの玩具ではなく、紛れもなく実戦用のそれであることを証明している。
「どうしたんです、これ?」
「露店で売ってましたのよ。あなたに似合うと思って」
「もらっちゃっていいんですか?」
「構いませんわよ。どうせクロス王からの餞別《せんべつ》で買ったものですから」
 セリーヌは人差し指を突き立てて、悪戯っぽく嘯《うそぶ》く。
「これからは自分の身を守る術も覚えておいた方がいいですわよ。クロスの洞窟で実感したでしょう? 頼りない勇者さまに任せっきりよりも、自分でなんとかした方が得策の場合もあるってことを」
「ク……クロードは頼りなくなんかありません!」
「あら、そうやってムキになるってことは、やっぱり図星なんじゃありませんの?」
 からかうように笑いながら、セリーヌ。
「まあ、なんにしても武器は持っているに越したことはないですわ。外だけでなく、街の中でも危険な目に遭わないとも限りませんし。特にあなたのような年頃の女の子は、ね」
 そう言い残して、セリーヌは雑踏の中に消えていった。
「……どういう意味よ」
 レナはその場に立ちつくしたまま、膨れっ面で呟いた。そうして、おかしなことに気づく。
 今セリーヌが歩いていった先は、ホテルとは全く逆方向だった。寄り道にしては少々離れすぎていないか。それにこの剣にしても、ホテルで会ったときに渡せば済むことなのに。わざわざこんな所まで来て渡す必要があったのだろうか。
 ……やっぱり、怪しい。
 レナは少し躊躇したが、思い切って彼女の後を追いかけることにした。

 大聖堂の東の外れ、人通りもまったくない裏路地に、セリーヌはひとり佇んでいた。その姿を見つけたレナは慌てて建物の陰に身を隠す。そうして改めてセリーヌの様子を覗き込んでみた。
 彼女は路地の真ん中でしきりに辺りを見回している。なにかを捜しているようだ。なにを、いや、誰を?
 レナにはそんな人物を、ひとりしか思い当たらなかった。
(クリスさんと待ち合わせ? ……でも……)
 レナはどうにも腑に落ちない。待ち合わせをするのにどうしてこんな人気のない場所を選んだのだろう? 思わず変な考えが頭の中を駆け巡ったが、すぐにぶんぶんと頭を振って妄想を追い払う。
 それにしても、とレナは思った。こうして想いびとを待つセリーヌは、まるで別人のようだ。いつ何時も自信たっぷりで口さがない紋章術師の姿は、そこには微塵も感じられなかった。待ちびとの姿を求めて周囲を見回しては爪を噛む彼女に、レナの口許は次第に緩む。セリーヌさんでもあんな顔をすることがあるんだ。そう考えるとなんだか妙に安心できた。
 幾許《いくばく》かの時が流れた。陽も落ちかけ、足許には細長い影が伸びている。
 レナがそろそろ帰ろうか迷っていたとき、セリーヌはひとつ大きなため息をついた。そして、重い足取りで大聖堂の方へ引き返していった。
 結局、彼は現れなかった。
(どうしたんだろ、クリスさん)
 建物の陰から出て、とぼとぼと歩き去る彼女の背中を憮然と眺めるレナ。その姿が完全に消えると、レナも先ほどの彼女と同じようにため息をついた。
(……帰ろう)
 そのときだった。聖堂の方から誰かがこちらへ駆けてくる。セリーヌかと思ったが、違う。夕日に照らされた金髪が赤銅色に輝く彼は。
「クリスさん」
 絹のマントを靡かせて走ってきたクリスは、レナの前で立ち止まると、両手を膝に突き立てて息を切らせながら言う。
「はぁ、はぁ……セリーヌは……どうした?」
「帰っちゃいましたよ。たった今」
「そうか……」
 クリスは脱力したようにその場に座り込んでしまった。情けない顔をしながら息をつく彼に、レナは少し憤りを感じた。
「どうして時間通りに来てあげなかったんですか。セリーヌさん、ずっと待ってたんですよ」
 そう言うと、クリスはますます困ったような顔になって。
「仕方なかったんだ……なかなか抜け出せなくて」
「抜け出せない?」
 聞き慣れない言葉にレナが訊き返すと、クリスははっとしたようにレナを見つめた。彼の顔つきがみるみる変わる。逼迫《ひっぱく》した表情をして立ち上がり、いきなりレナの両腕をつかんで訴える。
「そうだ、君はセリーヌの友達だろう? お願いだ、僕を助けてくれ!」
「助けるって、なんのことですか? ……痛っ、放してください」
 クリスが握りしめていたレナの両腕を放すと、レナは安堵して続けた。
「それに、大事なことならセリーヌさんに言ったほうがいいと思いますよ」
「駄目だ! セリーヌには言えない……言うのが恐いんだ。僕の正体を知ってしまったら、彼女はますます僕を拒絶してしまうかもしれない」
「正体?」
 レナは訝しげに訊き返した。
「そうだ。クリスとは、その場限りのかりそめの名前。僕の本当の名は、クロウザー・T・クロス」
「クロウザー……クロス? クロスって……まさか」
 レナは息を呑んだ。
 そうだ。どうしてもっと早く気づかなかったんだろう。クリスとクロードは似ている。そして、クロードも彼に似ていると、城の中で聞いていたというのに!
「クロス王国第一王子。そして明日、ラクールのロザリアと式を挙げることになっている花婿。それが僕だ」
 彼は物憂げに視線を逸らした。
「でも、明日お姫様と結婚するなら、セリーヌさんは……」
「ロザリアとの結婚は父が勝手に決めたこと。僕の本意ではないんだ。けれど、王子である僕には、口出しは許されない。……憂鬱だった。自分の運命が、自分の知らないところで勝手に決められていく。そのことに、僕は絶望した。ここは城なんかじゃない、監獄だ。僕は処刑を待つ罪人だ。人は僕のことを羨むが、僕はそんな普通の人々が羨ましかった。だから抜け出したんだ、城を。そうして……君たちと、セリーヌと出逢った」
 王子は片手で顔を覆った。苦悶の表情を隠すかのように。
「僕は彼女を愛してしまった。それは王子として決して許されることではない。けれど、それでも僕は、この想いを貫き通したい。僕は父に掛けあった。全てを話して、この想いをぶつければ、父もわかってくれるかもしれないと思って。だが、父はまったく取り合ってくれなかった。僕は城に軟禁され、監視をつけられた」
「それでさっき『抜け出せない』って言ったんですか」
 言いながら、レナは少し驚いていた。軟禁、監視……それは、あの優しいクロス王の印象《イメージ》とはかけ離れたものだった。世間に見せる顔と、身内への顔はやはり別ということなのだろうか。
「ああ。ここに来るのにも随分苦労したよ。それでも明日までには彼女と話がしたくて、やっとのことで抜け出したというのに……」
 そこまで言うと、王子は急に顔を上げて、通りの向こうを見た。
「……どうやら、ここまでのようだな」
「え?」
 振り返ると、広場の方から兵士が数名、こちらに向かってきているのが見えた。王子を連れ戻しに来たのだろう。反対側は袋小路。逃げられない。
 レナは唇を噛んだ。このままでは、セリーヌがあまりにも可哀想だ。彼女は何も知らない。クリスが王子だということも、明日ロザリア王女と結ばれる身であるということも。せめて、せめてもう一度逢わせてやりたい。それには……。
「……明日、六時」
 レナの頭の中には、ひとつの思いつきがあった。こうなったらいちかばちか、やってみるしかない。
「明日の朝六時に、なんとかお城を抜け出して、この場所に来てください」
「え?」
「セリーヌさんと話がしたいのでしょう? だいじょうぶ。私に考えがあります」
 そうこうしている間に兵士がすぐ目の前まで迫ってきた。
「殿下! 陛下のご命令です。城にお戻りください」
「わかっている!」
 王子は一喝すると、レナの顔を見て。
「……彼女に逢わせてくれるんだね?」
 レナは神妙に頷いた。王子も頷き返すと、みずから城の方へと歩いていく。彼を取り囲むように兵士が後に続いた。
「さてと……忙しくなるわね」
 夕闇の中に消えていく王子の姿を見送りながら、レナは自分を叱咤して。
「いくぞっ、作戦開始!」
 ひとり拳を振り上げて、駆け出す。疲れは、いつの間にやら吹き飛んでいた。


「なんだい、話って?」
 夜もそろそろ更けようかという時間、レナはクロードの部屋を訪ねてきた。
「うん……あのね、実は、お願いがあるの」
「お、お願い?」
 彼の表情はこわばり、額にはうっすらと汗がにじんでいる。上目遣いで頼み事をするレナに、年頃の少年はあらぬ想像を膨らませてしまい、どぎまぎしている。
「クロードに、ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」
「な、なんでもオッケー。どんと来い」
 ここに、今回の犠牲者が誕生した。

「男ものの服?」
 カウンターで宿帳の整理をしていたレイチェルが、ペンを回しながら彼女を見た。
「ええ。明日一日だけ貸してほしいんですけど。ありませんか?」
「倉庫に行ってみればないこともないけど……借りてどうするの?」
「ちょっと……どうしても要るんです。お願いします」
 口ごもるレナにレイチェルは首を捻ったが。
「訳ありなんだね。まあいいわ、こっちに来て」
「ありがとうございます!」
 レナは笑顔でレイチェルの後についていく。

 そして、仕上げは。
「セリーヌさん、いますか?」
 レナがセリーヌの部屋をノックすると、ドアを開けて、眠そうに目を擦りながらセリーヌが顔を出した。
「なんですの? こんな夜遅くに」
「クリスさんからの伝言です」
 レナがそういうと、セリーヌは急に真顔になって。
「なんですって?」
「『明日の朝八時に、同じ場所で会いたい』だって。今日は用事で行けなかったって、謝ってましたよ」
「クリスに、会ったんですの?」
「じゃ、そういうことで」
 あっけらかんとするセリーヌにレナは片目を瞑ってみせて、ドアを閉めた。そうして、閉めたばかりのドアに背中をつけてもたれかかり、ふうっと息をつく。
「これで準備は完了、と。……明日は長い一日になりそうね」


 青く澄んだ空。明るい陽射しを受けた大聖堂は、天からの祝福のように輝いている。
 城門から大聖堂までの道の脇は、おびただしい群衆で埋めつくされ、異様なほどの熱気に包まれていた。今日これから催される一大イベントの主役たちを一目見ようと集まった者たちだ。父親に肩車してもらっている子供。ちゃっかり近くの家の屋根に上って高見の見物を決め込んでいる若者。聖堂により近い道に若い女性の姿が多く見受けられるのは、花嫁の花束《ブーケ》が目当てだろうか。押し合いへし合い、ときにはその勢いで道の内側までなだれ込んでしまい、慌てて道沿いに並ぶ兵士に押し戻されるといった光景もしばしば見られた。
 やがて城門が開き、花婿と花嫁が幌のない馬車に乗ってやってくると、その場の熱気は最高潮に達した。しきりに王子や王女の名を呼ぶ者、野太いバリトンの声で国歌を歌い上げる男たち、屋根の上の若者が紙吹雪を撒き散らし、道の脇からは次々と花が投げ込まれた。
 だが、当のクロス王子殿下の表情は、どうもよろしくない。横のロザリア王女は淑やかな微笑を浮かべたまま、ときどき観衆に手なども振っているが、クロウザー王子はというと、硬直したように前を向いたっきり、ピクリとも動かない。顔は上気した、いや、むしろ青ざめていると言った方がいいだろう。あまり思わしくない王子の表情に気づいた何人かは、どうしたのかなと首を傾げたが、この一生の晴れ舞台で緊張しているのだろうと思い、それ以上は深く考えなかった。
 観衆も、兵士たちも、聖堂でふたりが到着するのを待っているクロス王も、そしてすぐ隣にいるロザリアさえも、誰ひとりとして、彼の正体について知るものはなかった。
 ──そう、彼はクロス王子、クロウザーではなかった。その正体は、レナの計らいで早朝に城を抜け出した彼と入れ替わった、クロードだった……!

 一方その頃。聖堂から離れた東の裏路地。
「本当に来てくれたんだね……」
 もうひとつの物語は、静かに進行していた。
「わからない……わからないの」
 レナが拵《こしら》えた服を着たクリスと、セリーヌ。ふたりは向き合い、見つめ合う。
「でも、わたくし、どうしてもあなたに言わなくてはならないことがあるような気がして……」
 そう言うと、クリスに背中を向ける。彼女の視線の先にある建物の陰に、青い髪がちらついていたが、セリーヌは気づかない。
「初めてだったわ、あんなにまっすぐな眼差しで見つめられたのは……」
「……セリーヌ」
 クリスが呼びかけると、セリーヌは振り返って。
「そして、あんなにまっすぐな言葉を言われたのも初めてだった。なにも着飾っていない、たったひとつの言葉……」
 クリスが一歩近づくと、セリーヌはよろめいたように後ろに下がる。
「セリーヌ?」
 彼女の態度に狼狽《ろうばい》してクリスが訊くと、セリーヌは何度も首を横に振る。
「ああ。わたくし、どうしたのかしら。こんな気持ちは初めてですの……」
「逃げないでくれ、セリーヌ。僕は君を離したくない」
 セリーヌはクリスを見る。そこには真摯に自分を見つめ返す彼の姿があった。彼の真っ直ぐな、ひたむきな想いが、頑《かたく》なに拒み続けてきた彼女の心を解きほぐしていく。
 そこには、ひとりの少女がいた。少女は目の前の恋人に、そっと身を委ねる。
「お願い、私を助けて、クリス」
 クリスは純朴そうにセリーヌを抱きとめる。恋人たちはしばらく無言のままに抱き合った。言葉など要らない。愛するひとが、そこにいれば。
 からん、ころん。大聖堂の鐘が鳴る。クリスは顔を上げ、粛然とそれに聞き入った。
「あれは夢の終わりを告げる鐘。だが、夢は終わらない。今の僕らには時の流れなど何の意味も為さない。この瞬間こそが永遠、この夢こそが現《うつつ》なのだから……」
 クリスは再びセリーヌと向き合い、ゆっくりと、彼女の唇に唇を這わせた。聖堂の鐘が、あたかもふたりを祝福するように、鳴り続ける──。

「……汝、ロザリア・R・ラクールは、クロウザー・T・クロスを夫として、健やかなるときも、病めるときも、生涯を通じその愛を全うすることを誓いますか?」
 神父が朗々と謳い上げるように言った。だがクロード──そう、クロス王子に扮装した彼──は、まったくの上の空だった。あちこちに視線を移しては、落ち着かないように体重を右足から左足、そしてまた右足へとに乗せかえたりしている。喉は声を出せば噎せ返るほどにいがらっぽく、握りしめた掌は汗でぬるぬると滑った。
「はい。誓います」
 ロザリアが言った。次は自分の番ではないか。
「……では、汝、クロウザー・T・クロスは、ロザリア・R・ラクールを妻として、終生変わることなく愛することを誓いますか?」
 神父の声が頭にガンガン響いてくる。その痛みに気を取られ、彼の口は無意識に出すべき言葉を紡ぎだす。
「……誓います」
 言ってしまった。ひどい後悔と同時に、強烈な目眩が彼を襲う。意識が朦朧として、自分が今なにをしているのか、立っているのか座っているのか、喋っているのか黙っているのか、一切がわからなくなる。
 そもそも、この作戦自体が無茶なんだよ、とクロードは思った。ほんもののクロウザー王子がセリーヌさんと会っている間、僕が王子になりすまして時間稼ぎをしろだなんて。しかもそのあと僕はどうすればいいってレナに聞いたら、なんとか抜け出してきてくれ、だって。
「……では、指輪の交換を……」
 だいたい、結婚式なんだぜ? こんな人が大勢見ている中で、どうやって抜け出せばいいんだよ。それにもし僕が偽者だってバレたら、いったい僕はどうなるんだよ。
「だいじょうぶだって。まさかすぐさま首を刎ねられるなんてことはないから。たぶんね」
 レナが可愛い顔して平気でそんなことを言うのだから、余計に怖い。
 ああ、僕の人生もここで終わってしまうのか……なんて短い、なんてつまらない一生だったろう! せめて、この指輪を形見にでもして……指輪?
 はっとクロードは我に返る。いつの間にか彼の左手の指に、先ほどとは違う指輪が填め込まれていた。またもや無意識のうちに、指輪の交換を済ませてしまったのだ!
 と、なると、次は……。
「では、二人の愛の証を神の御前にて……」
 まさか……。
「誓いの口づけを……」
 やっぱり!
 困り果てたようにロザリアを見た。彼女はすでに瞳を閉じ、顎をわずかに刳《しゃく》って、ことが為されるのを待っている。薄紅色に色づけされた唇がすぐ目の前にあるようで、ひどく遠くにも感じられた。
 お姫様とキスするチャンスなんて滅多にないぜ、せっかくだからやっちまえよ。悪魔がクロードの頭の中で囁く。彼は唾をのみ込むと、王女の顔に顔を近づける。だが。
 もし、これで口づけまでしてしまって、後で偽者だとバレたりしたら、それこそただ事では済まないのではないか?
 …………。
 クロードの脳裏に、頭と体とが永遠に離ればなれになった自分の死体が城の地下水路にぷかぷか浮いている光景が浮かんだ。身体中の血の気がいっせいに引いていき、顔は死人のように真っ青になる。
 そうして、ついに彼は観念した。
「ごっ……ごめんなさいーーーーっ!」
 ロザリアの目の前でそう叫ぶと、聖堂の通路を全力で駆け出した。扉の前の兵士を払いのけ、両開きの扉を勢いよく開けて外に飛び出していく。ロザリアも神父も、出席していた貴族や兵士たちも一同、あまりのことに呆気にとられていたが。
「何をしている! 早く追わぬか!」
「はっ、はいっ!」
 王が命ずると、兵士たちがまろぶように聖堂を出て追いかけていく。
 クロス王は未だに茫然自失としているロザリア王女を見、それから開け放たれた扉の向こう側に目を遣って、苦々しそうに顔を顰《しか》めた。

 レナは途方に暮れていた。彼女の計画は、今や完全に狂ってしまった。
 王子がセリーヌと話がしたいと言ったのは、結婚する前に別れの言葉を告げるためだとばかり思っていた。彼女の計画では、そうしてきっちり話をつけた後で、すぐ身代わりに式に出ているクロードと入れ替わらせるつもりだったのだ。ところが。
 一体どうしたことか、クリスとセリーヌは目の前で抱き合ったままである。このまま放っておけば、ふたりで駆け落ちすらしてしまいかねない雰囲気だ。
(そんなことになったら、クロードは一体どうなるのよ……!)
 言い知れぬ不安がレナに襲いかかる。そして、自分の浅はかな計略にクロードを巻き込んでしまったことを心から悔やんだ。
(ん? あれは……)
 噂をすればなんとやら、大聖堂の方からそのクロードが走ってきた。うまく式を抜け出したのかと思いきや、いささか様子がおかしい。よく見てみると、彼の背後から砂煙をたてて、大勢の兵士たちが追いかけて来ているではないか!
「な……なにやってんのよ!」
 レナは抱き合うふたりにもお構いなしに建物の陰から飛び出して、クロードの許へ駆け寄った。クロードはレナの前で立ち止まると、肩で息をつきながら言う。
「駄目だレナ。これ以上は時間を稼げない!」
「そんなことより、どうして追いかけられてるの!?」
「式の途中で飛びだしてきたんだ。……だって、キスなんてしたら本当に殺されるって……くっ、首は、首だけは勘弁して……」
「なっ、何わけわかんないこと……あっ」
 足音に気づいてレナは正面を向く。兵士たちはクロードと、その背後に隠れるようにして立っている王子を認めると、目を丸くして狼狽《ろうばい》した。
「こ、これはどういうことだ! なぜ殿下が二人……」
「いや違う。こっちは偽者だ。本物のクロウザー様はあっちだ!」
「そうか、だから急に逃げ出したのか」
「そいつらを引っ捕らえろ! ……いや、それは後だ。ともかく殿下を連れ戻せ!」
 兵士たちの言葉に、セリーヌは唖然としてクリスを見る。
「殿下……?」
 クリスは俯き、肩を震わせている。
「どういうことですの? まさか、あなたが……」
「……隠すつもりは、なかった。ただ、どうしても言い出せなかったんだ。信じてくれ!」
 セリーヌは焦点の定まらない瞳で必死にクリスを見つめ、訴えかける。
「嘘……嘘でしょ、ねぇ、なにか言ってくださいな、クリス……」
「クリスではないっ! このお方はクロス王国第一王子、クロウザー・T・クロス様にあらせられるぞっ!」
「違う! クリスでいいんだ……僕は」
「殿下? 何をおっしゃっているのですか?」
「さあ聖堂の方へ参りましょう」
「ロザリア様も陛下もお待ちです」
 兵士たちはずけずけとふたりの間に割って入り、王子の腕をつかみ上げて、聖堂の方へと連れ去っていこうとする。
「信じてくれ、セリーヌ! 僕の想いは決して偽りではない。君を、君を愛しているんだ! セリーヌ!」
 兵士に引きずられながら、何度も彼女の名を叫ぶ。その声も次第に遠ざかり、やがて王子の姿は道の向こうへと消えた。
 セリーヌは脱力して、腰を抜かしたようにその場に座り込む。
「……ねぇ、セリーヌさん」
 レナは膝に手をついて、彼女を横から覗きこむ。
「クリスさん、連れていかれちゃったよ。追いかけなくていいの?」
 セリーヌは僅かに首を動かして彼女を見たが、表情は乏しかった。
「おい……かける? わたくしが?」
「そうよ。クリスさんのことが好きなんでしょう? だったらもう一度クリスさんのところへ行って……」
「嫌よ、そんなの!」
 憑き物でも憑いたように怯えながら、セリーヌが言う。
「恐い……恐いの。わたくし本当に恐いのよ! もう会いになんて行けないわ」
 普段の彼女からは考えられない取り乱しようだった。レナも表情を曇らせる。もう、これ以上は無理なのかもしれない。
 ──いや、まだだ。このまま終わらせちゃいけない。彼女のためにも、そして王子のためにも、このまま終わってしまっては駄目なんだ。
「……それで、セリーヌさんはいいんですか?」
 決意を込めて、レナは言った。
「このままクリスさんと会わずに終わって、それでセリーヌさんは納得できるんですか? ほんとうにそれで、後悔はしないんですか?」
「…………」
「それに、クリスさんだって、あなたが来るのを待っているはずです。このままだと、クリスさんも望まない結婚をさせられて、不幸になっちゃうんですよ」
 セリーヌの表情にわずかな変化がみられた。面《おもて》を上げて、道の向こうの聖堂を見つめる。
 レナは最後に後押しするように、言った。
「勇気を出して、セリーヌさん。好きなひとのために、立ち上がって。セリーヌさんなら、きっとできます。想いは必ず通じます。……さあ!」
 セリーヌはカッと眼を見開いて立ち上がった。そうして広場に向かって駆け出し、猛然と群衆に突進していく。
 その場にとり残されたレナとクロードは、みるみる遠ざかる彼女の姿を見やりながら。
「あーあ、行っちゃったよ。もう、どうなっても知らないよ」
「だいじょうぶ。きっとうまくいくわ……。それにしても、ごめんなさいね、変なことに巻き込んじゃって」
「ああ、いいよ。終わったことだから。それに僕もいい経験になったし」
「え?」
「い、いや、なんでもない。こっちの話」
 赤面するクロードにレナは首を傾げたが、今は気にしている場合ではない。
「さあ、私たちも追いかけましょう。この作戦の最後の仕上げよ」

 大勢の観衆が騒然と見守る中、王子は兵士に連れられて聖堂の前まで来ていた。既に半ば観念したように大人しく歩いていたが。
「クリス!」
 背後から彼を呼ぶ声がかかった。振り向かなくたってわかる、誰よりも愛しい者の声。クリスははたと立ち止まる。声を聞いた途端に、抑えつけていたものが再び湧き上がる。彼は不意をついて兵士に肘鉄をかまして振りほどく。そして人込みをかきわけてこちらへ向かってくる彼女の許へ走った。
「セリーヌ、セリーヌっ!」
 彼女はクリスの胸倉に勢いよく飛び込んできた。
「クリス……ごめんなさい。信じるわ。何があっても、わたくしはあなたを信じますわ!」
 クリスはセリーヌを強く抱きしめる。
「ああ、セリーヌ。僕も今ここに誓おう。もう決して君を離さない。たとえ我が身を貶《おとし》めることになろうとも、僕らは一緒だ」
 抱き合う恋人たちに周囲の観衆は何がどうなっているのやら訳もわからず、ただ茫然と見つめるばかり。ところが。
 からん、ころん。不意に聖堂の鐘が鳴った。人々がいっせいに振り仰ぐと、なんと青い髪の少女──むろんレナである──が、横の神父の制止もきかずに銀色に輝く鐘を打ち鳴らしている。青空に響き渡る鐘の音を聴くうちに、観衆はもとの盛り上がりを取り戻し、やがてどっと騒ぎ立てて新たな恋人たちを祝福した。歓声が、拍手が、口笛が巻き起こり、盛大に紙吹雪が撒かれる。
 だが、聖堂の中からロザリアとクロス王が出てくると、歓喜の渦はピタリと止み、周囲に重苦しい沈黙が漂いだした。クリスとセリーヌもそれに気づいて、離れる。
「……説明して、くれますか、クロウザー様」
 ロザリアは感情を押し殺して、言った。
「すまない。でも、僕は君を愛することはできない。政略結婚という鎖で結ばれた君を、愛することなどできないということだ……!」
 王子は俯き、言葉を絞り出すようにして、続けた。
「どう言い繕っても、君は僕を許してはくれないだろう。それはわかっているつもりだ。この償いはいつか必ずする。だから、今だけは、どうか見逃してほしい」
「……そう……」
 ロザリアはゆっくりと歩き出し、王子とすれ違いざまに。
「さようなら、クリスさん」
 そう言うと、城門の方へと立ち去っていった。
 クロス王は側近の兵士に何事か言伝《ことづて》をしていたが、それが終わるとクリスの前に立った。親子は向き合い、同じようにまっすぐ見つめ合った。
「どうしてお前はそうそう、儂に逆ろうてくれる」
「私が陛下に逆らったのは、我が生涯においてもこれが初めてだと記憶しますが?」
 憮然とするクロス王を睨みつけて、王子が言う。
「いつか貴方は僕に言いましたね。王族として生を受けたからには、自身の欲を捨て、国のために尽くせと。僕はその戒めを守ってきた。国のため貴方に従い、不満があっても何も言わず我慢した。それが王族の務めだと信じて疑わずに。けれど、彼女と出逢い、新しい世界を見るうちに、わからなくなってきた。僕はいったい何なのか。あなたの傀儡《くぐつ》か、分身か。そんなんじゃない。僕は王族である前に、王子である前に、ひとりの人間なんだ」
「愚かな……放蕩の果てに大儀すら忘れたか。そのような私情が王家の秩序を乱すことがわからんのか」
「秩序。そうですね。貴方は何よりもそれが大切なんだ。息子である僕よりも」
 絶句する王に、王子は皮肉めいた笑みを返した。
「僕は自分で選んだ道を行く。それで秩序が乱れるのだというならば、いっそ乱れてしまえばいい」
「それが施政者となるべき者の台詞か、クロウザー!」
 王が一喝した。周囲の空気が張り詰める。
「お前を後継と決めたのは儂だ。そのために帝王学も叩き込んだ。なのにこの体たらくとは……儂に恥をかかせるつもりか」
「そんなつもりはない。こうなった以上、僕には貴方を継ぐ資格はないと思っている。継承権は辞退します。それだけで収まらないというなら、どのような罰でもお与えください。覚悟はできています」
「莫迦な……そこまでして……」
「僕の望みはただひとつ。王族でも王位継承者でもなく、ひとりの人間として、自分で愛する者を決めたかった。ただそれだけなんだ」
 王子が言い切ると、クロス王は厳しい表情のままふと目を逸らし、踵《きびす》を返す。
「……勝手にするがよい。お前の継承権は、しばらく儂が預かる」
「え?」
 王子は目を丸くした。
「預かる……?」
「お前に三年の猶予を与える。せいぜい精進して、王に相応しい人間になることだな。さすれば三年後に継承権は返してやる。それまでの間は、好きにするが良い。何をしようが儂は知らぬ」
「父上……!」
 王の真意を理解して、王子は表情を明るくする。
「さあて、ラクールに此度の詫びの手紙を書かなくてはな。まったく、出来の悪い息子を持った親は大変だ……」
 背中を向けたままそう呟くと、王も城門に続く道を引き返していった。
 からん、ころん。再び鐘が鳴る。鳴らしているのはもちろんレナ。それを合図に観衆から怒濤のような歓声が湧き起こった。もはや兵士の制止もきかずに人々がつぎつぎと路上になだれ込む。
「おめでとう、おめでとう!」
「いや〜、憎いねぇ、王子。久々にいいもん見せてもらったよ」
「ちょっとお、花嫁のブーケはどうなんのよ。狙ってたのにぃ」
「王子! 儂は今、モーレツに感動しておる! 儂も思えば五十年前、初めてばーさんに会ったときの胸のときめきを……ぜぇはぁ」
「じーさん、あんまり力むとそのままポックリ逝っちまうぜ」
「あんたもやるねぇ。王子を奪いとっちまうなんてさ。やっぱり今の女はそのぐらいでなきゃね」
「いやはや王子、ホントに格好良かったよ。陛下を前にして怯まずよく頑張った。スカッとしたねぇ」
「これでクロスもアンタイでしゅね〜」
「……またこの子、変な言葉覚えて……」
「バンザーイ」
「バイザーイ」
 恋人たちの周囲を取り囲んで、口々に祝福の言葉を浴びせると、やがて誰からともなく主役のふたりを担ぎ上げて、胴上げを始めだした。宙に投げだされては沈むふたりの片手はしっかりと互いの手を握りしめ、その笑顔は幸福感に満ち溢れていた。
 晴れ渡る空の下、お祭り騒ぎはいつ果てるとも知れず続いた──。


