どうも、むささびです。
ネットに入り浸り続けて遂に19年目を迎えてしまいました。
Windows95のPCで初めてネットに繋いだのが18年前の春。当時は高校生だったし、コンピュータの知識も大して持ち合わせていませんでした。一体何ができるのか、どうやるのか。全てが手探り状態で、好奇心の赴くままネットの海へと潜っていったように記憶します。
そしてそのまま帰らぬ人に……なっていませんが、似たようなものですね。はい。
わたしが初めて見たネットは、今から考えればとても情報量の乏しいものでした。Webサイトを作って発信していたのはほんの一握りの好事家のみで、その少ないサイトをYahooが束ねている、といった具合でした。コミュニケーションの手段はメール、BBS、サイトの掲示板にチャットと多種あったものの、そもそも人が少ないので行き交う情報もそんなに多くないし、常時接続ではないからタイムラグも数日単位で発生してしまう。良く言えば牧歌的、悪く言えば閑古鳥。それでもパソコン通信の時代と比べれば賑わっていたんでしょうけどね。
当時の状況については、インターネット白書の統計を見てもらえれば何となく掴めるのではないかと思います。
【インターネット白書ARCHIVES】
http://iwparchives.jp/ 1996年のネット利用者は2012年の1/10程度、そのうち9割以上が男性で、年齢層も20〜30代が7割以上を占めていたようです。確かに周りは大人ばかりだったし、女性も見かけなかった気はします。まァ、性別なんていくらでも詐称できるけど。
このインターネット白書、ちょうどわたしがネットを始めた1996年から刊行されているようです。ここに纏められているモノを全て見て、関わってきたのだと思うと、なかなか感慨深いです。実際はネットの片隅でコソコソ活動してきただけなので、こうした流れとはほとんど無関係だったのだけど、気にしない(゚ε゚)
それにしても、18年です。赤ん坊が青年になるくらいの歳月です。適齢期ですね。なんか
7年前にも同じこと言った気がしますが。
上述のネットの歴史に比べたら些細な、砂浜に打ち上げられた小さな貝殻くらいのものに過ぎないけれど、わたし自身もこの18年の間に様々なことをやって、僅かながらも歴史を刻んできました。そして、手がけてきたもののいくつかは幸運にも現在まで残ることができた。本当に幸運なことだと思います。
残ったものも残らなかったものも、わたしにとっては大切な思い出には違いありません。ただ、それでもやっぱり、残る(残す)ということは大事だなと、この歳になってくると強く思います。
「残したい」という欲求は、やっぱり本能的なものなんでしょうね。生きてきた意味だとか価値だとか、そういうところから考えるのも有りかもしれないけど、遺伝子に刻み込まれた本能なんだとした方が、明快でわかりやすい。だから敢えて深く考えずに、そう思うことにしています。
1年でも、1日でも、1秒でも長く残るものを遺していく。それがここ数年のわたしのテーマになっています。
昨年から書き始めている
『小説ワイルドアームズ2』も、そのテーマに基づいて始めたもののひとつです。
わたしなりの経験則として、長く残ったものというのは「誰もやらないもの」であり「継続されたもの」であり「完結したもの」だという認識があります。小説SO2にしろ三笠山委員会にしろギャグ王記念館にしろ、わたしが手がけたコンテンツで現在も残っているものは、これらの要素を備えていた。WA2はかれこれ15年前のゲームですが、自分が知る限りノベライズをやっている人はいない。後はこれを続けて、完結させること。そうすれば必ず残るものになると、信じています。
残すことは結構大変ですが、そのぶん、いいこともある。それもここ数年で実感したことです。小説SO2は残ることで本まで作ることになり、それを通して沢山の繋がりと経験ができた。三笠山委員会やギャグ王記念館は今でもたまにTwitterなどで反応をいただきます。当時の読者にとっては貴重なコンテンツになっていると自負しています。
19年目。
これからも、ひとつでも多くのものを残し、できる限り永く続けていきたいと思います。