「ラクール側からも了承が得られたそうだ」
 王城の一室、彼自身の部屋の中で、王子が言った。
「ラクールとの関係も今まで通りということで、なんとか理解してもらえたらしい。……こればかりは、父に感謝しないとな」
「よかったですね」
 レナが言うと、王子は彼女とクロードの前に歩み寄って。
「そういえば、君らにはすまなかったな。大変な思いをさせて」
「いえ、いいんですよ、私たちは。ふたりが幸せになってくれれば、それでいいですから」
「……僕はもうちょっと同情してほしいんだけどなぁ……」
 小声でクロードが言ったが、聞く者はいなかった。
「クリス……いや、クロウザー王子」
「クリスでいいよ」
 王子は穏やかな声で、セリーヌに言った。セリーヌも微笑を返す。
「さてと。おじゃま虫はそろそろ退散しましょうか……」
 それらしき気配を感じたレナは、クロードをつついて部屋の外へと出ていく。扉が閉まると、クリスはセリーヌと向き合った。
「セリーヌ……結婚しよう」
 セリーヌが眼《まなこ》を見開いてクリスを見る。クリスは続ける。
「これが僕の、偽りなき想いだ。君の答えを……」
 セリーヌは項垂れたまま、黙ってしまった。
「嫌かい?」
 クリスが訊くと、セリーヌは慌てて首を横に振る。
「いいえ。でも……」
「でも?」
 彼女は一度扉を振り返り、それからまたクリスに向き直った。
「わたくし、あのふたりの旅に同行するって約束しましたの。それなのに、なにも終わっていない」
「……また、旅に出るのかい?」
「ごめんなさい。でも、何よりも、このままでは自分が納得できませんの。冒険者として、トレジャーハンターとして、きちんとけじめはつけておきたいの」
 そう言うと、セリーヌはクリスの手を取って、両者の胸の間に持ち上げた。
「ねえ……ひとつの答えを出してきてからで、いいかしら?」
「信じていいんだね」
「もちろんですわ」
 セリーヌが返事すると、クリスは彼女を包み込むように強く、そして優しく抱き留めた。

「いいの、セリーヌさん? 離ればなれになっちゃうのよ」
 城門を潜り、街道に出る途中の道で、レナがセリーヌに訊ねた。
「いいのよ。もう、苦しくないから」
 セリーヌは微かに笑顔を滲《にじ》ませて言う。
「たとえどんなに離れていても、わたくしたちの心は同じ場所にあるんだから」
「なんだか、羨ましいな」
「それにね」
 セリーヌは大きく背伸びをして、続ける。
「もしお姫様なんかになってしまったら、冒険なんてできなくなるでしょう? だから、もう少しの間だけ、ね」
「……あきれた」
 ひとつ嘆息すると、レナは空を振り仰いだ。一面の青とそこを流れる綿雲の白が、目の前にある大聖堂の尖塔によく映えている。
 ふと、尖塔に掛かっている銀色の鐘が目についた。それをかき鳴らしていた自分の姿に、レナは思わず瞳を細めて笑った。



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【ひとくち解説】
 セリーヌのPAイベント後編。書いた当初は傑作だと思っていたんだけど、今読み返すと……こんなに陳腐だったんだなァ('A`) 仕方ないのでいろいろ直してます。直しきれてないところもあるけど。
 冒頭部分にクリクのその後の話を少し入れました。ケティルの安否とか放ったらかしでしたからね。
posted by むささび at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年06月05日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第二章(4)

   4 破滅への序曲 〜クリク〜

 うんと小さいころ、船乗りになりたかった。
 天にも届きそうな帆柱《マスト》に張りめぐらされた帆は、潮風を受けてピンと張る。この道なん十年にもなる船長は、甲板の舵輪《だりん》の前で堂々と、確かな手つきで梶をとる。その船長の指示ひとつで、船員たちも忙しそうに船の上を動き回る。いつかあの、舵輪の前に立つことを夢見て。
 船はいろいろな想いを運んで大海原を駆けめぐる。ヒルトン、ハーリー、テヌー……港町に起こる出会いと別れをその目に焼きつけて、船はまた陸《おか》を離れ、果てしなく広がる碧の中に溶けこんでいく。きれいな碧、優しい蒼、そして時には恐ろしく、厳しい青にも。
 船乗りたちにとって最大の敵は吹きすさぶ嵐、荒れ狂う波──時化《しけ》だ。彼らは力を合わせて淦《あか》を汲み、帆柱《マスト》を安定させ、危機を乗り切ろうとする。けれどそれでも、万が一船が沈むようなことがあれば、彼らは船と運命を共にする。決して命を乞うようなことはしない。それが船乗りの掟であり、なにより彼らの誇りだからだ。
 ぼくはそんな船乗りにあこがれていた。ぼくだけじゃない、この街の男はみんな船乗りにあこがれるんだ。こどもだろうと大人だろうと、爺さんだって「儂がもう少し若ければのう……」と誰彼かまわずぐちをこぼすぐらいに。
 けど、ぼくにはそんな夢をもつことは許されない。
 ぼくのパパは、この街でいちばん大きな貿易会社の社長。つまり、船乗りたちを上であやつっているようなひとだ。いつかはぼくもパパのあとを継がなくちゃならないって、ママはいつもぼくに言いきかせてる。そうなったらぼくは、あこがれの船乗りたちを道具のようにこき使って、いばりくさって命令したりしなきゃいけない。
 ……そんなの、いやだ。まっぴらごめんだ。でも、そんなこと、誰にも言えやしない。パパにもママにも、家政婦のホーミィにだって。……ともだち? そんなものはぼくにはいない。
 昔はいたんだ、たくさんともだちが。レヴィもルチルもティックも、みんなぼくといっしょに遊んでくれた。ずっとともだちだよって言ってくれた。……でも、そのうちにぼくのまわりには誰もいなくなった。こっちから近づいていっても、みんな逃げていく。理由はわかってた。ぼくが金持ちのこどもだからだ。
 レヴィたちのパパやママが、口々に言うんだ。金持ちの子と遊ぶな、あんな子と一緒にいたらろくなことにならない、うちの子までダメになってしまう、って。おとなたちはこそこそささやき合ってる。だいたいどうしてあんな子がうちの子と遊びたがるのかしら、きっと親に言われてるのよ、今のうちに下々の人間の扱い方を学ぶようにって、いやあね、あんなかわいい顔をして……。
 ──ちがう。
 ちがう。
 そんなんじゃない!
 ぼくは、みんなと同じように遊びたかっただけなのに。
 見栄ばかり張ってえらそうにしてる社長よりも、ほんとうにりっぱな船乗りになりたいんだ。
 金持ちなんて……金持ちのこどもなんて……だいっきらいだ!


 ケルラ川の下流、海に流れ着く河口付近にその街はあった。
 十字状に広がるクロス大陸、その最北端に位置するクリクは、一年を通じて季節があまり変化しない地方でもある。温暖で雨の少ない気候はオリーブや月桂樹を育み、港町に特有の潮の香り以上に、その甘酸っぱいような芳香が街全体を満たしている。
 クリクは港町であること以外にも、芸術の街としての顔がある。道という道に敷きつめられた石畳は褐色がかった白で、無数の硝子の破片が鏤《ちりば》められているため陽の光を受けると眩いばかりに輝く。建物や塀なども一様に明るい基調の色が用いられ、あたかも街そのものが光を帯びているかような、幻想的な趣もある。大通りの壁は洒落こんだモザイク状の壁画で彩られ、中心部の広場にある巨大な円形噴水の真ん中には、街に住まう芸術家・匠の者たちがその技と知恵と結集させて造り上げた天使像が、港を見下ろすように鎮座している。
 クリクは、街ひとつがまるごと『芸術』なのだ。訪れた旅人はその美しさに心を奪われずにはいられない。かつてはうら寂れた漁村でしかなかったクリクも、現在では『遠くて近い楽園』として大陸中に知れわたることとなった。
 クロード、レナ、セリーヌの三人は噴水広場へと続く道を歩いていた。
「きれいな街ですね」
 道の先に見え始めてきた噴水と天使像にレナは目を輝かせて。
「おそらく大陸一、いや、世界一美しい街かもしれませんわね」
 セリーヌはなぜか自分のことのように、得意気に言い放つ。
「なんか港町って感じがしないよな」
 噴水広場の賑わいに感心しながら、クロード。
「港へはどうやって行くのかな?」
「このまま広場を南につっきれば……あら?」
 広場を眺望していたセリーヌが途中で目を留めた。
「あれは何かしらね?」
 噴水の手前、天使像の裏側あたりに十数人ほどの人だかりができている。
「なんだろう?」
「気になりますわね……ちょっと行ってみませんこと?」
「セリーヌさん、ヤジ馬も程々にね」
「違いますわよ! トレジャーハンターとしての勘ってやつかしら」
 セリーヌはそう言うと早足で一群に向かっていく。
「この場合、トレジャーハンターは関係あるのかな……」
 クロードたちも仕方なくセリーヌの後を追った。

「みなさん、ただちにこの街から立ち去ってください」
 女は、周囲の冷ややかな視線に負けじと声高に叫んだ。
「近い将来、この街を破滅の嵐が吹き荒れます」
 寄り集まっていた群衆が、その言葉で堰《せき》を切ったようにざわつき始める。驚愕の、侮蔑の、憤怒の視線がいっせいに彼女に降り注がれる。
 女は薄紅色の絹のローブに身を包み、それについているフードを深々と被っていた。フードに隠れて貌《かお》ははっきりとは見て取れない。ただ、その悲しみに満ちた──不安、焦燥、絶望……それらがすべて入り混じったような──眸だけが、人々を見据えて微かな光を湛《たた》えている。
「今ならまだ間に合います。急いで避難してください」
「……馬っ鹿じゃねぇの」
 誰かがそう言ったのを皮切りに、他の者も次々に言い募る。
「この街が滅びる? 誰がンなこと信じるかってんだ」
「冗談にしちゃ物騒な話だな。それとも新手の嫌がらせか」
「かわいそうに。頭の方がどうかなってしまったのね」
「こんなにのどかですのにのぅ、ばあさんや」
「そうですのぅ、じいさんや」
「おい、てめぇ、二度とそんな不吉なこと言うんじゃねぇぞ」
「聞くだけ時間の無駄でしたわ。行きましょダーリン」
 群衆は非難の声を浴びせるだけ浴びせて、わらわらと解散していった。とり残された形であとに残ったのは、三人の旅人らしき者たち。女は自然とそのうちのひとり、青い髪の少女と目が合う。
「あ、えーと……」
 少女は困ったようにぎこちない笑みを浮かべて言葉を探した。
「あの、さっきの話はほんとうですか? クリクが滅びるなんて……」
 苦し紛れにそう言う少女の姿を見て、女は思わず目を見張った。耳朶《じだ》の薄い、先の尖ったその耳に見覚えがあったのだ。
「あなたは……」
「え、なんですか?」
 女は訝《いぶか》しげに少女の顔を見つめていたが、彼女の無邪気に問いかけるような視線に気づくと、わずかに口許を緩ませる。そして、すぐにきっと切り結んで。
「……虚に包まれた幸福に身を埋めるか、寒風の中に肌を曝《さら》そうとも真実を求めるか」
 感情を押し殺した声で、女は言った。
「あなたは選ばなくてはなりません。あなたが知ろうとしている真実は、自身にとって最も辛いことです。真実を恐れ、偽りの幸福に身を委《ゆだ》ねるならそれも良し。たとえどんなに非情な真実であろうとも、それを受け入れる覚悟があるのなら……進みなさい。あなたが信じる通りに進めば、おのずと道は拓かれるはずです」
 その曖昧な、あまりにも遠回しな物言いに少女は困惑したが、何を言わんとしているのかは漠然と理解できた。
「なにか……知っているんですか?」
 少女が緊迫したように訊くが、女はそれには答えず、彼女の横を通り過ぎて歩き去ろうとする。
「待って!」
 女は足を止めた。その背中に、少女は必死に叫びかけた。
「私……知りたいんです! 自分が誰なのか、どうしてひとと違う力を持っているのか、ほんとうのお母さんはどこにいるのか……。たとえどんなに辛いことでも、知りたいんです。教えてください!」
 女はやはり答えなかった。重苦しい沈黙の時だけが刻まれる。
 しばらくして、女は振り返らずに背後の少女に言う。
「あなたとはいずれ、また会うことになるでしょう……その時まで」
 急に目の前の景色が歪みだした。目眩でも起こしたかのように少女の視界は白熱し、闇に包まれ、上下左右に揺すられてぐるぐると回っている。
 なんとか前を見極めようと足を踏ん張って凝視したときには、既に女の姿はなかった。
「あのひとは……どこ?」
 まだちかちかする眼を手で押さえながら、少女が後ろのふたりに訊く。
「あのひとって?」
「何のことですの?」
 ふたりは揃ってきょとんと目を丸くした。
「さっきまでここに女のひとがいたじゃない。クリクが滅びるとか言ってた……」
「さっき? 僕らは今ここに来たばかりじゃないか」
「え?」
 少女はふたりを見た。冗談を言っているような顔ではない。それどころか、妙なことを言い出した彼女を心配そうに見つめてさえいる。
「さあ、こんなところで油を売っていても仕方ありませんわ。早いところ乗船の手続きをしませんと」
「う、うん」
 仲間たちの後を慌てて追いかける少女。歩きながら、先ほど彼女が見たはずの出来事に頭を巡らせた。
 白昼夢でも、見たのだろうか?
 ふと背後を振り返ってみる。女が消える直前に立っていたあたりの地面に、小さなつむじ風が起こっているのを、少女──レナは見た。

「船が出せない!?」
「どういうことですの?」
「そうは言ってないだろうが。せっかちな奴らだな」
 船長は手に持った帽子で顔を扇ぎながら、事情を説明した。もしゃもしゃの赤髭がいかにも暑苦しい。
「今は積み荷を乗せているところなんだ。クロスからの救援物資らしいがな。これがまた、えらく量が多いもんだから、全部積み終わるまでに……そうさな、あと三時間ってとこか。それまで街の中でも見学して待っていてくれや」
 仕方なく、三人は再び噴水広場へと戻っていった。
「まったく……三時間もどうしていろって言うんですの」
「まあ、そう言わずにゆっくり街を見学しましょう……」
 ぐるるるる。腹が鳴った。ふたりがレナを見る。レナは顔を真っ赤にして俯《うつむ》いた。
「と、とりあえずどこかで腹ごしらえしようか?」
「……そうですわね」
 クロードとセリーヌが気まずいように請け合って、歩きだそうとしたそのときだ。
「きゃっ!」
 不意にレナは背後から突き飛ばされ、前のめりに倒れた。その横を小さな身体が通り過ぎ、走り去っていく。レナはうつ伏せのまま顔を上げてその姿を認める。子供だ。
 彼女が立ち上がったときにはすでに子供の姿は人混みに紛れ、見えなくなってしまった。
「ビックリしましたわ……。レナ、大丈夫ですの?」
「ええ。平気ですけど」
 レナは服についた埃を払いながら返事をした。それから足許に目をやると、腰に括《くく》りつけていたはずの道具袋が地面に落ちていた。突き飛ばされたときに紐が解けてしまったようだ。
「まったく、最近の子供は謝りもせずに行っちゃうんだなぁ」
 憤慨したようにクロードが言った。と、横でレナが屈み込んだまま硬直している。
「どうしたの、レナ?」
 彼女は口の開いた道具袋を両手に抱えたまま、引きつった笑いを浮かべてこちらを向いた。顔は蒼白だった。
「……サイフがない」
「え?」
「なぁんですって!!」
 クロードよりもセリーヌの方が動揺したふうである。なにしろこのかた、金には人一倍うるさい。
「きっと、さっきの子供の仕業だ」
 クロードが言うと、レナは視線を落とした。
「わからない……どこかで落としたのかもしれないし」
「どうするんですのよ。先立つものがなければ旅なんて続けられませんわよ」
 三人はしばらく黙り込む。特にセリーヌは気が気でないといったふうに、しきりに爪を噛んでいる。
「とにかく、ですわ」
 沈黙を破ったのはやはりセリーヌ。
「さっきのボウヤが取ったのだとしたら、お仕置きしないといけませんわね」
「捜して確かめないと。……どんな子だったかな?」
 レナは最後に見た子供の姿を思い浮かべた。目撃したのは走り去るうしろ姿だけなので、顔はわからなかったが、確か。
「小柄の男の子で、髪は青かった気がする」
「確かに、そんな感じでしたわね」
「よし、すぐに捜しにいこう」
 クロードが軽く言ったが、事はそう簡単には運ばなかった。

 クリクの街はクロスなどに比べればそう広いとはいえないが、なにしろ大陸内外からやって来た観光客や旅人でごった返している。その中からひとりの子供を捜し出すのはまったく骨の折れる作業であった。
 地元の人に聞きまわって、その少年と思しき青い髪の子供が住んでいる家は突きとめたが、高台に建つひときわ大きな屋敷には、いかにも意地の悪そうな母親らしき婦人と家政婦がいるのみだった。
「えー? それっていつもひとりで遊んでいるケティルじゃないのー」
 港の桟橋の近くで遊んでいた子供たちから、ようやくそれらしい話を聞くことができた。
「その子、ケティルって言うの?」
「うん、ケティルはいつも酒だるのところで遊んでいることが多いのよ」
 利発そうな女の子が目をぱちくりさせて言う。
「酒だる?」
「酒場の名前さ。噴水広場から東の路地に入ったところにあるはずだよ。ケティルはいつも店の横の酒蔵にいるんだ。なにやってるのかは知らないけど」
 茶色の髪をした生意気盛りの少年が、両手を頭の後ろにあてながら言った。
「そう、ありがとう」
 三人は早足でその酒場へと急ぐ。

 高々と積まれた酒樽のてっぺんに座って、青い髪の少年──ケティルはつまらなさそうに足をぶらつかせている。
「やっと見つけたぞ……」
 クロードたち三人は酒蔵に隣接する武器屋の『良い武器を買うなら国際通商へ!』という立て看板の陰に隠れて、様子を窺っていた。
「どうするの? このまま近づいたら、また逃げられちゃうんじゃない?」
「まあ、ここは僕に任せてよ」
 クロードは意味ありげな微笑を浮かべると、看板の影から出て、さりげない足取りで少年に近づいていく。慌ててレナとセリーヌもあとについて歩きだす。
「参ったなぁ……どこに落としたんだろう」
 樽の上の少年に聞こえるぐらいの大声で、わざとらしくクロードが言った。ケティルはその声に一瞬ビクッとしてこちらを向いたが、すぐにそ知らぬふりをする。
「広場にないなら、あとはこの辺かな……あ、ねぇ、君」
 表面上はさりげなく、クロードはケティルに話しかけた。少年も内心穏やかではなかったが、平静を装ってこちらを向く。
「なに?」
「この辺りに、落とし物とかなかったかな?」
 クロードの演技は他人からすればまったくの大根だったが、それがかえってケティルに動揺をもたらしたらしい。
「し、知らないよ。サイフなんか」
「あれぇ?」
 ひっかかった、とクロードは心の中でほくそ笑んだ。
「どうして僕らがサイフを落としたことを知っているんだい?」
「だ、だって言ったじゃないか。落とし物って」
「落とし物はないかとは聞いたけど、それがサイフだとは一言も言ってないよ」
「う……」
「何か知っているんだね、教えてくれないか」
 クロードが言うと、ケティルは下を向いて黙り込んでしまった。見かねたレナが進み出て。
「私たちはね、大事な旅の途中なの。でもお金がないと旅を続けられないのよ。知ってるなら、教えてほしいんだ」
 優しくそう言うと、ケティルは思わず表情を崩して口を滑らせた。
「えっ、たったあれっぽっちで旅してるの?」
 言ってすぐ、自分の口を塞ぐ。
「あ……」
「やっぱりお前か!」
 クロードが演技をやめ、怒りを露《あら》わにした。
「お前がサイフを盗んだんだなっ」
「あ、あう……」
「クロード」
 レナが横から諫《いさ》めるように言う。
「だめよ、そんな恐い顔しちゃ」
 そして樽の上のケティルを仰いで。
「怒らないから教えて。お金を盗んでどうするつもりだったの?」
 青い髪の少年はしばらく口を尖らせて黙っているばかりだったが、不意に樽から降りて地面に着地し、二、三歩進んだところでぴたりと立ち止まる。
「欲しいものでもなにかあった?」
 レナがその背中に訊くと、ケティルはぼそりと。
「……ほしいものがあれば、なんでも買ってくれるよ」
「じゃあ、どうして?」
 繰り返しレナが訊ねた。ケティルはこちらに向き直り。
「みんなをビックリさせてやろうと思ったんだ」
「え?」
「みんながぼくのことを『お高くとまった金持ちの息子』だって、遊んでくれないから……」
「それで、僕らからサイフを盗んだのかい?」
 クロードが言うと、ケティルはこくりとひとつ頷いた。
「ぼくはなんにもできない金持ちの子供なんかじゃない。なんでもできる海の男だってことを、わからせてやろうと思ったんだ」
「なんでもできる、ってなぁ……。盗みができても自慢にはならないだろうに」
 呆れたように言うクロードを、レナはそっと睨みつけて。
「もっと他に言いようはないの」
「……えっと」
 頭を掻き掻き、言い直す。
「つまりだな。盗みをやらなきゃ認めてくれないような友達なんか、相手にすんなってことだ」
 ケティルはもう一度大きく頷く。
「それで」
 酒場の壁にもたれて、興味ないというふうにそっぽを向いていたセリーヌが、初めて口を開いた。
「この子の始末はどうしますの?」
「始末……」
「セリーヌさん、くれぐれも穏便にね」
 レナがクロードを見る。クロードは腕を組んでしばらく考えていたが。
「とりあえず、サイフは返してもらおうかな」
 ケティルはズボンのポケットから布製の財布を取りだして、クロードに手渡した。
「はい……ごめんなさい」
 受け取ったクロードは中身を確認すると、さらにレナに渡す。
「さて、どうしようか」
 そう言ったとき、ふと彼の頭に妙案が浮かんだ。
「そうだ。このことは黙っておいてあげるから、代わりに僕たちにクリクの街を案内してくれないか?」
「え?」
「知らない街は、そこに住んでいる人に案内してもらうのが一番だろ?」
「そうね! それがいいわ」
 クロードの意見にレナも喜んで請け合う。
「もう……ふたりとも甘いんですから」
 セリーヌはふくれっ面で呟いた。
「ぼくが、お姉ちゃんたちを案内するの?」
 ケティルが目を丸くして訊き返す。
「頼めないかな?」
「ううん、やらせてよ。やってみたい」
 表情を和らげるケティルに、レナも笑顔を返す。
「私はレナっていうの。あなたは確か……」
「ケティルだよ」
「僕はクロード。よろしくな、ケティル」
「セリーヌですわ」
「じゃ、ケティル君、街を案内してくれるかな?」
「うん、まかせて」
 ケティルは張り切って、広場の方へ駆け出していった。

「ここは噴水広場っていうんだよ」
 モザイク壁画の通りを抜けたあたりで、ケティルが舌足らずの口調で一生懸命に説明する。
「おっきな噴水と天使さまの像がここのシンボルさ。まわりにはレストランに服屋さん、占いの館、いろんなお店があるんだ。……それから、この道をまっすぐ行って、上にあがったところが展望広場。ここからの眺めは最高だよ。こっちの道を行けば港だね」
「ふーん」
 聞きながら、レナの目は知らず知らずと横のレストランの看板に向けられていた。その途端。
 ぐるるる。本日二度目のレナの腹時計だ。今度は人混みの喧噪に紛れて誰にも聞かれていないと思ったが、すぐ隣を歩いていたクロードの耳にはしっかりと入っていたらしく、目が合うと咄嗟にあらぬ方向を向いた。
「ね、ねぇみんな、ここのレストランで食事でもしないか? どうせ昼もまだだったし」
 レナにしてみれば白々しく、クロードが提案した。
「あら、いいですわね」
「ぼくもいいの?」
「もちろん。今日はとことんおごってやるから、好きなもの何でも食べていいぞ」
 と、いうわけで、一行はレストラン『オジャガ亭』に入ったわけだが。
「……なんだこりゃ」
 メニューに書いてあった料理がよくわからなかったので、マスターおすすめだという『定食ランチセット』とやらを注文してみたのだが、テーブルの上に並べられたのは、風変わりな漆《うるし》塗りの黒い器に盛られたいくつかの料理。おまけにフォークもスプーンもなく、『はし』という二本の木製の棒を使って食べるらしい。
「あの……これは何ですか?」
 レナが器のひとつを指さしてマスターに訊く。茶色っぽい色の豆がぎっしりと入っている。食べ物にはとても見えない。
「ああ、納豆ですよ。そこの醤油っていう調味料をかけて、かき混ぜたあと、ご飯にのせて召し上がってください。あ、でも通のかたなら先にかき混ぜてから醤油をかけますね。その方が粘り気が出て、味も良くなるんですよ」
「はあ……」
「では、ごゆっくり」
 細長い口髭を昆虫の触角のように喉元まで垂らしたマスターは、一礼して厨房へと戻っていった。
「じゃ、食べようか……」
 マスターに言われた通りにかき混ぜて、醤油をかける。不安だったので、ご飯にのせる前に少し味見してみた。
「なっ、なにこれ!? なんでこんなにねばねばしてるの?」
「まっず〜い……」
 ケティルも口に入れて、すぐに吐き出した。
「そう? 結構いけるじゃないか」
 クロードはご飯に山ほどのせて平気で食べている。
「まったく、どうしてスプーンやフォークじゃ駄目ですの? こんな棒きれで食べるなんて、いったいどこの国の風習かしら?」
 言いながらも、セリーヌは二本の棒を巧みに操って焼き魚をむしっている。納豆には端《はな》から手をつけない心積もりらしい。
「ケティルのお父さんは、何をしてるひとなの?」
 レナが隣の席で冷や奴と格闘しているケティルに訊いてみた。
「会社の社長だよ。クリク・トレーダーズっていう」
「クリクトレーダーズ?」
 魚の骨を抜き取りながら、セリーヌが声を上げる。
「知ってるんですか、セリーヌさん」
「知ってるもなにも、世界でも指折りの貿易会社ですわよ」
「じゃ、ケティルは大会社の御曹司ってこと?」
 レナが言うと、ケティルは山芋の煮物を突っついていた手を止める。
「……嫌いなんだ、そういうの」
「え?」
「御曹司とか、坊ちゃんとか、みんなそうやってぼくを特別扱いしようとする。そんなん関係ないじゃんか。……金持ちの子供になんか、ならなくたってよかった。ぼくはレヴィやルチルたちと遊べれば、それでいいのに」
「…………」
 下唇を突きだして焼き魚を見つめる少年を、レナは無言で見つめた。ところが向かいの席で突然、ずずずと味噌汁をすする音がして、気が抜けたように頭を落とす。
「クロード……空気読んでよ」
「え? あ、音大きかった?」
 戯《おど》けたような笑いを浮かべて、クロード。
「ま、それはともかく、ケティルはそのレヴィたちと遊びたいんだな?」
「え? うん、そうだけど……」
「なら話は早い」
 クロードはケティルにニッと笑ってみせる。わずかに見えたその歯には緑色のワカメが付着していた。

 港の倉庫が建ち並ぶ付近の埠頭では、数人の子供が集まっていた。クロードたちがケティルを引き連れてこちらへやってくるのに気づくと、中のひとり──彼らのリーダー的存在であるレヴィが進み出た。
「なんだよ、ケティル。なにか用かよ」
 レヴィが乱暴に言い放つと、クロードの背後に隠れるようにして相手を窺っていたケティルは、背を向けて逃げ出そうとする。
「ケティル!」
 クロードが呼び止める。ケティルは立ち止まり、恐る恐るレヴィのほうを向く。
「君たち、ケティルと遊んでやってくれないかな?」
「え〜、ケティルと〜?」
「お金持ちの家の子とは遊びたくないなぁ」
 遠巻きに様子を見ていた他の子供たちが不平を洩らした。
「そんなの理由になっていないじゃないか」
 クロードが言うと、中のちょっと太めの子供が。
「だって、うちの母ちゃんが言うんだよ。金持ちの子供と遊ぶんじゃないって」
「うん、うちのママも言っていた」
「……だ、そうだぜ」
 仲間の声を背中に受けて、レヴィは口許をつり上げ、大人びた仕種で言う。
「兄ちゃんたちがどうしてケティルといるのかは知らないけど、あんまりそいつと関わらないほうがいいぜ。なんたってそいつは金持ちのおぼっちゃんだ。おれたちとは住んでる世界が違うんだよ」
「それがどうした」
 知らぬうちにクロードはレヴィを睨みつけていた。
「おぼっちゃんなら遊んでやらないのか? 住んでいる世界が違うなら仲間に入れてやらないのか? ケティルの気持ちも知らないで、よくも言えたもんだ」
 子供相手にそんなにむきになってちょっと大人げないな、とレナは思ったが、クロードの気迫に圧されて口出しすることは憚《はばか》られた。
「別に金持ちが嫌いなのは構わないさ。けどケティルは好きで金持ちの子供に生まれたわけじゃないんだ。ケティルだってみんなと一緒に遊びたいと思ってる。その気持ちの方が大切なんじゃないか」
 レナが感じた気迫を子供たちも感じ取ったのだろう、みんな下を向いたり空を見上げたりして、黙りこくってしまった。肝っ玉の据わったレヴィだけが怪訝そうにクロードを見つめる。
「……ケティル」
 そして、大きな瞳を困ったようにキョロキョロと動かしていたケティルに呼びかけた。
「ほんとうに、おれたちと遊びたいのか?」
 ケティルは下唇を突き出したまま、ひとつ頷いた。
「なら来いよ」
「え?」
「仲間に入れてやるよ。みんなもいいだろ?」
 レヴィが振り返って訊くと他の子供たちも。
「うん、いーよ」
「別にケティルが嫌いだったわけじゃないもの」
「おれも、母ちゃんが言うから遊ばなかっただけだし」
「来いよ、ケティル。いっしょに話しよーぜ」
 ケティルはクロードを見る。クロードは微笑して、行け、というふうに顎で向こうを示した。振り返り、遠慮がちに向こうへと歩いていくケティルも、いつしか子供たちの輪の中へ入っていった。
「兄ちゃん」
 ケティルの姿を見送っていたクロードに、レヴィが声をかけた。
「兄ちゃんも、金持ちの子供なんだね」
 クロードは目を見張った。レヴィはそれだけ言うとすぐに踵を返して仲間の輪に加わる。
「そうなの、クロード?」
 横で聞いていたレナが問いかけると、クロードは苦笑して。
「金持ちというか……まあ、そんなものかな」
 子供たちの中心で照れくさそうに話をしているケティルを、目を細めて眺めながら。
「親の七光りとはよく言ったものだけど……時にはそれが重荷になったりもする。他人の視線が気になって、気にしてるうちに怖くなって……自分に自信がない場合は、特にね。ケティルには、そうなってほしくないよな」
「クロード……」
「どうでもいいですけど」
 待ちかねたようにセリーヌが切り出した。
「そろそろ船の方へ行きませんこと? もう時間ですわよ」

「まだなんですか?」
「もうとっくに時間は過ぎてますのよ!」
「だから人の話を聞けっての」
 赤髭の船長が宥《なだ》めるように言った。
「最後の荷物が届いてないんだ。あと十分もすれば届くはずだから、それまで船の中で……おっ?」
 船長がたたらを踏んだ。レナも足許がふらついて蹌踉《よろ》ける。また目眩かと思ったが、違う。地面の方が揺れているのだ。
「地震?」
 そう呟いたとき、まるで地面が波打つかのように大きく揺れだした。
「きゃっ!」
「ななな、なんですの、これは」
「まずい。この揺れだと津波が来るかもしれん。高い所……展望広場に逃げるんだ!」
 誰もがまともに立っていられないほどの振動だったが、とにかく船長の指示したとおり、展望広場へ避難しなくてはならない。
 しかし、それには大勢の人間が集まる噴水広場を抜ける必要があった。
「きゃぁぁっ! 誰か助けて!」
「ふがっ、ふが」
「ビリー! どこ行った、ビリー!」
「じいさん、じいさんや」
「終わりじゃ、この世の終わりじゃ!」
「パパーっ! ママー!」
「ひぃぃ、創造神トライアさま、お助けを!」
 逃げ惑う人々で噴水広場の混乱は頂点に達していた。屋根が剥がれ落ち、敷石が砕けて地面が裂ける。クロードたちは雨霰と降ってくる瓦礫をくぐり抜け、常軌を逸したかのように右往左往する人々の群をかき分ける。やっとのことで展望広場に辿り着いたときには、街のほとんどの家屋が倒壊していた。それでもなお、揺れはおさまらない。むしろ更にひどくなっている。
 噴水に亀裂が走り、水が周囲に流れ出す。天使像は地面に沈み込むように足許から崩れ落ちる。家屋も、店も、モザイクの壁画も、オリーブや月桂樹さえも、街のありとあらゆるものが潰され、倒れ、地面に呑み込まれていく。あまりにも他愛なく崩れ去った人間の街を弄ぶかのように地面は揺れ続け、そしてようやく治まった。
「こ……こんな……」
「街が、クリクが……ああ、なんてこった……」
 展望広場に避難して一命を取り留めた者たちは、茫然と眼下の街を眺める。そこには、まともな建物などただの一棟もなかった。崩れた煉瓦の壁、瓦礫の山、そして、逃げ遅れた人々。ある者は片足を引きずりながら彷徨い、ある者は頭を抱えて蹲り、またある者は何かを叫んで瓦礫をかき分けている。
「あ……助けなきゃ……」
「見ろ!」
 レナが下に降りようと足を踏み出したとき、誰かが海を指さして叫んだ。
「あ……ああ……」
「そんな……」
 その光景に、誰もが戦慄した。
 遙か沖合の海が急激に膨れ上がる。それはみるみる高さを増していき、やがて絶望の蒼い壁となった。
「つ、津波だあっ!」
「ひええええっ、逃げろ!」
 慌てふためく者たちに、赤髭の船長が一喝する。
「取り乱すんじゃねぇ! ここにいれば安全だ。じっとしていろ!」
「で、でも、街は……下の人は……」
 横の船員の言葉に、船長は俯き、おもむろに帽子を取った。
「……終わりだ。──畜生ッ!!」
 そう叫んで、帽子を地面に叩きつける。クロードもレナもセリーヌも、言葉を失ったまま海岸を見遣る。
 津波が、海岸線近くまで迫っていた。その高さは、街の上空に垂れ込めていた黒雲に届かんとするほど。レナはそこに怪物を見た。あまりにも巨《おお》きな、蒼き怪物。そいつは大口をぱっくり開けると、白い牙で潰された蛙のような街に容赦なく喰らいつく。たちまち怪物は形をなくし、その蒼い躯が瓦礫の街を駆け巡り、すべてを覆いつくした。

 クリク水没──その報せはのちに世界中を駆け巡り、人々を震撼させることになる。だがそれは、この世界に起ころうとしている破滅への、単なる序曲《プレリュード》に過ぎなかったのである。



--
【ひとくち解説】
 最後のクリク崩壊の場面、ちょっとだけテキストを追加しました。こういう場合、既存の文章とどう繋げるかというのが結構ネックだったりします。昔と今では文体が違いますからね。これ書いたの、もう9年以上前になるんだなァ('A`)
posted by むささび at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年05月29日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第二章(3)

   3 ひとつの恋の物語(前編) 〜クロス(2)〜

 巨大な白き竜が、遙か上空を掠めるように飛んでいく。
 空一面にぎっしりと敷き詰められた鱗雲を振り仰いだレナは、思わずそんなふうに感じた。綿雲の翼を悠然とはためかせ、風に吹かれるまま呑気に飛んでゆく白竜を、憧憬と僅かな羨望も含ませつつ見送る。
 クロス城下町は相変わらずの賑わいをみせていた。だが、中央広場から少し西に外れた、酒場や食堂などが建ち並ぶあたりまで足を運ぶと、人通りは極端に少なくなる。酒場の前を通りかかったとき、何気なしに中を覗いてみたが、昼酒を決め込んだ大柄の男や、朝まで飲み明かしたのかカウンターで高鼾を上げて幸せそうに眠りこけている若者がいるのみだった。
「店の数のわりには、なんだか静かですね、ここ」
 レナが隣を歩いていたセリーヌに訊いてみた。
「まだ食事時ではありませんからね。日が沈む頃には広場の人間がこぞってこちらにやってきますわよ」
 レナは水色のドレスめいたワンピースに若草色のチュニックを着込んでいた。いつもの上着とスカート、それにケープはクロス洞穴のときに汚してしまい、今はレイチェルに洗濯してもらっている。この服もレイチェルからの借りものだ。ワンピースの裾はレナの臑《すね》の辺りまで覆っていて、今まで膝上いくらかの服しか着たことのない彼女にとっては、このヒラヒラの長い裾がどうにも鬱陶しかったが、街中を歩く分にはさほど支障はないので、仕方なく我慢している。
 お城のお姫様って、いつもこんなヒラヒラの服を着ているのかな。
 お姫様だけじゃない。周囲を見ると、若い女性は皆、今のレナと同じような身なりで街を闊歩《かっぽ》している。都では丈の短い服などは、幼い子供か水商売の女でもなければ誰も身につけないのだ。
 ──どうせ、私は山奥育ちの田舎娘ですよっ!
 訳も分からず膨れっ面をするレナを見てセリーヌは目を白黒させたが、ふと歩く先にあった店を見分けると、意気揚々とレナに話しかけた。
「ね、レナ。あそこの店でお茶でもしませんこと?」
「え?」
 セリーヌが指さす店は、小さなレストランだった。トリコロールの庇《ひさし》が入口に取りつけられ、その上に掲げた看板には『ベーカリーレストラン フォルン』と達筆な崩し字で書かれている。店の外観は白を基調とするこざっぱりとした造りで、敷地を取り囲むようにして鉢植えの草花が所狭しと並んでいた。外観の印象としては、悪くない。
「いいですけど……なんかクロードに悪いわね」
 クロードは今ごろ別の場所で街を見学しているのだろう。女ふたりの買い物につきあわされるのが嫌で、朝からコソコソと逃げ出したのだった。
「構いませんわよ。ついてこなかった方が悪いんですから」
「……じゃ、ちょっと休憩していきましょうか」
 ふたりは店の中に入った。途端に怒声が耳に飛び込んでくる。
「ふざけんな、このガキ!」
 いくつもテーブルが置かれた店内の真ん中あたりで、コック帽を高々と頭に頂いたシェフらしき男が、目の前の若者をものすごい剣幕で怒鳴りつけている。
「だから、僕はここで金を払わなければいけないなんて、知らなかったんだ」
「あぁ? そんな言い訳が通用すると思ってるのか? 一体どこに金を払わなくていい店があるってんだ!」
 今にも若者に掴みかかりそうな剣幕のシェフ。それをはらはらと見守っていた給仕が、店の入口に立ちつくすふたりを見つけると、すぐに平静を装って歩み寄った。
「いらっしゃいませ。お客様は二名ですか?」
「二名はよろしいですけど、何なんですの、この騒ぎは?」
 セリーヌが訊くと、給仕は再び困ったような顔になって。
「は……申し訳ございません。あの客が食事の代金を払わずに店を出ていこうとしたので……」
「無銭飲食ってこと?」
「ええ、まあ。それで、私が店長をお呼びしたところ、あのような状況で……」
「まったく……」
 セリーヌは呆れたように呟いて、すっかり憔悴《しょうすい》している若者に目を向ける。口論はまだ続いていた。
「さぁて、どうしてやろうか。このままクロスの王様の前に引っ立ててやるのもいいな」
 コック帽の店長がそう言うと、若者は急に青ざめ、店長に詰め寄って嘆願した。
「お願いだ、それだけはやめてくれ! それだけは……」
「あぁん? てめぇ、自分の立場がわかっているのか!」
 店長は若者の胸倉をつかみ上げる。
「大丈夫だよ、クロス王は優しいお方だ。食い逃げ程度じゃ大した罪にはならんだろうよ。だが、示しはつけねぇとな」
「お願いだ……城にだけは」
「往生際の悪い奴だな、大人しく観念しろってんだ。来い!」
 店長はそのまま若者を引きずって出ていこうとしたが。
「お待ちなさいな」
 セリーヌが店長を呼び止めた。店長はこちらを向くと、卑屈な半笑いの表情をして言う。
「すみませんね、お客さん。ちょっと今、立て込んでいて、お食事はまた今度にしていただけませんか」
「ええ、もちろんそのつもりですけど。さっきから見ていて、なんだかそちらのひとが可哀想になってきましてね」
「可哀想?」
 店長は眉を顰《ひそ》めてセリーヌを見た。
「お客さん、お言葉ですがね、同情してほしいのはこっちの方なんでさぁ。こういう連中を野放しにしておいちゃあ、ウチとしても商売あがったりなんですよ。私にゃ女房子供だっている。大事な家族を路頭に迷わせないためにも、ここはしっかりと示しをつけておかにゃならんのですよ」
 大げさな語り口で話す店長にセリーヌはほとほと倦《う》んだ。
「お金さえもらえれば、文句はないんですわね?」
「は、はぁ、そりゃもちろんですが……」
 セリーヌは懐から硬貨を一枚取り出すと、それを指で弾いて飛ばした。硬貨は小気味いい金属音を響かせながら放物線を描き、慌てて前に出された店長の手の中に収まった。店長は受け取ったものを見て、目を丸くした。銀貨だったのだ。
「お客さん! これは……」
「それだけあれば足りるでしょう。彼を放してあげなさいな」
「足りるも何も……多すぎですよ」
「釣りはいりませんわ。その代わり、これ以上彼を咎めないでちょうだい」
「……わかりました」
 店長は未練がましく若者を睨みつけると、胸倉をつかんだ手を乱暴に振りほどいた。
「今回だけは許してやる。このお嬢さんがたに感謝するんだな」
 そう言うと、大股で奥の厨房へと戻っていく。
「大丈夫ですか」
 レナが話しかけると、若者は実直そうに下を向いて。
「すまない、君たち」
「どういたしまして」
 セリーヌは若者に軽くそう答えると、すぐにレナの方に向き直る。
「残念だけど、お茶は中止にした方がいいですわね」
「そうですね」
 セリーヌとレナは店を出ていく。取り残された若者は給仕たちの視線に気づくと、慌ててふたりの後を追った。
「セリーヌさん、すごくカッコ良かったです」
 店の外で、レナがはしゃいだように言った。
「そんなことないですわよ……でも」
「でも?」
「ちょっと銀貨は惜しかったわね。百フォル硬貨くらいにしておくべきでしたわ」
「あの」
 苦笑するレナの背後から声がかかる。さっきの若者だ。
「ありがとう、助かったよ……ええと」
「セリーヌよ。それから、こっちはレナ」
「そうか……ありがとう、セリーヌ、レナ」
 店長に散々絞られたのが効いたのか、若者の声は抑揚に乏しかったが、それでもなにかしら威厳と気品のようなものが感じられた。
 そういえば、とレナは思った。彼が着ている服も、よく見ると随分と高価なもののようだ。中でも目立つのは、つやつやと輝く絹のマント。旅人が身につけるそれとは明らかに異をなすものだった。
「ところで」
 と、セリーヌ。
「貴方の名前はなんておっしゃるのかしら」
「僕は……」
 若者は俯いてしばらく黙り込んでいたが、不意に顔を上げて。
「クリス……クリスと呼んでくれないか」
「クリスさん、ですか?」
 レナが言うと、若者はやけに嬉しそうに頷いた。
「これに懲りたら次からは気をつけなさいな、クリス」
「あ、いや。別にそういうつもりじゃなかったんだけど……」
「どういうつもりでも構いませんわよ。けど私たちも、二度も助けてあげるほどお人好しではありませんことよ」
「わかった、気をつけるよ。……ありがとう」
 クリスといった若者は繰り返し礼を言うと、踵《きびす》を返して早足に歩き去っていく。
「……なかなかいい男でしたわね」
「そうね……」
 だが、レナはなぜか、あの若者と初めて会ったようには思えなかった。その理由は首筋のあたりで切り揃えられた金髪を揺らして歩いていく、彼のうしろ姿を見てわかった。
「あ、そっか……。あのひと、クロードに似ているんだ」
「えぇ〜?」
 セリーヌは露骨に嫌そうな顔をして。
「全然似てませんわよ。クロードはあんな清楚で気品のある顔はしてませんわ」
「はあ……」
 けれど、とレナは思った。そんな気品のある彼が、どうして無銭飲食なんてしたのだろう。そもそも正装をした人間がこの近辺をうろついているというのも、妙な感じがする。
「ねぇ、セリーヌ、さん……?」
 そのことについて訊こうとセリーヌを振り向く。だが、彼女はぼうっとあらぬ方を見つめているばかり。
「セリーヌさん?」
「えっ? なんですの?」
「なんか、顔赤いですよ」
「そっ、そんなことありませんわよ。……そうそう、夕日よ。夕日のせいでそう見えるだけですわ」
 そう言いつつ顔を背けるセリーヌに、レナは首を傾げた。
「さ、さあとっとと帰りますわよ」
「あっ、待ってくださいよ」
 早足で通りを歩いていくセリーヌ。レナは慌てて後を追った。西の地平線に沈みかけている夕陽が、空と街を紅に染め上げていた。

 翌朝、ホテルの部屋で目覚めたレナは、横で寝ていたはずのセリーヌがいないことに気づいた。洗ってもらったばかりの服に袖を通し、部屋を出てロビーへ行く。
 フロントでは、クロードがレイチェルと話をしていた。
「やあ、おはようレナ。体の具合はどうだい」
「もうぜんぜん平気よ。……あ、おばさん、服ありがとうございました」
「いえいえ、大したことじゃないわよ。染みついた血もきれいに取れてよかったわ。それにしても、夜遅くにレナちゃんが血まみれで帰ってきたときには驚いたねぇ」
「すみません……」
「クロードは悪くないわよ。私が不注意だっただけなんだから」
「あらあら、お互いに庇いあっちゃって。妬けるわね」
「また……」
「そういうことを……」
 脱力したついでに、クロードに訊きたかったことを思い出した。
「そういえば、セリーヌさんどこ行ったか知らない?」
「ああ。食料の買い出しに行ってもらってるよ」
「食料?」
「うん。明日クリクに向けて出発しようと思うんだ。セリーヌさんの話だと二日はかかるみたいだから、今日のうちに食料を買いだめしておかないとね」
「ふ……ん」
 話を聞きながら、レナは妙な胸騒ぎを覚えた。昨日のあの一件以来、どうもセリーヌの様子がおかしいことに、彼女はなんとなく気づいていたのだ。
「私もセリーヌさんの所へ行ってくるわ」
「そうかい? たぶん中央広場にいると思うけど……」
 クロードが言い終わる間もなく、レナは駆け出していった。

 中央広場をくまなく探したが、セリーヌの姿は見つからなかった。
 どこかですれ違ったのかもしれない。けれど、いくらこの人混みとはいえ、あの目立つ恰好ならひと目で気づくはずだ。人の流れに半ば押されるように歩いていくと、いつの間にか昨日の食堂やら酒場やらが建ち並ぶ通りに出ていた。ちょうど昼時だったので、この辺りも中央広場と変わらないほどの人でごった返している。花崗岩で敷き詰められた道を行ったり来たりして、通りすがる人々の顔を見ていったが、いかんせん数が多すぎる。いい加減諦めてホテルに戻ろうと思ったそのとき、視線の先に薄紫の髪が揺れた。セリーヌだ。
 レナは声をかけようとしたが、すぐに思い止まる。セリーヌの横を、誰かが一緒に歩いているのだ。
(え……えええっ!?)
 それは、あの無銭飲食のクリスだった。絹のマントに身を包み、クロードに似たブロンドの髪を靡《なび》かせて。
 セリーヌとクリスはなにやら話をしながら、近くの店の中へと入っていった。あんぐりと口を開けて、それを見送るレナ。
「もしかして……私、すごい場面を目撃しちゃったのかしら……」

 結局、セリーヌは夜まで帰ってこなかった。
 夜遅く、レナは扉の開く音で目を覚ました。寝返りを打つふりをして扉の方を向き、そっと目を開けて見ると、セリーヌは扉を静かに閉めて、その場で立ちつくたまま目を伏せている。暗くて表情は窺えなかった。なにか考え事でもあるのだろうか。しばらくして、吐息を洩らし熱でも計るように額に手をやり、忙《せわ》しくかぶりを振ると、ようやく隣のベッドに倒れこむように横になった。
 セリーヌの中で、何かが揺れている。レナはこのときはっきりと感じ取った。そして、その原因がクリスにあることも、確信していた。
(どうするんだろう。明日は出発なのに……)

 そうして、朝がやってきた。ホテルを後にして、いよいよクリクに向けて出発しようかというとき、そこにセリーヌの姿はなかった。
「遅いな、セリーヌさん」
「そうね……」
 城下町の門の前で、クロードとレナは待ちぼうけを食っていた。
「すぐに戻るから、待っていてくださる?」
 彼女はホテルのロビーでそう言い残して、どこかへ出かけてしまったのだ。
「なにか急ぎの用でもあったのかな。レナは心当たりある?」
「うん……ないことはないけど……」
 セリーヌが何をしに行ったのか、漠然とはわかっていた。しかし、それを今ここでクロードに言うのは躊躇《ためら》われた。
「もうちょっと待ってみましょうよ。じきに戻ってくるわ」
 はぐらかすように言うと、クロードは少し間を置いてから、頷いた。
「ああ……」

 中央広場の東、人気の全くない裏通りで、ひとつの恋物語は静かに、そして確実に進行していた。
「……もう、行かなくちゃ」
「どうしても、駄目なのかい?」
 クリスが訊くと、セリーヌは戸惑ったように下を向く。
「きのう一日、ずっと一緒にいてわかったんだ。僕には君のような女《ひと》が必要だ。これからも一緒にいたい。同じ時を共にしたい。これが僕の願いだ」
「…………」
「セリーヌ」
 クリスが一歩前に進み出ると、彼女は怯えるように一瞬だけ全身を震わせた。クリスはゆっくりと、優しく包み込むように彼女を抱きしめる──。
「い……嫌ぁっ!」
 突然、セリーヌがクリスを突き飛ばすようにして離れた。愕然とセリーヌを見つめるクリスに対し、彼女は困惑と驚愕の入り混じったような表情のまま、凍りついていた。
「どうして、どうして受け止めてくれない? 僕の、この想いを……」
「違う……違うのよ!」
 セリーヌは首を横に振り、額に手を当てた。
「こんなの、初めてなの……苦しくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、もう、なにがなんだかわからない……自分の気持ちが、わからなくなってしまった……」
 吐き捨てるように言うと、セリーヌは急に夢から覚めたように平静になる。
「……ふたりが待っているわ、行かないと」
 そうしてクリスに背を向けて、歩き出した。
「僕も、待っているよ」
 クリスが言った。遠ざかる彼女の背を、まっすぐ真摯に見つめて。
「君が戻ってくるのを、僕はずっと待っているから」



--
【ひとくち解説】
 セリーヌのPAです。このイベントは是非とも書きたかった。いろいろと時間的制約があったので、展開が駆け足になってしまっているのが残念ですが。そのへんを直すとなると、話自体を変えないといけなくなるので、ちと難しいですな……。
posted by むささび at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年05月22日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第二章(2)

   2 古の遺産 〜クロス洞穴〜

 堅い岩盤に穿《うが》たれた大きな穴。その先には茫漠とした闇が広がっている。岩が鈍く光を放っているのは、鉱物を多く含んでいるためか。入口付近は濃い靄がかかっており、微妙な空気の渦すらも見て取ることができる。頬を掠《かす》める気流は湿っぽく、粘りつくようにも感じられた。
 クロス東に位置する天然風穴、一般にクロス洞穴と呼ばれている場所である。
 ここには、かつてクロス大陸を統べていた原住民──いわゆる『古の一族』が居住していた遺跡がある。原住民と雖《いえど》もその実体は、紋章術を中心とした高度に発達した文明社会であったという。かれらを研究している考古学者の中には、現在までに伝えられている紋章術は全て彼らが起源であると提唱している者もいる。
 古の一族の遺跡は他にもクロス北の山岳宮殿、ラクール大陸北の辺境に位置するホフマン遺跡などがある。しかし、彼らが何故このような、人間が住むには到底相応しくない場所を好んで居住したのか、また山岳宮殿やホフマン遺跡に見られるような、精巧な建築物を造ることができたのかは、未だ解明されていない。古の一族に関する謎は多い。
「地図によれば、この洞窟の先に宝があるということですわ」
 セリーヌが地図を眺めながら言った。
「この洞窟、とっくに調べ尽くされたって聞いてましたけど……」
 レナは入口から穴を覗き込んでいる。
「最近になって新たに発見された地図ということですわ」
「ふうん……」
 なんとなく胡散《うさん》くさいものを感じたが、発言は控えておいた。
「中は暗いな。……明かりがないと」
「角灯《ランタン》なら持っていますわよ」
 セリーヌは肩に担いでいた道具袋から小さめの角灯を取り出すと、慣れた素振りで指先から炎を生じさせて火をつけた。
「さ、中に入りましょう」
 セリーヌは率先して薄暗い穴の中へと入っていく。続いてクロード、レナの順で続いた。

 セリーヌの持つ角灯は小さいながらも存外明るく、狭い洞穴を照らすには充分すぎるほどだった。壁も天井も足場も露で濡れていたので、彼らは足を滑らせないよう慎重に歩を進めた。
 奥へ奥へと続く穴をしばらく行くと、急に道が拓けた。どこかに地下水があるのだろうか、微かに水の流れる音がする。セリーヌが角灯を前に掲げると、その先は道が二股に分かれているようだ。
「どっちへ行くんですか?」
 クロードが訊くと、セリーヌは角灯をレナに渡し、地図を取り出して広げる。
「ああ。この道は右……」
 そう言いかけたとき、クロードは彼女の頭上に何かが落ちてくるのを見た。
「セリーヌさん! 上!」
「え?」
 セリーヌが真上を仰ぐと、青い塊が天井から自分の眼前に迫っていた。彼女は反射的に首を低くして避ける。物体はぼとりと地面に張りつくように落ち、すぐにぶよぶよしたゼリー状の躯《からだ》を隆起させて立ち上がっ(?)た。
「魔物か!」
 クロードは剣を抜きそいつに斬りかかるが、ぶよぶよスライムは身軽にぴょこんと跳ねて刃を躱すと、その半透明の躯に封じ込めていた石をクロードに向かって吐き出した。
「あだっ!」
 石は見事にクロードの顎に命中する。馬鹿にするように飛び跳ねるスライム。
「ちっ、くしょう!」
 再びクロードが斬りかかるも、また跳んで避けられ、今度はふたつに分裂して前後から石の弾丸を打ちつける。腹と後頭部に石をぶつけられて蹲《うずくま》るクロード。
「いいようにされてますわね」
「…………」
 レナが見ていられないというふうに、掌で顔を覆う。
 スライム二匹はさらにしゃがみ込んだままのクロードに襲いかかる。が、突如クロードは跳躍し、地面に向かって剣を振るった。
「衝裂破!」
 クロードの周囲から発せられた衝撃波はスライム二匹を瞬時に消滅させた。ホッとするのも束の間、不恰好な甲冑と剣で武装したアームドナイトが三匹、この騒ぎを嗅ぎつけて向こうからやってきた。
「また来たわ!」
「くそっ!」
 クロードは中の一匹と剣を交えた。甲高い金属音が洞窟に響く。敵の剣を自分の剣で弾くように押し返すと、素早く斜めに斬りつけたが、相手の鎧は思った以上に強固で毫《ごう》ほども傷つけられない。
 その隙を狙って、別のアームドナイトがクロードの背後に回りこんで剣を投げつけてきた。回転しつつ向かってくる剣に気づいたクロードは慌てて横に跳び退いて、間一髪のところで躱す。
「危なかったな……そういう攻撃もありか」
 アームドナイト二匹はしつこくクロードに襲いかかる。しかし、そのうち一匹は、突然頭上に出現した鉄の塊に押し潰された。
「正々堂々と1対1で勝負しなさいっ」
 レナのプレスだった。鉄の塊がかき消えた後には、鎧ごとぺしゃんこに潰れた魔物の骸が横たわっていた。
 クロードが再び一匹と斬り結ぶ。右へ左へ繰り出される敵の剣をことごとく受け止めながら、彼は待った。そしてついにその瞬間がやってきた。一方的に攻めながらも止めを刺せないことに苛立ちを覚えた魔物は、この一撃で決めてやろうと、渾身の力を込めて大きく剣を振り上げた。クロードはその隙を見逃さなかった。すかさず剣を相手の喉元──そう、全身が鎧で覆われているアームドナイトの、唯一無防備な部分──に突きだした。喉仏を突かれた魔物は剣を振り上げた格好のまま、勢いよく鮮血を噴き出して倒れる。返り血をしたたか浴びて、クロードは眼《まなこ》をカッと見開いたまま、絶命する敵の姿を見つめていた。
 最後の一匹はセリーヌに狙いを定めた。重そうな甲冑をがちゃがちゃと鳴らしながら、呪紋を詠唱している彼女の許へ向かっていく。そしてついに彼女を捉えようかというとき、セリーヌは杖を突きだして叫んだ。
「サンダーボルト!」
 アームドナイトの頭上、何もない一点から一筋の電光が生じ、敵の脳天から足元までを瞬時に貫いた。鎧の隙間からぶすぶすと黒い煙を上げて、魔物はその場に頽れる。
「この洞窟、いつの間にか魔物の巣窟になっているようですわね」
 たった今倒したばかりのアームドナイトの兜を足で小突きながら、セリーヌ。
「これからもこんな調子で出てくるのかしら。……クロード?」
 レナがクロードを見ると、クロードは目の前の魔物の骸を見つめたまま、放心したように立ちつくしていた。その顔は返り血で真っ赤に染まっている。
「やだ、クロード……ひどい顔」
 レナが懐からハンカチを取り出して差し出したが、クロードは振り向きもせずに。
「僕は……何をしているんだ」
「え?」
 クロードは力が抜けたように項垂れて言う。右手から剣がこぼれ落ち、からんと乾いた音を立てた。
「今までずっと必死だった。だから気づかなかった。……これは、殺し合いじゃないか。たとえ魔物でも、剣で斬れば血が出て、そして死んで……」
 途中で言葉を切り、自分の掌を見る。そこには先程倒した魔物の血糊がべっとりと付着していた。指が小刻みに震え、顔は生気を失ったように青ざめる。
「これが……こんなことが、僕のすべきことなのか?」
「甘っちょろい科白《セリフ》ですわね」
 見かねたセリーヌが、つかつかと歩み寄ってきた。
「戦うことがそんなに恐い?」
「違う。恐いんじゃない。ただ……」
「なにが違うの? ……そう、確かにこれは殺し合いですわよ。相手を傷つけ、自分も傷つき、そしてどちらかが命を落とす。でもね、戦わなければ先に進めませんのよ。この世界で生き残りたければ、そんな軟弱な考えは捨てることね」
「この世界? ああ、そうだね……ここは野蛮な世界だ」
 怯えを隠すかのように、クロードは言葉を吐き捨てた。
「僕はずっと平和な世界にいた。血の流れるいくさなんて滅多にない場所で、普通に暮らしていただけなんだ。それが、突然こんなひどい世界に放り込まれて、揚げ句には殺し合いまで……」
「不幸をひけらかす男は嫌われますわよ」
「あなたに僕のことなんかわからない」
「わかりませんわよ。けど、これだけは言わせて頂戴。どんな理由でここに来たのかは知らないけど、現に貴方は今、この世界にいるのよ。魔物のいる、野蛮な世界にね。現実から目を背けて、がたがた震えているだけでは何も解決しませんわよ」
 セリーヌは前髪を払いのけ、そっぽを向くようにしてため息をつく。
「まったく、そんな覚悟でソーサリーグローブの調査に行くだなんて、無謀にも程がありますわ。子供のお使いじゃあないんだから。……まあ、貴方はそれでいいかもしれないけど、振り回される彼女の身になってごらんなさいよ。せっかくあなたを信じてついてきているのに」
「…………」
 彼は横の少女を見た。少女は心配そうにこちらを見つめている。唇を噛む。
「クロード……」
「さあ、いつまでもこんな所でぐすぐずしてたら、また変なのがやってきますわよ。先を急ぎましょう」
 セリーヌはそう言うと、ひとりでさっさと歩いていった。
 悄然《しょうぜん》と立ちつくすクロードを、レナはしばらくの間、無言で見つめていた。そうして不意に表情を緩めると、手に持っていたハンカチで、血まみれのクロードの顔を拭い始める。
「優しすぎるのよ、クロードは」
 顔の汚れをゴシゴシとこすってやりながら、レナ。
「魔物だってひとつのいのちには変わりないものね。セリーヌさんに言わせれば、そんな考えは甘いのかもしれないけど……でも、それがクロードの優しさの証なんだと思う」
 クロードの瞳が僅かに潤んだような気がした。悟られまいと堪えているのかもしれない。レナはそれに気づかぬふりをして、微笑んだ。
「気にすることなんてないわ。クロードはクロードなんだから、あなたが思うように進めばいいのよ」
 顔を拭い終えると、レナは足元に転がっていた剣を拾って、彼の前に差し出した。
「さ、先に進みましょ。セリーヌさんも向こうで待っているわ」
 角灯《ランタン》の光が届かない暗がりで、誰かが盛大にくしゃみをした。

 その後もひっきりなしに魔物は彼らを襲った。だがそのほとんどは、レナやセリーヌの手を煩わせることなしに、クロードの一撃のもとに葬り去られていった。芋虫の化物ランドワームを躊躇なく屠《ほふ》り、歩行する植物アルラウネをみじん切りにし、スライムの集団を追い散らすその姿は、半ば自棄《やけ》っぱちのようにもレナの目には映った。
 とにもかくにも、このクロードの快進撃のおかげで、思ったよりも早く目的地に到達することができた。
 だが。
「行き止まりですよ?」
 奇妙な琥珀《こはく》色に輝く巨大な岩の前で、クロードが周囲を見渡して言う。
「おかしいですわね」
 セリーヌが再び地図と睨めっこしながら。
「地図によれば、確かにこの先に、宝の部屋があるはずですのに……」
「もしかして……」
「ニセモノ?」
「そ、そんなはずは……」
 ふたりの視線を遮るように、セリーヌはことさら大げさに地図に顔を近づける。嫌な沈黙がひとしきり続いた。
「とっ、とにかく、もう少しこの辺を調べてみましょう」
「この辺、ですか?」
 レナが疑わしそうに。
「ええ。隠し扉とかあるかもしれませんわ」
「そういえばさ」
 輝く岩を見上げながら、クロード。
「この岩、なんか変じゃないかな?」
「そうね。光もないのにこんなに光って……」
「岩?」
 それを聞くとセリーヌは食いつくように地図を見て。
「そういえば、ここに『岩に念じよ』って書いてありますわ!」
「それですよ、たぶん」
「でも、なにを念じればいいの?」
「おそらく呪文のようなもの……どこかに書いてないかしら」
「それは、なんですか?」
 セリーヌの肩越しに地図を覗き込んだクロードが、地図の右下の方に刻まれた紋様のようなものを指さした。
「ああ、それは紋章言語ですわ」
「紋章言語?」
「ええ。紋章の示す意味を言語化させ、文字として表記させたものですの。呪紋の詠唱にはこの言語が使われていますわ」
「ふうん」
 レナも呪紋を使う際には詠唱しているが、それは口伝で教わったものだった。専用の文字があるなんて、考えたこともなかった。
「じゃあ、それを言えばいいんじゃないんですか?」
「えっ!?」
 セリーヌは急に困ったような顔になって、言う。
「これを、言うんですの?」
「読めないんですか?」
「読めることは読めますけど……こんなので開くのかしら」
「とりあえずやってみましょうよ。他に方法もないんだし」
「……まあ、ものは試し、ですわね……」
 セリーヌはあまり気が進まないといったふうに首を傾げながら、岩の前に立つ。そして、一息にその言葉を詠じた。
 彼女の口から不可思議な言葉が発音された途端、岩がそれに共鳴するかのように激しく明滅し始めた。同時に、唸るような振動音を伴って岩の裏側の壁に縦一本の亀裂が生じ、いかなる力によってか、ゆっくりと両側に開いていく。
 セリーヌの言葉が終わると振動も治まり、動いていた壁もピタリと止まった。隙間のできた壁の向こうから、溢れんばかりの光がこちらの闇を照らし出す。そして、あれほど色鮮やかに光っていた岩は、今はその輝きを失い、何の変哲もない黄土色の岩塊となり果てていた。
「やった!」
「開きましたよ、セリーヌさん!」
「ホントですわね。まさか、こんな言葉で……」
 まだ納得いかないといった様子のセリーヌに、レナが疑問に思って訊いてみる。
「さっきの言葉、どういう意味だったんですか?」
「……どうしても言わなきゃなりませんの?」
「え?」
 言葉を詰まらせるセリーヌに、レナは不思議そうに訊き返す。
「そんなに難しい言葉なんですか?」
 セリーヌははぁ、とひとつ息をつくと、諦めたように言う。
「『岩は常に黙して何も語らず。これすなわち【何もイワん】』って」
 三人の間を寒い風が吹き抜ける。
「ダジャレ……ですか」
「ひどい……あまりにもひどすぎる。クスリとも笑えない……」
「わたくしが考えたんじゃありませんわよ!」
 白けるふたりにセリーヌは憤慨する。
「さあ、とっととお宝を頂戴して帰りますわよ」
 そうして肩を怒らせ、奥の部屋へと歩きだす。ふたりは互いに顔を見合わせて、声を出さずに笑った。

 その部屋は眩いほどの光に満ちていた。壁という壁、天井という天井がすべて半透明の鉱物で構成されており、おそらくそれが外からの太陽光を通しているのだろう。
 中央には星を象った立体彫刻があり、その周囲にはいくつか真新しい宝箱が置いてある。だがセリーヌはそれらには目もくれず、奥の彫刻に隠されるようにちょこんと置いてあった櫃《ひつ》を見つけると、迷うことなくそれを開けた。薄汚れた櫃に入っていたのは、一冊の書物。表紙は染みと垢と埃にまみれて、何が書いてあるのかほとんど識別できない。おまけにところどころ虫も食っているようだ。
「ついに見つけましたわよ」
 感慨深げにセリーヌが言うのをみると、どうやらこれが目的の宝らしい。しかし、ふたりにはそのいかにも古くさい書物がどれほど価値のあるものなのか、さっぱり理解できなかった。
「これ、ですか?」
「なんですか、この本」
「古文書ですわよ」
 口許に笑みを浮かべて、セリーヌが説明する。
「古の一族の遺跡は数多くあれど、書物が見つかった例は極めて稀《まれ》ですの。しかも、ここまで完全な形で残っているとなれば……世紀の大発見かもしれませんわよ」
「へえ……」
 こんなに虫食いだらけのボロボロでも「完全な形」なんだろうか。レナは思った。
「何が書いてあるんですか?」
 セリーヌは破らないよう慎重に頁《ページ》をめくってそこに書かれた文章(もっとも、ふたりには変わった模様の羅列にしか見えなかった)を眺めていたが、しばらくして首を横に振る。
「駄目ですわ……わたくしにもまったく読めない。マーズにいる長老なら解読できるかも……」
「マーズ?」
「私の故郷ですわ。ここからもう少し東に行けばありますの」
「あるいは、学者にでも依頼するしかなさそうだな」
「そうですわね」
 セリーヌは古文書を大事そうに道具袋に入れると、部屋の入口の方を向く。
「さて、目的のものも手に入れたし、そろそろ戻ることにしましょう」
「え? この宝箱は開けないんですか?」
 レナがそう言って近くの宝箱に触れようとすると、セリーヌは急に血相を変えて叫ぶ。
「駄目! それに近づいちゃ」
 まるでそれが合図であったかのように、突如として宝箱の蓋を突き破ってなにかが飛び出した。
 それは、蝙蝠《こうもり》の羽根をもった青黒い小悪魔だった。威嚇の仕種に開かれた口からは研ぎ澄まされた牙が覗いている。周囲の宝箱からも次々と同じ姿の悪魔が飛び出し、いっせいにレナに襲いかかる。
「きゃぁっ!」
「レナ!」
 小悪魔の集団はレナを取り囲んで、腕といわず肩といわず咬みつき始めた。血に飢えた吸血蝙蝠は、レナひとりが振り解こうと藻掻いただけでは離れない。少女の柔らかな肉に牙を突き立て、眸を狂気の色にぎらぎらさせながら、娘の熱い血を美味そうに啜り上げる。
「ガーゴイル! 早く追い払わないと、血を吸われ尽くされてしまいますわ!」
「くそっ、離れろ!」
 クロードが剣を振り回してなんとか悪魔をレナから引き離したが、吸血悪魔ガーゴイルはまだふたりの周囲を牽制するように飛び回っている。クロードの腕の中で、レナはぐったりと気を失っている。魔物を後目にそっと顔色を窺うと、蒼白だった。いらぬ予感にクロードは背筋が凍る思いをした。
 執拗にまとわりつくガーゴイルどもを相手にクロードは必死に応戦するが、数が多い上に羽根をばたつかせて素早く飛び回られ、しかもこちらはレナを庇いながらとあってはまともに戦えるはずもない。味をしめた魔物が再びレナを狙って近づくのを剣で追い払うのがやっとのこと。そうしている間にクロードにも疲労の色が見え始める。万策窮まったかに思えた、そのとき。
「クロード、そこをどいて!」
 セリーヌの声が耳に入った。頭で考えるよりも早く、クロードはレナを抱えたまま床を蹴り、部屋の壁際に滑り込んだ。同時にセリーヌが唱える。
「レイ!」
 部屋の中央に取り残されたガーゴイルの頭上に光が生じ、そこから無数の光線が放射線状に放たれた。光線は吸血悪魔の羽根と躯を薄紙のごとく貫き、地面に突き刺さる。光の驟雨《しゅうう》はひとしきり続くとピタリと止み、あとには硬い岩盤に穿たれたいくつもの穴と、襤褸布《ぼろきれ》のように横たわった小悪魔どもの死骸があるのみ。
 魔物が全滅したのを確認すると、クロードはすぐにレナを仰向けに寝かした。身体の至るところに魔物に咬まれた傷口があり、そこから流れ出す血が服を紅に染め上げる。
「レナ、しっかりしろ!」
「……ん、っ……クロード……」
 レナがうっすらと目を開け、どうにか返事をしたので、クロードはひとまず安堵した。
「ごめんなさい……油断したわ」
「謝るのは僕の方だ」
 拳で地面を殴りつけると、肩を震わせて。
「どうしていつも守りきれないんだ……!」
「……クロード」
「はいはい。急いでいるのでごめんなさいね」
 ふたりの間にセリーヌが割って入ってきた。彼女は道具袋から赤紫の液体が入った瓶と器を取り出すと、瓶の中身を少量器に注ぎ込み、さらに水筒の水で薄めてレナに飲ませた。
「それは?」
「ローズヒップとラベンダーを調合して作ったスイートシロップ。止血効果もありますわよ」
 レナが全部飲み干したのを確認すると、セリーヌは嘆息して言う。
「あとは安静にしていれば、体調もじきに良くなるわ。……まったく、二人揃って世話が焼けますわね」
「すみません……」
「かたや戦いの最中に怖じ気づく。かたやトラップを見抜けずに引っかかる。なんというか、絶妙のコンビですわね」
 辛辣《しんらつ》な言葉に、クロードは項垂れた。
「貴方たち、これからエル大陸に渡るのでしょう? こんな調子じゃ向こうの魔物にとり殺されるのがオチですわよ」
「…………」
「忠告するわ。エルへ行くのはやめておきなさい。命あってのモノダネ、勇気と無謀は別物ですわよ」
「それでも」
 クロードは顔を上げ、きっとセリーヌを見つめ返しながら。
「僕たちは行かなくちゃ、ならないんだ」
 言葉以上の気迫に押されて、セリーヌはやれやれ、と肩を竦《すく》める。
「それなら、わたくしも一緒に行きますわよ」
「え?」
 まだ具合の悪いレナまでもが目を丸くしてセリーヌを見た。彼女は当然といったふうに、飄々と薄紫の髪を掻きあげる。
「こうして知り合ってしまった以上、貴方たちだけでは行かせられませんわ。勝手に死なれてのちのち化けて出てこられても困りますし。こうなったら一蓮托生、乗りかかったタイタニックですわ」
 唖然とするふたりに、セリーヌは妙に色気のある笑顔を作ってみせた。



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【ひとくち解説】
 乗りかかったタイタニック……。なんつうか、時代が偲ばれますな。ある意味面白いからそのままにしときます(笑)
posted by むささび at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年05月15日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第二章(1)

第二章 破滅への序曲


   1 謁見 〜クロス〜

 手製の斧を携えた人型の蜥蜴──リザードアクスが、茂みの中からいきなり飛び出してきた。数は三匹。姿を見せるやいなや、こちらに突進してくる。
 クロードはすぐに剣を抜き、先陣をきって向かってくる一匹と対峙する。リザードアクスは斧を突き出すが、クロードはそれを躱し、背後に回りこんでその首筋を斬りつけた。魔物は盛大に血飛沫をあげて倒れる。
 その間に残りの二匹がレナに襲いかかる。だが彼女は軽い身のこなしで跳躍し、リザードアクスの頭を踏み台にしてさらに遠くまで跳んだ。地面に着地すると、呆気にとられるリザードアクスに悪戯っぽく舌を突きだす。
 すかさずクロードが残りの二匹に詰め寄った。向かってくる若者に気づいたリザードアクスは慌てて斧を差し向けるが、一瞬早くクロードの剣が魔物の下腹を貫いた。腹に突き刺さった剣を抜き、絶命する魔物を息をついて眺めるクロード。
 その背後に、ぬっと影が忍び寄る。最後の一匹が巨大な斧を振り上げて、今まさに目の前の少年を真っ二つに叩き割ろうとしていた。クロードは素早く反転して、振り下ろされた斧を剣で受け止めるが、その凄まじい衝撃で柄から手が離れ、剣を自らの足許に落としてしまった。リザードアクスはさらに返し刀で斧を斜め上に振り上げる。攻撃を避けきれなかったクロードは斧の柄の部分で左肩を強打し、腰から地面に落ちた。魔物は追い打ちをかけるように斧の刃を叩きつけるが、クロードも横に転がって必死に躱す。そして意表をついて敵の懐に潜り込むと、右拳に気合いを込めた。
「流星掌ッ!」
 闘気の宿った拳はリザードアクスの胸板に命中し、大きく吹き飛ばした。そして近くの岩に激突し、粉砕された岩の破片に埋もれた魔物は既に動かぬ骸と化していた。
「ふう。終わったか」
 クロードは大きく息をついてその場に座り込む。そこでようやく左肩の痛みに気づいて、顔をしかめる。
「大丈夫ですか、クロードさん」
 レナが駆け寄ってくる。
「肩を痛めたでしょう? いま治療しますね」
「ああ、いいよ。このくらいなんともない」
 クロードは痛みを堪《こら》えて笑ってみせるが、レナは急に厳しい顔になって。
「駄目です! 無理が一番いけないんです」
 有無を言わさず治療を始めてしまった。クロードはばつの悪そうに苦笑する。
 レナが呪紋を唱えると、痛みは完全に消えた。それどころか戦闘の疲れさえもどこかへ消えてしまった気がする。
「……と、これで大丈夫です」
 レナがそう言ってクロードを見ると、クロードは放心したまま、じっとレナを見つめている。
「ど、どうしたんですか?」
 あまりにも長い間見つめられていたので、少し頬を赤くしながらレナが訊いた。するとクロードは、我に返ったように慌てて立ち上がり。
「いや、なんでもないよ。……ありがとう」
 そう言うと落とした剣を拾いに向こうに歩いていく。レナは首を傾げてその姿を眺めていた。

 彼らが街に着いたのは、夕刻もとうに過ぎた頃だった。日は既に沈み、広場にも通りにも人影はほとんど見あたらず、街は静寂に包まれていた。夕闇の中を動くものは、シートの被せられた出店の並びをうろつくみすぼらしい野良犬と、巡回中の甲冑姿の兵士ばかり。くしゃくしゃになった紙袋が、微風に揺られて石畳の上で踊っている。
「思ったよりも遅くなっちゃいましたね……」
 人気のない中央広場を憮然としたように眺めながら、レナ。
「お城も閉まっているみたいだし……。今日は宿に泊まって、お城へ行くのは明日にしましょう」
「……そうだね」
 クロードの言葉には抑揚がない。なにか別のことを考えているふうにも見える。
「どうしたんですか、クロードさん?」
「え?」
「さっきからずっと、元気がないみたいですけど……どこか具合でも悪いんですか?」
「いや、そうじゃないんだ」
 クロードは続けて何か言おうとしたが、思いとどまったようにかぶりを振る。そして話題を逸らすように。
「宿に泊まるんだろ? どこか探さないと」
「あ。私、知っている宿があるんです。……ほら、そこの」
 レナが指さす先、ふたりが立っている街の入口から広場を挟んだ向こう側に、なるほど宿屋らしき大きな建物が見える。
「行きましょう」
 レナが先にすたすたと歩いていく。クロードは誰にも知れず溜息を洩らし、それからレナの後について歩きだした。

 外観は古風なものだったが、宿の中は意外なほど広くて明るく、そして綺麗だった。大きなシャンデリアが吊り下がったロビーの待合室には、旅人らしき者たちが幾人か、地図を広げてなにやら真剣に話し合っている。豪奢な絵柄が織り込まれている絨毯はまだ真新しく、歩いた感触がふわふわして心地よい。ロビーの奥にあるカウンターでは、糊をきかせた制服をきっちり着こなしたフロント係が三人、忙しなく動き回っている。
「あら、レナちゃんじゃないの」
 こちらに向かってくる青い髪の少女に気がついて、フロントの婦人が声をかけた。
「こんばんは、レイチェルおばさん」
 レナはフロントに立って挨拶した。この宿で働いている彼女はウェスタの姉、つまりレナの伯母にあたる。
「久しぶりねぇ。この前会ったのはいつだったかしら」
「お父さんの、お葬式のとき以来です」
「ああ、そうだったわね……早いものねぇ」
「おばさんも元気そうでなによりです」
「それがそうでもないのよ。最近はめっきり足腰が弱ってねぇ。いやだね、歳をとるってのは。……おや」
 しばらく身内の会話が続き、体裁の悪そうにしていたクロードをレイチェルが見て、にんまりと笑った。
「あらま、ウェスタも大変ね。彼氏?」
「ちっ……違います!」
 顔はおろか耳まで真っ赤にしてレナが答える。その声があまりにも大きかったので、同じロビーにいた旅人の一団が話を中断し、何事かとこちらを振り向く。
「そんなに力強く否定しなくてもなぁ……」
 クロードがぼやくように呟いたが、レナには聞こえていない。
「あ、ちょうどよかったわ」
 宿帳を見ながら、レイチェル。
「いい部屋がひとつだけ空いてるのよ。今晩だけ特別にタダで泊めてあげるわ」
「いいんですか?」
 レナが言うと、レイチェルは年甲斐もなくウインクして。
「可愛い姪の、ステキな一夜のためだものね」
「だから、全然そんなんじゃないんですって!」
 けらけらと笑いながらロビーを歩くレイチェルを、レナが追いかける。クロードはその後ろで、ひとり嘆息した。
「そういえば、レナちゃん」
 客室に繋がる途中の廊下で、先頭を歩いていたレイチェルが振り向いて言った。
「二週間くらい前だったかしら。この街にあの子が来たわ。ほら……フラックさんの息子の」
「ディアスが?」
「ええ。でもまたすぐに、行き先も告げないまま出ていっちゃったんだけどね」
「そう……」
 答えながらも、レナは知らず知らずと左手で胸のあたりを押さえていた。苦しいような仕種を、クロードは横で無言のまま見つめる。
 レイチェルは階段を上がり、二階の廊下を進む。そして206と書かれたプレートのついた扉の前で止まると、鍵を開けた。
「どうぞ、ごゆっくり」
「ありがとうございます、おばさん」
 レナはレイチェルに一礼してから部屋へと入った。正面に大きな窓、その手前にランプが置いてある小さな机、そして壁際にはベッドがふたつ並んでいる。横には狭いながらバスルームもあるようだ。繊細な刺繍の施されたレースのカーテン越しからは、街灯に照らされた中央広場が一望できる。
 レナは奥のベッドに腰をかけ、じっと考えこむように俯《うつむ》いた。そこへクロードが入ってくる。
「……レナ?」
 遠慮がちに呼びかける彼に、レナは顔を上げた。
「なんですか?」
「ちょっと気になったんだけど、フラックさんって誰だい?」
「ああ、ディアスのことですか?」
「さっき、その名前を聞いたから……」
 クロードが言うと、レナはまた腕を胸にあてがいながら答える。
「ディアス・フラックっていって、昔アーリアに住んでた人なんです。でもずっと前に、悲しい事件があって、村を出ていってしまって……」
 話すうちにレナの声は少しずつ衰えていき、最後にはほとんど聴こえなくなった。しばらくの間、どちらも何も言わなかった。
「……そっか」
 クロードが口を開いた。
「無理して話してくれなくてもいいよ。この話はこれでおしまいにしよう」
「すみません、クロードさん……」
 下を向いたまま言うレナを、金髪の少年は立ちつくしたまま見つめる。
「……あのさ」
「え?」
「ちょっと、僕からお願いがあるんだけど、いいかな?」
 唐突に、躊躇《ためら》いながらも口を開いた。顔を上げて見つめるレナに対し、照れくさいのか横を向くクロード。
「その……僕のことを、『さん』づけで呼ばないでほしいんだ」
 彼の言葉に、レナはきょとんと目を丸くした。
「えっと、だからさ、僕も……君のことを『レナ』って呼びたいから。お互いに」
 耳まで真っ赤になったその横顔に、レナは思わずぷっと吹きだした。
「な、なんだよ」
「だって、なにを言い出すのかと思ったら……」
 堪えるようにくすくす笑う彼女を、クロードは憮然と眺める。
 ひとしきり笑うと、レナは笑みを残した表情で彼に向き直って、言った。
「それじゃ、これからもよろしくね、クロード」
 今度はクロードが目を丸くする。レナはにっこりと笑顔を返す。
「これでいい?」
「う、うん」
 慌てて何度も頷くクロード。照れ臭さはとっくに失せたはずなのに、なぜか頬の赤みだけは消えずに残っていた。


 ──復讐という名の絶望。
 ──それはもはや、俺の生きる糧にすらならない。
 薄闇が支配する深き森の奥。そこに彼──ディアス・フラック──は、佇立《ちょりつ》していた。木の枝で焚き火を按配《あんばい》しながら、かつての自分に思いを馳せて。炎を見つめるその瞳は、鋭くもどこか虚ろで、そして悲愴感に満ちていた。
 ──何も知らぬ若造だった俺は、ひたすら強さを追い求めた。自分自身のための強さ、いや、それ以上に、守るための力を俺は欲した。
 ──だが、それは適わなかった。俺は、全てを喪った。
 梟《ふくろう》の鳴き声が森に隠《こも》る。凍えた風に吹かれて、まるで森そのものが動き出すかのように、ざわざわと葉擦れの音を立てる。焚き火もつられて軽く爆ぜた。
 ──この力は何の為だ? 誰かを守る? 今更守るべきものがどこにある? 家族を喪い、故郷も捨てた。世界は俺を見離した。俺も世界を見限った。忌まわしき記憶は今もこの身を灼く。それを抱えたまま、俺は世界を彷徨う。それが俺に課せられた罪業なのだ。
〈ディアス……〉
 炎から目を離して、周囲を見回す。聞き覚えのある声が自分を呼んだ気がしたが、そこには彼以外、人の姿も気配もない。
(空耳か? それとも──)
 ディアスは再び焚き火に目を遣る。その炎の先に映じたのは、ひとりの少女。
(お前が俺を呼んだのか)
 ディアスは不意に口許を緩めた。そして天を仰ぐ。
 ──そういえば、あの時もこんな冷たい風の吹く夜だったな、レナ──。

「ディアス!」
 村の門を抜けたところで、彼は呼び止められた。背後から幼馴染みの少女が、息を切らせて走ってくる。彼は振り向かない。
「どこへ……行くの?」
「……」
 ディアスは押し黙ったまま、ピクリとも動かなかった。
「なによ……なにか言ってよ!」
 そう叫ぶと、レナはもどかしそうに彼を睨む。
「レナ」
 ディアスはようやく口を開いた。その声は低くくぐもっていて、はっきりとは聞こえなかった。夜でなければ聞き取れなかっただろう。
「みんなの……墓を、頼む。特にセシルは、寂しがりだからな。お前が行ってやればあいつも喜ぶ」
「なに……言ってるの、ディアス?」
 彼はじっと、彫像のように立ちつくしたまま、動かない。肩から羽織った外套ばかりが風にはためいている。
「……俺はもう、ここにはいられない」
「どうして?」
 レナの問いにディアスは答えなかった。ふたりとも黙りこむと、辺りはしんと静まりかえった。
「……家族がいないから?」
 静寂に堪えかねて、レナが言う。
「家族がいないから、自分の居場所がないっていうの?」
「俺は、強くなる」
 ディアスは言った。
「誰よりも、どんな奴よりも強くなる。そのために、俺はここを離れなければならない」
 その言葉でレナは理解した。彼がいったい何を思っているのか。
「……強くならなくたって、いいよ」
 レナは歩み寄り、そっと彼の背に額を当てる。
「ああなったのは、あなたのせいじゃない。あなたは悪くない。だから、もう自分を責めないで。出ていくなんて言わないでよ……」
 レナの声は震えていた。目許から涙が溢れ、雑草の生えた地面に落ちていく。
「泣くな、レナ」
「悲しいときは、泣くんだよ」
 詰まりそうな声を励まして、レナは言う。
「泣いて、泣いて、うんと泣いて、悲しみも辛さもぜんぶ流しちゃえば、あとはもう悲しくなんてなくなるんだよ。……ねえ、ディアスも一緒に泣こう? こんな悲しいこと、ずっと胸の中に仕舞いこんじゃ、だめだよ……」
「……レナ」
 ディアスは初めて振り返り、彼女の青い髪を撫でた。
「たとえ俺がどんなに変わっても、お前は俺を『兄』だと思ってくれるだろうか」
「え?」
 ほんの一瞬だけ、彼はレナに微笑みかけた。そして再び背を向けると、街道を歩いてゆく。
「待っ……あっ」
 残されたレナは追いかけようとしたが、足がもつれてその場に転んだ。その間にも彼の背中はどんどん遠ざかる。
「や……行っちゃ……」
 その場に座り込んだまま、ぼろぼろと涙を零す。初めから、こうなることがわかっていたのかもしれない。どんなに強く引き止めたところで、しょせん自分にはどうすることもできないのだと、頭のどこかでは感じていたのかもしれない。でも、それでも。
「……の、ばかあぁっ!!」
 彼女はありったけの声を絞って叫ぶ。そして傍らに生えていた草をぶちぶちと千切って投げ、駄々をこねる子供のようにわめき散らした。
「この意地っぱり! 甲斐性なしのトンチキ頭! あんたなんか森のお化けに食べられて死んじゃえっ!」
 少女の声は夜の闇に響いて、虚しく消えた。
 ディアスは空を流れる黒い雲を見つめたまま、ひとり道を歩いていく。レナは顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしながら、その後ろ姿を眺める。冷たい風は、ふたりを隔てるように、いつまでも吹き続けていた。


 窓からの眩い陽射しが、薄く開けた目に飛び込んでくる。無意識に手を伸ばして目のあたりを覆うと、そこは少し濡れていた。寝ている間に泣いていたらしい。
「やだ。どうしちゃったんだろ、私……」
 レナは掛け布《キルト》を引き剥がして起き上がり、素足を床につけてベッドに座った。
(そっか……夢を見てたんだ。……あの日の)
 そのとき、部屋の扉が開いた。レナは慌てて腕でごしごし目許を拭う。
 入ってきたのは、クロードだった。
「おはよう。よく眠ってたみたいだね」
「あ、ごめんなさい。寝坊しちゃったかしら」
「そんなことないさ。昨日の疲れもあるだろうし、もっと寝ていても構わないよ」
「ううん、いいの。もう起きるわ」
「そう? じゃあ、先に下のレストランに行ってるから、君も支度ができたら来るといい」
「レストラン?」
「うん、なんでもレイチェルさんが朝食をご馳走してくれるって……僕は断ったんだけど、どうしてもって言うから」
 クロードはそう言って、肩をすくめる。
「じゃ、下で待ってるよ」
 静かに扉を閉めて、クロードは部屋を出ていった。レナはベッドに座ったまま、ぼうっと扉を見つめている。起きたばかりで、まだうまく頭が働いてくれない。
(ディアス……どうしているのかな……)
 レナは立ち上がり、日射しを全身に浴びながら伸びをする。そうして、ふと窓から外を覗いてみた。そこに広がる光景に、たちまち目を奪われる。
「うわぁ……すごい」

 クロス城下町は、普段にもまして人々の熱気に包まれていた。
 所狭しと建ち並ぶ露店には、買い物に来た婦人や旅人でごった返している。威勢のいい声を上げて野菜やら果物やらを売る商人、軒に並べられた骨董品を厳しい眼差しで見定める壮年の男、売られている剣についてなにやら店の主人と口論している剣士風の若者、そしてその喧噪の中心である、クロス中央広場では掘り出し物のオークションが開かれているらしく、大勢の参加者で賑わっていた。
「鰯に秋刀魚に本マグロ! イカタコ鮑《あわび》に鱈場蟹《たらばがに》! うちは何でもそろってるよ!」
「お客さん、通だね。それじゃあこんなのどうだ? 『珠の光“有機雄町”』こいつは滅多に手に入んないよ。……なに? ロマネコンチぃ!? んなのウチに置いてあるわけないだろっ!」
「体重を気にしているあなた、こんにゃくゼリーはいかが? おいしく食べて手軽にダイエット。アロエジャムは美容にもいいですよ」
「どーじん買ってくださーい。やおい本はありませーん。ショタ系はちょっとだけ……」
「どうだいこの剣。東方随一の鍛冶師の作だ。お安くしておくよ!」
「クロスの土産にシルバークロスはどうでぃ? 今なら裏にお客さんのイニシャルを彫ってあげるよ」
 周囲の熱気に気おされながらも、ふたりは出店の列に挟まれた通りを進んでいく。
「いろんなお店があるわねぇ。人もすごく多いし……。さすがクロスの城下町よね」
「こう言っちゃなんだけど、アーリアとは大違いだよな」
 中央広場のあたりを抜けると、辺りは次第に寂しくなる。人気もまばらになり、城壁の手前には鎧兜の衛兵がいかめしい目つきで立っているばかり。
「この通路を抜ければ、城門はすぐそこにあるわ」
「ふうん……そういえば、前にも来たことがあるって?」
「うん。5年も前のことだけど、お父さんと一緒に……」
 話に夢中になっていて、レナは向こうからやってくる男の姿に気がつかなかった。すれ違うとき、レナの肩が男の腕にぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
「いや。こちらこそ、失礼」
 男はよく通った声で言うと、すぐにまた前を向いて歩き去っていく。だがレナは、彼のうしろ姿をまるで信じられないものでも見たように、呆然と眺めた。
「どうしたの?」
 クロードが訊くと、振り向きもせずにレナが答える。
「今のひと……三《み》つ目だったわ」
「は?」
「間違いないわ。おでこにもうひとつ目があって、それが私のほうを見たもの!」
 そう言ったものの、内心はレナも確信が持てなかった。なにしろ三つ目である。いくらクロスが色々な人間の集まる場所だとはいえ、そんなお化けのような人間がいるはずもない。クロードも、きっと信じてくれないだろう。そう思って彼の言葉を待っていたのだが。
「三つ目、か……」
 意外にも、彼はそのことについて真剣に考え込んでいる。
「もしかすると……いや、まさかな。こんな所にいるわけないよな……」
「クロード?」
 レナに呼ばれて、慌てて振り向くクロード。
「あ、ごめん。何でもないんだ。それじゃ、行こうか」
 そう言って、早足で通路を歩き出す。レナは首を捻ったが、すぐに駆け足で後をついていった。

 かつて、このクロス大陸を十字架になぞらえていた一族があった。ダイヤモンド・オブ・ザ・クロス──十字架の中心に填め込まれた宝石になぞらえて、かれらはクロス城をそう呼んだ。この世で最も堅固でありながら、純粋にして清楚な輝きを放つ宝石。ダイヤモンドは、まさしくクロスの象徴であった。白を基調とした城壁。鮮やかな青空を閉じこめた窓の填め込み硝子。数多の尖塔《ピーク》の先端に掲げられた十字架と南十字星座《サザンクロス》を重ね合わせたような国旗は、繁栄を約束する西風に吹かれて悠然と翻っている。美しく優雅でありながら、一国の要である城が本来持つべき厳粛さと堅牢さをも、この城は兼備していた。
 謁見の受付を済ませたレナとクロードは、順番待ちの間に城内を見学することを許された。探検気分で足の向くままあてもなく歩き回ってみたが、やはり城は広く複雑で、ふたりは程なく迷子になった。小間使いや貴族(恐そうな顔をした者もいたが、そういうのはなるべく避けて)に帰りの順路を聞いていると、噂好きな何人かからクロス王子についての話を聞くことができた。どうやら王子は名目上は領地で静養中となっているが、実際は勝手に城を抜け出したまま、行方不明になっているらしい。さらに、普段から王子の世話をしている女中によれば、クロードがクロス王子によく似ているとのこと。
「正装をして、もう少しシャキッとした感じになれば、まさに殿下に生き写しですよ」
「シャキッと、ねぇ……」
「クロードって、なんかダラッとしてるのよね。雰囲気が」
 レナが本人目の前にして憚《はばか》らずに言うと、クロードは苦い顔をした。
 そうしている間に、謁見の順番が回ってきた。どうにか時間までに入口まで戻ってくることができたふたりは、すぐに謁見の間へと向かう。
 長い階段を上り、重厚な扉が開けられる。赤絨毯の敷かれた広い部屋の奥に、翼竜の彫刻が施された玉座に腰掛けているクロス王がいた。王冠の下からわずかに見えるのは短めの白髪。髭は口髭のみが取ってつけたように上唇の辺りを覆うだけで、頬から顎にかけての女性めいた輪郭ははっきりと見て取ることができた。穏やかな瞳は疑うことを知らない子供めいて、爛々と輝きながらこちらを見つめてくる。肌の色は健康そうに赤みを帯び、老人らしからぬ髪型や口髭と相俟《あいま》って、妙に若々しく見えた。その豪華な天鵞絨《ビロード》のマントと衣装、それに金銀細工の王冠がなければ、近所にいる人のよさそうな、元気なお爺さんといったところか。
 レナは王の前に立つとまず、宮廷式に一礼した。それを見たクロードもそれらしく礼をする。
「王様、お目にかかれて光栄です」
「おお、レナではないか。見違えたぞ。レジスから聞き及んではいたが、これほどとは」
「王様もご健勝でなによりです」
「まあ堅苦しい挨拶は抜きにしよう。して、今日は何用だ?」
「はい」
 レナはクロードに目配せした。クロードが神妙に頷くのを確認すると、再びレナが続ける。
「私たちは、ソーサリーグローブについての調査を始めました。そこで、王様がお持ちのできる限りの情報を教えていただきたいと思い、ここに来ました」
「なんと、そなたらが?」
「はい。もちろん冗談や遊びで始めたわけではありません」
「そうか……しかし、残念ながらそなたの期待に応えてやることはできぬと思うぞ」
「どういうことです?」
 レナが訊くと、王は幾分表情を曇らせる。
「現在ソーサリーグローブに関して、一般に伝わっている情報はこんなものだろう。『エル大陸に巨大な隕石が落下し、そこから魔物が大量に生まれ、広まった。各地にも動物の凶暴化や異常気象などが続発している』」
「はい、私たちもそこまでは知っています」
「ところが、我々もそれ以上のことはわからないのだ」
「え?」
 思いもよらぬ返答に、レナは目を丸くした。
「知らない?」
「うむ……ソーサリーグローブ落下後、何度か調査隊もエル大陸に送ったが、その大部分が帰ってこなかった。ソーサリーグローブと各地の異常事態との関連性もラクールと共同で研究が進められているが、ろくに実地調査ができぬうちは推論に止まざるを得ない。エル大陸が現在どうなっているのか、そしてソーサリーグローブの正体や異常事態についても、我々は何ひとつ把握できていないのだ」
 そこまで言うと、クロス王は傍らに控えていた側近から水の入ったグラスを受け取り、喉を潤すと、続けて言った。
「要するに、我々がどれだけ手を尽くしても、ソーサリーグローブの正体に関しては、手がかりすらつかめていないというのが実情なのだ」
「そうだったんですか……」
 レナは目を伏せた。できるだけ表情には出さないよう気を遣ったが、やはり落胆の色は隠せない。
「そこで、我々はエルの調査を冒険者に依頼することにしたのだ。国中に触れを出し、手練れの者をこのクロスに集めている」
「街に冒険者が目立つのはそのためか……」
 クロードが納得顔に呟いた。
「しかしレナ、ソーサリーグローブの調査は想像以上に危険だぞ。これまで多くの者が命を落としておる。果たしてそなたの細腕に担えるかどうか……」
「大丈夫です。私にはクロードさんがいますから」
 レナが言うと、クロードはこちらを見つめる王の視線に気づき、慌ててシャキッと背筋を伸ばす。
「ん? そなたは……」
 王はしばらく、まじまじとクロードの顔を見つめた。
「あの……僕が何か?」
 居心地の悪そうにしていたクロードが訊くと、王はハッとして、それから首を横に振った。
「いや、すまぬ。他人の空似だったようだ」
「はあ……」
 もしかしたら、あのことかな。レナは思った。さっき女中から聞いた、ここの王子とクロードが似ているという話。
 けれど、もしそうだとしたら、肉親が見間違えるくらい、そのひととクロードはそっくりなんだろうか。──少し見てみたいかもしれない。
「まあ、そなたらの決意のほどはよく判った。しかし、長旅となるからには、それなりに先立つものが必要であろう。……ここに」
 王は側近を呼びつけて、なにやら言伝《ことづて》を始めた。長髪の側近は王に一礼してから部屋の袖に引き下がる。
「せっかく来てくれたのに、手ぶらで帰してはこちらとしても面目が立たぬ。役に立てなかった代わりと言ってはなんだが、支度金を受け取ってくれ」
「支度金?」
 そう訊いている間に側近が帰ってきて、クロードに持っていた赤い布の包みを渡す。クロードが何気なくその包みを開けてみると、中には金貨が十枚程度、それに通行証らしき札が一枚入っていた。
「王様!」
「なに、そなたらだからという訳ではない。調査を依頼した者には全員渡しておるのだよ。気にすることはない」
「……ありがとうございます」
 瞳を細めて好々爺《こうこうや》のような笑みを返す王に、レナは深々とお辞儀をした。
「礼には及ばぬ。その通行証はクロス大陸のどの港でも通用する。エルに渡るならクリクへ行くといい。臨時便が出ているはずだ」
「王様、本当にありがとうございました」
「うむ。そなたらも気をつけてな」
 レナは一礼して、クロードともども謁見の間を後にした。
 重々しい音を立てて閉められた扉を背に、ふたりは階段を下りていく。そこでようやく気が抜けたのか、レナは途中の踊り場のところで立ち止まり、ふうっと一息ついた。
「僕は全然、話をしていなかったな」
 後ろからクロードがばつの悪そうに言う。
「気にすることないわ。私もけっこう緊張していたし」
 そう言うと、レナは階段を一気に駆け下りて、それから振り返った。
「さて、次の目的地はクリクね。支度を整えたら出発しましょう」

 太陽が僅かばかり西に傾きかけた昼下がり、中央広場は朝と変わらぬ賑わいを見せていた。露店の並びは人でごった返し、商人たちの威勢の良い掛け声が、雑踏のあちこちからが聞こえてくる。
 ところが、その中で一部だけ、ぽっかり穴が開いたように人が避けて通っている場所があった。大通りの真ん中で睨み合うふたりを囲んで、人だかりができている。
「どうして? これはわたくしが手に入れたものでしょう?」
「なに言ってやがる! あれは誰が見たってサギ同然のやり方じゃねぇか!」
 どうやら輪の中心のふたりが激しく口論しているらしい。片方は焦茶色のローブを身に纏った、いかにも紋章術師らしき男。もうひとりは、先の尖った帽子と極端に覆うところが少ない服を着込んだ女。惜しげもなくさらされた太股の内側には、やはり術師の証である紋章が刻まれている。そして、見るからに無防備な彼女を保護するかのように、頭と胸のあたりにふたつ、黄金色の環がいかなる力によってか、ふわふわと彼女の周囲を取り巻きながら浮いている。
「まあ、わたくしがいつサギを働いたと言うんですの!?」
 女は育ちの良さそうな口調で反論する。そのたびに薄紫色の髪と、上半分がほとんど剥きだしになっている豊かな胸が揺すられ、見物の男たちの目を釘づけにする。実際、それが目当てで見物している者がほとんどのようだ。
「うるせぇ、殺すぞ、このアマ! 女のくせして逆らいやがって。そいつを今すぐ寄越しやがれ!」
「待ちなさいよっ!」
 突然、見物人の中から声があがった。人垣をかきわけて、小柄な青い髪の少女が両者の間に割って入る。
「女のくせに、ってなに? 女だからどうだっていうのよ。そういう言い方はないんじゃない?」
 少女はそう言って胸を張った。男は拍子抜けしたような顔をする。
「ああ? なんだぁ小僧?」
「だっ、誰が小僧よ! 私は女よ!」
 少女が憤慨して叫ぶと、男の紋章術師は視線を彼女の胸に落とした。そして、げらげら笑う。
「けっ、そんな貧相な胸じゃ、俺は女と認めないね」
「なっ……なっ!」
 みるみる少女の顔が赤くなり、そして今にも男につかみかかろうかというとき、背後から金髪の若者が慌てて両脇を抱えて制止させる。
「ちょっとクロード、放してよ!」
「待て待て! 気持ちはわかるけど、ここはひとつ穏便に……」
「あーいう礼儀知らずはね、誰かがヤキを入れて根性叩き直してやらないとダメなのよ!」
「だ、だから駄目だって……こんなところで暴力はいけませんッ」
 若者は必死に少女を取り押さえていたが、最後には彼女の肘鉄を顎に食らって昏倒した。
「ふん。図星だからってムキになんなよ」
 男紋章術師は嫌らしい笑みを浮かべたまま言い放つ。
「ま、せめてこの姉ちゃんくらいの胸にはなるように、せいぜい努力するんだな」
「それは光栄ですこと」
 女は言葉とは裏腹に、語気鋭く言い返した。
「でも、そこのお嬢さんを侮辱したのは許せませんわね。同じ女として」
「あぁん? やんのか、このアマが」
「いつでもよろしいわよ。かかってらっしゃい」
「んにゃろ!」
 紋章術師は背後に跳び退いて間合いを取ると、ぶつぶつと呪紋を詠唱し始めた。たちまち見物人が蟻の子を散らすように逃げていく。詠唱の終わった男はことさら大げさに腕を振り上げて叫ぶ。
「ファイヤぁー……ボル」
「ファイアボルト!」
 女が男よりも早く杖を突きだして唱えると、杖の先端についていた宝玉から人の頭ほどの火球が飛び出し、男の足元に命中した。ローブの裾に火がついて、たちまち炎上する。
「うわぁっちぃ!」
 炎を纏って踊るように走り回る男術師。彼にとっては一大事に違いないのだが、見ている側にはその姿は滑稽この上なく、人々の失笑を買った。さすがに誰かが見咎めたのか、どこからか水がかけられ、早期消火となりはしたが。
「あんなに詠唱に時間がかかっていては、スライム一匹倒せやしませんわよ」
 男は情けない顔でこちらを向く。全身ずぶ濡れの上、ローブは腰から下が焼け落ちて、自前のステテコパンツが丸見えになっている。取り巻きに見物していた者たちの笑いが洩れる。
 女は腰に手をあて、鼻で嘆息した。
「喧嘩をするなら相手を選ぶことですわ……もっとも、身に覚えのない喧嘩は迷惑ですけど」
「お、覚えてやがれっ!」
 すっかり物笑いの種になってしまった男術師は、お約束の捨て台詞を吐いて、その場から逃げていった。
「これで懲りたかしら」
 女は、その間抜けな後ろ姿を見送ってから、少女の方を向いた。
「驚いたわ。貴女のような人が止めに入るなんて」
「すみません……なんか騒ぎを大きくしちゃったみたいで」
「そんなことありませんわよ。貴女の勇気にはわたくし、いたく感動しましたわ。……あら」
 女は改めてじっと少女と若者の顔を見ると、もしかして、と口を開いた。
「貴方たち、さっき王様に謁見していた人たちかしら?」
「どうしてそれを?」
「わたくしもお城を見学していたんですけど、特例で順番を早めてもらっている二人がいると、城の兵士に聞いたものですから……」
「それだけですぐに私たちだとわかったんですか?」
「いいえ。実はちょっと気になったので、こっそり謁見の間で覗いていたんですの」
「それは趣味のいいことで」
 若者が皮肉まじりに言う。
「そう言わないで。実はおふたりに耳寄りな情報がありますの」
 女は腰につけた道具袋から古びた紙を取り出した。
「これは、とある宝の場所を示した地図ですの。先ほどのオークションで手に入れたものですけど」
「もしかして、さっきもめていたのはこの地図のことですか?」
「ええ。あの男ったら、わたくしがせっかく苦労して手に入れたものを横取りしようと……ああ、それはもういいですわね。で、用件というのは……」
 女はにこりと笑ってから言う。なんとなく不穏な笑みだ。
「よかったら、この地図の場所を一緒に探索しませんこと?」
「宝探し、ですか?」
「ええ。さすがに一人では辛いと思ってたところでしたの。王様に認められたあなたたちがいれば心強いわ」
「……僕たちは宝探しにつきあっているほど、暇じゃないんだけどなぁ……」
 クロードがぼやいた。
「あら。貴方たちの旅に関するヒントだって見つかるかもしれませんわよ」
「うーん……」
 ふたりは互いに顔を見合わせて、小声で話し合う。
「どうする?」
「どうするって言ってもなぁ。早いとこクリクへ行ったほうがいいんじゃないか」
「でも、ちょっとくらいはいいんじゃないの? あのひとも困っているみたいだし」
「……まあ、いきなりエル大陸ってのも少し抵抗があったしな。腕試しついでに行ってみようか」
「うん」
 意見がまとまると、青い髪の少女は女に向き直る。
「ぜひご一緒させてください」
「さすが。話が分かりますわね♪」
 女はとりわけ明るい声で言うと、さっと畏《かしこ》まって。
「わたくしはセリーヌ・ジュレス。こう見えても一流のトレジャーハンターですわ」
「クロード・C・ケニーです」
「えっと、レナ・ランフォードです」
「さあ、準備ができたらすぐにでも出発しますわよ」
 ふたりの紹介を聞いたのか聞いてないのか、セリーヌは既に軽やかな足取りで歩き出していた。再び顔を見合わせるレナとクロード。
「ところで……宝ってどこにあるの?」
「さあ?」
「………!」
 慌ててセリーヌの後を追う二人。肝心なことを聞き忘れていたのだ。
「セリーヌさん、待ってー!」



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【ひとくち解説】
 第二章開始です。
 ディアスの回想の場面は2005年のときに殆ど書き直してますな。「森のお化け」ってのは……そう、アレのことです。この後もう一回出てきます(笑)
posted by むささび at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年05月08日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第一章(5)

   5 星降る夜の決意 〜アーリア(2)〜

 机の上で、ランプが仄《ほの》かに輝いている。隅に置かれた調度品、壁の風景画、部屋の中のありとあらゆるものが、灯の明かりを受けて、光と闇の対比《コントラスト》を織りなす。
 レナは、その灯をじっと見つめていた。まるで火の精がダンスしているみたいに、灯心は硝子の奥でじりじりと輝いては燻ぶり、また輝く。
 夜の帳と心地よい静寂は、人々を夢と幻想の世界へ誘う舞台でもある。少女はこの舞台の上で幾度となく想いを馳せ、憧れを抱き、そして密かに恋心をも抱いていた。誰にも言えない、まだ見ぬ者への、恋。
 少女は不安だった。事実を知ってしまったあの時から、少女は自らの存在を問いかけ続けてきた。自分はいったい誰なのか。決して答えの出ることのない自問は少女を苦しめ、怯えさせた。人前ではあくまで気丈な振る舞いをみせ、『元気な女の子』を演じていた彼女も、夜の静寂の舞台では憶病で敏感な少女となっていた。
 恋が芽ばえたのはそんな頃だった。自分の存在に不安を覚えた少女が、未だ存在していない『勇者』に恋をするのは、思えばごく自然なことだったのかもしれない。けれどそれは、夜の静寂が創り出す、幻想の舞台での恋物語。現実には決して起こり得ない『恋』のはずだった。
 だが──。
「どうしたの?」
 不意にクロードが声をかけてきた。レナは慌てて目線を上げて返事をする。
「え? なんですか?」
「いや……さっきからずっと、ぼうっとしてたみたいだから」
「あ、そうでしたか?」
「疲れているのなら、家へ帰って休んだ方がいいんじゃないか?」
「大丈夫です。すみません、心配かけて」
 レナは向かい側に座っている彼に軽く微笑してみせた。
 アレンの事件は奇妙な石を破壊することで、誰ひとり犠牲を出すことなく収束した。迷惑をかけた詫びをしたいと引き止めるアレンに、レナはお母さんが心配してるからと断り、クロードとふたりでアーリアへ戻った。ウェスタと無事を喜び合ったあと、ふたりは村長レジスの好意で屋敷に招かれた。夕食を済ませ、今はクロードが事の経緯をレジスに話しているところだった。
「改めてお礼を申し上げねばなりませんな」
 と、レジス。
「一度ならず二度までもレナを救っていただいて……」
「いえ。ともかくレナが無事で、よかったです」
 クロードは昨日に比べると表情も声も明るい。レナもそれには少し安心したようだった。
「しかし結局のところ、今回の事件は何だったのでしょうな」
 ふうっと息をついて、レジスは言った。
「アレンが持っていた奇妙な石。あれは一体何だったのか……」
「彼の話では」
 クロードが答える。
「石を手に入れてから元の姿に戻るまでの間のことを、まったく覚えていないそうです。石に操られていた……不思議な話ですが、本当にそうなのかもしれない」
「石で、魔物になる……」
 レナが徐《おもむろ》に口を開いた。
「まるで、ソーサリーグローブみたい」
 レジスはレナを見た。彼女は相変わらず夢でも見ているかのように、ぼんやりと部屋のどこかを見つめているばかり。
「確かに……そうじゃな。もしかしたら何らかの関係があるのかもしれん」
「ソーサリーグローブ、か」
 そう呟くクロードに、レナは慌てて取り繕う。
「あ、あんまり気にしないでください。ちょっとそんな気がしただけですから」
 しばしの静寂。外では秋の終わりを惜しむ虫の声が部屋の中にまで響きわたる。
「……少し、考えたんです」
 クロードが沈黙を破って、言った。
「この村でも、サルバの街でもソーサリーグローブの噂をたくさん聞きました。そして思ったんです。これはもしかしたら、僕たちの世界に近い存在なんじゃないかって」
「クロードさんの世界では、こういうことがよくあるんですか」
「いや、僕の世界でも不思議なことには変わりないよ。ただ、そう考えることで、ある程度は説明のつく部分もあるんだ」
 クロードはランプを眺めながら、続ける。その表情は昨夜が嘘だったように、落ち着いていた。
「もし、僕が考えた通りだとすれば、元の世界に帰る手段も、そこにあるのかもしれない」
「それでは……」
 目を見開くレジスに、彼は頷いてみせた。
「ソーサリーグローブを、調査したいと思います。勇者としてではなく、僕自身の意思で」
 レナははっとした。彼の姿に、静かに燃える炎のようなものを感じたのは、決してランプの明かりのせいばかりではなかっただろう。
「……ふむ」
 レジスもそれを感じ取ったらしく、髭を弄りながら何度も頷いている。
「我々は大きな勘違いをしていたようじゃな」
「何がですか?」
 クロードが訊くと、レジスはニヤリとした。
「勇者は現れるものではなく、ここから生まれ出づるものだということに」
「え? いやだから、そうじゃ……」
「ふぉっふぉっふぉっ」
 声を上げて笑う老人に、クロードはため息をついた。
「まあ、そういうことであれば、我々も微力ながらお手伝いいたします。旅立ちは明日ですかな?」
「はい。明日の朝、出立しようと思います」
 机の上のランプが、ちりちりと音を立てて光を弱める。レジスは席を立ち、棚に仕舞ってある油の入った器を持ち出し、受け皿に油を注ぎ足した。ランプは再び強く光を放ち始める。
「あの……」
 そのとき、しばらく黙っていたレナが口を開いた。
「クロードさん、私も一緒に行っては、だめですか」
「え?」
 クロードが訊き返す。同時にレジスの顔が険しくなった。
「私もなにかお手伝いしたいんです。迷惑でなければ、ぜひ連れて行ってください」
「別に迷惑じゃないけど……。だいいち、君をそんな危険な目に遭わすわけにはいかないよ」
「それは覚悟してます。どんなに辛くても、決して弱音は吐きません。それに、私も少しなら戦えます。治癒の力もきっと役に立ちます。だから……お願いします」
「そうは言っても……」
 クロードは返答に窮して、助け船を求めてレジスに目を向ける。
「村長様も何か言ってやってください」
 レジスは腕を組んで瞑目したまま動かない。まさかこんなときに寝ているんじゃないかと、クロードがまじまじと顔を覗き込んだとき、ぱっと目が開いた。
「いや……レナの言う通り、連れて行ってはもらえませんか」
「村長様……」
「レナはきっと、あなたの旅の助けになるでしょう」
 頼みの綱のレジスにまで言われてしまい、困ったように頭を掻くクロード。そして、ふうっと嘆息して。
「……わかりました」
 ついに彼も折れた。
「でも、ちゃんとお母さんの了解を得てからだよ。そうでなければ連れて行けないからね」
「はい。ありがとうございます」
 レナは笑った。久しぶりに見せた、ほんとうの笑顔だった。

「最近は随分と冷え込むようになったわい」
 屋敷の扉の前で、レジスが肩をすぼめながら言う。
「レナ、気をつけて帰るんじゃぞ」
「大丈夫ですよ。私の家はすぐそこなんだから」
「ふむ。儂は先に家へ入っておるよ」
 レジスは扉を開けてそそくさと屋敷の中へ入っていく。その場にはクロードとレナだけが残された。
「やっぱり迷惑でしたか? 一緒に行くなんて言って」
 レナはクロードに背を向け、腰の後ろで手を組んだ。
「いや、そんなことはないよ……」
 クロードはその背中を見つめながら答えた。ふと、レナが振り向き、目と目が交錯した。冷たい木枯らしが吹き抜け、クロードの金髪を、レナの青い髪を揺らしていく。
「クロードさん……私……」
 レナが言いかけたとき、屋敷の扉が開き、レジスが顔を出した。
「なんじゃ、まだ帰っておらんかったのか。……ん?」
 咄嗟にお互いそっぽを向くふたりを見て、レジスは訳知り顔で。
「もしかして、お邪魔だったかの?」
「おやすみなさい」
 レナは早口にそう言い置いて、駆け足で家までの小径を走っていった。

「ただいま」
「ああ、おかえりなさい」
 ウェスタは台所で食器の後片づけをしていた。レナはしばらく玄関で躊躇《ちゅうちょ》していたが、覚悟を決めて、母親のところへ歩み寄る。
「お母さん」
「ん、なあに? 夕食なら村長様のところで済ませてきたのでしょう」
「ううん。そうじゃなくて。……あのね」
 一呼吸おいて、レナ。
「クロードさんが、ソーサリーグローブを調べに行ってくれるって」
「あら、そうなの?」
「うん。それでね……私も、一緒に行こうと思うの」
 ウェスタの食器を持つ手がピクッと反応した。眉尻を下げ、震える手で食器をかろうじて流しに置くと、そこにもたれ掛かって喘いだ。
「そんな、なんで……」
 レナは彼女の動揺の意味を理解していた。ウェスタが何を思っているのか、よくわかっていた。それでもレナは敢えて、明るく話しかけた。あたかも旅の予感に胸ときめく、夢見がちな少女のように。
「いくらクロードさんでも、たったひとりじゃ大変だと思うの。土地勘だってないんだし」
「でも、どうして……」
 ウェスタは首を何度も振り、手で顔を覆う。見るからに辛そうな母親の姿に、レナは演技をやめて、下を向いた。
「ごめんなさい、お母さん」
 そして決意を固めて、言った。
「私、私ね……ほんとうは」
 そのとき、玄関の扉が開いた。家に入ってきたのは村長レジス。杖をつき、腰をくの字に曲げてゆっくりと歩いてくる。
「夜分遅く済まない。ウェスタや、少しいいかのう……」
「…………」
 レナは、自分がここにいてはいけないような気がした。いや、ここにずっといれば自分にとっても辛いことになるに違いない。そう直感的に感じ取った。
「……私、外の空気吸ってきます」
 そう言うと、レナはウェスタに背を向け、レジスの横をすり抜けて、家の外へと出ていった。
 冷たい空気が彼女の頬をひんやり撫でる。晩秋のアーリアは、昼間はそれほどではないにせよ、夜になれば吐く息も白くなるくらいに寒くなる。レナは静かに村の小径を歩きだした。虫の声と、川のせせらぎと、そして自分の足音以外は何も聞こえない。
 レナはひとつの旋律を鼻歌で歌い始めた。静寂と不安に押し潰されそうになると、彼女はいつもこの旋律を口ずさむ。誰に教わったわけでもなく、身体が覚えていたメロディ。その神秘的で暖かな旋律は、まるで母の温もりのように感じた。もしかしたらこれは、本当の母親が幼い自分に歌ってくれた、子守唄だったのかもしれない。
 レナの鼻歌が止まった。川に架けられた石造りの橋に、誰かがいる。
「……だめだ、やっぱり距離が離れすぎているんだろうな……」
 それはクロードだった。手に持っている何かを口惜しそうに見つめながら、呟いている。レナが近づくと彼はそれに気づき、さっと手に持っていたものを懐に隠す。
「眠れないんですか?」
「え……うん、まあね。レナもかい?」
 レナはクロードの横に立つと、石橋の手すりに身を乗り出すように寄りかかる。
「私が行くって言ったら、お母さん、すごく驚いてました」
「だろうね。……ダメだって?」
「そうは言いませんでした。それで、そのあと村長様が来て……」
「……そうか」
 レナは空を見上げた。雲ひとつない、澄みきった星空。数多の宝玉を散りばめたように白や赤や黄色に輝く星々は、暗闇の中で美しく、そしてどこか淋しげに煌めいている。
「きれいですね」
「え?」
 レナに言われて、クロードも同じように星空を振り仰ぐ。
「まるで、星の海みたい……」
「……そうだね」
 アレンの事件のときもそうだった。こうして彼のそばにいると、なんだかすごく安心できる。クロードがいるだけで、クロードと話しているだけで、これまで背負ってきた不安がどこかに消えてしまい、偽りの自分を演じようとは思わなくなる。誰にも話したことのなかった、私のほんとうの気持ちを、クロードにだけは知ってもらいたい。そんな気がしてくるのだ。
「クロードさん、私があなたと一緒に行きたいのは、訳があるんです」
 だから、彼女は語った。自分の、本当の気持ちを。
「訳?」
 レナは視線を落とし、橋の下を流れる川に目を遣った。
「私のお母さん、ほんとうのお母さんじゃないんです」
 クロードは怪訝な表情でレナを見る。レナはさらに続けて。
「お母さんや村長様は私が知らないと思っているみたいですけど……前に、二人が話しているのを聞いたことがあるから……」
「そう……なんだ」
 クロードは肩を落とし、レナと同じように足許を流れる川を眺める。
「本当のお母さんを捜したいのかい?」
「できたら、そうしたいと思ってます。けど手がかりは、このペンダントだけですし……」
 レナは服の中から翡翠色のペンダントを取り出してみせた。アレンの石に反応するかのように光っていた飾り石は、今は微かな星の光にちらつく程度に輝いている。
「でも、このペンダントを持たせてくれたということは、少なくとも私を産んだひとは、私を愛してくれていたんだと思うんです」
「今のお母さんはどうなるんだい? 君を愛し、慈しみ、育ててきたウェスタお母さんの気持ちは……」
 クロードがそう言うと、レナは再び星空を見上げる。その表情には安らかな笑みも零れていた。
「私、お母さんのこと、大好き。私のお母さんはたったひとり、ウェスタお母さんだけです」
「だったら、どうして……」
 星は瞬く。冷たく、そして暖かく。レナは星の一群から離れたところで、ぽつりと弱々しく明滅するひとつの星を見つけた。今にも消えてしまいそうな光を絶やすまいと必死に放ち続けるその星に、彼女はどこか、哀しみを覚えた。
「私はいったい誰なのか。それが、知りたいんです」
 空に向かって。あの星に話しかけるように。
「どうして神護の森にいたのか。どうしてこんな耳をして、治癒の力を持っているのか。そして、私を産んでくれたひとは、どこで何をしているのか。それが知りたいんです」
 そこまで言うと、レナはクロードに面と向かって。
「私はあなたと行きます。ここを離れるためではなく、再び戻ってくるために」
 クロードは何も言わず、ただじっとこちらを見つめるばかり。レナはそんなクロードに気がつくと、少しはにかんで言う。
「もう夜も遅いですね。変な話をしてすみませんでした」
「……いや」
「おやすみなさい」
 恥ずかしさをごまかすように早口で言って、レナは家に続く道を走っていった。橋の上にひとり取り残されたクロードは、立ちつくしたままレナの姿を見送る。
 彼らの上で星は瞬く。冷たく、そして暖かく。一面の星空を横切って、星がひとつ、誰にも知られず流れ落ちた。

 翌朝、レジスとウェスタをはじめ、村の者たちが総出でふたりの出立を見送った。アレンの一件からようやく家へ帰ることができた大工のボスマンも、子供たちを引き連れて元気な姿をみせた。
「道中、気をつけるんじゃぞ」
「平気ですよ、クロードさんがいますから」
「ふむ。そうじゃな」
 レジスがクロードに目配せすると、彼は照れながらも頷いてみせた。レジスも満足そうに頷き返す。
「レナ……」
 ウェスタが娘の前に進み出る。
「心配しないで、お母さん。私は必ず戻ってくるから」
 レナはいつもの笑顔で言った。
「『ただいま』を言うために『行ってきます』を言うの」
「ええ、そうね。でも……」
 ウェスタはレナの頬を優しく撫でる。
「もう一度だけ、よく顔を見せて……」
「……お母さん」
 愛しそうに彼女の顔を眺めるウェスタに、レナは瞳を細めて、言った。
「だいじょうぶ。離れていても、お母さんはずっと、私のお母さんだよ。これからも、ずっと」
「……ああ、レナ……!」
 ウェスタはレナを強く抱きしめ、ぽろぽろと涙を零した。レナもそっと背中に腕を回し、そのぬくもりを身体全体で感じた。
「ウェスタ」
 レジスが呼びかけると、彼女はゆっくりとレナを放し、涙を拭った。
「早めにクロスに着いておきたいんじゃろ。もう出発しなくては」
「クロス城の王に会えばいいんですね」
 クロードがレジスに確認した。
「ええ。私の書状を見せれば信用してもらえるはずです。そこで多くの情報も手に入るでしょう」
「クロスの王様なら私も知ってます。優しい方だから、きっと協力してくださいますよ」
 レナは昔に一度だけ、父親に連れられてクロス城に行き、そのとき王にも会ったことがあるのだ。
「じゃあ、行こうか」
 クロードの言葉にレナは頷き、そしてウェスタに向かって。
「行ってきます、お母さん」
「行ってらっしゃい、レナ……」
「クロードさん、レナをよろしくお願いします」
「はい」
 クロードとレナは村人たちに背を向け、歩き出す。門を潜り抜け、村の外へと遠ざかっていくふたつの影を、ウェスタとレジスはいつまでも見つめていた。


 異国の少年と不思議な力を持つ少女は、星の運命《さだめ》に導かれるまま、今ここに出会い、旅立った。
 そしてまた、運命の名のもとに集うべき者が、ここにいた。

 荒れ果てた岩肌の道を、男が黙々と歩いている。細身の体格、風に靡く水色の長い髪。男にしては、どことなく女性めいた風体でもあった。だが、その双眸は、獲物を求める飢えた獣のような鋭さと冷たさを孕んでいた。それだけが、彼が男であり、戦士である証拠であるかのごとく。
 男は周囲に殺気を感じ、立ち止まる。いつの間にか魔物の群れに囲まれていたのだ。斧を持つ大蜥蜴ロバーアクスが四匹、それに半獣人コボルトが三匹。男を牽制するようにじりじりと近づく魔物に対し、彼は顔色ひとつ変えずに言い放つ。
「失せろ。死にたくなければな」
 その言葉を理解したのかしないのか、魔物どもは一斉にいきり立って男に襲いかかる。ロバーアクスの斧が男に届く刹那、彼は真上に跳躍した。
 ──ケイオスソード。
 それはまさに一瞬の出来事だった。男が空中で剣を抜き、すぐさまそれを振り下ろしたかと思うと、魔物どもは剣から発せられた黒い衝撃波に吹き飛ばされた。地面に降りて剣を鞘に納めたときには、既に息をしているものはなかった。
 男は地面に横たわる骸を一瞥する。そして背後を振り返った。彼のいる山の中腹から、つい先程まで滞在していた城下町と城が一望できた。そしてその先には鉱山の街、さらに向こうには小さな村落がおぼろげながらも見える。
(結局、戻ってきてしまったのか)
 男はすぐに向き直り、山道をひとり、歩き始めた。



--
【ひとくち解説】
 今回もセリフ周りをいろいろ弄ってます。特にクロードは自発的な発言をかなり増やしてます。そのへんで彼の心境の変化を読み取ってもらえたらいいかな、と。「レナ視点からのクロード成長物語」というのが、この作品の大テーマでもありますからね。まだまだ未熟な男の子ですが、今後ともよろしくです。
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2008年05月01日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第一章(4)

   4 婚儀 〜サルバ坑道〜

 行けども続く暗闇の通路を、レナは手探りで横壁を確かめながら歩いた。足場は固くざらざらした土と岩が剥きだしで、お世辞にも歩きやすい道とはいえない。足を引っかけて転ばないよう、一歩ずつ、確実に奥へと進んでゆく。
(……?)
 ようやく目も暗闇に慣れてきたというとき、前のほうで何かが動く気配を感じた。暗い上に岩陰が邪魔をしていたためすぐにはわからなかったが、神経を研ぎすませて刮目《かつもく》すると、彼女が立っている数歩先の岩壁に人が蹲《うずくま》っているのが確認できた。レナは駆け寄り、その者の肩を揺すってみる。
「大丈夫ですか? ……あ、あなたは」
 ねじり鉢巻きに薄手の作業服、そして顔の無精髭。レナはその男をよく知っていた。
「ボスマンさん?」
 顔はやつれ服も汚れていたが、間違いなくそれは大工のボスマンだった。アーリアの家では二人の子供が彼の帰りを待っている。
「おや……レナちゃんか……」
 ボスマンは顔を上げ、うっすらと目を開けてレナを見た。そして立ち上がろうとしたが、痛みに顔を歪め、再びその場に座り込む。右膝にかなり深い傷を負っているようだ。出血もひどい。
「動かないでください。いま治しますから」
 レナが傷口に手を翳《かざ》し、口からひとつの呪紋を紡ぎだした。淡い光とともに、みるみる傷が塞がっていく。まだ幼い頃、とある出来事がきっかけで使えるようになった、不思議な力。他のひとには決してない、自分だけが持っている力。
「ありがとう、おかげで楽になったよ」
 ボスマンは今度はしっかりと立ち上がった。
「しかし、どうしてレナちゃんがこんな所に?」
「アレンに連れてこられたんです」
「アレン君に?」
「はい。婚儀を行うからって、強引に……」
「婚儀……ああ、そうか。あれはそのための……」
「どうかしたんですか?」
 レナが訊くと、ボスマンはかぶりを振る。
「私はアレン君に頼まれて、この坑道の奥に祭壇を造っていたんだよ。正直、私も気味が悪かったんだが、前金を受け取ってしまった以上、断るわけにはいかなくてね」
「祭……壇?」
 レナは不吉な予感がした。
「まさかそれって……」
「ああ、おそらく君との婚儀に使うつもりなんだろうな。今のアレン君は危険だ。もはや狂気の沙汰としか思えない。私も祭壇を完成させた途端に、秘密を守るためだと言って襲われた。どうにか逃げ出して、ここまで辿り着くことはできたが……」
 そこまで言うと、ボスマンははっとして背後を振り返る。
「……そうだ。こんなところにいては危ない。そろそろアレン君がここにやって来るはずだ。早く逃げなさい」
「でも、どうしたら……」
「この道はサルバ坑道に続いている。左の道をずっと行けば、坑道の入口に辿り着くはずだ。そこを抜ければ、街に、出られる……」
「ボスマンさん?」
 見ると、ボスマンは再び蹲っている。額に手をあて、苦しそうに顔をしかめる。
「……すまない。少し貧血を起こしているようだ。傷は癒えても、流れた血まで戻るわけじゃないんだな」
「ごめんなさい……」
「いや、レナちゃんが悪いんじゃないよ。それより、君は早く行くんだ。私のことなら心配ない。落ち着いたら屋敷に逃げ込むから。さあ、急いで!」
「……わかりました。ボスマンさんも気をつけて」
 レナはボスマンに別れを告げると、ひとり先に進んだ。
 通路の先が、少しずつ明るくなっていく。壁に据え付けられたランプの灯だ。同時に空気が急に冷えてくる。どうやら坑道に入ったらしい。足許は相変わらずでこぼこしていたが、ランプが道を照らし出してくれるので、随分と歩きやすくはなった。それでも、近くにいるかもしれないアレンに気づかれないよう、慎重に歩を進める。
 ほどなく道はふたつに分かれた。ボスマンに言われた通り左の道を選ぶ。その先の分岐も左に折れる。すると、道の先に白い光が見えた。ランプの灯ではない。それは、陽の光だった。
 やっと出られた!
 レナは嬉しくなって、思わず駆け出してしまった。その姿は坑道内を見張っていた男の目にはっきりと捉えられ。
「おい、待て!」
 レナの心臓が跳ねた。立ち止まって振り返る。最後の分岐のさらに向こうから、アレンの用心棒──アーリアでレナの前に立ちはだかった禿頭の男だ──が、巨体を揺らしてこちらにやって来ている。
「女がいるぞ! 捕まえろ!」
 大男が叫ぶと、坑道の入口からも男たちが駆け寄ってきた。挟みうちだ。レナは咄嗟に横道へと逃げこむ。
「待ちやがれ、こら!」
 怒号を発して男たちも追いかけてくる。レナはがむしゃらに走った。息が切れ、足がもつれて転びそうになるのも構わずに、必死に走り続けた。そして走りながら、軽率な自分を心底恨んだ。
 途中までは気をつけて歩いていた。けれど、出口が見えた途端に浮かれて駆け出してしまった。もしあのときちょっとでも周りを確認していれば、男たちをやり過ごして、うまく逃げられたかもしれなかったのに──!
 どのくらい走ったのだろうか、気がつくと前方に明かりが見えてきた。陽の光とはまた違った、ほのかな橙色の光だ。考えている余裕などない。光の方向へと突き進み、思いきって光に飛び込んだ。
 明るさに目が慣れるのに、しばらく時間がかかった。瞳を細めてその場所を見渡す。かなり広大な空間のようだ。石積みの壁。ずらりと並んだ燈台。部屋そのものがゆらゆらと揺れているように感じるのは、橙色に燃えさかる蝋燭のせいだろうか。部屋の中央には赤い絨毯が真っすぐ道のように敷かれ、その両脇にいくつもの長椅子が整然と置かれている。絨毯の紅の帯を目線で辿っていくと、一段高くなっているところで途切れている。段差の上には奇妙な装飾が施された直方体の石が置いてある。石の棺か、それとも。
「祭壇……?」
「その通り」
 レナは息を呑んで振り返った。
「アレン!」
「さすがは我が花嫁。自ら婚儀の場に足を運ぶとはな」
 アレンがつかつかとレナの前に歩み寄る。レナはその横をすり抜けて逃げようとしたが、アレンに腕を掴まれる。そしてそのまま彼はレナを引きずるように祭壇へと向かっていった。
「いやっ!」
 レナはなんとか振り解こうと抗った。そんな彼女を煩わしく思ったのか、アレンは不意に彼女の腕をひねり上げ。
「騒がしい子猫だ」
 拳で鳩尾《みぞおち》を突いた。鋭い痛みが電撃のように脳天を貫き、たちまち意識が遠のく。ぐったりと倒れこむレナをアレンは両腕で抱きかかえ、祭壇へと登っていく。
「……ついにこの時が来た……」
 レナを祭壇に寝かせて、アレンは冷たく笑った。緑の瞳はいよいよ輝きを増していく。

 次にレナが気がついたのは、祭壇の上だった。ぼんやりと霞んだ視界のまま頭を動かす。仰向けに横たわる自分を前にして、アレンが立っている。レナははっとして祭壇から降りようとするが、手足がなにかに引っかかって動きがとれない。いつの間にか両手両足に鉄の枷《かせ》が填められていたのだ。
「ようやく目覚めたか、花嫁よ」
「あ……」
 レナが喘いだ。もはや彼女は完全に無防備だった。
「大人しくしていろと言ったのに。まったく、聞き分けのないじゃじゃ馬だ」
 憮然とレナを見下ろすアレン。その視線には愛情の欠片《かけら》など微塵もなかった。
 生贄だ。この目は、神に捧げる生贄を見る目だ。
(これが、こんなのが婚儀だっていうの?)
 レナの眼に、大粒の涙が溢れる。悔しいのか、悲しいのか、辛いのか、自分でもわからなかった。口許を歪めて必死に堪えようとするが、堰を切ったように涙は止まらず、蟀谷《こめかみ》を伝って流れ落ちていく。
「怖いのか、レナ?」
 アレンは微笑んだ。だがその笑顔も、まるで吹雪のように冷たかった。
「心配ない。君もすぐにこの石の虜になる。それまでの辛抱だ」
 そう言って、懐から翠色の石を取り出す。そして祭壇の上にそっと掲げると、石は宙に浮いて、不気味な霊気のようなものを放ち始めた。
「お願い……アレン、もう、やめて……」
 レナが声を震わせて哀願する。アレンはそれを鼻で笑い、足許から黒光りする小さな木箱を取り出した。
「────!」
 箱を開けて中から取り出したのは、黄金色に輝く短剣。ぎらりと光る刃の輝きを目にした瞬間、レナの意識は遠のいていく。
(気絶しちゃうのかな、私)
 まだ微かに残る意識の片隅で、レナは思った。
(でも、その方が楽かもしれない。もう、これで苦しまなくて済むから──)
 昏《くら》き場所へと堕ちていく少女。そっと目を閉じ、眠りに就こうとしたその刹那、何かが脳裏をよぎった。
(……え?)
 それは若者。金色の髪を靡かせ、光の剣で少女を救った。彼女の言葉に照れくさそうに笑ってみせた、あの笑顔が目の前に蘇る。
 ──どうしてクロードさんが出てくるんだろう。
 ──もしかして助けに……ううん、来てくれるはずないじゃない。だってクロードさんは……。
 ──でも。
 でも。
 レナは、口ずさんでみた。幼い頃からずっと想い続けていた、その名を。

「勇者様」

 そのとき、光が炸裂した。

「なっ!」
 迸る一条の光を、アレンは身をかがめて躱した。光は背後の岩壁を灼き、溶かした。
「貴様は……」
 アレンは立ち上がり、その者を見た。部屋の中央、紅の絨毯の上に、彼は立っていた。両手で奇妙な武器を構え、油断なくアレンを睨んで。金髪は燈台の明かりに照らされ、まさに燃え立つ炎のごとく輝いている。
「……ああ……」
 レナも首を動かして、その姿を見た。まだ意識は朦朧としていたが、そのことははっきりと理解できた。瞳を細めて微笑む。やっと、やっと来てくれた。
「こんの、クソガキぃっ!」
 突然、部屋の入口からアレンの用心棒たちがなだれ込んできた。クロードは光の武器を仕舞うと、代わりに腰に帯びていた剣を抜いた。襲いかかる男どもに向き直り、そして構える。
「衝裂破!」
 気合いと共にクロードは剣で自分の周囲に弧を描くように振り抜いた。すると剣の軌跡がそのまま衝撃波となって、襲いかかってきた男たちを吹き飛ばした。壁に激しく身体を打ちつけられた男たちはあえなく昏倒する。
「そこで止まれ」
 こちらへ向かってきたクロードに、アレンは短剣をレナの首筋に突きつけながら言った。クロードは階段の手前で立ち止まる。
「お前がアレンか。レナを連れ去って、こんなことをして、いったい何のつもりだ。今すぐ放すんだ!」
「嫌だね」
 アレンは、レナに突きつけていた短剣をクロードの足元に投げつけた。儀式を邪魔され気分を害されたのか、いくらか苛立っているようにも見える。
「今は神聖な婚儀の最中だ。この期に及んで邪魔はしないでもらおう。これから僕らは契りを交わす。ひとつになるんだ」
「婚儀? これが婚儀だって?」
 クロードは顔をしかめた。
「ふざけるな。こんな婚儀があってたまるか。こんな一方的な、おぞましい儀式が……」
「一方的?」
 その言葉に、アレンは過敏に反応した。
「そんな馬鹿な。一方的なんかじゃない。僕らは愛し合っているんだ。……愛し、あって……?」
「…………?」
 アレンの様子に異変が見られた。身体は小刻みに震え、額には脂汗が浮いている。そして、その視線はクロードではなく、レナでもなく、彼女の胸の中心に向けられていた。レナは頭を持ち上げて胸許を見る。そこは仄かに輝いていた。服の中に仕舞いこんだペンダントの飾り石。それが光を放っている。
「愛して……アイ、シテ……アイ……」
 アレンは譫言《うわごと》のように呟く。ペンダントは明滅を繰り返し、それに共鳴するかのように、翠の石も浮遊しつつ光の波紋を生じさせる。
「ぐっ……があぁっ!」
 突如、アレンが猛獣めいた咆哮を上げた。同時に祭壇の上の石がカッと白熱する。そして石から迸った閃光がアレンの身体を貫き、壁際まで吹き飛ばした。
「レナ!」
「クロードさん!」
 アレンが倒れた隙に、クロードは祭壇に駆け寄り、レナの両手両足についていた枷を外す。ちょうどすべて外し終えたところで、空中の石が再び閃光を発した。
「うわっ!」
「きゃっ!」
 飛び散る閃光の衝撃にふたりは弾かれ、床に投げだされる。クロードが片膝をついて祭壇に目を遣ると、そこには右手で顔を覆い、苦しそうに呻くアレンが立っていた。
「ぐ……ぐ……ぐおおぉぉぉぉっ!」
 咆哮が坑道に轟き、天井がびりびりと振動する。そして、それは起こった。
 細くしなやかだった彼の身体がみるみるうちに変色し巨大化していく。高価な服もマントもその大きさに耐えきれず引き裂かれ、そこから筋肉質の腕や肩を覗かせた。黒く隈の浮いた目は吊り上がり、口も耳のあたりまで裂け、まさに猛獣のそれに近い牙が口許から突き出ていた。
「そ……んな……まさか!」
「アレン……!?」
 醜悪な怪物となり果てたアレンは祭壇を乗り越え、二人の前に降り立った。
「レナ、下がっていて」
「クロードさん……」
 レナを背後に隠すように、クロードは怪物の前に進み出た。そして、身構える。
 怪物がクロードに襲いかかった。どっしりした体格のわりに動きは速い。クロードは横ざまに跳んで、充分な間合いを取ってから斬りかかった。怪物の繰り出した右拳は一瞬早く屈んで躱し、中腰のまま素早く懐に潜り込んで怪物の横腹を斬りつけた。そして再び間合いを空けようとしたが、怪物の左腕が思わぬ早さで襲いかかった。クロードは突き飛ばされ、長椅子をいくつか巻き込みながら吹っ飛んだ。
「クロードさん!」
 駆け寄ろうとする彼女を、怪物はぎょろりと睨みつけた。レナの足が竦む。怪物がこちらへと向かってくる。レナはきっと睨み返した。
 私だって……!
 両手を前に突きだして、彼女は唱えた。護身用に覚えた、ひとつの呪紋を。
「プレス!」
 怪物の頭上に巨大な鉄の塊が出現した。それは重力に従って落下し、鈍い音を立て怪物の脳天に命中すると、すぐに幻のようにかき消えた。首の骨がどうかなってしまったのか、怪物は首を横に傾げた状態のまま、ふらふらしている。レナはその隙にクロードの許へ走った。
 長椅子は激突により破砕され、木材の瓦礫と化している。彼はその中から自力で抜け出しているところだった。
「だいじょうぶですか」
「レナ……早く逃げた方がいい……くっ」
 クロードは蹌踉《よろ》めきながらもどうにか立ち上がる。そして、左手で右腕を押さえて呻いた。
「腕、どうしたんですか?」
「大したことない。ちょっと擦りむいただけ……」
「いいから、見せてください」
 レナは無理矢理クロードの左手を引きはがして右腕を見る。そこは不自然なほどに赤く腫れ上がっていた。突き飛ばされたときに長椅子の脚にでも打ちつけたのだろうか。
「ひどい怪我じゃないですか。いま治します」
「え? 治すって……」
 怪訝な顔をするクロードにも構わず、レナは掌を彼の腫れ上がった右腕に翳《かざ》し、囁きかけるように呪紋を唱えた。柔らかな光が右腕に伝わり、徐々に彼の身体全体を包み込む。気がつくと腫れはすっかり癒えて、打撲による全身の痛みも和らいでいた。
「これは……?」
「呪紋ですよ。治癒の」
 不思議そうに自分の身体を見回すクロードに、レナは答えた。
「治癒の呪紋……そんなものが、あるんだ」
「ええ。それよりクロードさん、どうして光の剣を使わないんですか?」
「え? ああ、こいつはもう、使えないんだ」
 不思議な顔をするレナに、クロードは頭を掻いた。
「使えない?」
「うん……なんて言えばいいかな。この武器にはエネルギー……力の源みたいなものが込められていて、それは使っていくと少しずつ減っていくんだ。さっきここで使ったので、その『源』はすっからかんになってしまった。だから、もうこれは武器として使えない」
 使えない。その事実が、レナを不安にさせた。光の剣がなくて、あんな怪物を倒せるのだろうか。
「とりあえず、この剣だけで何とかやってみるさ」
 クロードは瓦礫の下から剣を引っぱり出し、立ち上がった。首を自力で直した怪物が、こちらに向かってきている。
「クロードさん……無理はしないでください」
「ああ。ありがとう」
 レナはクロードから離れた。クロードは再び剣を構える。
 怪物が叫び狂いながら突進してきた。図太い腕を棍棒代わりに叩きつけるが、クロードは背後に跳躍して避ける。怪物の右腕は虚しく地面を砕く。長椅子の瓦礫がさらに粉砕され、あたりに飛び散った。
 怪物はクロードを執拗に追いかけ、拳を、足を、時には頭突きを繰り出したが、クロードもことごとく躱していく。しかしクロードにしても反撃の糸口がつかめない。間合いを取ろうにも怪物はすぐに詰め寄って攻撃を仕掛けてくる。一瞬でもいい、どうにかして相手の動きを止めさせなければ。
 そう考えたとき、クロードの背に何かがぶつかった。壁だ。いつの間にか壁際まで追いつめられていたのだ。だがクロードはこれを幸運とばかりに口許を歪め、背中を壁にぴたりとつけるようにして怪物と向き合った。怪物がクロードの顔面めがけて右拳を突き出す。待っていたとばかりにクロードが横に跳び退くと、怪物の右腕は深々と壁を砕いて突きささる。怪物はすぐ次の攻撃に移ろうとしたが、壁に填った右腕がなかなか抜けない。動きが止まった隙を狙ってクロードは剣を大きく振り上げ、その填り込んだ右腕めがけて振り下ろした。一刀両断、青黒い腕は真っ二つに斬り落とされ……るはずだった。しかし、その丸太のような腕は想像以上に堅かった。刃は僅かに皮膚の表面を傷つけたのみで止まってしまった。
 怪物は怒りの形相でクロードを睨む。そして放心する若者の腹に膝蹴りを喰らわすと、クロードは反吐《へど》を吐いてその場に倒れ込んだ。やっとのことで右腕を抜いた怪物は、地面に蹲《うずくま》るクロードの頭をその大足で踏みつぶす。石畳が割れ、クロードの頭がめり込んでいく。
 この状況に、レナはすかさず呪紋を唱えようとしたが、すぐに思い止まる。今ここでプレスを唱えて鉄の塊を落とせば、その衝撃でクロードの頭をも潰しかねない。
「どうしよう……」
 それでも、どうにかしてクロードを助けなければ。レナは決意して傍らに落ちていた長椅子の脚の破片を拾うと、勇ましく怪物に打ちかかった。だが怪物はうるさい蠅でも振り払うように呆気なくレナを払い退ける。突き飛ばされたレナは背中で床を滑り、祭壇の段差の石に身体を打ちつけて気を失いかけた。
「レナ……!」
 クロードは必死に頭を上げようとするが、怪物も踏みつける足にいっそう力を込める。地面に半ば顔を埋めながら、クロードは声を振り絞って叫んだ。
「逃げろ、レナ! 君だけでも……」
 意識が遠のきかけていたレナは、その声で正気に返った。そして、ふと自分の胸許を見る。ペンダントの飾り石が再び光を放っている。鎖を引っ張って服の中からペンダントを取り出すと、翡翠色の小さな宝石は時の流れそのもののようにゆらゆらと明滅していた。
 この光……どこかで見たような……?
 レナははっとして上を見た。頭上にはアレンが持っていた翠の石があった。宙に浮かび、同じような明滅を繰り返す、あの石が。
 そのとき、レナの脳裏にあることが閃いた。
 ──アレンは、この石のせいでおかしくなった。
 ──もしかしたら、怪物になってしまったのも、この石のせいかもしれない。
 ──それなら……。
 レナは祭壇に両手をかけ、その上によじ登った。彼女の眼前には、まるでこの光景を眺めて悦に入るかのように輝く石がある。
(この石がなくなれば──!)
 意を決して、レナは石を掴んだ。その途端、奇妙な感覚が掌から彼女の身体を駆けめぐり、背筋を震わせる。それでも怯まずしっかり石を握りしめると、祭壇下の床に力いっぱい叩きつけた。少女の細腕では石を完全に砕くことは適わず、地面に激突した石はわずかに角の部分が欠けたに過ぎなかった。
「がっ……ぐわおぉぉぉぉっ!」
 だが、その瞬間、怪物は凄まじい呻き声を上げてその場に蹲った。そして祭壇で茫然とするレナをぎろりと睨むと、醜い顔をさらに憎悪に歪めて突進してくる。レナは祭壇を跳び降りて逃げ出す。しかし、怪物の狂気じみた双眸はしっかりとレナを捕捉し、呪紋を唱えさせる間も与えずに、彼女を祭壇の裏の壁に追い詰めた。
「……っ!」
 左腕の一撃は横に倒れこむようにして躱した。壁が抉られ、岩の破片が飛び散る。起き上がろうする彼女に、怪物は容赦なく拳を突きだした。レナは目を瞑り、身を固くしてすぐに来るだろう衝撃に備えた。
 だが、いつまで待っても衝撃は訪れなかった。そっと眼を開けてみると、目の前の怪物は拳を突きだした体勢のまま、悪趣味な石像のように固まっていた。そうしてすぐに、力という力が抜け落ちたように倒れこむ。怪物の巨体はみるみるうちに縮み、最後には人の姿……元のアレンの姿に戻っていた。
 レナはその場に座り込み、茫然と目の前の青年を眺めた。 ──いったい、何が起きたのだろう。
 気の抜けたように視線を周囲に向けると、祭壇の手前で同様に倒れ込むクロードを見つけた。そこでようやく理解できた。
 彼は剣を床に突き立て、その剣にすがりつくように俯《うつぶ》せになっている。そして突き立てた剣のまわりには、今は黒っぽく変色した翠の石の破片が散らばっていた。
 怪物がレナに襲いかかるより一瞬早く、クロードが剣で石を砕いたのだ。
 レナはすぐにクロードのところへ駆け寄り、仰向けにして治療を始めた。
「情けないよな、ほんとに」
 眩しいように薄く眼を開けて、クロードが言う。レナは治療を続けたまま。
「何とかするって大見得きったのに、このザマだ。君にも助けてもらっちゃって……情けないよ」
「…………」
 治療を終えると、レナは俯いた。
「これでわかったろ? 僕は勇者じゃない。こんな情けない奴が勇者なわけがない。僕には、これが精一杯なんだ」
「そんなことありません」
 膝に置いた手を握りしめて、レナは言った。
「情けなくなんかない。クロードさんは、私を助けてくれました。お話の中の勇者様みたいに」
「レナ……」
 クロードはレナを見た。前髪に隠れて表情はわからない。三日月の髪飾りばかりが、小刻みに揺れている。泣いているのかもしれない。
「私は信じてます。あなたは勇者様です。強くて、優しくって勇敢で……。誰もそう思わなくたって、私はずっと信じてます。それは絶対、ぜったいなんだから……」
 揺らめく炎が照らし出す小さな影を、クロードは無言で見つめていた。



--
【ひとくち解説】
 最後のレナのセリフ、別のゲームが混ざっているような……まァいいか。
 バトルシーン書くのは好きです。昔はよく部屋ン中で定規を剣代わりに振り回して、アクションの研究してました。さすがに今はそんなコトやりませんけど(;´Д`)
posted by むささび at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年04月24日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第一章(3)

   3 豹変 〜サルバ〜

 朝起きるとすぐに、レナは神護の森へ向かった。今日ばかりはウェスタも咎めなかった。
 早朝ということもあって、外にはまだ誰の姿もなかった。あちこちの家の煙突から煙が出ているのを見ると、まだ朝食の準備の最中といったところか。レナは一気に村を駆け抜けて、森の中へと入っていく。
 森はまだ少し霧がかかっていて、昼間よりも薄暗い。道に降り積もった落ち葉や木の幹にこびりついている苔は朝露でちらちらと燻《くすぶ》るように輝いている。小鳥や虫たちの鳴き声は昼にもまして一層盛んだ。彼女にはそれが自分を元気づけてくれているようにも感じた。
 森の奥、クロードに助けてもらった場所のさらに進んだところにある、いつもの大樹の前に立つ。
 ──私は……どうしたかったのかな。
 レナはその場に立ちすくんで、右手で目の前の幹に触れてみた。幹の表面は苔むして湿っぽく、ひんやりとした感触が指に伝わってきた。
 昨日はほんとうに、色々あった。けれど結局のところ、私は何がしたかったのだろう? 自分の身勝手な思い込みで一方的にクロードを勇者だと決めつけて、その結果、クロードを、そして自分自身をも傷つけてしまった。
 しかも彼女は、未だにクロードが勇者でないとは信じていない。自分を助けてくれたときの彼は紛れもなく、彼女が幼い頃から想い描いていた『勇者様』そのものだったのだ。
 だが、彼は否定した。
 勇者であることを頑《かたく》なに否定するクロードと、勇者だと信じ込んでしまったレナ。このすれ違いはどうして生じてしまったのだろうか。やりきれない思いがレナの裡《うち》を駆け巡る。
(お父さん……私、どうすればいいのかな……)
 落ち込んだときにはいつも父親の所へ行った。困ったときはいつも父親に相談した。村の意地悪な少年たちと喧嘩して、泣いて帰ってきたときにも慰めてくれた。優しかったお父さん。そばにいるとなぜか安心できた。けど、今はもういない。こんな自分を慰め、励ましてくれるたったひとりの父親は、すでに空の向こうへと旅立ってしまった。
 そういえば、あのときだった。私が本当のことを知ってしまったのは──。


 少女は泣いていた。自分の部屋の机に突っ伏して、声を出さずにひっそりと。机の上は涙でぐっしょりと濡れていた。時々しゃくり上げる音だけが部屋に響きわたる。
「では、私はどうすればいいんですか!」
「そんなに大声を出すでない。レナに聞かれたらどうするんじゃ」
 下の階で、母親が誰かと口論している。レナは頭を起こし袖で顔を拭うと、立ち上がって気づかれないよう静かに扉へと向かう。
「レナなら泣き疲れて上で寝ています! ああ、可哀想に。あの子も突然のことで、どうしたらいいかわからないんだわ」
「とにかく落ち着きなさい。母親のお前がしっかりしなければ、レナだって混乱してしまう」
 相手はどうやら村長のレジスのようだ。レナは扉を開け、廊下に出る。
「落ち着く? こんなときにどうやって落ち着けって言うんですか? あのひとが……ダレンが死んだんですよ! ああ、もう、どうしてこんな……」
「ウェスタ……」
 しばらくウェスタの啜り泣く声が続いた。レナは少しずつ階段に近づく。
「……私は……あのことをひとりで言わないといけなくなってしまった……」
レナの歩みが止まった。ちょうど階段の手前で。
「村長様、やっぱりあの子に告げなくてはならないのでしょうか。こんな、残酷なこと……! あの子にとっても、私にとっても、こんな酷いことを」
 ──酷いこと?
 レナの胸が早鐘をうつ。そして、次の言葉を待った。粘りつくような、長い時間だった。
「……言えない。そんなこと、絶対に。あの子は私たちの子供です! たとえ血が繋がっていなくたって、私たちは親子です! 昔も、今も、これからもずっと!」
 ウェスタの声が頭に響く。少女には、その意味がうまく呑み込めなかった。彼女の中にある何かが、無意識にそれを拒否している。
 血が、つながって、いない──?
「あんなペンダントなんて、さっさと棄ててしまえばよかった! なにが本当の親よ! あの子をほっぽり出して、辛い思いさせて……そんなの親なんかじゃない。ダレンが止めなければ、あんなこと言い出さなければ、あんなもの、とっくに棄てていたのに……」
 目眩がして、レナは背後によろめいた。背中が壁にぶつかると、膝ががくりと折れてその場にへたり込む。頭の中が真っ白になり、視線はぼうっと天井の一点に向けられている。もがくように左手を胸にあてると、そこには翡翠色の飾りがあった。常に身につけておくようにと、ダレンに言われていたペンダント。
 ──それは特別な『お守り』なんだ。
 父親の言葉が蘇る。けど、本当は──?
「……ウェスタや」
 階下から、レジスの声が聞こえた。
「覚えておるか、あの日のことを。……うむ、忘れるはずもないか」
 そして、蕩々と語り始める。
「お前とダレンが神護の森からあの子を連れてきたときは、ほんに驚いた。こんな辺境の村に子を捨てに来る親なんて、聞いたこともなかったからの。しかもあの子は既に歩けて、ことばも多少は話せた。レナという自分の名も言うことができた。これは捨て子ではない、何らかの事情で親から引き離されたのだと、儂らは確信した」
 胸の飾り石を握りしめたまま、レナは村長の話を聞いていた。天井を見つめていた瞳から、不意に、涙がひとつぶ零れた。
「お前さんは、この子を娘として育てたいと申し出た。儂も異存はなかった。じゃが、ダレンは迷っていた。あやつはレナの首に下がっていたペンダントを見つけて、言った。この子は深い親の愛情に包まれている、これがある限り、この子と親を引き離すことはできない、と。それならばと、お前はペンダントを外して棄てようとした。これが無くなれば自分が親になれる。お前さんはそう考えたんじゃな。だがダレンはそれを止めた。──ウェスタ、それはいけない。そんなことをしたら、この子と親の絆を冒涜することになる」

『ウェスタ、僕はこの子を育てようと思う。君と一緒にね。けど、ひとつだけ覚えておいてほしいことがある。それは、僕らは決して本当の親になることはできない、ということだ。……この石を握っているとね、感じるんだ。この子と親を結びつける、深く強い絆を。これは断ち切れない、断ち切ってはいけないものだ。いつかこの子が成長して、事実を受け止め、耐えられるような歳になったら、僕らは本当のことを話さなくてはならない。それはお互い、とても辛いことだ。でも、それでも、この子の親の想いに報いるために、そうしなくてはならない。それが、この子を育てようとする僕らの、大事な義務なんだ』

「……ダレンは、『その日』が来るのを覚悟していた。その覚悟を、今度はお前さんが継がなければならない。ダレンがどんな想いでレナを育てていたのか、お前は知っているじゃろう。それをふいにしないためにも……」
「……村長様」
 ウェスタが言う。いくぶん落ち着きを取り戻したようだ。
「私、恐いんです。あの子がいなくなってしまうのが。私があの子の『親』でなくなってしまうのが。事実を話したら、あの子は私を親と思わなくなるかもしれない。私を『お母さん』って呼んでくれなくなるかもしれない。そして、本当の親を捜しに、家を出ていってしまうかもしれない。そうなったら、私はひとりぼっちになってしまう。ダレンを失い、あの子まで失ったら、私は……」
「……それが、あの子の選んだ道ならば、受け入れなければならないじゃろう」
 押し殺した声で、レジスが言った。そして続ける。
「じゃがな、ウェスタ。あの子と親の絆が断ち切れないように、お前とレナの絆も、決して断ち切れるものではないのじゃよ。あの子は優しく、そして賢い。きっと正しい道を選んでくれるじゃろう。だから、儂らも……信じてみようではないか」
 ウェスタは嗚咽を上げる。レナも泣いていた。頬に伝った涙は顎の先で雫となって、胸元の飾り石に、ぽとりと落ちた。


 ──私は、いったい誰なの?
 ──どうして、この森にいたの?
 ──私はこれから、どうしたらいいの?
 ──教えて……お父さん……。

 落ち葉を踏みしだく足音を聞いて、レナは振り返った。黄金色の髪を揺らして、クロードが歩いてくる。
「あ……クロードさん」
「おはよう」
 彼は微笑まじりに言った。レナには、その笑顔も無理に作っているように見えた。
「おはようございます」
 レナはか細い声で挨拶する。あまりにも弱々しく、取り澄ました声色だったので、それが自分の声だとは思えなかった。クロードと向かい合ってはいるものの、その顔を見ることはできない。
「なんだか……元気ないね」
「そんなこと、ないですよ」
 空元気を出してそう応えたものの、やはり表情は冴えない。レナは所在なげに、再び下を向く。
「昨日はすみませんでした。勝手に大騒ぎしてしまって……」
「いいよ、気にしなくても。自分でも怪しい奴だとは思うし、話を聞いたら間違えられても仕方ないかなって思った」
 クロードは自嘲ぎみにそう話した。レナにはそれがかえって痛々しく感じてしまう。
 ──やっぱり、あなたは勇者様じゃないの?
 喉の奥までこみ上げてきた言葉を呑み込んだ。ついには堪えきれなくなって、彼に背を向ける。
「私、小さい頃からずっと、勇者様の話を聞いて育ったんです」
 レナは心の動揺を悟られまいと、懸命に言葉を繋いだ。
「困ったことがあるとすぐに駆けつけて、さっと解決して、またどこかへ去っていく、勇者様のものがたり。今思うと子供じみた話だったけど、それでも私はずっと信じてた。だから、ソーサリーグローブのせいでみんな困っている今こそ、絶対に勇者さまが現れるんだって、思ってたんです。そんなときに、クロードさんが現れたものだから……」
「……そう」

 クロードは力なく笑った。
「勇者じゃなくて、ごめんね」
「そんな、いいんです。私が勝手に勘違いしただけですから。こちらこそ気まずい思いをさせてしまって、すみませんでした」
 ぺこりと謝る少女に、クロードは首を横に振る。
「いや、もういいんだよ、そのことは。それより、僕はそろそろ村を発とうと思うんだ」
「え?」
 レナが目を丸くする。クロードはなぜか照れくさそうに俯いて。
「うん……。ずっとこの村にいても仕方ないからね。ここから北の、サルバ、だっけ? そこはわりと大きな街みたいだから、もしかしたら地球……元の場所に戻るための手がかりがあるかもしれない」
「あ……そっか。クロードさんは、ここに飛ばされてきたんでしたっけね」
「飛ばされたっていうか……うん、まあ、事故なんだけど……。まあいいや。とにかく僕はサルバに行こうと思う。けど、その前に君に会っておきたくてさ。君のお母さんに聞いたら、ここだっていうから」
「そう、ですか……」
 レナは瞳を細めて、クロードに微笑みかけた。痛々しいくらいに、健気な笑顔だった。
「早く帰れるといいですね。元の場所に」
「……うん」
 クロードはまだ何か言いたそうにレナを見つめていたが、諦めて、右手を上げる。
「それじゃ……」
「さよなら、クロードさん」
 クロードは背中を向けて、森の入口へと歩いていった。
(……ごめんなさい)
 樹の幹の向こうへと消えゆくその姿を見送りながら、レナは心の中で何度も謝った。
(ごめんなさい、クロードさん。でも……)
 私は、あなたが勇者であってほしかった。
 嘘でもいいから、自分は勇者であると言ってほしかった。
 乾いた風が森を吹き抜ける。気がつくと霧はとうに晴れて、青々と繁る木の葉の隙間からは陽の光が斜めに射し込んでいた。
(そろそろ帰ろう。お母さんも心配してるかもしれないし……)

 その男は、森の入口で彼女を待っていた。
「やあ、レナ、久しぶりだね」
 声を聞くまで誰だかわからなかった。黒い布で裏打ちした真っ赤なマント、おびただしい装飾品をつけた詰め襟の服。両手の指には大きな宝石のついた指輪がいくつも填められており、革のブーツは不気味にてらてらと黒光りしている。
「アレン……?」
 レナは訝しげに彼を見た。それはサルバのアレンだった。町長であり鉱山主でもあるバーンズ・タックス氏の一人息子。彼は数年前にレナを見初めて以来、こうして度々アーリアを訪ねてレナにプロポーズしては、彼女ににべもなく断られ続けているのだ。
 だが……。
「あなた、一体どうしたの?」
「どうしたって、何が?」
「なにがって……」
 レナは、こんな格好をしたアレンを見たことがなかった。以前、ここまで仰々しくはないにせよ、アレンが貴族のような正装で村に来たとき、レナはうっかり、そんな格好をしてくる人とはつき合えないと言ってしまったのだ。もちろんそれは求婚を断るための口実だったのだが、それ以来アレンはできるだけ簡素な衣装で村を訪れるようになった。
 それが、どうして急にこんな姿で来たのだろうか?
「どう、レナ、元気にしてたかい?」
 アレンはいつもの口調で訊いてくる。彼女の視線など、まるで気にする素振りもない。
「う、うん……」
 不安を隠しきれないレナ。対してアレンは口許をつり上げ、自信たっぷりに話しかける。服もそうだが、こんな表情をするアレンも初めて見る。
「そうか、それはよかった……フッ」
 アレンは漆黒の前髪を大儀そうに掻き上げる。その瞬間、彼の眼がわずかに緑色に光ったような気がした。
「今日は君に素晴らしいニュースがあるんだ。聞いてくれるね?」
「ニュース?」
「そうだ。喜んでくれ、ついに準備が整ったんだ」
 両手を横に広げ、まるで神の啓示でも受けるような仕種をして、彼は言った。
「レナ、君は僕と夫婦《めおと》の契りを交わす。僕らは結ばれるんだ」
「……は?」
 あまりにも唐突な言葉に、レナは驚きを通り越して、唖然とした。それから遅れて、怒りが沸々とわき上がってくる。
「婚儀はこちらで執り行う。そのための準備も全て整った。後は君を迎え入れるばかり……」
「ふざけないで! なにが婚儀よ。私はあなたとはつき合えないって、何度も言ってるでしょ!」
「つき合う? ハハ、何を言っているんだ」
 アレンは理解できないというふうに、首を何度も振った。
「そんな下らないステップは必要ない。そんなものなくたって、僕らは結ばれ、ひとつになれる。そうすることが君のためであり、僕の力を高めるためでもあるんだ。さあ、レナ……」
「いい加減にして! そんなに結婚がしたいなら、そのへんの馬でも相手にして勝手にやってなさい!」
 そう激高して立ち去ろうとするレナを、アレンは腕を掴んで引き止めた。
「待つんだ、レナ」
「放し……痛っ!」
 腕を振って振り解こうとしたが、予想外の力で締めつけられて、逆に悲鳴を上げる。
「痛い目に遭いたくなければ、大人しく来るんだ。僕も君を傷つけたくはない」
「ア、レン……?」
 レナは怯えた目で彼を見た。
「本気、なの?」
「ああ、本気だとも」
 このとき、レナは初めてアレンに恐怖を覚えた。そこには、素朴で気の弱い彼とはまるで別人の、邪悪に満ちた笑顔があった。背筋が凍りつき、膝が震えだす。
「いやあぁっ!」
 レナはアレンを突き飛ばすと、言うことのきかない足を叱咤して村へと駆けだした。村へ行けば誰かがいる。誰かに助けを求めれば……そう思った刹那、目の前にぬっと大きな人影が立ちはだかった。頭の禿げあがった、筋骨隆々の巨漢だ。自分を助けてくれそうな人間にはとても見えない。大男にたじろいでいると、背後からも男が数人駆け寄ってきて、レナを羽交い締めにする。
「傷物にはするなよ。大事な花嫁なんだからな」
「いやっ! 放して!」
 レナは必死に振り解こうともがくが、少女ひとりで屈強の男どもに抗えるはずもなかった。それでもなんとかアレンを見据えて、叫ぶ。
「一体どうしちゃったの、アレン!」
「大丈夫……心配しないで」
 アレンはそう言って、怯えきったレナの顔に顔を近づけた。そして指で彼女の顎を杓《しゃく》るように持ち上げ、いかにも満足そうに彼女を眺める。
 このとき、レナははっきりと見てとることができた。彼の双眸が、鈍く緑色に輝いているのを。そのあまりの凄まじさ、恐ろしさに彼女は戦慄した。
「じきに君は、僕なしではいられなくなる。石が、そう言っている」
 ──石?
「連れて行け」
 アレンの命令で、男たちはレナを抱え込んだまま村へと入っていく。彼女に、もはや抵抗する術は残されていなかった。

 村の門には、騒ぎを聞いて駆けつけたレジスとウェスタをはじめ、多くの村の者たちが集まっていた。アレンを先頭に、一行がこちらに歩いてくる。レジスとウェスタはその前に立ちはだかるように進み出た。アレンは立ち止まる。
「レジス村長に母君か。何か僕に用でも?」
 見下すように二人を睨みつけるアレン。背後には、男たちに囲まれるようにして囚われているレナの姿があった。
「レナ!」
 ウェスタは悲鳴のような声をあげた。
「アレン……これは一体、何の真似じゃ」
 レジスは杖の先をアレンに突きつけて、目を見開いた。
「レナが怖がっておるではないか。今すぐ放しなさい」
「それはできない相談だな。僕はレナを連れて行かなくてはならない。婚儀のためにね」
 微塵も表情を変えることもなく、アレンは言い放つ。
「さあ、通行の邪魔だ、そこを退け。貴方たちに用はない」
「アレン……何があった? ぬしはこんなことをしでかす男ではなかったはずじゃ」
 レジスの問いかけに、アレンは首を振って前髪を払いのけ、そしてフッと笑った。
「そう。以前の僕なら、こんなことはしなかっただろう。けど僕は変わった。気づいたんだよ。ちまちまと村を訪ねてアプローチしているだけでは、レナを手に入れることなど到底適わないってね。だから、こういう手段をとった」
「あなた、自分の言ってることがわかってるの?」
「失敬なことを仰るな、母君も。案ぜずとも貴女の娘は、僕が幸せにしますよ」
 その言葉に、ウェスタの顔色がみるみる変わる。そして突然、アレンに詰め寄った。
「レナを放しなさいっ!」
「!」
 アレンは縋りつく彼女を、まるで汚らわしいものを払うように突き飛ばした。ウェスタは地面に投げ出され、激しく噎せる。
「お母さん!」
 レナは母親の許へ駆け寄ろうとしたが、男たちに無言のまま押し戻される。
「もう一度言う。そこを退け。さもないと、取り返しのつかないことになるぞ」
 アレンは口を曲げ、悪魔的な笑みを浮かべた。
「こんなちっぽけな村、僕の力を以てすれば潰すのは訳ない。なんなら一夜で廃墟にしてやってもいいんだぞ。……フッ」
 村人たちは一瞬にして凍りつく。レジスは杖を持つ手を震わせ、ウェスタは青ざめた。
 レナは唇を噛んだ。みんな怯えている。当然だ。私も怖い。自分のことよりも、今この場で何をしでかすかわからない、アレンが。私のせいで、お母さんや村長様が、村のみんなが傷つくかもしれない。……ううん、きっと、それだけじゃ済まない。もっと酷い……もしかしたら、想像もしたくないような恐ろしいことが起きてしまうかもしれない。
 ──…………。
 レナは決意した。そして、震える声を精一杯励まして、言った。
「村長様、私は平気です。だから……行かせてください」
「ぬう……だがしかし……」
 苦渋の表情を浮かべたまま、立ちつくすレジス。
「駄目よ、レナ! アレンお願い、レナを返して……」
「お母さん」
 悲痛に訴える母親に、レナは首を横に振った。
「もういいよ、ありがとう。私のことなら心配しないで。必ず戻ってくるから」
 そう言って微笑む娘の姿に、ウェスタは堪えきれずに涙を零した。
「村長様。お願いします」

「……むう……」
 レナの固い意志に気押されるようにして、レジスは横に退いた。そして苦々しげにアレンを見つめる。
「ふん。最初から大人しくそうしていればいいんだ」
 アレンは村の者を一瞥すると、開けられた道を歩きだした。背後の男たち、そしてレナも後に続く。
「レナ……」
 背後でウェスタが呻くのが聞こえたが、振り返ることはしなかった。振り返ったら、気持ちが挫《くじ》けてしまいそうだから。こみ上げてくるものを必死に堪えながら、レナは門を潜り、サルバへと続く道を歩いていった。

「入るんだ」
 アレンに乱暴に振り払われ、レナはよろめきながら部屋に入った。
 町長バーンズ・タックス氏の屋敷は、サルバ鉱山の麓、坑道の脇に建っている。レナはその屋敷の一室に通された。
 絹天の幕が張りめぐらされた豪奢なベッドが部屋の左半分を占め、その傍らには花瓶と水差しを置く台があるのみ。硝子窓には頑丈そうな鉄格子が縦横に填め込まれている。
「さて。僕はまだ少し、やることがある。それまでこの部屋で大人しくしているんだ」
 その妖しく輝く眼で、レナを見据えて言う。
「間違っても、逃げようなんて気を起こさないことだ。……まあ、無理だとは思うがな」
 アレンは扉を閉めて部屋を出てゆく。靴音が遠ざかり、やがて消えた。
 レナは若草模様のシーツが張ってあるベッドに腰かけ、ほうっと息をつく。
 その瞬間、不意に緊張の糸が緩んだのか、急に目許から涙が溢れてきた。慌てて天井を向いて、高ぶる感情を再び心の奥に追いやる。
(だめだ。まだ早い。こんなところで泣いている場合じゃないんだ)
 泣くな、泣くなと自分自身に繰り返し言い聞かせて、やっとのことで落ち着きを取り戻した。
(……よし。まずは、ここから逃げ出さないと……)
 レナは立ち上がり、扉の前へ歩み寄る。取っ手を掴んで回してみると、なんとドアが開いた。鍵をかけ忘れたのか、それともよほど逃げられない自信があるのか。
 ……バカにしないでよ!
 レナは意を決して扉を開け、周囲を窺おうと顔だけ外に出した。するといきなり目の前にぬっと人影が現れた。
「おや」
「きゃっ!」
 レナは思わず悲鳴を上げてその場に尻餅をつく。そして膝を引きずりながら慌てて部屋に戻ろうとしたが。
「ああ、大丈夫です。私は害をなす者ではありません」
「え?」
 振り返ってみると、その者は片手に湯気の立つカップを乗せたトレイを持っている。白髪まじりの髪を短くこざっぱりと切りそろえ、口髭もきっちり左右対称になるよう整えられている。
「レナ様に、お茶でもと思いまして」
「あ……あなたは」
「私は旦那様……バーンズ様の執事です」
 レナには見覚えがあった。ずっと前に一度だけ、アレンと一緒に村に来ていたことがあったから。

「申し訳ございません、レナ様。坊ちゃんがあのようなことを……」
 執事は深々と頭を下げる。
「執事さん……アレンは、どうしてあんなふうになってしまったんですか?」
 レナが訊くと、執事は面目ないというふうにかぶりを振った。
「私にもわかりません。ただ……思い当たる節も、なくはないのです。かれこれ二週間前になりますか、この家の庭に小さな隕石が落ちまして」
「隕石?」
「ええ。私もちらっと拝見しましたが、このくらいの大きさ(と、両手で大きさを示す)の、鈍く光る緑色の石でした。もしかしたら貴重なものかもしれないということで、留守の旦那様の代わりに坊ちゃんが保管することになったのですが……。今にして思えば、それからではないでしょうか。坊ちゃんが変わってしまわれたのは」
 ──鈍く光る? 緑色に?
 レナが真っ先に思い浮かべたのは、アレンのあの瞳。
 アレンの豹変には、その石が関係しているのだろうか?
「あの、この屋敷から抜け出すことはできますか?」
「申し訳ございません。逃がしてさしあげたいのは山々ですが、屋敷の鍵はすべて坊ちゃんが保管しているので、私ではどうにもできないのです」
「じゃあ、窓とか、他の出口は?」
「窓には全て格子が填め込まれているので、ガラスを割っても抜け出ることはできません。他の出口は、私の存ずる限りでは無かったと思います。……いや、そういえば」
 と、執事は顎に手をやって考え込む。
「なんですか?」
「いえ、坊ちゃんはこの頃、よく書斎に隠《こも》ってらっしゃるのですが、それが半日近くも出てこないことが度々ありまして。内側から鍵がかかっているので中を覗いたことはないのですが、部屋の前を通りかかっても、どうも中に人のいる気配がしないのです」
「気配が、しない?」
「はい。一度ノックをしたこともありましたが、返事はありませんでした。眠ってらっしゃるのかなと思い、そのときはあまり気にも留めなかったのですが……あ、そうそう」
 執事はポンと手を打って、付け加える。
「これは屋敷の小間使いから聞いたのですが、書斎の掃除をする際、アレン様に『部屋の隅にある銅像には触るな』と念入りに注意されたそうです。もしかしたら、これも何か関係があるのかもしれません」
 レナは考える。
 アレンは「婚儀の準備が整った」と言った。ということは、ここ数日は婚儀の「準備」をしていたということになる。けれど、執事によると、彼はここ数日書斎に隠りきりだったという。書斎の中だけで婚儀の準備ができるとは、到底考えられない。だとすると……。
「あの、ちょっと書斎を見てみたいんですけど、いいですか?」
「ええ、構いませんよ。私がご案内します」
「いえ、執事さんはここにいてください。私と一緒にいるのをアレンに見られたりしたら、執事さんもまずいでしょう? 私はひとりで大丈夫ですから」
「確かに、そうかもしれませんな……お心遣い痛み入ります。書斎は廊下をまっすぐ行って、突き当たりの部屋です」
「わかりました。……あ、お茶、ありがとうございました。美味しかったです」
「どういたしまして」
 執事に軽く会釈すると、レナは部屋を出て廊下を走った。アレンはいつ帰ってくるかわからない。とにかく急がなければ。
 突き当たりの扉を開けて、書斎の中へと足を踏み入れる。部屋は思ったほど広くなかった。天井までぎっしりと本の詰まった書棚ひとつに簡素な机と椅子、それに悪魔のような生き物をかたどった銅像。それが、その部屋のすべてだった。
「銅像って、これかしら」
 壁際にあった像に歩み寄り、禿げ上がった頭を念入りに撫でる。後頭部のあたりで手応えがあった。覗き込むと、項《うなじ》のやや上の部分に、スイッチのような突起を見つけた。
「これだわ!」
 レナはスイッチを押した。部屋全体が小刻みに震えだす。そして、地鳴りのような音とともに、横の書棚が壁に沿って動いていく。
「あ……」
 書棚の置いてあった位置の壁に、ぽっかり穴が空いている。人ひとりが入るには充分な大きさの穴だ。書棚の動きが完全に止まったのを確認すると、レナはそっと中を覗いてみた。足許はきれいに整備された下り階段が続き、その先は薄闇の地下道になっているようだ。
 ──隠し通路。
 思った通り、アレンはここから屋敷を抜け出していたのだ。そして、この先には……。
(……行くしかないよね)
 レナは躊躇《ためら》ったが、他に逃げ道はない。ここはいちかばちか、この通路に賭けてみるより他はなかった。
(お父さん……私を、見守っていてね)
 胸のペンダントを強く握りしめると、覚悟を決めて暗い階段を降りていく。彼女の手の中で、ペンダントは微かに光を放っていた。



--
【ひとくち解説】
 レナが「馬とでも結婚してなさい」ってアレンを罵倒するセリフは、最初はもっと下品な言い回しで書いてました。さすがにちょっとレナのイメージを壊しかねないと思ってマイルドな感じに直したんですが……現状でも結構下品ですかね(;´Д`)
posted by むささび at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2

2008年04月17日

小説 STAR OCEAN 2 〜 エクスペル編 第一章(2)

   2 伝説 〜アーリア〜

「旅の方なんですか?」
「うん……まあ、そんな感じかな」
 クロードは曖昧に返事をした。
 二人は村へと続く小径を歩いていた。小さな橋を渡った先には、質素な造りの家並みが見えている。
「どこからいらっしゃったんですか?」
 レナがそう訊くと、クロードは少し困ったように言葉を詰まらせて。
「地球……から、なんだ」
「チキュウ? どこですか、そこ」
「そうだね。なんて言ったらいいのかな。……遠いところだよ。ここからは、多分、ものすごく……」
 クロードの言葉はどうにもはっきりしない。その口調は何かを隠しているようにレナは感じたが、これ以上は深く訊ねないことにした。
「遠いところ、ですか。大変ですね」
「あ、いや、そうでもないんだけど……」

 レナが『彼氏』を連れて歩いているという噂は、狭いアーリアに瞬く間に広まった。なにしろ、サルバの町長で鉱山主でもあるバーンズの一人息子アレン──容姿端麗ともっぱらの評判である──の求婚《プロポーズ》を断り続けてきた彼女だ。どんな男があの面食い娘の心を射止めたのかと、村の若い女性たちはレナへの嫉妬も含めて、二人の冷やかしに我先へと急ぐ。おかげで、この小さな村ではちょっとした騒ぎにまでなってしまった。
「ちょっとぉ、あれがレナの彼氏?」
「なかなかいい男じゃない」
「そうかしら? なんだか頼りなさそうだけど」
「あれじゃあ、レナに尻に敷かれるのがオチね」
「アレン様の方がカッコイイよね〜」
「あ〜あ。どうしてレナばっかりモテるのかしら」
 周囲の妙な視線にクロードは生きた心地がしなかった。顔はおろか耳まで真っ赤で、視線は落ち着かずにほうぼうを彷徨う。レナも誤解とはいえ、あまりいい気持ちはしなかったので、足早に自分の家へと向かう。
「ちょっとぉ、家に行くみたいよ」
「親に紹介するのよ。『これでふたりはステディな関係ね』みたいな」
「今夜、家に泊めるのかしら? キャーッ! レナったら大胆」
 言わせたままにしておくのも腹が立つので、レナはその女性たちをキッと一睨みしてから、扉を開けて家へ入った。もっとも、それで誤解が解けるというわけでもないのだが。
 さて、レナに「家の中を片づけてくるので、少しの間、外で待っていてもらえますか?」と言われ、その通りに家の外で待つことになったクロード。彼だけはもうしばらく、彼女たちの冷やかしに耐えねばならなかった。

「ただいま」
 レナは家に入るとすぐにウェスタのところに駆け寄った。
「あら、早かったのね。どうしたの? そんなに慌てて」
「お母さん、大変なことが起きたの」
「何よ、大げさねぇ」
「大げさなんかじゃないのよ」
 レナは自分を落ち着かせるように少し間を置いてから、言った。
「現れたのよ、勇者様が!」
「え?」
 ウェスタはその言葉をうまく呑み込めずに、首を傾げる。もどかしいレナはさらに続ける。
「勇者様。伝説の勇者様よ! ついに私たちを救う勇者様が現れたの」
 興奮気味に話す娘を、ウェスタは怪訝な表情で見つめていたが。
「勇者って……あの、伝承の?」
「うん。見たことのない服を着ているし、『光の剣』も持ってた」
「光の剣?」
「神護の森で、不思議な光で助けてもらったの。あれは絶対に光の剣よ!」
 ウェスタはじっとレナを見た。冗談を言っているような顔ではない。そもそも、この子がそんな冗談を言う子ではないことは、彼女が一番よく知っていた。
「……で、その人はどこにいるの?」
「今、家の外に……」
 レナがそう言いかけたとき、家の扉を開けて誰かが入ってきた。
「あの〜、すみません……」
 二人が振り向くと、照れくさそうに玄関に立ちつくしている金髪の若者──クロードの姿があった。
「クロードさん。どうしたんですか」
「いや、外で待っていても君がなかなか出てこないからさ……」
 言いながら、クロードはちらちらと外を窺っている。どうやら冷やかし隊に耐えかねて避難してきたようだ。
「あ、ごめんなさい。あと少しで終わるので、もうしばらく外で待っていてもらえませんか」
「え、っと……。それじゃあ、ちょっとその辺を散歩してきてもいいかな?」
「そうですね、ぜひそうしてください」
「うん。ありがとう」
 クロードはそう言うと再び外へ出ていく。扉が完全に閉まったのを確認すると、レナはほうっと大きく息をついた。
「レナ、今の人?」
 ウェスタが訊くと、レナは頷いた。
「ねえお母さん、どうしよう。やっぱり村長様に言ったほうがいいかな」
「そうね……。けど、確か村長様は朝からお出かけになっているはずだわ。夕方には戻られると思うけど……」
「じゃあ、それまでの間、家に来てもらってもいい?」
「家に?」
「うん。だって、ずっと外で待ってもらうわけにもいかないでしょ。疲れてるだろうし、どこかで休ませてあげないと」
 レナの言葉に、ウェスタは腕を組んで、しばらく考え込んでいたが。
「……うん、そうね。それがいいわ」
 不意に表情を緩めて、言った。
「レナ、あのひとを呼んできなさい。お母さんはおもてなしの準備をするから」
「おもてなし?」
「見てのお楽しみ。ほら、早く行った行った!」
 ポンと背中を叩いて、レナを玄関に追いやる。面食らったレナが振り返ると、ウェスタは優しい笑顔でこちらを見ていた。
「お母さん」
「ん?」
「ありがとう」
「何よ、あらたまっちゃって」
「だって、私の言うこと信じてくれたから」
 レナは下を向いた。頬にはほのかに赤みが差していた。
「当たり前じゃない。娘なんだから」
「……うん」
 嬉しそうにひとつ頷くと、扉を開けて家を出ていった。
 ウェスタは、誰もいなくなった玄関を見つめる。そして思った。
(あの子は、既に感づいているのかもしれない)
 だからといって、と彼女は続ける。どうしてあの子に本当のことが言えよう。あの子は自分を心から慕ってくれている。それは痛いほどよくわかる。けれども、慕われれば慕われるだけ、自分は本当のことが言えなくなる。言いづらくなる。真実を話すよりも、あの子を傷つけたくないという想いの方が強くなってしまう。
「ダレン……」
 ウェスタはその名を呟く。そして、長い沈黙が訪れた。

「どこ行ったのかしら……クロードさん」
 レナは道を歩きながらきょろきょろと辺りを見回す。先程まで騒いでいた冷やかし隊は、いい加減に二人をつけ回すのに飽きたのか、とっとと解散して家に戻ったようだ。しょせんは他人事なんだなと、レナはため息をついた。そして静かになった村の中を、捜して回る。
「おや、レナちゃん」
 橋の手前に差し掛かったところで、反対側からやって来た二人の男女に声をかけられた。ついこの間、式を挙げたばかりの新婚夫婦だ。その仲の良さは村でも評判になるほどである。
「おや、さっきの彼はどうしたんだい?」
 どうやら本当に村じゅうに知れ渡ってしまったらしい。レナの顔が赤くなる。
「あ……今捜しているところなんですけど」
「あらあら、もう逃げられちゃったの? 駄目ねぇ。ゲットしたらちゃんと繋ぎとめておかないと」
「だから、そんなんじゃないんですって!」
 むきになって怒るレナを、新婚夫婦は笑って受け流す。
「しかし、レナちゃんにもそんな浮いた話が出るようになったとは、やっぱり年頃になったんだねぇ。昔はディアス君一筋だったのに」
「フラックさんとこのディアス君かぁ……懐かしいわねぇ」
 その名前に、レナの胸は大きく弾んだ。
「無口だけど、なかなかハンサムだったもんね。レナちゃんとも仲良かったし。あの子が村を出ていってから、もうどのくらいになるのかしら……」
 新婚夫婦は勝手に話を進める。
「辛い事件だったねぇ、あれは。でも、だからって出ていくことはなかったと思うのに」
「あの子にはあの子の思いがあったのよ。誰も止めることなんてできなかったわ。レナちゃんだって……」
「……私、もう行きます」
 レナはそう言うとすぐに走り出した。これ以上、話を聞いているのが辛かった。走っていたら急に胸が苦しくなり、立ち止まる。息が荒い。そんなに走っていないはずなのに。膝に手をついて項垂《うなだ》れたまま、レナは息をついた。
(ディアス……)
「どうしたんだい?」
 はっとして顔を上げると、目の前にクロードがいた。心配そうにレナの顔を覗きこんでいる。
「大丈夫かい? なんだか苦しそうだけど……」
「あ……平気です。すみません、ご心配かけて」
 レナは大きく深呼吸をすると、平静のように振る舞った。
「お待たせしました。どうぞ家へお越しください」
「いいのかい? お邪魔しちゃって」
「構いませんよ。助けていただいたお礼もしたいですし」
「そんな、お礼なんていいよ。大したことはしてないんだから」
 相変わらず腰の低いクロードを見て、レナはようやく落ち着いたようだ。
「ふふ。とにかく来てください。お母さんがおもてなしするって張り切ってますから」

「お母さん……なに、これ?」
 グラタン、オムレツ、大皿サラダ、ハーブチキン、バスケットに入った焼きたてのパン、コーンポタージュ、アップルパイ、そして極めつけの特大ケーキ。これだけの料理が全てひとつの机の上に乗っているのは、一種異様な光景でもあった。
「いつの間に、こんなに……」
「というか、この短時間にどうやって……」
 レナも、そして背後のクロードも、テーブルを眺めて唖然とする。もちろんこれが、ウェスタによる「おもてなし」の結果であることは、言うまでもない。
「おいしそうでしょ。母さん、腕によりをかけて作ったんだから」
「そうじゃなくて!」
「なに、食べないの? あなたを助けてもらったお礼にクロードさんに食べてもらおうと思ったのだけど」
 ウェスタは小首を傾げる。
「それはいいけど……多すぎない?」
「そう? 若いし、たくさん食べるかなと思って。クロードさん、お腹すいてますよね?」
「まあ、それなりに」
 クロードは少し困ったように言ったが、ウェスタがそれに気づくはずもない。得意気にふんぞり返って。
「ほら見なさい。男の子はこのぐらい食べるものなのよ。たくさん食べてくださいね、クロードさん」
「は、はい……」
「お母さん……」
 レナは額に手を当てて、ため息をついた。

 ──かくして時間は経過して。
「うぇっぷ……もう入らないや。ごちそうさま」
 二階の寝室で、クロードが苦しそうに椅子に腰かける。
「無理しないで残してもよかったんですよ」
「平気平気。僕の胃は丈夫だから……ぐふ」
 そう言うものの、レナには無理しているようにしか見えない。
「もう、お母さんたら作りすぎよね」
「でもすごく美味しかったよ。僕の母さんじゃ、こうはいかないな」
「ふふ。ありがとうございます」
 レナは軽く微笑んで言った。
「私は片づけをしてきますから、クロードさんはここで休んでいてください」
「ああ、わかったよ」
 クロードがそう返事をすると、レナは駆け足で階段を降りていく。
「お母さん」
「レナ、あの人は?」
 ウェスタが心配そうに訊いた。
「お腹いっぱいだって。今、二階で休んでもらってる」
「そう……。レナ、今のうちに村長様を呼んできなさい。ついさっき、サルバから帰ってみえたようなの」
「うん。わかった」
「もう暗いから、気をつけて行ってくるのよ」
 レナは玄関の扉を開けて外に出た。日はすでに山の向こうに落ちて、濃紺の空には星もちらほら見えてきている。
 村長レジスの屋敷は、レナの家から目と鼻の先にある。レナは屋敷の扉の前で立ち止まり、ひと呼吸置いてからノックをする。すぐに女中が扉を開けて顔を出した。
「あら、レナちゃん。どうしたの?」
「急な用事があるんです。村長様に会わせてもらえませんか?」
「ええ、構いませんよ。どうぞお入りになって」
 女中はレナを招き入れる。
 村長は居間の椅子に腰かけてくつろいでいるところだった。たくわえた髭も髪もほとんど真っ白で、皺深い目尻に埋もれるようにしてある眸は、部屋の中のどことも知れぬ場所を静かに見つめている。
「おや、レナか」
 レジスはレナに気づくと杖を持ってゆっくりと立ち上がった。
「どうしたんじゃ。そんなに慌てて」
「村長様、のんびりしている場合じゃないんです」
「いやはや、一体なにがあったというんじゃ?」
 レジスは少しおどけたように言ってみせたが、レナの差し迫った表情に、すぐに真面目な顔を取り繕う。
「ついに勇者様が現れたんです」
「なんじゃと?」
「間違いありません。あの人は絶対に勇者様です! 異国の服を着ているし、光の剣も持っていました!」
「光の、剣?」
 レジスはレナを刮目した。少女は真摯にこちらを見ている。偽りのない、まっすぐで純粋な瞳。そこには疑念を抱く余地すらなかった。しかし、もしそれが真実だとすれば……。
「して、その者をどこで見たのじゃ?」
「神護の森です。私が魔物に襲われそうになったところを、光の剣で助けてくれたんです。……今は、私の家にいます」
「うむ……光の勇者、か……」
 皺だらけの顔にさらに皺を寄せて考え込むレジス。
「そのひと、旅をしているなんて言っているけど、ここがどこかもわからないみたいなんです」
「それは妙じゃな。だがしかし……」
 レナの言葉に一応納得はしてみたものの、レジスにしてみれば、こんな偏狭の村で世界を救う勇者が現れたなど、とうてい信じられることではなかった。
「お前が嘘をつくような子でないことは、重々承知しておるが……」
「村長様……」
 レナが不安そうに見つめるのを見て、レジスはすぐにかぶりを振った。
「まあ、会ってみないことにはわからぬな。行くとしようか」
「はい!」
 レナは嬉しそうに返事をする。その表情にはいつもの明るい笑顔が戻っていた。

 家へ戻ってみると、ウェスタがレナに詰め寄ってきた。なにやらひどく動揺している。
「どっどど、どど」
「ど?」
「どどど、どーしよう、レナ」
「なによ、お母さん」
「だって」
 ウェスタは背後の階段とレナを交互に見ては、おろおろと手を揉んでいる。それに業を煮やしたレナが。
「だってじゃないでしょ、どうしたのって聞いてるの」
 語気を強めて問い詰めると、ウェスタはまるで内緒話でもするみたいに小さな声で言う。
「言っちゃった」
「……なにを?」
「『勇者様』って……」
「えーっ、言っちゃったの!?」
 レナは思わず大声を上げてしまい、慌てて自分で口を塞ぐ。そして声の調子を落として続けた。
「……それで、クロードさんは?」
「まだよくわかっていないみたいだけど……」
「まあ、ひとまず落ち着きなさい、ウェスタ」
 レジスが前に進み出て言う。
「彼もまだ状況をよく理解していないんじゃろ? ……おや」
 階段からクロードが降りてきた。レジスはさらに進み出て彼の前に立つ。
「貴方がクロードさんですな。私はこの村の長をしておりますレジスという者です」
「…………」
 クロードは無言のまま、きまりの悪そうに俯いた。

「神護の森でレナを助けていただいたそうで、本当に感謝しております」
「いえ、大したことではありませんが……」
 先程まで溢れんばかりの料理が並べられていた机に、レジス、クロード、そしてレナが座った。ウェスタはレナの背後に立っている。
「ところで、レナから聞いたのですが、旅の途中だそうですな」
「旅……。いえ、そんなに大げさなものでは……」
 相変わらずクロードの返答は覚束《おぼつか》なく、言葉は所在なげに発せられては消えてゆく。レナは微かに苛立《いらだ》ちを覚えた。
「これからどこへ行かれるおつもりです? クロス王国、それともラクール大陸ですかな?」
「それは……」
 何も返せずに黙ってしまった若者を見て、レジスが切り返す。
「ここがどこかもわからぬ上に、目的地もはっきりしないと。いやはや、妙な旅人でございますな」
「……どういう意味ですか?」
 クロードの表情に、僅かな怒りが見られた。何が言いたいんだ、というふうに。
「無礼を承知で申し上げます。クロードさん、貴方は嘘をついていますな」
 押し黙ったまま、じっとレジスを見るクロード。村長は続けて。
「貴方はただの旅人ではありますまい」
「それじゃあ、僕は一体何者なんでしょうか?」
 皮肉っぽい笑みを浮かべて、クロードは訊き返した。その挑戦的な視線に、レジスは豊かな髭を弄りながら、うむと唸った。
「我々の地方に、古来より語り継がれているひとつの伝承がありましてな。……どれ、レナ、吟じてみなさい」
 レナは頷き、そして鷹揚《おうよう》と謳いあげた。
「『此の地エクスペル、魔の者に蹂躙《じゅうりん》せられ、民大いに苦しむ時、異国の服纏いし勇者現れん。彼の者、光の剣を以て魔を破り、我が民を救いたもう』」
「……え?」
 クロードの表情が引きつった。嫌な予感に。そしてそれは的中する。
「伝承の中にある『勇者』。それが貴方であると、我々は考えています」
「ち、ちょっと待ってください。どうしてそんな」
「『光の剣』のこともレナから聞き及んでいます。眩く輝く光を以てレナを助けてくださったと」
「え? 光……あ、いやそれは、あの、誤解ですって」
「うそ! じゃあ、その腰につけてるのは何なんですか? あのとき、それで魔物を吹き飛ばしたじゃないですか!」
「あ……」
 レナに指摘されて、クロードは無意識に腰の武器に触れた。そして項垂れる。
 しばらく誰も無言だった。重く澱んだ空気がひとしきり流れる。
「やはり、勇者ではないのでしょうか?」
 沈黙に堪えかねたように、ウェスタがレジスに訊ねる。
「そんなことない!」
 レナが叫んだ。レジスは皺深い顔にさらに皺を寄せて、考え込む。
「……光の剣に関してはわかります」
 クロードがようやく口を開いた。
「光の剣ではありませんが、確かにそういう武器を持っています。でも、だからといって、それで僕が勇者だと決めつけるのは、おかしくありませんか?」
「どうしてそんなこと言うんですか?」
 レナにしては珍しく、厳しい口調だった。だがクロードはこちらを向きもせず、ただ机の上の一点をじっと見つめているのみ。
「だって、本当に勇者じゃないんだ……。僕にそんな力はないよ。そもそも何が起きているのかもわからないし……」
「本当に知らないんですか? ソーサリーグローブのことも。異変のことも」
 クロードからの応えはない。代わりにレジスが。
「この村に起きているのではありません。世界全体に異変が生じているのです」
 そう言い直したが、やはりクロードは沈黙を保っている。
「……ならば、お話ししておかねばなりませんな」
 レジスは大きく息をつき、たっぷり間を置いてから、語り始めた。
「今から三ヶ月前のことです──」

 この世界「エクスペル」は、大別して三つの大陸から成り立っている。すなわち、十字状に広がるクロス大陸。その東から南東にかけて横臥《おうが》するラクール大陸、そして北西に位置するエル大陸。
 そして、各々の大陸にはその名を同じくした国家が存在する。
 豊かな土壌と自由貿易で栄えるクロス王国。
 強大な武力をもって他国を睥睨《へいげい》する軍事国家ラクール。
 両国に挟まれ常に諍いに巻き込まれてしまう哀れな小国エル。
 三つの王国はときに対立し、ときには友好関係を保ちながらも、それぞれが独自の歴史を歩んでいった。ここ数年の間、三国は大きな戦乱を起こすこともなく、平和と繁栄の時代を謳歌していた。しかし、そんな折に、厄災は突如として天から降ってきたのである。
 エル大陸の王都エルリアに、巨大な隕石が落下した。それによりエルリアは壊滅的な打撃を受け、死傷者は全人口の約半分にも上り、都市としての機能はほとんど失われた。
 クロス、ラクール両国は、隕石の調査と被災者の救助のため調査隊と救助隊、それに救援物資をエルリアに派遣することに決定した。ラクールはヒルトンから直接エルリアへ、クロスはクリクからエル大陸の港町テヌーを経由して、それぞれ派遣を開始する運びとなった。
 しかし、ここから誰もが予想し得なかった事態が生じた。
 クロス、ラクール両国から派遣された者たちが全て、一度の連絡も取れないまま消息を絶ってしまったのだ。次いで派遣された調査隊も同様に行方がわからなくなった。事態を重くみたクロス国王は、ごく少数の精鋭のみで構成された偵察隊をエル大陸に送り込んだ。帰還した彼らからの報告によれば、エル大陸の内部は奇怪な魔物たちで埋め尽くされていたという。彼らが最初に上陸するはずだったテヌーは既に跡形もなく消滅しており、彼ら自身もエルリアの調査へ向かう途中に魔物に襲われ、命からがら逃げ帰ってきたということだった。
 しかも、異変はそれだけにとどまらなかった。
 クロス、ラクール両大陸の内部でも、動物たちが突然狂暴化して人々や街を襲うようになり、さらに最近ではクロス大陸の各所で群発地震まで起こるようになった。クロス、ラクール両国はやむなくエル王国への救援を断念し、自国の防衛を優先せざるを得ない状況となった。
 これら一連の異変はすべて、あの隕石がエルリアに落ちたことに始まっている。全ての発端は隕石だ、あれがこの世界に厄災をもたらしているのだと、人々は口々に罵り、空を呪った。そして、いつしか彼らはあの隕石のことを、忌諱《きい》と畏怖の念を込めて、こう呼ぶようになった。
 魔の石《ソーサリーグローブ》と……。

「ソーサリーグローブは、異質な存在です。我々には理解すること適わぬ、まさしく悪魔の石です」
 レジスは言った。
「そして、貴方も異質な力を持っておられる。異なるものであるあの石を打ち破ることができるのは、貴方しかいないと思っているのですが」
「そんな……」
 クロードは肩を落とし、俯いたまま。
「僕には……僕には、そんな力はないんです。厄災を引き起こすような隕石を相手にできるわけがない」
「それでは、あなたはどこから来て、これからどこへ行こうとしているのですか?」
「それは……うまく説明できません。説明しても、わかってもらえるかどうか……」
 膝に置いた手を、ぐっと握りしめるクロード。
「ただ、ひとつだけ言えるのは、僕は自分の意志でここに来たのではなく、事故によって飛ばされたということです。そして、なんとかして本来いた場所に戻りたい……それだけなんです」
 レジスは若者を刮目《かつもく》した。彼の表情は活力に乏しく、瞳は親とはぐれた迷い子のように、うつろだった。
「漠然としていて、わかりにくいですな」
「でも……そうとしか言えません」
 クロードは唇を噛んで、それきり何も言わなかった。頑なに机を見つめるその横顔は、確かに世界を救う勇者のものではないのかもしれない。
「そうですか……」
 レジスは大きく嘆息して、口を開いた。
「そこまではっきり否定なさるのならば、こちらとしても無理に祭り上げる気はありません。貴方は勇者様ではなく、ただの旅人であると。それでよろしいですな?」
「そんな……」
 レナは信じられないようにクロードを見る。そこには憧れの勇者ではなく、叱られた子供のように背中を丸めて佇む少年の姿しかなかった。こんな、こんなはずはない。あのときは、確かに。
「すみません、結果的に期待を裏切る形になってしまって……」
「いや、こちらが勝手に勘違いしただけです。貴方が気に病むことはありますまい」
「ごめんなさいね……」
 ──私を助けてくれたときは、確かに……ぜったいに、あれは勇者様だった!
 レナはすっと席を立つと、顔を背けたまま玄関へと歩いていく。
「レナ!」
 ウェスタの制止もきかず、彼女は扉を開けて外へと出ていった。
 外はほんのりと肌寒かった。この地方特有の早い冬が、すぐそこまで来ているのだ。
 レナはそばを流れる川の畔《ほとり》に、膝を抱えるようにして座った。月の光が、川面に彼女の顔を映し出す。川の中の自分は、なんだかやけに寂しそうだ。
 勇者は、憧れだった。小さな頃から──そう、ソーサリーグローブが落ちるずっと前から、勇者は彼女にとっての『希望』だった。母親や神父が勇者の話をするたびに、目を輝かせて聞いていた。やがて大きくなると『聞く』側から『話す』側へと変わった。 村の子供たちに請われては繰り返し勇者の話をした。何度目かのアレンのプロポーズを断って、村の同世代の少女たちに詰《なじ》られたとき、「私は勇者様と結婚するの!」と本気で言ってみせたこともあった。
 勇者への憧憬は、ソーサリーグローブが落ちてからより一層強くなっていった。相次ぐ地震、可愛かった動物たちの狂暴化。長閑《のどか》なはずのこのアーリアでも、人々の間で暗い話題がささやかれ始めた。いつか必ず勇者様が現れて、前のような平和をもたらしてくれるに違いない。レナはそう固く信じていた。そして、それが今、自分の目の前で現実になる……はずだった。異国の服をまとい、光の剣を持つ勇者が現れ、厄災の根源《ソーサリーグローブ》に立ち向かってくれるはずだった。それなのに。
(どうして……)
 水面に波紋が広がる。同時に月が薄雲に隠れた。まるで、そのときを見計らったかのように。



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【ひとくち解説】
 ゲームでは長々とイベントが続いた箇所です。10年前のここのセリフ部分はほとんどゲームの丸写しだったと思いますが、それだといろんな意味であんまりなので、かなり変えちゃってます。
posted by むささび at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説SO2